第4話 春の森 ~ 3 ~
「もう少し右」
「このくらい?」
「ううん、もうちょっと」
首が痛くなるくらいうーんと仰ぎ見なければならない、高いクロマツの
てっぺん近くにいるデューにむかって、エミリアは声をはりあげた。
「そう、そこがちょうどいいわ」
「わかった」
軽やかに返事をし、デューがコンコンと幹に巣箱を打ちつける。
そして作業を終えるとまるで獲物を狙う鷹さながらに急降下して、
すとんとエミリアの横に並び立ち、にっこりと彼女に笑いかけた。
「どう、満足?」
「ええ、…… でも、危ないわ、あんなに勢いをつけて降りてきて」
「僕にはなんでもないことだけど?」
「それはまあ、そう…… よね」
人には到底登れそうもない、円錐形にとんがったマツのてっぺんに巣箱を
かけることも、そこから一瞬で地面に降り立つことも、幽霊のデューには
“ なんでもないこと “ だけど、それでも見ている方は肝が冷える。
でも、せっかく作った巣が、大風で二度も壊れてしまった可哀想な
カゼグロビタキに、巣箱をプレゼントしようと言い出したのはエミリアで、
自在に空中を飛びまわれるデューのおかげで、巣箱は楽にとりつける
ことができた。
人にはできないことを簡単にやってのけるデュー。
幽霊だけど
物悲しそうでもない、ちょっと変わった幽霊のデュー。
幽霊になってしまった今でも彼は明るくとてもチャーミングで、
人じゃないということを忘れてしまいそうになる。
あのうららかな春の日にこの森で出会ってから、二人はすっかり打ちとけて、
こうして会うのも、もう14回目だ。
「あ、来た」
マツの木に視線を向けていたデューが、飛んできて枝に止まった
カザグロビタキを見て言う。
「姿を見せてない方がいいかもしれない、あの岩の後ろに隠れよう」
鳥を観察するのにちょうどよいところにある小岩の後ろへと、
足音を忍ばせ移動して二人は肩を並べてしゃがむと、そぉっと首を伸ばした。
枝に止まったカゼグロビタキの雄が巣箱の方を見て、警戒するようにせわしなく尾羽を揺らし首をふっている。
キョロキョロとあたりに目を配りながらも、彼は巣箱に近い枝へと
飛び移りはじめた。
「気にいるかしら?」
「たぶんね」
「あっ」
「しっ!」
デューの指がエミリアの口をふさいだ。
カゼグロビタキが巣箱の上に乗ったので、おもわず声をあげたエミリアを制するように、デューはエミリアの唇に人差し指を当てたまま顔を寄せ、
” 静かに、動いちゃダメだ “ と囁くと、空いている方の手を彼女の肩に
まわした。
いきなり近づいた距離に、エミリアの胸の鼓動がピョンと跳ねあがる。
彼の姿は普通の人より儚げだが、それでもまわされた腕の感触はちゃんと
伝わってくるし、頬と頬を寄せるほどの近さだから、彼の息遣いまでがわかる。
ー ー 変よ、デューは死んでるんだもの、息はしていないわ。
そわそわし始める胸の中で、わざと冷静な声で呟いてみるが効果はなく、
胸はさらにざわざわと嵐の前の木々のようにざわめき、身体の奥の見知らぬ
場所が熱をもちはじめたのをエミリアは感じた。
彼女はデューの事を、誰にも話していない。
きっと大人は信じようとしないか、得体の知れないものに近づくのは好ましくないと言うかどちらかだろうと思ったから、デューの事は秘密にし、エミリアは何よりも自分の直感を信じる事にしたのだ。
ーー 彼は、大丈夫、絶対、悪いものなんかじゃない ーー 。
悪いものでないどころか、彼は教養があって博識で良い刺激をうける事が多く、そのうえ冗談がうまくて一緒に過ごすと、とても楽しい。
彼は屈託なくよく笑い、そしてその笑顔や笑い声は、ぱぁと周りを明るくした。
賢くて、華やかで、社交的。
生きているときの彼は、きっと誰にでも愛される男の子だったに違いない。
エミリアは思った。
デューを失って、家族や友人はどんなに悲しんだことだろう。
……友人…… 。
デューは人ではないけれど、エミリアは彼のことがすぐに好きになった。
そして、会話で心を通わす事ができる初めての ” 友だち “ になった。
「警戒心が強いな、せっかくの巣箱なのに、ね?」
「えっ?」
なかなか巣箱に入ろうとしないカゼグロビタキを睨むように見ていた
デューが、そう文句を言ってこちらへ顔をむけたので、まともに顔を
つき合わせるかたちになり、考えごとに
驚き目を見開いた。
デューもはっとしたように、目を見張る。
今度は鼻と鼻がくっつきそうで、そのうえ視線が絡み合った分、さっきより
さらに近くなった気がする。
柔らかなハニー・ブラウンの瞳に吸い込まれていってしまうとエミリアは
思った。
ー ー ううん、もう吸い込まれている ……だって、だって、彼の瞳の中に
私がいるもの 。
デューもまた目の前の美しい瞳に囚われていた。
まばゆい陽射しを映して輝く、美しい海色のブルー。
明るく、穏やかで、深い。
お互いの姿を瞳に映し、引き合う様に二人の顔がゆっくりと、近づく。
触れたい、と二人は同時に思った。
触れたい…… あの、唇に……。
ピィッーピッートゥッ! ピィッー ピッ! トゥ!
突然つんざく様な鳴き声が警報のように鳴り響き、二人ははっと顔をあげた。
カゼグロビタキが巣箱の中から顔だけのぞかせ、声をかぎりに叫んでいる。
” 見てくれ、みんな! おいらの家だ。 森でいちばんの良い家だ!! “
少しバツの悪い表情でエミリアとデューは顔を見合わせ、マツの木を見上げた。
ピィッーピットゥー ピーィッ。
カザグロビタキの歓びの歌が、森中に響き渡った。
「気に入ったようだね」
「うん、よかった」
頭をぽりぽりと掻き照れた顔でデューが言い、紅色の頬を隠すように
うつむいてエミリアが頷く。
「あの調子ならすぐお嫁さんも来るわね」
「うん …… エミリア、あの…… あっ」
戸惑うような声でデューがなにかを言いかけたとたん、彼の身体が薄く
透明になり始めた。
消える時間になったのだ、彼はいつも唐突に消え始める。
「エミ……」
あっという間に声がかき消え、姿がどんどんおぼろになっていく。
「待ってるわ、明日もここで待ってる!」
エミリアは叫んだ。
“ もう聞こえていないだろう “ そう思いながらも、彼女は儚く、かすかな
シルエットだけになったデューに、そう心から呼びかけた。
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