55.色



「たのもー!」


夕陽が落ち始める刻限、に威勢のいい声がエルンスト邸の正面玄関に響く。

声の主を出迎えたリュディアは、玄関の扉を背に、僅かにひくつきながらも微笑を浮かべた。


「……イェレミアス様、そのように声を張らずとも、目の前のわたくしに届きますわ」


「そうか。殿下からの贈り物を届けに参った!」


婉曲えんきょくに声が大きいと忠告したつもりだったが、彼には通じていないようで、小首を傾げつつ頷くだけだった。婚約者であるこの国の第一王子のロイから、実直な男だと聞いてはいたが、貴族にしては腹の探り合いが不得手すぎないだろうか。嫌味も通じないとは。

彼は言葉通り、ロイから預かった一輪の秋薔薇あきばらを差し出した。落日に似た落ち着いた色味の秋薔薇は、王都では城の薔薇園にしかない品種だ。一輪とはいえ、その貴重な薔薇を贈られる、ということは婚約者として大事にされている体裁を保てる。


「今日は、散っておりませんのね」


「ああ、振らないように気を付けた!」


半眼になりつつリュディアは、イェレミアスの手に握られた秋薔薇を見つめた。前回は、馬車を降りて、正面玄関前に着く頃には勢いよく振りすぎて、花弁はなびらがすべて散っていたのだ。今回は花弁が散った様子もなく、一見無事のようだ。

イェレミアスから秋薔薇を受け取り、リュディアは形式的な対応をとる。


「せっかく来ていただいたので、お茶でも……」


「いや、殿下の追従でないときに婚約者殿の邸に立ち入る訳にはいかない。少し、庭を見せてもらえれば充分だ」


「では、ご案内いたしますわ」


「感謝する!」


ここまでがお決まりの問答だ。断ることが解っているため、提案はしているが実際にお茶でもてなす支度はしていない。

婚約者のロイの訪問が、二週間に一度から月に一度へ頻度が落ちた。その代わり、ロイは城の花園で育つ花を、週に一度贈ってくるようになった。信頼のおける直臣じきしん候補の者に頼んで。

ロイが直臣候補に選び、親交をもっているのが、騎士団長の子息であるイェレミアス・フォン・シュターデンと、大臣の子息であるベルンハルト・フォン・レッケブッシュの二人だ。その二人が、長居しないよう、あえて夕刻に使いで訪ねてくる。

おおやけへの名目は以上の通りである。リュディアも上位貴族ゆえ、周囲の眼を考慮する能力を身に着けつつあるが、ロイのように人を使った印象操作までは気が回らない。リュディアが意識できるのは、自身の振る舞いがどう周囲に働くか、までだ。

直臣候補の二人が交互に訪ねてくる真の目的を知っているリュディアは、よくここまで頭が回るものだとロイに感心するばかりだ。

歩幅の差を失念して案内する自分を時折追い越しそうになりながらついてくるイェレミアスを、リュディアはちらりと確認する。

リュディアには羨ましいほどに真っ直ぐな紺碧こんぺきの髪は、彼が歩くたびにさらりと揺れ、空色そらいろの瞳は本来なら涼しげに見えるだろうが今は奥に意欲の光がちらついて外見の印象を打ち消している。静かにしていれば、知的に映る外見をした少年だ。そして、口を開くと真逆だと思い知ることになる。

西の渡り廊下の中ほどにある東屋、本来ならこの時期には見る花もないため人を通さない場所だ。だからこそ、彼らの真の目的を果たすにはうってつけの場所といえた。

東屋には先客がおり、内側のベンチに腰かけてリュディアたちを待っていた。


「ザク、疲れているところごめんなさい」


「いや、もう帰るだけだし。それに、お嬢が謝るコトじゃねぇよ」


庭師見習いの少年は、へらりと笑ってリュディアの謝罪を取り下げさせた。こちらまで気が抜けるような笑みに、リュディアは頬の筋肉が弛むのを感じた。どうやら、イェレミアスの対応に表情筋を使っていたらしい。


「どうだっ、今日は散ってないぞ!」


「不合格」


前回、イェレミアスは花を完全に散らせて届けたために、庭師見習いの少年に話にならないと相手にされなかった。今回は花の状態を維持したから大丈夫だろうと、イェレミアスが確認すると、半眼の彼からにべもない即答が返った。


「なんでだ!?」


今日こそは取り合ってもらえるとばかり思っていたイェレミアスは、衝撃を受ける。

すると、庭師見習いの少年は、リュディアから秋薔薇を預かり、包んでいた包装紙を剥がした。あらわになった薔薇の茎は途中が色濃くなっており、その箇所が曲がりやすくなっていた。


「生けやすい長さだったのに、お前が強く握りすぎて短くしないといけなくなってる。トゲ取りしてなかったら、お前の手が怪我してたぞ」


説明しながら、庭師見習いの少年は腰に下げたポーチからはさみを取り出し、イェレミアスが握り込んだ箇所より上で茎を斜めに切った。そして、包装紙で包み直し、リュディアに返す。本来は生けている間に少しずつ切り戻して、長持ちさせるのだと彼は教えてくれた。

イェレミアスは口をへの字に曲げて判りやすく剥れた。表情筋が動かないような顔立ちをしているというのに、彼はとても表情が豊かで考えが表に出やすい。


「レミアス、全力ですりゃいいってもんじゃないんだぞ」


「何事にも全力でのぞむことの何が悪いっ」


「現に、花が二輪ダメになった」


正しさを訴えようとしたが、庭師見習いの少年に失敗例をあげられ、イェレミアスはうぐっと言葉を詰まらせる。


「花がやわだったんだ!」


「ソレ、女子供や年寄り相手でも言えるのか? 確か、騎士目指してるんだろ。守る対象が弱いからって、力加減を間違って怪我させてもいいのか?」


弱きを助け強きをくじく、それがイェレミアスの目指す騎士道だ。庭師見習いの少年は、単に警護職の印象で発言しただけだったのだが、イェレミアスの核心を突いていた。イェレミアスは言い返せず、口を真一文字に引き結んだ。


「でもまぁ、前と違って花の部分は守ったから成長したよな」


自分なりの努力を正論でダメ出しされ、不服な感情でいっぱいだったイェレミアスの頭が、ぽんと撫でられる。前進しているとの評価を受け、イェレミアスは空色の瞳にまた意欲の炎を燃やした。


「次こそは勝つ!」


そう宣言するなり、さらば、ときびすを返してイェレミアスは帰っていった。その引き際のよさに、リュディアと庭師見習いの少年は呆気にとられて見送る。


「一体、何の勝負だ??」


「さぁ?」


庭師見習いの少年は勝負をしているつもりはないし、リュディアも男子特有のイェレミアスの心情は不可解だった。二人して首を傾げる。

東屋に取り残された二人は互いに顔を見合わせる。リュディアは気がかりだったことを訊ねる。


「ザクは、迷惑じゃありませんの?」


週に一度の彼らの来訪への対応は、彼にとっては業務外のことだ。彼が困っているようであれば、ロイからの頼みであっても異議を唱えようとリュディアは考えていた。


「いや、チビたちに構っているみたいで、ちょっと懐かしい」


「懐かしい?」


休日は、彼の住む下町でよく歳下の子供たちの面倒をみていると聞いたことがある。けれど、それを懐かしく感じるとはどういうことか、とリュディアは疑問に感じた。


「チビたちもそれぞれ家の仕事を手伝うようになってきたから、顔は合わせるけどあんま揃って遊ばなくなったんだ」


もうチビって言ったら悪いな、と庭師見習いの少年は笑う。

歳下の子供たちといっても、一番上はリュディアと同じ九歳で、下の方の子供も七歳らしい。それより下の子供は、彼が面倒をみていた彼らが主だって面倒を見ているとのことだった。確かに彼の身長より皆低いだろうが、見習いでも働き始めた者を子供扱いするのは失礼かもしれない。


「それに」


働いていないリュディアがなんと返すのが正解かと悩んでいると、まだ続く言葉があった。不思議に思って、リュディアが小首を傾げると、何故か楽しそうな笑顔がこちらを向いた。


「仕事終わりにお嬢のカオ見れるの嬉しいし」


「なっ!?」


今日見た中で一番緩んだ表情に、リュディアは頬が熱くなるのを感じた。話の合わない相手の対応に若干億劫おっくうな気持ちがもたげていたというのに、彼の意見と笑顔に現状も悪くないかもしれないと考えが変わってしまった。

自分にいとも簡単に変化を与える彼が卑怯に思えて、怒りに似た感情が沸き上がり沸点に達する。


「ザクはなんだってそう……!」


叱責しっせきの言葉は最後まで続かない。

彼の置かれた状況に悲観的にならずに、プラスになる点を探し当てる姿勢は美点だと、リュディアは思う。ただ、プラスになる矛先が自分に向きやすいことが苦手なだけだ。同意するにできなくなる。

何か言ってやりたい気持ちと、素直に同意できない自身の落ち度への悔しさとがせめぎ合い、リュディアは唇や拳をわなわなと震わせるだけに終わる。自分の様子を見て叱られると感じたのか、庭師見習いの少年は弱ったように眉を下げている。自分の反応を待つその眼差しすら卑怯だ、とリュディアは感じてしまう。

結局、もういい、と話を打ち切るしかリュディアはできなかった。そんな彼女に、庭師見習いの少年はまたな、と言って帰路に着く。可愛げのない態度をとってしまったことを内心悔いていたリュディアには、また、という彼の言葉にそっと安堵を零すのだった。



一週間後、次はベルンハルトの番だったのでつつがなく西の東屋まで案内できた。

獅子を思わせる乱雑な長さの深紅しんくの髪と野生の獣を思わせる鋭い常盤色ときわいろの瞳を持ち荒々しい印象を与えるが、その実、物腰は落ち着いていて礼儀正しい少年だ。

リュディアの案内に大人しくついてきて、庭師見習いの少年の待つ東屋に着いてからも簡単な挨拶を交わしたあと、東屋の内側に備え付けのベンチに腰かける余裕すらあった。立ち話で終わったイェレミアスのときとは大違いだ。


「で。今日の質問はなんだ?」


庭師見習いの少年が、ベルンハルトに問いかける。初対面でベルンハルトの知的好奇心に際限がないと学習した彼は、一度に答えるのは一問だけに制限した。就業後から帰宅までのわずかな時間を利用してベルンハルトたちに会っているので、実際それぐらいがちょうどよかった。彼が申し出なかったら、リュディアの方で時間の制限を提案していただろう。

興味津々といった様子で瞳を輝かせるベルンハルトは、事前に考えていたのだろう、躊躇ためらいいなく質問した。


「どうして無詠唱で魔法を使おうと思ったんだ?」


ベルンハルトの問いは、リュディアも気になるところだったので一緒に回答を待つ。彼は無詠唱での魔法発動を当たり前のようにするが、魔力量の少ない平民は呪文の詠唱を糧に発動するのが一般的だ。一体何故、精霊補助のすべを見出だしてまで、無詠唱発動にこだわったのか。


「呪文唱えるのが恥ずい」


即答だった。回答の内容に、ベルンハルトもリュディアも眼を丸くする。


「恥ずかしい……?」


理解ができない様子のベルンハルトは復唱して確認する。呪文詠唱は、魔力発動コストを軽減するために一番有効な手段で、貴族でも魔力消費の高い魔法を使う際などには利用するとても一般的な手段だ。ただの手段に対して羞恥を感じる、ということが、ベルンハルトにもリュディアにも理解ができなかった。

ベルンハルトたちの様子に伝わっていないことを感じたのか、庭師見習いの少年は恥ずかしいと言っている割に頬を染めるでもなく、少し不服そうな表情で呟く。


「呪文って、普段使わない言葉が多いじゃんか。そんな噛みそうなの、言えても言えなくても、なんか恥ずい」


彼の言う通り、古典表現および詩的表現が呪文詠唱には多い。古典文学や詩歌は教養の内なので貴族には親和性が高いが、平民には魔法のときにしか使わない言葉という印象があるのは確かだろう。

言い慣れない表現を口にすることが照れ臭いという意見は、ベルンハルトには解ったような解らないような感覚だった。自分がイェレミアスのような猛々しい口調をしようとするようなものだろうか、とベルンハルトは近しい感覚を模索する。イェレミアスの言葉遣いを真似したいとも思わないから、周囲が真似ていたとしてと自分は絶対しないだろう。そこまで考え、ベルンハルトはおおむね納得した。

リュディアは、庭師見習いの少年のいつにない反応に少しばかり驚いた。自分の知る反応ではないが、彼は確かに恥ずかしさを感じ照れている。彼が照れる姿が想像できなかったが、このように照れるのか、とリュディアは新事実を発見した。


「ふふっ、そんなことを気にしますのね」


まさか羞恥を感じるのがそんな些細ささいなことだなんて、となんだか可笑しかった。リュディアは思わず、小さく笑ってしまった。


「いいだろ、別に」


「悪いなんて言ってませんわ」


笑われて、更に表情をしかめる庭師見習いの少年。その反応を照れと知ってしまったリュディアは、笑みがにじむのを抑えられなかった。ただ意外だっただけで、悪気ある言葉ではないと補足しておく。

ベルンハルトは長く共にいた自分が今更訊けないようなことなどを彼に質問してくれるので、ベルンハルトの訪問にリュディアは内心感謝している。今日も、おかげで彼の意外な一面を知れた。

リュディアと庭師見習いの少年がやり取りをしている間、ベルンハルトは回答の内容を咀嚼そしゃくするように考え込んでいる様子だったが、うん、と一つ頷いた。


「ふむ、参考になった。感謝する。そうだ、先日聞いたお供えだが、僕もするようにしたら少しだが魔力発動の負担が減ったんだ! 継続すればイザークのように魔力消費なしで発動できるようになるかもしれないっ、経過観察が楽しみだ! そうすれば、これまで挑戦できなかった魔法にも……」


「落ち着け」


相槌を挟むすきもなく語り始めたベルンハルトの頭の上に、庭師見習いの少年は手を置く。まるでスイッチを押すような動作だった。ベルンハルトは機械ではないが、物理的な衝撃がきっかけになったのか、ベルンハルトがはっと我に返る。

理性が戻ったベルンハルトは申し訳なさそうに、気落ちした声で謝罪した。


「す、すまない……」


「いや、いいけど。ベルって、魔法のことになると見たまんま熱くなるよな」


庭師見習いの少年の感想に、ベルンハルトはあからさまに沈んだ表情で俯き、自嘲を吐き出した。


「似合わない、だろう」


ベルンハルト自身も自覚していた。自分の外見が周囲に与える印象が、内面にそぐわないことを。獣のような荒々しい印象を与える外見のせいで、寝不足の日などは視線が合っただけだというのに、喧嘩腰になった相手に絡まれることが何度もあった。大人しい話しやすそうな相手とは逆に苦手なタイプの人種と誤解され、距離を取られてしまう。


「水属性なのに、僕には青が似合う要素がどこにもない。母が嫌いな訳じゃないが、譲り受けたこの外見だけはどうにも不便だ」


水属性持ちが生まれやすいレッケブッシュ侯爵家は、その魔力の影響を受けてか青ないし黒髪の者が多く、赤い髪をしているのはベルンハルトだけだ。魔石の色も、水属性は青、火属性は赤なので、魔力量が多いにもかかわらず身体的特徴に属性色が現れないベルンハルトは異質な存在だ。


「青くなくてもいいじゃん」


不可解げに庭師見習いの少年が呟いた。


「青は水属性の象徴だろう」


庭師見習いの少年は知らないと解っていながらも、ベルンハルトは思わず眉をひそめた。

ベルンハルトはレッケブッシュ侯爵家で随一の魔力量を誇る。つまり、貴族の中でも指折りの水属性の魔力を持つということだ。そんな自分が適性魔力の色を持たないということは、ベルンハルトには強い劣等感を感じるものだった。


「そりゃ、紫陽花や魔石で色のイメージはあるけどさ。今、ココはどこも青くないぞ」


彼の言葉に促され、ベルンハルトは周囲を見回す。池に囲まれ、池を縁取る緑以外は空が広がる。上にも下にも水に溢れた空間だ。けれど、今は夕刻で世界は夕焼けに染まっている。


「全部、ベルと同じ色じゃん」


庭師見習いの少年の言葉に、ベルンハルトは瞠目する。

水は無色、透明だ。受ける光の反射で色が変わる。知っていたはずの知識を何故自分は見落としていたのだろう。人間は水のように透明になれないのだから、自分の姿が何色であろうと関係ないではないか。


「……そう、か。そうだな」


その通りだ、とベルンハルトは吹っ切れたように笑った。気にしていたこと自体が馬鹿々々しいとまで今は思う。


「それに、男は母親に似ると幸せになるってゆーから、ベルはラッキーだな」


「そういうものなのか」


平民での迷信なのだろう、根拠はないだろうがベルンハルトは初めて母親に似ていることを肯定された。自分ですら否定的に捉えていたというのに。ベルンハルトは頷き、帰ったら母親に礼を言おうと思った。


「俺、最初ベルたちを見たとき、中身入れ替わってんのかと思ったけど、なんか猩々木しょうじょうぼくみたいで面白いよな」


「あの赤い花か?」


冬が近付くこの時期に咲く大きな赤い花に例えられ、ベルンハルトは首を傾げる。


「あの赤いところは花弁はなびらじゃなくて、ほうっていう葉っぱなんだ。花は中央の小さくて黄色いの」


「そうなのか」


意外な事実にベルンハルトは少し驚く。リュディアも知らなかったようで、今度ちゃんと見てみようと呟いていた。


「葉っぱが派手すぎて、可愛い花に気付かない人がほとんどだ。でも、知ってる奴は花を見るために覗き込む。見た目で誤解されるヤツって分かろうとするヤツしか近付かないから、ベルの周りはいいヤツばっかなんじゃね?」


指摘されて、ベルンハルトは自身の置かれている状況を確認する。確かに両親は外見のことなど気にせず愛してくれている。幼馴染になるイェレミアスも何も考えていない可能性が高いが、鬱陶うっとうしいぐらいに事あるごとに自分を巻き込む。

自分ばかりが周囲の眼を気にして、一番身近な者たちは自分の外見に頓着とんちゃくしていなかったことにようやく気付けた。

今更、と気付くことが多い日だと、ベルンハルトは可笑しくなった。


「そうだな。社交性の低い僕にはこの外見はちょうどいいかもしれない」


交友関係は狭くてていいと思っていた。その方針に、劣等感しか感じなかった自分の外見は有用性が高い。自分が気を付けなくても、相手が勝手にふるいにかけられてくれるのだ。


「今日は本当に参考になった。ありがとう」


新たな視点を得られて、ベルンハルトは満足げに笑った。そして、ではまた、と挨拶をしてその場を辞する。去るベルンハルトの表情は晴れやかなものだった。


「庶民の意見なんてそんな参考にならないだろ」


ベルンハルトの去った東屋で、庭師見習いの少年は不思議そうに呟く。彼からすると、ベルンハルトの関心はすぐに自分から薄れるものだとばかり思っていた。何度も来る価値などない、と早々に気付くとばかり思っていたのだ。

庭師見習いの少年の様子を見て、リュディアは半眼になる。


「……ザク、気付いていませんの?」


「何が?」


「ベルンハルト様、嬉しそうでしたわ」


「ああ。ほんと魔法が好きなんだな」


「分かっていませんわね……」


リュディアは、ベルンハルトの様子の変化を言ったというのに、庭師見習いの少年は彼が晴れやかな表情で帰った理由を履き違えているようだった。

自分以外の者に彼が影響を与えるところを見るのは、これが二度目だろうか。以前のニコラウスのときは状況打開のために意図してのものだったが、今回は自分のときと同様、彼は率直に考えを吐露とろしただけだった。

良いと感じたものを良いと言うだけ。それだけのことだが、自身で否定してきたものに対して他人から慰め以外で肯定を言われることはまずない。それゆえに、大きな衝撃となる。

それを彼は解っていない。

だからこそ、彼の言葉が届くのだと身をもって知っているリュディアは、実に性質たちが悪いと溜め息が零れるのだった。



また一週間後、今度は一ヶ月ぶりにロイが訪問した。

リュディアは庭の見える客室に招き、温かな紅茶でもてなす。ロイは出迎えたときから、とても楽しげに微笑んでいた。


「久しいな、リュディア嬢」


「ええ、ロイ様にお会いできるのが待ち遠しかったですわ。彼らだと賑やかで落ち着きませんもの」


皮肉めいた言い方になってしまったが、本心だった。こうしてロイと穏やかにお茶をする時間は心が安らぐ。皮肉めいてしまったのは、ロイの微笑みが状況を可笑しがっていると判るからだろう。

リュディアの言葉に、ロイは可笑しそうにくつくつと喉を鳴らし、謝罪した。


「それはすまないな。僕にできることなら何でもしよう」


「貴重な薔薇をいただいているだけで充分ですわ。それに、友人とはいえこれは男性には癒せないものですわ」


同世代の貴族の男性と接する機会など、本来ならデビュタントするまでは少ないものだ。歳の近い貴族の男性の対応がこんなに気疲れするものだとは、リュディアは知らなかった。未知の部分が多すぎる。

自分の婚約者が、歳の割に随分と落ち着いていると改めて実感したリュディアだった。


「そうか。では、アウグスト侯爵令嬢たちに癒してもらうといい」


「そうするつもりですわ」


彼女たちに愚痴ぐちを言うつもりはない。ただ、一緒に他愛もない話をして笑い合えればそれでいい。既に、トルデリーゼたちとお茶会をする予定を立てており、リュディアはそれを楽しみにしている。


「リュディア嬢が友人の令嬢と親しくて何よりだ」


「突然、なんですの……!?」


安堵と嬉しさを湛えてロイに微笑まれ、リュディアはなんだか居た堪れなくなる。楽しみにしていることすら見透かされているようで、気恥ずかしい。


「突然じゃないさ。女性の嫉妬しっとは恐ろしいと聞く」


ロイの一言で、リュディアは彼の危惧を理解した。

この国の第一王子のロイの婚約者であるリュディアは、同世代の女性からは羨望せんぼうと嫉妬の対象だ。王位継承権第一位という立場もあるが、ロイ自身が金糸の髪に蜂蜜色の瞳の天使のような容姿で女性の好意を集めているからだ。ロイに恋焦がれる令嬢は少なくない。

彼の婚約者であるリュディアに、心安らぐ関係の友人がいることは奇跡に近い。ロイの人望と彼女の立場上、恩恵を受けようとびる者以外からは嫉妬の渦中かちゅうに置かれ、孤高の存在になっていた可能性もあった。

例えば、ロイに憧れていたままの自分だったらどうなっていただろう。嫉妬の渦中にあっても誰にも弱音を吐かずに、公爵令嬢として高潔であろうと肩肘を張りつづけていたかもしれない。

それを考えると、友人に安らぎを求められる状況はとても幸運なものだとリュディアは感じた。彼女たちに感謝を覚えるとともに、会いたい気持ちが増した。


「心配ご無用ですわ」


リュディアが不敵に微笑むと、ロイは蜂蜜色の瞳をやわらげた。


「そうか。ヴィッティング伯爵令嬢やファイト男爵令嬢も、家格以上に高い教養を身に着けていると聞く、リュディア嬢は実に愛されているな」


「そっ、それは、ファニー様たちが努力した結果ですわ! わたくしは何もしていませんっ」


「君と肩を並べたいからこその努力だろう。やはり、愛されているよ」


令嬢としての教養の高さはシュテファーニエたち本人の成果だと主張するも、ロイの微笑みに、リュディアはそれ以上の反論を失くす。シュテファーニエは養子として受け入れてくれた伯爵の恩義に報いるためであるし、ザスキアにいたっては婚約者の侯爵令息に釣り合うようにと努力しているからだ。だが、二人の目指す目標を自分だと言われてしまっており、ロイの意見もあながち間違ってはいない。

そして、ロイの言うとおりだったらほんの少し嬉しいと感じてしまった自分がおり、リュディアは面映おもはゆさに押し黙るしかなかった。

そんなロイの訪問から数日後、楽しみにしていたトルデリーゼたちとのお茶会はエルンスト家で行われた。リュディアの部屋に招いて、談笑していると花瓶に生けられた秋薔薇にザスキアが眼をとめた。


「わぁ、一輪一輪が大きくて綺麗ですね。色合いも上品で、ディア様のお庭で咲いているんですか?」


「あ……、これはロイ様が贈ってくださったもので」


他国から寄贈された珍しい品種の薔薇でアーベントロート国では王家の庭園にしか咲いていないものらしいと聞くと、ザスキアはその貴重さに更に眼を輝かせた。訪問頻度が減る代わりに重臣候補を通じて贈られているものだと説明すると、トルデリーゼが怪訝に首を傾げた。


「あのイェレミアス様がよく無事に花を届けられましたね」


トルデリーゼの知っている素振りかつ的確な感想に、リュディアは苦笑が滲みそうになりながら訊いた。


「トルデ様は、イェレミアス様をご存じですの?」


「はい。たまに父に挑みにきては、こてんぱんにされていますから」


突拍子もない話にシュテファーニエとザスキアは眼を丸くする。リュディアは、あり得そうだとそっと視線を逸らした。

聞くところによると、イェレミアスは自身が強くなったと思ったら、騎士団副団長であるトルデリーゼの父、ツィンバルカに勝負を挑みにくるらしい。そして、その度に返り討ちに遭っているという。彼が五歳ぐらいのころから、半年に一度ほどの頻度で挑戦してくるためトルデリーゼには顔見知りの相手らしかった。


「歳が同じせいもあるんでしょうが、いつの間にか兄の友人です」


仕方なさげに肩を竦め、トルデリーゼは紅茶とともに出されたケーキを一口食べた。アウグスト侯爵家は武功で名を馳せている家のため、男家族は繊細さに欠ける無骨な者ばかりだ、と以前彼女は愚痴を零していた。イェレミアスと意気投合したところからして、恐らく彼女の兄もそのたぐいなのだろう。


「えーっと、騎士団長さんって赤い髪のおじさ……殿方ですよね。ということは、王子殿下とよく一緒にいる赤い髪の男の子がイェレミアス様ですか?」


記憶を辿りながらシュテファーニエが言う。考えながらのため言葉遣いが不安定だが、リュディアたちは指摘しなかった。公の場では細心の注意を払っている彼女が言葉を崩すのは、自分たちに気を許しているからだと知っている。

伯爵令嬢になって数年のシュテファーニエがロイたちを見かける機会は、王族の誕生日パーティぐらいで遠目にしか確認していない。それにしては、よく覚えている方だろう。


「逆です。青い髪の方がイェレミアス様です」


シュテファーニエの認識を、ザスキアが訂正した。


「え、でも……」


「武のシュターデン侯爵家と智のレッケブッシュ侯爵家は、王命で交友を深めるためそれぞれの令嬢が相手の家に嫁いでいるんです。なので、イェレミアス様のお母様はレッケブッシュ家の方で、ベルンハルト様のお母様がシュターデン家の方なんですよ」


「それぞれ家の適性属性が現れたのに、お二人ともお母様似だから入れ替え子だと冗談で噂されるぐらいで」


「入れ替え子??」


知らない単語にシュテファーニエは首を傾げる。問われたトルデリーゼは、説明を補足する。


「貴族の子供がよく聞かされるおとぎ話なんです。ある国の王女が実は生まれた頃に精霊によって貧しい平民の子供と入れ替えられていた、とデビュタントのときに判明して、それまで傲慢に暮らしていた王女が貧民に身を落としてしまうという……」


「へぇ、精霊のいたずらみたいですね」


似た話を連想して、シュテファーニエは興味で眼を輝かせた。今度は、リュディアが耳慣れない単語に首を傾げる。


「その精霊のいたずらってなんですの?」


「庶……、平民が寝物語によく聞く話です。貧しい家の女の子が十五歳の誕生日に、実は精霊のいたずらで入れ替えられたお姫様だったことが分かってお城で幸せに暮らすっていう、女の子が一度は憧れるお話です」


「まぁ、わたくしたちには身分に驕らないようにと教訓に使われる話ですが、平民側になると随分見解が違いますのね」


事実が同じことからして同じ話が元になっているだろうに、貴族には恐ろしい話が、平民には夢物語となるなんて伝わっている。焦点主人公が違うだけで、こんなにも雰囲気が変わるものなのか。


「昔は憧れてましたけど……、今はお姫様にはなりたくないですね」


「どうしてですの?」


シュテファーニエが苦笑を零すので、リュディアは不思議に思う。王女に転身する物語に憧れる気持ちはリュディアも解る。数年前は絵本で王子に見初められ王女になる物語に憧れていた。そのときにリュディアが抱いた憧れと、シュテファーニエが抱いた憧れはきっと似たものだろう。


「だって、今のわたしが伯爵令嬢になるのも大変なのに、十五歳になってからいきなりお姫様になれって言われたら無理ですよ……」


シュテファーニエは貴族の世界にやってきて、随分と現実的になったらしい。いや、単に思考の成熟が早まっただけかもしれない。いつまでも漠然とした夢物語にすがって生きてはいけないものだ。


「きっと、教養を身に着けるのは過酷でしょうね」


現実的に考慮してみたリュディアは、彼女の意見に同意する。元々貴族として最低限の教養を備えている状態で王女になるのと、何の知識もなく王女になるのでは大きなへだたりがある。貴族の少女が王女に憧れるのは現実味があるが、平民の少女が憧れるには非現実的だ。埋める穴の大きさが違う。


「昔は美味しいものを食べれて、綺麗な服きていいなーって思ってましたけど、領地の管理とか大変そうですし」


「令嬢は、領地管理まではしなくてもいいのでは……?」


「ディア様がお祖父じいさんと文通で領地管理について教えてもらっているって言っていたじゃないですか。わたしも勉強したら少しは手伝えることがあるかもって、ヘルマン様からウチの領地のこと教えてもらっているんですっ」


「そ、そんな大層なことでは……」


やる気に満ちたシュテファーニエの眼差しに、リュディアは居た堪れなくなる。

彼女が触発されるほどのことではないのだ。シーズンオフに領地を訪れて、自分のもう一つの故郷のことを知りたくなっただけだ。どんな人が暮らして、何が特産なのかなどを訊いていたら、祖父のオスヴィンが領地管理に興味を持ったと思い領主業務に関することまで教えてくれるようになったのだ。


「……私も、ツェーザル様に教わろうかな」


「ゲラーマン侯爵領のことをですか?」


リュディアとシュテファーニエのやり取りを聞いていたザスキアがぽつり、と呟いた。トルデリーゼが婚約者の領地のことかを確認すると、ザスキアはぽっと頬を染めて両手で赤くなった箇所を隠した。その様子にトルデリーゼだけではなく、リュディアたちも微笑ましさを感じた。

ザスキアがあまりにも恥ずかしがるので、これ以上言及せず、シュテファーニエは元の話に戻した。


「皆さんのおかげで、青い髪の方がイェレミアス様で、赤い髪の方がベルンハルト様だと分かりました。ありがとうございますっ」


これで挨拶するときに人間違いせずに済む、とシュテファーニエが真面目に言うので、リュディアたちはお役に立ててよかったと笑い合った。

友人たちと笑みを交わす最中、リュディアは猩々木の話を思い出した。友人たちはきっと覗き込んで花に気付く方の人間だろう、と心の内で誇らしく感じるリュディアだった。



「たのもー!」


そして、幾日が過ぎてまたも挑むような声がエルンスト邸の玄関で響いた。

リュディアは秋薔薇を受け取り、そのままいつも通りのやり取りを交わして東屋へと案内していた。東屋のベンチに座って待っていた庭師見習いの少年は、リュディアたちの姿を確認して立ち上がる。


「今度はどうだ!?」


東屋に着くまでそわそわしていたイェレミアスは、挨拶より先に問うた。

庭師見習いの少年の視線が、リュディアの持つ秋薔薇へと移る。枯れた訳ではなく落ち着いた色味の花弁は傷などもなく、茎も折れている様子はなかった。丁寧に扱われた様子に、彼は柔らかく微笑む。


「うん。合格」


庭師見習いの少年の言葉に、イェレミアスは眼をかっと見開く。


「じゃあ、勝負だ!」


「しない」


拳を握ったイェレミアスの挑戦を、庭師見習いの少年は即答で断った。


「合格しただろう!?」


「いや、合格したら挑戦受けるなんて言ってないし」


そもそも合格していないことが奇怪おかしいのだ。上司に贈るように言われた花を散らして持ってきては役目を果たせていない。庭師見習いの少年に同意を示すようにリュディアは頷き、自分に都合のいい解釈をしていたことを指摘されたイェレミアスはぐぬぬっ、と口惜しげに唸った。


「イザークは鍛えているんだろうっ、なんで闘わない!?」


「レミアス。お前はなんで鍛えてんの?」


イェレミアスが納得できずに問うと、逆に問い返された。イェレミアスは迷わずに答える。


「強くなって守るためだ!」


「逃げるため」


「は?」


「俺は、危ないことから逃げるために鍛えてんの。だから、闘わない」


鍛える理由が違う、と庭師見習いの少年は言う。脅威に立ち向かうために強くなるのではなく、危険を回避するために強くなろうとするという考えが理解できず、イェレミアスは思考が一時停止した。それに伴い、動きも固まる。

数秒して、どうにか庭師見習いの少年の言葉を理解したイェレミアスは沸騰したような怒りを覚える。こんな軟弱な考えの者に自分は挑もうとしていたのか。


「腰抜けじゃないか!」


「なんとでも」


「聞き捨てなりませんわ」


イェレミアスの激昂に、リュディアが庭師見習いの少年の前に立ち、空色の瞳を真っ向から睨み据えた。


「イェレミアス様の目指す騎士の本分は王国、ひいては民を守ることでしょう」


「そ、そうだっ」


「敵に挑むだけでは民を守ることはできません。戦況によっては撤退も戦略になるでしょう? 脅威に対して力量が及ばなかった場合に逃げると判断することは勇気ではないのですか!?」


「う……っ」


騎士団長である父親に叱られたときと似たようなことを言われ、イェレミアスは怯む。やみくもに突っ込めばいいってものじゃないと何度拳骨げんこつを食らったことだろう。


「あのさ、お嬢、そんな難しい話にしなくても……」


「ザクは黙っていなさいっ」


「はい……」


「いいですか、イェレミアス様。民が自衛をするのは正当な権利です。民まで闘わせるような状況にしないために騎士がいるのでしょう!」


「その、通りだ……!」


リュディアの叱咤にイェレミアスは、がくう、と膝を崩し、東屋の石畳に両手を突いた。庭師見習いの少年だけが、現状の空気についていけずにぽかんと傍観していた。


「守るべき民に俺はなんてことを……っ、もうイザークに挑むなんて言わない!」


「分かればよろしいですわ」


言質を取ったのを見て、庭師見習いの少年はこれがしたかったのかと納得する。リュディアが怒ったことは確かだろうが、イェレミアスが苦手そうな難解な表現で説き伏せたのは意図的なものだ。既に断った自分がこれ以上、絡まれないように状況を誘導してくれた。感心のあまり、称賛の拍手を贈るべきか庭師見習いの少年は真剣に悩んだ。


「あ。レミアスって、何でそんなに強くなりたいんだ?」


猛省しつつ立ち上がるイェレミアスに、庭師見習いの少年はふと浮かんだ疑問をぶつけた。


「それは騎士になるために……」


「いや、もっと単純にさ」


目標のためというのも嘘ではないだろうが、イェレミアスの熱意はかなり強いものだ。大義名分とは別のとても感情的な理由があるのではないか、と直接要求をぶつけられた庭師見習いの少年は感じた。

強さに拘る理由は、イェレミアスにとって隠すものでもないので強く拳を握って答えた。


「俺の見た目が弱そうだからだ!」


「へ?」


「父上みたいに強そうじゃない。筋肉をつけても服を着たら弱そうに見られるし、炎を出しても恐れられるより先に似合わないと言われる。だから、すべてを圧倒する強さを手に入れたいんだ!」


母親譲りの直毛は髪型を整えるのが苦手なイェレミアスには楽でいい。だが、父親のように外見で威圧することができず、相手に弱者と舐められるのはいただけない。それがとても悔しい。

負けず嫌いのイェレミアスにはとても真剣な問題だった。

しかし、庭師見習いの少年はきょとんとした表情で呟いた。


「じゃあ、似合う青い炎を出せるようになったらいいんじゃないか? 火って赤より青の方が強いし」


「本当か!?」


青い方が強い、という事実にイェレミアスは迷わずに食いついた。その勢いに、庭師見習いの少年は少しのけ反る。


「確か、赤より青の方がずっと温度が高い……はず。レミアス、魔力強いなら出せるようになるんじゃね?」


自身の外見に合った色の方が火の威力が高いという事実に、イェレミアスは高揚する。青い炎を出す火属性の者をイェレミアスは知らない。もしそれができたら弱いどころか、最強の証明になるのではないのかとの期待が胸中を占めた。

イェレミアスの決心が固まるのは一瞬だった。


「よしっ、俺は青い炎を出せるようになる!」


新しい目標が定まり、イェレミアスは居ても立っても居られずきびすを返した。


「青くなったら、イザークにも見せてやる。では、さらば!」


「お待ちなさい!」


颯爽と立ち去ろうとしたイェレミアスは、だんっ、と石畳を踏みしめた音に思わず背を伸ばし立ち止まった。イェレミアスが振り返ると、そこには表情の消えたリュディアが立っていた。稲妻が走るのではと戦慄する怒りを察知して、イェレミアスは固まる。

形の良い唇が、言葉を紡ぐためそっと開いた。


「お帰りになられるのは結構ですが、ザクにした腰抜け発言を撤回してからにしていただけますか」


「ハイ」


その日、イェレミアスは美人が本気で怒ると恐い、と身をもって知ったのだった。


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