39.金木犀



睡蓮すいれんの眠る池の中の東屋で、俺はお嬢を待っていた。

今年もお嬢の誕生日パーティーをしている。西の離れに近い東屋はパーティーの喧騒から遠いから、音だけで終わったかを判断するには難しい。

俺は数日前から、親父と来客エリアの点検をして、昨日は正門から正面玄関までの掃除をした。寒い時期だから屋外でしないにしても、お客さんが通り過ぎる場所の景観を整えるのが庭師の仕事だ。

執事のハインツさんこと師匠など、スケジュール管理をする人がしっかりしているからか、エルンスト家で突発的にパーティーをするようなことはない。ちゃんと使用人たちが準備できる期間を設けて教えてくれるから、助かる。

落ち葉掃除で庭師ギルドに協力依頼をしに行ったとき、急なパーティーを組まれてかつ庭の木を来客者の好きなものに植え変えるよう指示された、と弱った様子の庭師を見かけた。せっかく根付いた木を植え替えるのは労力も人手もいる。どこの貴族の家かは知らないが、愚痴るのは当然だと思った。

エルンスト家で、庭に関して指示された記憶がない。親父が季節に合わせて、木や花壇の花の植え替えをしたのを、公爵様たちは変わったところに気付いては褒めてくれる。その度に、俺の親父は凄いんだと誇らしい気持ちになる。前世では就職前に死んだけど、こういうのをホワイト企業というんだろうか。

お嬢の妹のフローラが歩けるようになったから、オク様もよく庭を散歩するようになった。身重になる前もそうだったと、メイドさんたちが教えてくれた。見てくれる人がいるのは嬉しい。

エルンスト家の人たちは本当にいい人ばかりだと思う。いつか俺も一人前の庭師になって、この家の人たちを楽しませる庭を造りたい。エルンスト家に来てから、庭師になりたい気持ちが強くなった。

つらつらと考えて、目標の再確認をしたところで、渡り廊下から足音が近付いてきた。

俺は苦笑して、小走りできたお嬢を迎える。


「だから、慌てなくていいのに」


「寒い中を待たせる訳にはいきませんわ」


「大して待ってないぞ?」


ちょっと考え事をしていたぐらいにお嬢がきたから、長い間待っていない。けれど、お嬢は明らかに納得していない眼差しを向ける。


「冷えているはずですわっ、手だって……」


俺の手を掴んで確認しようとしたお嬢は、言葉を途切れさせる。それはそうだ。俺は軍手を兼ねた革製の手袋をしていたのだから。冬場の作業用に防寒対策はしているから大丈夫だ。

それでも納得していないらしいお嬢はむくれた。俺を睨むように見上げたかと思うと、ぺちり、とお嬢の白い手が頬に触れた。


「ほら、やっぱり冷たいですわ!」


「庭師は外で作業するもん」


「午後は温室の手入れをしていたでしょう!」


屁理屈をこねねるなと叱られた。そういえば、昨日玄関前の掃除をしていたときに、お嬢が来て待ち合わせの相談がてらそんなことも話していたっけ。

けど、そんなお嬢もパーティーの後そのまま来たようで上着も着ていないし、手袋もしていない。今は温いこの手も、この場所に長くいれば冷えてしまうだろう。

俺より自分の心配をすればいいのになぁ、と思いつつも、お嬢の優しさに冷えていた顔の筋肉がゆるんだ。


「ありがとな。けど、お嬢綺麗だな」


冷えないように頬に当てられた手を、手袋をした手で包んで、俺はへらりと笑った。

パーティーの主役だから、きっとオク様がお嬢に似合うドレスを用意したのだろう。細い銀の鎖に小さい透明の宝石がトップのネックレスや銀の刺繍が映える裾にいくほどに濃紺のうこんになるドレスは、雪の精霊がいるんじゃないかと思わせる。

元々、綺麗な女の子だけど、改めて綺麗だと再確認した。パーティーに参加できない俺がこの姿を見れるのは、ありがたい。

お嬢は、一瞬固まったかと思うと、眼を見開き顔を真っ赤にして、しゅばっと音がしそうな速さで手を引き抜いて、後ろに隠した。

どうかしたのか判らず俺は首を傾げる。数秒反応を待つと、俯いたままお嬢が声を張った。


「ひ、陽が沈む前に、早く虹を見せてほしいですわっ!」


「ん? ああ」


それもそうか、と俺は夕陽の光の方向を確認して、池の水を借りて水の粒子を浮かせた。虹がかかると、お嬢は七色の光をその瞳に映して輝かせる。なんだか怒っていたような気がしたが、気のせいだったのか。


「飽きないか?」


毎年同じことをしてお嬢は退屈しないのだろうか。しかも、俺が楽なようにわざわざこの寒い時期に池まで来てくれている。


「虹はいつ見ても綺麗ですわ」


俺が心配して訊くと、お嬢は本当に嬉しそうに虹を見つめて答えた。俺はほっと安堵する。俺なんかのしょぼい魔法でも、お嬢が喜んでくれて嬉しい。


「いつでも虹が出せるなんて、ザクの魔法は素敵ですわね」


嬉しそうな笑顔で振り向いてそんな言葉をくれる。そんな風に褒められるなんて思わなかったから、びっくりする。

どういう反応をしたらいいか一瞬解らなくなって、お礼の言葉が喉に詰まった。お嬢の誕生日に俺が喜ばされてどうするんだ。そこで、俺はまだ渡せていないものがあったことを思い出す。


「ザク、素敵な誕生日プレゼントをありがとう」


「こっちこそ、ありがとな。あと、コレ」


お嬢は、俺が礼を言ったことに首を傾げ、けどそれを言及する前に俺が上着のポケットから出したものを手渡したから、それに意識が向いた。


「これは……?」


受け取った硝子の小瓶の中身が判らず、お嬢は不思議そうに手元を見つめる。


「蓋開けてみて」


そう俺が促すと、お嬢は素直に蓋を開け、漂った香りに瞠目した。


金木犀きんもくせいですわ……っ」


「お嬢、好きな香りだって言ってただろ」


「でも、どうして……、これはなんですの?」


もう散った花の香りがすることに驚いて、お嬢は手元の瓶と俺を交互に見る。


「塩」


俺がだいだいの小さな花と一緒に入っているものの正体を教えると、想定外だったらしいお嬢は閉口した。


「なんかこうすると香りが長持ちするんだ」


「不思議ですわね」


俺も理由がよく解っていないから、ふわっと説明すると、お嬢はまじまじと瓶の中の塩を見つめた。今はしない金木犀の香りがするから、お嬢も効果を疑いようがない。だからこそ、不思議なんだろう。

とりあえず、喜んでくれたようで、俺は胸を撫で下ろす。


「よかった……」


去年、お嬢に誕生日プレゼントを渡してから、もうプレゼントの案が尽きたことに気付いた。そもそも女の子に物を贈ったことがない。前世含めても家族ぐらいだ。学生時代のダチ同士では、基本お菓子かコンビニで肉まん奢るとかしかしていない。しかも、渡したい相手が上位貴族だから、前世の記憶なんて参考にならず庶民の俺が即詰みするのは自明の理だった。

だからといって無理をする気はないが、できればお嬢が喜んでほしい。

だから、ずっとお嬢が好きなものを考えていたが、なかなか俺ができる範囲でのプレゼントが浮かばなかった。

お嬢が、金木犀の香りが好きだと言ったときも、香りはあげれないと諦めていた。香水は作るには大量の花がいるらしいし、強い香りが苦手な俺が香水屋に踏み入れるのは難易度が高かった。念のため、メイドのカトリンさんに香水の相場を訊いたら、俺には無理な金額だった。

そんなときだ。

虫除けを兼ねて寄せ植えしている迷迭香まんねんろう香水薄荷こうすいはっかを厨房にお裾分けに行った。すると、料理長のおっちゃんがハーブソルトを使っていた。

今の時期じゃないハーブの香りがして訊いたら、半年ぐらい前に作ったものだと言う。それにしては香りがいいから、おっちゃんにどうやって作っているのか教えてもらった。

香りを移したいハーブのゴミ取りをして、軽く天日干しをしたあと、硝子瓶に岩塩と交互に層を作って置いておけばいいらしい。

母さんにも教えようと思って、ふと、花でも同じことができるんじゃないかと思った。

食材の塩を香りを保つためだけに使うのは、俺からしたら贅沢だが、香水よりはずっと安い。

料理長のおっちゃんに相談したら、安めに必要な分の岩塩を譲ってくれた。香りのいい八分咲きまでの金木犀の花を集めて、おっちゃんに聞いた通りに金木犀と岩塩の層を交互に作ったら簡単にできた。

作った瓶は、そのまま渡すとお嬢が持てなさそうな重さだったから、小さめの小瓶を買って、そこに移した。リボンを巻いたのは、少しでもプレゼントっぽくしようとしたからだ。

ともかくプレゼントが決まって本当によかった。

けど、物一つ贈るのに一年近く悩んでいたのが情けなくて、俺は頭を掻く。


「何がいいか、本気で分からなくて、いっそ何でもいうこと聞く券にしようかと思ったぐらいで……」


「……それは、何ですの?」


聞き覚えがない言葉だったせいか、お嬢がぴくりと反応した。そういや、紙が高いから親父や母さんにも肩たたき券とかあげたことないなぁ。普通に肩たたきぐらいならしてるし、今度何か他に疲れが取れそうなことを考えないと。

俺は肩たたき券の代用品を考えつつ、お嬢に説明する。


「何か、こう……メモみたいなのにやれるコト書いて、相手のタイミングで使える券にするみたいな?」


「観劇チケットの大きさの誓約書みたいなものですの?」


「そんな感じ」


お嬢にとって馴染みのあるもので例をあげられて、そう言えば貴族に伝わるのか、と妙に納得した。

用途を理解したらしいお嬢は、何故か瞳を輝かせた。


「わたくし、来年はそれがいいですわっ」


「え」


お嬢の言葉に俺は眼を丸くする。

言っておいてなんだが、俺が言うこときく権利なんて誰得なんだ。プレゼントに悩まなくて済むから俺は助かるが、お嬢は本当にいいのだろうか。


「そんなもんでいいのか……?」


甚だ疑問で訊くが、お嬢はしっかりと首を縦に振った。何を言う気かは知らないが、お嬢は無茶振りしないだろう。お嬢だしなぁ。

だから、何がそんなにお嬢に魅力的に感じるのかが解らない。


「じゃあ……、来年つぎはそれで」


俺だけが楽しそうな気がするが、お嬢が欲しがっているものをあげられるならそれに越したことはない。少し迷いつつも、俺が了承するとお嬢の表情カオが喜色に満ちた。


「では、用意しますわっ」


「何を??」


お嬢が唐突に渡り廊下の方に向かう。ちょうど防寒具を持ってきたらしいメイドさんが本邸側の渡り廊下の入り口にいて、彼女にお嬢は何事かを頼んだようだった。

メイドさんは一度いなくなったかと思うと、お嬢がケープや手袋を身に付けている内に戻ってきた。彼女から何かを受け取ったお嬢は、それを両手に持って東屋に戻ってくる。

戻ってきたお嬢の手元を見ると、片手に万年筆、もう一方にメッセージカードを持っていた。それをずいっと俺に差し出す。


「忘れないうちに、誓約書を書いてくださいな」


言い方が仰々しいな。そんな大層なものじゃないんだが。

期待の籠った眼差しを受けて、俺はそれらを受け取った。俺の家には筆記用具なんて一切ないから、用意してくれるのはありがたいが、どうしてもそこまでしなくても感が拭えない。

なんだか釈然としない心持ちのまま、東屋の内側にあるベンチ部を机代わりにして、何でも言うこと聞きます券を作る。お嬢が誓約書って言ってるから、それっぽく書いた方がいいんだろうか。


「えーっと……、『イザーク・バウムゲルトナーは、来年の今日、』お嬢ってフルネーム何だっけ??」


「リュディア・フォン・エルンストですわ」


「ふぉん……?」


「こう書くのですわ」


お嬢が隣で指を動かしてスペルを教えてくれた。なるほど、と俺は教えてもらった通りにお嬢の名前を書いた。しかし、貴族の名前の間にあるフォンって一体何だろう。貴族を見分ける目印かな。


「『のお願いを一つ聞きます』っと。コレでいいか?」


最後に今日の年月日と自分の名前を添えて、何でも言うこと聞きます券に変わったメッセージカードをお嬢に渡した。一緒に借りた万年筆も返しておく。

お嬢は、大事そうに硝子の小瓶と何でも言うこと聞きます券を胸元で抱き締めた。


「ふふっ、予約しましたからね」


お嬢の笑顔に、こんなのでいいのかと釈然としなかった俺はまぁいいか、と思った。来年は、一発芸でもなんでもやれることを頑張ろう。


「あ。お嬢」


俺が失念していたことを思い出し声をあげると、お嬢が小首を傾げた。


「ちゃんと言ってなかった。誕生日おめでとう」


「ありがとう」


一瞬きょとんとしたお嬢は、可笑しげに微笑んだ。今年も、この日にお嬢の笑顔が見れてよかった。そう感じて、表情が弛んだ。

不意にお嬢の視線が、俺より高い位置に変わった。


「雪、ですわ」


「ほんとだ」


はらりはらりと小さな白い氷の結晶が空から舞い降りる。ちょうど消え始めた虹が、雪に溶き消されているように見えた。

俺は小雨が降る程度だと思っていたから、少し驚いた。雨の、正確には水の精霊の気配をなんとなく読めるけど、それが雨になるか雪になるかまでは判らないんだよな。

この時期は特に俺の雨センサーはぽんこつだ。最近は降るかどうかだけ親父に報告して、雨用と雪用のどちらの備えもしている。

それとは関係なく、単純に雪は楽しみだ。


「今年は雪だるま作れるぐらい積もるかなぁ」


「……正面側に作ってはだめですわよ」


「わかってるって」


半眼になったお嬢に釘を刺された。いくら正門から正面玄関にかけてが一番雪を集め易いからって、来客エリアで俺も作ったりしない。


「積もったら、ニコと作ろう」


二人がかりで作ったら結構大きいのが作れるはずだ。そう考えたら、余計わくわくした。


「我が家の庭で作るのに、わたくしは参加できませんの……?」


少し拗ねたようにお嬢が呟く。別にお嬢を仲間はずれにするつもりはない。ただ雪だるまの身体を作るのは力がいるから、ニコに手伝ってもらおうと思っただけだ。


「お嬢は最後のカオ作るの手伝ってくれないか? 俺だと変になるかもしれないし」


「し、仕方ないですわね」


自分にも出番があると判ったお嬢は、任せろと胸を張った。大きい雪だるま作るなら、全体が見える位置で指示する奴がいた方がいい。


「ロイ様も意外とお好きかもしれませんわ。お声がけしようかしら……、でも、ニコラウス様に会ったら、驚かれるかもしれませんわね」


「いや……、大丈夫じゃね? うん、意外と」


そういや、レオがオネエモードのニコと知り合いなのを、お嬢は知らないんだった。杞憂だと教えてやりたいが、ニコの姉貴の病気を王子のレオが治したことまでバレそうで言えない。俺の曖昧な答えに、そうかしら、と首を傾げながらお嬢は頷いた。


「そろそろ戻るか」


「ええ」


雪が降ってきたから、身体が冷えないうちに戻ろうと促すと、お嬢が頷いた。

渡り廊下から本邸の入り口まで送ると、お嬢がもう一度空を見上げた。


「積もるといいですわね」


「ああ」


お嬢の呟きに、俺は頷いた。

今日の雪は溶けて消えゆくだろうけど、冬は始まったばかりだ。これからいくらでもチャンスはある。

俺も期待を込めて、雪が舞い降りる空を見上げた。


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