59.虹



王都の中央広場には、今日もたくさんの馬車や人が行き交う。秋も深くなってきたが、石畳で整えられたこの場所で季節を感じさせるのは人々の服装や、出店に並ぶ商品だ。

その日、休日だった俺は中央広場の噴水のふちに座ってレオがくるのを待つ。一応、視察の手伝いになっているらしいが、俺はレオが行きたい場所に案内しているだけだから、役に立っているのかいまいち判らない。最初の頃なんてチビたちと一緒に遊び倒していただけだからなぁ。今もたまにニコの家に遊びに行っているから、大して変わってない気がする。


息抜きになってりゃ、それでいいか。


俺は、レオが本当に視察しているのかなんてどうでもいい。レオが年相応に笑う機会があれば、それで充分だ。王子って何するか知らないけど、大変そうで難しそうだし。

今は王子の肩書きがあっても、お嬢以外に気楽に話せる相手がいるから、わざわざ下町に足を運ばなくても大丈夫な気もする。なら、定期的にくるのは本当に視察なのかもしれない。

待っている間、そんなことをぼんやりと考え、レオともずいぶん長い付き合いになっていることに気付いた。

しかし、ざっくりした時間でしか約束しないから、間に合うように来ると手持ち無沙汰だ。そういえば、近所の大工をしているおっちゃんが、この中央広場に大時計を造る計画があるのだと息をまいていた。その大時計ができたら、待ち合わせが楽になるだろうな、と思う。

不意に、どさどさっ、と物が落ちる音がした。音につられてそちらを見ると、停車した馬車の前に貴族らしい男と石畳のうえに膝を突く少年がいた。少年の前には、買い物した商品と思われる包み箱が散乱している。

少年が転けて、荷物を落としたのだと容易に見てとれる図だった。


「何をしているんだ!」


明らかに自分は何も持っていなかった男の方が少年の失態を恫喝どうかつする。少年はまず荷物と一緒に落ちたらしい分厚い眼鏡を拾ってかけ、謝罪する。ああいうのをビン底眼鏡というのか、眼鏡をかけると側面からしか少年の眼が見えなくなる。


「すみません、お父さん……っ」


「ふんっ、荷物もロクに運べない者が私を父親と呼ぶな」


侮蔑ぶべつの籠った言葉。事情は判らないけど、あの父子おやこは血の繋がりだけの家族に見える。


「すみません」


気弱そうな声での謝罪。父親の男から見えないが横の位置にいる俺には見えた、少年の眼差しの苛烈かれつさを。尊厳を踏みにじる言葉を放つ男への怒りがそこにはあった。

行き交う馬車には二人の会話は届かないし、徒歩の人間は彼らより身分の低い者ばかりだ。少年を不憫に思っても、貴族相手に庶民は口を挟めない。気にしながらも通り過ぎる人がちらほらいるだけだ。

ただ謝罪を繰り返し、たどたどしく荷物をかき集める様子の息子に、男は苛立ったようだった。革の手袋をめたこぶしがわずかにゆるめられた。俺は、その手に精霊の気配が集まるのを感じる。魔法を発動しようとしていると判り、何の属性か読み取ろうと注視して気配を探る。ビン底眼鏡の少年もほぼ同時に、男の右手を見つめ、ズボンのポケットに手を入れた。


「お前は本当に使えないな……っ」


「火を使うのは危ないですよ」


魔法を発動させる直前で声をかけられ、右手を振り上げようとした男の動作が止まる。そして、いぶかしむように声をかけた俺の方に向いた。


「……なんだ、お前は」


「空気が乾燥しはじめたこの時期に火を使うと、思ったより燃え広がるのでおどしじゃ済みませんよ」


発動していないのに魔法の属性を言い当てたからか、それとも脅そうとしたことをさとられたからか、ぴくり、と男の片眉があがった。

男が息子を脅そうとしたと思ったのは勘だ。無詠唱で魔法を発動できるということは、男の魔力量は多く、使い慣れているんだろう。当たり前のように少年に魔法を使おうとしているのに、少年に目立った火傷やけどあとはない。だから、日常的に威嚇いかくで魔法を使っているんだと判断できた。

男は不快をあらわに俺を見下ろす。


「下民が私に意見するつもりか」


「いえ、貴族様の手袋まで焦げては勿体ないと思っただけです。あと……」


「なんだ」


「主人に眼鏡を受け取るように言われたのですが、メインストリートに行くのは初めてで……、そちらの坊っちゃんに眼鏡屋の場所を教えていただけないかと」


へらり、と情けなく笑ってみせると、くだらない理由に拍子抜けしたのか男の俺への関心が薄れた。庶民にこれ以上構っていられない、と自分の息子へ視線を戻し、それから思いついた気まぐれに口角をあげた。


「どうせ使えんのだ、下民の道案内ぐらい役立ってやれ」


「え……」


「私は先に帰る。お前はどうとでもして後からくるといい」


言って、男は馬車の御者に荷物を積ませ、宣言通り一人で馬車に乗って去ってしまった。あとには、呆然として立ちあがることも忘れた少年だけが取り残される。

さすがに俺も呆気にとられた。けど、すぐに気を取り直して、少年の方に手を差し出す。


「大丈夫か?」


立ち上がるのを手伝おうと差し出した手は、即座に払われる。手を振った勢いが強く、少年がかけていた眼鏡がまた、からんと石畳に落ちる。そして、さっきと同じ苛烈な眼が俺を睨みあげた。瞳は小さいのに、籠る感情が強く射抜くような眼差しだった。


「人助けのつもりかっ、偽善者め!」


怒りを露わにする少年は、何もかもを拒絶していた。


「お前、すげぇひねくれてるな」


「なんだと!?」


あの親の下で素直に育つ方が奇跡とはいえ、とても判りやすく性格がねじじれている。他人の親切すら信じられないとはなかなかだ。


「そういや、お前精霊えんの?」


気配を感じた俺と同じように、少年が魔法発動前の男の右手を見ていたことを思い出し、訊くと少年の肩がびくり、と跳ねた。


「なん……」


どうして判ったのか、と表情カオが物語っているから、それが肯定だった。


「へぇ、凄いな。貴族でも意識しないと精霊って視れないって聞くのに」


視れなくても、俺が使われた魔法の気配や発動を察知できるのは珍しいとレオに教えてもらった。魔法を使うとき、使用者の魔力に誘われてその属性の精霊が集まるが、通常は魔法が発動して具現化してからでないと使用者以外は意識せず、気付かない。

お嬢がお菓子をお供えするときに視えているのも、意識して視ているかららしい。注視しているとき以外は、庶民の俺と同様に精霊は視えないそうだ。確かに、常に視えていたら視界が賑やかで大変かもしれない。

魔法の気配に気付くのは精霊が視えない俺だから特化した感覚だと、レオは言っていた。貴族に、意識していなくても精霊に気付ける奴がいるとは意外だった。


「こんな分厚い眼鏡してるの、に……」


「あっ!」


俺は、少年の落ちた眼鏡を拾って、試しにかけてみる。少年が焦ったように制止しようと手を伸ばしたが、そのときには俺は眼鏡をかけていた。分厚い眼鏡の度数ってどれぐらいか気になったからだ。その興味本位の行動で、俺は驚くことになる。


「……っすっげー! コレ精霊か!?」


石畳の上にだいだいの仄かな光の粒が点在し漂っている。噴水の方に視線を動かすと、半透明の水色を帯びたはねの生えた小人が水遊びをしていた。生まれて初めて精霊を視た俺は、その光景に興奮する。


「返せっ」


少年に眼鏡を奪い返され、俺の視界はいつも通りになる。それが少し残念だったけど、一瞬の光景が俺を感動させた。


「その眼鏡なんだ!? 魔具かなんか!? 俺でも精霊視えたんだけどっ」


うるさいっ、これはボク専用だ!」


俺が興奮のままに眼を輝かせて訊くと、少年はわずらわしそうに自分だけのものだと主張した。となると、貸してもらえなさそうだ。もう一度だけ精霊を視てみたかったんだけど。

そして、ふと疑問が湧く。どうして少年は精霊が視える眼鏡をしていたんだろう。魔力が強い貴族に必要のない魔具だ。あれだけ自分の父親を警戒していたなら、事前に注視して魔法に構えることだってできたはず。

もしかしなくても、この少年は俺みたいに意識しても精霊が視えないんだろうか。


「お前……、魔力ないのか?」


極端な仮定だった。けど、意識して少年の周囲の気配を読んでみても、どの精霊の気配も感じない。普通なら適性属性の精霊の気配をぼんやりと感じることができる。だから、この少年は魔力量が著しく少ないか、魔力自体がない可能性が浮かんだ。

俺の呟きに、少年は青褪あおざめる。


「ま、魔力なんてなくても困らないよな」


肯定の反応に、俺は笑って少年の背中をぽんと叩いた。


「は?」


何を言っているんだ、と言いたそうな疑問でいっぱいの表情カオで少年は俺を凝視する。


「魔力がないと困るだろう!」


「困らねぇよ。なくても生きてけるもん」


「さては、自分が魔法が使えるからってボクを見下しているな!」


「いや、そんなコト一言も言ってないし」


俺を指差して、少年は怒りで戦慄わななく。この取り合ってくれない感じは、前世で遭遇した警戒心が強くて威嚇する野良猫を思い出す。この国の敷地内では犬・猫は野生で野放しにされない。保護施設か、警護目的でやしきで飼われるかだ。

魔力が強いことが珍しい庶民の俺からすればどうでもいいことだが、どうやら貴族の少年からすると魔力がないことはかなりのコンプレックスらしい。価値観の違いってこういうとき、話がかみ合わなくて難しい。


「イザーク、今日は友人も一緒か?」


茶髪のヅラをしたレオが、首を傾げながら声をかけてきた。少年と問答をしている間にレオがきていたらしい。いつも通り、護衛のマテウス兄ちゃんも後ろにいる。


「あ。ちょうどよかった。レオ、今日帰りにコイツを途中まで乗せてやってくれ」


「途中までなら構わないが……、彼は見ない顔だな」


「さっき知り合ったからな」


「知り合っていない!」


赤の他人だ、と少年は否定した。俺の意見と逆のことをいう少年にレオは眼を丸くする。


「ああ、俺はイザーク。んで、こっちはレオ。その兄貴のマテウス兄ちゃん」


「名乗っていないのが問題じゃない!」


自分から順番に指を差して名前を教えると、少年はそうじゃないと憤慨する。少年の態度に構わず、俺は訊く。


「そっちの名前は?」


「教える訳がないだろっ」


「じゃあ、キノコ頭って呼ぶけど」


「キノ……!?」


綺麗な曲線を描くように切り揃えられた髪型をどこかで見たと思ったら、マッシュルームヘアーというやつだと思い出す。ミュージシャンとかがたまにしてる髪型だ。


「~~っトビアス、だ」


少年はものすごく葛藤したあと、絞り出すように名前を名乗った。キノコ頭を連呼されるのは嫌だったらしい。


「じゃあ、トビで」


「何故、略す!?」


「すまない。イザークは長い名前を覚えるのが不得手なんだ」


「長さなんて、イザークと変わらないじゃないか!」


レオのフォローにそれでも奇怪おかしい、とトビは抗議する。確かに、レオの説明だけじゃ不足だ。俺は長いだけじゃなく、発音しにくかったり、言い慣れない名前も覚えるのは苦手だ。

まあまあ、とレオはにこやかにトビを宥める。


「呼び方の問題より、先にひねった足を治療した方がいい」


「え」


レオの言葉に俺は驚き、トビの足下を見てみると、重心が片足に寄っていた。転けてすぐに起き上がれなかったのは、足首を捻挫ねんざしていたせいだったらしい。


「悪い。気付けなかった」


れが見えなければ分かりにくいものだ」


俺が申し訳なく感じていると、レオに靴下で隠れていたから仕方がないとフォローされた。

それからのレオの手際は早かった。マテウス兄ちゃんに頼んで、トビを背負って俺の家まで運んでもらい、母さんの協力も得て治療する。

母さんがトビの捻挫の手当てをしている間に、俺がレオにトビの馬車の同伴を頼んだ理由を説明した。俺の説明のあと、マテウス兄ちゃんがレオに何事かを耳打ちした。何を話したのかは判らないが、レオは少し考え込む。


「なんなんだ、お前たちは」


手当てを受け終わったトビがぶつくさと文句を言いながら、靴下を履き直す。レオが帰るまで休んでいた方がいいだろうと、トビは俺の部屋のベッドに腰かけている。母さんは、手当てが終わったあと、お茶を淹れてくると下の階に下りていった。


「さて、トビアスを置き去りにした父親の所見は?」


「トビより話を聞かないおっさん」


先に馬車で帰ったトビの父親をどう思ったかレオに訊かれて、思ったままを答えた。息子のトビや俺みたいな庶民を見下している眼といい、侮蔑に慣れた話し方といい、自分のなかで定まった価値観以外をもう受け入れられない人種に見えた。トビとは会話になるが、あのおっさんとは会話もできないと思う。


「そうなんだ。ブレンナイス侯爵は魔力至上主義者で選民意識が高い」


「ボクは名前しか教えていないのに……!?」


レオが、自分の父親のことをすらりと話すからトビは瞠目する。


「僕は、挨拶した相手を覚えるのが得意なんだよ。トビアス・フォン・ブレンナイス」


にこり、と微笑んでレオは被っていたヅラを外してみせた。トビの顔色に驚愕が上塗りされる。トビは相手が王子なことに驚いているが、俺は今しがた聞いたレオの記憶力のえぐさに驚いた。

こいつ、王子だろ。ということは、かなりの人数と挨拶するじゃん。その相手のフルネームをほとんど覚えるって、何。

王子として便利なスキルだろうけど、俺からするとえぐい。それだけ記憶してよく頭パンクしないな。

レオの正体を知ったトビは、警戒してベッドのうえで後ずさった。探るような眼差しでレオを凝視する。


「どうやら、君はブレンナイス家で冷遇されているようだが、理由は?」


「え。親父と仲悪いだけじゃなく?」


「服の下の打撲を放置されているんだ。他の家族だけでなく、使用人すら黙認しているんだろう」


暴かれた事実にトビはぐっと口を噤み、俺は言葉を失くした。

マテウス兄ちゃんが苦い表情カオでレオに耳打ちしていたのはこのことか。きっと運んでいるときに、服の下の打撲に気付いたんだろう。つまり、トビは家族から虐待ないしそれに近い待遇を受けていたということだ。

貴族なのに息子に荷物持ちをさせるなんて変だと思った。けど、暴力までふるっていたなんて。血の繋がりだけで家族になれる訳じゃないと解っている。それでも、同じ人間相手に、しかも子供にそんな仕打ちするなんて理解ができない。

トビの父親が本当に話が通じない相手だと実感する。どうして血の繋がった息子にそこまでできるんだろう。


「……まさか、魔力がないぐらいのコトで?」


さっきレオが、トビの父親は魔力至上主義だと言っていた。一般的に、魔力量の多さが貴族のステータスだとオク様も以前教えてくれた。ということは、トビの父親は、魔力量の多さに比例して人間の価値を決めるタイプなのか。魔力がなかったら、自分の息子でも無価値と思うぐらいに?

そんな父親のいるところに帰すしかできない自分の無力さに拳を握る。何かできないかと考えても、一時しのぎな案しか浮かばない。

王子のレオだったらどうにかしてくれるだろうか、と眼を向けると、蜂蜜色はちみついろの瞳が真っ直ぐに見返していた。


「イザーク……、今、何と言った……?」


訊き返されて、俺は首を傾げる。


「トビに魔力がないからって、家族と思わないのは変だって……」


「それは本当か!?」


何故か、レオの瞳が期待に輝く。今はヅラもないし、そんなに輝かれるとがちで眩しい。俺は、手で壁を作りながら首肯した。


「たぶん。適性属性らしい精霊がついてなくて、魔法を感知できるよう精霊が視える魔具の眼鏡を持ってるし」


「イザーク、でかした!」


いきなり強く両肩を掴まれた。レオは、なんでこんなにテンション高いんだ。あと、眩しいから寄らないでほしい。

歓喜するレオとどうにか距離をとろうとする俺を見て、トビは反応に困っていた。今度はそんなトビの手を、レオは取った。


「君のような者を探していたんだ」


「は……?」


トビが訳が解らないといった表情カオで、自分の手を掴むレオを前に固まる。トビ、大丈夫だ。俺も訳が解らん。


「魔力に遺伝性がない以上、貴族にも魔力が少ない者がいるはずなのに、彼らはそれを秘匿する。僕はそんな者たちの力こそ借りたい」


魔力が遺伝しない、という学説は俺たちが物心つく前には庶民にまで告知された事実だ。けど、基本的に貴族は魔力量が多く、庶民は少ない、という一般認識はあまり変わっていない。

庶民からすると、魔力量が多かったら高給取りの仕事に就けるかもと期待し、そういった人がいたら羨ましがられるだけだ。逆に貴族は、魔力がないと恥とすら感じて隠してしまうらしい。魔力量の少ない貴族の噂を聞かないのはそういう理由だったのか。


「しかも、君は魔力がないことを補う魔具まで自身で開発したんだろう。素晴らしい才能だ」


とりあえず、レオは魔力がない、ないし少ない貴族を探していたみたいだ。偶然出会ったトビに魔力がないことが発覚して、とても嬉しいらしい。

けど、恐らくこんなに必要とされたことも褒められたこともないだろうトビが、レオに迫られて眼を白黒させている。


「ちなみに、その眼鏡はどうやって作ったんだ?」


「え……、う……、魔法が使えるよう見せかけるのに消費したからの魔石に、ナハトグラスを混ぜたインクを使ってオイレの羽ペンで魔法陣を描い、て……」


硝子だと思ったレンズは魔石を使いきった残骸だったらしい。クマ電話に使われている魔石がエルナの魔力を水晶に込めたものらしいから、その逆だな。確かナハトグラスは闇属性の魔草で、オイレも闇属性の魔物の名前だ。自分で魔力を込められないから、魔力を持つ素材を使ったんだろう。


「魔術の知識のみでそこまで独自の魔具を生み出せるなんて……! 是非、魔術省で活かしてほしい」


おい、レオ。すっ飛んで将来の就職先を勧めるな。みんながお前みたいに遠い先のことまで見越せる訳じゃない。


「魔力のないボクが、魔術省、に……?」


呆けたように呟くトビに、レオは微笑む。


「魔術を研究するのに必要なのは、魔力ではなく魔術への関心だ。トビアス、君にはそれが充分備わっている」


レオの言葉を受けて、トビは瞠目する。貴族に生まれながら魔力のないトビだから、必死に魔術の知識を身につけて、魔具を造れるぐらいになった。それがこんな形で評価されるとは思わなかっただろうな。


「ボク、は……」


急な話に戸惑い、トビは掴まれた手から逃れようと身じろぐ。その拍子に、ズボンのポケットからころん、と透明な石の嵌った物体が転がった。


「これも魔具か?」


「あっ」


「それ、さっき使おうとしてたヤツ?」


金属の土台に透明な石が嵌っていて、透明な石の中を覗くと土台の内側に何かの魔法陣が描かれているのが判る。レオが魔具を拾い、俺はトビの父親が魔法を使おうとしたとき、そのポケットにトビが手を入れていたのを思い出す。

トビは気まずそうに口を真一文字に引き結んだあと、観念したように吐露した。


「……それは、魔力を奪うための道具だ」


トビの自白は、犯罪者が捕まるときのような諦観があった。


「ボクの部屋にまだたくさんある。ボクに魔力がないと見下した家の奴らから、根こそぎ大事な魔力を奪ってやろうと思った」


怒りに燃える瞳を見て、トビが復讐を望むほどの目に遭ってきたんだと判り、なんだか悲しくなった。この魔具はトビにとって凶器だったんだ。


「こんな使い方しか考えないボクを、まだ魔術省に誘うつもりか? 殿下」


そう言って、トビはあぜけるように笑う。レオを笑ったんじゃなく、自嘲だった。


「ああ。物は使いようだ」


レオは決然と微笑む。犯罪未遂を自白したトビは、予想外のレオの反応に眼を剥く。


「僕は闇属性も持っているが、存外使い勝手がよくて便利だと気付いたんだ。だから、この魔具も使い方を間違わなければ、人を助ける道具になる」


悪印象のある闇属性魔法を王子のレオが率先して活用するようになって、闇属性への印象が好転した。イングリットの酒場に食事に行ったとき、闇属性の冒険者の人たちが軽蔑されたり、自身を卑下しなくてよくなった、とレオへの感謝を言っていた。闇をも光に変える王子だと。

魔法もただの道具なんだ。どんな属性だったとしても、使う人間の心一つで悪用もされ、善用もされる。それだけのことだと、人はよく忘れる。

レオはそれを行動で証明した。多くの人の意識を変えるのは本当に凄いことだ。


「それに、トビアスはまだ何もしていない。君はこれからすんだ」


怒りに染まっていたトビの瞳が、未来への希望へ色を変える。

トビみたいにひねくれた奴の意識を変えるのは、本当はもっと時間がかかるものだ。それを言葉一つで塗り替えられたのは、レオの持つカリスマ性のなせる業だと思う。こういうとき、レオは王子なんだな、と実感する。


「か、考えとくよ」


トビは、真っ直ぐに見つめてくるレオから、居心地悪そうに視線を外しつつ答えた。

ひねくれ者にしては前向きな答えだ。家族の影響で魔力が絶対的な価値基準だったのに、魔力がないままで価値があるなんて、急に受け入れきれないだろう。


「よい答えを期待している」


清々しい笑顔を浮かべ、レオは回答の保留を了承した。

それから状況確認のうえ話し合い、トビをこのまま家に帰さず、レオの紹介で魔術省所属の貴族の家に預けることになった。そんな強硬手段をとっていいのか、と俺が心配すると、王族の横暴のひとつやふたつよくあることだ、とレオは晴れやかに笑った。

けれど、酷い仕打ちを受けていたとはいえ、家族と訣別けつべつするのは辛くないのか、と心配したら、トビは清々すると皮肉げに笑った。少しだけ痛みを堪えるような瞳が、完全に割り切れている訳じゃないと教えていた。それでも、トビは自分の足で歩きだすために、腹をくくったんだろう。

きっと全部を喜んでいいことじゃない。それでも、俺は今後トビが暴力を受けなくて済むことに安堵した。


「レオ、ありがとな」


俺の感謝を受け、レオはきょとんとし、トビが眼を据わらせた。


「なんで、お前が礼を言うんだ」


「だって、俺じゃ何もできないから」


トビが不可解なものを見る眼を俺に向ける。そして、俺の答えに思い切り眉を寄せた。それと同時に、レオがくつくつと可笑しそうに喉を鳴らす。

二人の反応が不思議で、俺が首を傾げると、レオが笑いながらトビに話しかける。


「ふくくっ、……イザークは功を成していないと言うが、トビアス、どう思う?」


レオの問いは変だ。俺が何もできていないことは明らかなのに、トビに訊く必要はない。俺はその場しのぎのことしかできなかった。トビを助けたのはレオだ。ちゃんと解決ができるこれからの道筋を与えて、トビ自身が納得できるように説得した。

トビは渋面になり、俺を睨みつけた。


「お前に魔力がないことをバラされたせいで、ボクはこれから周りに白い眼で見られながら生きることになる」


トビの言うことは事実だ。俺は余計なことをしたのかもしれない、と視線を落とす。

いくら王子のレオが認めていても、貴族全員の意識がいきなり変わることはない。レオがしたいのは、これまでの固定概念を砕くことだ。レオの求める協力は、トビに偏見という茨の中へ飛び込んで道を切り開かせることだ。トビの父親のように話を聞かない相手もいて、きっととても大変なことだろう。

俺が見てられなかったから、あのとき割って入った。そのあとのことなんて考えていなかった。トビの言うとおり、偽善エゴだったのかもしれない。

その結果、トビにキツい道を選ばせたのなら、俺は無責任にもほどがある。


「ごめ……」


「魔力なんかなくても生きていけるんだろ」


謝ろうとしたら、トビは前に俺が言ったことを口にした。思わず俺が顔をあげると、トビは挑むような眼差しで力強く宣言する。


「せいぜい生きてやるさ」


「そっか」


トビの言いざまは口出しするなと突き放すような調子なのに、なんだか嬉しくなって、俺はへらり、と笑った。

そして、トビはびしり、と俺に人指し指を向けた。


「貸し一つだ」


「へ」


「貸してやるから、何か考えておけ」


まるで喧嘩を売っているみたいに感謝を伝えるトビは、やっぱりひねくれている。


「じゃあ、またあの眼鏡かけさせてくれ」


「ふん、あまりにも不似合いだから、もう少しマシなデザインにしてくれてやる」


精霊が視える眼鏡を気に入った旨を伝えると、不遜な答えが返った。だから、ビン底眼鏡がトビにも似合ってなかったことは黙っておいた。

俺たちのやり取りを眺め、レオは満足げに蜂蜜色の瞳を細める。お前は、そういうところが若年寄りなんだ。



十一月になり、俺は東屋でお嬢を待っていた。

エルンスト邸の西の離れに続く渡り廊下の中ほどから池へ伸びた先にある東屋は、この季節には寒く、人気ひとけがない。陽が落ちると防寒服が手放せなくなってきて、十八時前には真っ暗だ。

お嬢の誕生日がこの季節でよかったと思う。日が短くなり、夕方には月が昇るから早い時間帯に落ち合える。去年まではもっと早く、夕陽があるうちに少し時間をもらっていた。

今年は、少しだけ遅い時間に会う理由を説明して、公爵様やオク様から許可をもらった。庶民の俺の話でも耳を傾けて解ってくれる公爵様たちは、やっぱり貴族でも珍しいんだと、トビと会ったことで改めて実感した。

トビの家が普通だとは思わないが、貴族社会で似た境遇の子供がいる可能性はあると感じた。レオは、トビをレミアスやベルたち同様、自分の直臣候補に据えたらしい。トビがその立場に見合う成果をあげれば、今後道が開けるとレオは言っていた。

なら、トビは魔力が少ない貴族たちの希望になるのかもしれない。そんな大層なハードルを設けられて、トビは文句を言っていそうだ。

その様子が簡単に想像がついて、思わず笑った。


「何か可笑しいことがありましたの?」


「あ。お嬢、ごめん。ダチのこと思い出しただけ」


東屋に足を踏み入れたお嬢が、不思議そうに俺に問いかける。後ろにはランタンを持つ委員長が付き従っていた。

俺は、笑いを噛み殺しながら答えた。友達扱いしたことが知れたらトビに文句を言われそうだと思ったが、それ以外の説明が浮かばなかった。


「ザクは、なんだかんだと友人が多そうですわね」


「そうか? お嬢の方が多い気がするけど」


お嬢の感想に、俺は首を傾げる。

うさぎたち女子だけじゃなく、お嬢はレオやニコとも対等に話している。男女ともに友達がいて、どう考えてもお嬢の方が多い。俺は、同じ歳のニコと友達になれただけでもラッキーだったぐらいだ。

友達と聞いて、ニコともう一人浮かぶ。南国に帰ったフランクはどうしているだろうか。またいつか会えたらいいけど。


「それで、夜にどうやって虹を見ますの?」


約束の誕生日プレゼントを渡せるのか、とお嬢は小首を傾げた。その瞳には期待もあるが、想像ができなくて疑問が浮かんでいるのがありありと判った。説明するより見せた方が早いと思った俺は、弱り気味に委員長の方を見る。


あかりがあるとできないんだけど……」


「では、あちらに控えております。後ほどお迎えにあがりますので、何かあればお呼びください」


言いきる前に察した委員長は、俺ではなくお嬢に礼を執り、渡り廊下の出入り口へと消えていった。

ランタンの灯りがなくなり、一瞬真っ暗になったような錯覚を覚える。けど、しばらくして暗さに眼が慣れると、月明かりの下で周囲の輪郭が判るようになる。池の水面みなもに夜空の星が映って、プラネタリウムみたいだ。


「お嬢、月を見上げててくれるか」


俺が月を指差すと、お嬢は頷いて頼んだとおりに月を見上げる。俺は、池の水を魔法で操り、お嬢の視線の先に小さな雲を作る。そして、お嬢の頭のある位置の隣に屈み、同じ視線の高さから月を見上げた。


「なっ、ど、どうして、顔を近付けますの!?」


「だって、お嬢が見えなきゃ意味ねぇじゃん」


驚いたお嬢が上半身を仰け反らせて、俺と距離を取ろうとする。虹が見えるよう、お嬢の視点で微調整する必要があるから、我慢してじっとしていてほしいと伝える。

お嬢はしばらく何かに葛藤したあと、なるべく早く済ませるように俺に言って、元の位置に戻った。

俯いて動かないお嬢の右肩近くから月を見上げ、俺は雲の位置調整に入る。雲をドーナッツ型にして、その穴から月が覗けるようにして、水の粒子の反射具合を確認して雲の厚さを微調整する。しかし、お嬢が俯いたままなのは完成してから見たいからだろうか。別にそれでもいいけど。

月の光の反射具合を最終確認して、俺はお嬢に声をかけた。


「よしっ、もう見上げていいぞ」


俺が顔を離すと、お嬢は安堵したようにほっと吐息をく。それから、静かに顔をあげ、穴の開いた雲越しに月を見る。


「わぁ……」


雲の輪の中に月の光が反射して、虹の輪が月を囲む。その様子がお嬢からは見えていることだろう。今夜は月の光が明るいし、空気もいい具合に冴えている。絶好の虹日和だ。

寒さが肌に沁みやすくなるこの時期の方が、月に雲がかかったときに虹が見えやすいと気付いたのはいつだっただろう。

月虹って言葉があるぐらいだから、本当に夜にかかる虹もあるのかもしれないが、俺が知っている夜の虹はこれだ。自然に流れる雲だとしばらくすると風に流されて、月が雲の厚い箇所に隠れたり、逆に雲がまったく月にかからなかったりで、ちょっとしか虹が見れないが自分で雲を作れば魔力が持つ間は眺めていられる。

感嘆の声を零すお嬢を見て、気に入ってもらえたようだと安堵する。こんなしょぼい魔法だけど、お嬢が喜んでくれるなら上等な魔法に感じる。


「誕生日おめでとう。お嬢」


お祝いの言葉を贈ると、虹に見入っていた淡い青の瞳がこちらを向いて、嬉しげに細められる。


「ザク、ありがとう。本当に素敵ですわ……!」


月明かりに照らされて、お嬢の満面の笑みが俺の眼に焼き付く。花が綻ぶようにふわりと、あどけない笑顔だった。

どくん、と心臓がびっくりする。この心臓が驚く感覚に覚えがあった。


「そっか」


とても簡単なことに気付いて、俺は笑う。

俺が女の子の笑顔を見てびっくりするのは、お嬢だけだ。特別なのも、大切なのも、当たり前のことだった。

そりゃそうだ。お嬢が初めて俺をザクと呼んで笑ったときから、ずっと彼女の笑顔を見ていたいと思っていた。少しでも多くお嬢の笑顔が見れる未来を選んで、今ここにいる。

お嬢が俺に笑ってくれるから、それすら当たり前になっていただけだ。

俺はお嬢が好きなんだ。


「ザ、ク……っ?」


お嬢の頬が花弁はなびらが色付くように染まる。何故か驚いた様子のお嬢は、そんな表情カオすら可愛い。


「どうか、しましたの……?」


「俺、やっぱりお嬢が笑ってるの好きだな」


だから、これからもお嬢の笑顔を望む。

気付いたから、それを諦めないことにした。フランクと約束したしな。

直後、お嬢の顔が薔薇色に染まるさまを、目の当たりにすることになる。


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