46.道



夜も更け、下町の住宅地からはぽつりぽつりと灯りが消え始める頃、俺の部屋からはテンションの高い声がしていた。


『でねっ、そのときのクラウス兄様の笑ったカオがちょー可愛くって!』


「へ……え」


『思わず抱き着いたら、ロイ兄様がずるいぞってヤキモチ妬いてねっ』


「う、ん……」


『…………ちょっと何してんのよ』


俺が途切れ途切れの相槌を返していたら、流石に気付いたエルナが白いクマ越しにあやしんだ。


「筋トレ」


『真面目に聞きなさいよ!』


腹筋しながら話を聞いてきたことを告げると、エルナの怒声がクマから響く。そのせいで、心なしかクマが怒っている表情カオに見える気がする。


「お前の兄自慢聞いてもつまんねぇもん」


レオの話を聞いても面白くもなんともない。お嬢のロイ様話を聞いていられるのは、嬉しそうに笑うお嬢の表情カオが見れるからだ。あと、一度会ったきりだが、聞く限りだとヴォルフがエルナたちに挟まれて大変そうだなぁ、と感じる。


『だったら、お姉様情報を寄越しなさいよ。私より会ってるんでしょ!』


「お嬢は里帰り中だから、俺も会ってない」


『お姉様に会えないなんて、シーズンオフなんて嫌ーい!!』


無理だ、と答えると、エルナがキレた。どうやら鬱憤うっぷんが溜まっていたらしい。

以前まで近所迷惑だから、と言って音量を下げさせていたが、先日、レオが来たときにクマに魔法陣を追加していった。それで、俺の部屋を賄えるだけの防音の結界を通話中に張れるようなった。エルナの魔力制御の精度が上がったかららしいが、そんなアップデートいらない。

クマ電話の向こうで、じたばたしているらしいエルナの声量は就寝前なのに元気だ。もしかしたら、途中で急に電池切れするかもしれない。

レオと婚約してから、お嬢は第一王妃から王族のマナーや歴史などを勉強している。エルナも必修科目らしく、お嬢と一緒なら頑張れると言っていた。だから、シーズンオフでお嬢がエルンスト公爵領に行っている間、エルナは一人で勉強を頑張らなければならず、辛いらしい。


「お前、お嬢以外にダチいねぇの?」


ふと、疑問に思って訊くと、ひゅっと息を飲む音が幽かに聞こえた。


『私、これでも王女なのよ!? 気軽に話せる友達なんて早々できないわよ。よしんばできたとしても、この時期になったら会えないのは変わりないじゃない! イザークのバカー!』


「悪い。王女なの、忘れてた」


王女という認識を忘れていた俺も悪いと思うが、エルナも自分でこれでも、と言ってしまっているからお互い様な気がする。前世の妹は、俺の前だと王女らしくないから、すぐその前提が抜けてしまう。

ともかく、エルナは王女である以上気軽に城の外に出れない。ダチができても、貴族が相手だからシーズンオフになれば基本王都から離れてしまう。

ダチが少ないことを思った以上に気にしていたらしく、エルナの気迫がクマ越しでも伝わってきた。もしかしたら、涙目になっているかもしれない。悪い悪い、と謝りながらついクマの頭を撫でた。

すると、誠意が足りない、と鼻を啜った不満が返された。やっぱり涙目になっていたらしい。


「そのうち、お前の素を知っても大丈夫なダチできるって」


『なんで、本性あるみたいな扱いなのよ』


撫でていたクマから、剥れたような声が返った。文句を言う元気があるなら大丈夫だろう。というか、素との差があるのに気付いていないのか。姫ぶりっこ状態しか知らない奴が今のエルナを見たら少なからず驚くだろ。


『むー、学園に入るまで遠いー』


「何で学園?」


『王立魔導学園は貴賤関係なく魔力があれば入れるもん。一応、身分関係なくみんな生徒として扱ってくれるから、友達できるかもしれないじゃない!』


期待の籠った声で、学園の名目を聞かされた。

魔力が低い庶民の俺からすれば、入ることすら難しい学校だ。エルナが一応、と付けているように、ほぼ貴族だから完全な平等ではないだろう。まぁ、学校内の基準が身分より魔力だから、うまく行けばエルナの身分に物怖じしない人間も一人ぐらいはいるかもしれない。

俺は、今の魔力量で入れるのだろうか。適性属性の水魔法は魔力量が増えた、というよりコントロールの精度が上がっただけな気がする。闇属性は自分ともう一人ぐらいなら膜で覆えるのは変わらないが、背が伸びても変わってないということは増えた面積分だけ魔力量が増えているかもしれない。

魔導学園に入れれば、一年はお嬢と同じ学校に通える。もしかしたら、お嬢が傷付かないよう応援ぐらいはできるかもしれない。いや、前世でも恋愛相談なんてされたことがないから、役に立ちようがない。前世のダチとも、恋バナなんてしてない。クラスメイトの女子に呆れられながら、彼女欲しい、と男同士で喚き合うのは恋バナじゃない。


……ほんと俺、なんで乙女ゲーに転生してんだろ。


前世の記憶を含めても何かできる気がしない。愚痴を聞くぐらいならできるが、お嬢にはもう女友達がいるから、俺よりは彼女たちに相談するだろう。

とりあえず、数年後の友達作りに意気込むエルナには頑張れ、と応援しておいた。きっと、俺はお嬢にも応援しかできないんだろう。お嬢は自分で頑張れるし、既に色んなことを頑張っている。

行けるなら学校には行ってみたいから、俺も頑張ろう。結局、自分のことを頑張るしかないとの結論に至った。


『とにかく、お姉様に会えない分、もっと連絡寄越しなさいよね!』


シーズンオフの間、連絡頻度を上げろ、とエルナに要求された。


「なんだ、寂しいのか」


『寂しいに決まってるじゃない! お姉様に抱き着けないのよっ』


死活問題のようにセクハラしている事実を言ったのも気になったが、寂しいと素直に認めたエルナに俺は眼を丸くした。


「そっか」


俺は、頷きながら驚いた理由を考える。エルナが構ってもらいたがりなのは、前世むかしからだ。じゃあ、何に驚いたんだろう。

少し考えて、腑に落ちた。俺は、寂しい、と口に出せるエルナを羨ましく感じたんだ。だから、そんな自分に驚いた。俺も思ったより寂しいみたいだ。

気付いた事実に小さく苦笑を零した。


「でもなぁ、何話すってんだよ?」


連絡頻度を増やせと言われても、俺には話す話題がない。浮かばない。前世むかしも話したい妹が俺の部屋に押しかけてきていた。


『イザークってほんと話さないわよね。聞いてもロクな答え返ってこないし。……っそうよ、あるじゃない。共通の話題!』


ぶぅ、と剥れていそうな声だと思ったら、急にエルナの声が弾んだ。俺は首を傾げる。


「なんだ?」


『君星よっ』


クマの向こうでどや顔しているであろうエルナに、俺は半眼になった。俺が沈黙していることに気付いたエルナが不満そうな声をあげる。


『なによぅ、嫌ならちゃんと自分のコト話しなさいよ』


「つってもなぁ……」


俺の日常で何か面白い話題なんてあっただろうか。ニコの家には誘われているけど、まだ行く日じゃない。


「あ」


『何?』


「面白いヤツと知り合った」


話題を探して、ある人物を思い出した。


『どんな人?』


「フランクっていって……」


『フランク!?』


何故かエルナが、食い気味にフランクの名前に反応した。俺はビビる。


『フランクって、あのフランク!?』


「どのフランクだよ」


『君星の! 親友ポジのっ、攻略キャラ!』


クマの向こうで、ぴょんぴょんと跳ねてそうだ。エルナは嬉しそうだが、結局乙女ゲーの話題に結び付けられて俺はげんなりする。


『フランクはね、ヒロインと同じ平民出の学生でねっ。貴族ばかりの学園で一緒に頑張ろうって励ましてくれて、いつもヒロインの味方なんだー。それでね……っ』


「フランクなんて、よくある名前だろ」


ぶっちゃけ前世の名字の田中並に被りやすい名前だ。まぁ、俺のイザークも似たり寄ったりだけど。

名前だけで結び付けるには弱い、と俺が言っても、エルナは食い下がる。


『じ、実は南国の出身だったり……』


「南国出身のフランクってだけで、すぐ君星に繋げるな」


『だって……』


「君星のフランクは南国訛り……、関西弁で話したりするか?」


『は? 南国出身だけど関西弁キャラじゃないわよ。フランクは清涼剤系だもん』


「じゃあ、違うフランクだ」


清涼剤系というのが具体的に解らないが、確実に商売根性の逞しいあのフランクと結び付かないものだろう。ティモの兄ちゃんが坊呼びするし、本人の物言いが物騒だから、顔に似合わずヤクザっぽいんだよな、フランクって。


『えー、君星のフランクだったら近くにヒロインいるかもしれないのにぃ。念のため、仲がいい女のコいないか聞いてよ』


「えぇー」


今度は俺が嫌そうな声を出す番だった。絶対違うと思うのに、本人に会ったことがないエルナは諦めきれないようだ。

そういえば、挨拶しかしたことがないニコも、エルナはニコ姐ゲーム呼びのままだ。俺と違って君星の知識があるから、ちゃんと本人を知らないと相手を認識できないんだろう。


「聞くだけ、だからな」


『うんっ』


エルナのミーハー状態を解くためには、納得できる情報がいる。フランクの素は口外できないから、別の情報をエルナに提示するしかない。

俺は仕方なく頷いた。



「仲ええ女子ぃ?」


次の休日、ちょうどフランクが俺の家に遊びにきたから訊いたら、素っ頓狂な声が返った。

ちなみに、また偶然ティモの兄ちゃんと一緒にいるフランクに遭遇し、ティモの兄ちゃんから二人の家に誘われフランクがキレた。客室もない狭い部屋にほいほい呼ぶな、とフランクが言うから、じゃあ俺の部屋なら、と提案して今に至る。家にも客室はないが、俺の部屋ならフランクが素で話しても問題ない。


「なんや、藪から棒に」


「いや……、フランクってモテそうだなぁって」


「せや、坊は下町のアイドルやからなっ」


「なんで、お前が誇らしげやねん」


キラキラと眼を輝かせたティモの兄ちゃんを、呆れた表情カオで見下ろした。

フランクが俺のベッドに座り、ティモの兄ちゃんが床に正座し、俺は三つ脚の椅子に座っている。てっきり二人ともベッドに座ると思っていたが、ティモの兄ちゃんが当たり前のように床に座ったものだから、つっこむのがはばかられた。

この二人、年齢と上下関係が逆なんだよな。坊って呼ばれてるし、兄弟も多いらしいから、フランクは金持ちな商人の家の生まれかもしれない。ティモの兄ちゃんはそこの従業員とか。


「仲ええ女子……せやなぁ、肉屋のイザベル嬢ちゃんはまだちっこいし、鍛冶屋のパウラ姉ちゃんはもう彼氏ツレおるやろ、パン屋のマリヤちゃんはええ女になりそうやけど……」


「もういい。わかった」


考えながら指を折り始めたフランクから、まだ名前があがる気配を感じて、俺はタンマをかけた。歳の近い女子だけでそんなに名前があがるなんて、フランクは本当に顔が広い。しかし、この感じだとやっぱりエルナの期待は外れたみたいだ。


「そんなたくさんと仲良くするの大変じゃねぇの?」


俺だったらできない。近所の歳下チビたちや、小さいときに面倒見てくれた兄ちゃん姉ちゃんたちは従兄弟いとこみたいな感じだが、それ以外は知らない。自分の行動範囲より外に行ってまで同年代の知り合いを探そうとは思わなかった。

訊くと、フランクは片膝を立てて、口の片端をあげた。


「ワシの愛嬌は便利でなぁ、警戒心持たれへんし、聞き役なって微笑みゃ相談相手にちょうどええと思われる。女はええ情報ネタ元やし、噂を広めるにもうってつけやから丁重に扱わなあかん。商売の要や」


「フランクって、ほんといいヤツだな」


「は?」


俺の感想を聞いて、フランクは奇妙なものを見るような眼差しを向けた。


「……ワシの話、聞いとったんか?」


「相手のために時間を使えて、しかも嫌なカオせずに話し聞いてやれるんだろ? 優しいじゃん」


要は、女性を尊重するフェミニストってことだろう。下町の女性は話し好きが多いから、話を聞くにしたって結構な時間を取られるはずだ。エルナの話すらマトモに聞けない俺にはできないから、心底凄いと思う。


「せやから、それは儲けのためで……」


「イングリットの酒場では愛想笑いしてないだろ」


イングリットの酒場で給仕をしているとき、美味そうに食べる客を見て、フランクは嬉しそうに笑っている。それは、他人ヒトを喜ばせるのが好きなんだと判る笑顔だ。

フランクの笑顔は、感情を読ませないようにしているレオの営業スマイルとも、身を守るためのニコのオネエ演技とも違う気がする。防御のためではなく、相手の懐に入るためのものだからかもしれない。自分から誠意を見せないと、相手は気を許しようもないと解っているんだろう。

たぶん全部が嘘じゃないんだ。嫌々我慢して笑っている様子がないから、俺はフランクの笑顔をわざとらしいと感じたことがない。


「稼ぐのが好きでも、いいヤツには変わんないじゃん」


俺の言葉に、フランクは怯んだように言葉を飲み込んだ。そして、代わりにティモの兄ちゃんが膝立ちになり、いきなり俺の手を掴んだ。


「せやねんっ。坊があの酒場で働き始めたんもな、イングリットのおばはんが足捻ったのに気付いて、無理させんように手伝ったのがきっかけやねん。坊の良さをよぉ分かってくれた……!」


「っティモ、余計なこと言うなや!」


怒るフランクの顔が赤いが、もしかして照れも入っているんだろうか。


「やって、坊、頭ええからおないで話合うヤツおらんかったやんっ」


「口閉じんかったら、海沈めるで」


「ふぇい……」


フランクがティモの兄ちゃんの両頬を片手で掴んで、威圧した。

一応俺は歳上だけど、ティモの兄ちゃんの言いたいことは何となく解る。フランクは頭の回転が早いから、歳の近い奴で話についていける奴は少ないだろう。

二人のやり取りに口が挟めず眺めていた俺を、眼力強くフランクがぎっと見た。


「イザークはどうやねん」


「何が?」


「ワシだけに聞くなんて、割に合わんやろ。仲ええ女子おるんか」


吐け、と脅迫じみたオーラを放ったフランクに訊かれた。フランクに興味のないことだから、きっと話題を変えたいんだろう。

それを理解して、俺は考える。


「うーん、歳下チビたち以外で近所に歳の近いヤツがいないからなぁ……」


接客業のフランクと違って、庭仕事しかしてない俺に女子と知り合う機会はまずないから、思い当たる女子がいない。


「可愛ええうてた公爵家の嬢ちゃんはどうやねん」


「お嬢はライバルだから」


俺が即答すると、フランクが固まった。なんかこの反応にデジャヴ感がある。

けど、フランクは数秒で回復し、長い溜め息を吐いたあと、俺の頭に平手を決めた。


「アホか! 女をライバル扱いするヤツがあるかっ」


「や、だって」


「だってやあらへん! 女をめてかからんのはええが、対抗心燃やしてどないすんねんっ」


平手を食らった箇所を手で押さえて、説明しようとしたら、フランクに更に叱られた。いい音がしたもののそんなに痛くない。


「大体、男は女を笑わせてなんぼや。かたきに見られて喜ぶ女がおるかい!」


はたかれたことじゃなく、フランクのその言葉に俺はショックを受けて、瞠目する。


だから、お嬢怒ったのか。


好敵手ライバルって、認めている相手だということだからいい意味だと感じていた。前世でガキの頃に読んだ漫画の影響で、一時期ライバルがほしかったぐらいには憧れていた。けど、そうか。前世の妹が持っていた少女漫画を暇つぶしで読んだことがあるが、少女漫画のライバルって悪役染みていることが多いから、女子からすれば悪い意味でしかないか。

ようやく、別れ際にお嬢が怒った理由が理解できた。ニコの言う通り、次会ったらちゃんと説明しないと。

けど、なら俺にとってお嬢は何て言えばいいんだろう。

俺とお嬢のライバル観が違うと解ったから、ライバルは使えない。友達ダチだとしっくりこない。親友だと、ニコを連想する。お嬢にとっての親友も、女友達の誰かで俺じゃないだろう。

俺の語彙ごいの中からじゃ、適当な名前が見つからない。


「坊、言いすぎたんちゃう?」


「そ、そないなこと……」


急に黙り込んだ俺を見て、ティモの兄ちゃんがそっとフランクに耳打ちする。フランクは僅かに動揺した。

若干気まずそうに、フランクが俺の方を見遣るが、俺はそれに気付いていなかった。


「じゃあ、見たり、思い出すと、頑張ろうって思う相手ヤツをなんて言うんだ?」


俺は考えていたまま、真面目にフランクに訊いた。

すると、フランクは俺を見て、呆れきった表情カオになる。


「アホくさ。そんなもん、自分で考え」


「考えて分かんねぇから、聞いたのに……」


俺の答えに、フランクははっと吐息を吐くように笑った。


「歳上やのに、阿呆やなぁ。そないうかうかしとったら、その嬢ちゃんにあっちゅうまに置いてかれんで」


「もう置いてかれてるかも……」


お嬢は仕草や姿勢も洗練されてどんどん綺麗になるし、色んなことを勉強している。既に俺より頭いいのは確かだ。


「男が夢だなんだを追いかけているうちに、女は現実を見るからな。自分の大事な時間を費やす価値がないと分かったら、見限られんで」


女性を褒めるように笑いながら、フランクは忠告をくれた。

フランクの言う通りだと思う。このまま行けば、お嬢はレオと結婚して、エルンスト家を出て行く。一人前になって、俺が造ったエルンスト家の庭を見せる約束を果たせない。俺が一人前になるのを、お嬢は待ってくれないし、待てない。

お嬢が俺に時間を使ってくれている間に、できれば約束を果たしたい。


「間に合うよう、頑張る」


「せいぜい励みぃ。ま、ワシほどの甲斐性は持てんやろうけど」


そう不敵に口角をあげるフランクの言葉には、信憑性しんぴょうせいがあった。フランクは、まだ子供なのに将来を見越して行動している節があるから、大人になって会ったときに凄い金持ちになっていそうだ。

けど、応援してくれるとは思わなかったから、俺は嬉しくなって笑った。


「ありがとな」


「相談料はたこうつくで」


そう言って鼻を鳴らして見せるフランクに、俺は今度礼をすると笑って返した。次遊ぶときに、クッキーでも作ろう。なんだかんだ言って、フランクはもらってくれそうな気がする。



フランクたちが帰る時分になり、ちょうど母さんからお使いを頼まれたので途中まで二人と一緒に行くことになった。

少し寄りたいところがある、とフランクが零して市場通りを抜けていくから、俺は何となくついていく。すると、フランクは中央広場で足を止めた。

噴水のそばに立ち、自分の足元に視線を下ろして、片方の爪先をあげて、踏み直す。そして、視線を上げ、メインストリートを見通すと、フランクは満足げに微笑んだ。


「やっぱ、ええなぁ」


「何が?」


俺が首を傾げると、フランクはびくう、と肩を弾ませた。


「まだおったんかいな。びっくりさせんなや」


俺と別れた気になっていたらしいフランクに、悪い、と俺は謝る。どうやらフランクは、ティモの兄ちゃんがついてくるのに慣れて、背後に気配があることに無頓着みたいだ。

さっきの呟きの件を改めて訊くと、フランクはメインストリートの方に眼を向ける。俺もならって見るが、そこにあるのはいつもと変わらず馬車や人が行き交う道が続いているだけだ。


「ワシがこのシマ来たときな、この道を使うて来てん」


南国まで続いている道だから、それは俺も解る。不思議なのは、フランクが感慨深げなことだ。


「ふうん」


「分かっとらんなぁ。ええかっ、国境から王都ココまで、ずっと馬車がすれ違えるだけの道幅が続いとるんやで! ウチより平地が多いゆうても、それは凄いことやっ」


よく解らないままに相槌を打ったら、額をつつかれて怒りぎみにフランクが補足説明をしてくれた。


「道があるっちゅうことはや、物が流れるってことや。つまり、金が動かしやすい。この国が儲かってんのは、血管がしっかりしとるからや」


分かるか、と確認されて、俺は反射的に頷いた。熱弁を振るうフランクを眼にして、俺は落語家とかが持っている扇子を持たせたら似合いそうだと思った。


「血管?」


「世の中は金で回っとる。金は血で、道は血管や。そして、その血を巡らす心臓が国で、国王が脳。領土身体の端まで血が巡らんと、国はそこから駄目になる。国王が阿呆やったら、血は巡らん」


政治とか難しい話が苦手な俺でも、フランクの言いたいことは解った。商売人は話し上手なんだろうか。


「やから、この国はええ国や」


自分の住んでいる所を褒められるとなんだか嬉しい。愛国心とかよく解らないが、こういうときに嬉しくなるなら、俺はこの国が好きなんだろう。


自国ウチは山も多いけど、ワシはどの街にも馬車がすれ違える道を通して、ウチの特産を他所よそにも知らしめたいねん」


そう語るフランクの眼はいきいきとして、だいだいの瞳が明るい夕陽のように輝いていた。きっとそれがフランクの夢なんだろう。金を稼ぎたいのも、道を作るためかもしれない。日本でも道路ができるのに、額がイメージできないぐらい金がかかるから。

フランクの夢が叶ったら、物や文化が行き交って、南国の人に活気が溢れるんだろうな、と想像できる。


「フランクって王様とか向いてそうだよな」


「は?」


フランクが眼を丸くした。そんなに突飛なことを言っただろうか、と俺は首を傾げる。

作業は土木関係者だろうが、道を作ったりするのを決めるのは政治家だ。フランクは、俺より物事を見る視点が高いし、視野も広い。だから、政治家に向いてそうだと思って、確実に政治してそうな役職をあげたんだけど、変だっただろうか。ニコの親父がしている宰相とかって何をするのか知らないし、一番合ってると思ったんだけどな。


「フランクが王様の国なら、行ってみたいな」


「……住みたい、やないんか」


俺のもしもの話に乗ったフランクが、不満げに零す。


「ああ。俺、地元好きだもん」


「ワシの故郷トコかてめっちゃええトコやで」


俺が素直に頷けるぐらいにアーベーントロート国はいい国で、フランクが胸を張れるくらい南国もいい国、それでいい。もし俺が南国に行くことがあれば、きっと今日のフランクみたいに、フランクにとっては何の変哲もないことに感動するんだろう。

俺とフランクは互いに眼を見合わせて、そして笑った。



九月に入り、陽光を暖かいと感じられるようになった頃、主のいないエルンスト家の庭で俺は花壇の土を整えていた。

夏の始めに刈り取った分で作った雑草堆肥たいひを混ぜて、次に植える花の土台を準備する。土が固くなるから根は抜かずに成長点より下で雑草を刈り取っておいたから、土が柔らかく混ぜやすい。本格的に秋になったら、今度は落ち葉を集めて堆肥を作る。


「アニキ、こっちの花壇は終わったっす」


ヤンから声をかけられて、俺ははっとなる。


「ああ。じゃあ、休憩入れようか」


「はいっす」


ヤンは集中し出すと周りの音や時間に気付かなくなるから、俺から時間を調整して休憩させなきゃいけないのに、逆にヤンに気付かされてしまった。そのことに苦笑する。

お嬢が来るタイミングを目安に休む癖が付いてしまって、会えない間に休憩のタイミングがうまく掴めなくなっていた。しっかりしないと、と反省する。

木陰に置いておいた密封瓶の水を飲んで、ヤンと休む。まだ青いレモンを切って入れただけの水を、金属の蝶番で簡単に開けられる密封瓶に入れておくと水筒代わりになって便利だ。

そこに、邸の方からメイドさんの一人がきた。近くまで来て、俺たちに一礼してくれたから、俺たちもぺこりと頭をさげて挨拶をした。


「正門に馬車が来ましたので、お知らせに」


平静な声の事務連絡に、俺はぱっと表情を輝かせた。前もってお嬢たちが帰ってきたら教えてほしいと、メイドさんたちに頼んでいた。何かお礼を、と言ったけど、何故かメイドさんたちに丁重に断られたのが、不思議だ。


「ありがとうございますっ」


しらせにきてくれたメイドさんにお辞儀をして、ヤンに少し席を外す旨を断りを入れて、俺は駆け出した。

裏庭から、邸の外周を回って正面玄関に向かう。走った甲斐あって、ちょうど公爵様が手を貸してお嬢が馬車から降りるところだった。


「お嬢っ」


呼ぶとお嬢がこちらに向いた。

俺は公爵様たちの前で止まって、息を整えてから詫びた。


「あ、すみません。公爵様、お帰りなさい」


「ああ、ただいま。出迎えてくれて、ありがとう。イザーク」


挨拶が遅れたことを謝罪すると、公爵様は微笑んで許してくれた。久しぶりに見ても、花を背負ってそうに華やかな顔と眩しい金髪は眼に辛かった。

オク様とフローラにも挨拶をしてから、公爵様に頼む。


「あの、少しだけお嬢、様と話してもいいでしょうか」


すると、お嬢の肩がびくつき僅かに俯いた。俺と話したくないほどお嬢に嫌な想いをさせたのかと、申し訳なくなる。けれど、できるなら、一言でいいから謝りたい。

公爵様が、お嬢の意向を確認するために、片膝を突いてお嬢と視線の高さを合わせる。


「ディア、どうする?」


「わたくし、は……」


「イザークに、言いたいことがあるんだろう」


公爵様は柔らかに微笑んで、自分と同じ淡い青の瞳を見返す。その眼差しを受けて、お嬢は唇を引き結んで、こくんと小さく首肯した。

お嬢の意向を確認した公爵様は、励ますように愛娘の髪を撫で、笑みを深くする。先に行っているよ、と公爵様は、オク様とフローラを連れだって邸に入っていった。それを見送る俺が感謝の意を伝えると、公爵様は片目を瞑ってみせた。美形ならではの返事の仕方だ、と俺は感心してしまった。

玄関の扉が閉まり、玄関先には俺とお嬢が残される。どう話を切り出したものか迷い、妙な沈黙が落ちた。その間に馬車が御者の手によって去ってゆく。

久しぶり、とか言うべきなんだろうか。いや、それよりも先にきちんと謝罪をするべきだろうと、俺は腹をくくる。


「お嬢、こないだはごめん!」


「……っ」


俺が頭を下げると、お嬢の引き結んでいた口元が少し緩んだ。


「お嬢を傷付けたことは本当に悪いと思っている。俺、うまく言えなくて……、お嬢が許してくれるなら、説明したいんだけど、いいか?」


「ええ」


謝罪している間、お嬢は何度か口を開きかけたが、結局言葉を飲み込むように口をつぐみ、そして覚悟をしたように返事だけを返した。

真っ直ぐに見つめる先のお嬢が、見返してくれていることを確認して、ライバルと言った理由の説明を試みる。


「お嬢が綺麗だから」


「え……」


「お嬢は、仕草も姿勢もどんどん綺麗になるだろ。俺より賢いし、できるコトもたくさんある。でも、それ全部、お嬢が頑張っているからだ」


俺の説明に、お嬢は呆然となる。やっぱり、俺じゃうまく説明できていないんだろうか。


「そんなお嬢をすげぇって思う反面、俺も一人前になれるよう頑張らないとって思うんだ。俺が一方的に負けてられないって思ってるだけだけど、そういうのライバルって言う以外に何て言うのか……」


「な……、な……っ」


お嬢の顔がじわじわと赤く染まってゆく、女の子相手に対抗心を持っているなんて呆れを通り越して怒り心頭ものなんだろうか。俺が情けなさすぎて言葉も出ない様子だ。自分でも、うまく説明できていない気がする。結局、どんなに考えても他の例えが浮かばなかった。


「お嬢は何て言うか知ってるか?」


語彙力のなさに弱って、俺より言葉を知っていそうなお嬢に訊く。お嬢なら、適切な名前を付けてくれるかもしれない。


「しっ、知りま……」


お嬢はぼっと音がしそうに顔を真っ赤にして、俺を叱るために怒鳴るかと思ったら、途中で止めた。どうしたのかと俺が思っていると、口を噤んだまま何かと葛藤するように小さく唸る。

数拍待つと、挑むように睨まれてお嬢が口を開いた。


「~~っザクは、わ、わたくしがいなくてどうでしたの……?」


「へ?」


「その……寂しい、とか……」


「いや、全然」


寂しいと思わなかったことを答えると、お嬢は閉口した。


「だって、お嬢のことよく考えてたし」


「な……!?」


「折角の家族水入らずだから楽しんでいるといいなぁとか、香水草こうすいそう花滑はなすべりひゆがお嬢が戻るまで咲いていたらいいなぁとか。あと、お嬢いないと休憩もちゃんと取れなくて反省した」


公爵様も忙しい人だし、お嬢もお稽古とかで家族全員が揃ってゆっくりする機会が少なかったはずだ。だから、きっとこの夏休みは公爵様の実家で帰るのが残念なぐらいに楽しんでいるだろうと思っていた。いつ戻るのか詳しい日取りを聞いていなかったから、十月以降まで持つ花に比重を置くべきかとか、親父と相談したりした。

お嬢のことを考えたときのことを思い出しながらつらつらと話していたら、頑張ると言っておきながら逆にできていないことまで話してしまった。まぁ、俺が情けないことなんてお嬢には今更か。

格好ついた試しがないことを自覚して、俺はへらりと笑った。

お嬢を改めて見ると、はくはくと空気をんでいた。小学校の池にいた鯉とちょっと似ている。餌を勝手にやったら駄目だったから、校長の餌やりを代わらせてもらうのをジャンケンで決めてたっけ。


「お嬢?」


どうしたのか、と首を傾げると、お嬢がひるんだように一歩下がった。それから、そのことに気付いて悔しそうにわなわなと震えだした。


「っザ、ザクは、どうしてそういつもいつも……!」


恨みがましい眼でお嬢に見られる。

責めるような言い方だったから、俺は何か叱られるのかと思った。けど、そうはならずお嬢は胸元にある手に力を入れて拳を作り、自身を落ち着かせるように深呼吸をする。

そして一度、きゅっと唇を噛んで、眼を伏せた。


「……ザク」


「何だ?」


「そ、の……、別れ際に言ったことですけど」


「うん」


「ザクの話を最後まで聞かずに……わたくしも、言い過ぎ、ましたわ……、だからっ」


俺が誤解させる言い方をしたせいなのに、お嬢は気にしていたのか。そのことが意外で、俺は眼を丸くする。


「ごめんなさい」


「いいよ。俺もごめんな」


笑って俺も謝ると、伏せていたまぶたがあがって淡い青の瞳とかち合う。安堵したように表情カオが綻んだ。

ニゲラの花の色だ。そんなことを思っていたら、お嬢が剥れた。


「謝罪は先程も受けましたわ」


俺の方が謝罪が多いから狡いと言われてしまった。そこを狡いと言われるとは思わなかった俺は、可笑しくなる。


「ははっ、ごめん」


「だから……!」


「うん。おかえり、お嬢」


お嬢には言えていなかったことを思い出して俺が言うと、お嬢が少しくすぐったそうにはにかんだ。


「ただいま」


やっぱり花が咲くように笑うな、と俺はそんな感想を抱いた。


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