第23話 蜜月 ~ 3 ~
目を開けた時まず見えたのは、見慣れた自室の天井だった。
跳ね起きて周りを見回す。
いつもと変わりない自分の部屋で、ただいつもと違っているのは、
もう随分と日が高く上っていること。
ー ー 森のコテージにいたはずだ。
酷い頭痛に襲われて、その後からの記憶がない。
その前は…… と考えると、徐々に記憶がよみがえリ、
かあぁと顔が熱くなった。
王子の顔、王子のとった行動。
一つ一つが鮮明に蘇り、エミリオはぶんぶんと首をふる。
恥ずかしくて胸がドキドキして、渦に巻かれて流れる木の葉のように、
心が頼りなく揺れ、
ー ー 王子は? 王子はどうされたんだろう。
自分がここにいるということは、アスター王子が、森から連れ帰ってくれた
という事だろうか。
エミリオは居ても立ってもいられなくなった。
起き出し、身なりを整え、急いで部屋から出る。
すぐ隣が王子の私室で、入ろうとするとハグサム副侍従長に声をかけられた。
「エミリオ、もうだいじょうぶなのか?」
「はい」
「そうか、だが暫く《しばらく》休んでいなさい。
王子の身の回りのことは私がするから」
「大丈夫です、もうなんともありません」
「いや、当分、侍従の仕事は休んでいい」
「心配をおかけしてすみませんでした。
でも、本当にもうなんともないんです」
副侍従長はじっとエミリオを見つめ、困ったように息をついた。
「しばらく侍従の仕事から外すというのは、王子が決められことだよ」
「そんな……」
エミリオは呆然とした。
「解雇されたわけではないから、心配はしなくていい。
お側ちかくに勤めていればこういう事はあるものだ。
どういう理由があるにせよ、主人の命令に黙って従うのことが
何より大切だからね」
副侍従長は優しくそう慰めてくれたが、その後どうやって自室に戻ったか
エミリオは覚えていない。
パタンと後手にドアを閉めて、彼はそのままずるずると力なく腰をおろした。
これは何かの間違いで、すぐに王子から呼び出しがあると思っていたが、
いつまで待ってもそうはならず、エミリオはただ、自室のベッドの上で
ぽつんと一人、呆けたように座っている。
侍従の仕事から外されて、もう十日が経っていた。
一日何もせずにいるわけにはいかないから、物置になってしまっている東棟の
端部屋の片付けなどをしているが、仕事に身が入るわけはなく、頭の中を占めるのはアスター王子のことばかり。
ー ー どうして、どうしてなんですか? 王子。
自分は気に入られていると思っていた。
だから、どこかに驕りたかぶる気持ちが、でてしまっていたのだろうか?
それが王子の不興を買ったのだろうか。
でも……。
「僕っだって、信じられないようなことをされたんだっ」
あれは、……まるで女性にするような愛撫だった。
「男なのに、僕は!」
でもそう言ってしまってから、エミリオはきゅっと唇を噛む。
そう、僕は男だ、 ー ー でも、そうじゃない…… 本当は少しも嫌じゃなかった。
思い出すと身体の深いところが、今も、ぽぉと熱を持つ。
はしたないと思うのに、ありえないと思うのに、どうにも抗えない
気持ちが心の中で揺れている。
気持ちは、寄せては返す波のように、いろいろな思いを運んでは還っていく。
腹立たしい気持ち ー ー やるせない気持ち、ー ー 開き直る気持ち、ー ー 愛しい気持ち。
そして逢えないことが、こんなにも悲しい。
ー ー 王子のことが好きだ、それは侍従としてだけじゃなく。
恋い焦がれて苦しい胸を、今度は、さあっーと冷たい氷の雨が冷やしていき、
溢れ出した涙が、ぽろぽろと頬を転げて落ちていった。
自分以外誰もいない部屋だからと、エミリオは好きなだけ泣くことにした。
両手を固く握りあわせ、声を殺し、エミリオはいつまでも泣き続けた。
とうとう最後の一滴が流れ落ちて、やっと気持ちが収まったエミリオは
気を取りなおして立ち上がり、部屋を出た。
物置部屋に向かいとぼとぼと歩く。
すると慌てた足音が後ろからして、緊張した面持ちの女官たちが、エミリオを
追い越していった。
ー ー どうしたんだろう。
赤く泣きはらした目で、ぼんやりとそれを見送って歩いているエミリオの
後ろから、また小走りの音が近づいてきて、切羽詰まった女官の声が、
エミリオを呼び止めた。
「いいところで会いましたわ!エミリオ殿。お手伝いを
お願いできないでしょうか!」
「え? ええ……」
煮え切らない返事をしたエミリオに、きっと
女官は手に持ったお盆をぐいぐいと押し付けてくる。
「第一応接室の " 薔薇の間 " にいらっしゃるお客様に、
このお茶をお出しするだけですの。エミリオ殿のお茶は
王子も認めてみえる程ですから、きっとお客様も満足されますわ!」
「は、はぁ…」
「さっ、早く!」
がちゃんとお盆の上の茶器がぶつかって、派手な音をたてる。
エミリオがおもわず盆を受けとると、女官はさっ!と回れ右をして、
走りさっていった。
しかたなくお盆を手に東棟で一番豪華な第一応接室に向かい、
きちんと手順を踏んでドアを開け、エミリオは深々とお辞儀した。
「お茶をお持ちしました」
顔を上げると、壁の大きく豪華な風景画を背に、濃紅色のドレスを纏った
背の高い貴婦人がこちらを見ていた。
柔らかいトーンの栗色の髪を高く美しく結い上げたその貴婦人は、
若くはないがまだ十分に美しく、威厳を
部屋の豪華さにとてもよく合っている。
そして彼女は、とても気難しそうにも見えた。
貴婦人はなにも言わず、ゆっくりと歩いてソファの前にまわりこむと、
優美に座り鷹揚に頷いた。
「入りなさい」
「はい」
ー ー なるほど ー 。
女官に仕事を押し付けられた理由がなんとなく理解できて、
エミリオはすぅと息を吸い気持ちを落ち着けてから歩きだし、
窓際のワゴンにお盆を置いた。
炉ランプに火を点け、冷めてしまったお湯を温める……
斜め後ろにいる貴婦人の姿は見えないけれど、突き刺さるような視線を
彼はひしひしと感じた。
「どうぞ」
少し濃い目に入れたお茶を婦人の前のテーブル置き、すすっと窓際へさがる。
婦人がカップを持ち上げお茶を飲む、ひと口、…… ふた口…… 。
「ふむ、良い腕ね。東棟ではハグサムが一番だと思っていたけど、
遜色ない。 見かけない顔だけど、最近入ったのかしら」
「はい」
「出身は?」
「それは……」
エミリオは言い淀んだ。
ロンドミルとは言えない。
「ひょっとして、アスターの新しい侍従というのは、あなた?」
「は、はい」
ー ー それも今は、堂々と言えることではないんだけど。
答えを聞いた貴婦人は、何故か驚いたように目を見張り ” そう “ と呟くと、
先程以上にじっとエミリオを凝視した。
部屋の中はしんと静かで、時計の針の音だけが大きく聞こえる。
この時間が永遠に続くようだった...... その時、婦人が持っていた扇を
勢いよくパチンと鳴らして、立ち上がった。
「良いことを思いついたわ。あなた今、暇なんでしょう?」
「え? え、は、はい」
ー ー どうしてそんなことまで知られているだろう、いったい、
この人は誰なんだろうか?
エミリオの戸惑いなど事も無げに、貴婦人にっこりと笑い、
「急いで、女官を何人か呼びなさい」
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