第2章

第7話 変身


渦巻く毛がせっけん水に濡れて、ますますもしゃもしゃになって

顔のまわりに貼りつく。

エミリアがやさしく洗ってくれるのが気持ちいいのか、貼りついた毛は

そのままに、盥の中に座ったアルゴはおとなしくじーっと目をつぶっている。


洗い終わりよく石鹸を落としてタオルで拭き上げると、アルゴはパタパタと

尻尾をふって喜びをあらわし、くぅーんと甘えるように啼いた。



   

   「少しだけお散歩に行こうね」




エミリアがそう答えたところへ、



   

   「きれいにしてもらってよかったのぉ、アルゴ」




と、治療師のヴィオラールが長いゴツゴツした樫の杖をついて庭に入ってきた。


足を引きずり杖にたよりながら歩いてきたヴィオラールは、皺だらけの枯れた

古枝のような腕をのばすと、アルゴの頭を愛おしそうに撫でた。



   

   「アルゴも年じゃな、この館に来てもう十四年、あわせて四十四年か」

   「でも、ここ一年で急に老いたわ、びっくりするぐらい」




ヴィオラールの眉間の皺が深くなった。



   

   「ビオス・ドゥーグだからじゃな、地の汚れのせいよ」

   「地の?」

   「遥か遥か、まだこの世が神の世だった時にビオス・ドゥーグは

    ガラニアの大地神が産み出したもの。

    この地が、血や争い、人々の苦しみや怨嗟に満ちれば

    その影響を受けて当然なのじゃ」

   「……」

   「今のロンドミルの現状を、アルゴは何よりもよく現している」




エミリアは堪らない気持ちになった。


跪きアルゴをぎゅうと抱きしめる。

病気なら薬があるだろう、天寿を全うするための老いだというなら、

それはそれで自然なことだから仕方がない。


でもアルゴの老いが、そんな理由では悲しすぎる。

アルゴも、そして、こんな風になってしまったこの国も……。




   「それはそうと、ノーズ公はお帰りになられたかね」

   「いいえ、まだです」

   「そうか、公爵は他の貴族に働きかかけて、新しい増税法を

    撤回しようとしてくださってはいるが、国外追放や亡命者がこれだけ

    出ては協力する者は少なくて 難しいだろうの」

   「最近では庶民までが、祖国を捨て国境をこえようとするそうです」





ヴィオラールの顔がさらに曇り、天を振り仰ぎ目を閉じ、彼女は古い

ガラニアの言葉で鎮めの言葉を呟いた。



   

   「ロンドミルはどうなっていくのか……」





三年前、ロンドミル国王、ノッテルド三世が亡くなった。

突然の崩御だった。


そして、その跡を継いだのが、第一王子 ウィーズ。

彼は、皮肉屋で冷淡だが一旦怒ると手がつけられず、気がすむまで

暴虐の限りをつくすような人物だった。

その上、欲深く、欲しいモノを手にするためには、どんな方法をつかっても

かまわないと思っている。


彼が王子のころからその性格を危惧する声はあったのだが、ノッテルド三世は

まだ若く健康だったし、ウィーズ王子の年の離れた異母弟の存在が、

問題を先送りする大きな言い訳になっていた。


いくら人柄に問題があると言っても、相手は王子。

誰もが、” まだ今は大人しい猫 “ に鈴をつける役目などかって出ようとは

しなかったのだ。


だが……。


ウィーズが王になり、ロンドミルの政治は、あっという間に倫理も規範も

失った。

国外追放や亡命で心ある貴族はいなくなり、重い税にあえぐ国民も、

祖国を離れ、難民となることを選ぶようになっていく。


そんな状態の中、エミリアの父ノーズ公爵は議会議長として政治の立て直しに

奔走し、最近はほとんど王都から帰ってこない。


ヴィオラールのつぶやきに、エミリアが祖国や父のことを思い、

祈るように目を閉じた時、メイドの一人が庭に走りこんできた。



   

   「お嬢様、大変です! 旦那さまが!」

   「お父様が !?  いったいどうしたというの?」

   「お倒れになったそうです! 王宮で」









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