27.香水




紅葉が始まりだした。もう少ししたら落ち葉集めをしないといけない。

そんな季節の移り変わりを感じながら、俺は花壇の花の植え替えを手伝っていた。元々植えていた分は、まだ少しの間は咲いているので使用人出入口付近に避けさせてもらって、種になるものはそれを待ち、種植えの時期がきたら育てて使う。月下香げっかこう鬱金うこんなどは球根だから花だけ切って、もうしばらくしてから一旦掘り上げて保管場所で越冬させる予定だ。

終わりかけの松笠菊まつかさぎく羽衣草はごろもそうを鉢植えに移し、台車を使って使用人出入口付近へ運ぶ。邸の出入口から塀の勝手口の扉まで道が続いているので、その道沿いに鉢植えを置けば陽当たりが確保できる。

花壇の面積があり、往復距離も結構あるから数日はかかる作業だ。体力はいるけど少しずつ、花の絨毯が変わっていくのは面白い。親父が新しい花を植え、俺が咲き終わる花を下げる。

昼下がりになって今日の分の花を下げ終わった。一日中この作業だけしてしまうと庭全体の点検などができないからだ。汗を手拭いで拭いていると、邸の使用人出入口から見知った人が出てきた。


「こんにちは、カトリンさん。買い出しですか?」


「イザークさん、こんにちは。はい、茶葉や珈琲コーヒー豆などを買い足しに」


お嬢付きのメイドのカトリンさんに挨拶すると、挨拶し返してくれた。財布が入っているであろう小さいポシェットを下げて、メモを持っている。

なんだか少し弱っているように見えて、訊いてみた。


「どれぐらい買うんですか?」


「珈琲は豆の状態で買うので少し多めなんです」


メモを見せてもらうと、確かにカトリンさん一人では重そうな量だった。ちょっとだけ考えて、俺はカトリンさんに頼んでみる。


「あの、荷物持ちでも俺が一緒に行ったら迷惑ですか?」


「え……」


「貴族向けの高い店とか行く機会がないんで、外からでも見てみたくて」


俺みたいな庶民が店の中に入れる訳がないのは解っている。けど、店の外装だけでも観察できれば庭作りの参考になりそうだ。

この後は、庭の見回りでそれも大事な作業だし、親父について回るから勉強にもなる。それをないがしろにしている訳じゃないが、俺にはとことん上流階級の美意識が足りていない。今のままじゃ、親父みたいに来客区域の造園ができない気がする。


「構いませんよ」


俺が頼むように見つめると、戸惑いながらもカトリンさんは了承してくれた。


「じゃあ、親父に言ってきます。すぐ戻るんで、少しだけ待っててください」


「慌てなくても大丈夫ですよ……っ」


すぐさま俺が駆け出すと、カトリンさんが気遣う声を俺の背にかけた。けないか心配してくれたんだろう。俺は大丈夫だと伝えるために、片手をあげて振って見せた。

親父に許可をもらって、カトリンさんと中央通りに並ぶ商店に向かう。道一本違うだけで、普段行く市場通りと景色も通る人も違う。基本馬車が行き交い、人がいるのは店の入り口付近かカフェのテラス席ぐらいだ。徒歩かちなのは俺たちみたいな使いの使用人ぐらいだ。

俺は、珈琲の袋を抱えて茶葉やティーセットなどを取り扱っている紅茶専門店の前で、カトリンさんを待っている。市場通りではほとんど品種で店が区別されるが、上流階級向けの店だとこういった一つのジャンルに特化した専門店もあると、今日知った。大きな硝子窓があってそこに商品がディスプレイされている。日本のショーウィンドウみたいだ。

シンメトリーな建物の造りは、エルンスト家の正面玄関辺りの庭にも通じるものがある。やっぱり左右対称とか整理された感じが貴族受けするんだな。綺麗だとは俺も思うが、のびのびと咲いている花や伸びている木が好きな方だから、こういうのも慣れないといけないと思った。未だに花の剪定が下手な俺はダメだと反省する。


救いは、エルンスト家の人たちが豪奢じゃなく上品なのが好みなことだな……


視界に入る店のほとんどが大きな窓に商品などをディスプレイしていた。貴金属店でなくとも、宝石などで眩しく飾ったり、薔薇などの豪奢な造花を散りばめたりして、商品を目立たせようとしている店もいくつかある。うん、眼に痛い。

俺には商品と飾りのどっちを目立たせたいのか判らない。けど、今カトリンさんが入っている店などは、窓辺にあるテーブルにベルベットのテーブルクロスがかかっていて、間に線を引くみたいに真っ白なシルクの帯状の布がその上にかかっている。そして、きっとブランドものだろう統一されたデザインの陶器のポットやティーカップが、飲む直前のように置かれていた。ポットの側には、中身があるかは判らないが店のロゴが入った茶葉の缶がある。さりげないのが上品に感じた。

お使い先の店の雰囲気で雇い主の嗜好が知れるから、やっぱり頼んでついて来た甲斐があった。

そう俺が一人満足していると、目の前を馬車が通過した。

道幅は広いが念のため一歩下がる。思わずその馬車を視線で追い、通り過ぎた先のカフェが眼に入った。

ちょうど昼下がりの時間帯だから繁盛しているようだ。テラス席まで客がいる。陽射しがあるから、テーブルごとの傘が開いて、主に女性のために紫外線を防いでいた。この世界の人って紫外線知ってるのかな。まぁ、知っていなくても日焼けするのが嫌なんだろう。

なんとなくそのまま傘の下にいる客を眺める。そして、ある客二人に眼が止まった。

一方は貴族女性。そのまま夜会に行けるんじゃないかってぐらいに豪奢なドレスをきて化粧も濃い。はっきり言って、ケバい。俺が苦手なタイプだ。

もう一方は、俺と同じぐらいの少年。女顔負けの美少年だった。紫丁香花むらさきはしどいみたいな色の髪が弛くウェーブになっている。美形は雇い先で見慣れてるから驚かないが、不思議と見た目だけで、梔子くちなしみたいな甘い香りがしそうな印象を受けた。


顔色悪っ。


眼を止めた理由は、少年の方が傘の下だからということを差し引いても顔色が悪かったからだ。

顔色の原因は見て判る、隣の女性だ。

家族や親戚のようでもないのに異様に近い。少年の肩を抱き、顔の輪郭を陶然と撫でている。子供に向ける視線じゃない。


痴漢?


いや、その一歩手前のセクハラか。これに権力とかプラスされてたら、パワハラだな。少年が判りやすい抵抗をしていないから、その可能性もありそうだ。


「イザークさん、お待たせしました」


カトリンさんが、紅茶専門店から茶葉の入った缶を手に出てきた。俺はカフェから視線を外して、振り返る。


「いえ、いい勉強になりました。ありがとうございます」


感謝を込めて伝えると、カトリンさんは小さく笑った。


「……っふふ、イザークさんはそういうところに嘘がないから困ります。お礼を言うのは私の方なのに」


困る、というよりは可笑しそうに笑われて、俺は首を傾げる。俺から頼んだのに、なんでカトリンさんがお礼を言うんだろう。

カトリンさんが行こうと促したが、さっきの少年が気になって、俺はもう一度カフェの方を見遣る。


「どうかしました?」


「いや……」


今度はカトリンさんの方が首を傾げた。俺の普段来ない場所だから、カトリンさんには俺が何を注視しているのか判らない。

今日はあくまでカトリンさんの付き添いで来ただけだし、状況判断だけの俺に何ができるでもないと頭では解っている。けど、自分と同じぐらいの奴があんな表情カオしているのを無視はできない。

怯えというより、恐怖だ。隣の女性が少年の意志をおもんばかっているようには見えない。まるで自分の人形で遊んでいるような感じだ。自分の存在を塗り潰される視線を受けるのが、どれだけ恐いか、俺は知っている。

一度周囲を見回すと、ある人物に気付いて俺は声をかけた。


「兄ちゃん!」


「ザクでねぇか。こんなとこで会うなんてめずらしぃなぁ」


厨房で会う料理人の兄ちゃんの一人だ。料理人の兄ちゃんたちの中ではまだ若い方で野菜の下拵えをしているのをよく見かける。坊主頭なこともあって野球部一年みたいな兄ちゃんだ。


「兄ちゃんも買い出し?」


「んだ。いい香り茸が入ったから、おやっさんに言われて……」


「じゃ、コレもついでに頼む! カトリンさん、途中で抜けてすみません!! 先に兄ちゃんと帰っててください」


ちょうどエルンスト家同僚の料理人の兄ちゃんの一人に遭遇したので、俺は持っていた珈琲豆の袋を兄ちゃんに預けて、すかさずカトリンさんに頭を下げる。兄ちゃんによろしく頼む意味を込めて片手をあげて見せ、二人をその場に置いて駆け出した。

二人が名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。

通過する馬車や人を避けて、カフェのテラス席に近付くと食事する場所にはそぐわない匂いが鼻を突いた。

百合の香りを煮詰めて、沈丁花じんちょうげのような鋭さを持たせたみたいな強い匂い。俺は、どちらの花も香りだけは得意じゃない。苦手な香りの濃い空気を吸って、俺は気持ち悪くなる。周囲の客も数名、顔をしかめていた。


「おばさん、臭い」


「なっ!?」


匂いの元の女性にストレートに告げる。女性はいきなり現れて失礼なことを言った俺に驚愕の眼を向けた。


「そんな香水つけすぎたら、飯も茶も酒も、なんも美味くない」


食事をするところで香水をしていると料理の香りを邪魔して味わえない。前世の日本に全席禁煙の店があるのは、料理の味を香り含めて楽しんでもらうためが大きい。

前世の高校時代、ちょっと煙草に憧れた時期があったが、当時の化学のおっさんが吸ってる間は飯が不味まずくなるし、止めたら血管の太さが戻って飯が美味くなるから絶望的にデブるぞ、と自分の腹を叩いて断言したから諦めた。

煙草は規制できるが、香水はお洒落の範疇はんちゅうだから規制が難しい。それは、前世の日本も、このアーベントロート国も同じらしい。周囲の客の何人かが、言いやがったこいつ、みたいな眼を俺に向けた。


「香水ってちょっと香るぐらいがちょうどいいんだろ。おばさん、淑女レディなのにそんなコトも知らないの?」


前世の妹から聞き齧った知識だけど間違ってないだろう。オク様とかそうだし。


「~っなんて無礼な下民なの!?」


ガタン、と憤怒で顔を赤くした女性が立ち上がったのを確認して、俺は少年の二の腕を掴む。俺の発言に眼を丸くしていた少年が、びくりと怯えた眼を向けるので、真っ向から見返す。


「ここに残りたいなら俺の手を振り払え。嫌なら、逃げるぞ」


「え」


少年にだけ聞こえるように言い、俺は少年の腕を引いて走り出す。


「ケバいおばさん、化粧薄くした方がマシになると思うぜっ」


化粧まで濃い貴族の女性へ、去り際に一言告げた。

少年は足をもつれさせながらも、引かれるままに走る。だが、運動慣れしていないのか俺より遅い。

制止の声が背にかかり、ちらりと後ろを一瞥すると女性の使用人か護衛らしき男が二人ほど追いかけてきていた。このままだと追い付かれる。

俺はすぐに曲がって、店と店の細い間に入った。辛うじて大人一人が通れるほどの道幅で、日陰だったから念のため闇魔法で覆っておく。動きながら気配を消す影を覆うのは初めてだから、うまくできているかは判らない。少しでも気付かれにくくなれば御の字だ。

店の間を抜けると市場通りに出た。一気に人の波が視界に広がる。

この人の多さに慣れている庶民の俺は、躊躇ためらわずに市場通りに入る。掴んだ腕は一瞬躊躇ったが、後退することなくついてきた。

市場通りに出た時点で、影の膜は破けていたが、これだけの大人がいる中で子供二人を見付けるのは至難の業だろう。確実に追手の気配が消えるまでは俺もついてくる少年も無言だった。


「……っま、待って!」


吐息混じりの声に足を止めて、振り返ると、肩で息をした少年の顔の輪郭を一筋の汗が伝った。人通りの多い市場通りでは走れないから競歩ぐらいの速度にしていたものの、少年にはハードワークだったみたいだ。


「お前、体力ないなぁ」


「騎、士の家でもないのに、貴族が、鍛えている訳ない、じゃないか……」


「でも、レオなら平気でついてくるぞ」


「誰、それぇ……」


この国の王子だと俺が言っても信じないだろうな。というか、レオが変なんだろうか。貴族が家系によって鍛えないなら、王族が鍛えているのは普通なのかよく判らない。

そういえば、レオのルートのミニゲームはタクティクスRPGで部隊を指揮する側だったから、ゲームでも戦闘力あったか知らないな。

とりあえず、大分距離は取ったから大丈夫だろうと、少年に合わせて普通に歩くことにした。少年の息が整ってきたところで、名乗っておく。


「俺、イザークっての」


「えっと、イザーク。君、なんで僕を助けてくれたの?」


「助けてないぞ」


「へ?」


少年は驚くが、俺も首を傾げる。


「お前が自分の足で逃げたのに、なんで俺が助けたコトになんの?」


俺は振り払える程度の力でしか、少年の腕を掴んでいない。今だって、もう腕を掴んでいないのに、少年は俺と一緒に歩いている。

俺の言葉に少年はぽけっと呆けた。


「それに、まだその場しのぎしかしてないから対策考えないとな」


「あ……」


一時的に難を逃れただけの状況に気付いた少年は、これからのことを想像したのか顔色を悪くした。そんな少年の背中を平手で叩くと、勢いをつけすぎたのか少しだけ前につんのめった。

こんな扱いを受けたことがないのか、少年は戸惑ったように俺を見た。けど、顔色はマシになったから俺はにかりと笑った。


「ほら、行くぞ」


「そ……、そういえば、どこに……?」


「避難も兼ねて、庶民の俺じゃ分からないから相談しようと思って」


「誰に??」


少年は首を傾げつつも俺についてきた。使用人入口を通って、俺は庭の中を歩く。その後ろを恐る恐るといった様子で少年が続く。


「いいのかなあ……」


「ちゃんと相談するし、ダメだったら俺が叱られるだけだ」


森の中のような木々の間を抜け、垣根を潜らせると少年はぷはっと止めていた息を吐いた。

今は、噴水の周りに美女桜びじょさくらを赤・白・桃・紫の順で一色ごとに一纏まりにしてぐるりと囲っている。それらの背が、噴水の縁より下にあるから、そのまま噴水の縁に座ることもできるので、少年をそこに促した。


「お前、名前は……って、今更だけど敬語使って要る?」


「ふっ、本当に今更。いいよ、もう」


呆れたのか笑われてしまった。まぁ、暗い表情カオされるよりはいいか、と思いつつ俺も隣に座った。


「僕は、ニコラウス・フォン・ルードルシュタット」


「じゃあ、改めて。俺はイザーク・バウムゲルトナーだ。エルンスト家の庭師見習いをしてる」


ニコラウスはエルンスト家の名前を聞いた瞬間、瞠目した。


「え! じゃあ、ここは公爵家の庭!?」


きょろきょろしてニコラウスが慌てていると、垣根ががさりと鳴って、ニコラウスの肩が跳ねた。


「あ、お嬢。ちょうど呼ぼうと思ってたんだ」


「ザク、やはりここにいたんですのね。デニスが戻るのが遅いと心配していましたわよ」


寄り道はいけない、と外套のフードを脱ぎながらお嬢に叱られる。親父は心配ではなく怒っていると思うが、それで自分の知ってる範囲で探してくれるお嬢は優しい。親父の件は、この後もしばらく戻らないから、最低でも拳骨一発は覚悟しておこう。

叱られる覚悟を決めつつ、笑ってお嬢に礼を言う。


「探してくれてありがとな、お嬢」


「べ……、別に、美女桜が咲いているか見にきたついでで……」


花が咲いている噴水の方に眼を向けて、お嬢の言葉が途切れる。俺も視線を追って見ると、噴水の向こう側に隠れてニコラウスが怯えながらこちらを窺がっていた。


「あ、お嬢。あいつ、ニコっての」


「……ニコラウスっ」


「それ。ごめん、長くて覚えきれなかった」


「精霊……ではなく、人間ですの……? ザク、彼はいずれかの令息でしょう! どうしてこんなところに!?」


「保護した」


お嬢は驚いた後、俺の回答に呆れた表情になり、長い溜息を吐いた。


「彼は犬猫ではありませんのよ……」


「だって、痴漢にってたし」


「わーっ、ご令嬢になんてことを!!」


お嬢は痴漢の単語にびっくりし、ニコラウスは頬を羞恥に染め、焦って俺の口を塞いだ。俺は塞がれた手を外して、ニコラウスに振り返る。


「お嬢に相談しようと思ってたから、バラした方が早いぞ」


「な……、なんで、ご令嬢に~?」


ニコラウスは泣きそうに弱った表情になる。男のニコラウスが女子に相談するには、情けないし恥ずかしいだろうが、庶民で男の俺だけじゃどうしようもない。


「女子の意見もいるだろ。なぁ、お嬢。こいつ見てどう思う?」


俺の背に隠れようとするニコラウスをお嬢がじっと見る。しばらく言葉をなくして、感嘆の吐息を漏らすように感想を述べた。


「引き込まれるように美しい方ですわね……」


「やっぱこいつ美人だよな」


女子より美人なのに、不思議と女と見間違わない。お嬢が一瞬、精霊と見間違うぐらいの妖艶さもあるんだろう。俺には判らないが、たぶんこいつから何か出てる。フェロモン的なの。


「あ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、リュディア・フォン・エルンストと申します。この度は当家の使用人が失礼いたしました。代わって、お詫びいたします」


「ひょえ…っ、い、いえっ、そんなとんでもない! ニコラウス・フォン・ルードルシュタットですっ」


「……おい、俺を挟んで挨拶をするな。てか、なんでお嬢が謝るんだ」


ニコラウスが俺に隠れるせいで、二人の会話の間に立たされている。


「ザクが失礼なのは、今に始まったことではないでしょう」


「お嬢が代わりに謝ることないだろ、自分のことなんだから俺が謝る。ニコ、ごめん。なんか失礼したらしい」


「らしい、なんだ……。君が失礼なおかげで助かったから、いいよ。というか、名前覚える気ないよね?」


「それも、ごめん」


重ねて謝ると、もうその呼び方でいいと苦笑された。


「そいや、なんで隠れようとすんの?」


「だって、女の子も女性だし……」


ニコはさっきからお嬢の視界に入らないように隠れようとする。けど、陽溜まりになっている小さな噴水しかない自習用の庭で隠れる場所がないから、俺を盾にしている。どうやら痴漢に遭わないまでも、同年代の女子からも何かしらの視線なり想いを向けられ、怯えの対象になっているみたいだ。


「お嬢は大丈夫だ。レオとかで耐性あるし」


「なんですの、その根拠は。ロイ様にも失礼ですわ。第一、ニコラウス様は種類が違います」


「えー、じゃあ、お嬢もニコにセクハラしたくなんの?」


「せくはらが何かはわかりませんが、公爵令嬢たるわたくしが、ニコラウス様に失礼をするはずがないでしょうっ」


「流石、お嬢かっけー」


お嬢が胸を張って宣言したから、俺は称賛を込めて拍手を送った。けど、カッコいいと言ったからか、お嬢は半眼になって俺を見た。褒めたのに。

まだちゃんと聞いていなかったので、今後の対策を考えるため、噴水に座り直してニコに事情を聞くことした。ニコにまた座るように促し、俺はその隣に座り、ももを軽く叩いた。


「ほい、お嬢」


「? なんですの?」


「そのまま座るとスカートに花粉付きそうだから」


こてんと首を傾げたあと、意図を理解したお嬢は、顔を真っ赤にした。


「結構ですわ!! ザクの上に座るぐらいなら、立っていますっ」


「そんなっ、ご令嬢に立たせたままでいるなら僕も立ちます!」


「座るトコあんだから、座ればいいじゃん」


「大体、どうしてこんな植え方をしましたの!?」


「可愛いと思って」


色のブロックで噴水の周りを囲ったら、花の額縁みたいでいいと思った。お嬢に責めるように訊かれて、素直に答えたら二人が脱力した。


「もういいですわ……」


「大変ですね。リュディア様」


何かに疲れたようなお嬢に、ニコは労りの言葉をかける。ニコは何に同情しているんだろう。

ともかく、腰を落ち着けて話すことになり、俺はお嬢の手を引いて膝の上に横向きに座らせる。こうすればニコとも話しやすいし、花がスカートの裾にかかることもないだろう。

お嬢が妙に硬直しているように見えるのは気のせいだろうか。まぁ、男の膝なんて座り心地悪いか。


「ニコラウス様っ、事情をお伺いしても!?」


「はっ、はい」


お嬢が急かすように話を切り出し、ニコは恐縮しながらも経緯を教えてくれた。


「家は伯爵家なんですが、父が宰相を務めているため、上位貴族の方からもよく声をかけていただくんです。

だから、母につれられてお茶会にも頻繁に参加していて……、何人かの方に甥へのプレゼントを選ぶのを手伝ってほしい、などの理由で個人的なお誘いを受けて、その、断れなくて……」


話すほどに意気消沈していくニコ。立場上断れないのは仕方ないのに、女性に迫られて抵抗できない状況に、男として情けなく感じて打ちのめされているんだろう。


「んで、性質たち悪いおばさんに絡まれてたからつれてきたんだ」


「おば……、今はいいですわ。となると、平民の子供につれ去られた状況で、向こうは騒いでいるでしょうね。邸に戻り次第、迷われていたニコラウス様を偶然見かけて我が家に招いた、とルードルシュタット家にはお伝えしましょう」


「お嬢、話が早い」


「ザクのことだから、相手にエルンスト家の縁者と判るようなことはしていないでしょう。

ニコラウス様、金銭を持っていなかったからすぐに解放された、ということにしていただけますか?」


「それはもちろんっ」


「今回のことでご縁ができましたし、確かお母様はルードルシュタット伯爵夫人と親しかったはずですので、今後何かあれば当家にいらしてくださいな。

ただ……、事情を伏せてお母様に協力を仰ぐつもりですが、知られる可能性があることをご了承ください」


「わ、わかりました……っ」


「避難場所確保しても、大元の原因をどうにかしないとな」


「相手が女性というのが……」


「だよなー」


相手が男なら殴るなりの実力行使もできるが、女性相手にそんなことしたらニコ側が暴行犯扱いされる。俺とお嬢が悩んでいると、ニコの表情カオが徐々に暗くなってゆく。


「ま、とりあえずこれまでの分のストレス発散をしようぜ」


「へ?」


俺の提案に、ニコはどう反応したらいいか判らない表情カオをした。お嬢に断って膝から下ろし、俺は来る途中に寄った洗濯干場近くから持ってきた巾着袋を開いた。


「それはなんですの?」


大きな袋から取り出した革製の枕みたいな塊を見て、お嬢とニコが不思議そうに覗き込む。


「なんか殴るヤツ」


師匠と訓練するときに使う用具を持ってきたけど、名前は知らない。腕を通すところと持ち手が一面にあって、盾みたいに構えるタイプだ。そこそこの大きさだから蹴りにも使える。


「よっしゃ、どっからでも来いっ」


「え? え?? ど……どうしたら……?」


革袋を構える俺に、ニコは戸惑う。戦闘訓練どころか、喧嘩の一つもしたことがないようだ。


「コレを思いっきり殴れ。キモいとかクソババアとか文句ごと」


「キモいって何?」


「気持ち悪いって意味」


「これにどんな意味が……?」


「とりあえず、すっきりする」


ニコもお嬢もよく解らない様子だ。殴るだけ殴ってみるように言うと、おずおずとだがニコが拳を作って、革袋に当てた。


「弱い。思いっきりやれ。あと、もっと脇締めろ」


「えい……っ」


さっきよりは力が入っているが、まだ弱々しい。


「声が出てない。キモいって言ってやってみ」


「そ……そんなこと……」


「ここなら誰も聞いてないから、どんだけ口悪く罵ってもいいんだよ。ほら」


ニコにはそう言ったが、そういやお嬢がいた。

お嬢に念のため耳を塞ぐようにジェスチャーで伝えると、両手で耳を塞いでくれた。俺はそれを確認して、風魔法でお嬢の周囲だけ音が届くのを妨害する膜を張る。完全防音は無理でも、聞こえづらくするぐらいはできるだろう。まぁ、聞こえたとしても悪口もろくに言えないお嬢が覚えるとは思えないが。

若干迷う素振りを見せてから、ニコは声と共に拳を突き出した。


「きっ、キモい……!」


ばすっと初めて重めの音がした。今までと拳の感触が違うのが判ったのだろう、ニコは瞳を輝かせる。


「いいじゃん」


「確かに、ちょっとすっきりした……っ」


もう一度、と俺が構え直すと、今度は躊躇わずに声と共に拳を打った。何度か打つと、ニコは放っておいても勝手に不満をつけ始めた。


「ベタベタベタベタ……気色悪ぃんだよ、クソババア!!」


どすり、といい拳が入る。


「親父も何かあれば言えって……、言える訳ねぇだろうが、ボケェ!!」


またいい拳が入る。というか、ニコ、俺より口悪くなってないか? まぁ、それだけストレス堪っていたんだろう。怒気迫る表情カオも美人とはある意味凄いな。

拳を打ち込み終えたニコは、肩で息をして汗を袖で拭うと、深呼吸をして息を整えた。そして、晴れやかな笑顔を見せる。


「ああ、すっきりした!」


「そりゃ、よかった」


「……男の子って、解りませんわ」


風の膜を解いて、もう耳を塞がなくていいと伝えると、お嬢が理解しがたいという眼を俺たちに向けた。

前世で、ダチとテスト明けとかにバッティングセンターで意味もなく叫びながら打ったりしたけど、ああいうのを女子がしてるの見たことないな。女子には解らない感覚なんだろうか。ラーメンの名前を言いながらとか、意味なく楽しいのに。

ストレス発散が済んだところで、今後の対策を改めて考える。


「ずっと母様の傍にいる訳にもいかないし、母様は気付いてないから逆に相手と都合つけられてしまうこともあるんだ……」


「どう回避するのがいいのかしら……」


「あ」


俺が思わずあげた声に、二人がこちらを向いた。


「そもそも対象にならなきゃいいんじゃね?」


「どういう意味ですの?」


「ニコが別の見方をされるようになれば、向こうが寄って来なくなるから、わざわざ逃げなくてもよくなる」


ゲームだと敵は敵で固定されている以上、エンカウントするかどうかだけど、現実なんだから敵になる状況自体を変えることだってできる。


「そんなことできるの?」


「たぶんできる、けど……」


「けど?」


「ニコにもリスクがある。この先、ダチができにくくなるかもだし、好きなできたときに苦労するかも……、てか、する」


「やる」


ニコが案を聞く前に即答するから、俺はびっくりする。


「……結構覚悟いるけどいいのか?」


「あんなおぞましい思いするくらいなら、どんなことでもやる。元々、女性が寄ってくるからそれ妬むか、顔で罵ってくる奴らしかいないから、男の友人なんていない。それに、できる気なんてしないけど、万が一そんなできたときに綺麗な身体からだでいる方が大事!」


「お、おう……」


鬼気迫る勢いで言いつのられて、気付けば至近距離にニコの顔があった。そこまでか、ニコ。お嬢も、ニコの様子から切実にヤバいと感じたらしい。ニコに同情の眼差しを向けている。

ニコの肩を押して、距離を取ってから思い付いた案を言う。


「ニコがオネエになればいいんだよ」


「「オネエ??」」


ニコもお嬢も意味が解らなくて、言葉を繰り返した。


「フリでいいから、男のままで言葉遣いとか仕草だけ女っぽくするんだ」


「確かに周囲の見る目は変わるでしょうが、それで効果がありますの?」


「ニコを異性と思ってるから対象になるんだ。なら、その相手から同性の反応が返ってきたら、そう思えなくなるだろ」


「そういうものですの?」


「女性らしい言葉と仕草って……」


何を参考にしたらいいのか判らないニコが、お嬢の方を見たので注意しておく。


「お嬢は参考にならないぞ。可愛いから」


「な……っ!?」


唐突にお嬢がぼっと顔を真っ赤にした。参考にならないと言ったのを怒ったのだろうか。悪口じゃなくて、お嬢を参考にしたら、たぶんニコはオネエじゃなくて、なんだっけ? 確か、男のとかいうのにジョブチェンジしてしまう。友達の一人がそれ推しで話が合わないと、前世の妹が愚痴ぐちっていたのを聞いたことがある。それだと、むしろ加害者の範囲がひろがるかもしれない。


「じゃあ、どんな風にすればいいの?」


ニコがお嬢の反応に苦笑したあと、俺に訊いた。


「えーっと、一人称はアタシで、なんかご意見番みたいな……意見バシバシ言う感じ」


「なんか、強気じゃないとできなさそう……」


「ニコ美人だから、高飛車なくらいの方がいいぞ。物理攻撃できない代わりに、美人なのを武器にするんだ」


「この顔を武器に……?」


美人なせいで被害に遭っていたニコには、その容姿を武器にするという考えがなかったらしい。長い睫毛に縁取られた大きな眼を丸くする。

しばらくの沈黙のあと、腹を括ったのか、やってみる、とニコは呟くように言った。言葉遣いだけでも慣れるように少し練習して、実際の効果の確認をお嬢に協力してもらう。公爵令嬢相手にひるまず言えれば、度胸もつくだろう。

深呼吸を一つして、ニコは口を開いた。


「リュディア嬢もまあまあ可愛いけど、アタシの美しさには敵わないわね」


軽く髪を払って、高飛車にニコが言い放つ。すると、お嬢がむぅ、と剥れた。


「……反論はありませんが、なんだか悔しいですわ」


「ああっ、すみません。リュディア様!」


「戻るなよ、ニコ。成功じゃん」


「え……」


「お嬢、どう感じた?」


「同性から指摘を受けたような心地でしたわ。あのような態度を取られたら、男性と意識できませんわね」


お嬢の感想を聞いて、ニコは効果を実感したらしく表情を輝かせる。男と見られない方が嬉しい、というのは変な話だが、ニコの事情なら仕方ない。


「僕……、アタシ、これで行くわ!」


ガッツポーズするニコはオネエ言葉なのに、逞しくなったように見えた。


「おー、がんばれ。ストレス発散なら、また付き合うぞ」


「ありがとう」


満面の笑顔でニコは頷いた。やる気に満ちた様子のニコを眺めて、お嬢は呟く。


「……ザクは、本当に妙なことを思い付きますわね」


「そうか?」


「深刻な問題だったはずなのに、なんだか馬鹿馬鹿しくなりましたもの。妙ですわ」


「そっか」


俺は褒められていないと解っていて、笑った。

最初に見たときの表情カオと一変してるニコを見れて嬉しくなった。やってみないと判らないところもあるが、ニコが前を向いていることが大事だと思う。

その日、ニコはお嬢と邸に戻り、エルンスト家の馬車で送られて帰ったそうだ。



一ヶ月後、庭仕事をしていると、いつものようにお嬢が訪ねてきた。お嬢の後ろに、もう一人一緒にいる。そのもう一人が、手を大きく振りながら、お嬢を抜いてきた。


「ザクー、来たわよーっ」


「お嬢。ニコ、また来たのか」


「どうして、教えていないのに、ザクに会う日に限って、ニコラウス様はいらっしゃいますの……?」


「やぁね、ディア嬢。アタシのことはニコちゃんって呼んでって言ってるじゃない」


態とらしく頬を膨らませて見せるニコに、お嬢はげんなりとする。


「開き直りすぎじゃありません?」


「あら、るなら徹底的にしないとバレるじゃない」


「ニコって役者になれそうだな」


感心して俺が呟くと、ニコは嬉しそうに艶然と微笑んだ。


「それもいいわね。それで、ザク――」


笑顔のまま、がっと肩を組まれる。


「殴らせろ」


端的すぎて語弊が酷いが、俺はもう慣れた。試したストレス発散方法が気に入ったらしく、ニコは定期的に俺に相手を頼むようになった。痴漢やセクハラ被害はめっきりなくなったらしいから、もうただの趣味かもしれない。


「もう少しで掃き終わるから、待ってろ」


「早くしろよー」


落ち葉を箒で掃きながら、ニコの相手をする。待ちきれないらしいニコは、俺の背後にへばりついて急かしてくる。


「だったら、離れてくれ」


「そうですわっ、ザクの仕事の邪魔をしないでくださいませ!」


掃く分にはいいが、移動がしづらいので離れるように言うと、お嬢も注意してくれた。


「やだ、ディア嬢。羨ましいの?」


「ちっ、違います!!」


楽しげに訊くニコに、揶揄からかわれたお嬢は頬を上気させて怒る。そこから二人は口論し始めたので、俺はほどほどにしろよ、とニコに声をかけて作業に専念する。

最近、作業BGMが賑やかになった。

まぁ、じっと待っているより、お嬢が退屈しなくていいだろう。



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