咆哮の夜
「なん……で……」
カミツキは、呆然と呟いた。
自分の身体を支える命綱を、他でもない神獣ガドルバスが……自分が必死に否定しようとしていた存在が、咥え掴んでいたからだ。
「……」
ガドルバスは、応えない。
その視線さえ、カミツキの方に向いてはいない。
けれど、ガドルバスがカミツキを守った事は瞭然であった。
何故ならば、ガドルバスは……
「グォォォォッ!!」
「……っっ!!」
巨災獣の攻撃を、堪えていたから。
カミツキの行動によって怒り猛った巨災獣は、突如として現れたガドルバスに対してその怒りの矛先を向け、鋭い牙で肩に食らいついていた。
常ならば。カミツキがこれまで見てきた通りなら。
そんな攻撃など、ガドルバスは硬い岩の甲殻で受け切っていたであろう。
そうならないのは、何故か?
「っ……なんっ、で、だよ……っ!」
カミツキが、そこにいるからである。
一本の紐で命を繋いでいるカミツキは、もしガドルバスが動いて暴れれば、振り回されてどこかに激突し、死ぬ。もしくはガドルバスの口から紐が抜け落ち、地面に落下するかもしれない。
どちらにしても、戦える状態ではない。
守られているのだ。
理解したくないことを、けれど現実として目の前に叩きつけられ、カミツキは歯を食いしばる。
「ふっ……ざけんなよ……!」
助かった、と安心するより。
先に湧いて出た感情は、やはり怒りである。
どうして自分を助けたのか。どうして戦いを優先しないのか。
助ける気があるなら、どうして父の時はそうならなかったのか。今更自分のことだけ助けられたって、どんな顔をしていいか分からない。
……何より。
……助けられてしまった自分が、許せなかった。
「オレの事なんかイイんだよ! テメェはテメェの縄張りだけ守ってろってんだよッ!」
八つ当たりめいた暴言に、しかしガドルバスは応えない。
ぎり、と音がする。巨災獣の牙がガドルバスの骨に届いた音だ。
ガドルバスはその痛みに小さく呻き、身じろぎするが……やはり、大きくは動かずに。
ただゆっくりと、頭を下げた。カミツキが、安全に地面へと降りられるように。
カミツキはその途中、ナイフで自ら紐を切り、落下する。
十分な高さではなかったから、着地と同時に骨の軋む痛みが走った。……けれど、身体の痛みより、カミツキの心を揺すぶっていたのはガドルバスの行動である。
「っ……」
荒い息のまま、呼吸も整えずカミツキは走った。
一歩ごとに痛めた足や肩が悲鳴を上げる。どうでもいい。そんな事はどうだっていい。
自分を傷つけるように、カミツキはむしろ跳靴へ込める力を強めて。
しばらく進んでから、振り返り、叫ぶ。
「――ガドルバスッッ!!」
言葉に込められた意味を、感情を、当のガドルバスはどこまで理解しただろうか。
カミツキには分からなかったし、理解したくもなかった。
肺の底の空気まで使い切って、朦朧とする意識の中、カミツキは木に身体を預け、へたり込む。
ガドルバスが咆哮したのは、それとほとんど同時だった。
「キュォォォオオオオオッッ!!」
ぶぉんっ!
これまで動かずにいたガドルバスは、叫ぶと共に身体を大きく振る。
噛みついていた巨災獣は、それに釣られ振り回されつつ、けれど食らいつくのを止めない。振りほどくのは困難に思えたが、次の一瞬、ガドルバスは身体を沈み込ませると、大きく上体を起こした。
ぶぉんっ!
巨災獣の足が、地面から離れる。
その僅かな隙を狙い、ガドルバスは身体を捻り、噛みつかれた肩ごと巨災獣を地面に叩きつける。
「ぐぉぁっ……!?」
紫の血が噴き出した。災獣と神獣の……量で言えば、肩を負傷したガドルバスの方が多いだろうか。二体はもつれあい、その血がどちらのものかは、すぐに判別がつかなくなる。
二体は転がりながら距離を取り、体勢を立て直す。
どちらも起き上がるまでは同じだった。……が、飛び掛かるのは、巨災獣の方が素早い。
(肩のせい、か……?)
遠くからその戦いを見つめるカミツキは、ガドルバスが出遅れた理由をそう推察する。
肩が負傷した分、踏み込みに時間がかかったのだろう。
つまり……自分のせいだ。眉根を寄せ、カミツキは自分への怒りを必死に抑え込む。
先手を打った巨災獣ではあるが、前脚による爪撃は、けれどガドルバスの甲殻に阻まれる。常ならばそこで反撃……という所であるが、位置が悪い。巨災獣はガドルバスの負傷した右肩を狙えるように位置どっていたため、ガドルバスは攻めきれない。
更に噛みつきへ移行しようとする巨災獣だが、寸での所でガドルバスはタックルを行い、これを防ぎ、距離を稼ぐ。
だがやはり、追撃は出来ない。
見れば、ガドルバスはわずかに息を荒げていた。肩から流れ落ちる血は止まっていたが、けれど相応に体力を消耗したのだろう。
あるいは……老化も、理由に入るのかもしれない。
ガドルバスは、明らかに万全の状態ではなかった。もしかすれば、肩の負傷がなくとも……全盛期ほどの力は、出ないのかもしれない。
「キュォォォオオオオオッッ!!」
それでもガドルバスは、鋭い眼光で敵を睨みつけた。
老いてなお、歴戦の経験から頑強な守りを誇るガドルバスは、巨災獣を前に隙を見せない。一度距離を取り体勢が整ってしまったことで、巨災獣側にもその圧力は伝わったのだろう。
にらみ合いは長く続いた。
けれど数度の叫び合いの末、結局のところは、巨災獣はゆっくりとその場を後にすることになる。
ガドルバスは、辛くも勝利した。
だがしかし、勝利したはずのガドルバスは……
「……キュォォォ……」
その場を、動こうとはしなかった。
*
「動けなくなっちまったのかもな」
カミツキを探しに来たキリサキは、神獣の状況を見てそう結論付けた。
肩の負傷や疲れ。年老いたガドルバスにとって、その負担はあまりにも大きかったのだろう。生きてこそいるものの、ガドルバスはその場で荒い呼吸を繰り返していた。
「っつーかお前、言う事あるよな?」
「……すんませんっした」
キリサキに促され、カミツキは頭を下げる。
独断でパトロールに向かったこと。巨災獣と戦ったこと。
そして……その結果、神獣ガドルバスを負傷させたこと。
「ハッキリ言って、神獣戦士としちゃあ完全にアウトだぞお前」
「……はい。槍も無くしましたし……神獣戦士失格っすよね、オレ」
「だな。……っつってもお前、辞めさせても危なっかしくてなぁ……」
はぁ、とキリサキは溜め息を吐く。
そもそもカミツキは、神獣嫌いの癖して、災獣と戦うためだけに神獣戦士になった男である。仮に神獣戦士を辞めさせたとして、元気になればまた勝手に災獣狩りに出てしまうかもしれない。
「あー……ったく……まーアレだ、しばらく勝手な行動は禁止。良いな?」
「……うっす」
ぼりぼりと頭を掻いて、キリサキは結論付ける。
とりあえず、先輩として言える事はその程度だった。もっと大きな罪状がかかるとしても、決めるのは今じゃない。
「分かってんだろうが、神獣様が巣に帰られない以上、災獣を警戒する必要がある」
「……」
「お前が招いたことだ。とりあえず一晩、神獣様をお守りしろ。……いいな?」
キリサキに言われ、ややあってからカミツキは頷いた。
ガドルバスが小型の災獣に襲われないよう、その身を護る。
小型の災獣が少し噛みついた程度でどうにかなるガドルバスではないだろうが、今はそれも必要な事に思えた。
*
火を焚いて、カミツキは木に寄りかかりながらガドルバスを見守る。
ガドルバスは眠っていた。キリサキは周辺を軽く見回り、災獣の接近に備えている。
災獣が発見されれば急行することになるだろうが……
今のところは、静かな夜だった。
(……分かんねぇ)
けれどカミツキの心中はそうでもない。
ガドルバスに助けられたことで、カミツキは自分の価値観を揺るがされていたのだ。
「お前、なんでオレのことは助けたんだよ」
眠っているガドルバスには届かないだろうと思いつつ、カミツキは呟いた。
そもそも聞こえていたとして、ガドルバスは答えてくれないだろう。神獣は、ヒトの言葉を喋りはしないのだから。
その気持ちが言葉で理解できたなら、こんなに戸惑いもしないのだろうが。
そう思ってしまう自分が、カミツキにはどうも情けなく思えてしまう。
神獣戦士だったカミツキの父は、パトロールの最中に災獣と交戦した。
そして同時に巨災獣が現れ、ガドルバスも戦いに出て。
ガドルバスは勝利したけれど、父は……帰らぬ人となった。
それが、当時カミツキが周囲の大人から聞いた情報の全てである。
だから、その場で本当は何が起こったのか、カミツキは知る由もない。
ただ、幼心に思ったのだ。神獣なら、助けられたはずなんだ……と。
「……」
認めたくなかった、だけなのだろう。
何かのせいにしたかった、だけなのだろう。
心の奥底で、カミツキはその事に気が付いていた。
それでも、カミツキにとってその怒りだけが生きる目的であり……彼をここまで強く育て上げた理由だったのだから。
「……どーすっかなぁ、これから」
それが揺らいでしまった今、カミツキは、己がなすべきことを見失いつつあった。
夜は更ける。
鳥や虫の声だけが響く森の中では、もうこれ以上何も起こらないかと思えたが……
……明け方になると、それは現れた。
重たい、身の毛のよだつ鳴き声と共に。
「ギュルォァアアアアッッ!!」
一体は、ガドルバスが撃退した巨災獣。
そしてその隣に……無数の黒い小型災獣を引き連れて、もう一体。
後ろ足で直立するそれは、巨災獣よりも尚一回り大きな黒い獣。
街に残された記録では、ただ一度だけしか観測されたことのない、巨災獣を超える敵。
名を、
翼を持つ、巨災獣の親玉である。
【続く】
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