52.物語



春の陽射しが温かい。じっとしていると穏やかな陽射しに促されて、夢の世界へ誘われそうだ。

うつらうつらと背後で舟を漕いでいるから、余計にそう思うのかもしれない。


「フローラ、着いたら起こすぞ」


「んぅー、でも、もうちょっとでしょ……?」


背中から伝わる振動で、閉じそうなまぶたこすっているだろうと判り、思わず笑みが零れた。

秘密の庭、というか庭師見習いの自習用の庭に向かう途中だ。エルンスト家の敷地内とはいえ、やしきから自習用の庭までは距離がある。四歳のフローラの体力では着くまでにへばってしまうから、俺が背負って運んでいる。


「ザク、大丈夫ですの?」


「そうだ。無理せず、俺に任せればいいんだ」


「平気。疲れたら頼りにさせてもらう」


お嬢の心配そうな声と、そのお嬢の護衛のポチの強気な声にそれぞれ返事を返す。

確かに四歳児にもなると重さがあるが、俺も十二歳近くでちょっとは身体ができているから問題はない。ポチは、俺ができることは自分もできる、と豪語するがこの年頃の二歳差の体格差は顕著だから、お嬢の妹のフローラを背負うのは少し大変だろう。

自習用の庭をポチに教えた当初は、職権乱用だなんだと騒いだが、口止め料にクッキーを差し入れることで黙った。

貴族のポチが普段口にするのとは違った庶民派クッキーを、何故か気に入ったらしい。たぶんマグカップで型を抜いて大きいから、貴族用のクッキーより食べ応えがあるんだろう。育ち盛りの男は質より量だからなぁ。俺もすごく美味くてちょっとの量と、そこそこに美味くて腹いっぱい食える量なら後者を取る。

お嬢も随分体力がついたよな。そう思って、ちらりと隣をあるく少女を見遣る。今では当たり前だけど、自習用の庭と邸の往復を平気でできるようになるまでは、よく間に小休憩を入れたっけ。公爵令嬢にスタミナがいるのかはなはだ疑問だったが、ダンスとかで体力を使うからあっても困らないらしい。

エルンスト公爵家は、俺、庭師見習いイザーク・バウムゲルトナーの勤め先だ。勤め先の娘であるお嬢ことリュディア・フォン・エルンストは、俺の造った自習用の庭を見せた最初の人間で、それ以降造り変えるたびに見てもらっている。

お嬢と知り合って数年経ち、秘密だったはずの庭の存在は俺の友達や、お嬢の妹や護衛など結構な人が知っている場所になった。そのことはお嬢が一人じゃないことを証明するみたいで、俺にはいいことだ。

そんなことを考えていたら、偶然こちらを見たお嬢と眼が合った。木漏れ陽を受けて、淡い青の瞳がきらめく。


「……っな、なんですの?」


俺が見ているとは思わなかったのか、お嬢はとがめるような眼差しを俺に向けた。驚かせたことを怒っているのか、その頬は少し赤い。


「いや……、よかったなって」


瞳の煌めくさまを眼で追っていた俺は、ぽつりと零すように説明に欠ける返答をした。だから、もちろんお嬢は怪訝けげんに首を傾げる。


「何がですの?」


「色々」


その答えでお嬢が納得しないと解っていながら、俺は満足げに答えた。

たぶん詳しく説明したら、お嬢は子供扱いだと怒ることだろう。けど、俺は、お嬢が自分一人で頑張っていた頃を知っている。だから、こうして当たり前にお嬢の妹が一緒にいて、護衛ではあるけどお嬢を認めている奴らがいる現状に満足する。

ちゃんと答えないまま俺が一人でへらついていたからか、気を悪くしたらしいお嬢はぷいっとそっぽを向いてしまった。

そんなやり取りをしているうちに、目的地に着いた。俺はフローラごと大きな布を被り、垣根かきねの隙間を抜ける。お嬢は、ポチが持っていたフード付きの外套を着てから垣根をくぐる。それにポチが続いた。

垣根を抜け、布を取ったあと、フローラを下ろす。すると、感嘆の声をあげて、フローラが駆けだした。


「わぁ、お庭がいっぱい!」


一番近くの倒れた鉢植えに近付き、フローラは屈んでその全体を眺める。


「うさぎさんっ」


「これ、全部ザクが……?」


木彫りの兎を掲げてはしゃぐフローラに対し、お嬢は口元に手を当てて小さく驚いたような表情カオを見せた。それから、点在する欠けた鉢植えたちを見まわす。


「植木屋のおっちゃんが安く売ってくれたんだ」


運んでいる過程で鉢植えが割れてしまうことがある。その処分に困っている植木屋のおっちゃんに頼んで、割れたり欠けている鉢植えを何個か売ってもらった。

割れた鉢植えにそのまま土を入れ、崩れないように欠けた破片はへんを差して段差を作る。そこに点在させやすい多肉植物や箒草ほうきぐさと、色とりどりの小振りな花を組み合わせると小さな庭ができる。頂上に小さな木の家を置いたり、木彫りの動物を添えれば、絵本のような世界が広がる。

瑠璃唐草るりからくさと星のひとみを一緒に植えると、淡い青の大小異なる花が春の青空みたいに温かい色合いを演出するし、瑠璃虎るりとらの一種の宿根草の濃い青紫と金平糖草こんぺいとうぐさの黄色を散らすと星空みたいになる。

濃いだいだいや鮮やかな黄色の紅黄草こうおうそうの鉢植えの周囲を、色とりどりののぼふじで囲んでみたら思ったより紅黄草が引きたった。白い葉の白妙菊しろたえぎく綿杉菊わたすぎぎく桃色ももいろ寒虎杖かんいたどりを散らすと雪原に点在する灯火ともしびに見えなくもない。寒虎杖はしばらくすると桃色が抜けて白になるから、それはそれで濃い緑の葉が映えていい。

それらを噴水の周囲に点在させたから、物語の世界を渡り歩いているような気分になったらいいな、と思う。前世で子供ガキのときに色んな星を渡るゲームをしていたから、そのイメージで鉢ごとに違う雰囲気にしてみた。


「これ、うさぎさんのお家?」


「どうだろうな。フローラはどう思う?」


「えっとね、えっとね、うさぎさんの飼い主さんのお家っ」


「じゃあ、あっちは何だ?」


「あっ、うさぎさんのお友達ー!」


鉢植えの庭の頂上にあった小さな木の家について訊かれたから、フローラに訊き返す。この頃の子供は想像力が豊かだから、俺が考えるよりずっといい物語を作れるだろう。隣の鉢植えの庭を指すと、フローラは木彫りの兎を持ったまま、そちらへと向かっていった。そこにも木彫りの動物を置いておいたから、フローラの中では兎の友達設定になったようだ。

鉢植えから鉢植えへとぴょこぴょこと渡り巡るフローラを、お嬢は微笑ましく眺める。


「フローラ、楽しそう」


「お嬢は? 気に入ったか?」


「ええ、可愛くて素敵ですわ」


「そっか」


点在する鉢植えの庭に見入っていたお嬢は、俺の質問に素直に答える。表情からも言葉に嘘偽りがないことが窺えた。

口元を綻ばせ、微笑むお嬢を見て、俺も笑う。

こういう瞬間が一番どうでもよくなる。前世の記憶で知る限り、お嬢が乙女ゲーのライバル令嬢だとしても、そんなことはゲームにモブとしても出てこない俺には関係ない。今、目の前にいるお嬢が笑っていられればそれでいい。

俺はこれからもお嬢が笑ってくれる庭を造るだけだ。


「っな!? どうして、こちらを見ていますのっ?」


庭とフローラを眺めていたお嬢が、俺の視線に気付いてこちらを向く。その途端、ぼっと顔を真っ赤にした。


「え。俺、お嬢が笑ってるの見るの好きだもん」


自分の造った庭を見てくれる人の反応を見ることは普通のことだ。喜んでもらえたら嬉しいに決まっている。

俺が即答すると、お嬢は怯んだように唇を噛みしめた。そして、悔しそうな、何かを堪えるようにふるり、と震える。頬の赤味はさらに増したようだ。

どうしたのか、と俺が首を傾げると、きっと睨まれてしまった。


「~~っザ、ザクは、どうしていつもそうなんですの!?」


「何が??」


「もうその口を閉じなさい!」


「リュディア様の言う通りだ。お前が悪いっ」


「えー」


何故かお嬢に叱られた。それにポチが賛同する。ポチは、お嬢に従順だから仕方がない。けど、俺と一緒でお嬢が怒っている理由は解っていないだろう。


「おねーさまー、イザークにーさまー、こっちーっ」


そこにはしゃぐフローラの声がかかり、お嬢はその声で気を取り直した。軽く咳払いをしてみせ、ちらりと視線を投げかける。


「フローラが呼んでいるから、仕方ありませんわね」


そう言って颯爽とした歩みで、妹のもとへと向かうお嬢。フローラのおかげでお説教コースを逃れられた俺も、お嬢の後に続いた。

前世の記憶に役立つものなんてない。けど、前世を覚えていたおかげで俺は後悔の少ない人生を歩めている気がする。

こうした何気ない今日を大事に積み重ねて、これからもお嬢の笑顔を見届けていこう。

なるべくお嬢を怒らせないといいな、と思いつつ、俺は一歩を踏み出した。


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