神獣ガドルバス、最後の戦い
螺子巻ぐるり
獣を狩る者ども
「カミツキ! そっち一体行ったぞ!」
「了解ッス、キリサキセンパイッ!」
薄暗く鬱蒼と茂る森。カミツキが答えると同時に、一体の災獣が飛び出してきた。
体高はおよそ二メートル。黒い鱗に覆われた四つ足の災獣は、頭部の大きさだけでも、まだ少年の範囲にいるカミツキよりも一回り大きい。
「グルォァッ!」
ぐぁばっ! 雄たけびを上げながら、災獣は牙の立ち並ぶ口を開き、カミツキを呑み込まんとした。
けれど……ダンッ!
瞬間、カミツキが地面を強く蹴ると、その身体は災獣の頭の上まで軽く跳んでいく。
ガギンッ! 空振った災獣の牙が音を鳴らすのと、ほとんど同時に。
「一体撃破ァッ!」
ざくり。高く跳んだカミツキが、己の体重を一本の槍に込め、災獣の頭部を貫いた。
紫の血液がびしゃりとカミツキの頬に跳ね、災獣は音を立てて土の上に転がる。
カミツキは紫に染まった槍を引き抜くと、そのまま地面を蹴り、抗戦中のキリサキの元に向かう。
「援護しまっす!」
「おうっ!」
低い声で答えるセンパイは、一体の災獣を相手に力比べをしている所だった。
大槍はその爪や牙を防いではいたが……無論、サイズが違う。あと数秒もすれば力負けしてしまう所だったが、キリサキもカミツキも、一切狼狽えてはいなかった。
間に合う、と知っているからだ。
ダンッ! ダンッ! ダンッ!
地面を一歩蹴るごとに、カミツキの速度は上がっていく。
そして……ダンッ! 四歩目にカミツキは横に跳び、中空で身体をひねると、ガンッ!
硬い樹の幹へ蹴りを入れ、弾丸のような速度で災獣の脇腹へ跳ぶと、ジャンプの勢いのまま、がりゅっ。災獣のあばら骨を撫ぜながら、槍の穂先がその心臓へ突き立てられる。
「二体目ェッ!」
ぐるんっ! 余った勢いを、槍を支点に回転しながら逃がすカミツキ。
その楽し気な声に、センパイは苦笑いした。
「お前、遊びじゃねんだぞ」
「ンなの分かってますよ!」
槍を引き抜くと、今度はドバッとあふれ出た紫の血が、カミツキの全身を染め上げた。
だがやはり、カミツキは気にしない。
血が目に垂れぬよう髪をかき上げながら、注意深く周囲の様子を窺った。
「ってかセンパイこそ、手ェ抜いてんじゃないスか。オレがいるからって」
「バンバン跳ねっと膝に来んだよ!」
「ハッ。年取りたくねー!」
鼻で笑うカミツキに、キリサキはにやりと口角を上げる。
戦闘中の軽口は、彼らにとっての日常だった。一歩間違えば命を落とす災獣との戦いで、だからこそ、過剰に緊張してしまわないために。
「で……何体いるんスか、これ」
カミツキたちの周囲には、まだいくつかの気配があった。
木々に隠れて確認しづらいが、あと五、六体は同じモノがいるだろう。
「いやマジ……アイツ最近ダメダメじゃないっスか?」
「バカ言ってんじゃねぇぞカミツキ! アイツなんて呼び方すんな!」
今度の怒鳴り声は、皮肉でも軽口でもなかった。
叱られたカミツキはフンと鼻を鳴らして、その場で軽くジャンプを始める。
たん、たんっ、たんっ……! 体重を受けた足の裏で、装置は着実に力を溜めていく。
「つっても、最近数おかしいっスよね? やっぱアイツ……」
「……そーゆー話は後にしろ。誰のおかげで生きてられると思ってんだ」
「それ! ……マジどうかと思うんスよね。ヒトはヒトの力で生きなきゃ、さぁっ!」
ダンッ! 言いながら、カミツキは思い切り地面を蹴る。
ぐっと足の裏が沈む感覚がして、ぶぉんっ! 風を体中に浴びながら、カミツキの体が宙を跳ぶ。
「オレたちはオレたちでェッ!」
ガギンッ! 木の幹を蹴り、カミツキの槍が災獣の頭部を貫き……ザシュッ!
ジャンプの勢いを利用し、身体をひねりながら槍を引き抜いたカミツキは、その勢いを逃さずもう一度木の幹を蹴る。
「こうやって、災獣ブッ潰してけばさァッ!」
ザシュッ! 次の災獣の肉体に、紫に染まった穂先が突き立てられる。
そしてまた、勢いのままに木を蹴って。
「神獣なんかに、頼らなくて済むんじゃないッスかねェ!?」
ガギンッ! 三度災獣の体に槍を突き立てた所で、速度を失ったカミツキは地面に着地する。その瞬間を狙っていた、というわけでは無かろうが……背後から、更にもう一体の災獣が飛び出し、カミツキの肉体を噛み千切らんとする。
「……って、思うんすよ」
だが、カミツキは振り向きざまに槍を投擲し、大きく開かれた災獣の口内を刺し貫いた。
いずれも、人間など一捻りに出来そうな巨体を持つ四足獣である。
平然と答えながら槍を引き抜くカミツキに、キリサキはどうしたものかと頭を掻いた。
「まぁそりゃ、お前はバカみてぇに強ぇけどなぁ……そうは言ってもなぁ」
災獣たちが本当に死んでいるかどうかを目で確認しながら、キリサキがカミツキに歩み寄る。カミツキは、槍の柄に散った血を、適当にちぎった葉っぱで拭い取った。
カミツキの主張を、キリサキはもう何度も聞いていた。
それこそ、カミツキが神獣戦士になってから毎日のように、だ。
自分達の手で災獣を駆除していけば、自分達の生活圏を守るくらいのことは出来る。
だから、神獣なんかに頼る必要はない。
カミツキは本気でそう考えていたが、キリサキを始めとして、街の誰一人としてその言葉に頷いたものはいなかった。
いくらカミツキが常人離れした戦闘力を持ち、災獣の死体を山のように積み上げても……その程度の事で、街の人間は今の在り方を決して変えはしないだろう。なぜならば――
「グォァアアアアアッッッ!!!」
……その時、ビリビリとした方向が、カミツキたちの肌を震わせた。
瞬間、鳥がけたたましく鳴きながら逃げ出し、一拍置いてから、ズシン。巨大な足音が、カミツキたちの骨を震わせる。
「おいおいおいマジか……!」
キリサキが愕然としながら空を見上げた。
その視線を追い、カミツキもまた空を見上げる。
そこには。
山が、いた。
「っ、巨災獣……!」
「ヤッベ……アレはオレたちの手に負えねぇ! 逃げんぞカミツキ!」
「いや、アレも災獣じゃないっスか! なら……!」
「ならじゃねぇ! お前がいくら強くとも、アレはもう神獣様に頼るしかねぇだろうが!」
「っ……!!」
おそらく、先ほど倒した災獣の親玉なのだろう。
幼体と同じく黒い鱗に覆われた獣は、木の幹より太い爪を地面に食い込ませ、ゆっくりと前へ進んでいく。その体躯は、これまで倒した災獣の十……いいや、二十倍はあるであろう巨体だった。
――そう。災獣の死体を山のように積み上げたとて。
山のような災獣を死体に出来ないのなら、結局のところ意味はないのだ。
「オラ! 行くぞカミツキ!」
カミツキの腕を引き、キリサキは走ってその場を後にしようとする。
ただの災獣ならともかく、巨災獣を相手に戦える道理など、彼らは持っていなかった。
そんな時は、どうするか?
ただ、必死に祈り、待つのだ。
守り神たるその獣が訪れるのを。
「キュォォォオオオオオッッ!!」
「っ……来た!」
その時、もう一つの咆哮が森中を振動させた。
荘厳な低い雄叫びを耳にした瞬間、キリサキはふぅと息を吐く。
数拍置いて、木々をなぎ倒しながら巨災獣の前に現れたのは……岩のような甲殻を持つ、緑色の巨獣であった。
「……ガドルバス」
「様をつけろ様を!」
キリサキに叩かれつつも、カミツキの視線はじっとガドルバスに注がれていた。
神獣、ガドルバス。
人類と共生し、その生存を助けてくれる数少ない守護神獣。
ガドルバスは黒い目でちらりとカミツキたちを見ると、ゆっくりと視線を目の前の敵にもどした。
「グルルルォァ……!」
巨災獣は現れたガドルバスを警戒し、威嚇する。
ズシン。そんなものを全く気にせず、ガドルバスは一歩前に出た。
……瞬間、ぶぉんっ! 激しい風を巻き起こしながら、巨災獣が後ろ足で地面を蹴り、跳ぶ。同時に噛みつこうと口を開く巨災獣だが……
半歩、ガドルバスは身体を動かした。首元を狙っていた牙は、岩のような甲殻に覆われたガドルバスの肩へと命中し……バギン!
いとも容易く巨災獣の牙は、へし折れた。
ぶぉんと音を立て、折れた牙は空を舞い、激しい衝撃音と共にカミツキたちのすぐ近くに落下する。その牙一本だけでも、大人五人分はあろうかという太さである。
牙を折られた巨災獣は、狼狽え後ずさる。
だがその後退は、ガドルバスにとってこの上ない好機であった。
地面を揺らしながら巨災獣を追ったガドルバスは、そのまま前脚で巨災獣の身体を押さえつける。もがき、暴れる巨災獣だが、体重が違うのだろう、拘束を解くことが出来ない。
ガドルバスは無防備になった巨災獣の首元に噛みつくと……バチン。何かが弾けるような音がして、巨災獣の身体は急速に力を失った。
決着が着くまで、ほんの十数秒の事である。
「よっ……しゃああっ! やっぱ神獣様は最高だなぁオイ!」
「……そう、っすかねぇ……」
歓喜し、バシバシと背中を叩いてくるキリサキに、カミツキはため息交じりに答える。
ガドルバスは食いちぎった巨災獣の首を咀嚼し、呑み込むと……もう一度、ちらりとカミツキたちの事を目視してから、ゆっくりと森の奥の住処へと戻っていった。
ヒトは、巨災獣には勝てない。
だからこそ、神獣の庇護の元、共生することでどうにか生存を続けている。
そんな中でカミツキがいくら人間の力を説いたとして、空虚に響いてしまうのは無理からぬことであった。
だが、それでもカミツキは思うのだ。
いつまでも、あんな獣に頼って生きていくべきではない、と。
それに、近頃神獣の世話係たちの間で、しきりに心配されていることがある。
神獣ガドルバスは、もうじきその長い寿命の限界を迎え……
……死んでしまうのではないか、と言われていた。
【続く】
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