第3話 春の森 ~ 2 ~
満開のウワミズザクラの木では、青ツグミが春の歌を歌っている。
大陸の北に位置する冬の厳しいロンドミルでは、芽吹きの春はなんとも
心浮き立つ季節だ。
木漏れ日の中そっと空に向かって手を伸ばせば、春の日差しがエミリアの
しなやかな腕いっぱいに降り注ぐ。
ふわふわとしたクリーム・ブロンドの髪や、のけぞった白く細い首にも…… 。
静かに凪いだのサニー・シーの海色の瞳は明るく、かすかに上気した
ピンク色の頬は愛らしく輝いた。
森の中は、やさしい春の色。
草が茂りはじめた細い道には、そこかしこに紫色の小花スミレが咲き、
彼女を誘うように揺れているし、森の奥では、か細いがよく響く声で
クックロビンが囀りだした。
アルゴは、地面から這い出してきたばかりの小さな生き物に
ちょっかいをだすのに大忙しで、
「アルゴ、悪戯してはだめよ」
と注意されても、知らんぷり。
だが、芽吹いたばかりのハナゴケに鼻の先を突っ込んでいたアルゴが、
急に顔をあげたかと思うとうるさく吠えはじめ、獲物を見つけた猟犬
さながらにコックスベリーの茂みにむかって走り出した。
「アルゴ!」
呼び止めたが彼は止まらず、その勢いのまま茂みの中へと突撃してしまった。
ー ー 鳥の巣でも見つけたのかしら ?
酷いいたずらなどしないと思うけれど、いきなりの侵入者に、
新婚ホヤホヤの鳥のカップルはきっと驚くにちがいない。
そう思いエミリアは小走りで後を追いかけると、うーっと唸り、何かを
引っ張りながら茂みの中から出てきたアルゴに声をかけた。
「どうしたの?」
アルゴが口に咥えぐいぐいと引っ張っているのは、どうやら貴族の男の子が
腰に巻く布ベルトの端のようで、茂みの中にいるのは鳥ではなくて人らしい。
こんなところに人が ? と思いながらも茂みをかきわけると、
転がり出てきたのは、エミリアと同じ年頃の少年だった。
緩やかウエーブのある栗色の髪に、貴族の子なのか、襞をたっぷりと取った
ブラウスとベスト、膝までの細身のキュロット、そして……。
「え、えぇっ?」
なんということだろう。
少年の膝から下は、まるで空気に溶けたかのように消えて
なくなっており、身体全体も透けてはいないがどこかぼんやりとした輪郭だ。
「……幽霊?」
呟いたエミリアの声が聞こえたのか、地面に伏せていた少年が
ぱっと顔をあげ、明るいハニー・ブラウンの瞳が驚いたようにエミリアを見る。
品のある顔立ちの少年だ。
目元は優しげだが、しっかりとした顎ときりりと上がった眉が
男の子らしく、若木のような瑞々しさのある少年。
でも、どうみてもこの世のものでは……ない。
奇怪で、不自然、信じられない 、ありえない、…… でも、恐ろしさや
禍々しさは少しも感じられなかった。
「あなた、幽霊なの?」
固まってしまったようにお互いの顔を凝視していた二人だったが、
慎重な声でそう尋ねたエミリアに、少年は少しバツの悪そうな顔をして、
そして悩んだように目を伏せると、
「そうだね…… そう、なんだ」
と頷いた。
「そうなのね」
とエミリアも頷く。
幽霊を見るのは初めてだが、この世には、そういった霊的なものが
存在すると彼女は信じている。
館にやってくるヴィオラールは治療師であり植物学者でありまじない師、
また
彼女が見せてくれる “ 不思議なこと “ に触れて育ったエミリアには、
目の前の少年は、 “ 恐れ退けるべきもの “ ではなく興味深いものとして映った。
「アルゴ、やめなさい。彼は悪いものじゃないわ」
まだベルトの端を咥えて離さないアルゴのそばにしゃがみ込み、
そうやさしく言って聞かす。
やっとアルゴが布ベルトを離して、少年の顔にほっとした表情がうかんだ。
「アルゴは活発だけど人を傷つけたりしないわ。
でも、驚いたわね、ごめんなさい」
エミリアがそうあやまると、少年がふっと笑った。
ーー 魅力的な笑顔だわ、すうっと人を惹きつけるような ー ー。
「僕の方こそすまない、でも…… 、君は驚かないんだね、
僕の姿は……. 奇妙じゃない?」
「ええ、とっても奇妙だわ」
エミリアの落ち着いた言葉に、少年が驚いたように眉をあげる。
「でも、怖くないわ。なにか事情があって、そういう身体に
なったんだろうなって思うけど」
「……」
少年は考え込む顔になった。
「君は、その…… 少し変わってるね、今まで僕を見た人は、
驚くか、怖がるかしたのに」
「そうなの、私、少し変わってるのよ」
まるで自慢するように言うちょっと変わった犬をつれた少女を、
少年は眩しそうな顔で見上げた。
陽光が彼女を包み、柔らかな黄金色の光がまるで彼女自身から発している
ようだ、と彼は感じ、さっと吹いた風が湖面にたてるさざ波のように胸が騒ぐ。
ー ー 美しい子だ、まるで、森の妖精のようだな……
「私の名前はエミリア。 あなたは? 名前はあるの?」
エミリアに見とれていた少年は恥じらうように目を伏せ、そして、
しばし躊躇ってから答えた、小さな声で。
「僕の名前は…… デュー 」
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