44.クッキー




「今度はわたしの家でしませんか」


「よろしいんですの?」


提案された内容にリュディアは気遣わしげに確認した。

トルデリーゼのアウグスト侯爵邸で友人たちとお茶をしていた際、提案したのは友人の一人のシュテファーニエだった。

以前パジャマパーティーを友人たちとしたところとても楽しく、友人たちからも自分の邸でしたいと声があがった。そこで必然的に邸に籠りがちになる梅雨の時期に、必ず一度はパジャマパーティーをすることになった。既に、今いるアウグスト侯爵邸では行っており、トルデリーゼが家族の前だとはっきり物を言う意外な一面を知れた。

リュディアが憂慮したのは、シュテファーニエの家庭事情だ。噂では、ヴィッティング伯爵が平民のシュテファーニエの母親に入れ込み婚姻した、とされているが実際は違う。

伯爵は亡くなった妻を深く愛しており、誰かと再婚する気がなかった。だが、家の存続のため、親族から縁談を何度も持ちかけられ、彼は疲弊していた。

縁談を避けるため、彼は子持ちで独り身の女性を探した。そうして、自分同様に亡くなった夫を想い続けるシュテファーニエの母親に行き当たる。平民ではあったが、自身に懸想けそうされる心配がなく都合がよかったのだ。

シュテファーニエの母親も、母子家庭では生活が苦しかったこともあり、生活を援助してもらう条件を提示され飲んだ。

貴族社会では家同士の契約による婚姻はざらにあるが、恋愛結婚が当たり前の平民出身であるシュテファーニエには承服しかねるところがあるやもしれない。第一、結婚したくないから結婚するという伯爵の行動は、貴族としても特異だ。

愛情で成り立った家族関係ではないため、これまでシュテファーニエは令嬢になる努力こそすれ、伯爵に甘えることを避けていた。伯爵に迷惑をかけたくない、と以前彼女が言っていたのをリュディアは覚えている。


「大丈夫です」


トルデリーゼやザスキアも同様に心配そうに彼女を見遣る。しかし、シュテファーニエは微塵みじんの憂いもない笑顔を見せた。

出会ってから一年半以上が経過し、令嬢としての態度も学んだ彼女が自分たちには見せる素の表情だ。その笑顔に後押しされ、次回のパジャマパーティーの宿泊先はシュテファーニエの家に決まった。

次の予定が決まり、トルデリーゼが思い出したようにリュディアに訊ねた。


「そういえば、今年は結局何をプレゼントされたんですか」


「え、えっと……」


「何の話ですか?」


「ディア様は、誕生日祝いとは別に、この時期になるとジェラルド様に日頃の感謝を贈っていらっしゃるんです」


「素敵ですねっ」


「忙しいお父様を想われてらっしゃるんですね」


「それは……」


問われたリュディアが、回答に弱っている間に、トルデリーゼが二人に説明をする。それで、リュディアは更に弱ってしまう。その理由が嘘だったからだ。

いや、実際に父親にも贈ってはいるが、相談する目的は別だった。この時期に誕生日を迎える庭師見習いの少年へのプレゼントを決めかねて、実用性を好む父親を持つトルデリーゼに、父親への体で相談していた。意見を参考にしている対象が実は違う、と打ち明けられずに、トルデリーゼが最初にした誤解に甘えたままなのだ。


「それで、何を贈られたんですか?」


打ち明けて失望されないか、と悩んでいるうちに、リュディアはまたしても訂正する機会を失った。

興味津々な眼差したちを受けて、リュディアは観念して答えることにする。友人たちの眼差しは雄弁だ。


「……今回は、物ではなくピアノを演奏しましたわ」


恥じ入りながら、リュディアはプレゼントを告白した。

庭師見習いの少年と共通の友人のニコラウスから、彼が自分のピアノが聴けないことを残念がっていたと教えられた。確かに以前、恥ずかしいから練習している音を聞かれたくない、と言った。だが、それを律儀に守っているとは思わなかったのだ。

ピアノの稽古があり、かつその付近で作業があるときは、音の届く範囲を父親か弟弟子に任せて、自身は音の届かないところの作業をしているらしい。

彼はよく歌を口ずさんでいるから、きっと音楽が好きなのだろう。以前、どうして作業中ですら歌うのか訊ねたところ、


「だって、他にBGM流す方法ねぇじゃん」


という不思議な回答が、あっさりと返った。

彼の言葉の意味こそ解らなかったが、日頃から音楽を聴いていたいのだろうということは伝わった。確かに平民の彼には、日常的に音楽を聴く環境を得ることは難しいだろう。蓄音機があれば可能だが、蓄音機は貴族でも持っているものが少ない最近できたばかりの機器だ。かつ、出回っているレコードに収まっている曲は、彼が得意ではないクラシックやオペラなどで、好みに合わない可能性が高い。

リュディアにとって、音楽を聴きながら、というのは優雅な行為だったが、庭師見習いの少年を見て考えを改めた。彼が口ずさむ歌に優雅さは見当たらない。

そんな彼に合うよう、課題曲からテンポの速く軽快な曲調のものを選び、譜面を見ずとも弾けるように練習をした。ちょうど彼の誕生日に会う時間を作れたので、その日はピアノの部屋に案内し、小さな発表会をした。

演奏している間は、妹のフローラとともに椅子に座って静かに聴いていた彼が、演奏を終えた途端勢いよく立ち上がり、惜しみない拍手と格好いいと喝采を自分に送った。素直に喜べない褒め言葉だったが、彼の最上級の称賛と知っているので、それだけ喜んでくれたのだと嬉しかった。

彼の真似をして拍手をする妹と同じように瞳を輝かせる様がなんだか可笑しかったのを、よく覚えている。そのときを思い返すと、また笑みが浮かんだ。


「素敵ですね」


感激したのか、頬を染めたシュテファーニエが両手を組んで、先程と同じ言葉を更に感嘆を込めて繰り返す。


「ディア様は本当に家族想いでいらっしゃいますね」


「ジェラルド様も日頃の疲れが癒されたことでしょう」


ザスキアも瞳を輝かせながら沁々と感想を述べ、トルデリーゼも同意を返した。

友人たちに誤解を与えたまま話すことに良心の呵責を覚えつつ、そうだといいのですけど、と自信を持ちきれない本音を零した。すると、絶対そうだ、と異口同音で三人から保証をされ、リュディアはまた微笑んだのだった。



梅雨の時期に入り、雨の日が多くなりはじめた。だが、数時間で止むような雨が多く、長雨になることはなかった。

そんな晴れ間のある日、リュディアが庭師見習いの少年を訪ねると、彼が開口一番に言った。


「お嬢、夜から長雨になるぞ」


「本当ですの!?」


お泊まり会の機会を得れる可能性を提示され、リュディアは眼を輝かせた。


「まぁ、たぶん。ニ~三日は降ると思うぞ」


水属性の彼は、雨の気配を読めるとはいえ魔力量が少ないため、確証を持ちきれない様子で答えた。自信なさげでも彼が雨の予測を外すのを見たことがないので、リュディアは庭師見習いの少年の言葉を信じた。


「ファニー様たちにすぐに知らせますわ」


「ねーさま、あめすき?」


「友達に会えるのが嬉しいんだよ」


はしゃぐリュディアを微笑ましげに見ながら、庭師見習いの少年は、彼女とともにきた妹のフローラに説明をする。彼が長雨のことを最初に伝えたのも、リュディアがそれを待ちわびていたからだ。

経緯を知らないフローラは、まだ不思議そうに首を傾げる。


「あえるの、どーして?」


「お泊まり会するんだと」


「おとまり……」


庭師見習いの少年の言葉を反芻はんすうして、フローラは数秒の時間をかけて事態を理解した。理解をしたフローラは、リュディアに近寄り、彼女のスカートを掴んだ。


「ねーさま、いなくなるの……?」


「フローラ……」


妹に潤んだ瞳で見上げられ、リュディアは眉を下げる。前回、トルデリーゼの侯爵邸へ泊まりに行った際、帰ってくるなり妹に泣きつかれたのだ。

それまで、お茶会や、ロイの婚約者として彼に同伴した王族の誕生日パーティーでは、夜が更ける前に帰ってきていたのでフローラが寂しがることはなかった。だが、侯爵邸への宿泊の際は、フローラがその意味を解っておらず、翌朝になっても姉の姿が見えないことに大泣きをした。そのためフローラは、お泊まり会は姉がいなくなる、というマイナスの印象を持ったままだ。

友人たちと一晩過ごすのは楽しみだが、寂しがる妹を前にしてはしゃいでいた気持ちがしぼみ、リュディアは弱ってしまう。


「フローラ」


リュディアがどうすればよいか、と悩んでいると、庭師見習いの少年がフローラの目線に合うようにしゃがんで声をかけた。


「姉ちゃんがいないの寂しいか?」


庭師見習いの少年の問いかけに、フローラは姉のスカートを掴んだまま首肯した。


「さみしい……」


「そっか。じゃあ、フローラが嬉しいときに姉ちゃんが悲しいカオしてたらどうだ?」


「……やだ」


しょんぼりとしたフローラの答えを聞いて、庭師見習いの少年は満足そうに笑った。


「なら、お嬢が今困っている理由もわかるよな?」


「……ねーさま、ごめんなさい」


数拍、逡巡したあと、フローラはリュディアを見上げ謝った。友人と会うことを楽しみにしている姉に、自分が水を差してしまったことをフローラは理解した。


「そんな、わたくしこそ……」


「フローラ、偉いぞ」


リュディアが謝ろうとするより先に、庭師見習いの少年がフローラの頭をわしわしと撫でて褒めた。そのため、リュディアは詫びる機会を逃してしまう。


「お嬢、謝るなよ」


「え……」


しかも、謝罪を制せられてしまいリュディアは戸惑ってしまう。


「ダチと遊ぶだけだろ」


彼の言葉に、リュディアは気付く。楽しみにしていることを謝罪しては友人たちにも失礼だ。悪いことしている訳ではないのだから、謝罪をする必要はないと彼に教えられた。

リュディアも、妹の目線に合わせるように屈んだ。


「帰ってきたら、いっぱい遊びましょう。待っていてくれる?」


「うんっ」


「ありがとう」


スカートを掴んでいた妹の手を両手で包み、確認すると元気のよい返事が返り、リュディアは思わず微笑んだ。


「じゃあ、俺と一緒に待つか。お嬢に鍛えられたから、絵本とかなら読めるぞ」


「ほんとー!?」


「ああ」


長雨の間はエルンスト家の庭にある小屋に泊まるから、と庭師見習いの少年が提案すると、フローラは遊び相手ができたことに喜んだ。

自分が不在の間の約束を目の前でされ、リュディアはそちらにも参加したくなり、ぐっと堪えた。彼は、自分が気兼ねなく友人宅へ行けるように計らってくれたのだ。それを羨ましがっては本末転倒だ。

言い淀むリュディアを見て、庭師見習いの少年は気まずそうな表情を見せる。


「……あ、でも、俺が勝手に邸に入ったら不味いよな」


「わたくしからお母様にお願いしておきますわ」


葛藤を表情に出してしまっていたことを恥じ、リュディアは彼が誤解してくれたことに安堵した。


「ワタシも付き添いますのでー、大丈夫ですよー」


護衛で追従していたペトラが同伴を申し出、庭師見習いの少年は助かると礼を返した。自分と違いまざれるペトラに、狡い、と喉から出そうになりリュディアは唇を噛むことで堪える。そんな主人をペトラは普段と変わりないようで楽しげな笑みを浮かべて見るのだった。



翌日にはヴィッティング伯爵邸に友人たちと泊まる手筈が整い、昼過ぎにリュディアは家を出た。見送るフローラの表情が曇りなく、リュディアは安心したような少しばかり寂しいような心持ちだった。

エルンスト家の馬車でトルデリーゼとザスキアを迎えに行き、三人でヴィッティング伯爵邸へ向かう。邸の玄関前には、待ち切れなかったのかシュテファーニエが立っており、嬉しそうに出迎えた。


「いらっしゃいませっ、ディア様、トルデ様、キア様」


「本日はお世話になりますわ。けれど、中でお待ちになればよろしいでしょう」


「雨の音がわたしのワクワクと同じで楽しかったですよ」


「ファニー様ったら」


玄関に屋根があるとはいえ雨が吹き込んで身体を冷やしては、と危惧きぐするリュディアに、シュテファーニエは晴れ間のような表情を見せた。テンポよく拍子をとる雨音あまおとと同じ鼓動を刻むとは、彼女は本当に楽しみだったらしい。その微笑ましさにリュディアたちは小さく笑った。


「お嬢様方、ようこそおいでくださいました」


シュテファーニエの先導で邸の中に入ると、メイドが温かいお茶を用意いたします、と彼女の自室に案内した。部屋に入ると既にテーブルの周りに人数分の椅子があった。

ほどなくして、カートに紅茶のセットと皿に載ったクッキーが運ばれてくる。


「皆さんのお口に合えばいいんですが」


公爵家のリュディアや侯爵家のトルデリーゼと上位貴族もいるためか、そう不安げな言葉を零し、メイドがクッキーの皿をテーブルの中央に置いた。シュテファーニエもその点を気にしているのか、真一文字に口を結び、俯きがちに膝で拳を作っている。

温かな紅茶でまず口を潤したリュディアは、クッキーを一口食べ咀嚼そしゃくした。恐らく自分たちが来る時間を逆算して焼かれたであろうクッキーは、まだ温かく優しい味がした。


「とても美味しいですわ」


「ええ」


「本当に」


思わず零れたリュディアの感想に、トルデリーゼたちも同意する。


「お嬢様方の口に合ってよかったわ。はりきって作った甲斐があるわね」


「「「え」」」


「もう、お母さんっ!」


メイドの女性が心底ほっとしたように安堵し、その彼女にシュテファーニエが堪らずといった様子で口を開いて抗議した。


「ディア様たちがびっくりするから、今日はドレスを着ててってお願いしたじゃない!」


「いつも邸では着ないのに、今日だけ着るなんて変じゃない。あんな苦しいの、ヘルマンさんとパーティーに行くときだけで勘弁してほしいわ」


「わたしはいつも着てるのにっ」


「ファニーを着飾るのはお母さんの仕事だもの」


シュテファーニエの抗議をさらりとあしらうメイドに、リュディアたちは呆気にとられる。メイドに対して唸りそうになったシュテファーニエは、友人たちを放置してしまったことに気付き、軽く咳払いをして気まずそうに紹介をした。


「すみません。ウチの母です……」


「初めまして、ファニーの母のナディヤです。普段はメイドとして娘の身の周りの世話をしているのよ」


主に服飾担当だ、とナディヤが自己紹介をした。メイドをしている理由は、伯爵が彼女の働きたい、という意を汲んだ結果らしい。まさかメイドが伯爵夫人だとは思わず、リュディアたちは驚愕に眼を丸くし、閉口した。


「ナディヤ様、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくしは」


「ディアちゃんでしょうっ」


どうにか最初に持ち直したリュディアが挨拶をしようとすると、食い気味にナディヤが名前を言い当てた。


「は、はい」


「聞いた通りの美人さんねぇ。ファニーがあなたにとても憧れてるのよ。だから、マナーも苦手なのに頑張って……」


「お母さんっ!」


恥ずかしいことを言わないで、とシュテファーニエが顔を赤くして母の袖にすがった。


「それに、ディア様は公爵令嬢なんだから、ちゃんと様を付けて!」


「やだ。ごめんなさい、ディア様。家だとつい気が緩んじゃって」


「いえ、構いませんわ」


こういう場合、どういう反応をしたらよいのかと迷っていたリュディアだが、本心を返した。実際、自分の家にも口調が砕けた使用人が一名いるので慣れている。だが、今後も出席するパーティーでぼろが出ては本人のためにならないだろうから、この場限りとはいえ砕けた呼称でよいとの明言を避けた。

しかし、娘の方が貴族のなんたるかを説き母親が叱られている、という構図は初めて眼にする光景でリュディアたちは戸惑いを隠せない。さらに、伯爵夫人であるはずのナディヤがお仕着せ姿のため、どちらとして扱えばよいのかと余計に混乱する。

状況に困惑している友人たちに、説明しようとシュテファーニエが口を開こうとしたところで、どたどたと足音が近付いてきた。


「ナディヤさん、ファニーちゃんの友達がきたって本当!?」


ばたん、と音を立ててドアが開き、慌てた様子の紳士らしくない紳士が現れた。彼は余程動揺をしていたのか、本来するはずのノックすら忘れていた。


「本当よ。ヘルマンさん、ほら」


「わぁー、本当だ。よかったぁ」


事態を飲み込めず瞠目する少女たちと異なり、一人平然としたナディヤが紳士の方へ行き、こちらをてのひらで指し示した。テーブルを囲むシュテファーニエたちを感激した様子で、今にも泣き出しそうに紳士は眺める。


「もう、ヘルマン様まで!」


「ごめんよ、ファニーちゃん。けど、僕のせいで平民の友達と別れさせてしまっただろう? 新しい友達ができるか心配で……」


「今までわたしの話を信じてなかったの!?」


「いや……、もしかして、僕に気を遣ってるんじゃないかって……、この目で見るまでは信じられなくて」


怒るシュテファーニエに、申し訳なさそうにヘルマンは言い訳をした。

シュテファーニエがお茶会に参加するときは、ヘルマンか彼の従者がエスコートしてきていた。彼がいつも入退室のエスコート以外で彼女に付き添うことがなかったのは、彼なりに子供同士の方が友人が作りやすいだろうとの配慮ゆえだったようだ。

お茶会にエスコートする姿を見ているので、彼がヴィッティング伯爵であることはリュディアたちにも判る。だが挨拶程度では、ゆったりとした雰囲気の紳士、という印象でここまで表情豊かな人物と同一人物なのか疑念が湧いた。


「よかったですわ」


だが、愛のない結婚をした両親のもとで過ごすシュテファーニエを心配していたリュディアは、ただそう思った。驚かされてばかりだが、彼女が両親に確かに愛されていることはこれだけのやり取りで充分に解った。

知らず呟かれた言葉を耳にして、ヘルマンはふっと柔らかに微笑んだ。


「ご挨拶が遅れ申し訳ありません、お嬢様方。当家の主のヘルマンです。雨の中、来てくださったこと心より嬉しく思います」


「ヘルマン様、ここはレディの部屋よ」


「そうだったね。先程はご無礼を」


養娘むすめに指摘され、誠に申し訳ない、と頭を下げるヘルマンに、この場で一番身分が高いリュディアが許す旨を伝えた。入って来たときの心配そうな表情を見ているので、トルデリーゼたちも彼を許す心づもりだった。それをリュディアが代表しただけのこと。


「ヘルマンさん、あたしたちがいたらお邪魔みたいよ」


「そうだね。僕はもう安心したから、戻るよ」


「お母さんもヘルマン様も早く出ていってっ」


頬を膨らませるシュテファーニエの気迫を感じ、わかったわかった、とナディヤが可笑しげに去り、しっかりね、と応援を残しヘルマンが去っていった。

両親に世話を焼かれている様を友人に見られて恥ずかしいシュテファーニエは、ドアが閉まったあと、誤魔化すためか落ち着くためかカップの中のお茶を飲み干すまで沈黙を保った。


「……お恥ずかしいところをお見せしました」


「ファニー様は家庭ではお強いんですね」


穴があったら入ってしまうのではないかと思うほど、消え入りそうな声でシュテファーニエが呟くと、感心したようにトルデリーゼが言った。


「強くないです。お母さんなんて全然言うこと聞いてくれないしっ」


母親の方が曲者だ、とシュテファーニエは怒りを思い出したのか頬を膨らませた。


「ふふっ、私も家族の前だと強く言ってしまうことがあります」


「キア様も?」


「では、次はキア様のところでパジャマパーティーをしないといけませんわ」


自分も内弁慶になりがちだと告白したザスキアに、それは是非確認しなければ、とトルデリーゼが次のお泊まり会の開催場所を決める。そんな友人たちのやり取りに意外な共通点を見つけ、リュディアは内心少し驚く。

家庭の事情は異なるが、彼女たちは少なからず内弁慶な一面を持っていた。男兄弟が多く家では主張をしないといけなかったトルデリーゼ、普段も明るいが家族の前だとしっかり者なシュテファーニエ、巻き毛がコンプレックスで当初は卑屈になっていたザスキアも内弁慶だという。つまりは、彼女たちは少なからず、家族に甘えることができる環境にいるのだろう。

リュディアは逆だった。家族にどうやって甘えたらいいのか最初は判らなかった。だから周囲に我儘を振りまく、という間違った方向に当初踏み間違えたのだ。庭師見習いの少年に指摘されていなかったら、まだ進む方向を見誤ったままだったかもしれない。

今も友人らを妬んでしまっていたやもしれない。だが、今の自分はただよかったと思える。そのことが嬉しくて、自然と笑みがにじんだ。

そっと微笑みを隠すように紅茶を一口含んだあと、リュディアも友人たちの会話に交るのだった。



夜も更け、四人全員が一緒に眠れるようベッドの大きい客室を利用することになった。

友人たちで語らうと不思議と時間が過ぎるのが早く、いつもなら眠くなる時間に眠気がやってこなかった。そこで、リュディアたちは布団に潜り、それぞれが枕を抱えるような体勢で眠りがくるまで待つことにする。


「眠くならないなんて不思議ですわね」


何度体験してもこのとき限りの感覚が不思議で、リュディアは呟く。


「確か、羊を数えるといいらしいです」


「どうして羊を数えるのですか?」


「えーっと、羊飼いのお家から伝わった方法だって、近所のおばちゃんが言ってました」


トルデリーゼが首を傾げると、平民の頃の口伝だとシュテファーニエが答えた。


「実際に羊を見たことはありませんが、キア様のようなふわふわした可愛らしい生き物なのでしょう?」


聞いたかぎりの情報で近しいものを、と考えていたリュディアは、ちょうど眼に入ったザスキアの丁寧にいて綿毛のように柔らかそうな巻き毛に例えて言った。その言葉にザスキアは頬を赤くし、枕に顔の下半分を埋めてしまった。

彼女の反応を見て、揶揄からかうつもりで言った言葉ではなかったが傷付けてしまったのかと、リュディアはすぐさま謝罪を告げる。


「ごめんなさい、キア様。わたくし……」


「ち……、違うん、です……っ」


「キア様?」


ザスキアは傷付いていないと即座に否定した。だが、その先をなかなか言い出さないので、リュディアたちは首を傾げる。


「……その、ツェーザル様が、私に似ているから見においでって、前に……」


ツェーザルというのは、ザスキアに婚約を申し出た侯爵令息の名だ。断る理由がないから、と親に了承されてしまい現在は彼女の正式な婚約者になる。婚約者の彼に言われた内容を思い出して、頬を赤らめていたらしい。


「ゲラーマン侯爵領は牧畜が盛んな地域がありますものね」


「ディア様は物知りですね」


成程、と頷くリュディアに、シュテファーニエが尊敬の眼差しを向けた。


「ロイ様には負けますわ」


リュディアはまだ知識不足だと、苦笑した。リュディアは、視野の広い王子のロイから様々な地域の話を聞く。本からだけではなく、その地域から来た人間から実際の話を聞くのが楽しいと眼を輝かせる彼の記憶力は凄まじい。婚約者として挨拶回りをする際、ロイにばかり負担をかけてはいけないと地理の勉強をしているが、彼が話してくれた面白い箇所の方が記憶に残るから困ったものだ。


「王子様もすごいかもしれませんが、ディア様もすごいです!」


どちらも凄いと心から称賛するシュテファーニエに、謙遜していたリュディアは、僅かに瞠目したあと表情を綻ばせた。


「ありがとう」


面映ゆく感じなからもリュディアは礼を言った。称賛を受け取ってもらえたことに、シュテファーニエは満足げに笑う。


「それで、ゲラーマン侯爵領に誘われて、どうしたんです?」


「まだ早いです、ってお断りしてしまい、ました……」


トルデリーゼに続きを促され、ザスキアは眉を下げ、枕に埋まりながら答えた。


「ツェーザル様に嫌われてないでしょうか……?」


「それは分かりませんが、それならお受けすればよかったのでは?」


「だって、婚約できたことも夢みたいなのに、ご実家になんて心の準備が……っ」


トルデリーゼの助言に、ザスキアががばりと枕から涙目になった顔をあげた。どうやら行動力のある婚約者に、ザスキアは戸惑っているようだ。


「キア様、そのままのことを伝えてみては?」


「それこそ、嫌われませんか……?」


怯えた瞳のザスキアに、リュディアは優しく微笑んだ。


「わたくしは、キア様から伺うツェーザル様しか存じ上げませんが、キア様をとてもお慕いしていらっしゃるように感じますわ」


リュディアの言葉に、トルデリーゼとシュテファーニエも強く首肯した。婚約者の話をするときだけに見せるとても嬉しそうな表情をザスキアは自覚をしていないのだろう。友人たちの後押しを受け、ザスキアは顔を真っ赤にして、そうでしょうか、と消え入りそうな声で呟いた。


「正直に伝える、というのはとても怖くて、とても勇気がいることですわ。けれど、悩んでいる時点でそれは伝えなければ絶対に先に進めません」


本心を伝えるのは恐怖だ。それは嫌われたくない相手に伝えるときで、自身も傷付く覚悟がいる。リュディアも何度怯え、その度にどれだけ支えてもらったことだろう。

自分も彼のようにできたら、と思うが、自身の経験を語ることしかできない。これで友人に力添えできるのだろうか。


「……ディア様、も、怖いのですか?」


「怖いわ」


同意するだけでは足りないと思い、リュディアは不安げなザスキアに、自身の感情を吐露した。きっと情けない笑顔になっていることだろう。

ザスキアは抱いていた枕に添えていた手で、きゅっと拳を作った。


「がん、ばってみます……!」


覚悟を決めた眼をするザスキアに、リュディアたちはほっと安堵をき、応援の言葉を贈った。


「いいなぁ」


ぽつり、と羨ましげに呟くシュテファーニエが意外で、リュディアは小さく眼を見開いた。


「ファニー様はそういった相手に憧れますの?」


「そりゃ、もちろん」


「けれど……」


その先を言うことははばかられた。愛する夫を亡くして嘆く母親を見てきただろう彼女は、失う恐怖を学んでいる。また、自分のために愛のない結婚をする母親を見てどう感じたのかは窺い知れない。現在の両親と仲が良いこととそれは別の事柄のように感じた。

気遣うリュディアに反して、シュテファーニエはあっさりと語った。


「わたし、今の両親を見てるから恋がしたいんです」


「え……」


「再婚するまで、お母さん、お父さんの話をしないようにしてました。けど、ヘルマン様と結婚してからはたくさん話してくれるようになったんです」


母子家庭だった頃は娘に余計な心配をかけまいと、ナディヤは父親の話題を避けていた。だが、ヘルマンが同様に亡くなっても伴侶を想い続ける相手で隠さなくてよくなった。むしろ、ヘルマンから同じ悲しみを知っている分だけ、同じ喜びを知っているだろうと互いの伴侶の惚気のろけを話すことを持ちかけられた。そうして、ナディヤとヘルマンは同志となった。

そして、ヘルマンはシュテファーニエに父親として見るように強制をしなかった。ただ仲良くしようと接する彼の大らかさを知り、シュテファーニエは徐々に緊張が解けた。無理に家族の枠にはめめられていれば、自分は貴族社会でやっていけなかったかもしれない。


「好きな人のことを話すお母さんやヘルマン様を見て、恋するのって素敵なことなんだって感じたんです」


傷を嘗め合うではなく、愛する人を想うからこそ自らの足で立って生きる両親をシュテファーニエは誇りに思う。失くすことを前提で人を好きになる訳ではないが、もし別れがあったとしても両親のように生きていけたら、と憧れる。


「素敵ですわね」


「でしょう」


リュディアの言葉を受け、シュテファーニエは誇らしげに笑った。周りにどう言われようとも、自分の両親は愛があるからこその結婚をしたのだ、と胸を張れる。それを友人たちが認めてくれることがとても嬉しかった。


「……あの」


リュディアが躊躇ためらいがちに声をあげ、三人の視線が彼女に集まった。


「もし……、わたくしが婚約者のロイ様を好きじゃない、と言ったら、軽蔑します……?」


言いきったリュディアは、きゅっと眼をつぶって友人たちの反応を待った。ロイと交わした婚約の条件をすべて話すことはできないが、自身の本心だけは友人たちに明かしておきたかった。これ以上黙っていては、友人たちに失礼な気がしたのだ。

裁判の判決を待つ被告人のような心地で、リュディアは告白の結果が訪れるまでを耐える。


「全然?」


きょとり、と当然のように言ったのはシュテファーニエだった。


「ロイ様は素敵ですから惜しい気もしますが、ディア様がそう思われたなら仕方ないですわ」


多少残念そうに憧れと現実の違いを噛みしめたのはトルデリーゼだった。


「ディア様に好きな方ができたときは、私、絶対応援します……っ」


未来の話をして激励したのはザスキアだった。

それぞれが三者三様にリュディアの気持ちを否定せずに受け止めてくれた。大きな安堵感に襲われ、リュディアは力が抜ける。ぽすり、と枕に頭の側面が埋まった。

睡魔がかすり始めた頭で、リュディアは友人たちの方を見て嬉しさを湛え微笑んだ。


「みんな、ありがとう」


どういたしまして、と笑顔で返す友人たちを映し、今夜はとてもよい夢が見れそうだ、と予感を抱いた。

そして、友人たちにも素敵な夢が訪れるように、と祈りリュディアは夢のふちへと沈んでゆくのだった。



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