第25話 蜜月 ~ 5 ~



カツカツとブーツの音も高く、すれ違う女官や侍従に

“ クリティールド公爵夫人とその連れの令嬢はどこか? “ と問い、

アスターは足早に城内を歩いている。


管弦の会が終わる前に二人は広間から退出してしまい、立場上、席を立つ

ことができなかった彼は、終わると同時に部屋を飛び出したのだった。


正棟の応接間に二人の姿はなく、西棟も同じで、東棟にむかうアスターを

侍従の一人が見つけ、追いかけてきた。




   

   「どちらにいらしたのですか! 

    皆様が、王子はどこに行ったのかと心配してみえます。

    まもなく夜宴もはじまりますので、すぐ広間にお戻りください」

   「構わないから、先に始めておいてくれ」

   「そういうわけにはいきません。

    王子がいらっしゃらないと、なんの為の宴かということに

    なってしまいます」

   「わかったからついてくるな! 二十分経ったら、行く」

   「ではそうお伝えしてきますので」




大急ぎで侍従は走り去り、アスターはやっと辿りついた東棟の

応接間のドアをバンと開けた。


窓辺に立っている薄紅の桜色のドレスの女性が、はっと振り返る。

顔色をなくし、彼女は顔を隠すように俯いた。


大股で近づき当惑に眉をひそめ、アスターは問う。



   

   「エミリオ……だな?」

   「はい」

   「どうしてそんな格好をしている」

   「クリティールド侯爵夫人の指示で」

   「……」




いからせていた肩を彼はふっと落とした。

やはり、そうだろうとは思っていた、あの叔母上のやりそうなことだ。



   

   「髪はカツラか?」

   「付け毛です」

   「その……胸は」

   「詰めものをして」




どこからどう見ても完璧な女性の姿に、ちくりと鈍い痛みがアスターの胸を刺す。


生きていれば彼女はきっとこんな姿だったろう、

美しく咲き誇る大輪の花のように、人を惹きつけずにはいられない。



   

   「わかった、もういい」




踵をかえしたアスターの前に、今まで以上に顔色をなくし、

慌ててエミリオは回り込んだ。



   

   「怒ってみえるのですね、どうか許してください」

   「怒ってなどいない、悪知恵を働かせたのは叔母上だ」

   「今日のことだけではなく、あの狩りの日からずっとです」

   「いいや、違う」

   「じゃあ、なぜ僕を遠ざけるのですか!」




返答につまり、アスターは唇を引き結んだ。



   

   「今日、気がついたんです、王子には想っている女性がいるんだと。

    その人と僕は似ているんですね?

    コテージで、王子は僕の名を間違えて呼んだんだと思っていました。

    でも、違う……。

    あなたが見ているのは僕じゃない、 “ エミリア “ という名の女性だ」




苦しげな顔でアスターは、逃げるように横を向いた。



   

   「構いません、その女性の代わりでも。

    もともと僕は男でもなく、女でもないから。王子が望むなら僕は……」

   「馬鹿げたことをいうな」

   「王子の側にいられるなら、それでいい。離れるのは嫌だ!」




その時エミリオの中で不思議なことが起こった。


身体の奥深く、凍りつき閉ざされた場所にうずくまる誰かが、うっすらと

目を開ける。

彼女の瞼の凍りつき固まった涙が、ゆっくりと溶け流れ、囁くよりも

幽かな声で彼女は呟いた。


ー ー もう、二度と失いたくないの ー ー。


その瞬間エミリオは消え、彼女の意識だけが浮かび上がって身体と

ひとつになり、手を伸ばしてアスターの上着の袖を掴むと、彼女は

震える声で囁いた。



   

   「お願い、いなくならないで。 もう、消えてしまわないで……」




サニー・シーの瞳が潤み、涙が盛り上がる。


突然、雰囲気が変わった事に気づき、眉を寄せ、アスターは不思議そうに

その瞳を見つめた。



   

   「エミリア?」




呼ばれた名前に喜びの笑みが、わずかに彼女の口元に浮かんだが、

ふらりとその身体は頼りなく崩れ落ちて、慌ててアスターはその身体を

抱きとめた。



   

   「王子、僕は……」




力なく漏れた言葉にやはりエミリオかと思うが、それでも彼女の名残を

どこかに感じて、アスターは呼びかける。



   

   「エミリア」




応えるようにふるりと震えた身体を抱きしめ、アスターは何度も

声に出して愛しい名を呼んだ。



馬鹿げたことだが、もしエミリオの中に、なんらかの理由で

彼女の魂が宿っているのなら。


身代わりでもいい、と言ったエミリオの言葉が脳裏に蘇る。


押し寄せる波に抗うようにアスターはきつく歯を食いしばったが、

流れ始めた奔流を押しとどめることは難しかった。


目の前の身体をかき抱き、頬を寄せる。


震える指先で柔らかく頬を撫でて身体を離し、細い顎を持ち上げて、

アスターは熱い唇で薄紅色の花弁のような唇を塞いだ。


奪うように激しく、また少し離れて、今度は愛しげに包むように。


このまま時が止まればいいと心の底から願ったが、ドアを叩く大きな音が

その夢を破った。



   

   「王子!いらっしゃいますか? 時間です ! すぐに広間にお戻りください」




唇を離し、ふっとアスターは息を吐いた。


幸せは幻で、それはあまりにも儚い……。



   

   「エミリオ…… 立てるか?」

   「は…い」




身体をささえて立ち上がらせ、アスターは静かな声で命じる。



   

   「すぐに着替えて、侍従の仕事に戻りなさい。

    私は今晩は遅くなるから、仕事は茶器の準備だけでいい。

    自室でよく休み、明日の朝から今までと同じに侍従の仕事に

    就くように」

   「わ、わかりました」




当惑し、まだ不安そうな顔のエミリオを優しく見下ろし、

くしゃりと頭を撫でて、振り切るようにアスターは踵を返す。


開いたドアの向こうからは、慌て急かす侍従の切羽詰まった声がして、

そしてパタンとドアは閉じられた。





ハーブティーの入っていたカップをコトりとテーブルに戻し、王子が言う。



   

   「着替えておいで」

   「はい」




答えてエミリオは入り口のドアに鍵をかけると、

王子の私室から続く衣装部屋へと行き上着に手をかけた。


数分ののち、しゃらりとドレスの裾を揺らしてエミリオが衣装部屋から

出てくると、ソファに座り、考え込むように額に手を当てていた王子の瞳に、

かすかな喜びが浮かんだ。


ソファまで歩けば、王子は優しく、だが憂いをおびた笑みでエミリオの

手をとり、引き寄せて座らせ肩を抱く。


秘密の時間が、時を刻み始めた。



昼間は侍従として王子に仕え、王子が望む夜にこうして女性の姿になる。


この奇妙な行為に戸惑いがないわけじゃない、でも、自分から

言いだしたことだ、とエミリオは自分に言う。


王子の側にいるために、悲しみを抱えた王子の心を癒すために。


抱き寄せられて胸に手を添え頬を寄せれば、王子の温かさが伝わってきて、

エミリオは柔らかく微笑む。


最初は恥ずかしくて仕方なかった。

触れることも、みっともなく女装することも。


でも頭で考えているよりも驚くほど自然に、身体がこの事を受け入れた。

当たり前というように ……。

決まっていた事のように……。


ー ー やっぱり、身体が女性でもあるからなのかな。


肩に回されていた手が、頭に触れ、髪を撫でる。

襟足に結び付けている付け毛ではないクリーム・ブロンドの髪に

指を埋め、絡ませ、王子は優しく愛撫を繰り返す。


以前もこんな風にされた事がある?...... 。


記憶は失っている、でもその遠い記憶だと思うものは、幸せな色に溢れている

とエミリオにはわかった。


ただ温もりを分け与えるように肩を寄せ合って座り、手や髪に触れる

だけの時間。

キスも、それ以上もない。


でも小さなきっかけがあれば、心も身体もきっと狂おしく燃え上がって

しまうだろう。

求めて、求められて、応えて、応えあって。

そしてその炎は、すべてを燃やしつくしてしまいかねない。


だから、今は……。

歓びと切なさが入り混じり目を伏せれば、いつも幻が浮かんだ。



春の森、ピンク色に染まった満開のサクラ、繋いだ手、響き渡る快活な笑い声、

それにあわせるように吠え走り回る犬 ……..。


ー ー 多分これも、失った記憶。



   

   「どうした?」




心配そうな顔で王子が見ていた。



   

   「なにも」



かぶりを振って答えると、王子は安心させるように微笑んで、

もう一度肩を抱き寄せてくれた。

ここが居場所だと感じさせてくれる腕の中。


ー ー もう、二度と失いたくない。


あの時、聞いた言葉。


薄れていく自分の意識とは反対に浮かび上がってきた、多分誰かが

言っただろう言葉を、同じ気持ちでもう何度、エミリオも呟いただろう。

明るい春の森が消え、今度は分厚く凍てついた氷の塊が、僅かずつ溶けていく

幻影が脳裏に浮かび、エミリオはそっと瞼をとじた。








   






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