第9話 変身 ~3 ~
強い風が、紅色のウワミズザクラの花を散らしていく。
遅い春の森の美しい景色が少しだけ心をなぐさめてくれたが、
太陽が分厚い雲に隠れてしまったかのように、彼女のサニー・シーの
瞳にいつものような明るさはない。
風に踊る花びらの中を進んでいくと、今ではすっかり大藪になり、蔓を伸ばし
放題に伸ばしたコックスベリーの茂みが見えてきた。
今にも好奇心でいっぱいのアルゴが、布ベルトを咥えてそこから出て
くるような気がする。
ベルトの先には栗色の髪の少年。
朧げな姿で、アルゴに捕まり戸惑っている。
森の中には、いたるところに彼とエミリアとアルゴの幻があった。
コックスベリーの小径を左に折れ少し歩けば、背の高いクロマツの木。
今もまてっぺん近くには巣箱が残っているが、雨風にさらされて灰色に
なりぼろぼろだ。
それでも毎年、若いセグロビタキの雄が巣をかまえ、夏の終わりには
ここから若鳥が巣立っていく。
青紫色の露草が群生するクロマツの先の窪地は、彼がエミリアに露草の
花束を作ってくれたところだし、そこからコロノ木の間を抜けてさらに歩くと、よくしなるニセヤナギの枝の弓矢で射的を競った空き地がある。
そこから森の東側に向かい、ちょろちょろと流れる細い谷川のそばの
用具小屋の前で、彼女は足を止めた。
ー ー あの頃は、もう少し大きく感じたのに。
小屋はこんなに小さかっただろうか?
過ぎ去った月日の長さをエミリアは想った。
あの、夕立のあった夏の午後。
その日を最後に、デューはもう二度と現れることはなかった。
毎日、毎日、森で待ち、一年と半分が過ぎて、エミリアはやっと少しずつ
諦めていった。
でもほとんど諦めてはいても彼女は時々森にでかけ、彼と会えるのではと、
あてもなく森の中を歩いたりした。
でも彼はいない。
彼はもう、本当に消えてしまった。
姿を消した彼はどこへ行ってしまったのだろうか?
もし、彷徨う魂が天国に召されたのだとしたら、” それは良かったことだから “ と、あの頃エミリアは何度も自分にそう言い聞かせたが、今は、
” それはちょっと違うのではないか “ と感じている。
“ もし、幽霊じゃなかったら、どうする? “
“ 僕は、リバルド国の…… ”
大人になって冷静に言葉の意味を考えてみるようになり、彼は幽霊ではなく
生きていて、隣国リバルドに住む人だったのかもしれないと気がついた。
でも、探す方法などない。
二年前、ロンドミルがリバルドに侵攻し、大きな争いにはならずに
済んだものの、国交がたたれたも同然の今では、ますますそれは無理な話だ。
でも、もし生きているなら……
ー ー 逢いたいわ、デュー! 。
笑った顔、とぼけた顔、初夏の風に揺れる栗色の髪、優しげに細められた
ハニー・ブラウンの瞳、そして……。
膝の力が抜け、崩れ落ちるようにエミリアは地面に膝をついた。
涙が溢れ頬を濡らす。
もう泣くことなどないと思っていたのに、涙はなかなか止まらなかった。
ー ー 唯一の繋がりだったこの森とも、今日でお別れだから。
数奇な運命のせいで、尋常ではない力のせいで、彼があんな姿になっていた
としたら、エミリアもまた同じ。
運命は容赦なく彼女に襲いかかり、彼女はこれから不思議な力に
身を委ねねばならないのだった。
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