第8話 変身 ~2~
馬車を駆り、逸る気持ちを抑えやっと王宮に着いた時には日は沈み
夜になっていた。
広い大理石の階段を駆け上がり、エミリアは生まれて初めて宮殿に
足を踏み入れた。
だが豪奢絢爛な装飾も、洒落た衣装を身につけた人達も
彼女の目には入らず、青い顔で議会担当の官吏についていく見たことのない
美しい令嬢を、誰もが何事かと見送った。
「公爵様はこちらです」
宮殿の奥に案内されひとり部屋に入ると、ノーズ公爵は
窓際の簡易ベッドに横になっていた。
そばに駆け寄り声をかければ、うっすらと目を開く。
「エミリア……」
「お父様、大丈夫ですか?」
「どうして……、ここに来てはいけなかったのに」
「倒れられたと聞いて、びっくりして……
詳しいことがなにもわからなくて、
とにかく宮殿に行かなければと思ったんです」
「そうか、そうだな……心配をかけてすまない」
以前よりも痩せ、顔色の悪い父を見てエミリアは悲しくなった。
「どこが苦しいですか?
ああ、こんなことならヴィオラールに、一緒に来てもらえばよかった」
彼女なら、きっとすぐに父の苦痛を取り除いてくれただろう、
せめて少しでも苦痛が和らぐならとエミリアは痩せてしまった父の手を握る。
その時いきなり部屋の戸が開き、振り返り見た入り口には、
側近を従えた国王が怪訝な顔で立っていた。
「へ、陛下……」
苦しげな息を漏らし、無理やり起きあがろうとする父に
慌ててエミリアが手を差し伸べる。
「お父様、無理なさらないで」
「 “ お父様” ? ほう……」
怪訝な顔でエミリアを見ていた国王の顔が、興味深げなものに変わった。
薄笑いを片頬に浮かべ、尊大な足取りで部屋の中に入ってきた国王ウィーズは、エミリアをしげしげと見ると、今度はベッドに半身を起こし、
肩で苦しげに息をしているノーズ公に目を向けた。
「なるほど、噂でしか聞いたことがなかったが、これが貴殿の娘御か
「い、いいえ、この子は、娘ではありません」
父の返事にエミリアは驚いたが、何かを伝えるようにぎゅっと握られた手に、
平静を装い顔をふせる。
だがノーズ公の返事に ” ははは “ と高笑いし、エミリアに歩み寄った国王は、
俯いているエミリアの顎をくいっと持ち上げると、腰をかがめ不躾なほどに
顔を近づけた。
「亡きエオノラと同じ色の瞳、顔立ちもよく似ている。
娘でなくて、なんなのかね」
「……」
公爵の顔が苦しげに歪んだ。
そんなノーズ公の顔を横目でチラリと見て、エミリアに向かって
にんまりと笑い、国王は姿勢を戻した。
「しばらく家で静養してはどうかな、公爵。
私はあなたのことを心配しているのだよ、
この国になくてはならない優秀な方だし、あなたとは
上手くやっていきたい私はいつもそう思っているのだよ。
議会は、新しく副議長になったボードマン子爵にまかせればいい
「…… 」
「あなたに何かあっては、不幸になるのはご息女だ。
いやいや、あくまで仮定の話だよ、でも、いたずらに
不安がらせてしまうかな、えーっと、ご息女のお名前は……」
「…… 」
「エミリアです」
苦しげに胸元をつかんだまま父がなにも言わないので、エミリアが凛とした声で答えると、国王はかすかに目を見張り、そしてにっこりと笑った。
「しっかりとしたお嬢さんだ。
だが、もし困ったことになった時は遠慮なく私を頼りなさい」
そして、国王はエミリアの手をとり口づけた。
「悪いようにはしないよ」
エミリアの顔を探るように見て、またわざとらしく高笑いをすると、
国王ウィーズは入ってきた時と同様、尊大な足取りで部屋から出て行った。
中庭から聞こえてきた犬の鳴き声と笑い声に、
ノーズ公はふと視線を上げ窓の外を見た。
大きな楡の木がある中庭で、エミリアがアルゴに
小さなボールを投げて遊んでいる。
うららかな春の日差しがエミリアの金の髪を煌めかせ、
彼女の周りは他よりも、生き生きと美しく彩られて見えた。
ノーズ公の胸の内に、感嘆の吐息がもれる。
ー ー 美しい娘になった…… ますますエオノラに似てきた。
小さい頃から愛らしい子だった。
でも今はまた一段と、花が咲き誇るような瑞々しさと麗しい美しさがある。
ー ー 幾つになった? そうか、もう、十九か。
知らぬ間に大きくなったようにノーズ公は感じた。
でもすぐに、自分がちゃんとあの子を見てこなかったから
そう感じるのだと気づき、彼は目を伏せた。
本来ならば、社交界での華やかな生活を楽しんでいる年頃だ、
崇拝者がいて、いや、恋人がいてもおかしくない。
あんなに優しくて美しい娘は他にはいないから、身分も人柄もりっぱな
申し分ない貴公子が、あの子の側にいるだろう。
だが彼女はそんな幸せを、知ることさえない。
そうしてしまったのは自分だとノーズ公は小さくため息をついた。
ー ー 大切な者を失うことになるのではと、どうしようもなく私は……、
不安だったのだ。
エオノラをあんな風に失ってしまったから。
揺り椅子の背に身体を預け、彼は目を瞑る。
頭にある男の顔が浮かび彼は苦しげに眉をよせた。
「旦那様」
考えに耽っていたからか、執事が部屋に入ってきたことに気づかず、
呼びかけられ、彼ははっと目を開けた。
「おやすみでしたか?」
「いや、違うよ、ジャビス」
「国王陛下からの書状が、今、届いたのですが」
そういって、初老の執事が封書の乗ったトレーをさしだした。
「……」
なんともいえない不安と怖れが、ノーズ公の胸のうちに
急速に染みのように広がっていく。
しばしためらったのち、震える手で封書を取りあげ中に目を通した彼は、
蒼白になり、まるで焼ごてを当てられた罪人のような叫び声をあげた。
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