33.加密列




春が来た。

遊歩道を可愛らしく楽しませていた馬酔木あせびの花があと少ししたら終わる。鬱金香うこんこうは来月までは色とりどりに花壇を賑わせるだろう。

親父は、次に何を花壇に植えるんだろう。当たらないかもしれないが、作業を手伝いながら親父が何の花を咲かせるのかを予想するのが楽しみだったりする。

自習用の庭はどうしようか。今はすみれ蒲公英たんぽぽでお嬢やその妹のフローラが花遊びをしやすくしているが、そろそろ西洋十二単せいようじゅうにひとえの時期だ。背丈があるし、迷路っぽく歩くところを残して咲かせてみると面白いかもしれない。春は黄色や赤系統の花が目立つが、意外と青系の花も多いんだよな。

お嬢とレオの婚約が決まってからも、俺の周囲は大して変わりはなかった。むしろ、ダンスの練習や代打でパーティーに参加することがなくなったから、庭作業に専念できる時間が増えた。それは単純に嬉しい。


けど、喜べなかったんだよなぁ……


ダンスの代打が要らなくなったとお嬢に告げられたとき、嫌だったダンスの練習をしなくてよくなったのに素直に喜べなかった。

ここが前世の妹がしてた乙女ゲー、君星の世界と気付いて、お嬢の婚約は予想される未来だと知っていた。状況としても、そうなる可能性が高いと思っていた。同時に、お嬢が理想の王子様を体現したようなレオを好きになる可能性が充分にあった。

そうだったら、おめでとうと言う準備はできていたのに。

なのに、お嬢は恋愛感情でレオを好きじゃないと言った。

好きじゃない相手と婚約した場合の言葉は用意していなかった。お嬢の清々しいほどに覚悟した表情カオを見て、俺が口出しできることじゃないんだと思い知った。どういう言葉を贈れば正解か判らなくて、結局俺より余程カッコいいお嬢を褒めることしかできなかった。

思ったより覚悟ができていなかった自分が情けなくなった。

俺はエルンスト家の庭師見習いだ。お嬢が選ぶ道を応援して、見守ることしかできない。モブですらないのに、見守る覚悟がちゃんとできていなかった。

軍手を嵌めた手をぐっと握る。

力になれないからこそ、せめてお嬢が喜んでくれる庭を造れるようにならないと。

気合を入れて、手が止まりかけていた作業を再開する。


「わぁ、可愛い!」


「お気に召していただけましたか?」


「はいっ、とっても! ロイ兄様に聞いていた通り、エルンスト家の庭はすごく素敵ですね」


「僕は嘘は言わないよ」


「分かってますー。あっ、天道む、し……」


はしゃぐ声がしたかと思ったら、眩しい金髪二人分に眼に優しい薄い金髪が温かい陽光の下、鬱金香うこんこうの揺れる花壇にやってきた。

そして、光を反射する面積が一番でかい長い金髪の少女が、飛ぶ天道虫を視線で追った先にいた俺を見つけて固まる。なんだその不味いところを見られたような反応は。別にぶりっこしていた訳じゃないだろうに。


「ザク」


「やあ、イザーク。花壇の手入れか?」


「ああ」


親父が会釈するのに合わせて、俺も軽く頭を下げる。


「フィリーネ様、彼らは当家の庭師ですわ」


初対面じゃないと知らないお嬢が、俺たちを紹介する。すると、流れるような仕草でエルナがスカートを摘まんで礼をとった。


「第三王女、フィリーネ・エルナ・フォン・ローゼンハインです。このような素敵な庭を見れて、とても嬉しいです。ありがとうございます」


主に親父の方に向かって感謝の意を伝える。親父が身に余る光栄です、と返している間にお嬢へ近寄り、詫びる。


「悪い。手入れ終わらせるの遅かったな」


来客があるとは事前に聞いていた。それまでに整えておく予定だったのに。


「いえ、こちらが早かったのです。構いませんわ」


「僕らのせいだ。済まない。フィルがあまりに急かすものだから……」


「そっ、そんなことは……っ」


くすくすと可笑しそうに笑うレオの言葉に、エルナは羞恥に頬を染め言い淀む。その様子を見て、お嬢も微笑ましげに目元を和らげる。


「そんなに楽しみにしていただけて、嬉しいですわ」


「……っ! だだだって、外に出る許可もらえたの初めてで……」


お嬢にまで笑われて、エルナはあわあわと焦って言い訳をする。


「僕で前例を作ってしまったからな」


「前例?」


「フィルが七歳になったんだ」


レオが七歳の誕生日にお披露目パーティーをしたものだから、弟の王子も妹のエルナもそれを機会にプレデビューする流れができてしまったらしい。公式の場で姿を見せたから、城外に出る許可をもらえるようになったようだ。


「ああっと、庭師見習いさん、あの花はなんて言うんですか!?」


「ちょ……っ」


居た堪れなくなったのか、急な話題変更をしてエルナは俺の手を引き、遊歩道の脇に咲く馬酔木あせびのところまで連れてこられた。


「何なんだよ、一体」


「ねぇ、何アレ! 何アレ!?」


「は?」


眼前に迫る勢いで訊かれて、俺は首を傾げる。エルナの指すアレが花じゃないことは確かだが、一体何に興奮をしているんだ。とりあえず、レオたちに今の様を見せたくなくて距離を取ったことだけは判った。

こいつの、テンションあがるものを見つけると逐一報告する癖は前世から引き継がれているらしい。いや、女子は基本そうか。学校に行ってたとき、クラスの女子もよく友達同士で黄色い悲鳴をあげていたもんな。


「リュディア嬢、めっっっちゃ可愛いんですけど!! 何なの、妖精!?」


「ああ。それか」


興奮の原因を知って納得する。前世の妹が美少女のお嬢を見たら突進しそうだとは思っていたが、代わりに俺に突進されることになるとは思っていなかった。まぁ、お嬢に被害がいかなくてよかった。


「お嬢が可愛いのは当たり前だろ。美少女なんだから」


「そうだけどっ。違うのっ、もっとツンツンしたの想像してたけど、中身も可愛いの!!」


エルナが力説してくるが、俺には当たり前のことすぎてさっぱり解らない。


「お前も相当な美少女なのに、お嬢に反応するんだな」


「自分と他人は別よっ。てか、太一……じゃなくて、イザーク何か変わった……?」


「そうか?」


前世の反省を活かして意地を張らないようにした以外、特に何もしていないから前世まえとの違いがあるか判らない。


「とりあえず、眼がチカチカするからそろそろ離れろ」


リアルに眩しい美少女が眼前にいると、眼が痛い。特に金髪。


「やっぱり変わってないっ!」


即前言撤回され、相変わらず失礼だとエルナは頬を膨らませた。

興奮の勢いで握られてた両手に力が込められる。軍手越しだし、女の子の力じゃ別に痛くはない。

そのエルナの手に、別の白い手が重なる。


「……フィリーネ様、手に土がついてしまいますわ」


言いながらお嬢はそっと、俺の手を掴むエルナの手をほどき、自分のハンカチでエルナの手についた土を拭った。俺はお嬢の助けが入ったことに、ほっと息をく。


「あ、ありがとうございますっ」


頬を紅潮させたエルナが礼を言うと、いえ、とお嬢が微笑む。それを見たエルナが、たがが外れた勢いのままお嬢に抱きついた。


「私のお姉様になってください!」


「へ……っ!?」


「おいっ、エルナ! お嬢にセクハラすんな!」


「フィル、そんなことを言っては姉上たちが悲しむぞ?」


「レオ、突っ込むのはそこじゃない!」


「だって、お姉様たちは大好きですが、もう他国に嫁いでしまわれて、滅多に会えませんもの。それに、私、歳の近いお姉様がほしかったんです」


「え、あの……??」


「ね。ね。いいでしょう? リュディア様」


「え、と……」


状況をいまいち飲み込めないお嬢が眼を白黒させている。物事に寛容で妹に甘いレオは笑顔で事の成り行きを見守るだけで、助け船を出す様子がない。

俺は仕方がないと溜め息をいて、お嬢に抱きついて離れないエルナの首根っこを掴んで剥がした。


「我儘言ってお嬢を困らせるな」


「イザークのケチー」


ぶぅ、とエルナは剥れる。お嬢の前なのに王女モード解けてるがいいのか。まぁ、俺も王女扱いしていないが。護衛で控えているマテウス兄ちゃんが青褪めているから、早々にエルナを下ろしておく。

剥れるエルナに、お嬢はどうすればいいか弱り、フォローの言葉をかける。


「あの……、フィリーネ様のように愛らしい方に慕われて光栄でこそあれ、嫌なはずがありませんわ」


「では、フィルと呼んでください。お姉様!」


「フィ、ル様……?」


「はいっ、お姉様」


満面の笑顔でエルナはまたお嬢に抱きついた。完全にお嬢に懐いている。そして、距離の詰め方が強引だ。


「ごり押しだなぁ」


「フィルは昔から甘え上手なんだ」


俺が呆れると、レオが長所だと妹自慢をしてきた。まぁ、お嬢は人見知りな方だから強引な方がいいのかもしれないが。


「それで、フィル様……」


「はい、なんですか? お姉様」


何故か悄気しょげた様子でお嬢が訊いた。


「ザク……、当家の庭師見習いと随分打ち解けてらっしゃるんですね……?」


にこにこと笑った笑顔のまま、エルナの表情がぴしりと固まった。そして、すぐさま硬直を解き、必死の形相で迫る。


「違いますよ、お姉様!? 私の理想はロイ兄様のようにカッコよくて賢い方です! イザークなんて論外ですっ、眼中にありません!!」


「けれど……」


「ぼさっとしてないで、イザークも誤解を解きなさいよ!」


「へ、何の?」


「あんたと私の仲を疑われてんのよ! 気付け、バカ!!」


「はぁ!?」


何をどうしたらそんな誤解が生まれるんだ。今バカ呼ばわりした相手だぞ。レオたちといいなんなんだ、貴族は恋愛脳なのか。スイーツとかいうやつなのか。ただタメ口利いただけじゃねぇか。

前世の妹との仲を疑われるなんて、本気で嫌だ。だから、エルナもこんなに必死で訂正しているのか。状況を理解して、俺は全力で否定する。


「お嬢っ、絶対ないからな!? ただの迷子その二なだけで、ちょっと顔知ってるぐらいのヤツだからな!」


「けど、ザクが女性とそんなに親しく話しているのを見たことありませんわ……」


「だから、それは……っ」


前世で血が繋がっていたからだと言えたらどんなにいいか。もしその理由を信じてもらえたとしても、結局今は他人なことには変わりない。他人と思えない他人なだけだ、とどうしたら信用してもらえるんだ。


「フィル様はとても可愛らしいですし……」


「確かにエルナは美少女だけど、俺にはお嬢の方が可愛い!!」


「……っな!?」


「瞳だってエルナの宝石みたいな青より、お嬢の花弁はなびらみたいな薄い青の方が好きだし、それに、」


「わわわ分かりましたから、その口を閉じなさいっ!」


どうにか誤解を解きたくて言い募っていたら、気付けば顔を真っ赤にしていたお嬢に叱られた。


「もう誤解しないか……?」


またお嬢に誤解されたら弱るしかない。心配になって見つめて確認すると、お嬢はぶんぶんと縦に頷いた。


「二度としませんから……っ」


「よかったぁ……」


誤解が解けた安堵で、力が抜けたように表情が緩んだ。

お嬢が真っ赤になるほど怒らせてしまったのは申し訳ないが、誤解されたままなのは死活問題だから、誤解が解けて本当によかった。


「…………ロイ兄様?」


「なんだい、フィル」


「お姉様は、ロイ兄様の婚約者ですよね?」


「そうだよ」


「いいんですか?」


「仲が良くて何よりじゃないか」


何を話しているのか聞こえなかったが、にこにこと笑うレオを見て、エルナが嘆息していた。

何故か、このあと別の意味でもバカになったと、またエルナにバカにされた。




ともかく、お嬢の誤解が解けて、俺は晴れやかな気分でその後を過ごした。数日が経ち、今度は別の人間をつれてお嬢が来た。お嬢の背後に控える、お嬢と同じ歳ぐらいの少女はカトリンさんと同じメイド服を着ていた。真っ直ぐな黒髪を肩過ぎぐらいで綺麗に切り揃えている。


「……やしきの敷地内ですのに」


「敷地内であろうと誰か一人は従えていただかなければなりません」


肩を落としぎみなお嬢に、きっぱりと言い返す様子は師匠こと執事のハインツさんに少し似ている。けど、この少女の方が言葉は強めだ。


「お嬢、誰?」


「ザク、彼女は……」


「リュディア様に使用人の分際で無礼な!」


お嬢が紹介しようとするより先に、毛を逆立てた猫のようになった少女は十字の先が尖った金属を袖から出して俺に向かって突いてきた。脅しで喉元に突きつけるだけだとは判っていたが、とりあえず避けておく。


「ああ、護衛か。スティレットなんて仕込んで物騒だな」


十字架のような短剣は、俺が知っているものより小さい。服に仕込めるように小型に造られたものだろう。


「なっ、庭師如きに避けられるなんて……!」


「俺のことはどうでもいいから、後ろ」


ちょいちょいと後ろを見るように指さすと、苛立ちながらも少女は振り返った。


「後ろがどう、し……」


振り返った先には、悲鳴もあげれずに息を詰めて顔面蒼白になったお嬢がいた。お嬢の様子を見て、不味いことをしたと気付いたらしい少女が固まる。

お嬢は暴力沙汰を見るのに慣れていない。ニコとするミット打ちだってスポーツだと思っている。俺もお嬢は慣れないままでいた方がいいと思っているし、俺も慣れたくない。


「護衛なら、お嬢主人を恐がらせるなよ」


「うぐ……っ」


俺に言われたくなかったんだろう、少女が渋面になる。判りやすく避けたから、俺が無事だと解ったお嬢は怒った表情になり、一度ぎゅっと唇を閉じてから口を開いた。


「エミーリア……、彼は仮にも同僚でしょう。わたくしの敵と味方の区別もつきませんの?」


「し……しかし、この男はリュディア様に無礼を働いて……っ」


「エミーリア」


「……っ申し訳ありません」


お嬢が俺以外に叱るのを初めて見た。エミーリアと呼ばれた少女は悔しそうにしながらも、謝罪の言葉を口にした。


「わたくしではなく、ザクに……っ」


「いいって、お嬢。俺の口が悪いのが原因なんだし」


「貴様、まだそのような無礼な口を……!」


「エミーリア」


お嬢がきっと睨むと、エミーリアは閉口した。目つきならエミーリアの方が鋭いが、お嬢がまだ怒っているから気迫で負けている。

けど、エミーリアの指摘通り、俺の態度が身分差を無視したものなのは確かだ。


「んー……、年下の同僚ができたなら示しがつかないよな。態度改めて……」


「っ駄目!」


「「え?」」


唐突な大声にびっくりして、俺とエミーリアはお嬢の方を見る。反射的に声をあげてしまったらしいお嬢は、咄嗟に口を手で塞いだが、既に出てしまった言葉は返らない。

眉を下げて、頬を染めながらお嬢はぽつりぽつりと呟く。


「い……今更、ザクにかしこまられるのは……、嫌、ですわ……」


喋るごとに小さくなりそうな様子で言うお嬢を見て、エミーリアは唸りだしそうな表情カオで悩んだあと、長い溜息を吐き出した。


「分かりました。彼については黙認しましょう」


「っありがとう、エミーリア」


理解を得たことが嬉しかったんだろう。お嬢が表情を綻ばせると、どう反応すればいいか判らないようでエミーリアは弱り切った表情カオをした。

とりあえずの和解を得たので、俺は挨拶をしておく。


「庭師見習いのイザーク・バウムゲルトナーだ」


同僚だし握手をしようと手を差しだしたけど、ぎっと睨まれてそっぽを向かれた。


「……エミーリア・フォン・ペヒシュタイン。リュディア様に眼をかけていただいているからって、調子に乗らないで」


なんだか態度に凄い敵意を感じるけど、猫の威嚇みたいなものだと思って俺は気にせず笑う。


「うん、よろしく。委員長」


「は!? 妙な呼び方しないで!」


感じた印象のままに呼んだら、目くじら立てられた。


「えー、なんか風紀委員とかしてそうじゃん」


「風紀や礼節を重んじるのは当然でしょっ、何故それにわざわざ委員を付ける必要性があるのよ!?」


「ほら、委員長っぽい」


「だから!!」


委員長に噛みつかれ、結局喧嘩をするなとお嬢に叱られた。何故か、俺まで。俺は普通に話していただけなのに、解せん。

俺は内心、公爵様が約束通りお嬢に護衛をつけてくれたことに安堵した。これでお嬢が危ない目に遭う確率が減る。




また数日後、別の護衛らしい少年をつれてお嬢が来た。今度はニコも一緒だ。

既にお嬢が疲れている様子なのが気になる。どうしたんだろう。


「ザクー、会いたかったわっ」


「はいはい。さんきゅな」


出会い頭に抱きついてくるニコを、単にミット打ちが楽しみなだけだと解っているので好きにさせる。

護衛の少年が、こちらを見て口をはくはくさせているのは放っておいて、少し剥れたように見えるお嬢に声をかける。


「お嬢、大丈夫か?」


「っべ、別に妬いてませんわよ!?」


「? いや、そうじゃなくて」


見当違いの答えが返ってきた。俺に張りついているニコに揶揄からかわれる前に先手を打ったのかもしれないが、俺が心配しているのはそこじゃない。

動きにくいからちょっと待っているように伝えてニコを剥がし、俺はさっきまで作業していた花壇に向かう。見繕った花を摘んで、その束をお嬢に渡した。


「ほい」


「これは、加密列かみつれ?」


お茶の香りで知っているようで、お嬢はすぐに花の名前を当てた。疲れを癒す効果があるハーブだから、お茶にもポプリにも使える。


「ん。ちょうど間引きしてたから。あ、でも、これはちゃんと選んで摘んだヤツ!」


「ふふっ、デニスに叱られても知りませんわよ」


「あ……」


そこまで考えてなかった。とりあえず、お嬢の表情が和らいだからよしとしよう。親父にはあとでちゃんと言って拳骨食らう。


「なんだお前! 両刀と言うやつか!? リュディア様に魔の手が……!!」


いきなり俺を指をさして少年が喚いた。お嬢の護衛は元気な奴が多いな。というか、意味解って言ってんのかな。なんだかヨハンを思い出す。


「さっきからこの調子で、アタシにもキャンキャン吠えてくるのよ」


俺の首に腕を回しながら、ニコが言う。被害報告しながら、更におちょくるのは止めた方がいいと思うが。


「両刀……?」


「お嬢、覚えてもあんま意味ないから気にするな」


少年の言葉の意味が解らず首を傾げるお嬢に、意味を知っても面白くないことだと釘を刺す。

主にニコのオネエ演技が原因で誤解されているみたいだが、挨拶も兼ねて訂正しておく。


「俺は庭師見習いのイザーク・バウムゲルトナーだ。ニコとはダチなだけだぞ」


握手で差し出した手を、はたかれる。


「俺は、イェルク・フォン・コルヴィッツ! 代々騎士を輩出しているコルヴィッツ伯爵家の者だ。リュディア様の騎士として、お前の毒牙に゛!?」


薄茶の短髪頭にべしりと平手打ちが入った。ニコの。


「……ニコ」


「だぁって、このクソガキ、アタシのザクに失礼なんだもの」


アタシ悪くない、と首に抱きつかれる。友情に厚いのは嬉しいが、日頃からミット打ちしてるニコの平手はなかなかに痛いと思う。あと、若干素が出てるぞ、ニコ。

はたかれた頭頂部を両手で押さえて、イェルクは唇を噛み締めている。やっぱり痛かったらしい。


「何するんだ、このオカマ!!」


「オネエよ。まだザクに噛みつく気なら、容赦しないわよ」


「俺はリュディア様をお守りしているだけだ!」


ニコとイェルクが睨み合う。俺とお嬢はどうするか困り果てる。

お嬢がさっき疲れていた理由が判った。きっとここにくる前もニコが煽って、イェルクが馬鹿正直に引っかかったんだろう。しかし、イェルクって呼びにくい名前だな。噛みそう。


「ディア嬢、アンタのとこのポチなんだからきちんとしつけなさいよ!」


「わ、わたくしですのっ?」


いきなりニコに話を振られて、お嬢は困惑する。


「そうよっ。ほら、コレを遠くに投げて取ってこい、て言ってみなさい」


ニコはその辺に、落ちていた木の枝をお嬢に投げるように指示する。


「ニコ、そんな犬みたいなこと本気でするワケ……」


「と……取ってこーい、ですわ」


訳が解らないままお嬢が投げた枝は、ひょろりと数歩先に落下した。


「っぶ」


お嬢の攻撃力が低かったことを失念していた俺は、不意打ちで思わず吹き出してしまう。

咄嗟に拳で口を押さえたが、羞恥で頬を染めたお嬢が、笑うなというように睨んでくる。


「ごめ……っ、お嬢が可愛くて、つい……」


ツボに入ってしまって、笑いを噛み殺せないまま謝罪したのが悪かったようで、お嬢は更に顔を赤くする。


「~~っ!!」


「どうぞ」


怒ったお嬢が、攻撃力の低い拳を振り上げようとしたところに、イェルクがお嬢の投げた枝を両手で差し出した。疑問を持たない笑顔を向けられ、お嬢は動きを止める。

見えない尻尾をぶんぶん振っているように見えたのは、俺だけじゃなかっただろう。


「やっぱりポチじゃない。ディア嬢、躾頼んだわよ」


「躾なんてしませんっ!」


お嬢の全力の否定がエルンスト家の庭に響いた。




そのまた数日後、お嬢がまた知らないメイドをつれてやって来た。お嬢の護衛、何人いるんだろう。これ以上いたら覚えるの大変なんだが。

お嬢と同じぐらいだと思うが、小柄な少女は一回り大きいメイド服を着ていて、袖口から手が見えない。真っ直ぐ歩かず、ゆらゆらとした歩調で切り揃えられていない亜麻色あまいろの髪が合わせて揺れるから蒲公英たんぽぽみたいだ。


「お嬢、そのも護衛?」


「ええ」


「こんにちわー。ペトラ・フォン・ダマーですー。お嬢様の護衛兼メイドをしてますー」


へらりと笑うペトラは間延びした声で、手の見えない袖口を差し出してきた。相手から握手を求められたのは初めてだ。


「俺は、」


「庭師見習いのイザーク・バウムゲルトナーさんですねー」


袖越しに手を握り返して、名乗ろうとしたら逆に名前を言い当てられた。


「ワタシの家系はー、宰相直属の監察部隊なので情報収集はお茶の子さいさいなんですー」


「そうなのか」


どうして知ってるのか、訊くより先に答えられてしまったから、俺は頷くしかできない。


「軍人一家のエミーリアや、騎士の家系のイェルクみたいには戦えませんけどー、情報収集なら得意ですよー」


貴族社会は情報操作が肝心だと、師匠から聞いたことがある気がする。武闘派ばかりだと脳筋の集まりになるから、ブレーンがいた方が確かにいいのかもしれない。


「そういえばー、こないだは二人が失礼しましたー。ハインツさんに報告して叱ってもらったんで許してくださーい」


「いや、怒ってないけど?」


いつの間にそんなことになってたんだ。委員長はお嬢に叱られたし、ポチはニコにはたかれたし、叱るにしてももう充分だと思っていた。そもそも俺は怒ってない。


「ていうか、何で知ってるんだ?」


ペトラはその場に居なかったのに、どうして事情を知っているんだろう。あの二人が事情を説明したとは思えない。


「おおー、眼の付け所が違いますねー。でもー、企業秘密なのですー」


「そっか。聞いて悪かったな」


俺が謝ると、何故かペトラは笑ったまま一瞬止まった。そして、またへらりと笑う。


「イザークさんは、面白いですー」


「あ。よかった」


「はいー?」


「ちゃんと笑えるんだな」


ペトラは最初からずっと笑っていた。けど、ずっと同じ笑顔で、きっと師匠の表情があまりないのと同じようにペトラも笑顔がデフォルト状態なんだろう。

でも、さっきは確かに面白そうに目元を細めたから、本当に可笑しくて笑ったんだと判断できた。


「わたくしも安心しましたわ。ペトラがずっと笑わないから、何か気に障ったのかと心配しましたのよ」


「表情変わらないと心配になるよな」


よかったと笑うと、お嬢も嬉しそうに微笑んだ。お嬢も同じことを気にしていたらしい。

ペトラは、俺たちをじっと見つめたあと、袖口を口元に当てて可笑しそうに笑いだした。


「ふふふー、お二人とも気に入りましたー。これから、よろしくお願いしますー」


「ええ、改めてよろしくお願いいたしますわ」


「おう、よろしく。ペトラ」


挨拶をすると、何故かペトラから苦情が出た。


「ワタシだけ仲間はずれですー」


「へ?」


「ワタシだけ、名前ですー。仲間はずれはんたーい」


「えぇ?」


腕をぱたぱたされて渾名をつけることを要求された。委員長は俺が勝手に呼んでるだけで本人の了承を得ていないし、ポチに至っては俺がつけた訳じゃない。


「えーと、じゃあ、……ポメ?」


なんかポメラニアンっぽい。ポメラニアンも笑ったみたいな顔がデフォルトだけど、常に楽しい訳じゃないだろう。髪色だけじゃなく、そんなところも似ている。


「わーい、ポメー」


何度もポメポメ、と繰り返しているところからするとどうやら気に入ったらしい。こんな安直なネーミングでいいんだろうか。


「じゃあー、可愛い渾名をつけてもらったお礼にー、お嬢様がそのロケットを渡すまでにかかった期間を教えてあげますー」


「どうして、来る以前のことを知っていますの!?」


お嬢が毛を逆立てそうな勢いで問い質すと、ポメは企業秘密だと笑顔のまま答えるだけだった。

とりあえず、お嬢が可哀想なぐらいに真っ赤になっていたので、情報提供は断っておいた。

春は出会いの季節というが、今年は随分と賑やかだ。何はともあれ、護衛の増員が俺の覚えられる人数でよかった。



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