第22話 蜜月 ~ 2 ~
森のはずれ、もうすぐそこで森が終わり、近隣の村へ続く道が
はじまる場所にあるコテージは、丸太作りの小さなものだった。
冬の間はそれほど使われることがないのか、軒下には屋根から落ちた雪が
固くなってとけ残り、戸も鍵がかかっていたが、アスターは慣れた様子で
鍵を探し当て戸を開ける。
「火を起こそう、マントも乾かした方がいい」
「はい」
まだ降り出してはいなかったものの、時折吹きつける強い風には、
春先にしては冷たい雨がまじり、マントはしっとりと濡れて指先が
冷えきっている。
エミリオが火付けにかかると、アスターは暖炉前の敷物の上に、
鞍から外してきた麻袋をどさりと置き、反対の壁側にある棚付きカウンター
へと歩いていく。
しばらくそこでごそごそと動き回り、皿や果物ナイフ、ワインの酒瓶を手に
戻ってくると、彼は “ やっぱり食べ物はないな “ と言いながら
エミリオの隣の座り置いた袋の中からりんごを一個取りだした。
「城から持ってきたんですか?」
「ああ。パンとチーズもあるぞ」
そう言ってナイフでりんごを二つに割り、丁寧に芯をとって、
彼はほら、とエミリオにさしだした。
「す、すみません、僕がやらなきゃいけないのに」
「構わないよ、これくらい」
「慣れた手つきが珍しいと思って、つい見とれていました」
おずおずとりんごを受け取りながらエミリオがそう言うと、
アスターがにっと笑う。
「
思っていたか?」
「い、いえ、いえ!」
大慌てで否定し、冷や汗をかかんばかりのエミリオをふんと横目で見て、
今度はパンを取りだしてチーズを挟むと、アスターはくるりと巻いて
ナイフに刺し、勢いが増した暖炉の火にかざした。
「焦がさないようにじっくりと焼く」
「!」
慣れた姿にエミリオは鳩が豆鉄砲でもくらったような顔になり、
アスターはふふんと得意げで、鼻歌でも歌いだしそうだ。
「て、手慣れてみえますね」
「まあな」
「それに、準備がいいというか……」
「ああ、昨日の晩に厨房からくすねておいた」
「!」
夜中に厨房に忍び込んで、食べ物を “ くすねて “ きた ?!!一国の王子が?!!
「ぷっ、は、はははは」
おもわず吹き出し、エミリオが笑いだす。
「なんだ? 何がそんなにおかしい」
「だ、だって…… ふ、ふふふ」
「今はあまりしないが、前はよく城を抜けだしてイアソンと
狩りにいったからな。
抜け出していくんだから、” 食べ物を用意しろ “ とはいえないだろう」
「城の誰にも気づかれていないのですか?」
「いや、どうだろう。
ハグサムあたりは、見て見ぬ振りをしているかもしれない」
そう言って頭をかくアスターを、エミリオは
アスター王子のこういうところが好きだ。
彼は王族で特別な人間だが、自然で飾ることがない。
侍従として側にいればいるほど、僕は王子に惹かれていくー ー。
「ワインはちょっと古いな、味が落ちている」
「あ、じゃあ、それは僕にまかせてください」
パッと立ち上がって外にでて行き、木の枝をとってきたかと思うと、素焼きの
ポットを棚から持ってきてワインを注いで火にかけ、枝についた小さな実を
エミリオはポットの中に、ぽとん、ぽとん、と落としていく。
「マゴウリアの木があるなぁとコーテジに入る時、思ったんですよ、
この実はそのままじゃ食べれないけど、こうやって浸して
あたためると、ほら」
かすかにスパイシーな香りが立ち始め、温まったワインを口に含んで
アスターは頷く。
「酸味と渋みが和らいで、飲みやすくなった」
「チーズにパンに、りんごにワイン、ご馳走ですね」
エミリオが嬉しそうに笑った。
「お前はほんとうに植物に詳しいな」
「ええ、植物の本もよく読みますが、それに……」
” 植物はガラニアの大地神の恵み。とくにここムリノーはね、神の庭と
呼ばれたほどだ。 医を司るガラニアのオファー神の愛した土地 ”
しわがれた声が頭に響き、頭の中に細い枯れ枝のような手が、摘んだ木の実を
ポットの中に落としている情景が浮かんだ。
ー ー だれだろう…… ?
「どうした、エミリオ」
はっと意識が戻る。
「なんでもあり……」
「なにか、思いだしたんじゃないか?」
さえぎるように気忙しく言い、王子の顔が真剣なものになる。
「城でも時々そんな顔をしていることがある。その時、
何を思っているんだ」
王子が “ 言い逃れなど許さない “ というように 強く腕を掴んだ。
「それは……」
「いったい何が、お前の中に隠されているんだ」
さっきの森の中のように、怒っているのかと思うほど真剣に、
王子はエミリオを見つめてくる。
「どうしたら、どうしたら……それがわかる」
悲しげに、苦しげにそう言い、アスターは顔を歪ませた。
そしておずおずと伸ばした指でエミリオの髪に触れ、
手触りを確かめるように指を髪に
少し湿った髪が狂おしく思い出を呼び覚まし、アスターの心を揺さぶった。
戸惑った表情で自分を見上げているサニー・シーの瞳。
春を呼び込む強い風があの時のように小屋の窓を揺らせば、思い出は
ますますアスターの心を激しく乱した。
目の前の瞳にうつる暖炉の炎が、熱を帯びた彼女の瞳と重なって、
もう堪えきれないー ー 。
アスターはエミリオの顎を持ち上げ、立てた親指で唇を愛撫した。
ゆっくりと誘うように……。
「お、王子、」
言いようのない震えが、エミリオの背中を駆け上がった。
ー ー こんな、なんで……
王子に見つめられたところが、かぁっと熱を帯び、鼓動が早鐘のように
早くなる。
いけないと思うのに視線を逸らすことができず、もっと強く見つめて欲しい、
もっと愛撫を受けたいと願う。
深い湖に引き込まれ溺れるように苦しいのに、情愛の湖は温かく甘美で、
このままどこまでも沈んでいきたいとも思う。
力が抜けて身体を支えきれなくなって、倒れこむようにもたれかかれば、
柔らかく抱き寄せられて、身体は隙間なく王子の逞しい身体に重なった。
震えているのは怯えのせいだろうか、ううん、そうじゃない ー ー 。
首筋に
王子の上着を握ると、アスターはエミリオの首筋に顔を埋めて囁いた。
「エミリア」
” おいでエミリア、いい子だ “
“ エミリア、よーく覚えておくんだよ “
“ エミリア様、さあ、起きてください “
突然、様々な声がエミリオの中に溢れかえり始めた 。
急速に、渦を巻くように……!
「うっ」
堪らず、頭を押さえる。
がん、がんと大きな釘が打ち込まれるような痛みがおこり、エミリオは喘いだ。
「どうした?」
異変に気付き、王子が顔を覗き込む。
「エミリオ、どうしたんだ?」
「う、ううぅ……」
“ エミリア! 僕はリバルドの…… ”
” エミリア! “
心配のあまり取り乱した声で、王子が “ エミリオ “ と呼びかけているが、
気づく余裕などなく、ぱぁっと白い閃光が頭の中で弾け、
エミリオは気を失った。
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