60.向日葵



こんなにままならないものだったとは。

リュディアは、初めての感情にほとほと困り果てていた。正確には元々持っていた想いを自覚したことにより、庭師見習いの少年を意識しすぎて、うまく心が落ち着かないことが増えた。

彼を前にすると、ただただ心臓に悪く、ひたすらに疲れる。

なら、会わなければいいだけの話。業務範囲が庭のため、庭師見習いの少年は邸には入ってこない。自身が庭へ足を運ばなければ、心穏やかに過ごせる。

そう頭では思うのだが、足は庭へと向く。直視できず、護衛のエミーリアたちを壁に使ってしまうというのに。

考えなければならないことがあるとは解っているが、まずは彼に対峙しても平静を保てるようにならなければ。話はそれからだ。


「ロイ様のおっしゃる事態になりましたわ」


「僕は何か言ったかな?」


両肘をつき、組んだ手に額を当て憔悴しょうすい状態のリュディアの言葉に、穏やかに微笑みながらロイは首を傾げた。

婚約者との面会で、ぐったりしている自身の様子に言及してこないあたり、ロイは既に見当が付いているのではないか、とリュディアは感じた。そう思いながらも、ゆったりと紅茶を飲むロイに報告する。


「……ロイ様には相談できないことができました」


婚約するときに、お互いに恋愛感情を持てないことを確認している。また、想う相手ができたら報告するように、とも約束をした。そして、互いが友人と認めている。

だからといって、婚約者であるロイに対して気安く恋愛相談などできない。婚約者云々以前に、男性相手にそういった相談することがとても躊躇ためらわれた。トルデリーゼたち同性の友人に話すのも照れるというのに、異性のロイになど恥ずかしすぎて話せる訳がなかった。

恥ずかしいのだろう、可能な限り伏せた表現をするリュディアに、ロイは微笑ましさを感じた。


「そうか」


やはり自分では駄目だったか、と残念そうな素振りなくロイは笑みを零す。友人としてリュディアの性格を知っているため、自分を相談相手に選ぶとは到底思えなかった。


「では、どうしようか」


「そのことなのですが……」


今後をどうするか、という話題を提示すると、リュディアが申し訳なさそうに眉を下げた。


「しばらく、待っていただけませんか? その……、まだ冷静に考えられませんの」


恥じ入ってどんどん声をしぼませるリュディアに、ロイは小さく吹き出した。そして、可笑しげにくつくつと喉を鳴らす。感情を持て余して戸惑う様子のなんと愛らしいことか。

ロイの笑みがなかなか収まらないものだから、リュディアはむう、と剥れる。すまない、とロイは怒らせたことを詫びた。


「僕はいつでも構わないよ」


「はい。ちゃんとロイ様と話し合いたいですもの」


ロイが了承すると、リュディアは真っ直ぐな眼差しで頷いた。その瞳を受け、ロイは蜂蜜色はちみついろの瞳を見開く。気持ちが落ち着いてから話したいだけかと思ったが、自分と納得のゆく形を模索したいという意思が感じられた。


「リュディア嬢は、いささか損な性分だな」


ロイは蜂蜜色の瞳を溶かすように微笑んだ。

こんなときぐらい自身の願望を優先すればいいだろうに。少なくとも、ロイは自身の願望のために彼女を巻き込んだ自覚がある。彼女はもっと我儘に振る舞ってもいいのではないだろうか。

自分は受け入れる覚悟はできていたし、いくらでも手配するつもりだった。なのに、リュディアは話し合おうという。

何が損なのかと首を傾げるリュディアに、ロイは眼を細める。


「君は、落ちてもおぼれはしないのか」


恋慕で儘ならない状況にあっても、公爵令嬢の立場を忘れることなく、自分との契約をないがしろにしない。ロイは、自身への恋情に溺れ、なりふり構わなくなった令嬢をいくらか見てきた。ある程度の盲目を許容する心づもりだったが、婚約者の瞳には曇りはなかった。

尊敬すべき友人だ、とロイは感じ入った。


「待っているよ」


微笑んでロイは告げる。

彼女の答えを聞くだけでなく、二人で話し合える日が、ロイはなんだか楽しみだった。



ロイと話し合いの約束を交わした後日、約束を反故ほごにしないためにもリュディアは庭へ向かっていた。

夏の日差しは強いので日傘を差して足を運ぶと、梯子はしごを支えて庭師の父親が樹木の剪定せんていするのを手伝う、庭師見習いの少年の姿があった。以前に枝が降ってくるからと注意されたことがあるので、距離をとった場所から声をかける。


「ザク」


「お嬢」


呼ぶと満面の笑みで庭師見習いの少年が振り向いた。

その眩しさに、リュディアは思わず日傘を前方に傾け、視界を塞いだ。

夏の日差しの方が本来は眩しい、彼の笑顔はどちらかというと暖かな陽溜まりのような優しさだ。眩しさだけでいえば、婚約者のロイの方が余程勝る。

解っているが、心臓が激しく脈打ち体温が上がるので、直視できない。だから、これは眩しい、といっても過言ではないだろう。

日傘の位置を変えた理由に気付いていないらしい庭師見習いの少年は、もう少しで作業に区切りがつくから、とリュディアに声をかける。リュディアは日傘ごと縦に頷くことで、彼に了承の意を伝えたのだった。

しばらく待つと落ちた枝を弟弟子でしと集め終わった庭師見習いの少年が、父親たちに断りを入れて、待っていたリュディアのもとにやってきた。


「今日はどうした?」


「っ!?」


「……リュディア様」


話しかけられ、反射的にリュディアは追従してきた護衛のエミーリアの背後に隠れる。

壁にされたエミーリアは、話す気もないのに庭師見習いの少年と対峙させられ、困惑気味に主人の名を呼んだ。恋愛経験がないエミーリアには、主人がなぜこのような凡夫に動揺するのかが理解できない。令嬢の大半の者が動揺する第一王子相手でも、毅然きぜんとしている主人だから余計だ。

何故これに、とエミーリアは疑問しか湧かない。

庭師見習いの少年の方は、リュディアにこのような反応をされるのが初めてではないため、現状を受け入れた。今日は彼女の妹が同伴していないので、伝言役もいない。自身から話しかければいいだけの話だ、と切り替える。


「たしか、もうすぐシーズンオフだろ。その前にヤンの庭、見てやってくれないか」


庭師見習いの少年の提案に、エミーリアという壁から少し顔を出し、リュディアは小さく首肯した。

弟弟子のヤンと交代で自習用の庭を使うようになったので、夏のこの時期はヤンが造る番だ。そのため、陽溜まりの庭に向かうのも、ヤンが一緒にきた。

庭師見習いの少年がヤンと談笑しながら、先導するのにリュディアはついていく。主人に追従するエミーリアは殿しんがりだ。

庭師見習いの少年がいつものように鼻歌を口ずさむので、ヤンがそのことに言及し、彼も実家の農作業でよく歌っていたと明かす。そのままヤンがよく歌っていた歌を庭師見習いの少年が教わることになり、二人で楽しげに口ずさむ。

そんな二人の様子を眺め、リュディアはヤンの同伴に内心感謝する。自分では到着するまで間が持たない。直視が難しい今は、楽しそうに笑う彼を、後ろから見れるぐらいがちょうどよかった。

こちらに向かないので、リュディアは安心して庭師見習いの少年を見つめる。

歌を口ずさむ声は少し低い。まだ低くなるかもしれないというのが、リュディアには不思議だ。それでは、自分が出会った頃の声と別人のものになるのではないか。それでも、穏やかな声の響き方と緊張感のない喋り方は変わらない。

同じ部分と変わった部分が混雑しているのに、彼は彼のままだ。

背も随分伸び、庭仕事で筋肉がついて肩幅もしっかりしている。昔から自分は彼を見上げてばかりだったが、背丈が一つ歳上のヤンとほとんど変わらないので、これから先もずっと見上げることになりそうだ。

喉仏など彼の成長を認識すると、彼を強く意識してしまい、リュディアは心臓が落ち着かなくなる。


「お嬢」


「ひゃっ!? ……っな、なんですの?」


不意に振り向かれ、彼と対峙する準備ができていなかったリュディアは思わず変な声をあげてしまう。すぐさま咳払いをして取り繕ったが、なかったことにできなかったようで庭師見習いの少年は不思議そうな表情をしていた。


「着いたけど」


リュディアが羞恥で頬を染めていることには触れず、庭師見習いの少年は声をかけた理由を告げる。


「で、では、ヤンがどんな庭を造ったか、見せていただきますわ」


「はいっす! よろしくお願いします。お嬢様」


ヤンがしゃきっと背筋を正し、快活な笑みを見せた。練習で造った庭を、仕える家の者に見られることに緊張はしてはいるが、誰かに見てもらえることを純粋に喜んでいるようだ。彼も庭師の素養を持っていると感じ、リュディアは笑みを零す。

練習用の庭の垣根をくぐると、リュディアは言葉を失くした。

目の前にたくさんの太陽があった。いや、太陽を模したかのような大輪の花が、リュディアの視点より高い位置で咲き誇っていた。

圧巻といえば、そう言えなくもない光景だが、リュディアが絶句したのは、花の咲き振りが理由ではない。噴水がほとんど見えなかった。

この場所は、上からみると森のように木々が多い場所に、くりぬかれたように梟の噴水だけがある小さな広場のはずだ。なのに、今はその噴水に鎮座する梟の石像も、黄色い花たちの隙間から覗く程度しか見えない。


「どうっすか?」


目の前の光景に圧倒されるリュディアに、ヤンが感想を求めると、彼女はようやく口を開いた。


「……これは、庭ではありませんわね」


「そうっすよねー!」


リュディアが見たままの意見を伝えると、ヤンはダメ出しを肯定し、それでも明るく笑ってみせた。


「つい畑耕すのと同じノリでやってしまったんすよ」


そう、これはどう見ても向日葵ひまわり畑だった。間を潜って噴水まで行けなくはないが、花を眺めるための歩く空間が考慮されていない植え方だ。ヤンの実家は、農家だという、それと同じ要領で等間隔に向日葵を植えてしまったらしい。


「植える花も食べられるかで選んだっす」


「食べますの!?」


「結構美味いぞ、向日葵の種」


「アニキにもお裾分けするっすね」


こんなに大きな花を食べるのか、とリュディアが驚愕すると、庭師見習いの少年があとにできる種が食用になると説明した。そして、たくさん採れるから、とヤンはお裾分けする約束を庭師見習いの少年と交わす。


「ヤンが造ったの面白いだろ」


物心ついた頃から庭師を目指していた自分では思いつかない、と庭師見習いの少年は楽しそうに笑う。花の魅せ方の新しい観点を得られたのが嬉しいようだ。


「まぁ、悪くはないですわね」


自分たちより背の高い花を見上げる機会というのは少ないので、リュディアもこの光景に夏らしい眩さを感じた。花の傘が日差し除けになっているのも、この暑い季節には好都合に感じる。

庭師見習いの少年とリュディアから好評価を得て、ヤンは感謝を述べつつ照れ臭そうに笑った。指摘ばかりを受ける覚悟をしていたので、気に入ってもらえるとは思っていなかった。ヤンは今後に向けた反省点ばかりか、自身の造ったもので人に楽しんでもらう喜びという糧を得たのだった。

歩き回るには向かないため、しばらく眺めていようということになり、一同は向日葵畑を見上げる。時折吹く風が、くきの太い向日葵をゆったりと揺らした。

眺めている間、リュディアはそっと庭師見習いの少年の横顔を窺う。隣に立つ彼は、今回は自分と同じ観る側なので、こちらを見る心配が少ないまま楽しそうな表情を見ることができた。彼以外が造る庭も良いものだと、リュディアは感じたのだった。

そのあと、上から咲いている様を一望できたらいいのに、と不用意に呟いてしまい、庭師見習いの少年が抱え上げる提案をするのをリュディアは断固として断ることになる。



シーズンオフが明けた頃に、リュディアは腹を立てることを覚えた。

自身の気持ちなど知らないから当然なのだが、庭師見習いの少年はいつも通りだ。こちらばかりが心臓に負担がかかる状況を理不尽に感じるようになった。彼の笑顔に安堵を覚えると同時に騒ぐ心臓に、恨みがましさが湧く。

そのうえ、彼と話すためにロイの使いで花を持ってくるベルンハルトにも嫉妬するようになった。名目は婚約者のロイが自分に贈りものをしている体なのに、実際は庭師見習いの少年が貴族の少年と話す場を自分がお膳立てしている状態だ。

ロイから贈られる花は、季節とリュディアの好みに合ったもので嬉しくない訳ではない。一輪だけというのも、ロイの気遣いを感じる。定期的に大きな花束をもらっては、リュディアの方がもらいすぎだと気負ってしまう。彼の細やかな気遣いを嬉しく感じる。

それでも、庭師見習いの少年とベルンハルトが話しているのを面白くなく感じるのは、彼らが同じ水属性だからだろうか。それともニコラウスが来訪したときのように、本人に文句を言えないからだろうか。

ニコラウスは直接、庭師見習いの少年目当てで堂々とくるうえ、自分を揶揄からかってくるので、その場で不満を吐き出せていた。けれど、ベルンハルトは純粋に魔法への関心で訪ねてくるため、無下にできない。その違いに、リュディアはニコラウスに不満を吐き出すよう誘導されていた可能性に気付く。

こちらが一方的に不満に感じていることをぶつける訳にもゆかず、リュディアが東屋で二人が話している様子を眺めていると、銅色あかがねいろの瞳がふとこちらに向いた。


「つまらなかったか?」


気遣うような言葉に、無意識で不満を呟いてしまっていたことにリュディアは気付く。


「つまらなく、は……、二人にしか分からない話をするから……」


リュディアはうまく取りつくろうことができず、不満の欠片かけらを彼に見せてしまう。

すると、謝罪の言葉とともに彼のてのひらが自分の髪を撫でた。心の準備ができていない状態で触れられ、リュディアの心臓は跳ね、動揺してしまう。不用意なときに触れられては心臓に悪い、と素直な苦情を言えはしないので、子供扱いだと不平を訴えることで誤魔化ごまかす。彼の対応が幼いときから変わりないことに不満に感じていたので、少なからず嘘ではない。

自分の苦し紛れの一言に、庭師見習いの少年は真剣に悩みだす。彼が自分をないがしろにしたことがないと、リュディアは知っている。言葉はぶっきらぼうだが、真摯しんしに向き合ってくれ、自分の些細ささいなことは彼の方が先に気付くぐらいだ。大事にされていると解っているのに、子供扱いが嫌だなどと欲張ってしまったことが申し訳なく感じる。

自身の欲深さに辟易へきえきしかけたとき、リュディアの前に大輪の黄色い花が現れた。


「これは……薔薇ばら?」


思わず零れた疑問に、庭師見習いの少年は銀杏いちょうで造った造花だと明かした。紅葉したばかりの葉で作成したので日持ちせず、渡すことを躊躇ちゅうちょしていたらしい。

花弁はなびらを模した葉、一枚一枚が彼が自分を想ってくれた証のようで、リュディアの胸に嬉しさが満ちる。どうして渡す相手が自分だったのかと訊くと、好きな花だからと何故この造花を造ったのかの回答が返ってきた。それは、他の選択肢が元々なかったということで、リュディアはその事実がどうしようもなく嬉しかった。

そのあと、大事にする旨を伝えたところ、何故か雄々しいかのような褒め言葉をもらいリュディアは釈然としない心地になった。しかし、夜の虹の約束を果たしてくれると庭師見習いの少年が言ってくれたので、すぐさま気持ちが浮上したのだった。



その日、紅葉が終わる前に、と母のオクタヴィアに誘われリュディアは庭先でお茶をしていた。踏むと音がするのが楽しいらしく、妹のフローラは落ち葉のうえを歩き回っている。あえて少し止まったり、ステップを踏むように軽快に歩いたりと、とても楽しそうだった。

そんな妹の様子を、リュディアとオクタヴィアは微笑ましく眺める。


「あそこは掃かないでほしいって、イザーク君たちにお願いしたらしいわ」


本当に元気ね、と穏やかにオクタヴィアは桃色ももいろの瞳を細める。思いがけず出た庭師見習いの少年の名に、リュディアの鼓動は跳ねるが、オクタヴィアがそれに言及する気配はない。


「……お母様は、何も言わないのですね」


ふと、不思議に思い、リュディアは疑問を呟く。

想いを自覚したのは最近だが、かなり前から母には見透かされていたように思う。なのに、揶揄うことはあっても、直接話題にすることもなければ、そのような状態でロイとの婚約していることへの指摘もない。

オクタヴィアは、ふ、と吐息を吐くように笑んでみせた。


「逆よ」


「え」


「ディアが何も言わないのよ」


少しは相談してくれてもいいのに、とわざと頬を膨らませて見せる母の愛らしい仕草に、リュディアは反応できずに固まる。確かに自身が明かしていないのに、言及しようがない。母のオクタヴィアなら、いつもの揶揄う調子で核心をついてくるのではないか、と打ち明けるきっかけを母に委ねてしまっていたことに、リュディアは気付く。

オクタヴィアからすれば、その必要がなかったのだと解っている。あの聡い第一王子が娘の想いに気付かないはずがなく、隠し通すほどの器用さは娘のリュディアにはない。ということは、双方了解のうえで婚約を結んでいるのだろう。また、リュディアは友人に恵まれている。恋の相談をするなら、まずは同世代の友人だろう。娘がしっかりしすぎて、親として寂しく感じこそするが、それは責めることではない。

それでも謝るべきかと思い悩む娘の様子が可笑しくて、オクタヴィアは笑う。


「ふふっ、子供は勝手に育つって本当ね」


楽しそうな母の様子を見て、謝罪を必要としないことを悟ったリュディアは、一層不思議がる。


「お母様は、責めませんの……?」


お互い合意のうえとはいえ、世間的には第一王子を蔑ろにしているようなものだ。貴族が平民に恋するなど、露見すれば、公爵家という身分が高い分かなり世間体が悪いはずだ。

そういった一般の常識の枠から外れている点ぐらいは、注意されるのではないかと、リュディアは思っていた。


「だって、感情は殺せないもの」


けれど、あっさりとオクタヴィアは常識など無用の長物だと言い切った。

リュディアはこれまでオクタヴィアに、感情を抑えるように言いつけられたことはない。むしろ、嫉妬であっても感情を認めるように教えられた。母に教えてもらったのは、感情を抱える覚悟の仕方だ。


「これから、昇華させるにせよ、成就させるにせよ、選ぶのはディアよ」


自分の気持ちをどうするかを選ぶのは自分自身だ、とオクタヴィアは告げる。どちらも覚悟のいる選択だと解る。現実的に考えるよう促す母の言葉は、残酷なようでいてこれ以上ない激励だった。


「はい」


だから、リュディアは首肯した。

娘の返事に満足したオクタヴィアは、こてり、首を傾げて微笑む。


「それで、相談してくれるのかしら?」


「いえ。お母様より先に、打ち明けないといけない方がいますの」


「あら、残念」


覚悟を秘めた瞳を、オクタヴィアはさして残念そうな素振りもなく受け止める。想いの貫き方が夫のジェラルドを思い出させ、父娘おやこの共通点にオクタヴィアは微笑んだ。

穏やかなお茶会に戻ったのは、ちょうど落ち葉の絨毯を堪能したフローラがこちらに戻ってくるところだった。



リュディアの誕生日パーティーは昼下がりに行われた。

庭園でパーティーをするには向かない季節なので、邸内のホールになるべく最低限の人数を招待する。最低限といっても最上位の公爵家かつ王族と婚約関係にあるため賑やかな人数になった。

一通りの挨拶が終わり、その頃合いを見計らってか婚約者のロイがリュディアの許に訪れた。


「リュディア嬢、誕生日おめでとう」


「ありがとうございます。ロイ様」


今日一日で何度となく繰り返したやり取りだが、ロイから心からの祝いの言葉にリュディアは自然と笑んだ。


「疲れただろう。あちらでゆっくりしないか」


「ロイ様ほどではありませんわ」


王子であるロイの誕生日パーティーのときに比べれば、余程マシだ。ロイが挨拶が終わったあとに現れたのも、自分が傍にいては更に人が集まると解っての配慮だろう。

そして、テーブルに促され、リュディアは彼の気遣いに甘えることにする。客人の対応に疲れたことは事実だ。婚約者との語らいの名目で人けができるなら助かる。

席に着くと、ロイは従者に、リュディアは護衛のエミーリアたちに目配せし、話が聞かれないように見張りを頼んだ。


「わたくし、ロイ様の婚約者になれてよかったですわ」


「それは光栄だ。僕ほど面倒な婚約相手もいないと思うけどね」


偽りのない感想を伝えると、ロイは自身が次期王位継承者である故の重圧を面倒の一言で片付けるものだから、リュディアは笑ってしまう。彼の言う通り、制限と課題が多いのは確かだが、名声欲のないリュディアにも利はあった。


「婚約したおかげで、こうしてロイ様とゆっくり話せます」


リュディアにとっての利を聞き、ロイは蜂蜜色の瞳を一度見開いて、そして蜂蜜が溶けるかのように甘く微笑んだ。


「僕も、リュディア嬢とこうして話せて嬉しいよ」


リュディアは、一度瞳を閉じて、そっとまぶたを開く。そして、ロイを見返した。


「ロイ様」


「なんだい」


「わたくし、す…………好きな人ができ、ました」


覚悟を決めて口を開いたはずなのに、いざ言葉にすることが恥ずかしくなり、リュディアは大分言葉を詰まらせてしまう。口にした言葉にも、うまく打ち明けられなかったことも、どちらも恥ずかしくリュディアは頬を染めて、俯いてしまう。

婚約者の愛らしい反応に笑みが零れかけたロイだったが、ここで笑っては彼女が可哀想だとどうにか堪えた。


「やはりリュディア嬢の方が先だったな」


ロイは、まるでゲームにでも負けたかのような感想を零した。


「では、約束通りに婚約解消かな」


「そのことですが、ロイ様はどうされるんですか?」


乞う相手ができたら婚約解消する。それはロイが提示した婚約条件だ。恐らく自分のためのものだろうとリュディアは気付いている。

自分に不利にならないように。ではロイはどうなるのだ、とリュディアはずっと疑問だった。


「あと少しだから……、まぁ、婚約の催促を断り続けるのが骨だな」


「何か、準備されているんですか?」


あと少し、と言うからにはこれまでに何かをしてきたのだろう。一体何の準備をしているのか、とリュディアは首を傾げた。


「父や臣下を納得させる材料を揃えているんだ。できれば、リュディア嬢に落ち度がないと証明した状態で解消したいから。あと……」


「あと?」


「落ちても溺れないために、かな」


保険をかけているようで格好が悪いと感じているのか、ロイは小さく苦笑した。しかし、リュディアには王族の縛りを受け入れ、その中で最大限に自由を謳歌しようとするロイを尊いものに感じた。

そして、自分のための準備をしていると言いながら、リュディアのことも考慮した何らかの計画を立てているらしい。


「ロイ様お一人で成そうとしているのですか?」


「いや、周りに頼ってばかりだよ。もちろんリュディア嬢にも」


「わたくしも??」


一人で抱え込んでいないかリュディアが心配すると、にっこりと微笑んでロイは意外な回答を返した。リュディアは何もしていない。そもそもロイの目論見を何も知らされていないため、手伝いようがなかった。なのに、手伝ったとは、どういうことか。


「リュディア嬢は、リュディア嬢でいてくれるだけで充分僕の助けになっているよ」


「そう、ですの……?」


「うん」


しきりに首を傾げるリュディアにロイはしっかりと頷いた。この様子だと、敢えて自分に仔細を知らせていないようだ。身に覚えがないのに役に立っている、というのは大層不思議だが、ロイの笑顔を見て、友人の力になれているのならいいか、とリュディアは納得した。

気を取り直して、リュディアは本題に戻る。


「それでは、現段階で婚約解消しない方がロイ様の助けになるのですね」


「そうだが……、これ以上リュディア嬢を僕の我儘に巻き込む訳には」


リュディアの確認に、ロイは多少戸惑う。彼女の性格からして、想いを自覚した時点で婚約が不毛なものとなるとばかり思っていた。


「実は、わたくしも猶予ゆうよがほしいのです。まだ、覚悟ができていないので……」


情けない話だが、自覚したばかりの自分には覚悟するには時間が必要だった。


「覚悟?」


何の覚悟かと問われ、リュディアは膝のうえの手をぎゅっと握り込んだ。


「巻き込む覚悟ですわ」


リュディアの選ぶ道は捨てるか、巻き込むかだ。リュディアは公爵令嬢であることを捨てられない、彼が励ましてくれた今があるからなおさらだ。かといって、彼の夢を知っている以上、巻き込むことに躊躇してしまう。彼の夢も大事だから。


「……叶うなら全部、と思ってしまうなんて、傲慢ごうまんですわね」


「奇遇だな。僕もだ」


自嘲するリュディアとは対照的に、ロイはにこやかに微笑む。彼は既に腹を括っているらしい。

彼は全部のために準備しているのだと、リュディアは解った。自分はすべてを叶えるためには何ができるだろう。

お互いが似た者同士だと判り、どちらかともなく笑ってしまった。ひとしきり笑い合ったあと、ロイは訊ねる。


「では、もうしばらく僕の我儘に巻き込まれてくれるかい?」


「貸しは高くつきますわよ」


「善処しよう」


リュディアが態と高慢こうまんぶってみせると、ロイは可笑しそうに頷いたのだった。



パーティーのあと、リュディアは防寒のためにコートを羽織って西の東屋に向かう。護衛のエミーリアがランプを持って追従してくれたので、東屋に続く渡り廊下も歩きやすかった。

冬も間近のこの時期、まだ夕方だというのにもう暗い。日が沈むのがずいぶん早くなった。

東屋に着くと、庭師見習いの少年は灯りも持たずに内側のベンチに腰かけていた。エミーリアがランプをかかげると、可笑しそうにしているので思わず訊ねてしまった。リュディアの問いに友人とだけ答えるので、自分の知らない相手だと伺い知れた。

友人の多さの話題のあと、約束の虹を見せるということになった。どうやら夜の虹は灯りがあると見えないらしい。ランプが不要だというので、東屋に灯りが届かない場所までエミーリアを控えさせた。

暗闇に眼が慣れると、月明かりが存外眩しいものだとリュディアは知る。星の光が暗い水面みなもに反射して、まるで星の海のなかにいる心地だった。

この光景だけでも幻想的なのに、庭師見習いの少年はさらに虹をかけるという。自然と期待が膨らんだ。

庭師見習いの少年が水を操る様子を見守っていると、月を見上げるよう促され、リュディアはそれに従う。すると、雲を作った彼が何故か自分の後ろに立ち、少し頭を下げて顔を近付けてきた。


「なっ、ど、どうして、顔を近付けますの!?」


「だって、お嬢が見えなきゃ意味ねぇじゃん」


自分の視点から見えるように調節が必要だと、理由を教えられ、リュディアは拒絶するにできなくなる。

すぐ横に彼の顔があり、銅色の瞳や喉仏が隆起する様子などつぶさに見入ってしまいそうになり、リュディアは恥ずかしさに思わず俯いた。こちらの鼓動の速さに気付かれやしないか、と内心ひやひやする。

どれぐらいその状態に耐えたのか、庭師見習いの少年が準備が整ったと声がかかる。

彼の気配が少し離れたことに、ほっと安堵して、リュディアがもう一度月を見上げると虹の輪がそこにあった。

丸い月より一回り大きい七色の輪が、月をぐるりと覆っていた。彼の作った薄い雲が月の光を受けて煌めくだけで、このような光景が見れるのか。

知らず、感嘆が零れる。


「誕生日おめでとう。お嬢」


「ザク、ありがとう。本当に素敵ですわ……!」


月虹に感激しているところに彼からの言祝ことほぎを受け、リュディアは素直に礼を伝えられた。誕生日の最後に一番嬉しい言祝をもらえた。


「そっか」


庭師見習いの少年は、一瞬瞠目したかと思ったら、これまでにないほどに相好を崩し、温かく微笑んだ。

月明かりの下だというのに温かな熱を帯びた笑みを向けられ、リュディアの心臓は驚く。

何に驚いているのかも定かでないまま、うわ言のようにリュディアが問いかける。

すると、彼はこれまでに見ない笑顔のまま、問いの答えというよりは自身の感想を吐露した。


「俺、やっぱりお嬢が笑ってるの好きだな」


リュディアは閉口するしかなかった。

顔どころか全身が熱くなるのを感じながら、どうすれば彼の口が塞げるのかとリュディアは途方にくれたのだった。


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