第24話 蜜月 ~ 4 ~


執務室の棚の点検をしつつ、ちらりと飾り棚の時計に目を向けたイアソンは、

難しい顔で書類に目を通している、この部屋の主に向かって声をかけた。


   

   

   「そろそろ時間なのではないですか」

   「あぁ、そうだな」

   「着替える時間も必要ですし、もう東棟へ戻った方がよいのでは?」

   「うん、わかっている」




” そうだな “ “ わかっている “ と言いながら、

主は書類をめくる手を止めず、執務机からも離れようともしない。

とうとうイアソンは身体ごと向き直り、アスターに向かって

大袈裟にため息をついてみせた。



   

   「仕事熱心なのは助かりますが、ちょっと前までは

    さっさと仕事を終わらせて、とっとと東棟に戻っていたのに、

    最近は、たいした仕事もないのにやけに長居をしますよね」

   「ごちゃごちゃうるさいな」

   「ほぉー、そう言いますか、……  

    殿下の気まぐれに付き合っている私の身も、考えて頂きたいのですが」




眼鏡をくいっと押しあげて彼がそういえば、レンズがキラリと

部屋の明かりを反射して、ただでさえ、

” 人以外の何かなのでは? “ と思わせる冷めた表情がさらに増し、

アスターは首を竦ませた。



   

   「それでなくても今晩は、妃選びの為の催しでしょう? 

     主役が遅れてどうするんです。

    こそこそ逃げ隠れしていてはいけません」




ぽいっとゴミでも捨てるようにイアソンに執務室から追い出され、

アスターは肩を落として天井を仰ぎ見た。



   

   「行きたくない…… 」




今晩の管弦の会が嫌なこともあるが、最近ぐずぐずといつまでも

執務室にいるのは、エミリオのことがあるからだ。


森のコテージで自分がなにをし、彼がどうなったか。

彼にどんな顔をして、どう接すればいいのか、もうわからない。


それでも東棟に向かえば、棟の入り口ではハグサムが待ち構えていた。


   

   

   「お急ぎください」




気持ちの整理がつかなくても、気が進まなくても、王太子としての役目を

放り出すことはできない。


アスターはハグサムが整えた濃紺に金の刺繍が映える正服に着替える。


細めのサッシュを肩から斜めにかけ、金とサファイアで飾られた王太子を表す

装飾世章と、紋章ブローチや勲章などをつける。


高く、きっちりと巻かれたクラバットのわずかな隙間に指を差し込んで緩めると、アスターはふぅと息を吐いた。




城の中央部、正棟の広間にはもうすでに人が集まっていた。


広間には低い半円形の舞台を囲うように椅子が並べられ、

舞台に向かって真ん中の席に国王が座り、その隣ひとつおいて右に

ロービス宰相、その隣に宰相の姪のメリアナ嬢、サムス候爵、サムス候爵令嬢、ガールンド伯爵、ガールンド伯爵令嬢が並ぶ。


国王の左手側には王族たちが座り、後ろ二列目からは、貴族をはじめ、招待を

受けた者たちが座っている。


遅れたことを皆に詫びて席に着いたアスターは、王族側の席が、二席

空いているのに気がついた。

まだ自分より遅れている者がいたのかと、会場を見回す。

王族の顔ぶれの中で姿がないのは……。


ー ー クリティールド叔母上か。


父王の姉、クリティールド=アンヌ公爵夫人。


なんでもはっきりとモノを言う女性で、幼い時から

“ 彼女が王子だったら “ と悔やむ声があったと聞く。


叔母はロービス宰相が大嫌いだ。


当のロービスは上機嫌でサムス候爵と言葉をかわしており、自慢の姪が

誰よりも王太子妃にふさわしいと認めさせる催しに、宿敵が欠席となれば、

それは上機嫌にもなるだろうなとアスターは独りごちた。


他に二人の候補があるとはいえ、宰相の采配で “ 妃はメリアナ “ に

ほとんど決まっているのに、こんな催しをするのには付き合いきれないわ、

という叔母の気持ちもよーくわかって、苦笑いが浮かぶ。


だから連絡もせず欠席するぐらいは、あの叔母上ならやるだろうなと、

彼がそう思った時、入り口あたりが僅かにざわめき、ついで、朗々とした声が

聞こえてきた。



   

   「遅れて申し訳ありませんわ、皆様」




シックな濃紅色のドレスの裾を優雅に揺らし、微笑みを浮かべ、

クリティールド公爵夫人が歩いてくる。


その後ろを見てアスターは驚いた。


ガタンと椅子を鳴らし、思わず立ち上がる。


唖然としているアスターの前を、揺るぎない足取りで夫人が通り過ぎていき、

続いて一人の美しい令嬢が、慎ましやかに目を伏せ通り過ぎていく。



   

   「どうしたのだ、王子」




突っ立ているアスターに国王が声をかけ、



   

   「い、いえ、なんでもありません」




と、彼はやっと腰をおろした。


周りの者たちもひそめた声で ” 公爵夫人がお連れになった方はどなた?” 

” 見たことのない顔だ ” などと囁き交わしている。



すぐに開式の辞がのべられ、弦楽器の四重奏がはじまったが、

せっかくの美しい調べもアスターの耳にはちっとも届かず、

彼は混乱した感情のまま王族席に目を向けた。


淡い桜色のシンプルなドレス。


緩やかにまとめられた金の巻き毛は、青いリボンと瑞々しいカメリアの

花が飾り、レースの立ち襟の襟元には小振りのブルー・サファイアが輝く。


華美な装飾のないドレスは、こういう場ではややもすれば味気なくなるが、

その令嬢の装いは少しも見劣りすることなく、かえって着ている者の清麗さを

際立たせていた。


ー ー エミリア ー ー。


愛しい名を、アスターは思い浮かべた。


ー ー 本人のはずがない、しかしこんなに似ているのは…… 。


短いはずの髪は結い上げられて長く、胸は、今はふっくらと女性らしく丸い。


彼の視線を感じ取ったのか、令嬢は恥じらうように目を伏せ、アスターは

ぱっと視線をもどした。


すかさずロービスが声をかけてくる。



   

   「金冠鳥という鳥をご存知ですかな」

   「いや」

   「南の島に生息する美しい鳥なのですが、先ごろ、その珍しい羽が

    手に入り、扇に仕立ててみたのですよ。

    今、メリアナが持っているのがそれです」




ちらりとアスターが視線をむけると、メリアナが優雅に美しい扇を揺らす。



   

   「今日のメリアナの衣装も珍しいコーリアル刺繍をほどこしたもの。

    これだけの仕事ができる職人はなかなか居ないのですが、

    可愛い姪のためと思いまして」  

   「見事なものだ」




アスターが褒めると宰相は満足そうに顔を綻ばせ、

メリアナ嬢と目が合えば、彼女は陶器の人形のような顔に艶然とした

笑みを浮かべた。

美しい女性だとアスターは思う。

でもその顔は造りものめいていて、何度も顔をあわせているが、

生き生きとした命の躍動を感じたことは一度もない。


ー ー 感情がないわけではないだろうに。


まさに彼女は宰相の作り上げた人形なのだ、王太子妃とするために。


アスターはもう一度、左手側の客席を見た。


公爵夫人の隣の席、桜色のドレスの令嬢 ……

先程までの緊張は消え、美しい音楽に対する喜びが、彼女の顔には溢れている。

すっかり聞き入っているのだろう、もうこちらの視線に気づく様子もないことに、アスターの口元にふと苦笑いが浮かんだ。



そのうちに三曲続いた演奏が終わり、楽師の一人が舞台の真ん中に進み出た。



   

   「さて、次は古楽器をつかった曲になります。

    この楽器はバイオリンによく似ておりますが、

    弦は三本しかありません。

    バイオリンの基となったこの楽器、澄んだ音を出すのは

    我々でも少々難しいのですが、この機会に試してみようという方は

    いらっしゃいませんか」




楽師はそう言い、ちらりとロービスを見る。



   

   「面白い余興だ。どうかね、メリアナ」

   「他の方々もやられるのでしたら」

   「そうだね、お前だけが目立ってしまうのはいけない」




宰相が立ち上がり楽器を受け取って、ガーランド候爵令嬢にそれをさしだす。


愛想笑いを浮かべているものの顔を引きつらせ、候爵家の令嬢は助けを求める

ように父親を見たが候爵は苦い顔で頷いただけで、彼女はしぶしぶ立ち上がり

弓を構えた。



   

   「ギィ〜、ギゥ〜〜、ギィイイ〜〜」




雄鶏が絞め殺される時のような音が鳴り響き、皆が驚き、顔をしかめる。

なんとか澄んだ音がでないかと、候爵令嬢は角度を変えて弾き続けるが、

もうすでに昇天した雄鶏の首をさらに締め続けるような結果になり、

会場のあちこちで忍び笑いがもれる。


かわいそうに候爵令嬢は、泣き出さんばかりの顔になって、すとんと腰を

下ろした。


さぁ、次はどうなる?


皆の期待と不安が、嫌が応にも高まって伯爵令嬢へと向いたが、意外にも彼女は平然とした顔ですくっと立ちあがり勇ましく弓をかまえた。

背も高く、女性にしてはなかなかな体格の伯爵令嬢は、思い切りよく、まるで

剣を振るように弓を引いた。


だが、勢いが余って弓の先が頭飾りに当たり、すっぱぁーんと飾りが弾け飛ぶ。

飾りは宙を飛び、後方の席に座っていた老貴族のはげ頭にすぽっとはまり、

ポカンと口を開けて飾りの行方を目で追っていた者達は、その結末に、一瞬、

気を抜かれたように押し黙ったが、すぐに大きな笑いを爆発させた。


わはは、おほほと会場に笑いの渦が起きる。


さすがに顔を赤くして伯爵令嬢は腰を下ろし、伯爵は憮然とした顔で

目を瞑り、腕を組んだ。


笑いをこらえようとして堪えきれない顔の宰相が、楽器を伯爵令嬢から

受け取ると、期待をこめて恭しくメリアナ嬢に渡した。

彼女は冴えた表情のまま立ち上がり弓をかまえ、しーんとあたりは静まり

かえった。


白い腕が滑らかに動き弓が弦を捉えれば、本当に今までと同じ楽器なのか?

と思うほどの高く美しい音が広間に響き渡った。

見ている者の中からほぅーと感嘆の声があがり、これ以上はないほどの笑顔で

ロービスが国王とアスターを見る。



   

   「さすが、宰相の姪御殿だな」




国王がそう褒めるとロービスは慇懃に頭をさげた。 


ー ー とんだ茶番だ。


わからぬように顔をしかめ、アスターはそう心の中で呟く。

楽師の提案も、令嬢達が順番に試すことも、メリアナが見事に弾くことも、

すべて宰相の書いたシナリオ通りにちがいない。


しかしその時、突然、会場の後ろから声があがった。



   

   「クリティールド公爵夫人のお連れになった令嬢は、

    試されないのですか?」




その声に皆の視線が、公爵夫人の隣に集まった。


ざわざわとわずかに会場がざわめき、” いや、彼女は妃候補じゃないだろう “

と囁く声がしたが、ロービスは考えた。

古楽器は簡単には弾きこなせない、ここで、あの令嬢が恥をかけば 。



  

   「これは余興で、妃候補とは関係ありませんからな、どうですか? 

    クリティールド公爵夫人」




宰相がそう言うと、夫人は束の間、逡巡したが、



   

   「宰相の言う通りね、どうです? やってみますか」




と、隣の令嬢に問いかけた。

さっと頬を赤らめ緊張した顔ではあったが、彼女は “ はい ” と頷く。


焦ったのはアスターだ。

止めに入ろうと腰を浮かせかけたが、国王に話しかけられ腰をおろす。



   

   「あの娘は…… 、お前の知っている令嬢なのかね?」

   「いえ、知りません」

   「あまり見かけない顔だが、美しい娘だ。姉が連れてきた

    ということはアンヌ公爵家に所縁ゆかりの者だろうか」

   「どうでしょう」

   「ふむ、姉上が今晩の催しの内情を知らぬわけがなかろうが、

    さて? 何を企んでいるのだろうね」




父王の瞳に面白がる色が浮かぶのを見て、アスターはため息をついた。


ー ー 止めることは、もう無理か…….。


仕方なく、強張った表情でクリティールド公爵夫人と言葉を交わしている

彼女を見つめる。

ただ成り行きを見守ることしかできず、アスターは、膝の上に置いた手を

ぐっと握るしかない。



   

   「侯爵夫人の身勝手さにも困ったものですな、いきなり

    あのような娘を伴ってくるとは。そう思われませんか、王子」

   「そう…… だな」

   「いったい誰なんでしょうか、あの娘は」

   「誰……なんだろう 」




不愉快だと言わんばかりに口を曲げて宰相が話しかけてくるが、

こちらを見ようともせず、気の無い返事しか返さないアスターに、

ロービスは苦虫を噛み潰したような顔になり、



   

   「ふん、どうせ失敗するに決まっておるわ」




とぶつぶつというと、緊張した顔で古楽器を手に取り立ち上がった

“ どこの馬の骨ともわからぬ令嬢 “ を睨みつけた。



不愉快な顔、好奇に満ちた顔、心配気な顔、会場にひしめく

多くの視線に、彼女は一瞬、ひるんだように見えたが、

すぐにきゅっと唇を引き結び弓を構えた。


深く息を吸い目を閉じて、しなやかな動きで弓をひく。


すると古楽器は、深い森の大樹ような低い音で謳い始めた。


身体の奥を揺さぶり動かす、それでいて安心感につつまれるような、

濃緑の森の空気を感じる深い音。


メリアナの時とはまったく違う。



   

    「なんと、その音が出せるとはすばらしい!」




叫ぶように、楽師が感嘆の声をあげた。



   

   「古楽器を弾かれた経験がおありですか?」

   「いいえ、初めて手にしました。

    でも古楽器は、今は無きガラニアの

    “ 森の神の胎内から生み創られたもの “ と聞いたことがあります。

    ですから森の神に祈りを捧げる、と思って弾きました。」




頬を上気させ令嬢は答える。

感心したように楽師は何度も頷いた。




   「まったくその通りなのですよ。その音は、

    神が選び、神が愛した者しか出せぬと言われています。

    何年も練習する私達でさえ、難しいと思う音で……」

   「もういい! 陛下をはじめ、皆が待ちくたびれているのが

    わからんのか、さっさと演奏を再開しなさい!! 」




突然、宰相の怒号がとんで、嬉々として喋っていた楽師はしまった

という顔をすると、慌てて古楽器を受け取り舞台上に進みでて、

引きつった愛想笑いを浮かべ腰を折った。



   

   「失礼いたしました。それでは、次に披露します曲は……」




紹介とともに次の曲が始まり、何事もなかったように楽師たちの演奏が

再開され、皆がその軽やかな響きに耳を傾けたが、アスターの耳にだけは、

先程の深い音だけがいつまでも流れ続けている。


そして彼は、もう今は隠すこともせず、公爵夫人の隣で目を輝かせ、満足げに

演奏に聴き入っている令嬢を見つめ続けた。


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