34.カード




「それでフローラがすげぇはしゃいで歩き回るんですけど、花は踏まないようにしてくれてるのが嬉しくて」


「ふふっ、相変わらずエリアスの夢の庭は楽しそうね」


ダニエル様の奥さんのアニカ様は、相変わらず俺の話をねじ曲げる。今日はヴィート侯爵邸のバイトの日だ。アニカ様に食事をさせるために少し前からバイトの日は昼食をダニエル様たちと食べるようになった。

俺はテーブルマナーを知らないから、そこで違和感を覚えてくれるかと思っていたが、病弱なエリアスが食卓で食事をする機会が少なかったため、アニカ様にこれから覚えればいいと言われてしまった。アニカ様が嬉しそうに教えてくれるから、最低限だがテーブルマナーを覚えた気がする。とりあえず、スープは音を立てずに飲めるようになった。けど、お茶のときはどうしてもずぞーっとなってしまうから諦めた。

アニカ様は最近ベッドにせることが少なくなり、食事も三食食べているらしい。庭に、だが外にも出るようになったそうで、随分血色もよくなったように感じる。ダニエル様もそれが嬉しいのか、最近よく笑っているから俺もなんだか嬉しい。


「しかし、ジェラルドにも秘密の庭の話を私たちが聞いてもいいのかい?」


「ダニエル様は口が固そうだからいいです。親父には……言うの、恥ずかしいんで」


親父から許可をもらった自習用の庭だから、話しても何も問題はない。ないけど、親父が造る庭に比べればしょぼいから、どういう庭を造ったかは家で話題にしたことがない。

今できる範囲で精一杯造ってはいるし、お嬢たちも喜んでくれるけど、まだ師である親父に見てもらう自信はない。


「そうか。話し相手に選んでもらえて、光栄だ」


ダニエル様は柔らかく微笑んで、恥じている俺には触れないでいてくれた。こういうとき、ダニエル様は優しい人だと感じる。


「えと、俺の話つまらなくないですか……?」


俺から出せる話題は庭の話しかないから、俺一人浮かれて話してないか、ふと心配になった。


「イザークの造る庭は面白いから、聞いていてとても楽しいよ」


「そうよ。エリアスの夢の庭はいつも素敵だわ」


「あ、ありがとうございます……」


ダニエル様の眼に嘘はなく、空想の話と思われてはいるがちゃんと内容は聞いてくれているアニカ様にも頷かれて、俺は照れ臭くなる。お礼を言うのにつんのめってしまった。


「そうだ。特別な話を聞かせてもらっているお礼、というわけではないんだが」


食後のお茶の頃になって、ダニエル様がメイドさんに何かを持ってこさせ、メイドさんはそれをダニエル様ではなく俺に渡す。


「コレ……」


それは装丁のしっかりした厚みのある本だった。厚みの理由がタイトルに書いてあり、その理由に俺は眼を輝かせる。

タイトルに書かれていたのは、植物図鑑。


「イザークは今月が誕生日なんだろう? 何か贈ろうと思ったら、アニカが絶対これがいいと言ってね」


「アニカ様……」


「エリアスは本が好きでしょう? これで夢の中の花も増えるんじゃないかしら」


おどけたように微笑むアニカ様。

亡くなったエリアスは物語、特に冒険譚ぼうけんたんが好きだったとダニエル様から聞いている。確かに庭の草木も好きだったかもしれないが、俺の話を聞いていなかったらアニカ様はきっと物語を優先していたはずだ。

まだ俺がエリアスじゃないと認めてはもらえないけど、俺と話したことを全部無視されていた訳じゃないと判って嬉しさが込み上げる。

そして、手の中にある重みで、俺は我に返った。


「嬉しいですけど、こんな高価なモノ受け取れません!」


そうだ。本なんて俺が買うのに二の足を踏むぐらい高い。分厚い図鑑なんてなおさらだ。だから、俺はこれまでお嬢が図書室に行くときに読ませてもらっていた。

最近お嬢は、委員長が護衛につくときは、俺たちが喧嘩しないように、静かにしてないといけない図書室に行くようになった。俺は植物図鑑を読めるのが嬉しくて、あっと言う間に時間が過ぎてしまう。

お嬢は借りてもいいと毎回言ってくれるが、高価な本を傷付けるのが恐いから、遠慮している。それぐらい高価な図鑑を、庶民の俺がもらう訳にはいかない。

俺が断ると、ダニエル様は俺の答えを予想していたのか、にこりと微笑んだ。


「嬉しいんだね?」


「それは勿論」


ダニエル様たちの気持ちはとても嬉しいから、俺はしかと頷いた。


「我が家には既に同じ植物図鑑があってね。イザークが要らないと言うなら、それは捨てるしかないな」


捨てる、の単語に俺はうぐ、と言葉に詰まる。侯爵家のダニエル様には捨てても大丈夫なものでも、庶民の俺には大丈夫じゃない。


「……ダニエル様、卑怯です」


要らない訳がない。捨てるなんて聞かされたら、脅されてるのと同じだ。断ることができなくなった。

少し恨みがましい気分でダニエル様を見ると、優しく微笑み返された。


「嬉しいなら、厚意は素直に受け取りなさい」


数秒悩んで、俺はありがたくもらうことにした。


「ダニエル様、アニカ様、ありがとうございます。大事にします」


二人に頭を下げてお礼を言った。

少し中を見てもいいか訊いたら、ダニエル様が許可してくれたので植物図鑑の適当なページを開いてみる。

精緻せいちな植物の絵と、名前の由来や生息地まで一つ一つ詳しく書かれていて嬉しい。これが俺のものだなんて感激だ。いつでも読みたいときに読めるってことだ。それって凄い。

俺が植物図鑑に夢中になっている間、ダニエル様たちがどんな風に俺を見ていたかは知らない。ただ顔を上げたときに、呆けたようなアニカ様と眼が合ったのが少し気になった。

けれど、結局その後もエリアス呼びのままだったからあまり進展はしていないのかもしれない。話した内容が誤変換されることに俺が慣れてしまって、アニカ様に俺がエリアスじゃないと気付いてもらえる図が想像できない。

ヴィート侯爵邸からの帰り道、そんな諦めともとれる状態におちいっていることに気付いて、両頬を思いっきり叩いた。ダニエル様が諦めていないことを、俺が勝手に諦めたら駄目だ。

改めて頑張ろうと、自分に気合いを入れ直した。

家に帰ったら、思ったより腫れていたらしく母さんが笑いながら冷やしてくれた。



数日後、夏の花への植え替えが終わっていない花壇で俺は作業をしていた。

親父は芝生のエリアで芝生の張り替えをしている。点検して悪くなったところだけ張り替えるから、面積があるが親父一人でもどうにかなる。来年は俺にも点検の基準や張り替え方を教えてくれると言ってくれたから、俺は任された今の作業を黙々とする。


「ザークっ」


「おわっ!?」


いきなり背後にのしかかられ、俺はスコップを持ったまま前のめりになった。首に巻きつく腕に覚えがあって、名前を呼びながら振り返る。


「ニコ」


「相変わらず地味な作業してるのね」


挨拶代わりに飽きずによくできるな、と感心された。逆に派手な庭師の仕事なんて、探してもない。出来上がるものは綺麗でも、過程は地味な作業の積み重ねだ。

とはいえ、ニコの感想も解る。俺も前世では毎日ひたすら同じ作業をするだけの豆腐屋家業に同じことを思った。地味で代わり映えのしない作業の一体何がいいのか、と。

今なら解る気がする。


「お嬢たちに喜んでもらえれば、それでいいんだよ」


エルンスト家の庭はエルンスト家の人たちに喜んでもらうためにある。そのための庭師だから、準備の作業が地味でもダサくても別にいい。

前世の頑固親父もお袋も、美味しいと言ってくれる客がいたからずっと同じことを繰り返していたんだろう。今、親父の仕事をカッコいいと目指している俺なら、前世の両親も職人としてカッコよかったと認められる。まぁ、同時にダサいと楯突いていた前世の自分のカッコ悪さに居たたまれなくなるんだが。

まだ見習いだが庭師になって、目的がはっきりしていると意外と周囲にどう思われても気にならないことに気付いた。前世で、俺が何を言っても頑固親父が意に介さないことに、よく腹を立てていたが、言われる側になってみると存外どこ吹く風だ。


「はははっ、ほこりどころか土にまみれて無様だな! リュディア様、こんな汚れている奴に近付いてはいけませんよ」


そう、こんな風に。

お嬢の護衛の少年、なんか言いづらい名前だったから忘れた。とりあえず、ニコが呼ぶポチでいいか。ポチは出会い頭に必ず何か言ってくるが、別に気にならない。

むしろ、俺の首に回る腕に力がこもるのを感じて、ニコに落ち着くよう、腕をぽんぽんと叩いて宥める。


「そうだな。お嬢の綺麗なドレス汚れるもんな」


否定する気もなく、笑ってそう返すとポチはうぐ、と言葉を詰まらせる。期待していた反応と違うんだろうけど、俺は同僚のポチと揉めたい訳じゃないから、思った通りに返すだけだ。


「……っお前なんか、お前なんか、リュディア様に相応しくないんだからな!!」


「うん」


ポチは懸命に言葉を絞り出そうと悩む素振りを見せてから、俺を指差して大声で言い放つ。

何に相応しいのかよく解らないが、身分の違いだけでなくお嬢の方が人間的に凄いから、俺は普通に頷いた。

俺の返事に、何故かショックを受けたポチは、えっとえっと、とまた言葉を探す。ゆらり、とニコが俺から離れて、こぶしを一方の手で包んで指の関節を鳴らし始めたから、ニコの後ろえりを掴んで止める。

ポチの方を止めてもらうため、お嬢の方を見遣ると、お嬢は怒るのを堪えるように唇を噛んで押し黙っていた。頬は少し赤い。


「お嬢?」


「……っ! な、何ですの!?」


呼ぶと、少し間を置いて気付いたお嬢が、顔をあげてこちらを向いた。今までのやり取りが耳に入っていなかったようだ。


「いや、ニコを抑えてる内に、ポチをどうにかしてほしいんだけど」


俺が頼むと、事情を察したお嬢がすぐさまポチに言葉を投げる。


「イェルクっ、またですの!? ザクは、わたくしの友人だと言ったでしょう。過ぎる発言は控えなさい!」


「はいっ!」


お嬢に叱責され、敬礼をしてポチはお嬢の斜め後ろに控えた。


「ったく、返事だけはいいんだから」


舌打ちするニコに対して、お嬢に見えない位置取りでポチは舌を出して見せる。明らかに反省していない様子に、ニコが青筋を浮かせた。ニコが俺のことで沸点低くなるの、どうにかできないだろうか。

ニコの気を逸らせたいのもあって、俺は気になったことをニコに訊く。


「なぁ、ニコ」


「何よ」


「お嬢、気分でも悪いのかな。さっき難しい表情カオして考え込んでるみたいだった」


俺の質問に、ニコは毒気を抜かれたみたいに呆れた表情カオになった。


「……ザクが開口一番にあんなコト言うからでしょ」


「俺?」


お嬢に言ったのは、ポチを頼んだぐらいだが、それが不味かったのだろうか。けど、それを頼む前の様子が心配だったんだが。


「上司に告げ口みたいだからよくない、ってコトか?」


「爆弾落としておいて、ここまで気付かないのも凄いわね」


「そんな物騒なコト言ったか??」


俺が頻りに首を傾げると、ニコは答える代わりに肩にぽんと手を置いた。結局、どれがニコの言うところの爆弾だったのかは教えてくれなかった。一体何が不味かったのか、普通に話していただけだと思うが。

しかし、今日の護衛がポチの日なら、秘密の庭には行けない。俺はバレてもあまり問題ないが、お嬢は秘密のままの方がいいみたいだし、ニコはポチに素を見せるつもりがない。

親父に教えてもらった当初は秘密にしないといけないと俺も思っていたが、ニコにバラしたし、場所は言っていないもののダニエル様たちにも話してしまっている。ここまで自分でバラしてしまっているから、一部とはいえエルンスト家の敷地を職権乱用した件について叱られる覚悟は随分前にできている。

とりあえず、今作業していた花壇の植え替えが終わるのを話ながら待ってもらって、遊歩道の近くだったので木陰ができているベンチにお嬢を座らせる。話して待っている間もポチが、お嬢が座れるように敷物を用意したり、日傘を差したりしてくれていたが、念のためだ。


「で、今日はどうした?」


お嬢の前に屈んで視線を合わせて訊くと、お嬢は視線をさ迷わせ、それから視線を膝に落として何かを悩みだした。いつものやり取りだったから、そんなに悩むとは思わなくて俺は首を傾げる。

俺がじっと待つと、お嬢は膝の上の両手をぎゅっと握り込んでそっぽを向いた。


「~~っよ、用がないと来てはいけませんの?」


「いや? お嬢に会えて嬉しいからいいけど」


今まで何か報告したいことがあるから来ていたから、今回もそうだと思っただけで、俺は用がなくても構わない。

ただ問題ないと答えただけなのに、お嬢はぐわっと顔が真っ赤になった。


「どうして、そう余計なことまで言いますの!?」


「何が?」


「ザク、言い方の問題よ」


「言い方??」


何故か叱られた。ニコが助言してくれたが、端的に答えた内容の何が余計だったのかさっぱり判らない。

顔を真っ赤にするお嬢に、ニコはよく頑張ったと頭を撫でて褒めて、というか宥めていた。確かに語気は強めだったけど、お嬢は一体何を頑張ったのだろう。

お嬢を怒らせたから、控えているポチが睨んでくるが平気だ。まだ、委員長の方が視線が鋭くて痛い。どちらかというと、癇癪かんしゃくを起こしたあとのヨハンの膨れっ面に似ている。


「そうそう、ザクに渡すものがあるのよ」


ある程度お嬢を宥めたニコがベンチから立ち上がり、ズボンのポケットから何かを取り出し、俺の両手に握らせた。


「アタシからの誕生日プレゼント」


「おー、ありが……」


にっこりと笑って渡されたプレゼントに、虚を突かれながらも礼を言おうとした。が、手の中の物を見て、一瞬言葉を失くした。


「ニコ、コレ……」


「庭師なんだから、手を痛めちゃダメでしょ」


いや、そうなんだが。

確かに手作業が多いから、手は痛めないに越したことはない。だが、金属の輪が四個連なったニコからのプレゼントは、日常品じゃなかった。

どう見ても、ナックルだ。


人の頭蓋骨にダメージを与える予定はないんだが……


修学旅行のノリで買うことがある木刀より実戦的過ぎるプレゼントに、どう反応したらいいのか判らない。前世のダチもバタフライナイフは買えなかった、と残念そうに安めの万能ナイフをくれたことがあったが、俺は武器を欲しがったことはない。ちなみに、万能ナイフはキャンプで役立った。特に缶切り。

手元のナックルを見て、顔をあげてニコを見る。めっちゃいい笑顔だ。


「……ありがとう、大事にする」


「よかったら、使ってね」


使わない。けど、お守りか何かだと思って、ありがたく受け取る。使うかどうかについては返事をせず、笑い返しておいた。


「さっ、ディア嬢の番よ」


ぱん、と両手を叩いてニコが声をかけると、お嬢はびくうっ、と身を竦ませた。

お嬢はしばらく逡巡しゅんじゅんしたあと、小さく咳払いをして、さっきまでニコが座っていた自分の隣を指し示した。


「ザク、ここに座りなさい」


「? うん」


睨むぐらいの眼力で言われ、意図が解らないもののお嬢の言う通りにベンチに座る。遊歩道のベンチはエルンスト家の人または来客用に設けているから、端の方とはいえ、庶民の俺が座っていいんだろうか。土とかついていたら後で拭いておこう。

座ってから、何をするつもりだろう、とお嬢を見ると、眼が合ったお嬢が怯んだ。


「こ……っ、こちらを見なくていいですわ!」


「んなコト言われても、気になるし」


「もうっ、眼を瞑ってなさい!」


叱られてしまったので、大人しく眼を瞑る。隣で何故か深呼吸する音が聞こえた。そんなに気合いの入ったドッキリでもするんだろうか。

じっと待っていると、数拍後に髪に何か触れた。それは、少しくすぐったい感触で優しく頭を往復する。

親父の粗っぽいものとも、母さんの覆うようなものとも違い、面積が小さかったからすぐには撫でられていると気付けなかった。


「お嬢?」


撫でられていることに気付いて、お嬢の許可をもらわずに眼を開けて、お嬢の方を見る。お嬢はびくりと驚いて一瞬手を止め、引っ込めるような素振りをみせたが、結局俺の頭の上から手は離れなかった。


「ザ、ザクは見習いながらもよくやっていますし、た……誕生日ぐらい、わたくしが直々に褒めてさしあげますわ……っ」


そう言って、さっきより少し忙しなく撫でられる。普通に座ったままだと届きにくいから膝立ちになったお嬢は、俺より少し目線が高い。

どうやらこれがお嬢からの誕生日プレゼントらしい。ただ目の前のできることをしてきただけだったが、それがお嬢に認めてもらえる何かを得られていた事実は単純に嬉しい。


「すっげぇ嬉しい。ありがとう、お嬢」


「……っ! やりにくいから、こちらを向かないでっ」


お嬢を見上げて礼を言うと、また叱られてしまった。わかった、と頷いて、また前を向いて眼を瞑る。

それから、しばらくお嬢が止めるまで撫でられた。終わったとき、眼を開けると視界の端にものすごく悔しそうなポチがいた。



数日後、カトリンさんが俺を呼びにきた。

来客がある日だと事前に聞いていたから、お嬢に会うことはないと思っていた。なのに、呼ばれるとは珍しい。


「あの、お呼びなのはリュディア様ではなく……」


「ではなく?」


「お客様の方なんです」


「は?」


躊躇ためらいがちにされたカトリンさんの説明に、俺は不可解を声に出す。わざわざ俺を指定するようなお嬢の客が思い当たらない。ニコなら勝手にくる。

上流貴族なのは確かだし、呼びにきてくれたカトリンさんにも悪いので、カトリンさんの案内でお嬢とその客がお茶をしている庭先まで向かった。


「お呼びに従い、参りました」


相手を確認するより先にとりあえず頭を下げて、礼を取る。案内を終えたカトリンさんも一度礼を取り、下がっていった。

一応許可をもらってからの方がいいと思って、頭を下げたままでいると、くつくつと可笑しそうに喉を鳴らす音が聴こえた。


「そうか、存外礼儀正しいんだな」


笑い混じりの声に聞き覚えがあり、思わず頭を上げて確認すると、陽光の下に眩しい金髪があった。


「……お前なぁ、視察のときに会うだろうが」


呼び出し主が判って、俺は脱力する。レオに口止めされていたらしいお嬢は、微妙な表情で可笑しそうなレオの様子を窺っている。

護衛のマテウス兄ちゃんは控えながらも少し弱ったように眉を下げていた。ポメの方は……、ひらひら飛ぶ蝶々ちょうちょを追っている。じっとしているのが暇なんだろうが、自由だな。


「渡せる機会が今日だけだったからな」


「渡す?」


俺が首を傾げると、レオが白いリボンで結ばれた薔薇ばら色の布袋を渡してきた。包装だけでも高そうなのもあるが、明らかに女子っぽい色合いが妙すぎて、俺は怪訝な表情カオになる。


「フィルからだ」


「エルナから?」


俺が表情に出した疑問に、レオが答えると、がたっ、と音がした。レオと音の方に向くと、お嬢がテーブルに手をついて立ち上がろうとする体勢で止まっていた。

俺たちの眼に気付いて、お嬢は椅子に座り直して、小さく咳払いをする。


「何でもありませんわ」


お嬢が話を続けるよう促したので、レオは事情を説明する。


「イザークの誕生日を知ったフィルが、先日の礼も兼ねてプレゼントしたいと言ってな」


「なんで、エルナが知ってんだ」


「僕がプレゼントの相談をしたからだ」


けろりとレオは答えるが、なんで俺を話題にあげているのかがさっぱり判らない。そして、エルナに相談したところで俺の好みなんて知らないぞ。

前世でも、俺の誕生日なんて自分の欲しいものを買う口実にしていた。例えば、ちょっとはお洒落をした方がいい、と言って、渡されたヘアクリームは最終的に妹が使っていた。

つっこみどころはあるが、とりあえず中身を確認するためにリボンをほどく。中から出てきたのは、薄い黄色と新緑を思わせる緑色のオッドアイをした真っ白なテディベアだった。


コレを、俺にどうしろと。


高そうだわ、汚しそうだわ、ファンシーすぎるわ、ものすごく扱いに困る品だ。直接持つと速攻で汚すから袋に入ったままの状態で持つ。


「作るのを少し手伝ったから、一応僕からでもある」


「何……、王族って裁縫も習うのか?」


「そんなところだ」


キラキラした笑顔を向けられ、元々渋い表情カオをしていた俺は更に眼を細める。


「……嬉しくない」


「ああ。僕から何を渡しても喜ばなさそうだから、フィルに便乗したんだ」


そんな開き直りいらない。なら、渡さないという選択肢を選べ。

レオの凄くいい笑顔が眩しくて、物理的に眼に痛い。悪気のない笑顔だが、レオが面白がっている気がしてならない。レオはいい性格をしていると思う。


「まぁ、うん。ありがとう」


「フィルにも伝えておくよ」


祝ってくれる気持ちはありがたいので、礼を言うと、眩しめに笑い返された。

一旦、袋にテディベアのクマをしまおうとすると視線を感じた。視線の元を辿ると、お嬢がじとーっとクマを注視していた。


「お嬢、欲しいのか?」


「そ、そんなんじゃありませんわっ」


可愛いものが好きだから、クマを気に入ったのかと思ったが、そっぽを向いて否定された。じゃあ、なんで見ていたんだろう。

クマをしまい直しているところで、思い出したことがあった。


「そういや、今月まだ視察の予定あったよな?」


今日でないと機会がないと、レオは言ったが、手紙でもらった今月の視察予定にはあと一日あったはずだ。俺の誕生月の間に渡すだけなら、そのときでもいいはずだ。

俺が疑問を投げかけると、レオはにっこりと微笑んだ。


「目の前の方が、後々面倒がないだろう」


意味が解らん。

何か考えあってのことだとは判ったが、レオはそれ以上言うつもりがないらしい。レオの言葉の意味は結局俺には解らなかった。

同意を求めるように、レオは一度お嬢の方を見たが、お嬢は知りませんっ、とまたそっぽを向くだけだった。

クマは仕事が終わるまで、使用人控室で預かってもらった。家に持って帰り、今度はちゃんと出すとメッセージカードが添えられていることに気付いた。

夜、寝る前にメッセージカードに書かれていた通りにクマ、正確にはクマの眼に使われている魔石に少し風の魔力を注いでみた。

すると、クマの両目がほんのり光った。


『おっそーいっ、ちょー待ったんですけど!』


クマが喋った。


「エルナ。お前、近所迷惑になるからボリューム落とせ」


書いていた通りの動作とはいえ、本当にできたことに多少驚いたが、それより元気すぎる声量に注意する。


『でも、距離離れても大丈夫みたいね。流石、ロイ兄様の組んだ魔法陣だわっ』


さっきより一段階落ちた声量のエルナの声が自慢気に響いた。どや顔しているのが容易に想像できて、俺は呆れ気味に半眼になる。


「お前のバカみたいな魔力量も相当だと思うぞ」


『バカとは何よ!? 褒めるならちゃんと褒めてよね』


「はいはい、凄い凄い」


心が込もってない、とクマ経由でエルナが不満を訴えるが、凄いとは思っている。

このクマの眼に使われている魔石はエルナの二属性、風と光の魔力が込められており、それが受信機となって微量でも風の魔力を注ぐとエルナ側のクマに通知が届き、あとはエルナが魔力を込めればクマ経由で話せるようになっている。要は携帯電話だ。


「しかし、どうなってんだコレ」


機能は判るが、仕組みが謎すぎてクマを指でつつく。


『ロイ兄様にしたいこと伝えたら、魔法陣を考えてくれたの。音が風で、光でぴゅんって飛ぶ感じだから、たぶん光電話みたいなのよっ』


「お前のそのふんわりした説明で、希望通りの仕組みを組み込めんだからレオはすげぇな……」


難しいことが苦手だから、その辺はレオに任せてエルナは魔力を込めただけだと言う。前も魔具を作っていたし、あの歳で自由に魔法陣を作れるのは奇怪おかしい。妙なところでスペックの高さを発揮する奴だ。


「で、なんでクマなんだ?」


魔法陣を組み込んだ魔石だけあれば機能するはずだ。なのに、どうしてぬいぐるみの形態にしたのか、甚だ疑問だ。魔石だけでも高価だから、受け取るのは結局渋っただろうけど。


『そりゃ、可愛いからよ。コレなら、私が持ってても自然でしょ』


「こっちは不自然なんだよ」


いい歳してクマに話しかけている図を、母さんとかに見られたら恥ずすぎる。

当然のように言うエルナの主張に、俺はつっこむが、こちらの都合など知るかと取り合ってくれなかった。


『ともかくっ、コレで二十四時間通話可能よ』


「落ち着け。俺もお前も二十四時間営業してねぇだろ」


俺にクマを携帯する趣味はないし、エルナも部屋に置きっぱなしになるはずだ。俺は仕事しているし、エルナもお嬢みたいに習い事しているだろう。夜、たまに話すぐらいの時間しか、きっと取れない。


『細かいことはいいのよ! それより、これからもちゃんと連絡寄越しなさいよねっ』


面倒がらずに、と言われるが、既に若干面倒臭くなっている。特に、エルナに話したいことなんてない。


『返事!』


「わかったよ。ったく、なんでこんなもん寄越したんだか」


強引に返事を取りつけられ、エルナに言うでもなくぼやいたら、拗ねた声でクマから呟きが零れた。


『……だって、ロイ兄様やお姉様みたいに簡単に会えないじゃない』


意外なエルナの吐露に、俺は眼を丸くする。前世で兄妹きょうだいだったとはいえ、そこまで淋しがるとは思っていなかった。王女が庶民と会えないなんて、当たり前のことだ。

クマ電話の向こうで剥れているだろうと判り、仕方ないと苦笑する。感覚まで伝わらないと解っているが、ついクマの頭をぽんぽんと撫でた。


「連絡、忘れないようにする」


『分かればよし』


「プレゼント、ありがとな」


『どーいたしまして』


クマの表情は変わらないのに、声だけでエルナがどんな表情カオしているかなんとなく判るのが可笑しかった。


『……そういえば、クマからイザークの声がするせいで可愛さ半減するんだけど、どうしてくれるのよ』


「知らねぇよ」


エルナが、俺に対して失礼なのは一向に変わらないらしい。



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