61.報告



「あ。俺、結婚できないかも」


ふと、夕食時に報告しておこうと思って言ったら、親父の食事の手が一瞬止まり、母さんがきょとんと眼を丸くした。


「どうして?」


「たぶん、これ以上心臓びっくりするコもういないだろうから」


そんな気がする。お嬢以外に誰かを好きにならないなら、きっと俺はこの先結婚できない。既に婚約者がいる女子を好きになった経験なんて、前世にもないから自覚したからといって何ができるでもなかった。


「そう」


俺の報告に、母さんは驚いた様子もなくただ頷いた。親父は食事を続けている。


「いいの?」


親って子供に孫の顔を見せてもらいたいものじゃないんだろうか。前世のお袋はそのタイプだったから、太一のときに彼女ができないのをかなり残念がられた。妹の夕歌ゆうかが現実にいい男がいないと断言するから、余計に太一への期待が大きかった気がする。

だから、母さんも絶望まではいかないまでも、残念がると思っていた。俺が不思議がっていると、母さんは微笑んだ。


「子供は授かりものだから、そういうこともあるわ」


「庭師が継ぐのは技術だ」


母さんにとって孫の顔は見れたらラッキーぐらいの感覚らしい。親父は咀嚼そしゃくを終えたタイミングで、ぼそりと庭師業にも問題がないと呟いた。バウムゲルトナー家は庭師として続けばよく、そこに血を繋ぐ必要性はないと親父は考えているらしい。


「それに、ザクは後悔しないんでしょう?」


「うん」


自分の選択に責任が持てるかと確認されたから、確かに頷いた。お嬢を好きでいることを止める方が後悔する。この先一生独身の可能性に絶望はしていない。

母さんは俺の答えを確認すると、可笑しそうに笑った。


「やっぱりデニスに似てる……っ」


「……リエだろ」


込み上げる笑いを抑えられない母さんを見て、親父は渋面になる。俺には二人の主張のどちらも解らなかった。何を根拠に似ていると思われたのだろう。というか、俺は二人の子供だから、どっちに似ていたって可笑しい話じゃないはずだが。

その日の夕食は母さんの笑い声がよく響いた。

その夜、クマ電話でエルナに連絡すると、繋がって早々叫ばれた。


『どーゆーことよー!』


「何がだよ」


俺が耳を押さえながら、文句を言うように訊き返すと、エルナはわめいた。


『どうしてライバルキャラと仲良くなってるのよー!?』


「は? お前とお嬢のコトか?」


『違うっ、ベルくん!』


キャラというから、恐らく君星関係のことだろう。俺を責めたいというより、君星関連で感じた鬱憤うっぷんを吐き出せる相手が俺しかいないから、今喚いている。けど、ライバルというから、今さらライバル令嬢らしいお嬢とサポートキャラらしいエルナが仲良い点を問題視したのかと思ったら、そうじゃなかったらしい。


「ベル?」


赤髪魔法オタクのベルが一体どうしたんだ。俺が知っている限りだと、いつも通り魔法のことを嬉々として話しているだけで、通常営業だ。

俺に君星知識がほぼないことはエルナも承知しているので、エルナの謂わんとするライバルについて説明される。


『ベルくんとレミアスのライバルは共通なの。ヒロインがどっちのルートに行くかで、嫉妬の向く対象が変わるんだけど……』


「そのライバルとベルが仲いいと」


俺が後に続くであろう言葉を先取ると、エルナは頷いた。敵対するはずの相手と既に親しくなっているなら、ライバルになりようもない。


「よく分かんねぇけど、そのライバルはヒロインを好きになるのか?」


お嬢も恋敵としてヒロインのライバルになるから、同様かと思ったらエルナの答えは否だった。


『ううん、同じ侯爵家家格で魔力の強いベルくんたちを勝手に目の敵にしているの。魔力量が多いことでロイ兄様たち王族にも目をかけられるから、ヒロインも嫌われているし』


どうやら優秀な奴を妬む典型的劣等生らしい。それならどちらにいつ敵意が向いても奇怪おかしくないだろう。きっときっかけさえあればいい。そのきっかけになるのがヒロインということか。


『ベルくんやレミアスがライバルのことなんて歯牙にもかけないから、学園で妬みが爆発する予定だったんだけどなぁ』


「そんな心配ないぐらい仲いいのか」


『うん。仲良くケンカしてる』


それは仲いいのか、と俺は固まる。

だが、エルナ曰く、嫌味を言ってくるタイプのライバルキャラだったから、本人に直接文句を言っているなんてゲーム通りだとあり得ないらしい。またエルナと一緒に様子を眺めていたレオが、方向性の違いによる議論だから問題ないと言ったから、エルナは大丈夫だと判断したらしい。

魔法陣についての話題だったらしいから、ベルが熱くなるのも頷けた。きっと種類は違うが、ベルとレミアスの口論と似たりよったりな感じだろう。


「んで、何が不満なんだ?」


『違うのーっ、私だってよかったと思ってるもん! けど、また知らないうちにロイ兄様が解決しちゃうからーっ』


推しを支援できないのが辛いのだと、エルナは悲痛な声をあげた。こいつの兄バカは一生治らないんじゃないかと思う。


「レオの結婚相手は、お嬢みたいにお前に認めてもらわないと難しそうだな」


このまま順当にいけばそうなるだろうから、エルナが納得できる結果になるだろう。俺からすると、お嬢がレオをそういう意味で好きじゃないと言ったことが気がかりなぐらいだ。あれから随分経ったが、まだ友達としてしか見れないんだろうか。それだと、お嬢が辛くないか。


『そ、そりゃ、お姉様が本当のお姉様になったら嬉しい、けど……』


二つ返事で頷くと思ったら、エルナは言葉をにごした。それを不思議に思い、首を傾げるとクマ電話からごにょごにょと呟きが聴こえた。


『でも、イザークがお姉様を好きだったら……』


「好きだけど、それがどうした」


『………………は!?』


理解するためにたっぷり間をとって、エルナは素っ頓狂とんきょうな声をあげた。


『え、ちょ……、意味分かって言ってる!? 恋愛的な意味でよ!?』


「分かってるっての」


『じゃあ、なんでそんなあっさりなの!?』


不可解でしかない、とエルナに疑問視されるが、俺の方が疑問だ。何がそんなに変なのか。


「お嬢、モテるだろ」


『え。うん、そうね』


俺が言うと、男女ともにお嬢がモテているのをパーティーなどで眼にしているんだろうエルナは、当然の事実に首肯した。


「なら、俺が好きにならない方がおかしいだろ」


『うん??』


「お嬢が俺にもモテているだけ」


お嬢は見た目も中身も可愛くて、年々綺麗になっていく、不特定多数の貴族の令息が王子の婚約者と知っていても恋焦がれるのは普通のことだ。そして、エルンスト家の使用人として、そんなお嬢を近くで見ていた俺も例に漏れなかっただけのこと。不特定多数の俺がお嬢に惚れない方が変な話だ。

クマ電話の向こうがしばらく沈黙したかと思ったら、とてつもなく長い溜め息が吐かれた。


『合ってるけどちがーう!!』


その夜、エルナの絶叫が俺の部屋にだけ響き渡った。

レオがクマ電話にした防音仕様のアップデートはいらない、と思ったが、このときばかりは必要性をとみに感じた。声が漏れていたら、近所迷惑甚だしい。



数日後、雪が今年初めて積もった。

積雪量は十五~二十センチぐらいだろうか。いつもなら正門側の雪掻きを最優先でするが、今日だけは勝手が違った。

俺とヤンは雪掻きの装備をして、正面玄関の前で待機する。程なくして、正面玄関のドアが開いた。


「こんにちは、イザーク兄様、ヤンさん」


ドアからひょっこりと顔を出したのはフローラだった。防寒のためにコートと手袋をちゃんとしている。俺とヤンは挨拶を返し、そのうえで確認する。


「フローラ、準備はできたか?」


「うん、ほらっ」


そう言って、フローラは自分の足下を指す。膝下ひざした五センチぐらいのスカートから伸びた足には、厚手の温かそうなブーツが装備されていた。外側が革製である程度の防水効果が期待できる。


「大丈夫そうだな。いいぞ」


俺が問題ないと許可を出すと、フローラははしゃいで跳ね、雪掻きをしていない新雪のうえにぴょんと着地した。それから、雪の感触を足裏で確認しながら、一歩二歩と歩いていく。そうして付いた足跡を振り返っては確認して、楽しそうに笑う。


「本当に仕事の邪魔をしていませんの?」


心配そうにお嬢が俺に訊く。フローラの付き添いで外に出るから、お嬢もコートと手袋をしっかり装備していた。


「全然。俺も気持ち分かるし」


前からフローラに雪が積もったら教えてほしいと頼まれていた。誰も手をつけてないまっさらな雪のうえを好きに足跡をつけてまわってみたい、と。だから、俺はちゃんと雪のなかを歩いても大丈夫な靴を履くことを条件に了承し、親父に雪掻き開始までの猶予をもらった。

俺が雨や雪の気配を察知できるから、翌日に降りそうだと教えるとフローラが眼を輝かせ、翌日になってみると雨だったり、積もらなかったりで残念がらせてしまうというやり取りを二度繰り返し、今日は三度目の正直だった。こういうとき、雪かどうかまで判らない俺の能力の至らなさが申し訳なくなる。

雪のうえを楽しそうに跳ねたり歩いたりしているフローラを見て、雪が積もってよかったと思う。もふもふしたファーが付いた白いコートを着て、桃色ももいろの瞳のフローラが跳ねていると少し兎みたいだ。

思わず、ふっと笑みが零れる。


「そういえば、お嬢はいいのか?」


「へ……!?」


一緒に遊ばないのかと、お嬢の方を見ると、お嬢はもうこちらを見ていた。だから、ばちりと視線が合う。俺が振り向くと思わなかったのか、お嬢は淡い青の瞳を見開いて一瞬固まる。そして、すぐ再起動して勢いよく視線を逸らされた。


「え、ええ。雪ではしゃぐ歳でもありませんし……」


「でも、お嬢も同じブーツ履いてるじゃん」


「こ……これは、フローラがお揃いがいいと言うからで……っ、それにフローラが転んだりしたときにすぐに駆けつけないといけませんもの」


同じ防寒と防水に優れた革ブーツを履いていることを指摘すると、お嬢はそんなつもりじゃないと主張した。確かにコートも淡い水色みずいろで色違いなことを除けば同じデザインだ。淡い金色の髪も相まって、雪の精霊がいたらこんな感じかもしれないと思う。


「雪の精霊っているのかな」


「いきなりなんですの?」


湧いた疑問を唐突に呟いたものだから、お嬢が怪訝に訊き返した。


「いや、お嬢を見てたらそう思って」


「な……っ!?」


端的に理由を説明すると、お嬢は頬を染めて言葉を詰まらせた。いたとしたら冷たい印象の精霊だから、気を悪くしたんだろうか。綺麗そうだという意味だったんだけど。


「おねーさまー、イザークにーさまー、見てー」


補足説明をしようかと思っていたところに、フローラから声がかかる。フローラの指差す辺りを見ると、ハート型の足跡ができていた。


「かわいーでしょーっ」


「ええ」


「そうだな」


曲線になるところをほぼシンメトリーにできているから、フローラは器用だと思う。シンプルな図形を大きく描くのは存外難しい。

うまくできた、と主張するフローラに俺たちが同意すると、すごく嬉しそうにはにかんだ。フローラの笑顔につられて、俺もお嬢も表情が緩む。

隣のお嬢を見遣ると、優しげに微笑んでいた。本当に妹が可愛くて仕方がないのだとよく判る。


「……っな、なんですの?」


俺の視線に気付いたお嬢が、少し睨むように見上げてくる。


「いい姉ちゃんだなぁ、と思って」


じっとして見守るのは寒いだけだろうに、それでも妹が怪我をしないか心配して付き添うあたり、お嬢も結構シスコンかもしれない。喜ぶ妹の姿を見て、寒さを帳消しにできるんだ。フローラはいい姉貴を持った。

あと、身長差のせいなのは判っているけど見上げるお嬢は可愛い。

つい表情が緩む。すると、何故かお嬢の顔がぼっと火が点いたように真っ赤になった。


「~~っそ、その顔を止めなさい!」


「どのカオ??」


叱られたが、一体俺はどんな表情カオをしていたんだろう。お嬢を可愛いと思うのは割といつものことだから、いつも通りだと思うが。自分の頬を摘まんでみたけど、よく判らなかった。


「だから、え……っと、そのだらしのない顔です……!!」


弱りながらしどろもどろにお嬢は指摘した。俺はそんなに締りのない表情カオをしていたのか。お嬢が好きだと気付いたところで何が変わるでもないと思っていたけど、改めてお嬢が可愛いと実感することが多くなった気がする。それが思ったより顔に出ていたらしい。


「気を付ける」


師匠こと執事のハインツさんに表情に気合を入れる方法は教えてもらったし、頑張れば多少抑えられるだろう。お嬢にキモがられたら嫌だし。

そうしてくださいな、とお嬢はつんとそっぽを向く。その様子が少しライバル令嬢っぽいなと思った。それで、ふと気になる。


お嬢もでかくなるのかな……


確か君星のライバル令嬢は、制服姿でも判るぐらいに胸がでかかった。お嬢の外見というか成長具合は、君星と似るものなんだろうか。考えつつ、視線をお嬢の首の下へと下げる。コートを着ていることもあって、膨らみ具合は判らない。


「どうしましたの?」


お嬢が黙り込んだ俺を心配して見上げてくる。


「……なんか、ごめん」


「何がですの??」


俺の視線の先に気付かず、真っ直ぐに見つめてくるお嬢を見て、罪悪感が湧いた。だから、素直に謝っておく。そういうことが気になる時点で、下心がある証拠だ。自覚するとやっぱり普通に興味が湧くらしい。


「お姉様も一緒に歩こう」


一旦戻ってきたフローラが、お嬢の腕に抱き着いた。雪遊びに誘われ、お嬢は戸惑う。


「わたくしは……」


「お姉様の分、残しておいたのに?」


妹の切なそうな眼差しを受けて、お嬢は出かかった断りの言葉を飲み込んだ。そして、数秒の逡巡のあと、出てきた言葉は当初と逆のものだった。


「わかりましたわ」


「お姉様のこっち!」


お嬢が頷いたのを確認して、フローラの表情カオは喜色に満ちる。そして、お嬢の手を引いて、まだ足跡をつけていないあたりまで案内する。ついていくお嬢は少しはにかんでいて、嫌そうではなかった。

そんな姉妹の様子を微笑ましく感じて、もうしばらくだけ雪掻きを待つことにする。


「イザークさんも男の子なんですねー」


不意に、そんなことを言われる。声の方を向くと、コートとマフラーでもこもこのポメがいた。上着の重ね具合からして、どうやらかなりの寒がりらしい。


「お嬢には、黙っててくれると助かる」


「しょーがないですねー」


面白そうだから、とポメは了承してくれた。笑っている目元が更に楽しげに細められる。これはあとでクッキーか何か渡した方がいいかもしれない。

視線をお嬢たちの方へ戻すと、お嬢が恐る恐ると雪を踏みしめているところだった。数歩歩いて、振り返ったところに足跡が綺麗に残っていることを確認して、瞳が輝く。こんなお嬢を見れるのは俺がこの家の庭師見習いだからだ。改めて自分の役得具合を実感する。

妹のフローラと笑い合うのを見て、あと少し、と雪掻きを先延ばしにした。



太陽で溶け始めた雪を、ヤンと二人で掻いているところに師匠がやってきた。お嬢たちはもうお稽古に戻っている。だから、お嬢たちを呼びにきたなら奇怪しい。

視線が真っ直ぐに俺に向いているから、俺に用なんだろう。


「師匠、どうしたんですか?」


「ジェラルド様より、話があるそうです」


「あ。俺も公爵様に話すことがあるんです」


ちょうどよかった、と俺が喜ぶと、師匠は懐中時計を取り出して都合を確認した。俺は作業が終わる夕方だと助かる旨を伝えると、時計の針に眼を落していた師匠は静かに了承の意を伝えた。きっと公爵様のスケジュールを脳内で確認していたんだろう。


「君から報告がある旨も伝えておきます」


「よろしくお願いします」


去り際に、きちんと俺の要望も伝えると師匠は言ってくれた。俺は、ほっと安堵する。公爵様にどうやって都合つけてもらおうか悩んでいたから、呼び出されて助かった。公爵様からの話が一体何かはさっぱり判らないけど、会う時間を作ってもらえただけで充分だった。

作業が終わったあと、親父に公爵様からの呼び出しを受けていることを報告して、かかる時間によってはヤンと小屋に泊まる旨を伝えた。親父は先に帰り、ヤンには小屋に戻ってもらう。

俺は師匠の案内で邸に入り、ある部屋へ入るようにドアを開けて促される。失礼します、と断りを入れて中に入ると、正面の机に公爵様がいた。いつだったか師匠経由で頼んで都合をつけてもらったときも、この書斎に通されたことを思い出す。


「やあ、イザーク。久しぶりだね」


「お久しぶりです」


公爵様が俺に声をかけにきてくれたのは一ヶ月前だろうか。

エルンスト家の使用人は一ヶ月に一度は公爵様に声をかけてもらうことがある。厨房にも公爵様の方からきて、様子を訊いて激励されたと料理長や厨房の兄ちゃんたちが言っていた。仕事で忙しいだろうに、そういう時間を作ってくれるから、俺たちは公爵様の顔を忘れようがない。

自分の上司が誰か判っているって、結構大事だったりする。少なくとも俺は公爵様が上司だから、この家に仕えれてよかったと思う。

挨拶を交わすと、公爵様は微笑む。


「私の話は少し長くなりそうだから、イザークの話を先に聞こうか」


先に報告するように言われ、俺は姿勢を正して報告する。


「俺、お嬢……リュディア様を好きになりました」


それだけ報告すると、公爵様は瞠目した。

俺が反応を待っていると、公爵様は数度またたいて、こちらを見据えた。


「ディアには?」


「言ってません」


「どうして私に最初に報告したんだい?」


「公爵様がお嬢を大事にしているからです」


俺はお嬢を好きなままでいたい。けど、それは俺がエルンスト家の使用人でいる以上、公爵様に許可をもらわないと続けられないことだ。自分の娘に下心を持った使用人を抱えているなんて、公爵様にとって不利益でしかないだろう。

公爵様の眼がすがめられる。


「私がどんな処分を下すとしても従うのかい?」


「はい。叶うならずっとエルンスト家に仕えていたいですけど、覚悟はしています」


庭師は他の家に仕えても目指せる。庭師ギルドに行けば、他の就職先を斡旋してもらえるだろう。幸い、今は俺だけじゃなくヤンもバウムゲルトナー家の弟子だから跡継ぎには困らない。親父も技術を継げればいいと言っていた。だから、俺はこの想いを貫く覚悟ができた。

長いような、短いような沈黙が下りる。

俺はじっと公爵様の沙汰さたを待った。


「……っぷ、ははは!」


裁判の判決を待つような心地だった俺は、すぐに状況が飲み込めなかった。眼の前の光景を確認して、耳に届いた音が何の音か考え、ようやく気付く。公爵様が笑っている。しかも、爆笑。


「こ……公爵様?」


一体どうしたのか、と俺が声をかけると、公爵様は拳で笑みを押さえつつ言う。


「いや、まさか、わざわざ申告してくるとは思わなくて……っ」


潔すぎる、と公爵様は可笑しそうに笑った。

いや、だって、絶対バレることだ。駄目元で許可申請するしか道はないだろう。黙っている方が怒られそうだ。

そうだ。お嬢を溺愛している公爵様だから、知ったら怒ると思っていた。なのに、何故か笑っている。


「あの、怒らないんですか……?」


「想いは人に言われて消せるものではないよ。だから、イザークも私に報告したんだろう」


「そう、ですけど」


こちらの意向を汲み取ってくれるのはありがたいけど、俺には公爵様がどう感じているのかがさっぱり判らない。


「俺、悪い虫じゃないんですか?」


「悪い虫の自覚があるのかい?」


「下心あるんで」


公爵様にとっての害虫じゃないのか、と確認したら、公爵様はまた吹き出して笑った。一体何がツボだったんだ。

ひとしきり笑って、公爵様は言う。


「我が家の者たちは、ディアの魅力を十二分に理解している。その理解の仕方が、イザークの場合は恋だっただけのことだ」


言葉の意味をどう受け取ったらいいか、数秒悩んで、俺は訊く。


「……俺、お嬢を好きなまま、ここで働いていいんですか?」


それは願ってもないことで、すごく俺に都合がいい話だ。


「ああ」


なのに、公爵様はいつもの華やかな微笑みを浮かべて肯定してくれた。まだエルンスト家の庭造りに携われることに安堵した。これからもお嬢の笑顔が見れることが、とても嬉しい。


「ありがとうございます」


安堵と喜びでいっぱいになり、俺がはにかむと、公爵様はさらっと言う。


「イザークは、本当にディアが好きなんだね」


何故だろう。自分で申告したときより余程恥ずかしいんだが。公爵様から向けられる優しい眼差しが、とても居た堪れない。思わず頬が熱を帯びた。


「さて、私の話だが」


「あっ、はい」


公爵様の感想に動揺している場合じゃないと、俺は気を引き締めて耳を傾ける。


「イザークは私がどんな仕事をしているか知っているかい?」


「えーと、忙しくて大変そうだなぁとしか……」


確か、三省長とかいう立場だと、師匠の従者特訓のときに教えてもらった。どの省かとかまではもう覚えていない。だから、具体的に何をしているのかも解らない。バカ正直に答えたせいか、後ろで控えている師匠の視線が痛い気がした。頭が悪くてすみません。


「まぁ、複数の省の橋渡し役なんだが、それぞれの省で必要なのが人材確保でね。そのため、私の管轄には教育機関も含まれる」


「はぁ」


そう頷くしかできない。前世の日本だと教育に関わるのは文部科学省だっけ。そういう感じのところの偉い人が公爵様らしい、ということしか解らない。


「つまり、イザークの魔力測定の結果も私に報告がくるんだよ」


「へ?」


そういえば、神父様が魔術省に報告してからまだ結果を教えてもらっていない。気長に待っていたけど、まさか公爵様にまで情報がいくとは思っていなかった。


「俺、合格してますか?」


学園に通えるか、不安と期待を込めて訊くと、公爵様は答えずに微笑むだけだった。


「その前に、私の方の事情を説明しておこう。イザークは魔力量が遺伝しない学説は知っているかい?」


「はい。だから、庶民には魔力測定は運試しです」


「けどね、学費免除などの奨励施策をとっても、一定量を超える魔力を持つ平民は、なかなか見つからないのが現状なんだ。属性に関係なく魔力測定ができるように新しい試験法を開発していたり、改善は図っているんだが……」


そう言って、公爵様は嘆息する。

確かに、庶民には最初から自分に大した魔力はないと諦めて測定を受けない奴もいる。というか、俺もお嬢と会わなかったら受けていなかったかもしれない。

測定用の羊皮紙が一種類になるならそれは教会側が助かるだろう。保管する数も減るし、在庫管理も楽になる。手間が一つ減るだけで、結構プラスに働くことは多い。


「逆に、貴族の平均魔力量が少しずつだが下がっていてね……、実はそれに合わせて年度ごとに合格値を下げているんだよ」


トビみたいに魔力がない奴もいるんだ。遺伝しないなら魔力量の平均をとっていったときに、下がっていくのも奇怪しな話じゃない。というか、そんな地道なことをしていたなんて、公爵様の仕事って大変だなぁ。


「だから、イザークも合格値に届いているよ」


「え」


どうやら年々値が下がっていたおかげで、俺の魔力量がぎりぎり合格値に足りていたらしい。


「ほんと、ですか?」


「ああ」


合格していると聞いて、俺の表情は輝いた。喜ばないはずがない。魔法の勉強ができる。それに、一年だけだけどお嬢と身分に関係なく一緒にいれるんだ。きっととても大事な時間になるはずだ。


「それにしても、ヴィアから風属性も使えるとは聞いていたが、まさか全属性を使おうと試みていたとはね」


俺が喜んでいると、おもむろに何かの書類を一枚取り出して公爵様が眺める。もしかすると、俺の魔力測定結果の報告書かもしれない。


「駄目でしたか?」


「いや? 私たち貴族が見落としていた観点に気付く、よい機会だと思うよ」


けれど、と公爵様は続ける。


「それは、私一個人の感想だ」


公爵様は、暗に庶民の俺が複数の属性を使うと悪目立ちすると伝えていた。世間が、大半の貴族が、公爵様みたいに肯定的に俺の存在を認めてくれる訳じゃない。


「私の下す処分に従うと言ったね」


急に公爵様の微笑みに圧を感じた。これからの発言は、お嬢の父親としてじゃなく、三省長としての発言だと判る。


「はい」


一瞬で緊迫した空気に、多少の息苦しさを覚えながら、俺は首肯した。


「エルンスト家にこれからも仕えることを許可する代わりに、一つ、条件がある」


「何ですか……?」


俺が恐る恐る訊ねると、俺とは対照的に華やかに公爵様は微笑んだ。


「イザークの魔力測定をなかったことにしたい」


「は?」


提示された条件に、俺は呆気にとられるしかなかった。

このとき、公爵様が楽しげに笑っていた理由を、俺は随分あとになって知ることになる――


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