神獣の衰え


 最初の兆候は、食が細くなった事だった。


「この量かぁ。きっと全部は召し上がられないだろうね」


 神獣付きの料理人は、大量に積み上げられた災獣の肉を前に呟く。

 夕刻、狩った災獣の解体を手伝っていたカミツキは、その言葉に反応し顔を上げた。


「ガドルバス、やっぱメシ食わねぇんスか?」

「様を付けな! ……まぁ、そうね。むしろ最近悪くなる一方」


 はぁ、と料理人の女性ソギはため息を吐く。

 ここ数か月の間、ガドルバスの食事量は減る一方だった。

 以前ならば、カミツキが狩ってくる量など簡単に平らげていたのだが……今では、半分程度しか口を付けてくれない。


「勿体ねぇな。オレが食えりゃ食うのに」

「無理でしょ。何百キロあると思ってんの」


 カミツキが言うと、彼女は苦笑いした。

 血抜きしてなお淡い紫色の残る災獣の肉は、人間の口には合わなかった。

 硬く臭い肉には独特のエグ味があり、消化しづらいのか、食べ過ぎると腹を下す。

 だが逆に神獣にとっては無二のご馳走となっているらしく、ガドルバスも、焼いた災獣の肉には目が無かった。


「ガドルバス様、昔はアタシの作るお食事を美味しそうに召し上がっていたんだよ? それがねぇ……世話担当も、『毛並みが少し荒れてきたー』なんて言ってるし……」

「挙句、縄張りには災獣がわらわら湧いてきた。……ソギさん、これマジでそーゆー事っスよね?」

「うぅん……あんまり考えたくないことだけど……」


 神獣ガドルバスの老い。

 それは、ガドルバスの近くにいるものなら皆が感じ始めていた異変であった。

 いつになるかは分からない。既に数百の年月を生きた神獣だ。衰え始めたとして、向こう十数年は持つのかもしれないし……持たないのかもしれない。


「やっぱさ、神獣に頼ってても無理あんスよ。自分の身は自分で守らねぇと」

「そんなこと言って、また巨災獣が来たらどうすんのさ! あんなの人間の手には負えない……それはアンタも分かってんでしょ?」

「いーや、オレはやるんで! ……ってわけだから、今日もいくつか貰ってきますよ」


 解体を終えたカミツキは、その駄賃として、災獣の鱗や牙をいくつか持ち帰る。

 軽くて頑丈な災獣の素材は、金属よりもずっと強固な武器になるからだ。

 カミツキはそれを使って、出来るだけ強い装備を整えようと努力していた。

 全ては、神獣に頼らず己の身を護るため。……とは、言え。


(これじゃガドルバス超えはムリかぁ……?)


 今の所、災獣を素材として作った武具は、ガドルバスから抜け落ちた鱗や牙で作るそれと比べ、数段強度が落ちる。

 出来てもせいぜい、小型災獣に用いる使い捨ての矢玉程度だろう。

 それでは足りない。ガドルバスに頼らないという事にはならない。

 いつになるか分からないリミットを背後に感じながら、カミツキは焦っていた。


 帰宅すると、カミツキは誰もいない家で、食事も取らず装備のメンテナンスを始めた。

 大体は拭き取ったが、細かい所に黒く変色した血の跡が残っている。

 これを残しておくと、少しずつ装備を腐食してしまい……肝心な時に、役立たなくなる。

 ガドルバスの鱗と毛を用いた軽鎧に、抜け落ちた牙を研いで作った白い槍。

 それらは激しい戦いの後でも、表面に細かな傷が出来た程度で、ほとんど変化がない。血を拭きさえすればそれで良い。


 気を付けなければならないのは、神獣戦士の命の要とも言える『跳靴ちょうか』だ。

 災獣の革で作られたベルトを外し、カミツキは跳靴の底を解体する。

 靴の底には、ガドルバスの爪を特殊な方法で加工したバネが仕込まれている。

 戦闘中、これに体重をかけることで、神獣戦士は目にも止まらぬ速度で走り、跳躍出来る。もし血が入り込んでこの機構に影響すれば、待っているのは死だ。


「……父ちゃん。オレ、今日も父ちゃんの靴で災獣ブッ潰してきたからよ」


 この跳靴は、カミツキが父から受け継いだものだった。

 正確に言えば……父の装備の中で、唯一マトモな形で残っていたもの。

 カミツキは父の跳靴を丹念に磨きながら、今日の戦いを脳裏に思い浮かべた。

 何よりも素早く飛び跳ね、穂先を災獣の肉体に突き立てる感覚。その高揚感と、薄氷を踏むような緊張感。

 けれど最後には……結局、ガドルバスに頼ることになってしまった。


(……あんなモンに)


 思わず、跳靴を磨く手に力が籠る。

 周りの人間は、殆ど全員がガドルバスを慕い、その戦いに感謝していた。

 しかしカミツキだけはそうは思えない。

 なぜなら。神獣戦士だったカミツキの父は……

 ガドルバスが災獣と戦う、その最中に命を落としたのだから。


(アイツはただ、縄張りに入った外敵を倒してるだけだ)


 ガドルバスが人間を守っている?

 そんなわけがあるか。だったら父はどうして死んだ?

 ガドルバスがすぐ近くにいたのなら、父を守れたはずだ。

 そうしなかったのは、ガドルバスが本心では人間の事なんかどうでもいいと思っているからだ。……そして今、そのガドルバス自身も、寿命を迎えようとしている。


(あんなモンに頼ってちゃ、結局いつかは……)


 けれど、街の誰一人として、自分の言う事に耳を貸さない。

 それはきっと、実際に人間の手で巨災獣を倒せた事が無いからだ。

 だからこそ、カミツキは考える。

 ヒトの手によって、巨災獣を打ち滅ぼす方法を。


 *


 翌日の朝早くから、カミツキは一人で森の見回りに向かった。

 本来であれば、それは二人以上の神獣戦士……カミツキの場合は、主にキリサキと共に行うべき仕事であったが、カミツキは敢えてそれを無視したのだ。


 理由は、巨災獣と戦うため。

 もし昨日のように巨災獣が現れても、キリサキや他の神獣戦士がいたら、自分を戦わせてはくれないだろう。

 であるなら、いっそ一人で。

 そもそも通常の災獣であれば、自分の敵ではない。

 戻った後は怒られるだろうが、死体の山を見せつけてやれば、今後も一人で見回りに出させてくれるかもしれない。


「っと……早速出たな。やっぱアイツ使いもんになんねぇ」


 見回りを始めると、すぐに災獣の姿を見つけられた。

 それも、十匹前後はいる群れだ。

 やはり、とカミツキは思う。最近のガドルバスは、災獣にナメられている。

 災獣たちは、本能的に神獣の縄張りを理解していた。だからこそ、小さな災獣が何匹か紛れ込む事はあっても、大規模な群れが現れる事は少ない。

 原因があるとすれば、やはり神獣の寿命を、災獣たちも何らかの方法で察知している……ということだろう。


「バーカ。ここはオレたち人間の縄張りなんだよ!」


 そんな災獣たちの姿も、カミツキにとっては腹立たしかった。

 災獣は、神獣さえいなければ人間など取るに足らないと思っているのだ。

 そうではない。お前達災獣を狩るのは、オレ達人間だ。

 カミツキはそう思いながら、跳靴に思い切り力を込め、跳ねる。


「一体残らずブッ潰してやらァッ!」


 昨日と同じ、黒い鱗を持つ四つ足の災獣は、カミツキの奇襲によって混乱する。

 カミツキは飛び跳ねながら、そんな群れを外側から一体一体、連続して刺し穿ってゆく。


「人間がァッ! テメエらのホントの天敵なんだよォッ!」


 ダンッ! ダンッ! ダンッ!


 木の幹を蹴り続け、一瞬さえ止まることなく、カミツキは災獣へ刃を突き立てる。

 紫の血は瞬く間にその全身を染め上げ、荒い息と鋭い眼光で敵を睨むカミツキの姿は……他の神獣戦士が見れば、一体の化け物にしか見えなかったであろう。

 首に槍を突きさし、心臓を穿ち、目玉を潰し、内臓をかき回す。


「ゼェ、ハァッ……っ、あと、一体ィ!」


 そして最後の一体の胴に、未だ白さを保つその刃を突き立てた所で。


 ……どぉん、と低い音が響いた。


「っ、来た!」


 顔を上げる。山の向こう側に、もう一つ動く大きな影を見る。

 やはり、来たのだ。二日連続で。あぁ、やっぱりアイツはダメだ、ナメられ切ってる。


「オレがブッ潰してやるよォ……巨災獣ッ!!」


 そのための術を。

 カミツキは一手、用意していた。


【続く】

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