潰れたメロンパン<恋味>

六畳のえる

潰れたメロンパン<恋味>

「やーもーとっ!」

「んぐっ!」


 春休みの第一サークル棟2階、写真部。部活開始はまだまだ先。

 無人をいいことに長机を独り占めして昼食を食べていたところを、いつの間にか背にしたドアが開いていて後ろから勢いよく叩かれる。


「ぐふっ、げほっ!」

「わっ、ごめん、パン食べてたんだ!」

 俺は全速力でストレートティーのペットボトルを傾け、詰まりそうなパンを流しこんだ。


 そう言ってくれればいいのに、と花邑はなむらはやや呆れたように眉を下げ、調子をつけるようにカールしたボブの横髪を小さく叩く。


 袖に細かいレースの飾りがついた白ブラウスの上に、茶髪に合わせたライトブラウンのカーディガン。下は裾が大きく広がっているアクアブルーのパンツ。

 撮る側なのに読者モデルだってできそうな顔立ちと出で立ちに、焼き立てのパンみたいに体温が上がる。



花邑はなむらが来るって分かってたら背中に『叩くの禁止』って貼っておいたっての」

「げっ、矢本やもと、それアイスティーなの? まだ寒いのによく飲めるね~」

 俺の皮肉をスルーしてカウンターの皮肉をぶつけ、彼女は子犬みたいにぶるっと体を震わせる。ついに3月に入ったとはいえ、窓の外では強風が暴れまわり窓を揺らして遊んでいた。



「前、借りるね」

「どうぞ」

 学園祭後に数名が辞め、1年生で部活に残っている唯一の男子と唯一の女子。夏休みはこの机を何人かで囲んでランチしていたけど、今はすっかり寂しい食卓になってしまった。


「今日はワタシもパンなんだよね~」

 スーパーの袋から総菜パンと菓子パンをバサバサと出し、打順を決める監督みたいに食すラインナップを真剣に考える花邑。表情と中身のギャップが面白い。


「ってかさ、矢本がパンって珍しくない?」

「おっ、それ聞いちゃう? ふっふっふ、日本最大、そして最高の祭のためさ!」

「祭? 京都の祇園とか?」


 まったくもって勘違いしている花邑に、俺は海外シットコムよろしく指を振って見せる。 



「違う違う、パン祭りだよ!」

「はあ?」

 途端に、ツイストパンかと思うほど顔を歪ませた。


「川崎春のパン祭り! 年に一度、シール25点を集めて立派な食器と交換する! 抽選なし、ハズレなし! 集めれば必ず貰える! 今年は大きなサラダボウルだぞ!」

「あー、うちも家族でやってたけど、今年は1人暮らしだしなあ」

 言いながら焼きそばパンのフィルムを破る花邑。そう、そのフィルムについてるシールだよ!


「そうなんだよ、うちも毎年家でやっててさ。家族でやると2枚とか貰えるじゃん? で、俺も1人暮らしだけどチャレンジしてみようと思って。そしたら結構厳しいんだよな」

「厳しい?」


「いや、まず俺ご飯派だし」

「ウケる」

 ウケるなよ。


「あのな、ご飯派にとっては大変なんだぞ。毎日朝や昼にパンを食べるってのは」

「まあ確かに大変かもね。あれ? でもあのメーカーっておにぎりも出してるよね? それ食べれば?」

「"パン"祭りにおにぎりでシール稼いだらどうなる? 不正だろ?」

「不正じゃないと思う」

 いいや、俺にとっては邪道だ。


「だから2日に1回は、唯一好きなこの『濃厚メロンパン』をご褒美に買ってるんだ。これは戦いなんだぞ」

「なんでそんな苦労してやってるのよ……」


 花邑は嘆息しながら、はむはむと2色パンを食べ始める。器用に食べたつもりらしいけど口の端に思いっきりクリームが付いてて、思わず吹き出してしまった。



「あと、友達から貰ったりしない、という信条を貫いている」

「へ? なんで? 貰えば早いじゃない」

「貰っても返せるものがないからな。パンを買って返してもいいんだけど」


「……いや、パンは本人が食べてるし、返す必要ないでしょ」

「俺はほら、パンを買って食べてるっていうか、ポイントを買ってパンはオマケって感じだから」

「川崎パンに殴られるわよアンタ」


 ジトッと見ていた視線とぶつかると、彼女は楽しそうに歯を零す。ずっと見ている顔だけどやっぱりこの表情には弱くて、体全体がフランスパンみたいに強張った。



「そして最後に、2月から祭りは始まっているけど、俺は3月からスタートだ」

「それこそなんでよ? 早く始めた方が楽なのに」

「"春の"パン祭りだぞ。俺にとっての春は3月からなんだ」

「へえ」

 俺自身でさえ意味の分からないこだわりに、遂に彼女はツッコミを放棄し、最後のコロッケパンを開け始めた。



「あのさ、こんなこと言ったら元も子もないけど、そのお金で直接お皿買った——」

「ストップだ花邑! 言いたいことは十分に分かるけど、それは言っちゃいけない。我々パンマツリストの中でも禁句になってるんだ。学会もきっと黙ってない」

「なんだかんだ楽しそうね矢本……」



「とにかく、こうして半泣きになりながら皿をゲットすれば、パンがみ様はきっと見ててくれる。俺にとって良い春を運んでくれる気がするんだよな。うぐいすパンみたいに中身たっぷりの!」

「男子っていつまでもバカでいいわね」

  

 熱弁していたせいで食事が進まず、ご褒美パンが残ったまま。対する花邑は最後のパンを食べ終え、「ちょっと本屋行ってくるね」と机を離れた。


「矢本、なんかいる~?」

「いらない。雨降るかもだから折り畳み持っていけよ」

「う~い」


 よし、最後にご褒美のメロンパンだ。今日もよく食べた自分。しっかし冷静に考えたらなんでこんなバカな——



「えいっ」



 掛け声とともに、ぴとっ、と頬に3つの感触。手に取ってみると、合計2点分のシール。



「やっぱり矢本にあげる。使わなくて済むなら使わなきゃいいから、いざという時用にね」

「花邑……いや、でも、いいって。返すものないからさ」



 彼女は「ん~」と立ったまま考え事をするように斜め上を向く。


 そしてベージュのカーディガンの左袖を小指と薬指で少しだけ握って、俺の方に向き直った。


「サラダボウル貰ったら、料理で返して! 家にお邪魔するから!」



 そう言って、軽快に引き戸を開けて出ていく。


 ほら、この祭りは最高の春の足音。

 

 妄想を膨らませて、きっと彼女みたいに柔らかいご褒美パンをギュッと抱きしめた後、俺はその潰れたメロンパンを頬張った。

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潰れたメロンパン<恋味> 六畳のえる @rokujo_noel

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