42.食卓



いつも通り、出勤しようとドアを開けると目の前に大きな花があった。常夏を連想させる鮮やかな赤い花だ。


「へ?」


「こちらはバウムゲルトナーさん家で合ってるっすか?」


花が喋った。朝から威勢のいい声で。


「合ってる、けど……」


驚いたまま、反射で俺が答えると、花がずらされて俺と歳の近そうな少年が顔を見せた。にかっと明るく笑う彼は、俺より日に焼けた肌をしていて抱える仏桑華ぶっそうげがよく似合っていた。


「よかったっす。ベンノさんからのお届け物っす!」


祖父じいちゃんから?」


祖父ちゃんの名前を出されて、花の理由に合点がいく。

祖父ちゃんは、エルンスト家の専属庭師を引退して祖母ばあちゃんとアーベントロート国内をめぐっている。そして、たまに戻ってきては珍しい花木をお土産に持って帰ってくれる。仏桑華も王都周辺では咲かない花だ。

けど、いつもなら祖父ちゃんが自分で持って帰るのに、どうして今回は他人ヒト任せなんだろう。元気が取り柄の祖父ちゃんだけど、行った先で怪我けがでもしたんだろうか。

怪我や病気になる祖父ちゃんが想像できず、俺が首を傾げていると、後ろから親父が顔を出した。

祖父ちゃんの名前を聞いたから、というより、単に俺が玄関でつっかえているせいだ。出勤するのは親父も同じだ。まぁ、見習いの俺が親父についていってるから当然だが。


「デニスさんっすか!?」


「そうだが」


何故か、配達の少年は親父の顔を見て眼を見開いた。しかし、朝から元気だな。さっきから凄いハキハキ喋っている。

親父の肯定を聞いた途端、彼は地面に膝を突き、仏桑華の鉢植えを脇に置いて正座をしたかと思ったら、土下座をした。


「自分、ヤンっす。庭師のデニスさんに弟子入り志願するためにきました! どうか、自分を庭師にしてください!!」


俺と親父は呆気に取られる。久しぶりの弟子入り志願だからじゃなく、土下座してまで志願してきた奴を初めて見た。祖父ちゃん、花だけじゃなく弟子まで寄越してきたよ。

親父の方に振り返ると、渋面をして押し黙っていた。あ、コレ、困ってる表情カオだ。


「えっと、俺は息子で見習いのイザークです。ヤン、さん?は、いくつでどこから来たんですか? 南の方っぽいけど……」


「自分は十二になったとこっす。南西の国境近くの村からきたっす」


歳上だった。敬語使っておいてよかった。西の方なら海の近くの村か。かなり遠いところからきたんだな。


「加護付きの鉢植えとはいえ、よく仏桑華を無事で持ってこれましたね」


合わない気候の場所に植物を運ぶときは、魔法陣が刻まれた鉢植えに教会から風の魔法で保護をかけてもらう。必ず風属性持ちが各地の教会にいる訳じゃないから、魔石を使う場合もあるらしい。


「ベンノさんが、試験みたいなものだから死ぬ気で守れと言われたので、頑張ったっす!」


祖父ちゃん……


それはおどしだ。あと、勝手に試験をださないでほしい。後ろで親父が、眉間みけんしわを寄せて顔の半分を右手で覆っている。

というか、親父の強面こわもては祖父ちゃんゆずりだから、祖父ちゃんに脅されたときヤンさんは怖くなかったんだろうか。祖父ちゃん、普段は強面を相殺できるぐらいフレンドリーだけど、こと植物にかぎっては厳しいからなぁ。


「どうっすか!?」


ヤンさんは、期待に眼を輝かせて合否を親父に問う。物怖ものおじしない性格なのか、親父を前にしてもちゃんと眼を見て話している。これまでの弟子入り志願者は、まず親父の顔と身長からくる迫力に負けてくじけるから、第一関門突破といったところか。まぁ、それさえクリアできさえすれば、ほぼ問題ない。だって、親父、見た目と違って怖くねぇもん。

親父は、ヤンさんが差し出す仏桑華の葉や花弁はなびらを摘まんで検分する。


「いいだろう」


合格をもらい、ヤンさんが笑顔になった。俺がぱっと見ただけでも、水をやりすぎて葉を腐らせたり、逆に枯らした様子もなく瑞々みずみずしいから良い状態と窺えた。


「じゃあ、弟子にしてもらえますか!?」


祖父ちゃんが寄越したということは、先代の推薦があるということだ。特に断る理由がない。


「すぐには無理だ」


「雇い先に面通しがいるんで、今日のところは宿に戻っていただけませんか?」


念のため、親父の答えに補足をすると、ヤンさんはきょとんとした表情カオになった。仏桑華の鉢植えは温室に持っていくため、既に親父が受け取っている。


「宿?」


「え。取ってないんですか?」


「はいっす。ココに来るのに有り金使いきったんで」


ヤンさん、笑顔で言うことじゃない。この人、片道切符で来たのか。


「……じゃあ、ウチで休んでいってください。長旅で疲れているでしょう」


「ヤンくん、いらっしゃい。朝ご飯に付き合ってくれる?」


俺が言うと、母さんが心得たと言わんばかりに招き入れる。朝ご飯、と耳にしてヤンさんの腹が見事に鳴った。照れて頭を掻くヤンさんを見て、くすくすと母さんが笑った。


「じゃあ、母さんよろしく。いってきます」


「はい、いってらっしゃい」


「いってらっしゃいっす!」


ヤンさんを母さんに任せ、俺は親父と改めて出勤した。働く前から、親父が疲れた溜息をくのだった。



エルンスト邸に着いてすぐ、師匠こと執事のハインツさんに新しい使用人が入ることを伝えた。すると、やっと増員する気になりましたか、と言われた。どうやら、親父と俺の二人だけで庭を管理しているのを心配されていたらしい。そう言われても、親父にビビらない若手がなかなかいなかったのだから、仕方ない。

ともかく、公爵様への面通し可能な日取りを確認してもらって、ヤンさんの出勤開始日を決めた。

それから、庭作業を開始するがずっと親父が渋面のままだった。たぶん祖父ちゃんのせいだ。

庶民の識字率が低いから、手紙で先触れはできないものの、王都に向かう行商の人とかに伝言を頼めば先にしらせることは可能だ。けど、祖父ちゃんは敢えてそれをしなかった。親父を驚かせたかったんだろう。祖父ちゃん、親父をからかうの趣味だからなぁ。


「ざーくっ」


てけてけと小さな足音がしたと思ったら、花壇の手入れをしている俺の背中に何かが突撃した。


「フローラ」


振り返ると軽い衝撃を与えた主が、嬉しそうに笑った。


「もう、フローラ、走ってははしたないですわよ」


「お嬢。まだマナーも習ってないんだからいいじゃん」


「そういう問題ではありませんわっ」


走りこそしないが、スカートの裾を軽く持ち上げ急いだ足取りで、お嬢が追いついた。三歳になるお嬢の妹のフローラは、自分で動けるのが楽しいらしく最近は邸内や庭をよく探検している。邸内の様子はお嬢に聞く限りでしか知らないが、庭ではこうして遭遇するから俺も知っている。

眼を離したらいけないとは思うが、エルンスト公爵家の敷地内なら使用人が誰かしら眼を配っているはずだ。フローラの歳だと、前世なら踏むと光ったり音が鳴る靴を履いたりしているだろうから、動き回りたくて仕方ないことだろう。


「どうせ、お稽古始めたら我慢すること多くなるんだから、今のうちにめいっぱい遊びたいよなー」


「なー」


フローラの、俺の言葉尻を取って一緒に頭を傾ける仕草は変わらないな、と思う。お稽古を始めたばかりの頃に我慢した覚えがあるのか、お嬢は一瞬ひるむ。だが、改めてきっと俺を見て叱る。


「それでも、走ったら危ないでしょう!」


「だってさ。お嬢はフローラが怪我しないか心配なんだと」


「んー……、じゃー、ろーら、はしらないっ」


「フローラは優しいな。いい子だ」


少し考える素振りを見せ、そう決断したフローラの頭を、軍手をとって撫でる。すると、フローラは褒められたのが嬉しいらしく、表情カオを綻ばせた。

走り回りたい衝動と姉のお嬢が悲しむ可能性を天秤にかけて、後者を選べるほどにフローラはお嬢が好きらしい。

しばらくして手を離すと、フローラのまぶたがぱちりと開いて、凝視される。また手を置いて頭を撫でると、瞼を閉じて心地よさそうにする。コレ、きっと手を離したらまた凝視されるパターンだ。どうしよう。止め時が判らない。


「……ずるいですわ」


ぽつり、とねたようにお嬢が呟いた。確かに、俺より家族のお嬢から褒められた方がいいだろう。


「あ。お嬢も褒めたいってさ」


「ねーさまもっ?」


俺がフローラに教えると、フローラは眼を輝かせてお嬢の方へ向かった。お嬢は照れ隠しか、違うだなんだと口ごもっていたが、フローラの期待の眼差しに押し負け、妹の頭を撫でた。撫で始めると、満更でもないのかお嬢の口許が緩んだ。

仲が良い姉妹の様子を微笑ましく感じながら、俺は軍手をめ直し、花壇の手入れに戻る。

桃色ももいろ九輪草くりんそう、薄い青の瑠璃唐草るりからくさ、濃いだいだい金盞花きんせんかと鮮やかな花たちの土の状態を確認しながら、枯れた葉や花を摘んでゆく。いずれも陽当たりのよいところで咲くのは変わらないが、湿度の高い土の方がよかったり、乾燥した土がよかったりと好みが違うから花壇ごとに分けて植えている。

九輪草だけはもう一度水やりをしておかないと、と考えていたら、フローラが隣まできて俺と同じように屈んだ。


「ざーく、あそぼ」


「ごめんな。休憩はコレ終わらせてからだから、まだかかる」


「ろーら、てつだう。おはな、きれいきれいする」


「気持ちは嬉しいけど、俺の仕事を取られるのは困るなぁ」


「じゃあ、まつ」


「フローラ、休憩のときに遊んでもらったらザクが休めないでしょう?」


「むー」


フローラの隣にお嬢が屈み、暗に待たずに戻るよう促すとフローラが不服げに唸った。でも、とか言わないところからすると、理解はしてるが、気持ちでは納得できないみたいだ。

俺は、お嬢の言った内容に小さく笑う。


「なんですの……?」


「いや、お嬢もよく話しに来てたなぁって」


「そ、それは……っ」


基本昼下がりに来て、俺が作業しているところに話しにきていた。気を付けているが、俺も親父も小まめな休憩を入れるのを忘れるから、しばらくしてお嬢がくるのを目安に休憩をすることが増えた。お嬢も徐々に、俺たちが休憩に入るまで待つか、その頃合いを見計らってくるようになった。

最初から話しにくるだけだったから、作業の邪魔をしたことはないけど、当初の突撃具合は今のフローラと似ている気がした。それがなんだか可笑しかった。

お嬢も思い至ることがあるようで、報告魔だった頃が恥ずかしいのか頬を染めた。睨むように俺を見るが、その状態じゃ全然怖くない。


「迷惑、でしたの……?」


声は文句を言うような調子だが、瞳は不安げに揺れている。


「まさか。お嬢に会えるの楽しみだったし、今もお嬢の顔見れて嬉しい」


そんな訳がないと笑って否定すると、お嬢の頬を染めていた朱が顔全体に広がった。


「そんなこと言って、ろ、ろくにこちらを見ないじゃないですのっ」


背を向けてばかりだったことを棚にあげるな、と怒り、お嬢はそっぽを向いた。その指摘に否定できず、俺は作業をするために手元の金盞花に視線を戻す。


「手元を見てないとできない作業がほとんどだからなぁ。でも、お嬢の声は綺麗だから、ちゃんと聴いているぞ」


話すお嬢の声は通りがよく、喜怒哀楽がはっきりしていて判りやすい。楽しそうな声だったら笑っているんだろうと想像がつくし、気落ちした声だと思わず振り返って確認してしまう。


「ろーらもぉー?」


「おお、フローラの元気な声もちゃんと聴いて……る?」


作業しながら返事をすると、ぽてりと側面に重みがかかる。見ると、フローラが重心をこちらに預けて瞼が落ちかけていた。春の陽気があたたかいから眠くなったんだろう。


「やっぱり、フローラに手伝ってもらおうか」


「なにっ? てつだう!」


俺の呟きに、フローラは眠そうだった瞼を開けて、期待した眼差しを向ける。


「今日はいい天気であたたかいだろ?」


「うん。ぽかぽかー」


ぬくくて眠たいけど、俺は作業をしなくちゃいけない。だから、フローラが俺の代わりにお昼寝してくれないか?」


「ねむねむもらったら、ざーくいいの?」


「おう、すげぇ助かる」


俺が笑いかけると、フローラは自身の金髪並みに表情を輝かせた。大役を任された気分になったようで、これから寝るというのに表情はやる気に満ちている。とりあえず、眠気を渡すポーズはいるだろうと、こつんと軽くおでこをフローラのそれに当てた。


「俺の眠気、そっち行ったか?」


「うん。もらったぁ……」


眠くなっていいと安心したのか、フローラが欠伸あくびをする。それを確認して、お嬢に声かけようと見ると、組んだ両手を口許に当ててまだ顔が赤いままだった。

急に黙ったとは思っていたけど、なんで口塞いでるんだろう。あれは酸欠で苦しくて赤くなっているんだろうか。

お嬢の行動はたまによく解らない。おまじないか何かかな、女子はそういうの好きだし。


「お嬢」


「……っな、なんですの!?」


びくり、と肩を跳ねさせてお嬢が振り向く。かなり集中しておまじないしていたらしい。邪魔して悪いとは思いつつ、フローラのことを伝える。


「急に声かけてごめん。フローラがお昼寝するって」


「あ……、わかりましたわ。フローラ、部屋に戻りましょうか」


「んー」


お嬢が手を差し出すと、フローラは瞼を擦りながらもしっかりとお嬢の手を掴んだ。

そのまま行くかと思ったら、くん、と服を引かれる。


「おきたら、あそぼぉ」


遊びたい欲求はまだ残っているらしい。眠気と戦いながら主張するフローラが可笑しくて俺は笑う。


「おう、仕事終わったあとならいいぞ」


「でも、夕方には帰るでしょう?」


俺の了承に、お嬢の方が首を傾げる。乗り合わせる馬車の時間を考えると、庭仕事が終わってから遊ぶ時間はほとんどない。


「あ。俺、帰らないから」


「今夜、雨でも降りますの?」


俺の適性属性が水だから、雨の気配を感じるときは庭の中にある小屋に泊まることがある。今回もそうだと思ったお嬢に、俺は首を横に振った。


「いや、俺だけ小屋に泊まるんだ。今朝、親父に弟子入りしたいってヤツがきて、家に泊めることになったから」


庶民の俺の家に客室なんてものはない。ベッドも家族分しかないから、親父と決めて、ヤンさんには俺の部屋を使ってもらうことになった。

正式に見習いになったあとは、ヤンさんの方が小屋に住み込みで働くことになるだろう。バウムゲルトナー家より、エルンスト家の小屋の方が大きいのは、まぁ規模の違いだ。


「食事はどうしますの?」


「作ってもいいけど、俺一人分だからなぁ……、料理長のおっちゃんに頼んでまかないを分けてもらうか」


親父と泊まるときなら食材分けてもらって作るけど、一人分の量って中途半端だから作りすぎることが多い。プロの料理人の賄いをもらえる方が豪勢だし美味い。そう考えると、今日の晩飯が楽しみになった。


「それはいけないな」


「公爵様?」


「やあ、イザーク。私の天使たちがこちらにいると聞いてね」


麗らかな春の陽光を浴びて緩く波打った金髪が眩しい公爵様が、師匠を伴って現れた。今日は早めに戻れる日だったようだ。

久しぶりに見ても、花を背負ってそうな美形が、花の香りを振り撒くように笑みをたたえているから本気で眩しい。その後ろで、さっきまで蝶々を追いかけていたポメが師匠に首根っこを捕まれて、それでも逃げようと余った袖をぱたぱたさせている。

そんな公爵様が、キラキラの笑顔を引っ込めて俺の言ったことに眉を寄せた。


「我が家の使用人は皆、私の家族同然だ。その家族が一人で食事をするなど見過ごせない」


「あ、じゃあ……」


「今夜は私たちと一緒に食事しよう」


「は!?」


「そういえば、一緒にお茶をしたことはあっても、一緒に食事をしたことはありませんでしたわ」


貴族と庶民なんだから、それはそうだろう。お嬢が失念していたように呟くが、一緒に茶をしばいている時点で本当は奇怪おかしいと気付いてくれ。


「あのな、お嬢。俺は別に……」


「駄目ですわっ」


「へ?」


わざわざ公爵様たちとでなくても、使用人用の食堂で他の人と一緒に食べれば一人じゃなくなる。そう説明しようとしたら、お嬢に強く叱咤された。何を駄目と言われているのか解らなくて、俺は首を傾げる。


「以前、一人で泊まったときに風邪をひいたじゃありませんの。絶対一人で食事をしてはいけませんわっ、ザクは自分を雑に扱うでしょう!」


「いや、アレは、池に落ちたからで……」


「駄目です!」


怒ったようにお嬢に睨まれる。どうやら、風邪をひいたときに随分心配をかけてしまったらしい。俺がドジっただけなのに、ここまで心配させていることが申し訳なくなる。


「わかった。一緒に食べる」


「分かればいいんですわ」


俺が根負けして首肯すると、お嬢は安堵と満足に満ちた笑みを浮かべた。


「では、決まりだな。ハインツ、手配を頼む」


「かしこまりました」


既に半分寝ているフローラを抱きかかえた公爵様が指示をすると、師匠が静かに礼を取った。その際に師匠の手から逃れたポメが、お嬢の背中に隠れた。

また後で、と挨拶を交わしてお嬢も公爵様と去る。俺は若干呆気にとられながらその背中たちを見送った。


「お嬢たちには敵わないなぁ」


思わず苦笑が零れる。

俺がエルンスト家の人たちに弱いのか、単にエルンスト家の人たちが強いのか、一体どちらだろう。なんだか、一生敵わない気がした。



どうしてこうなった。

エルンスト家の食卓で、俺はまたもや公爵様の小さいときの服を借りている。

着るまえに風呂に入らされ、どうにか服は自分で着たが、髪やタイをメイドさんに整えられた。風呂を借りれたことだけは、湯を溜める手間がなくなって助かったけど。

公爵様が手配を頼んだのは、てっきり料理が増えることだけかと思っていた。まさか、俺の身支度まで手配されているとは。

ダンスの代打がなくなったから、もうこんな生地のいい服に袖を通さなくていいと思っていたのに。

いや、バイト終わったあともダニエル様からご飯に誘われたときだけは、着るけど。奥さんのアニカ様が喜ぶからって。ヴィート侯爵家に、俺しか着ない服がじわじわ増えている気がするのは気のせいだ、と思いたい。

隣に公爵様、向かいにお嬢、その隣にオク様とフローラが席についており、比較的俺の視界に眩しいものが入らない配置なのが助かる。

公爵様もオク様もとてもにこやかだが、一体何なんだろう。食前の祈りのあとに、いつも通りいただきますをしたら、何故かオク様に微笑みかけられたし。


「……ザク、普通に食べられるのですのね」


「え? ああ」


食べている俺を見て、お嬢が不思議そうに言うから、考えて合点がいった。俺が、一応テーブルマナーができていることだろう。

ヴィート家へのバイトで身に付いたスキルだから、言ってもいいものか悩む。


「従者教育のときにハインツから教わったんだろう」


「あ、はい。そうなんです」


公爵様がフォローしてくれたから、俺は素直に頷く。座学だけだが、師匠に教わったことがあるのは嘘じゃないし。あのときは、立食形式のマナー重視の講義、かつ覚える必要性を感じなくてちゃんと記憶していなかったけど。


「教えてあげられなくて残念ね、ディア」


「わたくしは、別に……っ」


「あら、分からなかったら見本になってあげようと意気込んでいたのは誰かしら」


「お母様っ」


楽しそうに笑うオク様に、抗議するお嬢の頬は心なしか赤かった。優しい子だ、と公爵様は愛おしげな眼差しを娘に送る。俺も、お嬢がいい子だとは感じるが、公爵様の眼差しはウチの子一番感が強い。

仲がいい家族だ、と傍目に見て思う。

なんと言うか、ここまで美形な家族に囲まれると場違い感が凄い。間違いなく俺、浮いてるよなぁ。そんなことを感じつつ、飯をむ。うん、美味い。


「おとーさま」


「なんだい? フローラ」


オク様に手助けしてもらいながら先に食べ終わったフローラが、公爵様をじっと見た。


「みんな、かぞく?」


そういえば、俺を食事に誘ったときに公爵様がそんなことを言っていた。フローラが俺を含めて、この場にいる面々の顔を見回して訊くと、公爵様は笑みを深くして肯定した。


「そうだよ。イザークも、使用人たちは私たちの大事な家族だ」


「じゃあ、ざーく、にーさま?」


唐突に自分を例にあげられ、俺は眼を丸くする。


「そうなるね」


俺が虚を突かれている間に、歳が近ければ兄妹のようなものだ、と公爵様は頷いた。

父親に考え方が合っていると太鼓判を押されたフローラは、喜色を滲ませ声をあげる。


「ざーく、にーさまっ」


「え……」


俺はどう反応したものか悩む。

前世でも兄と呼ばれた回数は少ない。小さい頃はお兄ちゃんと呼ばれていた気もするが、前世の妹からは呼び捨てにされていた記憶の方が濃い。今だって、チビたちからは呼び捨てだ。


「……そんな風に呼ばれるの、初めてだ」


様付けは似合わないとは思うが、断続的にでも成長過程を見てきたフローラから兄貴扱いされるのは悪い気はしない。むしろ、面映ゆかった。


「ろーらだけ?」


「うん。そんな風に呼んでくれるのは、フローラぐらいだ」


照れ臭さを感じながら頷くと、何故かフローラが喜んだ。そして、何故か俺に視線が集まっている気がする。


「イザークっ」


「うぇっ!? 何ですか?」


いきなり公爵様にハグされて、俺は驚く。今は何か礼を言われるようなことはしていないし、特に抱きつかれる理由はないはずだ。いつもなら汚れるから、と拒否できるが、それもできない。

そもそも理由が判らないから、対処に困る。いつものパターンならお嬢に良いことがあったときに、ついでに奇襲される。けど、お嬢を見遣ると剥れていた。


あれ? なんで、機嫌悪いんだ??


「お嬢?」


どうしたんだろう。俺が兄もどき扱いされたところで、フローラが取られるでもなし、お嬢はそこまで心が狭くないはずだ。公爵様はただ部下を大事にする心得を娘に諭しただけだし、お嬢もそれを理解しているだろう。

俺が首を傾げていると、オク様がたのしげに眼を細めた。


「そんなに羨ましいなら、ディアもお兄様って呼んだらどう?」


「な……っ」


「それは、困ります」


動揺を見せるお嬢が反論するより先に、俺はオク様の提案を断った。意外だったのか、オク様もお嬢も俺の方を見る。


「お嬢は、俺には可愛い女の子だし」


女子の接し方が解らなくて、前世の妹への対処を参考にこそしたが、お嬢を本当の妹のようだと思ったことはない。今更、妹のように振る舞われるのはどうにも変な感じだ。

乙女ゲームの世界だと気付いてから、最初にライバル令嬢のお嬢に不利益がないかを確認するため、なけなしの前世の記憶を漁った。結局、モブですらない俺にできることはなかったけど、妹だと思っていたらそこまでしなかったと思う。

俺でもできることがないかと思わせる。お嬢はそういう女の子だ。


「ふ……、普通に、妹には思えないと言えばいいでしょう!」


「そう言ったじゃん」


「言ってませんわ!」


ぐわっと顔を真っ赤にしたお嬢に叱られた。けど、何で叱られているのか解らない。同じ意味で言った言葉の何がいけなかったんだろう。

俺を叱るお嬢を見て、オク様がころころと可笑しそうに笑う。俺をホールドしたままの公爵様も打ち震えていて、顔が見えなくても笑っているのが判った。笑うなら、いい加減離してほしい。


「おねーさまも、おにーさまも、けんかめーっなの」


フローラだけが仲裁に入ってくれた。

今日は、本当なら一人で晩飯を食べる予定だったけど、随分と賑やかな食事になった。


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