45.日傘



梅雨が明け、暑さが本格的になろうとしていた。その分、雑草抜きの作業が多くなる。けど、今年はヤンがいるから作業が分担できて楽になった。

ヤンの実家でも野菜の虫除けにハーブを植えていたらしく、ある程度雑草との見分けがつき、教えるのも補足程度で済んだ。一人増えるだけで随分助かるものだと実感した。親父もそれを感じているから、よくやっている、と一言褒めたらヤンの眩しい視線を浴びて怯んだ。ヤンの黒い瞳は尊敬や憧憬の色を乗せると、途端にキラキラするから厄介だ。

ちょうど目の前にある眼によく似ている。


「ちょっ、待……っ」


入り口に踏み入れて早々に突撃してきたものに覆い被さられ、俺の視界は一瞬真っ黒になる。勢いで増した体重を支えきれず、その場に尻餅をついてしまった。それでも尚迫ってくるから、後ろに倒れるしかなくなる。


「わ、分かったから……ユリア……っぶ!」


相手の名前を言い終わる前に、顔をめられて喋ることも叶わない。仕方ないから、俺はユリアンの首元に手を伸ばして撫でた。ユリアンは、それでも頬に自分の額を擦り付けてくる。


「ユリアンっ」


俺がなすがままにされていると、強めの語気でユリアンの名前が呼ばれた。ユリアンは俺の上に乗ったまま、悪気ない表情カオをして声の主へ振り向いた。


「アニカ様、こんにちは」


「イザーク君、ごめんなさいね。突然駆け出したものだから、止められなかったわ」


申し訳なさげにアニカ様は屈んで俺の顔を覗き込む。そして、取り出したハンカチで顔を拭ってくれた。ユリアンが乗ったままの俺はそれを回避できない。俺が汚れるのが悪いと言うと、その為のものだ、と笑われた。

アニカ様に指示されて、ようやくユリアンが退いてくれた。俺は身体を起こして、改めてユリアンを撫でる。


「大丈夫です。俺もユリアン好きだし」


加減してくれよ、と撫でながら頼むと、解っているのかいないのかユリアンは一声鳴いて返事した。

ユリアンはヴィート侯爵家の番犬だ。アニカ様が孤児院を訪ねるようになったためか、ダニエル様が軍の救助犬候補だったユリアンを雇い受けた。

筋肉がしっかりして強そうな大型犬のユリアンは、強面こわもてではあるが眼の優しさに相殺されて怖くない。孤児院の子供たちも初対面の一瞬だけビクついて、ユリアンの眼差しに警戒を解き、すぐに懐いた。毛が長くふわふわで、特にたてがみのような首元は撫でているこちらも気持ちいい。

俺は、休日にメルケル教会に併設されている孤児院に来ていた。下町区域にあるとはいえ、俺の家の近所ではないから行こうと思わないと訪ねない場所だ。

アニカ様が本の読み聞かせをしているうちに、難しい聖書しか読み物を知らなかった子供たちが文字の読み書きに興味を持った。そこで、アニカ様が文字を教えることになり、俺に相談があった。

どうして俺になんか、と思ったが相談してもらえてよかった。アニカ様は最初読み書き用に紙とインクを用意しようとしていた。庶民の俺は慌てて止めた。そんな高い消耗品を寄贈されたら、それを売って生活資金にした方がいい。

だから、繰り返し使える小さい黒板とチョークにしたらどうかと提案した。工場とかではシフトやスケジュール管理に黒板を使っているからいけると思った。前世でガキの頃に見たアニメでも、そんな感じで勉強してるのあったし。

庶民との金銭感覚の違いを解ってくれたアニカ様は、人数分の小さな黒板にチョークと黒板消しを寄贈した。小さい黒板は出店の看板用に元々あったから、その一番小さいサイズを注文したらしい。

その経緯で、俺もアニカ様が読み書きを教える手伝いをすることになった。といっても、俺の休日とアニカ様の来訪日が被っているときだけだから、月に二度あるかどうかの頻度だ。


「ザク、字きれー。ヘンー」


「似合わねー」


「いいだろ、別に」


けたけたと子供ガキたちに笑われる。お嬢の字を参考に練習していたせいか、習字にもなっていたようで俺の字はマトモに読めるらしい。柄じゃないのは自分でも解っているから、つい口角が下がった。


「あら、字が綺麗なんて素敵じゃない」


アニカ様がそうフォローしてくれる。アニカ様の言葉を受けて、女子サイドは読めないよりいいかも、と意見を傾けた。男子サイドは頑として格好悪い、と主張する。

俺も前世では読めればいいぐらいにしか思ってなかったし、クラスメイトに下手と揶揄からかわれるのがコミュニケーションの一環だったから気にしていなかった。けど、女子に借りたノートの字が綺麗だったときは好感を持ったから、アニカ様の言うことも一理ある気がする。


「ユリアンも字が綺麗な方が好きよね?」


男女両者の様子を見てアニカ様が、まだ字が書けない三歳児の絵のモデルになっていたユリアンに声をかけた。ユリアンは呼びかけに応じて、アニカ様のもとに行く。

アニカ様は、男子の一人と俺が同じ文字列を書いた黒板をユリアンの前に置いた。ユリアンの基準を提示され、子供たちは眼を丸くして様子を見守る。


「ユリアンはどちらの字が好き?」


ユリアンはゆったりとした動きで、それぞれの黒板を覗き込んで確認した。匂いを嗅ぐ仕草はしていないから、本当に見ているのか、と子供たちは緊張した面持ちになる。

そして、鼻先で俺の書いた黒板のふちをつっと突いた。

その瞬間、固唾を飲んで見守っていた子供たちがはしゃいだり、愕然がくぜんとしたりと各々おのおのの反応を見せた。

俺はといえば、じんわりと嬉しさが込み上げて表情カオが緩んだ。


「ね。字が綺麗な男の子は素敵でしょ」


「おれっ、もっと字練習する!」


「わたしもー」


「ザクなんかこてんぱんにしてやるからな!」


「今に見てろっ」


「お、おう……」


子供たちからのユリアンの人気は絶大だな。俺が敵扱いになった。何はともあれ、子供たちがやる気になったのはよかった。

ユリアンのいる方に向くと、微笑んだアニカ様と眼が合う。俺が、柄じゃないから恥ずかしいと感じていたのも、そう感じるのが教えてくれたお嬢に失礼だと申し訳なく思っていたのも、見透かされていたようだ。

俺は面映おもばゆさを誤魔化すように、ぎこちなくアニカ様に笑い返した。すると、アニカ様に急に抱き締められる。


「ア、アニカ様……!?」


「ダニエルと違って、私ならいいでしょう?」


「へ?」


なんでいきなりダニエル様の名前があがるんだ。何がいいと訊かれているのか解らなくて、俺は困惑する。

困ってる間に、アニカ様に褒めるように頭を撫でられる。子供たちやユリアンと接するようになったからか、元からなのかは判らないが、アニカ様は庶民相手でもスキンシップに躊躇ちゅうちょがない。


「あの……、恥ずかしい、です」


アニカ様からしたら俺も子供だろうけど、この歳で母さん以外の女の人にスキンシップされるのは流石に恥ずかしい。第一、母さんだって褒めるときは頭を撫でるくらいだ。褒められること自体は嬉しいから嫌とは言えず、素直に観念して困っている旨を伝えた。

なのに、アニカ様に更に抱き締められる。ちゃんと主張したのに、どうしてだ。アニカ様は子供たちと接するから汚れてもいい庶民寄りの服装で、服が汚れることを理由に突っぱねることもできない。

どうやらユリアンと同じ扱いだと悟った俺は、アニカ様の気が済むまで羞恥に耐えた。


「ごめんなさい。八月に入ったら、しばらく来れなくなるわ」


孤児院の子供たちとの別れ際、アニカ様は申し訳なさげに謝った。それを聞いた子供たちは、えー、と残念そうな抗議の声をあげた。ユリアンに抱き着く子供もいれば、アニカ様のスカートの裾を掴む子供もいる。ユリアンに会えないことも、アニカ様に会えないのも淋しいらしい。


「何かあるんですか?」


「シーズンオフだから、ダニエルの領地に行くのよ」


俺が訊くと、アニカ様は理由を教えてくれた。

貴族は、パーティーを開くのに向かない夏は領地に帰省するか、避暑地に滞在するのが一般的らしい。アニカ様が病気だった去年までは王都の邸を離れられなかったが、今年からは通常通り領地に帰省するそうだ。貴族に夏休みがあるんだ、と俺は理解する。


「八月頭にある第一王子の誕生日パーティーの翌日には出発するわ」


王族主催のパーティーには出席必須だからとはいえ、レオの誕生日パーティーがまるで終業式みたいだと俺は思った。


「フローラちゃんも大きくなったし、オクタヴィアたちもそうじゃないかしら」


「え」


考えてもいなかったことを言われて、俺は驚く。

公爵様も領地があるから、言われてみればそうだ。ただフローラが長旅や環境の変化に耐えれるか心配だったから、これまで帰省しなかっただけで。俺が働き始めてからずっと夏もお嬢たちがいた。それが普通だと思っていた。フローラが生まれた頃に来たから、たまたま帰省するのを見かけなかったことに、今更気付く。


「そうなんですか」


俺はただ頷いた。

それから、アニカ様たちとの別れを惜しむ子供たちを剥がす手伝いをした。



午前中に孤児院訪問を済ませたアニカ様と昼食を食べてから、中央広場で別れた。

昼食後は年齢によっては昼寝の時間だろうとの配慮で、アニカ様は午前中に孤児院を訪ねるようにしている。そして、俺は助手のバイト代として昼飯をおごってもらう。現物支給の方が俺も気が楽だ。

今日は市場通りにある出店のサンドイッチを、中央広場の噴水のふちに座って一緒に食べた。基本的に奢ってもらうのは、イングリットの酒場のランチや出店の軽食など庶民向けの食事だ。

読み書きの助手をした初日、帰りに出店から漂う鶏の串焼きの匂いで、思わず俺の腹が鳴ったのがきっかけだった。アニカ様が可笑しそうに笑いながら、一緒に食べようと誘ってくれた。

貴族のアニカ様が普通に串焼きを頬張ったから、俺が驚くと、若いときにダニエル様と彼の領地でお忍びデートをよくしていた、と教えてくれた。ダニエル様は、普段の領民の様子を見たいから、と侯爵を継ぐまでは庶民寄りの扮装で領地を回っていたらしい。目立つ容姿のレオと違ってきっと自然に紛れていたことだろう。

そんな訳で、孤児院に行く日はバイト代がもらえるから、母さんに昼飯はいらないと伝えている。

俺は、中央広場から市場通りを通って帰路に就く。中央広場の近くは服飾区域だから、昼下がりのこれから賑わい始めるだろう。逆に、食品区域は空く時間帯だから落ち着いて買い物ができる。

寄れたら買ってきてほしい、と母さんに頼まれていた買い足しの食材を買うため、俺は食品区域を通るルートを選んだ。

食品区域に差し掛かったところで、フランクの姿を見つけた。フランクとは、イングリットの酒場以外ではすれ違ったら挨拶を交わすぐらいの間柄だ。けど、進行方向が同じだから声をかけるかどうか迷う。


「レーニさん、こんにちは。今日も肌が綺麗だね」


「ああ、ウチの果物のおかげさ。買っていくかい? おまけするよ」


「今日は、昨日買ったレモンに合う魚を探しに来たんだ。また今度ね」


「ウチのレモンのためじゃあ、仕方ないね」


「こんにちは。マルコさん、腰の調子はどう?」


「年寄り扱いするんじゃねぇ。この通りピンピンしとる」


「元気そうでよかった。張り切りすぎないでね」


「フランク、魚より肉はどうだい。いい赤身のもも肉があるよ」


「ロジーナさんのお墨付きだと、悩んじゃうなぁ」


数メートル先のフランクは、すれ違う何人かや店先の人と、一言二言笑顔で挨拶をしては進んでいく。しかも、名前を必ず呼ぶから、俺は素直に感心した。

人の名前を覚えるのが苦手な俺からすれば、とても凄いことだ。俺は、エルンスト家の使用人の人ですら顔しか知らないことがある。同じ敷地内にいても相手によっては話す機会がないから、どうしたって頭に入らない。メイドさんの噂話とかにも興味ないからなぁ。

フランクは本当に接客業向きだ。嫌みのない人のよい笑顔で明るい。イングリットの酒場で給仕をしているのは天職かもしれない。笑顔が似合うフランクを嫌う人はきっととても少ないだろう。

感心しつつのんびり眺めて歩いていたせいか、フランクとの距離が開いてしまう。この距離じゃ、大声を出さないと届かない。声をかけるのは今度にしよう、と俺は諦める。

ちょうどそのとき、フランクに声をかける人がいた。歳の若い兄ちゃんで、ハネた髪は短いが襟足の部分だけ髪が長い。黄緑のメッシュが入っていたり、襟足の長い毛の一房に羽飾りを付けていたり、なんだか主張が激しい。そして、狐のように吊った眼の片方に古傷があった。


ヤンキーだ。


人を見た眼で判断してはいけないと思うが、ぱっと見、どう見てもヤンキーっぽかった。

そのヤンキーっぽい兄ちゃんが気安い様子でフランクに声をかけると、フランクは少し弱ったように眉を下げた。そして、二言三言話して、兄ちゃんがフランクを路地裏の方へつれて行った。

周囲を簡単に見回すと、さっきフランクと挨拶をした店の人は客の対応で気付いていないようだ。たまたまフランクを注視していた俺だけが一連の出来事を見ていたらしい。


……カツアゲ?


フランクは食材の仕入れ用に持たされた金がある。挨拶を交わしていた内容と、抱えるような荷物を持っていないことから、まだ購入前なのは確かだ。そこを、兄ちゃんに眼を付けられた可能性は大いにあるだろう。

だが、決めつけて人を呼ぶのは早計だ。もし顔の広そうなフランクのただの知り合いだったら、フランクが困るだろう。恐喝かどうか確かめる必要がある。

俺は、フランクたちが消えた路地裏の入り口まで行き、まず耳をそば立てた。話し声が聞こえるから、そこまで奥には行っていないようだ。けど、一方の語気が強いから悪い予感が増してしまう。

ヤバそうだったら、人を呼ぶ。そう決めて俺は、様子を確認するため路地裏をそっと覗いた。


「何クソ真面目に働いとるんや。仕入れるもん仕入れんかい」


「せ、せやかて……」


「ワシが何のためにココにおるか、わかっとんのか!」


「わかっとるって! けど……」


「男がぐだぐだ言い訳すなっ」


「へいっ、すいやせん!!」


南国なまり?


まずそこに意識がいった。アーベントロート国に隣接する国はいくつかあるが、南の国は第一言語が同じだ。けど、訛りが強いと聞く。そして、日本人だった前世の記憶があるせいか、俺には南国訛りが関西弁のように聞こえる。南国の国境に近い地域出身の行商人と庭師ギルドの人が話しているのを耳にしたときに、それに気付いた。

俺は、目の前の光景に呆気にとられる。フランクが南国訛りで喋っているのもそうだが、それ以上に思わず閉口してしまうような状況だった。


「せやから、お前はついて来んでええってうてん」


「あかんっ、ぼん一人で他所よそシマにおるなんて、危ない!」


溜め息を吐くフランクに見下ろされて、ヤンキーっぽい兄ちゃんが頑として譲らない状況は、俺の想像と真逆だった。中身は判らないが、木箱が積んであるところに片膝立てて座るフランクは必然的に兄ちゃんより高い位置に目線があった。その表情に人好きのする笑顔はない。それだけで随分印象が変わるのだと、俺は思い知る。

これは、フランクがカツアゲをしているのだろうか。いや、話しぶりからすると知り合いっぽい。ということは、やっぱり早とちりして人を呼ばなくてよかった。よかったんだが、安心より意外すぎて思考が一時停止した。

とりあえず、ヤンキーっぽい兄ちゃんはいい人そうだ。

大丈夫そうだし、見なかったことにしてこの場を立ち去った方がいいかもしれない。そう思い至ったタイミングで、ヤンキーっぽい兄ちゃんが俺に気付いた。


「なんや、坊主。坊のダチか?」


「ティモ、何うて……」


こちらに向いたフランクとばっちり眼があった。固まるフランクを見て、俺はどうしたらいいか弱る。


「えーっと……」


「…………見たんか」


「悪い」


たぶん見られたくなかっただろうから、俺はフランクの問いを素直に認めて謝った。


「ティモ、確保せぇ」


「へいっ」


「へ?」


返事をするが早いか、ティモと呼ばれた兄ちゃんは俺を路地裏に引き込み、フランクの前までつれてくると両肩をしっかり掴んで逃げられないようにした。細身に見えたが、存外筋肉があるようで、俺が足掻いたとしてもびくともしなさそうだ。

眼を据わらせたフランクに見下ろされる。今までと同一人物に思えなくて、誰だコイツ、と思ってしまった。


「で、要求はなんや」


「え」


「え、やないわ。ネタ掴まれたからには、払うもん払ったるっつってんねん」


つまり口止め料を訊かれている訳か。そんなことを急に言われても、俺の頭はまだ事態に追い付いていない。フランクは俺より頭の回転が早いらしい。


「確か、ザクうたな。そもそも、なんで野次馬しとったんや」


「いや……、フランクがカツアゲに遭ってんのかと思って」


「坊を心配してくれるやなんて、めっちゃいい奴やないか!」


「阿呆、お前の悪人ヅラのせいで悪目立ちしてもうたんや。大体、犯罪者扱いしよった相手ヤツを褒めるんやない」


「面は変えられへんから、しゃーないですわ」


「そうか」


あっけらかんと笑うティモという兄ちゃんに、フランクは呆れとも脱力ともとれる声音で返した。


「あの、誤解してすみませんでした」


「ああ、構へん構へん。札付きに見えるなんてカッコええやん」


「嬉しそうにすんな、阿呆」


肩を掴まれているから首だけで振り返り、兄ちゃんに謝ると、嬉々と輝く眼とかち合った。不良に憧れる学生みたいな返答だ。俺は反応に困り、フランクは完全に呆れた眼差しを兄ちゃんに投げかけた。


「まぁ、食い逃げのときといい、兄ちゃんがお人好しなんは分かった。で、何がええんや?」


口止め料なんてもらわなくても、黙っている。そう口先だけで言っても、フランクは信じなさそうだと感じ、俺は考える。

別に、金や物がほしい訳じゃない。何かしら、フランクが納得しそうな条件を提示しないと、交渉は成立しないだろう。このまま帰してもらえないのは、俺もお使い中のフランクも困る。

手早く済みそうなものを、と悩んで、俺は決めた。


「じゃあ、フランクがこの国にきた理由を教えてくれ。理由に納得できたら、黙ってる」


「……ええやろ。ワシがこっち来たんはな」


少し考える素振りを見せたが、条件に了承してくれたらしいフランクがきっぱりと答えた。


「金もうけのためや」


「え」


当然が如く断言された内容に、俺は固まる。


「この国は儲かっとるからな。流行やら技術やら色んな情報ネタ仕入れて、ウチで儲けるんや」


そのために情報の集まりやすい王都の飲食店で働いているらしい。


「フランクって、いくつだ?」


「八つやけど、何やねん」


「二コ下かぁ」


俺が十一になったから今は三歳下か。それでも、こんなに商魂逞しい八歳児がいていいのだろうか。


「どうしてそんなに稼ぎたいんだ?」


「決まっとるやろ、世の中金で回っとる。オヤジは、男兄弟だけでもワシの上に四人こさえとるからアテにできん。自分テメェの食い扶持ぶちぐらい自分テメェで稼いだる」


「立派や、坊っ」


フランクの逞しい発言に胸を打たれたらしい兄ちゃんが拍手をした。俺を押さえていなくていいんだろうか。まぁ、逃げないけど。

ともかく、フランクが前に話した兄弟が多いというのに嘘はなかったみたいだ。家族のため、というより自分のためのようだが、早く自立すれば家族の負担が減るから親孝行には違いない。


「でも、何で南国訛りを隠してるんだ??」


「阿呆、キツい南国訛りで話したら女性姉さんらがビビるやろ。噂好きが多い女性姉さんらはいい情報元や。それに、ワシの愛嬌ある面を使わん手はないやろ」


軽く自分の頬を叩いて言い切る様が、いっそ清々しい。自分の商品価値を解っている奴の発言だった。

俺は、可笑しさが込み上げて、ふはっ、と吐息が洩れた。


「いいヤツだとは思ってたけど、フランクって面白いヤツだったんだな。わかった。黙ってる」


「……分かればええねん」


俺が笑ったのが気に障ったのか、虚を突かれたよう眼を丸くしたあと、フランクが憮然と呟いた。

交渉成立したから、帰してもらえることになった。フランクたちも話を切り上げたようで、一緒に通りに戻る。木箱から降りたフランクは、深々と長い溜め息をいた。


「あり得へん……、こんな使えんヤツにバレるやなんて。ティモ、お前のせいやぞ! 場所考えて話しかけんかい!」


「やって、坊見つけたら、そら声かけるやろ?」


「人目を気にせぇちゅうとるんや」


「えー、難いわぁ」


「次ヘマやらかしたら、いかりにくくりつけてさめの餌にすんで。ええか!?」


「嫌や! 堪忍してぇな、坊っ」


テンポよくぽんぽんと会話するから、俺は漫才を見ているみたいな気分になる。素のフランクも俺は悪くないと思う。

俺は、ふと気になったことを訊いた。


「俺が使えないってなんだ?」


まるでフランクが俺を利用しようとしていたみたいな言いぶりだ。けど、普通に挨拶していた程度で、何かを頼まれたこともない。利用価値を測るようなやり取りが一体いつあったのか。

不思議がる俺を、フランクは多少苛立ったように睨んだ。


「兄ちゃん、探り入れても、邸の嬢ちゃんが可愛ええぐらいしか言わんかったやろ!」


非難気味に言われ、思い返す。そういえば、貴族の家で働いているなんて凄い、とどんな感じなのか訊かれたことがあったような気がする。ただ会話の流れで訊かれただけかと思っていたが、あれは探りを入れられていたのか。一応、お嬢のことだけじゃなく、公爵様が眩しくて困るとも話した。

興味津々で訊かれた訳じゃないから、指摘されるまでそんな質問をされたことも忘れていた。フランクはさりげなく聞きたい話題に持っていくのが上手い、と俺は感心した。


「公爵家で働いとるゆーから、いい情報ネタ持ってそうやと思ったのに、コネ作る価値もなかったわ」


自分が同じ立場だったらもっと活用する、とフランクは不満げだ。


「よかった」


「は?」


「俺が使えないなら、打算なく付き合えるだろ」


フランクが南国訛りなことも、さっきの交渉で貸し借りなしになった。フランクはどうしても損得勘定を優先して相手と接してしまうようだから、利用価値がないなら気楽に付き合えるということだ。

俺がへらりと笑うと、フランクは眼を丸くした。

信じられないものを見る眼で俺を凝視したあと、フランクはばつが悪そうに視線を逸らした。


「阿呆。使えんコトを喜ぶヤツがあるかい」


「坊、照れとるー」


「とらんわ!」


何だか嬉しそうに兄ちゃんが笑い、余計なことを言うな、とフランクがその腹部に一発入れた。少し痛そうにしながらも兄ちゃんがまだ嬉しそうにしているから、フランクは舌打ちした。


「まぁ、ワシの邪魔せぇへん限りは無視せんといたるわ」


「そっか。また、イングリットの酒場に行くな」


「金落としてくなら、勝手にしぃ」


「おう」


そのやり取りが終わったとき、通りに出た。途端、昼下がりの陽光が似合う笑顔を装着したフランクに戻る。

スイッチの切り替えの速さに思わず拍手しそうになったが、それを我慢して俺はフランクたちに別れを告げ、母さんに頼まれた食材を買いに向かった。買い物をしていたとき、フランクなら値切り交渉やおまけをもらうのがきっと上手いだろうと思った。今度、コツを訊いてみよう。



数日後、雑草抜きの作業が一区切りついた俺は、赤・桃色ももいろだいだい・黄色・白と鮮やかな唐菖蒲とうしょうぶの花壇の手入れをしていた。

開花した唐菖蒲の本葉を残した状態で花茎の先を摘み取っていく。摘心てきしんという作業で、これをすると株のスタミナが長持ちする。咲き終わったものの切り戻しはヤンに任せている。

唐菖蒲は色の濃さで植える場所を分けており、白い灯台草とうだいぐさを濃い色合いの群れに、葉の緑の色合いがしっかりしてむらさき麒麟菊きりんぎくを淡い色合いの群れにそれぞれ寄せ植えをしている。その方が唐菖蒲が映える。

色合いで組み合わせをする、という考えがヤンにはなかったようで、説明すると瞳を輝かせていた。野菜は実った単品の色合いが大事だから、全体的な色合いを意識することがなかったんだろう。こうして少しずつ、庭師の感覚を覚えていってくれれば、いつか一緒に庭作りの相談をしたりできるようになるかもしれない。

作業をしていると、被っている麦わら帽子とは別の影が落ちた。


「相変わらずちまちまとしているのね」


「ニコ」


影の正体を確認するために顔をあげると、日傘を差したニコがいた。


「日傘、似合うな」


「面倒なんだけど、アタシ、肌弱いのよね」


肌が白いニコは日焼けすると赤くなって痛いらしい。母親のエルヴィーラ様や姉貴のヘロイーゼ様が心配して、出かけに貸してくれたという。ふちにレースのある日傘が違和感なく似合っていた。


「女物が似合うなんて、やっぱりオカマだな」


「なんですって」


「男物の日傘作ればいいじゃん。それもニコに似合うだろ」


お嬢の護衛のポチが言った言葉に、ニコが言い返そうとしたが、俺が思いついたことを呟くと二人が止まった。ポチを止めようとしていたお嬢も、開きかけた口を閉じる。


「男物?」


「え。普通に無地とか、ニコの好きな柄の日傘を作ればいいだろ」


不思議そうなニコに、俺はそう返す。

前世の日本では、紫外線が強かったから日傘兼用の雨傘とかも普通にあった。日傘も男物があったから、特に変でもない。でも、それ以前に貴族の化粧品にはもしかしたら日焼け止めクリームとかもあるかもしれない。

変なことを言った訳でもないのに、何故か俺に視線が集まった。


「それ、いいわね」


ぽつり、とニコが零し、頷いた。今度作ってみる、とニコはどんなデザインにするか考え込む。


「ザクは、よくそんなことが思いつきますわね」


「え。ふつーだろ」


感心したようにお嬢が言うから、俺は首を傾げた。すると、不可解なものを見るような眼差しをお嬢に向けられた。

お嬢は唐菖蒲の花壇を褒めてくれたあと、おもむろに切り出した。


「あの、ザク……、実は来月からしばらく邸を離れますの」


「ああ、シーズンオフだろ」


「知っていましたの……?」


俺が理由を言い当てると、お嬢が意外そうに眼を丸くした。確かに俺もアニカ様に聞くまで知らなかったし、その反応が正しい。とんと興味がないから、貴族の家に勤めていながら俺は貴族の常識にうとい。たまたま知った旨を答えると、お嬢は少し釈然しゃくぜんとしなさそうだったけど納得してくれた。

お嬢は両手の指を合わせつつ、眉を下げる。日傘はポチがしっかりと差して、お嬢を夏の陽光から守っていた。お嬢を紫外線から死守しようという意気込みがポチから伝わってくる。


「なので、一月ひとつき以上、会えなくなりますわ……」


「じゃあ、いつ帰ってきてもいいように庭を保っておくな」


庭は、見る人がいなくなるからって手を抜いていいものじゃない。日々、手入れをするから元気に花が咲き、緑が茂るんだ。それに残る使用人の人たちが、庭を見て和んでくれたらいい。

庭のことを気にしないように笑って頷く俺を見て、お嬢が眼を見開いた。


「……会えませんのよ?」


「うん」


「初めて、ですのに……」


「そういえば、そうだな」


一ヶ月以上、お嬢に会わなくなるのは初めてだ。だから、あまり想像ができない。見てもらう人が減った庭を、俺はどう感じるんだろう。

お嬢が念押しする理由が解らなくて、俺は首を傾げる。俺の反応を確認して、お嬢はぷくっと頬を膨らませた。


「ザクは本当に何とも思いませんの!?」


「や、だって……」


「わたくしを何だと思っていますの!?」


「え。ライバル」


俺が即答すると、お嬢が一時停止したみたいに固まった。

俺たちのやり取りを眺めていたニコが、肩に肘を乗せて仕方なさそうに訊いた。


「それ、どういう意味で言ってんの?」


「頑張ってるお嬢を見てると、俺も頑張ろうって思うから」


それってライバルだろう、と俺が返すと、ニコは長い溜め息を吐いた。


「だそうよ、ディア嬢。……あら? 聞いてないわね」


どうしようかしら、と困っているというよりは呆れたようにニコがぼやく。お嬢の眼前で手を振ってみても無反応なのを確認して、ニコは再起動を待つことに決めたようだ。


「ああ、アタシは帰らないわよ。親父が城勤めだし、ウチの領地は暑いもの」


「そうか。でも、こっちには来れないだろ」


宰相をしているニコの父親は夏休みをとれないぐらい忙しいらしい。大変そうだと俺は思ったが、ニコからすると根っからの仕事人間なだけ、とのことだ。

これまでお嬢を口実にエルンスト邸を訪ねていたから、ニコもしばらくはここに来れなくなる。そう思ったが、ニコが他の手段を提案した。


「ザクがウチに来なさいよ。母様がまた呼んでって言うのよ」


「そっか」


俺は表情カオを緩めて頷いた。春にニコがヘロイーゼ様を守るために一ヶ月以上来なかったとき少し物足りない心地がしたから、夏の間もニコに会えるのは単純に嬉しい。

ニコは、俺の反応を見て、半眼になる。


「ザク……、アンタそういうのはディア嬢にしなさいよ」


「そういうって??」


俺が首を傾げると、ニコはまた長い溜め息を吐いた。


「…………んて」


固まっていたお嬢が、僅かに戦慄わななき出し、呟きが零れた。それに気付いて、俺たちはお嬢の方を見遣る。俯いたお嬢の表情は窺い知れないが、ぎゅっとこぶしを強く握っていた。

そして、きっと顔をあげたお嬢が俺を睨んだ。


「ザクなんて、もう知りませんわっ!」


言うなり、お嬢は踵を返して邸の方へ走り去っていった。急な反応だったにもかかわらず、それに応じて日傘を差したまま追従するポチは凄い。そのポチが心配してお嬢を呼ぶ声が、遠ざかっていく。

俺は反応できずに、その様子を唖然と眺めた。


「ザクはバカねぇ」


ニコが隣で沁々と感想を零す。


「……お嬢、なんで怒ったんだ?」


本気で判らなくて、すがるようにニコ訊いた。お嬢を傷付けてしまったなら謝りたいけど、何が逆鱗だったのかさっぱり判らない。今回の怒り方は原因が判らないまま謝ったら駄目な気がする。ニコは判っているらしいから、教えてほしい。

弱って眉を下げる俺を見て、ニコは仕方なさそうに苦笑した。


「次会ったら、ライバルって言った理由をもう一度説明してやれ」


「わかった」


俺は、ニコの助言にしっかりと頷いた。

けど、その機会は一ヶ月以上先になった。お嬢に謝る機会を逃したまま、俺はお嬢のいない夏を過ごすことになる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る