終電帰り

@chauchau

スーツとパジャマ


 ――今日だったのか。


 なんて感想を抱かない程度には私の心は擦れてしまったのだろうか。

 日付を跨ぐ深夜のニュース番組で今夜のトピックスが流されている。やれ政治家がどうの、やれ芸能人の浮気がどうのと騒がしいだけの話題のなかで、遠く離れてしまった地元の祭りが取り上げられていた。


 由緒あると言えば聞こえは良いが、その由緒を知る者がいったいどれだけ存在しているのだろう。事実として、あそこに生きた私の世代に祭りの由緒など気にする者は誰一人として居なかった。それよりもどんな出店が出ているかが重要であり、あの日にどうやって思い人を誘うかが重要であり、思い人が誰を誘うかが重要であった。


 普段は私の故郷など見向きもしないコメンテーターが花火がとても綺麗と小学生でも言える中身の薄い感想を美しい笑顔で振りまいていた。ああ、なんとも美人は得でありますこと。

 もしくは小学生に失礼かもしれない。今日日、コメントを求められる小学生のほうが大人びた台詞を吐き捨てて……、あれはあれでどうかと思う私はもう素直という言葉から遠くに来てしまったか。


 東京に引っ越してきた日に一目惚れで購入した時計。今となってはどこに惚れたのかも定かではない時計の電子版が夜中の零時を告げていた。


 今日も今日が来た。

 帰宅して、服を着替えてテレビを付ける。何をするでもなく日付が変わる。そんな今日の繰り返し。今日もきっと変わらない。明日になれば今日になる。今日と同じ今日が来る。


 新卒の頃のキラキラした気持ちなんか一年でどこかへ消えた。バリバリ働いて、プライベートでは資格を取ったり友人とオシャレなカフェに行ったり……。そんなものは幻想。

 彼氏だってもう何年居ないか覚えていない。最後の彼氏はどうして別れたんだったか。…………、浮気されたとかだった気もする。


 おなかはすいているのかもしれない。

 最後に食べたのは仕事をしながら囓ったエネルギーバーだったか。まともな食事を取ったのはいつが最後だろう。


「……いいかな」


 食べる時間があるのなら早く寝てしまいたい。

 せめてシャワーだけでも浴びないといけないか。誰が見るでもないのに身なりだけは整えないといけないなんて巫山戯ている。どうして女は化粧しないといけないんだ。あれだけ高校までは化粧禁止を謳っておきながら、大学生以降は化粧をしないとマナー違反だと言う馬鹿共は一度全員死んでしまえ。

 化粧をしないで済む男が羨ましい。男こそ化粧をしろ。あんな油まみれの醜い顔を大衆に晒して生きているんじゃない。


 笑えてしまう。

 同じ事の繰り返し。

 同じ事を昨日も考えた。

 きっと今日も考える。

 そして明日も考える。

 そうして私はきっと一人で死んでいく。


「…………………………嫌だ」


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だッ!!

 そんな寂しい人生絶対に嫌だ!! 終わりたくない! まだ! まだ私は終わりたくないッ!!


「ッ!!」


 タップする。

 いつぶりか分からないスマフォの電話機能。メッセージアプリに浸食されてしまった電話機能。


 コール音がもどかしい。取ってくれなかったらどうしよう。バイブレーションになっていたらどうしよう。気付かなかったらどうしよう。

 無視されたらどうしよう。


「…………もしもしぃ……? なによ、こんな夜中に……」


「助けてッ!!」


「……ど、えっ……、なに? 何があったの!? どうしたのッ!!」


「さみしい……」


「………………」


 私は馬鹿だ。

 何をしているのだろう。三十路を越えた良い大人が寂しいからってこんな夜中に電話するだろうか。相手も社会人なんだ。今日だって仕事がある。私にだって彼女にだって仕事がある。しばらく会っていない。連絡だって最近していない。何を。しているんだ。


「ごめ」


「家だよね。ちょっとだけ待ってな」


「え」


 つー、つー、と電話の切れた音がする。何かを言おうが相手からの言葉は返ってこない。

 やらかしてしまった事の大きさにどうしたら良いか分からない。彼女は待ってろと言っていたか。なら待っているのが正解か? いや、もう一度こちらから電話をしてなんでもないと謝るのが正解か。どうしたら良い。自分はなんて馬鹿なんだ。なんてことを。なんてことをしてしまった。


 ――ぴんぽーん


「開けてー! はやくーっ! ちょっと開けてってばー!」


「……え」


 近所迷惑。

 最初に思い浮かぶのがこれなのだから私は駄目なのだ。五月蠅い声はさきほど聞いた彼女のモノに似ているが、そんな馬鹿なことがあるはずがない。

 確かに彼女の家と私の家はとても近いが、だって。だって。


「蹴破るぞー」


「開けます!!」


 彼女はやると言えばやる。

 賃貸だろうがお構いなしに破壊する。まさにこの都会ジャングルに生きる伝説のゴリラなのだ。


「ったく、もっとはやく開けてよね。こっちは荷物どっさりなのにな」


「…………」


「いやー、二十四時間スーパーのありがたみったらハンパないよね! アルバイトの皆さんお疲れ様です!」


 お邪魔しますの挨拶もなしに、家主の私より先に奥へと入っていった彼女の豪胆さにどうすれば良いか分からない。

 なんだ。

 なんだこれは?


 何を言えば良い?

 その程度の荷物は貴女にとっては重さにならないでしょう、だろうか。いや、これを言えばデコピンの刑にされる。あれは駄目だ。三日は跡が残る。


「とりあえず適当に買ってきたわ。ポテトチップスでしょ? チョコレートでしょ、おせんべいでしょ? あとは野菜チップスに生ハムに冷凍パスタに、忘れちゃいけない焼きおにぎり! 冷凍だけどね」


「…………」


「あんたウイスキーで良かったんだっけ? どうせ焼酎はたらふく隠し持ってんでしょ? ゆるふわ系に見せかけた酒豪様よ」


「…………」


「あたしは断然ワインだね! ふっ、この歴史ある飲み物が分からないなんてあんたもまだまだお子ちゃまなのさ」


「…………」


「どした?」


「……どうして」


「ん?」


「どうし、だって、今日……、もう今日で、今日が、仕事、夜中で……」


「ああ、……あたしも寂しかったってことかな」


「…………」


「いっちょお祭りと行こうじゃないの。確かあんたの故郷のお祭りも今日だったんでしょ?」


「……昨日」


「ああ? あたしが今日って言ってんだから今日はまだ今日なのよ。明日なんかまだ今日じゃないね! だって寝てないし! 寝かけてたけど寝てないし!」


「…………」


「どうせ色々ぐちゃぐちゃになってんでしょうけど、そういう時は飲んで騒いで笑うに限るってわけよ。世界にある全ての祭りに由緒はこれでしょ、笑うためってやつよ!」


「…………」


「さぁって! 飲み明かすとしようじゃないの!!」


「…………ぁ」


「うん?」


「ぁぁ、ぁッ……ぁあぁぁあああああ!!」


「はいはい、どうどう」


 今日はまだ今日なのか。

 明日はまだ明日なのか。

 そんな馬鹿げた理論を偉い人は笑うのだろう。だが、そうだ。その通りだ。彼女の言う通りだ!


 知ったことか!

 私の人生は私のもんだ! 私が笑うためにあるもんだ!! 文句あっか! あるなら引っ込んでいろ! 邪魔だ! 私の邪魔するな!!


「大好きぃぃぃ!!」


「でしょ?」


 思い出した。

 どうして私が彼女のことを好きなのか。次々と切れていく縁のなかで、どうして彼女だけはまだ忘れずにいたのか。

 どうしてあの時彼女に電話をかけたのか。


 この馬鹿で乱暴で力でなんでも解決するゴリラ女は……、


「あ、そうそう明日は有給で休みね」


「えええええ!?」


 会うのは本当に偶にで良い。

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