26.カーテシー




まだ夏の暑さが残るにもかかわらず、その気配を微塵みじんも感じさせずゆったりと、エルンスト公爵夫人のオクタヴィアは微笑んだ。


「ねぇ、ディア。うてなの君って知っている?」


「う、てな……?」


知らないが、何故か響きに覚えがあり公爵令嬢のリュディアはティーカップを持ち上げる手を止めた。

一歳になるリュディアの妹のフローラを膝に乗せながらも、優雅に紅茶を飲む母親の続きをリュディアは待つ。喉を潤し、ティーカップをソーサーに戻してから、オクタヴィアは口を開いた。


「萼の君と踊った令嬢には縁談が舞い込むんですって。実際に、それまで縁談の持ち上がらなかったとある男爵令嬢が、さる侯爵令息から求婚されたそうよ」


素敵ね、と微笑む母親を見て、リュディアはそれぞれがどこの家の者かを把握した上でぼかしていると判った。淑女のかがみである母親が、根も葉もない噂を信じるような軽率な行動をする訳がない。


「……何故、名前が伏せられているのですか?」


質問するように誘導されていると解ってはいたが、リュディアは訊いた。


「伏せられているのではなく、誰も名前を知らないからよ。そして、姿もね」


姿も確認できない、というのは奇怪おかしい。ダンスはパートナーがあってこそできるものだ。奇妙な話にリュディアは首を傾げる。


「実在する方なんですよね?」


「ええ。あまりにも女性を魅力的にするからそちらに注目が集まるらしいわ。灰かぶり姫の魔法使いみたいね」


ふふ、とオクタヴィアは童話の登場人物に例えて微笑むが、リュディアの表情はひきつる。自分が目立ちたくない余りにそのような踊り方をする人物に心当たりがある。割り増しの効果は、恐らく受けた指導ゆえと本人が無意識に踊る相手を花のように扱うからだろう。彼の踊り方を見た父親のジェラルドが、彼は根っからの庭師だと評価していた。

おもむろに、オクタヴィアが控えているメイドへ目配せをすると、メイドが銀の盆を持ってきた。その盆の上には、招待状と思しき封筒が小山を作っていた。


「そうそう、ディアにお茶会のお誘いがあるの。余程、ディアのダンスが素敵だったんでしょうね。娘に見習わせたいと、殆どがダンス付きよ」


「……ダンスの分は、できれば遠慮したいですわ」


夜会に出る年齢ではないので、お茶会の誘いであることは理解できる。だが、お茶会にダンスの機会を設けることは珍しい。招待状の小山を見て、リュディアは頭を抱えたくなった。ただでさえ、エラ夫人の厳しい指導を受けダンスの腕に自信がないにもかかわらず、誘う口実が更にハードルを上げている。

一瞬、オクタヴィアの桃色の瞳が冷えたものになる。寒色であるリュディアの瞳よりも温度が下がったように感じ、母親が自分と同じように目元が吊り気味であることを思い出した。


「――令嬢たちは魔法にかかりたい。その親は有力者との縁談がほしい。実に分かりやすいわね。けれど、ディアが心配した事態にはなっていないようよ」


最後は面白がるようにオクタヴィアは眼を細め、いつも通りのゆったりとした雰囲気へ戻った。


「……もっと悪化しているように感じますわ」


げんなりとリュディアは肩を落とした。存在を覚えられていないのに目立つとは、奇妙にも程がある。


「あら、イザーク君を盗られるよりいいじゃない」


「と……っ!? 違います! わたくしは、ただ、ザクが不躾ぶしつけな発言をしないように注意しただけで……!!」


母親の誤解を解こうとリュディアは必死になる。庭師見習いの少年をパートナー代行に依頼した後になって、彼が自身の思ったタイミングで感想を述べる性質を思い出し、他の令嬢を驚かせる可能性に気付いた。賛美に慣れている令嬢がほとんどとはいえ、前置きもなく唐突であれば失礼になりかねない。

相手の迷惑を危惧しただけで、母親が誤解しているような心配はしていない。ドレスアップを母親に協力してもらったのも、庭師見習いの少年が悪目立ちしないようにしただけで、彼が他の可憐な令嬢たちを見てどう反応するかを心配した訳では断じてない。

娘の主張をオクタヴィアはただ柔らかに微笑んで聞く。

最近のリュディアが自分に意見を言うようになったのが喜ばしい。以前までは、自分への憧憬が強すぎて母親相手にもかかわらず遠慮ばかりされていた。母親なのに、甘えも頼りもされないのは淋しいものだ。だが、庭師見習いの少年の話題だと特によい反応が返ってくるので、今はとても楽しい。娘は懸命に言い募るが、何も言わないでいると言い訳めいて感じだしたのか、次第に尻すぼみになり最後には頬を染めて口をつぐむのも可愛らしい。


「ねぇ、ディア」


「はい」


「独占欲を持つのは悪いことじゃないわ。仲のいいコが、他のコと仲良くしたら淋しく思うのはごく当たり前の感情よ」


「え」


「それを理由に、相手を縛ることを正当化するようになっては淑女レディの恥よ。けれど、持つことまで否定しては駄目」


問題は持った感情をどう扱うか、だ。自然に湧く感情を抑えては本人が苦しむだけだ。

思うのは自由だ、と説いて微笑むオクタヴィアをリュディアは意外に感じ、また納得もした。母親が感情を激しくあらわにすることがないので意外に感じたが、様々な感情を受け止められるからこそ淑女として凛としていられるのだと納得した。そういった類いの感情を母親が肯定すると思わなかったリュディアは、しばし呆ける。

それから、リュディアは少し剥れた。


「……わたくしの言ったことを信じてくださらないのですね」


「いえ? けれど、それがすべてではないでしょう? ディアは本当に恥ずかしがり屋さんね」


ねぇ、とフローラに同意を求めてオクタヴィアが小首を傾げると、膝の上のフローラは母親の仕草を真似して楽しげに笑った。母親の指摘に是とも否とも返せず、リュディアは下唇を噛んで押し黙る。


「大丈夫よ」


甘え抱きつくフローラを抱き締め返し、軽く頬擦りしながら穏やかにオクタヴィアは言葉を紡ぐ。


「彼は使用人だわ。公爵家であるエルンスト家の、ね。家の者を、己の利のために使おうとする輩がいるなんて浅はかねぇ」


光景は娘を愛しむ母親のそれであり、微笑ましいものであるはずだ。なのに、リュディアはうら寒いものを感じた。


「ああ。でも、いくつかは受けてもらうわよ」


「どうしてですの!?」


話の流れからすべて断れると思っていたリュディアは驚く。対して、オクタヴィアは少女のように頬を小さく膨らませた。


「……だって、私もディアの勇姿をこの眼で見たいもの」


う゛っ、とリュディアは怯む。確かに王子のパーティーと違いお茶会なら、女性がホストになることもあり母親優先で同伴出席をしても問題ない。そして、リュディアにとって、母親のオクタヴィアは憧れであり目標だ。そんな母親に、ダンスを披露するのは緊張もするが見てもらいたい欲求もある。あと、拗ねる様子が可愛らしいのも狡い。


「~っわ、かりましたわ」


「本当っ」


嬉しそうに表情を輝かせる母親を見て、リュディアは仕方がないと小さく笑みを零した。


「楽しみだわ。この間のディアがとても格好よかったと他の夫人たちから聞いていたのよ」


「あっ、あれは……!」


パーティーで啖呵たんかを切った件が母親の耳にまで届いていた事実に、リュディアは頬をしゅに染めた。言葉を途切れさせたリュディアに首を傾げオクタヴィアが反応を待つと、恥ずかしげに俯きながらぽつりと呟きが零れた。


「…………お母様の言ったことを真似ただけ、で」


去年、初めてパーティーに参加するリュディアにオクタヴィアから贈られた言葉を、そのまま紅黄草こうおうそうの令嬢に使った。完全に受け売りだったので、リュディアは恥ずかしい限りだ。けれど、初めてで緊張していたリュディアを一番勇気付けてくれたとても頼もしい言葉だったので、あの場で適切だと思ったのだ。


「ディアは、そう思ったからそのコに言ったんでしょう?」


問われたので、リュディアは首を縦に頷いた。


「なら、間違いなく貴女の言葉でその娘は勇気を持ったのよ。誇りなさい」


「はい……っ」


悠然と微笑みながら確かな言葉をくれる母親に、リュディアは別の意味で頬を染めて頷いた。

母親と妹と残暑を忘れさせる爽やかな緑と黄色い花旃那はなせんなや白い匂い桜の庭でお茶をした後日、雑草抜きをしている庭師見習いに今後もダンスの代役がある件を伝えに行った。


「萼の君ぃ? なんだそれ」


「……貴方のことですわ、ザク」


素っ頓狂な声をあげる庭師見習いの少年に、経緯を説明すると益々首を傾げた。


「ご令嬢たちが野郎に惚れられたのは、本人が元から可愛かったり綺麗だったからだろ? なんで、それで俺が妖怪みたいになんの??」


しかし、貴族の子供はマセているんだなぁ、と感心したような呟きを零しながらも、庭師見習いの少年は手を休めず雑草を抜いてゆく。

自分が影響しているとまったく認識していない様子の彼に、リュディアはどうしたものかと悩む。そもそも、自覚させたからといって直るものなのだろうか。


「ようかい、というのが何かは分かりませんが、ザクと踊ったことが切っ掛けになったようですわ。ザク、彼女たちと一体何を話しましたの?」


「えー……、俺基本、お嬢だけ見てたからあんま覚えてないんだよなぁ。お嬢がすげぇ綺麗だったのはよく覚えてんだけど」


「わたくしのことはいいですっ!!」


他の者とのやり取りを訊いたのに、自分のことをあげられてリュディアは頬を上気させた。眩しいものが苦手な彼が、追従する相手である自分以外を見ないようにしていただけで、他意がないと解っているが言い方が紛らわしい。確かに、彼が同伴することを考慮して身に付ける貴金属の装飾を最低限に抑えたが、自分以外を見ないようにするほど煌びやかな装飾品に弱いとは思っていなかった。


「とにかく、何を言ったのか思い出しなさい……っ」


リュディアに叱咤され、庭師見習いの少年は眉を寄せながら考えつつぼやく。


「っつっても、間を持たせるために世間話した程度だぞ? えぇっと……胡蝶蘭こちょうらんは、真っ黒な髪が陰気で染めたいって言ってたから、濡羽色ぬればいろで似合ってるのに勿体ないって」


「……次は」


海芋かいうの娘は、同じ歳の野郎より背が高いのが嫌だって背中丸めてたから、そんなん数年もしたらどれだけ背があっても女らしさ隠せなくなるから背筋せすじ伸ばした方がいいって」


「……最後は」


天竺牡丹てんじくぼたんの娘は目元がキツいから可愛くないって言う割には笑ったら目尻下がるから、普通に笑ったらいいんじゃねって……あ、たぶんちゃんと敬語で言えてるはずっ」


「そこじゃありませんわ!」


安心するように補足された情報に、リュディアは否を唱える。パーティーの際、声がかかった順番にダンスの相手をさせたが、令嬢たちがダンス後、声をかけたときの勢いがなくなり自然体になっていたのは、彼が無自覚に助言していたからか。

何もしていないと言いながら、しでかしているではないか。


「お嬢、俺なんかしくったか……?」


頭を抱えるリュディアに、心配そうな声が降る。声に反応して顔をあげると、あかがね色の瞳が不安そうに揺れていた。

パーティーの勝手が解らない彼は、こちらに迷惑をかけていないかが気がかりなのだろう。だが、元々リュディアから相手を頼んで協力してもらったのだから、ある程度の不測の事態があったとしても彼の責ではない。それに不測ではあったが、今のところ良い効果しか確認していない。

リュディアは叱る気もないし、責める気もない。ない、はずだが、少しばかり胸にわだかまりが残っている。


「ザクは、よくやってくれましたわ。わたくしの無茶を聞いてくれてありがとう。けど……」


「けど?」


その先を口にするのは躊躇ためらわれた。すぐに言葉が出ずに黙り込んでいる間も、庭師見習いの少年はリュディアの言葉をじっと待っていた。


「…………その、他のの……こと、どう思いましたの?」


「は?」


予想外の質問に呆気を取られる庭師見習いの少年の視線に居たたまれなくなり、リュディアは視線を落とす。幼稚な質問をしている自覚があるので、羞恥で頬が熱くなるがもう言ってしまったので、あとは勢いで訊く。


「お……踊った方たちもですが、パーティーには可愛かったり綺麗な方がたくさん居たでしょう? その、わたくし、より……」


歳だって近い者が居ただろうし、踊った相手の中には気が合うと感じた者も居たかもしれない。そう一度考えてしまうと、何故か不安になった。


「そりゃ、いたかもだけど……」


彼の肯定の言葉を耳にして、心臓が嫌な音を立てた。


「お嬢」


呼ばれて、恐る恐る顔をあげると、優しげに笑う庭師見習いの少年がいた。


「俺、言ったじゃん」


「え……」


「最初からお嬢しか見てないって。踊った相手だって、言われるまで思い出せなかったのに」


「でも、それは……」


「うん。俺がダンスの代打で、エルンスト家の従者として行ったからだ。だから、俺はエルンスト家の使用人でラッキーだ」


「え」


「ずっと傍で、すげぇ綺麗なお嬢を見てていいなんて、役得だろ」


じわじわと熱が競り上がってくるのをリュディアは感じた。先程まであった蟠りは吹き飛んでしまった。思わずスカートをぎゅっと握り締めてしまう。どうして、彼はこうもあっさりと自分の不安を取り除いてしまうのだろう。

庭師見習いの少年はあっけらかんと笑う。


「でも、変な心配するなぁ。使用人なんかご令嬢が相手にするワケないのに」


「だ、だって……っ」


顔が赤いままリュディアは言い募ろうとしてしまい、慌てて両手で自身の口を塞いだ。その様子に、庭師見習いの少年は首を傾げる。


「お嬢??」


何を言わせようとするんだ、との非難を込めてリュディアは口を塞いだまま睨みあげる。弾みで零れそうになった言葉を彼に知られたくない。特に彼が訊きだそうとした訳ではないが、恥ずかしさのあまり逆恨みのような感情が渦巻く。

リュディアの胸中を知らない彼は、きょとんと見返してくる。

彼もそれ以上追及してこなかったため、しばらくの沈黙があり、無垢な眼差しに耐えれなくなったリュディアが折れた。


「な……、なんでもないですわ」


「おう」


とりあえず、今後も代打するかもしれないのは解った、と庭師見習いの少年は頷いた。その日の散歩は無駄に疲れるものだった。

数日後、友人のトルデリーゼに招待された普通のお茶会で、リュディアは小さく一息いた。それを見て、トルデリーゼは申し訳なさげに眉を下げる。


「リュディア様、申し訳ありません。できるだけ小規模にしたつもりだったのですが……」


悄気しょげる様子が耳を下げる兎のようで、リュディアは思わず笑みを零す。


「いえ、お気になさらないで。わたくしが原因のようなものですし」


今、リュディアたちが着いているテーブルは遠巻きに視線を集めている。今回は女性のみ出席のティーパーティーだ。王子の誕生日パーティーの一件以降、リュディアを憧れ慕う令嬢が増え、同年代にもかかわらず別格扱いされてしまっている。友人がたくさん欲しい訳ではないが、今まで以上に敬われては取り付く島もない。


「そういえば、今日は従者の方はご一緒ではないんですね」


何気なしに訊ねられ、リュディアは内心ビクつく。ソーサーからティーカップを持ち上げる手が僅かに揺れた。


「彼はお父様が見繕ったダンスのときの代理ですから。それに今回は女性だけでしょう」


「そうなんですか……、お話してみたかったので、少し残念です」


「何故ですの……?」


家族以外の男性と話すのが苦手だと言っていたトルデリーゼが、話してみたい、とまで言うのは珍しい。どうして彼に興味を持ったのか、リュディアは気になった。


「あの方、リュディア様を大事にされていらっしゃるので慕う同志だと思いまして」


「だ、いじに……!?」


「ええ。パーティーの際、リュディア様のこととなると表情が和らいでいらっしゃいましたもの」


嬉しそうに微笑むトルデリーゼに、リュディアはどう返したらいいかが判らない。顔が赤くなるのをどうにか抑え込むので精一杯だ。トルデリーゼは自分に笑いかけたのも、リュディアの友人だからだと言う。余計な事実に気付かされた。今すぐに彼を殴りに行けたらどんなにいいだろう。


「あのっ、リュディア様お久しぶりでございます」


「あら、貴女は」


少々上擦った声がかかり、そちらを見やると見覚えのある赤みがかった金の巻き毛があった。その少女は恐縮しながら礼を取った。


「ザスキア・フォン・ファイトと申します。男爵家にもかかわらず、こちらからお声かけしたご無礼をお許しください。どうしても先日のお礼をお伝えしたくて……」


「構わないわ。そういえば、ザスキア様は婚約が決まったそうね。おめでとう」


「へっ!? あの……、まだ、で……あの方は私には恐れ多くて……」


頬を染めて狼狽うろたえるザスキアを見て、リュディアとトルデリーゼは微笑ましい気持ちになった。どうやら、彼女の意に反した婚約申請ではないらしい。

トルデリーゼも自己紹介を済ませ、一緒にお茶をしようとしたところで笑い声が届いた。誰かを嘲笑ちょうしょうするそれに、リュディアたちは眉をひそめて元を辿る。

辿った先には、おどおどと周囲を窺いつつも視線が俯きがちになっている一人の令嬢がいた。同じ年頃だろうが、明らかに素人の付け焼き刃な作法だった。令嬢としての振る舞いがリュディアたちの歳で少しも馴染んだ様子がないのは珍しい。

恐らくそれだけで、様々な憶測が働きあのように遠巻きに囁かれ、嘲る対象にされてしまったのだろう。


「……感心しませんわね」


「ええ……」


「私、連れて参ります!」


「「え」」


リュディアが、今回のホストであるトルデリーゼにどうしたものかと相談しようと思っていたところ、ザスキアが闘志に燃えたような瞳で宣言した。少し前に同じ境遇にあった彼女の憤怒ふんぬは頷けるが、思った以上に行動力がある。パーティーのときのことも踏まえると、彼女は考えるより先に行動するタイプかもしれない。

ザスキアが、針のむしろになっている令嬢に声をかけ、宣言通り連れてきた。あの状況で公爵令嬢のリュディアが直接声をかけるより適切と判断し、リュディアは微笑んで令嬢を迎え入れる。


「わたくしはリュディア・フォン・エルンストですわ。よろしければ、お茶をご一緒しませんこと?」


「あ……、えっ、わた、わたしはシュテファーニエ・フォン・ヴィッティングと申し、ます……っ」


ぺこりとお辞儀をするのは令嬢のそれではなかった。それだけで、彼女が貴族の出身ではないと知れたが、名乗った姓の方が気になった。


「あら、ヴィッティング伯爵はお子様がいらっしゃらなかったのでは……?」


「あの……、春にわたしの母とヴィッティング伯爵様が再婚して、わたしはその連れ……えと、養子なんです」


「そうだったの。お母様のご再婚、おめでとう」


「あり、がとうござい、ます……?」


祝福の言葉をもらえると思っていなかったシュテファーニエは、目を丸くして反射で礼を返した。他の令嬢からは平民の出が滲み出るのか冷笑しかされなかったのに、目の前の公爵令嬢からはむしろ温かい眼差しを受けて彼女は戸惑う。


「それにしても凄いわね」


「へ?」


リュディアの感心したような呟きに、シュテファーニエは首を傾げた。


「数ヶ月でそこまで姿勢を維持できるなんて、とても頑張ったのね」


「そうですわね。ドレスを着たまま背筋伸ばすの大変なのに」


「はい、シュテファーニエ様は凄いですっ」


「……っ!!」


伯爵にもらったドレスに少しでも見合うように、と作法の稽古を思い出して背筋だけは伸ばしていたが、それを認めてもらえるとは思わずシュテファーニエは瞠目する。

他の令嬢の態度から、お茶会に参加するには早かったかと後悔していたところだった。もう貴族の世界で同年代の友人は望めないと諦めかけてもいた。そんなときに、こんな嬉しい言葉たちをもらっては、泣いてしまいそうだ。

シュテファーニエが潤んだ瞳を必死にこらえているのを見て、リュディアは苦笑する。


「けど、カーテシーは次までに覚えておいた方がいいですわよ」


「かー?」


「令嬢の礼です。シュテファーニエ様」


ザスキアにカーテシーの説明を受けて、シュテファーニエは眼を輝かせる。


「なるほど。はい、少しでもリュディア様に近付けるよう頑張ります……!」


「!? 何故、わたくしですの……?」


いきなり目標宣告を受けて、リュディアは眼を丸くした。


「だって、リュディア様っていかにもご令嬢って感じで憧れます」


「ですわよね!? 私もリュディア様を見習って、あの方に見合う令嬢になりたいんですっ」


「リュディア様は素敵ですからね」


シュテファーニエの意見に共感する二人を見て、リュディアはむぅ、と剥れる。


「……わたくしたち同じ歳ですのに、どうしてわたくしだけ目標にされますの?」


小さく呟いただけだったので聞かれていないと思ったが、どうやら三人に聞こえていたらしく固まられた。その反応を確認して、リュディアは恥じ入るように頬を染めた。


「「「…………っか」」」


「か?」


「「「可愛い……っ!!」」」


三人同時に異口同音で言った。リュディアは突然のことにビクッとなる。

三人は瞳を輝かせながら、リュディアに近付く。


「リュディア様、可愛いすぎますわ」


「こんな可愛らしい一面もお持ちなんて、狡いです」


「わたしなんかでよければ、お友達に立候補させていただきますっ」


「え? え??」


子供染みたことを言って幻滅させたかと思ったが、むしろ嬉しそうな三人の様子にリュディアは驚く。


「どうすれば、リュディア様に淋しい思いをさせなくて済むかしら?」


「ちょ……、わたくしは淋しいなんて……」


「そうですね。庶民の考えかもしれませんが、渾名あだなで呼び合うのはどうでしょう?」


「渾名?」


「わたし、シュテファーニエって長いんでお母さ……ま、とかにはファニーって呼ばれてるんです」


「ああ。愛称のことですのね。私はトルデと」


「私は、よろしければキアと」


愛称を教え合って、三人は一斉にリュディアの方を向く。三対の眼に期待を込めて見つめられ、リュディアは怯んだ。そして、恐る恐る口を開いた。


「わたくしは、ディアと……」


「「「はい、ディア様っ」」」


なんだか恥ずかしくてリュディアは、頬を染めつつ俯いた。それを見て、三人は満足そうに微笑んだのだった。

後日、訪ねてきた王子のロイに、リュディア嬢はモテるな、と評価された。



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