56.未来
寒さが
前世の日本ならどこもかしこも明るく、赤や青の色とりどりのイルミネーションが溢れる頃だろう。それで思い出した。
「そういや、レッドなブルーとブルーなレッドって分かるか?」
緑と黄色のオッドアイの白いクマのぬいぐるみに思い出した疑問を投げかけた。
このクマはある特定の人物と連絡を取るための携帯電話だ。魔石に魔法陣を組み込んだ
『は? いきなり、何』
「こないだ思い出してさ。
前世では俺の妹だった記憶を持つ王女のエルナに確認する。エルナは怪訝な声をあげたが、考えていたのか数秒の間のあと、俺の問いにクマ電話から
『イザークっ、もしかして、レミアスとベルくんに会った!?』
「よく分かったな」
『だってソレ、レミアスとベルくんの話をしてたときに使った例えだもんっ』
戦隊モノなら解る
青髪のレミアスと赤髪のベルのことをエルナが知っているのは解る。二人は、エルナの兄のロイの従者候補らしいから、顔を合わせていて当然だろう。けれど、王女の今ではなく、前世の頃から知っているのは変だ。
この世界でエルナが前世から知っている人間は限られている。俺は、まさか、と頬をひきつらせた。
「レミアスとベルって……」
『そうっ、君星の攻略対象よっ』
クマ電話の向こうでドヤ顔しているであろうエルナの
エルナは言及してほしそうだったが、俺には興味がない話題だったので、あっそ、とだけ返して流した。すると、不満そうな声がクマ電話から漏れ出る。
『ちょっとは驚くとか、もっと興味持ちなさいよーっ』
「だって、俺、ゲームのときの二人のコト、覚えてすらいねぇもん」
『ほら、格ゲーとクイズがミニゲームだったのっ』
「ソレ、どっちもお前がやってたヤツだろ」
『そうだったーっ!』
俺が手伝っていた可能性のあるミニゲームの種類で言われても解らない。前世の俺が手伝っていたのは、あくまで妹が苦手でクリアができなかった種類のミニゲームだけだ。
音ゲー・格ゲー・クイズなどは妹の夕歌が自分でクリアしていた。格ゲーはコマンド無視した勢いだけのガチャガチャ押しでどうにかなったらしい。普通の格ゲーで対戦したとき、妹のやり方は攻撃パターンが読みづらいから戦いづらかったなぁ。
自分のターンだったことを思い出したエルナは、ショックを受けたようだった。話題のとっかかりを失くして、ぐぬぬ、と悔しそうに唸っている。
「別に、君星につなげなくてもお互い知ってるヤツらなんだから、ふつーに話せるだろ」
『そうだけどぉ……、君星語りもしたいのー』
前世で戦隊モノに例えてまで俺に話そうとしたことといい、興味ない相手にまで好きなものを語りたがるエルナの衝動が俺には解らない。
俺も少年漫画やゲームに
確か、
「今はその君星の世界にいるのに、ほんと好きだよな」
自分はサポートキャラなのだと自慢されたのを思い出す。ちゃんと現実だと解っているのに、たまに覗くファン精神が不思議だ。特に、ロイ様推しだったのが実際に家族になって真性の兄バカにシフトチェンジしたら、更に熱く語るようになって俺の耳タコ度があがった気がする。
『それとこれとは別! 君星は
「さいですか」
だから、ゲームとしての君星を少しでも知っている俺に話を聞いてほしいらしい。力強く断言している声音からして、もしかしたら
『レミアスは典型的なスポーツマンキャラで、騎士道一筋のまっすぐさが人気でね。騎士団長の父親を超えるために日夜鍛えてるから、基本校舎の外でエンカウントするの。女性の扱いに慣れていなくて荒くって。でね、ヒロインが平民だから物怖じせずにそれを指摘するの。そこから少しずつ女性への接し方が変わっていって、ヒロインを異性として意識していくのが……』
嬉々としてエルナが話し出したが、本気で興味がないから途中でクマからラジオが流れていると思うようにした。スチルの半裸がスポーツマンだからエロくないのだと熱弁されても、男の俺に解りようがない。
どう
『ベルくんは更にエンカウントしやすくて、基本図書館にいるの。魔法の知識が浅いヒロインに、魔法に興味を持ってくれたからって一生懸命勉強を教えてくれてね。少し研究オタ感あるのも可愛くて、テストの成績で上位になったときは自分のことみたいに喜んでくれるピュアさがもう……っ、それで夕陽のシーンでの笑顔を見てみなさいよ。ヤバいよ!?』
言っていいだろうか。もう説明になっていない。ヤバいらしいシーンを俺は知らないし、見る気もない。
『二人が幼馴染みだからお互いのルートでも出てくるんだー。タイプ逆でからみも多いから、青と赤どっち派かとかよく君星クラスタで派閥争いが……』
意味はよく解らないがクラスタは夕歌がSNS関係で使ってた用語だ。ゲームの外にまで発展されたら、本気で解らん。
そろそろ止めるべきかと思っていたら、エルナはふと言葉を途切れさせ、クマ電話の向こうから小さな溜め息が零れた。
『前世なんて、覚えてなくてよかったかも……』
「どうしたんだ?」
どうしてそんなことを思ったのかと、俺は首を傾げる。ついさっきまでファン心理全開で楽しそうだったのに、唐突に
俺が訊くと、だってさー、とぼやきはじめる。
『レミアスやベルくんは学園でライバルと戦うだけで済むけど、ゲーム通りだったら、ロイ兄様とクラウス兄様は仲悪いままだし、ニコ姐は女性嫌いになるだけの目に遭って、お姉さんは呪われたままじゃない。隠れキャラはもう既に辛い過去を抱えているはずだし……、そーゆーの知ってても何もできないもん』
それが辛い、とエルナは気落ちした声を出す。それらは本当はその個人と知り合っていないと知らない情報で、部外者でよくて顔見知り程度のエルナが干渉していい問題じゃない。
『……だから、ロイ兄様がニコ姐のお姉さんの呪いを解いたって聞いたとき、驚いたけどよかったって思ったの』
誰かが苦しんでいると知りながら、日々を送るのは楽しくないだろう。きっと忘れようとしても、ふとした瞬間に思い出す。
俺もダニエル様と再会するまでは、彼の沈んで暗い
『まったく同じじゃなかったとしても、さ。君星で好きになったキャラに被るぐらいにいい人たちがよくない感じのままなのを、ヒロインが助けてくれるからってゲーム開始まで放置するのって、なんか嫌なの』
だから、レオが自分で行動を起こし弟と和解したことや、ニコの姉貴の呪いを解いたことがエルナには喜ばしいことだったらしい。前世の記憶があったことで気付けたことだ。けど、裏を返せば覚えてさえいなければその杞憂すらなかっただろう。
エルナは憂えたような嘆息を一つ零した。
『記憶があってよかったことなんて、太一に会えたことぐらいじゃない』
ぽろり、と零してしまったのだろう言葉のあとに、失言をしたことに気付いたのかクマ電話の向こうから小さく息をのむ気配を感じた。俺も俺で、意外な本音を耳にして眼を丸くする。
一瞬の間のあと、口を切ったのは慌てた様子のエルナだった。
『ち……っ、違うわよ! 溜まってた文句を直接言えてよかったって意味だからね!!』
「ああ。俺も夕歌に謝れてよかったよ」
お互い、前世の記憶があったから
余命のことも相談せずに死んだことを、ずっと家族に謝りたかった。前世の記憶で一番渇望していたことで、できないはずのことだった。だって、この世界にいるのは
責められてもいいから会いたい家族の記憶を持ったエルナに会えて、夕歌宛の謝罪を聞いてもらえたことは、俺にとって奇跡だ。
俺が正直な感想を言うと、エルナはうぐっ、と言葉に詰まったようだった。
「そういや、エルナは覚えてなくてもきっと一緒だったと思うぞ」
『へ? 何でよ』
エルナの話を聞いていて思った感想を伝えると、クマ電話から疑問に満ちた声が返った。
「お前、心の声聴こえんだろ」
『うん』
「他にもなんかできんじゃないの?」
『他って……、あ。イザークが飛ばした風の鳥あるでしょ。私、アレと視覚共有して千里眼みたいなこともできる』
もう二度と使わない、とエルナは
風と光の二属性持ちのエルナは、伝達用途で使われる風の鳥に、光魔法で視覚共有ができるらしい。また、俺だと
千里眼は、VRの感覚に近く、使っている分には空を飛んでいるみたいで楽しいらしい。だが、視覚が鳥側に集中しているため、調子に乗って鳥を飛ばしていたエルナは自分の身体も動かしていたことに気付かず、部屋の壁に額をぶつけたのだ。
結果、侍女のテレーゼさんに王女が顔に傷を作ったことを叱られ、鳥を国境近くまで飛ばしたことが国王の父親にバレて、王族がスパイのようなことをするなと説教されたらしい。その二重苦がとても辛かった、とエルナは唸るように教えてくれた。
なんだろう。膨大な魔力量と貴重な属性だからできるチート技だと理解はできるが、凄いより残念だという感想しか浮かばなかった。
「あー……、まぁ、お前の行動が残念なのは置いておいて、そーゆー能力持ってたらどうせ誰かの悩みを知って悩んでただろ。前世の記憶があるかなんて、悩む対象がゲームに出てたかどうかの違いだ」
『そんなコトは……ある、かも?』
反射的に否定しようとしたエルナだが、記憶がなかった場合を想定してみたのか、途中で意見が変わった。
誰かの悩みを心の声で知っても、千里眼で遠くの誰かが困っているのを見ても、きっと直接手助けすることはできない。王族で希少な二属性持ちというエルナのレア度は高いから、行動制限が厳しいことだろう。結局悩んでいたはずだ。
「な? だから、たまたま他人の日記を見たようなもんだと思っとけ」
『むー……、どっちにしろ私が役立たずってことじゃない』
「ちげーよ。俺もお前も、知ってるヤツだったとしても何でも助けられねぇだろ。大概の問題は、結局本人がどうするかなんだ」
助けの手が差し伸ばされていても、問題を抱えた当人がその手を掴まなければ意味がない。環境でどうにもならないことも世の中にはあるけど、誰かを頼ったらどうにかなることもある。
「前にも言っただろ。頼られたときに手伝うぐらいでいいって」
いつだったか、レオたちのことばかり気にするエルナに言ったことを繰り返した。
俺だってニコが困ったり悩んだりしていても、ストレス発散に付き合うぐらいだ。愚痴だってニコが言う気にならなきゃ、聞いてやれない。知ってる奴ですらそうなんだから、エルナの望む会ってもいない誰かを手助けをするなんて難易度が高すぎる。
『これからも頼ってもらえなかったらどうするのよ』
「それならそれで、よかったって思っとけ」
知り合った頃は、お嬢も不安に思うことがあると俺のところに来て呟いていた。けど、それはその頃に歳の近い人間が俺ぐらいしかいなかったからだ。カトリンさんと仲良くなって、
俺の意見にどこまで納得できたかは解らないが、しばらくの沈黙のあと、エルナはわかった、と呟いた。その日の晩は、お互い話し込んでしまったからそれでお開きになった。
休日だった翌朝、特に予定もなかったからどうするか考えていると、玄関がノックされた。母さんに頼まれ、ドアを開けて来客者を確認すると、マリヤだった。
「あっ、ザクいた!」
「どうしたんだ?」
冬の空気でだけでなく頬を紅潮させたマリヤは、抱えていた籠に被せていた布を取って中を見せた。
「見て!
籠の中には、正方形のデニッシュパンが三つあった。中央が
パン屋を営んでいる両親の手伝いをしているマリヤが、初めてパンの成形を任されたらしい。自分のデザインしたパンが商品として並ぶのは、嬉しいだろう。
「美味そうだ。こんなに綺麗にできるなんて、マリヤはセンスがいいな」
「でしょう? お客さんにも好評なんだよ」
マリヤが誇らしげに檸檬パンを渡す。俺はそれを受け取り、母さんに預けた。母さんがお湯を沸かしてお茶の用意をしてくれたので、食卓のテーブルに向かい合って座り、三人で談笑する。俺が休みだから新作のパンを見せるためにマリヤは来たらしい。
「ザク、今日、何か用あるの?」
「いや、植木屋見に行こうかと思ってたぐらい。母さん、何か帰りに買ってこようか?」
「そうねぇ……」
「私も一緒に行っていい?」
何かいるものがあったかと母さんが考えている間に、マリヤが同行を希望した。
冬場の植木屋は咲いている花も少ないし、落葉樹は眠っている。庭師以外が行ってもあまり楽しい場所じゃない。だから、俺が疑問を呈すると、調理パンに使えるハーブを教えてほしいということだった。
冬も使える耐寒性があるハーブは少ないから、マリヤ一人で探すのは大変だろう。どうせ俺はこの時期の仕入れ状態を確認するだけだし、同行を了承した。
足りない食材を母さんに確認して、マリヤと植木屋まで向かう。道中、ヨハンたちはどうしているか訊いたところ、粉
「そんなに頑張っているなら、パウルにも飯
「も?」
俺の言葉に引っかかりを覚えたマリヤが、気になったところを復唱して首を傾げた。そんなマリヤの頭にぽんと手を置いた。
「今日はマリヤな」
成長の成果には報酬があるものだ。俺に任せられる仕事が増えた日は、母さんが必ず俺の好きなものを晩飯に作ってくれる。だから、俺もマリヤたちが目に見えてできることが増えたなら、飯ぐらいは奢ってやりたい。ヨハンには先に言って飯で釣った方が頑張るかもしれないな。
昼飯が奢りだと聞いて、マリヤの
「ザク、太っ腹ー」
「イングリットの酒場でいいか?」
「そこ、美味しいんでしょ!? 行ってみたかったんだ」
目に見えて足取りが軽くなったマリヤを見て、俺は笑った。
植木屋では、マリヤには枯れ木にしか見えない木に見入ったり、植木屋のおっちゃんと肥料について話し込んだりしたのをマリヤに注意されつつ、ハーブ選びを手伝った。マリヤは使い勝手のいい
ちょうど、マリヤの家に帰る途中にイングリットの酒場があるから、昼飯に寄りやすかった。外が寒かったこともあり、温かいシチューとジャガイモのグラタンを頼んだマリヤは幸せそうに頬張っていた。俺は焼いた鶏肉と
「ザクはいつ教会に行くの?」
「誕生日になったら忘れないうちに」
質問に答えると、マリヤはふうん、と考えるような素振りで曖昧に頷いた。
俺ぐらいの歳で教会に行く目的は限られている。二度目の魔力測定だ。庶民は近所の教会で、五歳になったら魔力属性の適性検査を受け、十三~四歳のうちに魔力量の測定を受けるのが通例になっている。
一定以上の魔力量が確認されれば、後日、教会経由で国から通知がきて、王立魔導学園に入学する資格をもらう。入学に必要な資金は国持ちで卒業後は王都で就職できるから、宝くじ感覚でほとんどが受けている。
この国は結構広いから、入学の半年前までに測定を受けるよう推奨されていて、庶民は十三歳になったら受ける奴が多い。既に家業の見習いになっているからというのもあるが、早めに受ける理由の一番は文字の読み書きだ。万が一、入学資格を得た場合、今まで必要のなかった読み書きが急に必要になるので教会で習わないといけない。俺は、その点は大丈夫だが、業務引き継ぎの猶予はあるに越したことはないだろう。
「もし……、もしもだよ? 受かったらどうするの?」
「勉強したいから、行く」
前から決めていた答えを言う。ヤンは今年受からなかったから、このまま庭師見習いを続ける。両親にはもう希望は伝えているから、ヤンには受かった場合相談する。
「じゃあ、受かったら……同じ歳のコにいっぱい会うよね」
「あ、そっか」
学園なんて貴族が多そうなアウェイだとばかり思っていたけど、確かにマリヤの言う通りニコ以外にも同じ歳の奴が集まる場所だ。魔法の勉強のために行くつもりだったが、一人ぐらい話の合う奴に会えるかもしれない。ダチができる可能性は考えていなかった。
受かったときの楽しみを増やしてくれた礼を言おうとマリヤの方を見ると、マリヤは神妙な
どうしようと悩んでいる様子だから、マリヤも魔導学園に興味があるのかもしれない。事前に文字を習いたいなら、アニカ様がメルケル教会の孤児院にくる日を教えようか。アニカ様の教え方は解りやすいし。
思案するマリヤと並んで歩いて、そんなことを考えていると、いきなりマリヤが
「婚期逃すから?」
「は?」
「彼女欲しいから学園に行くの!?」
「はぁ??」
最初に勉強目的だと言ったのに、どう飛躍してそんな結論に至ったんだ。マリヤからすると、近所に歳の近い女子がいないから学園にでも行かないと俺に結婚相手が見つからないのでは、と危惧されたんだろうか。
学園に行けたとしても、そもそも貴族が多いんだから財力や容姿が上の奴らに女子が集中して、俺みたいな平凡な奴に彼女ができるはずがない。美人のニコが同学年にいる時点で無理ゲーだろ。
マリヤに落ち着いて考えるように言い、スペック的に無茶なことを
「それじゃ、ザクは受かっても受からなくても婚期逃すかもだね」
「かもな」
結婚できなくても庭師にはなれるから、気にしていなかった。ヤンみたいに、血ではなく技術を継いでくれる奴がいればエルンスト家の庭は安泰だ。
俺はじじいになっても庭造りができれば、それでいい。両親が結婚を急かすタイプじゃないから、危機感も湧かない。夢中になれるものを見つけたせいか、
前世の記憶を掘り返して異性を意識できないか試みてみたが、どうやっても庭の方に意識がいく。恋愛事は、俺にはまだ早いようだ。
マリヤに指摘された通り、本当に婚期を逃すかもしれないと俺は頷いた。
「ザクが婚期逃したら、私がお嫁さんにいってあげようか?」
「あのなぁ、そん、な……」
冗談でも自分を軽く扱うようなことを言うな。そう言うつもりだった。
隣を見ると、力を込めすぎて震える拳、覚悟で見開いた眼差しはそれでもこちらではなく足元に落ちていた。その様子で、顔の赤さが凍てた空気のせいじゃないと判った。
軽口のような調子で吐かれた
びっくりした。
違う、と感じて、それから言動の食い違いの意味を理解して、理解はしても現状を受け止められなくて、どうしたらいいか解らなくて俺は固まる。自分に起こると思っていなかった。
確実に解るのは、ちゃんと答えないと、ってことだけ。マリヤは真剣に言っている。それを、年下だから、子供だから、と流したら絶対に駄目だ。だから、余計に言葉が浮かばない。
俺が何も反応を返さないことに耐えかねたのか、マリヤが勢いよく顔をあげ、俺が抱えていた迷迭香の鉢植えを両手で受け取り、抱えた。
「あと少しだから、もういいよ。ありがとっ」
「っああ」
反射的に答えた相槌は、喉につっかえった。不用意に言葉を発してはいけないと思うから。
「じゃあ、またね」
強張った笑顔でマリヤは別れを告げる。俺の返事を待たずに、マリヤは
「かっ、考えといてね……っ」
一歩踏み出す前に残された言葉に、また俺は言葉が出なくなる。
俺は、マリヤがパン屋のドアに消えていくのを呆然と見送った。
告白されるのって、もっと嬉しいものだと思っていた。初めて女子に告白された。前世込みで初めてだ。
「まだ早いって思ったトコだったのに……」
初めての告白から、一ヶ月近く経ち、新年を迎えた。
あれ以来、マリヤには会えていない。それが避けられているのか、たまたまお互いの休みのタイミングが合わなかっただけなのか、俺には判らない。家で家族で過ごす年末年始は日持ちのする固いパンが売れるから、マリヤのパン屋も忙しかったのかもしれない。
「ザク、風邪でもひきましたの?」
「え……?」
ぼんやりと茶色い水面を見つめていたら、心配そうにお嬢がそう訊いてきた。
今は、温室の作業の休憩時間で、お嬢とメイドのカトリンさんとお茶をしている。寒いからヤンも温室で作業できないか親父に相談しようとしたが、ヤン自身が王都の寒さに慣れたいから、と外の作業を希望した。
急に体調の心配をされ、健康そのものの俺は首を傾げる。
「どうしてだ?」
「声が
「コレ、声変わり」
「声変わり?」
声のせいだと判り、俺が説明すると、お嬢は知らないのか眼をきょとんと丸くした。
「俺、成長期だから。しばらくは何度かこういう声になっても気にしないでくれ」
病気でないならいいが、とお嬢は首を傾げつつも、俺の声が出にくい事象に頷いた。
「声が変わりますの?」
女子にはない変調だからイメージできないのか、お嬢は不思議そうに俺の喉元を見つめる。そこには出始めた喉仏がある。
「うん。低くなる」
「低く……」
お嬢はどう想像したのか、眉を
「病気でなくとも、喉は辛いでしょう。蜂蜜お入れしましょうか?」
カトリンさんが心配してくれて、蜂蜜の入った陶器の入れ物を持ち上げてみせた。大丈夫だと俺は、礼を言いつつ断る。一瞬、檸檬ジャムの上に載った薄荷の蜂蜜漬けが
それをお嬢は見逃さなかった。
「ザク、やはり体調が優れないのでは? 時々、ぼんやりしていますわ」
熱でもあるんじゃないか、とお嬢は少し怒ったように問いかける。俺が体調が悪いのを隠していたなら、きっとこのまま叱られるだろう。けれど、いたって健康な俺は首を横に振る。
「慣れないコトを考えただけだから」
「何か悩みでも?」
へらりと笑うと、お嬢が気遣わしげな眼差しを寄越した。身体でも心でもどちらが悪そうなら、心配してくれるお嬢は優しい。
「悩んでないから、大丈夫。それにコレは俺が考えないといけないコトなんだ」
そう答えは出ている。それをどうちゃんと伝えるか、だ。覚悟も決めた。
誰かの意見に左右されて決めたらいけないから、誰にも頼ったら駄目だ。だから、お嬢にも、ニコにも相談しない方がいい。こないだ会ったけど、ニコは気付いているかもしれないが、訊かないでいてくれた。そんなニコや、こうして何かあったのかと心配してくれるお嬢の存在がありがたいと思う。
「心配してくれて、ありがとな」
「な……っ、べ、別にわたくしは、心配なんて……!」
感謝を込めて笑うと、お嬢は何かに驚き、狼狽しながら言い訳を探して、最終的にカトリンさんに風邪を
こうして心配させてしまうなら、少し能動的に動いた方がいいと、俺は考えを改めた。会えたときに言えばいいと思っていたが、自分から会いに行こう。
そう決心したあとの休日、ちょうど予定もないからマリヤのパン屋に行こうと外に行く支度をしていた。ちょうど防寒具の上着を着たところで、玄関のドアがノックされる。
「ザク、いるかー?」
「ヨハン?」
ノックをしてすぐドア越しに声がかかり、来訪者が特定された。何の用だろうと、俺は玄関に向かい、ドアを開けると意外な光景に眼を丸くした。
何故か生傷をたくさん付けた仏頂面のヨハンと、そのヨハンに手首を掴まれ連行されてきたらしいマリヤが気まずそうに俺から視線を逸らして二人で立っていた。
「ケン、カでもしたのか……?」
二人はよく喧嘩をするがそれでも口喧嘩の範囲で、手が出ているのは珍しい。手が出る喧嘩なんて、数年前のチビだった頃にあったぐらいだ。しかも、今回はどうみてもヨハンが一方的に負傷している。一体何があったんだろう。
「オレの怪我は何でもない。ん」
俺の質問には答えずヨハンは、マリヤを俺の前に突き出した。
「ちょ……!?」
「さっきの威勢はどうしたんだよ」
「そんなこといっても、心の準備ってもんが」
「お前、ホントめんどくせぇな」
「なによー!?」
状況が飲み込めない俺の前で、結局口論を始める二人。俺はどうしたらいいんだろう。経緯が判らないから仲裁しようがない。
「ザク、こいつうぜぇからつれてって。オレ、リエおばちゃんの茶飲んでるから」
「え」
「あら、怪我の手当てを先にしないと」
ずかずかと、俺の横を通り抜けて家の中に入っていくヨハン。怪我の手当てを提案されて、ヨハンはほっとけば治ると言い張るから、母さんが駄目だと注意をした。
ヨハンが入っていくのを思わず眼で追ったあと、玄関先に視線を戻すとマリヤは俯いてじっと動かないでいた。ヨハンはつれていけ、と言ったが一体どこにつれていけばいいのか。
いずれにせよ、会いに行こうと思っていた相手が今目の前にいるんだ。
「マリヤ、二人で話したいんだけど、いいか?」
俺が訊くと、マリヤはびくっと肩を跳ねさせた。それから数秒思案してから、縦に小さく首を振った。
外に行くことも考えたが行く宛もなかったので、母さんが淹れたお茶を二つ持って家の中庭で話すことにする。苗を運ぶのに使う木箱をひっくり返して、そこに厚手の布を敷いて椅子代わりに二人とも座る。食卓でヨハンと母さんもお茶しているが、同じ一階とはいえ距離があるから話し声までは届かない。
マリヤは母さんから渡されたひざ掛けを使い、その上にマグカップを置いて両手で包んでいる。そうすると、温かいお茶の熱がマグカップ越しに手に伝わるのだろう。
俺は一口、二口、と茶を飲み、その熱が身体の中を温めたことを感じ取ってから、話を切り出した。
「ちゃんと考えた」
マリヤは黙ったままだ。けど、マグカップを包む指に力が籠ったから、聞いていると判断して俺は続ける。
「……俺、マリヤを嫁にはできない」
ごめん、と口をつきそうになって堪える。答えを伝えるのに、ごめんもありがとうも適切じゃないような気がした。
俺の答えを聞いて、ようやくマリヤが口を開いた。
「他に好きな人いるの……?」
「いや」
「だったら! お嫁さん候補にしてくれてもいいでしょ!?」
「マリヤ」
「ちゃんとマリヤのコトだけ考えた」
俺より三歳も下なのに、未来を選ぶ決意がある凄い女の子だ。
頑張り屋でしっかりしている。いつから俺のことを想ってくれていたのかは判らないけど、マセてるんじゃなくて、無理に背伸びしていたのかもしれない。その背伸びの理由が、たぶん俺との歳の差なんだろう。俺は大人じゃないけど、マリヤよりは先に生まれているから。
マリヤはもう女の子だった。告白されたとき、そのことに気付かされて驚いた。
だから、思う。
「マリヤには幸せになってほしい」
上手く言葉にできているか判らなくて、苦し紛れにマグカップを持つ手に力を籠めた。
「でも、それは誰かと、だ。俺以外とって思うんだ」
前世の記憶だけど、恋愛感情との違いはなんとなく解る。想いが通じたあとの未来を想像できるか、だ。マリヤが俺との未来を想像できても、俺にはマリヤの隣にいる自分のが想像できない。
好きか嫌いかで言えばマリヤのことは好きだけど、それは確実に恋愛感情じゃない。だから、マリヤにとっては好きじゃないことと同義だ。
俺なりにマリヤを
じっと俺の答えを聞いていたマリヤは、マグカップのお茶を一口飲み、震える声で零す。
「…………っザク、ひどい」
「うん」
「ずるい」
「うん」
悔しそうな
今までだったら、頭を撫でたり、泣き止むまでいくらでも胸を貸した。けど、これからはできない。
マグカップのお茶を飲み干したマリヤは、おかわりをもらう、と涙を袖で拭って立ち上がる。
「私がいい女になって、あとで後悔しても知らないんだからねっ」
食卓へ続くドアを開き、マリヤはそう言い捨てて中へ入っていった。
「そうだな」
俺は肯定して笑う。自分で立ち上がれる女の子は、間違いなくいい女だ。
今年は、二月になっても雪が降らなかった。降雪率の低い地域だから仕方ないとはいえ、少し残念だ。
冬の雨は芯から冷えそうになる。だから、去年より今年は寒く感じた。気温が下がるから雪が降るのに、雪が降った方が寒く感じないのはなんでだろう。テンションがあがるからだろうか。
正面玄関の石畳の掃除をしながら、そんなことを考えた。雨上がりは凍ったら危ないから乾燥させた
掃いた藁をヤンと交代で台車で運び、石畳の掃除が終わる頃にはもう昼下がりだった。台車に積んだ最後の藁はヤンが片付けてくれるというので、俺は温室の作業に向かう。
あれから、マリヤと会うとぎこちないやり取りになる。眼が合うと回れ右で逃げられていた当初に比べれば、会話ができるようになっただけ最近はマシになった方だろう。今までと同じようにはできないけど、いつか新しい距離感に慣れて普通に話せる日が来たら嬉しい。
断っておいて、嫌われたら寂しいと思うのは、マリヤの言う通り俺は酷い人間なんだろう。
吐く息が白くなって空に溶けていくのを眺めながら歩を進めると、温室の前に辿り着いた。温室に入ると見れなくなるから、一度深く息を吸い、大きく息を吐き出す。
吸い込んだ冴えた空気が、肺の熱を含んで外に吐き出される。その白が消えていくのを見届け、なんだかすっきりした気分になった。
「あー、疲れたぁ」
腕をぐんと伸ばして、吐き出す。口に出すと、疲れたんだと自覚した。
マリヤの気持ちが重荷だったんじゃない。告白される、という非常事態に単純に疲れた。普段考えないことをたくさん考えた。
妹みたいだとかまだ子供だからとかヨハンのこととか、出そうになる外野の言い訳を取り除く作業が一番大変だった。答えはシンプルなのに、どうして伝えるのがあんなに難しいんだろう。やっぱり俺には恋愛事は難しい。
「お疲れさま」
後ろに振り返ると、淡い青の瞳とかち合う。淡い柔らかな金髪がふわりと揺れた。光に透けるその髪が、そのまま雪みたいに空気に溶けるんじゃないかと一瞬思った。
お嬢は言葉のままの感情を載せて微笑んでいる。単に庭作業で疲れたと思ってお嬢は言ったんだろう。けど、この件で誰にも相談せずにいた俺には、その一言が沁みた。
自然と頬が緩む。
「お嬢」
「ザク、喉が治りましたのね」
言われてから、声がするりと出ていることに気付いた。そんなに話す方じゃないが、それでも喉がつっかえる感じがなく喋れるのは楽だ。
「病気じゃないって言ったろ」
お嬢の安堵の籠った声音に俺は笑う。喋り辛い様子がどうも気になっていたようだ。
「少し、低くなってますわね……」
「そうか?」
自分では前と変わっているなんて感じはしない。お嬢はよく判るな。耳がいいからだろうか。
顎に曲げた人差し指を当て、お嬢はなんだか思案げだ。俺の変わっているらしい声に違和感でも感じるんだろうか。
「変?」
「変では……、むしろ」
「むしろ?」
お嬢の言葉尻を訊き返すと、はっと我に帰った様子のお嬢は頬を紅潮させた。
「な、何でもありません! 早く入りますわよっ、カトリンの用意したお茶が冷めてしまいます」
「あ、今日のお菓子何?」
俺は話題を打ち切られたことより、お茶請けのお菓子への興味が勝り、先に温室へ入るお嬢に問いかけながら続く。だから、お嬢が何かを言いかけたこともすぐに忘れた。
今日のお茶請けは、降らなかった雪の代わりに、とスノーボールという焼き菓子だった。雪玉の形をしたその焼き菓子を、ただの丸いクッキーだと言ったら叱られ、お嬢から焼き菓子の種類について説教を受けた。
焼き菓子の種類も区別がつかない俺に、恋愛できる日は来ないのかもしれない。
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