50.ライバル



寒さが和らぎ始め、萌芽ほうがが陽光を受け育ち、花の蕾を作っている。この様子を見ると、もうすぐ春が来るんだと実感する。


「アニキ、最近どうしたんすか?」


「え?」


「あっち向いて、たまにぼーっとしてるっす」


声をかけられ、そちらに向くと不思議そうな黒い眼とかち合った。

ヤンが指した方向は南。今は、やしき裏側の庭の手入れをしているから、そっちには森のような木々の群れしかない。

ヤンに指摘され、俺は情けなく笑う。


「ダチが故郷に帰ってさ。会えなくなってみると、ちょっとつまらないな……」


前の休日、母さんたちと昼飯にイングリットの酒場に行ったらフランクはもういなかった。早朝の荷馬車に乗って、誰にも挨拶せずにティモの兄ちゃんと行ったらしい。そう、イングリットのおばさんが教えてくれた。

皆に見送られるのは悪いから、とイングリットのおばさんには事前に見送りを断っていたらしい。確かに、下町の人気者のフランクがいなくなると判れば、結構な人たちが見送りにきたことだろう。

お互い働いていたから、遊んだ回数は両手で足りるぐらいだ。けど、きっぱり自分の意見を言う奴だったからか、一緒にいるのが楽しくて、気付けばフランクは当たり前に会える一人になっていた。ティモの兄ちゃんとの漫才みたいなやり取りを、もう見れないのが残念に感じる。

そんなつまらなさを零す俺を、ヤンは作業中なのに指摘しなかった。逆に、俺と同じ方向を見つめる。


「あいつらも、そんな風に思ってたりするんすかね……」


ヤンの実家は、アーベントロートの南西の国境付近にある港町だ。中央の北寄りにある王都からは見れば、おおよそ南方になるだろう。誕生日の翌日に家出したというヤンは、故郷の友達を思い出しているのかもしれない。


「ヤンはどうだ?」


「あいつらとバカできないのは、ちょっとつまらないっす」


「なら、ヤンのダチもそうだろ」


ヤンの日に焼けた肌は、何も農作業だけで付いた色じゃないだろう。強い日差しの下で、友達と走り回っていた証拠だ。ヤンの友達を知らない俺でも、ヤンが故郷で元気だったことは想像に容易かった。

黒い瞳をぱちくりと瞬かせたあと、ヤンは抱えたかもしれない罪悪感すら払うような晴れやかな笑顔を見せた。その春を通り越して真夏の陽射しのような笑顔につられて、俺も笑い返した。


「作業に戻るか」


「はいっす! 自分も早く庭を造れるようになって、あいつらに自慢してやりますっ」


ぴくり、と俺はまた手を止めかけた。ヤンの言葉を聞いて、思うところがあったが、作業がまだ終わっていないから後でにすることにした。

雪も溶け、春の準備をするこの時期、外観の整備が主な作業だ。親父は落葉樹の植え替えをしている。俺とヤンは、正門から正面玄関に続くアプローチの石畳の補修をしている。来客の少ない時期にしておかないと、いつ直せるか判らない。邸正面側が終わったら、次は裏側の遊歩道の方をする予定だ。

ヤンと手分けして作業をしたから、正面のアプローチは今日中に終わる目処が立った。休憩を挟んだときに、ヤンに訊く。


「ヤン、自分でつくってみたくなったか?」


これまで、ヤンは親父の庭造りに感心するばかりで、自分もしたいと言うことがなかった。下積みが大事だ、と俺と一緒に雑用を熱心にしてきた。確かに、基本的な雑用を覚えるのは大事なことだけど、それで満足していたら本当の庭師になれない。

一つ一つの作業は地味だけど、庭師は庭をデザインするのが仕事だ。ただ植物を育てるだけなら、植木屋や農家でもできる。

俺はエルンスト家にきた頃から、早く自分でも庭を造ってみたくてうずうずしていたのに、ヤンはデザインすることを最終目標に掲げすぎているのか、そういった希望をこれまで口しなかった。

だから、さっきの一言を聞き逃したら駄目だと思った。

俺の問いに、少し考える素振りを見せたあと、ヤンはわくわくした様子で笑む。


「そうっすね。親方の作業を見ていたら、自分もやってみたいと思ったっす」


ヤンの言う親方、というのは親父のことだ。弟子だからとそう呼ぶヤンの頑なさに、親父は最初は戸惑っていたが最終的に諦めた。その親父の様子に既視感を覚えたのは何故だろう。

それは置いておいて、ヤンが初めて見せた意欲に俺は頷いた。


「わかった」


俺が何を了承したのか判らず、ヤンは首を傾げた。

夕焼けが迫るより前に、石畳の補修作業は終わった。まだ帰りの馬車に向かうには時間に猶予がある。植え替えた落葉樹の最終確認をしている親父に断りを入れて、俺はヤンをつれて森のような木々の群のエリアに向かった。


「アニキ、見せたいものって何ですか?」


「この中だ」


犬槇いぬまきの垣根の中に、ヤンを案内する。垣根を潜ったヤンは、ふくろうの石像が鎮座する噴水がぽつんとある小じんまりとした広場を見て、眼を丸くした。


「ここって……」


「練習用の庭だ」


今は雪の頃に造ったものを取りはらって、芝生を整え直したからほとんどリセットしたような状態だ。

冬は雪に強い花が少ないから、竹材でドームを造って降る雪に合わせてかまくらができるようにしてその周りに初雪起はつゆきおこしを点在させた。初雪起しは茎が太いから、積雪してもしっかり咲くし、同じ花が咲かないから面白い。王都にしては積雪が厚い日にお嬢とフローラを呼んだら、思った以上にかまくらを気に入ってくれた。フローラが色んな顔をしている、と初雪起しをそれぞれ見て回り、お嬢に逐一報告していたのが微笑ましかった。

ああして楽しそうな表情カオを見れると、次はどうしようかとわくわくする。思い出したら、またわくわくした心地が湧いて思わず口角があがった。


「ヤンもココを使って練習するか?」


「え。いいんすか!?」


ヤンが驚いて、勢いよく俺の方に向いた。その黒い瞳には、俺と同じわくわくで光っている。同じ夢を持つ相手だから解っていたけど、それがなんだか可笑しかった。


「ヤンも、俺と同じ庭師見習いだろ」


この練習用の庭を使う権利は平等にある。これまでこの場所がほぼ一人用だったのは、たまたまバウムゲルトナー家の弟子が一人しかいなかったからだ。

曾祖父ひいじいさんの顔は小さすぎてろくに覚えていないけど、祖父じいちゃんの強面こわもては父親譲りだって祖母ばあちゃんが言っていたから、バウムゲルトナー家の男はみんなデカくて面構えで誤解を招くタイプだったっぽい。それが、仕事に厳しい性質たちに輪をかけてビビられやすかったんだろうな。

それだけの理由だから、弟子が二人の今は共有で使えばいい。春に向けてどうしようかと考えていたところだから、まだ手付かずだし、ちょうどよかった。親父も、ヤンが希望すれば使わせるつもりだと前に言っていた。


「半分に分けて練習するより、季節ごとに交代の方がいいと思うんだけど、ヤンはどうだ?」


「はいっ、自分もその方がいいと思うっす!」


共有方法の案を伝えると、ヤンは頷いてくれた。それで、三ヶ月ごとに交代で使い、交代前に一度リセットして相手に明け渡すルールにする。


「じゃあ、春秋と夏冬のどっちがいい? 春秋の方が色々できるぞ」


春は咲く花の種類が多いし、秋も紅葉する落葉樹に眼がいきがちだが紫や黄色の花が多く咲く季節だ。練習するなら選択肢が多い季節の方がいいだろうと、俺はそちらを薦めた。

ヤンは、うーんと唸りつつ悩んで、練習用の庭を見渡す。そして、近くに置いてあるものに眼をめた。


「この植木鉢はなんすか?」


「ああ、ソレ。割れてたから、タダ同然で植木屋のおっちゃんが売ってくれたんだ」


運搬のときに割れたり、欠けたりしてしまった素焼きの植木鉢をどうしようか、と植木屋のおっちゃんが困っていた。俺は何かできないかと、それを幾つか買い取ったものだ。


「じゃあ、アニキはもう春に何か造ろうとしてたんじゃないんすか?」


「え。それは、そうだけど……」


使い道が浮かんだから買い取ったのは確かだ。黒い瞳に真っ向から見られて、俺は言い淀む。俺の方が先に使っていたから、ヤンの希望する順番を譲る気だった。


「アニキはどっちがいいんすか?」


ヤンの問いに、俺は面を食らう。まさか、意見を優先したいヤンに、俺の希望を訊かれるとは思わなかった。


「だから、ヤンがしたい方を」


「アニキ」


譲りたい、という気持ちは嘘じゃないのに、ヤンにその選択肢を塞がれてしまう。途切れた言葉の半分を飲み込んで、俺は考える。

俺は、どうしたいのか。

素焼きの植木鉢は春の花を使うつもりだった。けれど、陽射しを跳ね返すような色味の強い夏の花でもできなくはない。ただ、夏は庭を造ってもシーズンオフでお嬢たちに見せる機会は減る。

つまり、お嬢の笑顔を見れる回数が減る。

それは、少し残念な気がした。

でも、そんな些細な我儘わがままを先輩の俺が言うのは躊躇ためらわれる。やっぱり自由度の高い春秋をヤンにさせてやるべきだろう。

そう思って、口を開きかけたとき、ふいにフランクの言葉を思い出した。

もっと欲張れ、と言われた。

諦めるな、とも言われた。

それはこんな些細なことでもいいんだろうか。一応、同じものを俺とヤンは欲しがっている状況だ。庭師を目指して練習したいのは、同じ気持ちだ。それに加えて、俺はただ、ほんの少しでも多くお嬢の笑顔が見たいってだけ。

ほんのちょっとのそれは言わなくてもいいことだ。けど、黙ったままだとフランクとの約束を破るような気がした。


「……俺、お嬢に見せたいから、できれば春と秋の方が嬉しい」


ぽつり、と感想に近い要望を零してみた。


「じゃあ、自分は夏と冬に造るっす」


あっさりとヤンは笑って了承した。渋ったり、残念がる様子もないから、俺は呆気に取られる。


「え……、いい、のか?」


「はいっす。夏の方が実家で見てたのに近いし、寒さに強い草花がどう育つのかもっとよく知りたいっす」


馴染みのある植物で嬉しい。扱い慣れていない植物の育成を知りたい。ヤンは嬉しそうで、どちらにも嘘はないとよく判った。


「春と秋は、花がたくさんありすぎて覚えるのが大変っす。だから、アニキの造った庭を見て勉強させてもらいます」


にかっと笑うヤンは、そう補足した。俺が気にしないようにとの気遣いにも取れる本音だった。ヤンにそんなつもりはないのかもしれないが、言わされた気がするのは何でだろう。


「ヤンって兄弟いるんだっけ」


「弟が二匹と妹が一匹いるっす。可愛げないっすよー」


そう悪態あくたいくヤンの表情カオは、言っている内容と真逆だった。


「でも、何でっすか?」


「いや、兄貴っぽいなぁと思って」


自己主張をしっかりするヤンだけど、きっとなんだかんだいって結局は弟妹を尊重しているんだろうな、と感じさせた。俺が長男らしいと言ったのが解らなかったらしく、ヤンはアニキなのはアニキの方だと首を傾げる。

なんだか可笑しいから訂正せず、俺は垣間見たヤンの兄らしさに一人納得した。


「うん。ヤン、ありがとな」


「いいえっす!」


礼を言うと、ヤンは夏の陽射しを思わせる笑顔で受け取ってくれた。彼には、夏の庭がさぞ似合うだろうと思う。

数か月先に、ヤンがどんな庭を造るのか楽しみになった。



数日後、陽射しの暖かさから温室でお茶するのもこれが最後、とお嬢と昼下がりのお茶休憩をしていた。温室の入り口でポチが見張りか門番のように待機している。あとでお菓子を分けようかと思ったら、お嬢がすでにカトリンさんに包ませていると教えてくれた。


「そういや、温室にニコとか呼ばないんだな」


ずぞー、といつものように紅茶を飲みながら、お嬢に訊いた。お嬢に友達が増えたのに、温室でお茶をするときは、お嬢と二人か、カトリンさんを入れて三人のままだ。

お嬢は婚約者のレオや、友達の令嬢たちとか、ニコと温室でのんびりしたいとか思わないんだろうか。


「そ、それは……っ」


何故かお嬢は、俺の質問に動揺し、珍しく紅茶の水面を波立たせた。少しの逡巡をみせたあと、軽く咳払いをしてお嬢はつんとおつに澄ました。


「ここまで足を運ばせるのは悪いでしょう」


「あー、ちょっと遠いもんなぁ」


なるほど。確かに、邸から温室までは距離がある。男のレオやニコは体力があるから平気だろうが、お嬢からしたら一応客人だ。客相手にわざわざ労力を使わせるのが忍びないのだろう。それに、お嬢ほど友達の令嬢がスタミナがあるとは限らないし。

俺が納得すると、お嬢は少し安堵したようだった。


「……わたくしだけでは、つまらないんですの?」


そして、しばらくして気落ちしたような声音で訊かれた。心外なことを訊かれて、俺は眼を丸くする。


「そんなワケないじゃん。お嬢と温室の花を一緒に俺だけ見れるのって、春を一人占めしてるみたいで悪いなぁ、と思っただけだ」


常春とこはるの世界は、淡い金髪と淡い青い瞳のお嬢にとても合っていて、そんな中で笑うお嬢を見れるのは贅沢なことに感じる。俺だけが見ていいものだろうかと思うほどに。


「な……っ!?」


ぼっとお嬢の頬がのぼせたように赤くなった。やっぱり温かいお茶を温室で飲むのはもう止めた方がいい時期なんだろう。紅茶を冷やそうかと提案したが、大丈夫だと断られた。


「まったく、ザクはなんだってそう毎回毎回……、って、そんなことを言いたいのではありませんわ!」


何かに怒ったらしいお嬢は、説教モードに入るのかと思ったら、首を横に振って怒りを取り払った。何だろう、と俺は首を傾げる。

すると、じっとお嬢がこちらを見た。睨むような勢いで見つめてくる。

その眼差しの強さに威圧されて、俺は紅茶を飲みながら、若干後ろに退がりがちになる。一体、何を探られているのだろう。


「……ザク、何だか元気がありません、わよね?」


質問内容が合っているか確認するように訊かれた。いつも通りといえばいつも通りだけど、とお嬢は呟きつつ思案する。

あまりにもお嬢が真剣に悩んでいるもんだから、俺は思わずぶはっと笑ってしまった。

いきなり大笑いした俺に、お嬢は眼を丸くする。


「お嬢は、すげーな……っ」


笑いを噛み殺しきれないまま、俺はそんな感想を零した。俺自身があまり気にしていないと思っていたことに、お嬢が気付いた。嬉しくて、びっくりした。

俺が笑ったせいで、お嬢はむう、と剥れた。


「気のせいだったみたいですわねっ」


「いや、ごめん。心配してくれたのが、嬉しくて。ちょっと淋しかっただけなんだ」


「淋しい……?」


俺に似合わない単語に違和感を感じたんだろう。怪訝さをにじませ、お嬢は眉をひそめた。

残りの紅茶をあおって、俺はティーカップをソーサーに戻した。


「ダチが故郷に帰ってさ。当分会えないんだ」


「そうでしたの……」


淋しさの理由を打ち明けると、お嬢は静かに頷いた。たぶん自分の身に置き換えて考えてみたんだろう。しばらくして、お嬢の眉が悲しげに下がった。

そして、何を思ったのか、椅子から立ち上がり、俺のところまできた。何をするんだろうと見守っていたら、お嬢の手が伸びて、俺の頭の上に置かれた。そのまま、頭を撫でられる。

突然のことに俺が固まっている間にも、白い手が優しく髪の上を滑る。


「また、会えるといいですわね」


同情の籠った淡い青の瞳が向けられ、かける言葉を探したんだろう、間を置いてそんな言葉が降った。


「ああ」


最初、どうすればいいか解らなかったが、撫でる手が心地よくて、俺はそっとまぶたを閉じる。

つまらないのは確かだが、フランクは夢を叶えるために故郷に帰ったんだ。だから、悲観するものじゃない、とお嬢に説明した方がいいんだろうけど、今言葉にするのははばかられた。

ただ優しいてのひらを享受した。

長いような短いような時間が過ぎて、お嬢の手が離れた。柔らかな感触が消えたことに反応して、俺は瞼を開けた。


「元気出た。ありがとな」


笑って感謝を伝えると、存外近い位置にお嬢の顔があった。だから、お嬢の見開いた眼も一気に上気した頬の赤みもよく見えた。

けど、変化を確認した瞬間お嬢が勢いよく自分の椅子まで後退する。


「こ……っ、これぐらい、お安い御用ですわ……!」


ぷいっとそっぽを向くお嬢は、耳まで赤い。熱帯地域の植物エリアじゃないにしても、温室内は暑いのだろうか。作業着の俺と違って、お嬢は冬向けのドレスで保温性が高そうな布地だもんなぁ。温室から切り上げるか訊いたら、また大丈夫だと答えが返った。

お嬢は椅子に座り直して、何事かを呟いて俯いていた。と思ったら、紅茶を一口飲んで吐息を吐く。その頃には、頬の赤みがましになっていたようだった。

とりあえず、お嬢が大丈夫だと言うから、伝えないといけないことがあったからそれを報告する。


「あ、そうだ。練習用の庭さ、ヤンと交代で使うことになったんだ」


「え。そう、ですの」


「ヤンが雑用だけじゃなくって、庭造りたいってやっと言ってさ。ヤンがどんなの造るか楽しみなんだ。お嬢もよかったら、ヤンのも見てやってよ」


「ええ」


俺が嬉々として話すのに対して、お嬢は呆けたような思案するような表情カオで、確かに頷くのに声音の響きはどこか空虚だった。


「あ、でも夏はシーズンオフで無理か。帰ってきたときにヤンのがどんなの造ったか教えるな」


「な、つ……?」


きょとんとして、お嬢は言葉の一部を繰り返す。


「うん。ヤンは夏と冬に練習するって」


「そう……、そうですの」


何故か、お嬢はほっと胸を撫で下ろした。お嬢は一体何を安堵したんだろう。俺にはよく解らなかった。


「ザク、嬉しそうですわね」


「ああ、これでヤンと真っ向から話せる」


同じ庭師を目指す仲間ができて、だけど、これまでは一緒に頑張ろうっていうより俺の後ろについてくる感じだった。ヤンが自分で庭を造りたいと言ってくれて初めて、隣に立った気がする。

俺に対するヤンのフィルターが剥がれてきていることが嬉しい。まだこれから相手の作風を知っていかないといけないけど、いつかお互い庭師になったときに、一緒に庭を造ったりできたら面白いだろうなぁ。

楽しみすぎてにやけていたんだろう、お嬢が呆れ気味に嘆息して、しょうがないとでもいうように微笑んだ。


「本当に、危機感がまるでありませんのね」


「危機感? なんで??」


「今後、ヤンに追い抜かれる可能性もあるでしょう。焦ったりしませんの?」


「あ、そっか。ヤンもライバルみたいなもんか。じゃあ、頑張らないとな」


庭に勝ち負けなんてないと思うから、お嬢に指摘されて初めて、今後ヤンの方が先に認められて庭師になる可能性があることに気付いた。確かに、せっかく早めに見習いになったのに、俺の方が親父に認めてもらうのに時間がかかったら示しが付かないよな。


「…………ライバルは、わたくしだけでしたのに」


俺がやる気になっていたら、お嬢がぼそりと何事かを呟いた。首を傾げて訊いてみたが、お嬢は何でもない、とそっぽを向くだけだった。一体、何て言ったんだろう。


「俺、もっとお嬢を笑顔にできる庭を造れるようになるな!」


自分に気合を入れるために、お嬢に頑張る旨を告げる。お嬢の笑顔を見る機会を増やすために、ヤンに順番を譲ってもらったんだ。ちゃんと活用しないと勿体ない。

一瞬の間ののち、お嬢はぶわっと顔を真っ赤に染めた。そして、口元をきゅっと引き締め、出そうになっている声を閉じ込めるような素振りを見せた。

口を閉じているから、もちろん俺にはどんな言葉を押し込めたのか判らない。けど、急に顔を赤くしたってことは、何か怒らせたのだろうか。それとも、やっぱり温室は暑いのか。


「~~っった」


「た?」


しばらくして解けた口元から洩れた音を拾って、俺は首を傾げる。


「楽しみにしていてあげますわ……っ」


ぐぬぅ、と何だか口惜しげに言われた。けど、お嬢は嘘を吐いたりしないから、俺は素直に言葉通り受け取る。

俺が造る庭を、お嬢が楽しみにしてくれているのが嬉しくて、俺は笑う。


「ああ」


とりあえず、目下の課題から頑張ろう。春はもうすぐそこだ。

本当の春の庭でお嬢の笑顔が咲かせられるよう、これから庭を育てよう。


俺はこのとき、忘れていた。

お嬢の笑顔を見られる時間に限りがあることを――


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