四章
41.ハッピーエンド
春うららと言わんばかりの陽光が庭園に降り注ぐ。
そんな中で、私は眉を
「どうした? フィル」
心配そうな緑の瞳が覗き込み、陽光を反射して一瞬金色になる。私はこの綺麗な瞳が大好きだ。
「クラウス兄様」
「かくれんぼでもしてテレーゼに叱られたのか?」
「ロイ兄様、違います」
反対側から蜂蜜色の瞳にも顔色を確認される。侍女のテレーゼに叱られた前提であることに、頬を膨らませ即座に否定した。それでは、私の日頃の行いが悪いみたいじゃないか。思い返すと心当たりがゼロではなかったことは、たまにのことだから黙っておく。
ロイ兄様は、そうか、と可笑しそうに微笑んだ。ロイ兄様は私が頬を膨らませるのを面白がる節がある。
「納得できないんです」
頬を元に戻して、眉を顰める理由を告げると、二人の兄は首を傾げた。
「何がだ?」
「三人でお茶しています」
クラウス兄様の問いに、私は答える。
以前まで、同腹ではなく王位継承権の問題で兄二人揃って席をともにするのが困難だった。私もできる限り二人の仲を取り持とうとしたけど、うまく行かなかった。なのに、今では一緒にお茶会をすることができている。
「嬉しくないのか?」
「嬉しいです、けど……」
ロイ兄様の問いに、口ごもる。
嬉しくない訳がない。念願叶って、大好きな兄たちと仲良くできている。それは勿論嬉しい。
「だって……私、何もできていません!」
そう、私が何もしていないのに念願が叶ってしまっている。前世の記憶があるのに、何も活用できていない。
私、フィリーネ・エルナ・フォン・ローゼンハインは、前世の記憶がある。田中
ロイ兄様もクラウス兄様も、君星の攻略対象だ。家族が不幸になるのは嫌だから、前世の記憶を活用してバッドエンドを回避しようと意気込んでいた。
けれど、クラウス兄様とは彼の母親である第二王妃のジモーネ様の妨害があって、私が干渉することは難しかった。継承権の低い私がクラウス兄様と話す分にはいいが、ロイ兄様も交えてと、となるとクラウス兄様自身が敬遠していて取りつく島がなかった。
そもそも、ロイ兄様ルートのサポートキャラである私が、クラウス兄様ルートになったとしてできることはほとんどない。だから、ロイ兄様ルートのハッピーエンドを目指すつもりだった。
二人のルートは、経緯こそ違うがロイ兄様が王になればハッピーエンド、クラウス兄様が王になればバッドエンドなのは共通している。兄弟仲を和解させ、クラウス兄様がロイ兄様に王位を譲ればお互いに良い結果になる。私から見ても、ロイ兄様の方が王位に関心があるようだからそれがいいと思う。
そう思っていたところ、私がきっかけを作るより先に、ロイ兄様が自らクラウス兄様に接触を図り、仲良くなっていた。あんなに
どうしてゲームが始まるより前に、ロイ兄様が自分で解決してしまっているのか。
「私が、どかーんとばしっとして、どやっとお兄様たちの力になりたかったんです!」
擬音ばかりの私の主張に、クラウス兄様ははてなマークを浮かべそうなほど弱り、ロイ兄様は意図を汲み取ってくれたようでふわりと微笑んで、私の頭を撫でた。
「それなら、充分フィルは活躍してくれている」
「どこがですか」
「フィルが父上に交渉して、週に一度、家族全員で食事をしているおかげで、僕も定期的にクラウスに会えた」
「一人でご飯を食べるのが嫌でわがままを言っただけです」
城は広く、比例して私室ですら広い。そんな中、一人で食事するのはとても淋しい。ご飯がどんなに美味しくても、それを言える相手がいないと味気なかった。
お母様は時々一緒に食べてくれるが、王妃の仕事で毎日とはいかず、侍女たちに頼んでも王族と同席できないと断られる。だから、お兄様たちにお願いして一緒にご飯を食べていた。
前世の記憶では、口喧嘩していたとしても必ず家族全員で食卓を囲んでいた。できれば、仲良くなくても全員でご飯を食べたかった。
国王である父様に直談判をして、突っぱねられたから、その日から仕事が終わる頃を待ち伏せして父様に何度もお願いした。一ヶ月ぐらいの交渉を経て、週一の食事会の約束を獲得したのだ。
ゲームとは違うかもしれないけど、バッドエンド回避のためじゃなく、単に本気でぼっちご飯に我慢できなかったからの行動だ。これぐらいで兄弟の確執がどうにかなるとは思わなかったし、実際そうだった。
私がまだ剥れたままなので、ロイ兄様がクラウス兄様に目配せる。視線で促されたクラウス兄様は困り、悩みつつ唸りながら口を開いた。
「フィルは、オレのヴァイオリンを初めて褒めてくれただろう?」
「だって、とても綺麗に鳴りましたっ」
私だと、ギイギイと不細工な音しか鳴らなかった楽器が、クラウス兄様が弾くと綺麗な音階を奏でた瞬間は、魔法みたいだった。せめて、クラウス兄様のヴァイオリンに伴奏ができるようピアノにシフトチェンジしたものの、ピアノはピアノで指がつりそうになっている。指ってどうやったら伸びるんだろう。
けど、私がクラウス兄様のヴァイオリンが好きだから何なんだろう。確か、君星でもそういった話題があったはずだ。
「フィルがそうして褒めてくれるお陰で、オレは好きなものを忘れずにいれた」
少し照れ臭そうに笑うクラウス兄様。ちょっと不器用な笑い方が私は好きだ。
「そんな当たり前のコトで、お兄様たちのお役に立つんですか?」
クラウス兄様のルートではサポートキャラじゃないものの、母親の洗脳から幼少期の彼の自我を繋ぎ留める役割を妹のフィリーネがしていた。そんなこと、頼まれなくても私でできるならするし、普通に好きなものを好きと言っていただけだ。難しいことは何もしていない。
私からすれば予定調和にも思えることを、活躍としてあげられて、首を傾げる。不可解を
ロイ兄様は私に問いかける。
「フィルは僕たちが好きか?」
「大好きに決まっています!」
力いっぱいに即答すると、ロイ兄様は余程可笑しかったのか喉を鳴らして笑い出す。
「それが一番大事だ」
「ああ。充分だ」
クラウス兄様の嬉しそうな声が降ったかと思うと、抱き締められる。ハグしてもらえるのは嬉しいけど、家族のことを好きだなんて当たり前のことを褒められる理由が解らない。
とりあえず、嬉しいからクラウス兄様を抱き締め返していたら、ロイ兄様によしよしと頭を撫でられる。
「「ありがとう、フィル」」
声を揃えて、お礼を言われた。お兄様たちは本当に仲良くなったのだと、改めて実感する。
「どういたしまして……?」
いいのかな、と思いながらも、お兄様たちの感謝を私は反射的に受け取った。
お兄様たちが甘えさせてくれるものだから、そのうちまぁいいや、と思考が流れてしまった。
「いや、よくない!!」
夜になってから、誤魔化されたことに気付き思わず声をあげた。
『いきなり叫ぶな。近所迷惑だ、つったろ』
目の前の白いクマのぬいぐるみから文句が発せられた。私の部屋は広いし、念のため風属性の魔法で防音状態にしているが、クマの向こうの相手はそうじゃない。指摘されて、それを思い出し、見えていないと解っていながら両手で口を塞いだ。
黙っていたから、口をつぐんだ気配を察したのか向こうから声をかけてくれる。
『んで? 何がよくないんだ?』
「そうよっ、私じゃないならイザークのせいでしょ!?」
『はぁ?』
クマから素っ頓狂な声があがる。ロイ兄様に手伝ってもらってクマのぬいぐるみに電話の機能を持たせたけど、そのせいでクマから可愛くない声が聴こえるようになった。私が持っていて違和感のないものを、とクマにしたけど、失敗だったかもしれないと感じる最近だ。
クマ電話の向こうにいるイザークこと前世の兄である太一も、同じく前世の記憶を持っている。
最初、ゲームとキャラが違うから、ロイ兄様の婚約者で君星のライバル令嬢のお姉様が、前世の記憶持ちじゃないかと疑っていた。それが、まさかゲームで話題にすらあがらなかったライバル令嬢の家の庭師見習いで、かつ前世の兄とか意味が解らない。
とりあえず、私の他に前世の記憶でどうこうできるのはイザークだろう。
「君星通りじゃなくなってるの、ぜーんぶイザークのせいでしょ!!」
『お前なぁ……、ミニゲームのトコだけ手伝わされてロクに覚えてない以前に、庶民で魔力も少ない俺に何ができるってゆーんだ?』
「うぐ……、でっ、でも、お姉様が可愛くなってるもんっ」
『それはお嬢が頑張ってるからだ』
私にとってのお姉様ことライバル令嬢、リュディア・フォン・エルンストが君星で知っているより可愛くなっていることを指摘しても、本人の意思だと言われれば否定はできない。
以前、エルンスト公爵邸に訪ねたとき、ただの使用人にしては仲が良かったように見えたけど、歳が近いから親しくなりやすかったのかもしれない。君星内で話題にのぼらなかっただけで、お姉様が家の使用人と親しかった可能性もゼロじゃない。君星にイザークの情報がないから、どこまで影響するのか判らない。
お姉様のこと以外にも、まだ確認されている変化はある。
「ロイ兄様が、もう光と闇の二属性持ちだって気付いてるし!」
『レオがそんなコト言ってたな。それがどうした』
「ロイ兄様のルート入ってから分かるはずだったの! それで王位危うくなって、悩むロイ兄様をヒロインが助けられるかどうかがハッピーエンドになるかの要なのに、
君星のUIの左下には紫陽花のアイコンがあり、どの属性の色に染まるかでルート分岐が判るようになっている。そのせいか、この世界の紫陽花は
ロイ兄様の書斎を訪ねて、二色の紫陽花が咲いているのを見たときには驚いた。
『……よく分かんねぇけど、季節外れの紫陽花ならレオが見つけて、植木屋のおっちゃんから買ってたぞ』
「なんでぇ!?」
何故、自分で気付く要因を手に入れてしまっているのか。
私が驚いたのは、二色の紫陽花を見ても、ロイ兄様が動揺していなかったからだ。私なんかよりずっと頭のいいロイ兄様が、色の意味に気付かない訳がない。
私からすればどっちもロイ兄様の色だから、つい思わず欲しい、とねだってもらってしまったけど。前世で推しキャラだったし、ロイ兄様のテーマカラーのグッズが欲しくなるのは仕方ないことだと思う。
「私、ロイ兄様がショック受けると思って、ずっと我慢して黙ってたのにさぁ、ロイ兄様、ちょー普通だしっ」
『エルナも二属性持ちだろ。なんで、レオがショック受けるんだ??』
「最初から分かっているのと、後からは違うでしょ!? しかも、王族が闇属性なのよっ、分かりなさいよ!」
『えぇ? あいつそんなタマじゃねぇだろ』
「そうロイ兄様は強くて素敵なのよ!!」
誰もそんなことは言っていない、とクマ越しにイザークの訂正が入ったけど、私の耳には届かなかった。
ロイ兄様は君星とあまり違いがないけど、なんだかメンタルがより強くなっている気がする。そんなロイ兄様も好きだけど。
「あと、クラウス兄様だってロイ兄様と仲良くできるようになったし!」
できれば私が解決したかった一番の問題だ。なのに、お兄様たちで話がついてしまっていた。
『レオの弟って……、ヴォルフか。それこそ俺がどうこうできねぇだろ、他人の家のことだぞ』
「そう、だけどぉ……」
君星の知識がほぼないイザークが、王族の家庭問題を知っている訳がない。それは解っているが、なら、どうして私たちは前世の記憶を持っているのか。
「前世を覚えてる意味が欲しいじゃない」
ぽつり、と不満を洩らす。
せっかく前世を覚えていて、この世界が乙女ゲームだと気付けたのだから、何か意味があると思いたい。王女として生まれてみたら、前世で憧れていたようなものではなく、環境に慣れ、日々は穏やかに過ぎる。第三王女の自分に、大事な役割なんてない。
特別な何かをしたい、と思ったっていいじゃないか。
『んー……、たまたま覚えてただけなんだから、使えそうなら使うぐらいでいいんじゃね?』
イザークは前世の記憶があることに意味を求めていないみたいだ。食い違う意見を言ってくるものだから、半眼でクマを見た。
「でも、ココ、君星の世界じゃない」
『だからって、君星の通りになるのかよ。ゲームですら何通りもあるのに』
「分からない、けど……、ゲームの強制力とかあるかもしれないし」
『分からねぇもんを気にしたって、しょーがねぇだろ』
言われてみればそう思えることを指摘され、私は剥れる。イザークに正論っぽいことを言われるのは
『俺は、なるべく後悔しないように生きれりゃそれでいいよ』
「私は……」
どう生きたいんだろう。ロイ兄様たちが幸せになってほしいのは勿論として、自分のことはあまり考えてなかった。
「できれば、好きな人と結婚できたらいいけど、
『
信じられないと思わずイザークからあがった失礼な発言に、私は頬を膨らませた。
「どういう意味よ」
『いや、乙女ゲーの主人公の名前を必ず自分の名前にする妹がいたら、ふつー結婚できるか心配になるだろ』
「失礼ね。ちゃんと二次元と区別できますぅ!」
基本乙女ゲームは、主人公にもキャラ設定があるから、デフォルト名が付いていることが多い。それでも、音声がなくてもイケメンに自分の名前を呼んでもらいたがったって、別にいいじゃない。
「あ!」
『何だよ』
「ヒロインのデフォ名覚えてないから、外見しか知らない!」
唐突な声に驚いたイザークに訊かれ、私はベッドの上で絶望にうちひしがれる。ロイ兄様ルートにヒロインが行かないと、ロイ兄様ルートのサポートキャラの私はヒロインに会うことすら叶わない。外見の情報だけじゃ、事前に調べようもないではないか。
「えー、どうしよう。平民の
『それ、めっちゃ分かりやすくね?』
「だったら、イザーク探してよ。平民でしょっ」
『仕事で忙しいから無理。それに、名前も分からねぇのに探せるかよ』
「ほらぁー!」
私が焦っていると、目の前のクマが呆れたように溜め息を
『大体、ヒロイン見つけてどうするんだよ』
訊かれて、私は閉口する。
ヒロインを
「……何も考えてない」
仮に自由に行動できたとしても、どうするかを考えていなかった。むしろ、普通に暮らすヒロインを見てしまったら、声をかけずに引き返してしまうかもしれない。
できないことばかりで、ないない尽くしだ。私はなんて役立たずなんだろう。
『エルナ』
名前を呼ばれて顔をあげる。その動作で、自分が俯いていたことに気付いた。
『大事な人が幸せになってほしいと思うのは当たり前のことなんだから、別に何かしなくていいんだよ。頼られたときに手伝えばいい』
「太一がそれ言う?」
兄、という生き物が基本、妹に頼らないと教えたのは誰だ。
『
責めるように言うと、
「ロイ兄様たちが頼ってくれるか分からないじゃない」
『レオたちが放っておいても大丈夫なら、自分のコトしろ。君星じゃ、お前の人生は分からないんだろ?』
イザークに言われて、はた、と気付く。確かに、君星にフィリーネは出てきたけど、そのときに婚約者がいたかすら判らない。現状、必要な同盟は実のお姉様たちの婚姻で事足りているけど、数年後、私には誰かが宛がわれるんだろうか。
「私のコト、かぁ……、結婚相手を好きになれたらいいなぁ」
『だったら、最初から好きなヤツと結婚しろ。夕歌じゃなく、エルナの人生だろ』
王族相手に無茶を言う。けれど、いつか好きな人ができて、その人と結婚できたら素敵だと思う。仕方ない、と思うのは諦めだと暗に言われている気がした。
そっと自分の表情が緩むのが判った。なんだかんだ言っても、私はイザークに心配されるのが嬉しいらしい。絶対言わないけど。
「……でも、好きな人を作るには問題があるわ」
『何だよ』
「ロイ兄様以上にカッコいい
『お前、寝ろ』
力いっぱいの断言に、呆れきった声が返った。俺も寝る、とそのままクマ電話が応答しなくなる。
「ちょっと、深刻な私の死活問題を無視して、先に寝ないでよっ」
そのあと、しばらく抗議をしてみたけどクマは無反応で、電話に魔力を使ったこともあって、私もこてり、と眠りに落ちていった。
とりあえず、私は誰も知らない私のハッピーエンドを目指そう。
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