68.木香茨



挨拶の場面で、私は呆然と立ち尽くしてしまった。

謁見えっけんの間で、玉座ぎょくざに国王の父様が座し、来訪者を迎えている。その玉座の隣で、ロイ兄様と私は控えて、父様が客人と挨拶を交わすのを見守る。学園が春休みで一時帰省しているロイ兄様と少しでも長くいたいのと、国外のことを聞けることに興味が湧いて、隣国から来た客人との謁見に同席させてもらった。

だが、自分の選択を後悔した。

だって、こんな、心の準備ができていない。


どーして、もうそのカッコなのぉ!?


混乱して、理解が追い付かない。首までしっかりと締まる襟の白いシャツと白いズボン。シンプルな上下で寝間着と疑われても奇怪おかしくないけど、上質と判る生地が真っ白で、服を汚す立場にない証明だった。象牙ぞうげ色の長袖の上着を着ている下は、きっとノンスリーブだろう。それを、私は知っている。

サンダルみたいな靴や巻いた鮮やかな色の腰布には、金の飾りがふんだんに付いていて動きに合わせてシャラシャラと鳴る。日本人の記憶がある私には、インドなどの民族衣装が連想された。


「第五王子のコンスタンティン・フランク・フォン・デーアと申します。この度は我がシュテルネンゼーとの交流の機会を賜り、感謝しております。トラウゴット陛下」


人の警戒心を解くはにかんだ微笑みを見せる少年。このわんこ系笑顔を私はよく覚えている。だって、ヒロインの親友だったもん。彼は、私が前世でやっていた乙女ゲーム、通称が君星の攻略対象の一人だ。けど、今、王女フィリーネ・エルナ・フォン・ローゼンハインの私が会うはずのない相手だ。少なくとも、彼のルートでハッピーエンドを迎えるまでは。

そうこの姿は、彼のルート、しかもハッピーエンドでしか見れない貴重な姿だ。だって、フランクは南国の王子であることを、ずっと隠していたんだから。

なのに、ゲームが始まる前の今、浅黒い肌をした壮年の従者を従えて王子として目の前にいる。

父様から紹介され、ロイ兄様の挨拶のあと私の番が来る。だいだいの瞳がこっちを見て、反射的に姿勢が伸びる。王女として鍛えられたマナーが染みついているせいだ。


「フィリーネと申します。お会いできて光栄です、コンスタンティン殿下」


王女らしく微笑んで挨拶をすると、微笑み返された。


「アーベントロートの秘宝にお会いできるなんて、私の方が光栄ですよ。噂に違わず、いえ、それ以上に麗しくていらっしゃる。陛下が大事にされるのも頷けます」


「そんな……」


お世辞のような言葉なのに、頬を染めつつ照れ笑うから本心からの言葉だと判る。褒められるのは嬉しいから、思わずこっちまで照れてしまう。ただ、心の片隅で、単に私の魔力が問題で隠されやすいだけで父様が大事にしているというのは体面上での話だろうと思った。


「フィルが使っているペシュタマールは、シュテルネンゼーとの国交で手に入ったものなんだよ」


「え」


ロイ兄様が、教えてくれたのは私が最近使っている伊織いおりのことだ。ペシュタマールは吸水率がいいタオルみたいな生地で、腰の下まである髪の長い私はとても助かっている。南国からの輸入品だとは知らなかった。


「それは、ありがとうございます。お蔭で髪が早く乾いて、重宝していますの」


「我が国の伊織が、王女殿下の美しい髪を保つのに役立って、とても嬉しいです」


フランクは、本当に嬉しそうにはにかむ。自分の国のことが好きなんだと、その表情で判る。

しかし、女性を褒めるのが上手だ。君星でも、親友ポジでヒロインを励ますのが上手かったけど、こんなにおだて上手だったなんて知らなかった。彼と話して気分を悪くする女性はいない気がする。


「この春から、王立魔導学園に留学させていただくので、私もアーベントロートの文化を知るのが楽しみです」


ロイ兄様が、彼は土属性の魔力が強いからさぞ優秀だろうと言葉を交わす。それを聞いて、私の違和感はますます増す。

君星でのフランクは、身分を隠してこの国で生活していたのを南国にいる兄に利用されて、スパイとして学園に入学する。その時は、正体がバレないよう魔力量を抑える魔具を着けて測定を受けていたから、及第点より少し上ぐらいで入学していたはずだ。

ロイ様ルートのミニゲームだったタクティクスRPGは国境防衛戦で、攻めてくるのは南国のシュテルネンゼー。フランクルートだと、その国境を攻める計画を未然に防げるかがハッピーエンドになるかバッドエンドになるかの分岐点になる。

国境防衛戦が起こるとフランクは南国のスパイとして捕まる。フランクが南国の王子であることを明かし、未然に防げた場合はロイ様を通じて国交回復し、ヒロインはフランクと南国に行く。

けれど、すでに南国と国交が良好になって、最初からフランクが王子として学園に入るなんてゲームと違いすぎる。ロイ兄様が自身で解決したように、どうやら彼も自分の問題を自身で解決してしまったらしい。


王子様ってそーゆーモノなの??


ロイ兄様とにこやかに話すフランクを見て、私はしきりに首を傾げるばかりだった。



そうこうしているうちに、ロイ兄様たちの春休みは終わり、フランクも一年生で入学したと聞いた。君星でライバル令嬢・リュディアこと、私のお姉様も入学している。ついでに、イザークも浪人したけど入学できたらしい。

ロイ兄様にもクラウス兄様にも会えなくなって、正直淋しい。それに、お姉様と同じ学年になって三年間一緒だなんて、イザーク狡い。私だってスキップ入学とかできればよかった。

いや、勉強はたぶんできる方だし、魔力量なんて桁違いなんだろうけど、ただでさえ王女の立場なのにそんな職権乱用みたいなことできなかった。たぶん言っても、我儘だって父様に一蹴されたことだろう。父様は余程の理由がない限り、私を特別扱いしない。

お稽古だってお姉様と一緒にできたから、頑張れた。一緒に受けれた一つ、ピアノの練習にも身が入らない。譜面ふめんを追って動かしていた指が、不意に止まる。

溜め息を一つ吐くと、侍女のテレーゼが静かに忠告する。


「フィリーネ様、手が止まっておいでです」


「わかってるわ」


「リュディア様がいらっしゃるときだけ張り切られるのは、常に努力されているリュディア様に失礼ですよ」


「そう、だけど……」


お姉様の存在の有無にかかわらず頑張らないといけないことだとは解っている。けど、これまで会えていた親しい人たちにほとんど会えなくなったから、どうしたって気落ちしてしまう。こういうとき、簡単に同世代の友達が作れない王女の立場がもどかしい。

お茶会に招待して、最低限交流している同世代の令嬢は数人いる。正確には、素を見せられる相手が少ない。ロイ兄様が、イザークと連絡がとれるようクマ電話を造ってくれたのも、それが解っているからだ。

白と黒の鍵盤のうち、人差し指で白い鍵盤の一つを押す。ポーンと単音だけが、今の自分のように侘しく響いた。

日々、王女としての責務をこなし、今までも、君星のゲーム開始の時期を過ぎても何もできずにいる自分。

いや、やらないといけないことはいくらでもある。例えば、謁見の同伴したときに現代の国内外の情勢にうといことに気付いた。古い歴史から順番に学んでいたとはいえ、今後南国とも交流していくのなら、自分も社交の機会は増えるはずだ。国内外の現状を知って、会話についていけるようにならないといけない。

こうして王女としてするべき課題なら見当がつくのに、君星に関することは、何をすればいいのかわからない。君星は乙女ゲームだ。攻略対象と恋愛して、主人公たちの人生が変わるものだ。いざ、その世界の人間になってみて、他人の人生に意図的に干渉するというのがどれだけ難しいことか解った。

フィリーネはロイ様ルートのサポートキャラ。家族のロイ兄様や、クラウス兄様には少しは干渉できているかもしれないけど、他の攻略対象たちからすれば挨拶したことがあるだけの第三者王女だ。

いきなり無駄に身分の高い自分が、訳知り顔で干渉しようとしたところで心を開いてもらえる訳がない。壁を作られて終わりだ。


「ロイ兄様、大丈夫かなぁ……」


自分が役立たずのうちに、ロイ兄様はヒロイン、いやシュテファーニエさんという一年生に告白したらしい。クマ電話を通じて、イザークに確認した。

ロイ兄様からも手紙で説明された。好きな女性ひとができたこと、私がお姉様を慕っているから、お姉様と婚約解消の予定であることへの謝罪もあった。ロイ兄様への回答期限が、今月の五月までなことも。

いや、回答期限早すぎない? 君星でもルート確定は一学期の最後だったよ。夏休みと二学期を使って好感度あげていって、三学期にハッピーエンドかバッドエンドかの分岐をする。ゲームですらちゃんと恋心育てる期間が設けられていたのに、なんでロイ兄様のルート確定期限は二ヶ月しかない訳?

主に魔術省で検討して判断した結果らしいけど、国の融通の利かなさに思わず剥れてしまう。ロイ兄様が納得しても、私が納得できない。

ロイ兄様のために、何かしたい。


「ねぇ、テレーゼ。私には、未来の義姉あねになるかもしれない人を確認する権利があると思わない?」


鍵盤から視線を離し、テレーゼを見遣ると、学園に行こうとしていることが解ったようで眼をすがめられた。そんなことをしたら、目尻のしわが深くなってしまう。


「フィリーネ様」


「だって、ロイ兄様には幸せになってもらいたいのっ」


テレーゼに駄目出しされる前に、自分の主張を被せる。

兄妹きょうだいの恋愛にお節介するなんて、前世まえなら頼まれても御免だった。むしろ、向こうが知られないようにしていたから、こっちも気付いていても言わなかった。けど、今回は状況が特殊だし、ロイ兄様は私には大事な家族で恩人だ。

心の声を聴く力が制御できなかったときに私を助けてくれたのは、他の誰でもないロイ兄様だ。ロイ兄様がいなかったら、私は対人恐怖症になっていたかもしれない。本当に大事な人なんだ。

その大事な人の幸せがかかった場面で、ただ待つだけなんてできない。


「私ならロイ兄様の良さを伝えられる……っ」


ぎゅっと胸元でこぶしを握って、一方の手で包み込む。気持ちの昂ぶりに比例して、両手に籠る力が増した。


「少しでもロイ兄様が有利になってほしいの。ロイ兄様は幸せにならなきゃ駄目よ!」


国民誰かのために生きることを決められた人だ。彼自身がそれを望んでいても、彼個人の幸せを得てほしい。そのために、何かしたい。せずにいられない。

まくし立てた私を見て、テレーゼは嘆息を一つ零した。


「……入学前に見学をしたい、と要望された方が、陛下も了承くださると思いますよ」


「え……」


「フィリーネ様は王城しろの外をほとんど見聞けんぶんされていないのですから、様子も知らぬ学園で三年間暮らすのはさぞご不安でしょう」


テレーゼの言うことがすぐには理解できなくて、一瞬ぽかん、としてしまった。まさか、止めるとばかり思っていたテレーゼが味方をしてくれるなんて。


「……っええ、そうね!」


不安だと全力で首肯する私がさぞ説得力がなかったんだろう。テレーゼは小さく笑う。便乗するなら、せめて不安そうな演技ぐらいしてみせるべきだったんだろうけど、それは父様の前で頑張るから、今は素直に喜ばせてほしい。

父様を説得するぞ、と意気込む私の背後に、テレーゼは言う。


「ロイ殿下は、フィリーネ様がいらっしゃって充分幸せですよ」


私が何もできないとよく落ち込むのを、傍で見てきたテレーゼの確信をもった否定だった。

励まされて強気になった私は不敵に笑う。


「もっとよ。ロイ兄様はもっと幸せにならないと!」


随分と傲慢ですね、とテレーゼが言うものだから、王女らしいでしょ、と私はおどけて返したのだった。



一週間後、テレーゼの口添えとお母様の援護射撃のお蔭で、父様を説得できた私は王立魔導学園へ見学にきていた。

護衛も付いているし、行動に制限はあるけどロイ兄様が学園内を案内してくれることになっているから、シュテファーニエさんに会うこともあるだろう。表面上では王女らしくしとやかに振る舞いつつも、内心では意気揚々と校舎の正面玄関に踏み入った。

正面玄関にはすでにロイ兄様が待っていてくれ、出迎えてくれた。

見学の日はロイ兄様の二限目の授業がない日にしてもらい、私は二限目の開始前に学園に到着したのでゆっくりと案内してもらえる。馬車で数時間かかるほど王城から離れた場所に外出すること自体初めてだったから、自然と心が高揚した。

君星のロイ様ルートのときも学園にくることはできていたけど、こんなわくわく状態ではなかった。ゲーム通りだった場合、闇属性も強いことが判明してロイ様が悩み不安定になっている状態で、光属性を持っているフィリーネが様子を見る目的と光属性に戻す目的で訪問する予定だった。

その数度の訪問だけで、ヒロインにロイ様の状況を詳しく教えてくれていたのは、サポートキャラだったとしてもちょっと不思議だ。けど、実際にフィリーネになった今なら解る。きっと心の声を聴く力を使っていたんだ。嫌な力を使うほどロイ兄様が心配になる状況でなくてよかったと思う。

二限目終了のチャイムが鳴るまでロイ兄様に一通り校舎を案内してもらい、昼休憩になった。王城外に出られたのが嬉しくて、オープンキャンパス以上に楽しんで見学してしまった。本気で見学してどうする、私。


「ロイ兄様、学園では食堂というたくさん人がいるところで食事をするんですよね」


「そうだよ。フィルには想像できないかもしれないね」


「はい。だから、入学してからびっくりしないように、私も食堂で食事をしたいです」


前世の記憶で本当は知っているし、体験もしているけど、世間知らずを装ってロイ兄様にお願いする。いや、前世の記憶で知っているからこそ今食堂ご飯に憧れている。けど、本来の目的を忘れてはいけない。

ロイ兄様は、少し可笑しそうに笑いながらお願いを了承してくれた。


「わかったよ。リュディア嬢たちも一緒でいいかい?」


「もちろんですっ」


むしろ、それを望んでいたんです。内心、そう思いながら王女らしい範囲で私ははしゃいだ。

ロイ兄様が一年の教室にお姉様たちを迎えにいくので、私もついてゆく。休憩時間だから、生徒たちの視線を浴びた。王族の兄妹がセットだし、美男美女だから、目立つのは仕方ない。煌々きらきらしいロイ兄様似の私が、ロイ兄様と一緒に並ぶとなかなかに眼福な光景だと知っている。


「お姉様っ」


「フィル様、お久しぶりです」


一年の教室で、お姉様を見つけた私は駆け寄って、その手を両手で掴む。本当は抱き着きたかったけど、公衆の面前なので控えておいた。

お姉様の背後にいた長身の男が明らかにげ、という表情カオをした。こっちだってそう思ってるけど、顔に出していないんだから、そっちも隠しなさいよ。直接会うのは数年ぶりだというのに失礼すぎるから、なるべく無視してお姉様に集中する。

お姉様は、私に会ったことを喜んで、微笑んでくれる。淡い金の柔らかい髪と淡い青の瞳。金髪碧眼の私と似ているようで違う、お姉様の優しい色合いがとても好きだ。

ふと、お姉様の隣の色に眼を惹かれて、視線を移すと花緑青はなろくしょうの瞳とかち合った。


「……夕焼け色」


眼を奪われた髪の色が、思わず口を吐く。

桃色ももいろにも淡い橙にも見える色が毛先にゆくほどに濃い橙に移り変わっている。ちょうど薔薇色ばらいろの夕焼けがこんな色だ。実際に見ると、こんなに綺麗な髪なのか。

知っているけど知らない少女がそこにいた。知っているよりも長い髪は肩甲骨まであるだろうか。目尻が少し下がり気味で丸い目元が小動物のようで、お姉様のように鼻が高い訳ではないから、愛らしいと感じる。お姉様が美人系で、彼女は明らかに可愛い系だ。

不躾ぶしつけに髪色を指摘してしまったことに気付いて、私は慌てて謝る。


「失礼しましたっ、とても綺麗な色だったので、つい……」


「いえ、褒めていただき嬉しいです」


謝罪に正直な感想を添えたら、照れられてしまった。照れ笑うその表情カオがすでに可愛い。これはロイ兄様が一目惚れしても仕方ない。


「私は、フィリーネ・エルナ・フォン・ローゼンハインと申します。貴女あなたは?」


「わたしは、シュテファーニエ・フォン・ヴィッティングと申します。王女殿下」


王女の私と対面しても気後れすることなく礼を執る姿は、貴族のそれだ。凄いな、頑張ったんだなぁ。

幼い頃に貴族の養子になったと聞いてはいたけど、前世は一般人で今は王女の私には彼女の努力が想像でき、つい感心してしまった。ゼロからだった自分と違い、途中から変わった環境に馴染むのは大変だっただろう。

ロイ兄様たちと連れだって食堂に向かう。背後で自分も行かないといけないか、とお姉様に訊いている小声はちょっと黙っていてほしい。お姉様に小声で叱られて渋々ついてきてるけど、そんなに眩しいのが嫌ならぼっちご飯すればいいのに。侍女たちが手入れしてつやを保ったこの金髪を眼に痛いと思っているに違いない。

食堂に着くと、私はシュテファーニエさんの正面に座り、彼女の隣にお姉様が座った。ロイ兄様ともう一人の同伴者は、私たちの希望を聞いて食事を取りに行く。一人あたり二人分の盆しか一度に持ってないから、ロイ兄様は自分と私の分、もう一人は女性二人の分を先に渡し、先に食べていて構わない旨を伝えて自分の分を取りに行った。


「席が遠くないって素敵ですね」


「お茶会のときぐらいですわね」


「やっぱりお城では席が遠いんですか?」


「それはもう。テーブルが広いので、上座の父様に届くように私は声を張らないといけないくらいです」


「フィル、それは言い過ぎじゃないか」


私の言い分が大袈裟だとロイ兄様は笑う。そんなことはないと、私が言い張るとお姉様だけじゃなくシュテファーニエさんも可笑しそうに笑った。そうして、兄妹仲が良いんですね、と言われ、私が頷くと微笑ましい眼差しを向けられた。うん、いい人だ。

こういうお互いの顔が近い状態で食卓を囲めるのが嬉しくて、表情カオが緩む。学生って感じがする。来年入学したら、本気で友達作り頑張ろう。ぼっちご飯じゃなく、今みたいに友達と一緒にご飯したい。

またもやオープンキャンパス感覚になっていたことに気付いて、はっとなる。本来の目的を果たさなければ。シュテファーニエさんが目の前にいる、またとない機会なんだから。


「シュテファーニエ様、あのっ、ロイ……」


「恵みに感謝を。いただきます」


最後の一人が自分の分の食事をとって戻ってくるなり、食前の言葉を宣言した。それで一旦会話が中断し、それぞれ食前の言葉を口にして、食事をし始める。全員マナーがいいから、食事の間、私たちの周囲だけほとんど静かになる。

食べ終わりさえすれば話せると解ってはいる。けど、私は食べるのがそんなに早くないから、マナーを守りつつ一生懸命咀嚼そしゃくする。なのに、一番量が多いであろうイザークがロイ兄様とほぼ同時に食べ終わるってどういうことだ。

内心、先に食べ終わられたことを悔しく思いながら、ひたすら食事に専念する。途中、ロイ兄様がそんなに焦らなくても時間に余裕があると声をかけてくれた。

結局、私が食べ終わったのは一番最後だった。

私が食べ終わるタイミングに合わせて、お姉様のメイドが全員分のお茶を用意してくれた。盆はイザークが全部返しにいってくれた。ロイ兄様も下げようとしたけど、妹の私がいるからゆっくり話すようにと言われ、引き下がった。さっきは邪魔をしたのに、今度は気遣われて変な感じだ。

食事が美味しかったなどと談笑しながら、残された時間でどうやってロイ兄様をプレゼンするか考える。私はロイ兄様の素晴らしさを語ろうと思えばいくらでも語れる。それだけの愛と思い出があるから、時間はいくらあっても足りない。今の私にいるのは、面接で三分で自己紹介するみたいなスキルだ。


「ロイ殿下は、フィリーネ殿下みたいな可愛らしい妹さんがいて素敵ですね」


「ああ。こんなに愛らしい妹は世界中を探してもそうはいないだろう」


「わたしにも数年前に義弟おとうとができましたけど、こんなに可愛くはないです」


「そういえば、ヴィッティング伯爵は魔力が強い子の受け入れ先を監査する部署に勤めていたね。以前、他の家で受け入れが難しいとされた子を一人養子にしたと聞いた」


「そうなんですよ。孤児院出身の子で、最初は一人で生きるんだってすごい跳ねっ返りで」


「でも、可愛いんだろう?」


「はいっ」


「弟も可愛いものだな」


「クラウス殿下はもう大きいのに」


「いくつになっても二人が僕の弟と妹であることには変わりないからな」


クラウス兄様が聞いたら嫌がりそうだな、と思ったら、シュテファーニエさんも本人に言わない方がいいと可笑しそうにしながら忠告した。どうしてだ、と不思議そうにするロイ兄様の反応に、シュテファーニエさんは更に笑い、お姉様は仕方なさそうに笑みを零した。

二人は仲がいいみたいだけど、なんだか他人行儀だ。あと、私がロイ兄様をプレゼンする前に、私がロイ兄様にプレゼンされてしまった。世界一はロイ兄様の方です。


「どうした? フィル」


私の膨らみかけていた頬を指で突いて、何か不満があるのかと訊いてきた。


「……少し、よそよそしすぎないか、と思ったんです」


むぅ、と拗ねたみたいな言い方になってしまった。不満というより、解せない。

二人は仲がいいのに、お互いの呼び方は身分の違いを如実に感じる。君星のときはロイ様呼びだったのにな。シュテファーニエさんが貴族になってしまっているから、逆に身分差で線引きされている感が悲しい。


「あの、その……」


「普通に先輩でいいんじゃね」


私がしょんぼりしているのを見て弱るシュテファーニエさんに、ずぞーと音を立てながら明後日の方向を見てお茶を飲んでいたイザークが呟いた。

視線が外に向いているのは、対面側に金髪な私とロイ兄様がいるからだろう。というか、ティーカップで湯呑み飲みをするのは止めた方がいい。妙なところで前世の記憶が染みついてるなぁ。

後輩なのだからという意見に、シュテファーニエさんは納得する。


「……じゃあ、これからはロイ先輩と呼んでいいですか?」


「うん」


にこやかにロイ兄様が了承したことに、私は気を良くする。


「なら、ロイ兄様も……っ」


提案すると、ロイ兄様は静かに微笑んだ。否定の意味のそれに、私は戸惑う。


「呼び捨てするにしろ、愛称で呼ぶにしろ、好いた相手から呼ばれたいだろう?」


彼女が自分を望まない限りは平等に呼ぶと、ロイ兄様は決めていた。そういえば、ロイ兄様は婚約者のお姉様も愛称で呼んだことがない。お姉様にも、シュテファーニエさんにも、誠意をもって線引きをしているんだ。

ロイ兄様のその誠意が、私はすごく悔しい。

だって、期限がきたときにシュテファーニエさんが断ったら、彼女はロイ兄様に関わらなくてもいい日常に簡単に戻れてしまう。ロイ兄様、相手が気負わないように接するの、絶対上手だ。それが悔しい。

平気なフリをするロイ兄様を見るのは嫌だ。

悔しさに下唇を噛みそうになり、それに気付いて止める。状況を打開しないと、と思い、顔を上げると、シュテファーニエさんが僅かに眼を見開いていた。悲しそうというほどではないけど、喜んでいない表情カオに、私は希望を持った。

相槌を打つのも忘れている様子なのは、ロイ兄様の言葉にひっかかりを持ってくれたからじゃないか。

ただ彼女を困らせたと思ったロイ兄様は、微笑んで呼称の話題を流した。

ほどなくして、次の授業の時間が迫り、食後のお茶会はお開きとなる。教室に戻るシュテファーニエさんたちに付き合ってくれたお礼と別れの挨拶をした。その最後に、シュテファーニエさんに近付き、彼女の手を握った。


「……シュテファーニエ様、先ほど、惜しいと思われませんでしたか?」


「え」


お互いしか聞き取れないよう、そっと小声で訊ねると、彼女は言葉を詰まらせた。


「どうか、考えてみてください。ロイ兄様に愛称で呼ばれたら、どう感じるのか。もしくは、ロイ兄様が他の女性を愛称で呼んだらどう感じるのか……、些細なことでも、それが一番大事な点だと思うんです」


彼女の人生を左右する決断で、覚悟がいることだと解っている。けど、結婚相手を好きになれそうか、そうじゃないかって大事だと思う。多かれ少なかれ結婚で人生は変わる。なら、結局は愛がものを言うんじゃないか。

私は声を潜め、至極真剣に伝える。


「それに、ご存じだと思いますが、ロイ兄様はものすごくカッコいいんです」


私の伝えた真実に、シュテファーニエさんは眼を丸くする。そして、はにかんで、頷いた。


「はい、ご存じです」


少し可笑しそうに、私の言葉をもじって答える。

彼女の答えに、私は満足した。きっと、彼女は自分が後悔しない選択をする。そして、ロイ兄様の魅力を解ってくれている。

ロイ兄様の良さを知っている彼女の答えを、私は期待をして待とう。



ロイ兄様も次の授業があるから、食堂で別れた。

校舎の正面玄関まで送ろうか、と言ってくれたけど、私は食堂の近くの中庭を散策してから帰ると断った。護衛の人たちが帰り道は覚えてくれているから、私一人でも大丈夫だと伝えるとロイ兄様は納得した。

中庭を一周してくるだけだ、と護衛の人たちを中庭の入口で控えさせる。中庭に人気ひとけがないのと、私が防犯ブザー代わりの魔具のブレスレットを着けているから護衛の人たちは了承してくれた。

一見ただの装飾品に見えるブレスレットだけど、何かあったときに私が少し魔力を流せば、護衛の人たちが着けているカフスが反応して危険を知らせる仕組みだ。取り外しに持ち主との紐付けを解く術式が必要な魔道具だから、ブレスレットが外れても、同様に知らせが届くようになっている。学園の防犯対策が万全で、不審者が入りようがないというのも、護衛の人たちが待機を了承してくれた理由だろう。

王城の外に出れたのは久しぶりだから、すぐに帰るのは勿体なかった。

初夏に入ったこともあり、花に溢れた、というよりは緑が多く安らぐ空間だった。陽射しからできる木陰もまだ薄く、食後の小休止にはちょうどいいかもしれない。

若葉色の多いなかで、淡く柔らかい黄色の木香茨もっこうばらを見つけた。ロイ兄様の色だと思い、ゆっくりと眺める。

光属性で紫陽花あじさいが染まると淡い黄色になる。ロイ兄様が紫陽花を育てると、陽当たりのよい方が淡い黄色で咲き、日陰になりやすい方に闇属性の藤色ふじいろより少し濃いむらさきが咲く。その二色のコントラストがとても綺麗で、私は好きだ。

自分が育てても半分は同じ色になると解っている。君星の知識があるせいかもしれないけど、目の前のこの色はロイ兄様の色だと思う。美形すぎて眩しい容姿のロイ兄様だけど、優しく微笑みかけてくれる瞬間を色にしたら、きっとこんな優しい色だろう。

そっと安堵の吐息が零れる。


よかった……


彼女の格好いい、は容姿だけを見た言葉じゃなかった。

シュテファーニエさんは、ちゃんとロイ兄様を見てくれる人だった。お陰で、外見しかみていない、と小姑こうじゅうと化せずに済んだ。そうなったらプレゼンどころじゃない。応援じゃなく、反対してしまう。

予定していた通りのプレゼンはできなかったけど、彼女が真剣に考えるきっかけになれていればいいな、と思う。

ヒロインは平民ではなく貴族で、フランクも平民ではなく王族として入学している。レミアスとベルくんのルートで出てくるはずだったトビアスは、入学せず魔術省の研究員見習いだ。君星とずいぶん変わってしまったから、私にもこれからどうなるか判らない。

君星通りだったら、魔力がないトビアスは一家全員の魔力を奪い、入学する。ずっと家族から同じ侯爵家なのに、とレミアスやベルくんと比較され続けて彼らに敵愾心てきがいしんをもっており、ヒロインがどちらのルートを選ぶかで狙われる対象が変わる。ヒロインと親しくなった方が注目を浴びやすくなり、彼が自分の家族に使ったのと同じ魔具で魔力を奪うのだ。

魔力を一時的に失うことで、攻略対象が挫折ざせつを味わって自身と向き合い、更に成長する。攻略対象の魔力が奪われる頃には、ヒロインの属性が攻略対象と同じになっているから、魔力を取り戻すのを手伝えるようになる。

魔具を壊して魔力を取り戻せればハッピーエンド、取り戻せなければ自分は相応しくないと攻略対象が身を引いてバッドエンド。大まかな流れは二人とも共通している。

だけど、実行者不在で、もうそのどちらもが起こりようがない。

後になって、トビアスが虐待を受けていたと知って、ぞっとした。

ゲームではライバルキャラの詳しい背景なんて記載されていなかった。ただ一方的に妬んでいる嫌な奴、としか思っていなくて、人を傷付ける可能性があったのに存在を軽視してた。それだけのことをする何かがあるかもしれない、なんて疑うこともなく。

中途半端な情報で知った気になっていた自分を嫌悪しそうになった。ロイ兄様が、彼を助けてくれたと知って、どんなに安堵したことか。その日は、泣きじゃくって、ロイ兄様にひたすら感謝し倒した。

私はいつでも何もできない。その代わりに、ロイ兄様が見過ごすしかできなかった彼らを助けてくれる。その度に、私は自分を嫌いにならずに済んで、救われているなんて、ロイ兄様は知らないだろう。


なのに、私の援護のしょぼさったら……


ロイ兄様は呪いを解き、後継者問題を解決し、犯罪を未然に防いで、凄いことばかりしているのに、そのロイ兄様のために私ができることが応援だけなんて残念すぎないだろうか。

ほんの少しは役に立ったと思いたい。私がシュテファーニエさんを触発しなくても、上手くいった可能性もありそうだけど、何もしないよりマシだろう。

大好きな兄の大事な局面にすら力になれていなかったら、泣きそうだ。だから、一生懸命そんなことはないと自分を励ます。

これ以上気持ちを下げないよう、物理的に顔を上げたら、頭上に木陰と木漏れ陽が散らばっていた。

木香茨を辿っているうちに、大きなそばまできていたらしい。そよりと風が吹くたびに、木漏れ陽が揺れて頬を滑り、少しくすぐったい心地になる。

雨降りの木は、太い幹が早い段階から左右に枝分かれしていて、木登りもしやすそうだ。そんな感想を抱いてから、前世むかしですら木登りできた試しがなかったと思い出す。前世の小さい頃、兄の太一にまだ付いて回っていたときに真似をして登ろうとして失敗し、その一度の失敗でりた。堅い樹皮でてのひらが痛くなって何も楽しくなかった。

王女の今は、前世の記憶もあって興味すら湧かない。なのに、そんなことを思ったのは、前世以上に木登りをしていそうな人物に心当たりがあるせいだろうか。

その彼が普通に学生をしていた姿を思い出して、ふっと気が抜ける。イザークが、今の自分を見たら、一人で勝手に気負っているのを呆れられそうだ。


「なるようにしかならないよね!」


開き直った考えを声に出して、気落ちする要因を振り払った。

瞬間、ざんっと何かが降ってきた。しかも、数センチ離れたすぐ傍に。

なかなかに大きな影だったから、心臓がびっくりして、硬直する。私が固まっている間に、その影が立ち上がって、すがめた眼で私を見下ろした。


「んなとこに、ぼけーっとつっ立ってんじゃねぇよ!」


匕首ドスのきいた低い声で叱られた。怒声を浴びせられた相手が衝撃的すぎて、私は思考停止する。


「……あん?」


硬直中の私を見つめて、眇めていた眼差しが次第に和らぐ。


「やだ、王女殿下じゃない。アンタに怪我させてたら、レオに何言われるか分かったもんじゃないわ」


ちょっと見せなさい、とあごを掴まれて、左右を向かされ、そして正面からまじまじと顔を確認される。私に怪我がないことが確認できると、すんなりと掴んでいた手が離れた。


「ごめんなさいね。アタシ、寝起きが良くないのよ」


柔らかそうな淡い紫の髪がふわりと揺れて、艶然えんぜんと微笑まれる。さっきの怒声が幻かと思うほどだ。


「樹の上、で……?」


寝てたんですか。そんなキャラじゃなかったでしょう、ニコねえ

もう、何に驚けばいいのか判らない。オネエキャラになったとイザークから聞いていたけど、これまで挨拶しかしていなかったから、今が初見なんですけど。というか、一瞬だけど素だった。誤魔化されたけど、素の口調荒っぽいんだ。


「危なくない、ですか?」


色々訊きたかったけど、まずそれが気になった。漫画とかではあるけど、木の上で昼寝ってだいぶ危ないし、相当難しくない?


「平気よ。風魔法使ってるもの」


あっさりと魔法で落下防止措置をとっていたと教えてくれた。確かに、ニコ姐の魔力量なら独立型の風魔法を使っても支障はないだろう。けど、用途が変わっている。第一、君星では木に登るほど体力があるキャラじゃなかった。素の口調といい、いつそんなワイルドなキャラに方向転換したんだろう。

とりあえず、安全ならよかったと納得しておく。

はた、と護衛の存在を思い出して、そちらの方向を見遣る。木香茨が生垣のように視界を阻んで、この位置からだと護衛の人たちの姿が見えなかった。ということは、相手からも同様だろう。なら、ニコ姐の寝起きの行動を咎められることはない。

私は胸を撫で下ろす。私は腐っても王女だ。接するには色々と面倒くさい相手で、ニコ姐のオネエキャラでも周囲を誤魔化しきれない。それが解っているから、これまで彼は私には挨拶だけで済ませていたんだろう。


「レオが心配できたの? ほんと兄バカねぇ」


私の学園来訪の理由を見透かして、ニコ姐は呆れているとも可笑しそうにもとれる笑みで笑う。私がロイ兄様好きなのは、公然の事実みたいだ。

これまで公に出たのは、自分と兄様たちの誕生日パーティーのときだけ。デビュタント前で夕方のうちに終わるパーティーにしか参加できなかった。その数えるほどのパーティーで毎回兄様たちにべったりだったら普通にバレるよね。

高い位置で結わえられた髪、自分好みのデザインにしつつ動きやすさを重視してカスタムされた制服、仕草は優美だけど手は完全に男性と判るそれ。

君星のニコ姐と全然違う。君星では、お姉さんと同じ緩く一つに編んだ髪を肩に下げて、シルエットが女性らしく見えるようにカスタムされた制服だった。爪も長くて、男性なのに手入れされた綺麗な手だと描写されていた。


「あの、ニコラウス様は……」


「ニコちゃんよ」


「へ?」


「ニ・コ・ちゃ・ん」


「ニコちゃん、様?」


よく判らない威圧に負けて、言われたままの呼び方に変えると、よろしい、と微笑まれた。可愛く響くはずの略称なのに、彼に使うと彼という強い存在が固定されてなんだか敵わない気になった。

ニコちゃんのキャラに圧倒されかけたけど、訊かないといけないことがある。


「あの……、ニコちゃん様、大丈夫、ですか?」


「は?」


私としてはずっと心配だったことだけど、ニコちゃんからしたら唐突に謎の質問されて意味不明だろう。いきなり心配そうに訊いてくる女って不審者すぎないか。

不審者と誤解されないように、彼が納得のいく説明をしなければ、と私は覚悟を決める。


「突然、ごめんなさいっ。あの、気味が悪いかもしれないんですけど、私、魔力の関係で心の声が聴こえる体質で、千里眼も使えたりするので、その……ニコちゃん様の事情を少し知ってまして……」


どうしよう。言ってみたら、カルト宗教の勧誘をする女みたい。貴方のこと知ってます、とかほぼ初対面で言う科白セリフじゃないな。


「事情って?」


「えと、お姉様のヘロイーゼ様が以前呪われていらっしゃったことや、この学園の教師にお兄様がいらっしゃること、とか……」


「そう」


光と風の二属性って規格外なことができるのね、とニコちゃんは意外とすんなり私の説明を信じてくれた。光属性自体がレアだから、他の属性と二属性になったときの相乗効果って既存の文献にも記録がなくって、ロイ兄様も私も複合魔法に関しては全部試行錯誤なんだよね。

とりあえず、前世の記憶ゲームで知っています、と言うよりは信憑性しんぴょうせいがあってよかった。


「私、知っていたのに、何もできなくて……、ごめんなさい」


ずっと謝りたかった。ロイ兄様がヘロイーゼ様の呪いを解かなかったら、私ではどうしようもなく、ゲーム通りだから仕方がないと諦めて放置するしかできなかった。実際に、テレパスっぽい能力と千里眼で気付いたことだったとしても、王族が特定の貴族に肩入れはできない。この能力で何かを知っても感情移入して同情だけで動いてはいけない、と父様に厳命されている。

隠れ攻略キャラだったハーゲン先生は、バッドエンドだと闇落ちして異母弟のニコ姐が呪われてしまう。亡くなった母の妄執に取り憑かれていて、教師として公平に接しようとしながらも異母弟への憎しみと葛藤していた。二周目以降に攻略ができるようになって、攻略してはじめてその事実を知る。

確か、母を捨てたルードルシュタット伯爵への復讐でヘロイーゼ様の呪いを跡取りであるニコ姐に移す。ヒロインが説得して、彼を母の妄執から解放しない限り、姉想いのニコ姐はハーゲン先生の甘言に乗り、姉を目覚めさせるため呪いを受け入れるのだ。ニコ姐ルートにいっても、ハーゲン先生ルートにいっても、ルードルシュタット家はバッドエンドが悲劇すぎる。

ハーゲン先生に関しては、私が生まれる前からのことでどうしようもなかった。他人様ひとさまのお家事情だから、勝手に調べることもできなくて、彼だけはゲーム通りの人生を送ってきたのではとどきどきしている。


ん? というか、ニコ姐はハーゲン先生が異母兄だって知らないままじゃなかったっけ??


ハーゲン先生のハッピーエンドにならない限り、ニコ姐が自分の異母兄の存在を知ることはなかったはずだ。今、正にニコちゃんが知らない真実をバラしてしまったことに気が付いて、私は愕然とする。


え。どうしよう、どうしよう。ショック? ショックだよね!? 私のバカー!


ウチ問題コトだから、謝る必要なんてないわ。むしろ、家の醜聞しゅうぶんを黙ってくれていたのね。ありがとう」


「ほぇ?」


ニコちゃんに微笑んで感謝を言われて、狼狽えていた私は状況が理解できない。何で、お礼を言われたんだろう。


「あのひとのことは……、兄と呼ぶことはないけど、まぁ、クソ親父に面倒かけられて同情はしてるわ」


「知って……、仲良し……?」


「ただの生徒と教師よ」


私の知らないところで、ニコちゃんは真実を知っていたらしい。しかも、ルードルシュタット家内で話が済んでいるっぽい。もうハーゲン先生闇落ちしない?


「本当に、大丈夫ですか? ニコちゃん様、悲しいことない? 幸せ?」


藤色の瞳が見開いて、おろおろしている私が映る。


「大丈夫よ。昼寝するぐらいにね」


藤色の瞳が細められ、映った私ごと心配が掻き消された。

よかった。安堵と喜びに胸が満ちる。歓喜で頬が熱くなり、涙がこみ上げそうだ。戻ったときに護衛の人たちが心配するから泣かないけど。

私が身のうちから溢れる喜びに打ち震えていると、ニコちゃんに吹き出された。


「っふふ、アンタ可愛いわね。レオに似なくてよかったわ」


可笑しそうに笑うニコちゃんの言葉に、衝撃を受ける。

似ていないと褒められたのは初めてだ。

いつもは似ていると褒められる。似ていないと言ってもらったことはあるけど、そのときは別に褒められていない。区別されただけだ。


「気味悪く、ないんですか……?」


「どうして?」


「私、心の声が聴こえるって……」


この能力を知ったうえで私を可愛いなんて言ってくれる人は、家族だけだと思っていた。普通気味悪がって距離を取らないだろうか。なのに、ニコちゃんは能力を知ったあとも、一歩下がって距離を取ったりはしない。


他人ヒトの心読むぐらい、アタシもできるもの」


「え!?」


同等のことができると返されて、私は驚く。


「顔色を読む技術を磨いている人間なんて、貴族の世界じゃ腐るほどいるわよ。相手の考えが聴こえるのと大差ないわ。我が身を守るのに必要だから、あってよかったじゃない」


技術を身に着ける必要があるほど、負の感情に晒された可能性もあるけど、この能力を自己防衛本能から得た初期装備スキルだと断じるニコちゃんは格好いい。取得するのが後か先かだけの違いで必要なスキルだという考えは初めてだ。この能力が嫌いだったけど、これからは自然なものだと受け入れられそうだ。

凄いな、この人。私は、ニコラウス・フォン・ルードルシュタットという人を、今日知った。


「ぷっ、アンタ、顔に出すぎよ」


陛下が隠すのも無理はない、と可笑しそうに私の頬をつまんで、指摘する。そういえば、ロイ兄様たちにも考えていることが言う前からバレていたことがよくあった。表情筋の使い方を覚えるまでは、交渉の場には参加しないようにしよう。


これからも、こんな風に話したいなぁ……


偶然、誰もいないから彼は気安く話してくれている。けど、この場を離れたら、きっと次に会うときはまた挨拶だけの関係に逆戻りだ。私は、これからも、を作るために考える。


「……ニコちゃん様は、女性にモテるでしょうに、どうして婚約者がいないんですか?」


「何? 急に」


「どうしてですか?」


じっと見上げると、真面目に訊いているのが伝わったようで、ニコちゃんは答えてくれる。


「アタシより美しくないからよ」


なんとも難易度が高い回答だった。


「美人が好きなんですか……?」


「自分を卑下する女が嫌いなのよ。女には美醜って大事なこと多いでしょ? アタシは母様ゆずりで美人だから、一緒にいればアタシと比べ続けることになるわ。化粧してでも、アタシを超えようとするぐらいじゃないと、相手が辛いでしょうね」


彼に言い寄る女性は、絶対彼の美貌に釣られている。だから、美意識が強い人間だ。そんな女性が歳をとったとき、隣にいる夫が自分より綺麗だったらへこむどころではないかもしれない。

きっとフラれた女性はショックで、まさか自分のために言われた言葉だとは思わないだろうな。あえて切れ味のよい言い方を選ぶ彼の優しさを知っている人は限られてそうだ。


「では、私はいかがですか?」


「は?」


「系統は違いますが、ニコちゃん様と張れるぐらいの美少女だと思います。しかも、天然モノです。それに侍女たちが磨きをかけてくれているので、今後の美容維持体制も万全です。王族だというのはちょっと重いかもしれませんが、けど……」


ぐっとこぶしを握って、私は宣言する。


「ニコちゃん様が美人なお爺ちゃんになったとき、私はすごく可愛いお婆ちゃんになっている自信があります!」


今を逃してはいけないと本能が訴えるままに、必死に自分をプレゼンした。

行動が制限されている私は、得た機会を逃すと次がある保証がどこにもない。今日話して、直感した。たぶん、この人の傍にいれば私は自分を好きでいられる。


「すごい自信……っ」


そう言って、ニコちゃんは大爆笑した。ものすごく可笑しそうだ。

いや、だって、事実じゃないか。ニコちゃんが自分を美人だと認識してるように、私だって前世の記憶があるから自分がどれだけ美形の部類にいるか冷静に自覚している。余程のことがない限り、私もニコちゃんも美貌は崩れない。今、大口を開けて笑っていてもニコちゃんは美人さんである。


「変な奴」


落ち着き始めた笑いを噛み殺しつつ呟かれた声音は、オネエじゃなかった。彼に、真剣な告白だと伝わっていた。


「ま、オレも他人のこと言えねぇか。考えとく」


「ほっ、ほんとですか!?」


「なんだ、断ってほしかったのか?」


全力で首を横に振って否定すると、また可笑しそうに笑われた。

そういえば、思ったより騒いでしまったのに護衛の人たちに気付かれていない。不思議に思っていると、ニコちゃんが忘れていた、と呟いて雨降りの木の周囲に張っていた防音の結界を解いた。静かに寝るために張っていたらしい。

結界を解いたということは、私にもう戻れということか。中庭をゆっくり一周していたにしても、流石にそろそろ戻らないと護衛の人たちも心配するだろう。


「あのっ、機会を作るので、またお話ししてくれますか?」


「ええ。期待しないで待ってるわ」


そこは嘘でも期待していると言ってほしい。けど、容赦がないからこそ、私もやる気になる。


「絶対作りますから!」


そう言い張って去る私を、ひらひらと手を振ってニコちゃんは見送る。

ふふふ、ニコちゃんは私の複合魔法の威力を知らないからあんなに余裕ぶってるんだ。ロイ兄様に協力してもらって、ニコちゃんを驚かせてやる。ニコちゃんは熊好きだろうか。それとも、兎や猫の方がいいかな。

護衛の人たちと合流し、帰路にきながらこれからのことを画策してわくわくした。まずはロイ兄様に報告だ。


自分の幸せを考えられる相手を見つけました、と。


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