三章
32.ゲーム
生まれたときから前世の記憶があった。
けど、それどころじゃなかった。
物心つき始めた頃、前世の記憶があると気付いたけど魔力量が多く生まれてしまったせいで制御ができず、発作のように魔法を発動してしまう体質に悩まされていた。徐々に周囲の人が自分を怯えるようになり、侍女など含めて限られた人間しか近寄れなくなった。
自分で自分が気味悪くて、嫌いになりかけていたのを救ってくれたのが兄様だった。
兄様は、最初から私が
だから、兄様と同じ顔をしているのが嬉しかった。みんなも似ていると褒めてくれる。それが、とても誇らしかった。
兄様が忙しくて会えないときでも、鏡を見れば同じ顔がある。自然と、鏡を覗く習慣ができた。
そして、ふと気付く。
この顔を知っている、と。
自分の顔なのだから、知っていて当然だ。だが、そうではなく。他人の顔として知っていることに気付いた。
自分の名前を呟く。
「……フィリーネ・エルナ・フォン・ローゼンハイン」
知っている。やっていた乙女ゲームの中でも大好きな
ハッピーエンドにいくためにはロイ様本人ではなく、選択肢によってはフィリーネに会って話を聞かないとフラグが立たない。ロイ様本人からは聞けない話を教えてくれるので、ロイ様の次に好きだったサポートキャラだ。
「ココ、君星だ……!」
前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム、君だけの小さな星-Dein einziger Sternchen-の世界に転生していると気付く。しかし、鏡に映った自分の顔に悦って気付く、というのはどうだろう。
「そうか。そりゃフィリーネはロイ兄様を好きになるわ」
持っていた手鏡の向こうにいる自分に話しかける。
フィリーネは王女で城から出ることが少ないはずなのに、君だけの小さな星-Dein einziger Sternchen-こと略称・君星の舞台が王立魔術学園にもかかわらず登場する。兄であるロイを心配して、定期的に様子を見に来るのだ。前世では兄がイケメンだから当然だ、と思っていたが、よく考えれば、いくら兄妹仲がよくてもそこまで慕うのは
「フィリーネ様、鏡に向かっていかがされたのですか」
一人納得して、うんうんと頷いていると、侍女のテレーゼが怪訝そうに声をかけてきた。彼女も生まれたときからずっと傍にいてくれる。叱られるときは怖いが、自分を本当に心配してくれていると知っている。
「テレーゼ、あのねあのね、すごいことに気付いたのっ!」
気付いたことが嬉しくて、近寄りながら報告するとテレーゼは僅かに首を傾げる。
「何に気付かれたのですか」
「私ね、王女様だったのっ!」
どうだ、と興奮気味に教えると、今度はテレーゼは本気で首を傾げた。怪訝の度合いが皺の深さで判る。
「左様でございますね」
「だからねっ」
そんなテレーゼに構わず、報告を続ける。今決めた決意を聞いてほしくて仕方がない。
「私が兄様を幸せにするの!」
「……逆ではございませんか?」
肉親とはいえ、通常は男性が女性を幸せにするものではないのか、と世間一般の価値観をテレーゼは提示する。脈絡のない根拠については指摘をしない。一応、自分の中では繋がっているのだが、テレーゼにとって脈絡のない思いつき発言を聞くのはいつものことだ。
「いいのーっ、兄様に幸せにしてもらった分を返すの!」
前世でも今も、兄様にはいっぱい幸せをもらった。だから、それを返すのだ。
ゲーム通りにこの世界が進むのかなんて兄様が学園に入る頃にならなければ、判らない。それまで、フィリーネがどうしていたかなんてサブキャラだからほとんど知らない。すべてのルートに干渉してるキャラじゃないから、きっと状況を聞いて、どのルートに入っているかを判断するしか自分にはできないだろう。
ならば、とりあえずひたすらに兄の幸せを応援しよう。
今後の人生の目標が決まって意気込んでいると、テレーゼが呆れともとれる嘆息を零した。
「……フィリーネ様は
「だって、難しいことを考えるのは苦手なのよ」
褒める以前の指摘が手厳しすぎて、むぅ、と剥れると仕方なさそうに苦笑された。
「フィリーネ様らしいと褒めています」
「褒めるならもっとちゃんと褒めてっ」
賛辞の訂正を求めたが、あっさりと流された。
その後、兄様を幸せにすると決意をしたものの、相変わらずの日常だった。
ロイ兄様ともう一人の兄であるクラウス兄様の仲を取り持とうと試みているが、それは単に兄弟でギスギスしてほしくないからで自分の我儘だ。自分にできることといえば、幼いのに働きづめになりそうな兄様をお茶に誘って敢えて邪魔をすることぐらい。
地味だ。
王女だからもっとどかーんと派手なことができるかと思ったが、王女としてマナーなどのお稽古を日々こなし、息抜きに兄たちとお茶をして過ごす。とても残念だ。もっと凄いことができると自分に期待していたが、意外とそんなことはなかった。
あまりにも残念だったので、制御の練習がてら自分の魔力で何ができるか合間に色々試した。光属性自体が珍しいため、光属性と風属性を組み合わせた複合魔法の資料は文献にもなく、自分で模索するしかなかった。
複合魔法の模索過程でホログラム通話を可能にしたときはSFだ、とテンションがあがったが、見せた途端、テレーゼや兄様から他言厳禁にされてしまい、三角座りで数時間拗ねた。
自分の魔法の使い道を見出せば見出すほど、城外に出ることを制限された。前世の記憶で外で遊ぶ楽しさを知っているせいか、単に行動範囲を制限されていることによる反発か、外に出たくて鬱屈していた。
そんな頃に、兄様からゲームで知っている名前を聞くようになる。
「エルンスト家の庭は実に見事だったよ、フィルにも見せたいぐらいだ。リュディア嬢が自慢するのも頷ける」
「そんなに素敵な庭なんですね。それで、リュディア様は本日はどのような装いを?」
「
女の子だからファッションが気になると思っているようで、兄様は訊けばにこやかに答えてくれた。けど、聞けば聞くほどゲームで知るリュディアと違い、内心首を傾げる。
幼少期の回想スチルでリュディアは真っ赤なドレスを着ており、ゲームでの私服も攻撃的な赤系が多かった。しかし、兄様から聞く彼女の服装は当初から攻撃的とは程遠い淡い色合いばかりだ。そもそも、回想スチルはロイとリュディアの出会いで、ダンスで
だが、実際のドレスは青、転けるどころか一番上手に踊っていたと兄様は絶賛していた。
どういうことだ。
君星で知る彼女と兄様から聞く彼女が違いすぎて、人物像が想像できない。
「それにしても、ロイ兄様……最近楽しそうですね」
自分が何もしなくても、兄様が楽しそうなのが嬉しくもあり、何もできない自分が悔しくもある。リュディアに会った頃からのように感じるから、彼女が原因かもしれない。
「そうか? うん……、そうかもしれないな。これもよい友人を得られたからだろうな」
兄様の輝くような笑顔が眩しい。血の繋がった自分はどうしたって兄様の友達にはなれない。喜ばしく思う反面、家族の肯定だけでは兄の幸せには足りない事実が少し淋しく感じた。
そして、その感情とは別に興味が湧く。
「それは、よかったです。私もリュディア様にいつかお会いしたいです」
実際の彼女はどんな人なのだろう。ここまでゲームと違うということは、自分のように転生者だったりするのだろうか。そうだったら、前世のことを話せる相手ができる。そうでなかったとしても、兄様の婚約者になるかもしれない相手は気になる。
彼女と会いたい、と思うことも外へ出たい欲求を増長させた。
そのせいだろう。あのときの誘惑に勝てなかったのは……
「詰んだ……」
城下町の片隅でうずくまる。本当なら地面に手をつきたいほどの心境だが、ドレスと手が汚れるからできない。
兄様が城下へ視察に行くと聞いていたので、見送りをしようと書斎を訪ねたら兄様の外套がソファに無造作に置いてあった。誰もいなかったのでこっそり着てみたところに兄様と従者が書斎に入ってきて、自分に気付いていない様子で二人が話し始めたものだから、驚いた。
透明になるマントのような効果にときめいてしまったのは仕方ないと思う。魔法のアイテムの効果を初めて生で体験したのだから、興奮必至だ。つい面白くなってそのまま兄様についてきてしまった。
はぐれたのは誤算だ。
思ったより人が多すぎた。
このまま迷子になって誰にも見つけられなかったらどうしよう。
「いやっ、ゲーム本編までは大丈夫なはず。でも、今コレ脱がないと誰にも気付かれないワケで……」
王女の自分が消えれば大捜索になるはずだが、城内かくれんぼを得意とする経緯から不在に気付くまでもうしばらくかかることだろう。城下町に来た当初は初めて見るものが多くてテンションがあがったが、今はどん底だ。全部、自分の自業自得感が辛い。
「お前、大丈夫か?」
背後から声がかかった。透明になるマントに近い誰にも気付かれない外套を着ている自分に声をかけていなかったら、この声は壁に向かって話しかけていることになる。
気付かれると思っていなかったから、心臓が飛び出るかと思った。
本当に自分に声がかかっているのか疑問に思いながら、恐る恐る振り返ると、どこにでもいそうな少し年上らしい少年が確かにこちらと眼を合わせていた。
誰??
心配してもらって悪いが、全然知らない人だ。そもそも、なんで他の人が気付いていない自分を見つけられたんだろう。
「お前、レオの妹か?」
更に知らない名前を出されて困惑すると、兄様の名前で訂正して訊き直されて驚く。確かに、兄様のミドルネームを略称にすればレオだ。
彼は、自分が怪しんでいることを察したのかエルンスト公爵家の者だと身元を明かして、兄様と関わりある理由も説明してくれた。迷子になった事情を聞き出すと、ぽんと頭を撫でられた。
「もう大丈夫だ。兄貴のトコにつれてってやる」
兄様にまた会える。その事実に安堵でいっぱいになり、泣きそうになる。一瞬でも、二度と家族に会えない可能性が
どうにか泣くのを堪え、促されるままに少年の背に乗って案内してもらう。名前は兄様の真似をして、ミドルネームを教えた。
イザークと名乗った彼は、王女と正体を知ってるのに普通に話す変わった少年だった。もしかしたら、平民には身分がかけ離れすぎていて実感がないのかもしれない。そして、自分が兄様と顔以外が似ていると初めて言われた。
兄様と自信を持って血縁だと言えるのは顔だけだと思っていたから、彼を変わっていると思いながらも、その評価が嬉しかった。賢い兄様と違って、自分は感性で行動してしまうから顔が似ていなかったら兄妹と信用してもらえないんじゃと、どこか不安だったのかもしれない。
背負われて届く振動と体温が無性に安心する。
前世で小さいとき、仲間はずれにされるのが嫌で兄貴についていったら、疲れ果てて歩けなくなった。だから嫌だったとか、置いていくとか、散々文句を言われ泣き喚いたら、結局兄貴が背負って帰ってくれたっけ。
前世の記憶は、自分じゃないと解っていても思い出すとなんだか懐かしい。
だからだろうか。知らず、前世の口調が口を
「
ふっと笑われた感想。
本当なら耳馴染みがないはずの名前。けれど、とても耳に馴染んだ名前。
思考が一時停止する。
自分の名前を呼ばれた。前世の。
「…………太一?」
「は? マジで夕歌なのか??」
少年の足が止まって、また呼ばれる。前世の記憶を思い出した錯覚かと思ったが、違ったらしい。
現実だと理解したら、反って状況に混乱した。
全然知らない人が、前世の兄だったとか何だ。
いや、太一が攻略対象の誰かになってたら爆笑するか、他の身体になるように文句を言うかの二択だけど。君星にすら出てこない人物になっていた場合、一体どう反応するのが正解なんだろう。
ぐるぐると考えてみたけれど、他人行儀に話したことが損だった、という感想しか湧かなかった。
太一はバカな兄貴だった。頑固親父な父さんとしょっちゅう喧嘩して、友達とバカばかりやって、バカだから勝手に事故に遭って逝った。普通に家に帰ったら、お母さんが受話器を落とすところを見るなんてよくあるドラマみたいなこと起こるとか思わない。しかも、病気だったのを後になって知るなんて……
しかも、転生してから謝るなんて、ホントバカだ。
どうしようもない兄貴だ。どれだけバカだと言っても足りない。
ロイ兄様と大違いだ。
そうだ、ロイ兄様。私の今の兄は、ロイ兄様だ。
モブですらない太一、いやイザークが勝手にやっているなら、こちらも全力で勝手にするまでだ。
兄様と合流しイザークとの別れ際、ライバル令嬢側らしい彼に宣戦布告した。彼も同様に宣戦布告してくるから、闘志が湧いた。兄様にイザークとの仲を疑われたのは大誤算だったが……
「ロイ兄様」
「なんだ? フィル」
帰りの馬車で、お土産にもらったクッキーを食べながら兄様に話しかける。食べたクッキーは素朴な味がして、前世で飽きるほどに食べたおからクッキーを思い出した。
「してくれないでしょうけど、言っておきます。私は何かあったら相談してほしいです」
「どうしたんだ? 急に」
「急じゃありません。私、知ってます。ロイ兄様が何かしようと企んでることっ」
「企むとは酷いな」
兄様は蜂蜜色の瞳を瞠目させて、それから苦笑する。微笑むだけで話す気がないのが判り、予想通りの反応に剥れてそっぽを向く。
「どうせ妹の私になんて相談するには力不足でしょうけどっ!」
兄というものは妹に相談しない。太一もそうだった。それは解っている。
「それでも、勝手に心配しますからね!」
指を突き立てて宣言すると、兄様は驚いたあと、お腹を抱えて笑いだした。
「はははっ、フィルには敵わないな」
「もうっ、私真面目に言ってるのに!!」
怒ったら、真面目に聞いている、と兄様は答えたけど、絶対嘘だ。
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