22.薔薇
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
何だ?
薔薇の剪定を手伝っていた俺は一瞬手を止める。原因を探ろうと、ぐるりと周囲を見回すも親父と視界いっぱいに咲き誇る薔薇しかなかった。
首を傾げていると、親父に注意されて手元を誤らないように気を付けて切っていく。薔薇は花が集まり過ぎていると、栄養が分散して花が大きく咲かない。もちゃっと咲いているより、凜と一輪咲いている方が好まれる。俺はどっちでも綺麗だと思うが。
たぶん俺の考え方のせいで、なかなか剪定の基準が判らず、覚えられない。親父に確認しながら間違えないように切る。親父が剪定するのを見てからやっているけど、切っていいか指して訊くと五割以上の確率で駄目出しされた。
しかし、咲いている時期の薔薇園にいると場違い感がすごい。親父も俺も花が似合う人種ではないが、薔薇だとそれを余計に感じる。貴族のイメージ強いからかな。いやここ、貴族ん家だから薔薇があるの当たり前なんだけど。
昼前に剪定作業が終わり、俺は切った薔薇を入れた籠を抱えて中庭を抜けていた。せっかく咲いて勿体ないから、メイドさんたちに何かに使えないか持っていく。きっとポプリとかには使えるはずだ。親父は厨房に飾り用で使うか確認に行っている。ついでに、賄いのお裾分けを是非もらっといてほしい。
ふと俺は足を止める。
中庭に面した廊下の硝子戸が開いていて、そこに知らない人がいた。
中庭を眺めているはずなのに、見てない感じの眼をしたおっちゃん、いや兄ちゃんだ。おっちゃんだと思ったのは、影が薄いっていうか、雰囲気が暗いっていうか。うん、暗い。初夏のいい天気なのに、顔色も若干悪い。
特に隠れる必要もないから、そのまま通り過ぎようとした。
けど、俺の足音にも無反応な兄ちゃん。試しに、近くまで寄ってみたが、これまた反応がない。
俺、幽霊
エルンスト家で働くようになって一年経つけど、この兄ちゃんは見たことがない。それに格好が貴族っぽいけど、エルンスト家の人たちみたいな金髪じゃなくて茶髪だ。
悪寒の原因はこの兄ちゃんだろうか。けど、幽霊ってこんなはっきりくっきり見えるものだっけ。前世含め霊感があった記憶がない。
「兄ちゃん、生きてる?」
「え……?」
幽霊かどうか本人に訊いてみた。声をかけたら、兄ちゃんはようやく俺に気付いた。
新緑の若葉みたいな色の瞳なのに、生気があまり感じられない。枯れ葉みたいだと思った。
少しぼんやりと俺、というより俺の方を見ていた兄ちゃんは、ゆっくりと俺に焦点を合わせた。あ、やっと眼が合った。
俺の存在に気付いた兄ちゃんは、驚いたように眼を見開いたと思ったら、なんだか哀しそうに微笑んだ。けど、少しだけ瞳に光が戻っている。
「ああ……、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないときに笑わなくていいんじゃない?」
どう見ても無理に笑ってる感がある。こんな知らない子供にまで気を遣わないでいいのに。
兄ちゃんはどう反応すればいいのか判らないようで、固まってる。
会話ができたのを確認した俺は、籠から黄色い薔薇を一輪取って、兄ちゃんに渡した。
「はい」
兄ちゃんは反射的に受け取って、咲きかけの黄色い薔薇を見詰める。
「よかったら、あげる。生けたら咲くから」
黄色ってなんか元気出そうな色だし、薔薇の中でも黄色いのは一番いい香りするような気がする。
「ありがとう」
花を見て和んだらしい兄ちゃんは、さっきより若葉っぽい瞳を細めた。うん、今は自然に笑ってる。
さて、どうしよう。幽霊かどうか判らない兄ちゃんをこのまま放っておいていいんだろうか。幽霊なら、明らかに成仏できない系だ。そういうときって身の上話を聞けばいいんだっけ。
「なんでそんなに元気ないんだ?」
幽霊なら生気がないのがデフォルトだから訊き方が変かもしれない。でも、気になることこれぐらいだし。
「妻がずっと病気でね……」
あ、話し出した。やっぱり幽霊かな。
「治らない病気?」
自分で言って、一瞬前世での絶望感が過った。余命宣告の直後に事故に遭ったけど、余命三ヶ月まで生きてたら、俺もこんな生気のない
「そうだな。治らない……、心の病気だから」
若葉色の瞳が陰る。精神的な要因なら薬なんてない。日本でも軽減する程度の薬が副作用付きであるだけだった。
「このまま身体まで崩して、妻まで失ったらと思うと……っ」
ぱんっ!
俺が花籠を置いて両手を叩くと、薔薇を持っていない方の手で髪を掻き毟ろうとしていた兄ちゃんが弾かれたように顔をあげた。
「兄ちゃん、飯一人で食べてる?」
「……ああ」
「ちゃんと食べてないだろ」
「……あまり、食欲がなくて」
「兄ちゃん、貴族なら友達いっぱいいるだろ」
貴族は社交が仕事に含まれているから、基本的にコミュニケーション能力が高いはずだ。知り合いなんていっぱいいるだろう。
「いっぱい、かは判らないが……」
「じゃあ、時々でいいからダチとかと食べなよ」
俺が訊くことに素直に答えた兄ちゃんは、俺の提案にぽかんとする。
「一人で食べるから、飯美味くないんだよ。それに奥さんが具合悪いなら兄ちゃんを心配してくれる家族がいないってことだろ。なら、兄ちゃん自身がちゃんと自分の心配をしないと」
一人きりで家族の看病する人は、自分を追い詰めやすい。誰かに頼るって選択肢を忘れるから。忘れてる人に周りが頼るようにいくら言っても、聞き入れてくれるか判らない。だから、誰かが近くにいることに気付くだけでもいい。あと、自分に構う余裕も作れれば尚いい。
まぁ、いきなり知らない子供に言われたことを鵜呑みになんてしないだろうけど、気付くきっかけぐらいになれば御の字だ。
庭、緑を見てたってことは少しは癒されたい気持ちがあるはずだ。
景気悪い顔するなとか、元気出せとか、抽象的に応援したって、これからも奥さんの看病するのは兄ちゃん自身だ。兄ちゃん自身が心のスタミナつけなきゃやってけるわけがない。
兄ちゃんは瞠目して、もう一度手元の薔薇を見た。そして、顔に近付けて香りを嗅ぐ。様になるその様子を見て、やっぱり貴族なんだと実感する。
「私は……、花を愛でることも忘れていたんだな」
情けなさげに微笑む兄ちゃん。成仏しそうなことを言ってるけど、きっと生きてる人だ。今は生気ある眼してるし。
ん? とゆーことは……
「ダニエル、ついて来ていないと思ったらこんなところに迷い込んでいたのか」
少し焦った声で名前を呼ぶ公爵様。兄ちゃんの姿を認めて、安心したような声音に変わる。
「ジェラルド」
ダニエルと呼ばれて反応した兄ちゃんは、公爵様をじっと見る。急に凝視された公爵様は、首を傾げる。
「なんだい?」
「そうか……」
ふっと、兄ちゃんは可笑しげに笑った。
「それで君は私を邸に誘ったのか」
喉を鳴らす兄ちゃんを見て、公爵様は少し考える素振りをみせた後、気まずそうに微笑んで俺の方に向いた。
「……イザーク、バラしたのか」
「へ。何をですか?」
一体何の話だ。公爵様とこの兄ちゃんが知り合いとは知らなかったし、公爵様の話なんてしていないから何もバラしようがないんだが。あ、薔薇はあげた。
思いっきり首を傾げる俺に、公爵様は仕方なさそうに微笑した後、紹介してくれた。
「ダニエル、この子はイザーク。我が家の庭師見習いだ。イザーク、彼は私の友人のダニエルだ」
公爵様のダチってことは身分の高い貴族ってことだ。ヤバい、めっちゃタメ口で話しかけてた。俺は即座に頭を下げて謝る。
「イザーク・バウムゲルトナーです。さっきは失礼な口きいてすみませんでした! ぬぼーっと立ってたから幽霊かと思ってっ」
下げた頭の上で、吹き出す音が聴こえた。思わず頭をあげると、口元を拳で押さえつつも可笑しそうに喉を鳴らす公爵様と苦笑を浮かべる兄ちゃん、いやダニエル様がいた。
「知らない子に幽霊と間違われるなんて、相当だな。ダニエル」
「流石に自覚したよ……」
ダニエル様の答えに、公爵様は僅かに眼を見開いて柔らかに微笑んだ。そうか、ダチがこんなだったら心配するよな。事情は判らないけど、公爵様が安堵したのならちょっと大丈夫になったんだろう。
唐突にぐう、と俺の腹が鳴った。メイドさんに薔薇届け終わったら昼飯だった。そういえば、基本飯の話題しか浮かばなかったのは腹が空いてたからかもしれない。
くすり、とダニエル様が笑った。
「いい音だな。こっちまでお腹が空きそうだ」
「あの、えっと……」
「仕事の途中だったんだろう。戻って、早く昼食を取るといい」
「はいっ」
上司の公爵様に外す許可をもらったので、花籠を抱え直して失礼しました、と会釈する。
「イザーク」
名前を呼ばれて踏み出しかけた足を止めると、ちゃんと若葉色した瞳とかち合った。あげた黄色い薔薇はその胸元で咲いていた。それを指して、ダニエル様は言う。
「ありがとう。綺麗に咲いたら妻にも見せるよ」
花を大事にしてくれると言ってくれて嬉しい。俺は笑顔を返して、その場を去った。
メイドさんたちに薔薇を届けて昼飯を食べた後は、離れに繋がる渡り廊下の池と東屋の手入れだ。俺は東屋を囲むミニバラの剪定、親父は睡蓮と水の手入れだ。
ミニバラはある程度まとまって咲いていても大丈夫だから、あまり切らなくて済んで俺も気が楽だ。切るのを勿体ないと思うのは貧乏性だからかもしれない。腰に下げた籠に、剪定したミニバラを入れていく。
「お待ちください、エラ先生!」
「お嬢?」
えらく切羽詰まったお嬢の声がした。お嬢の声がすること自体不思議に思いながら声の方に向くと、渡り廊下の母屋側の入り口からお嬢が出てきた。誰かを必死に追い掛けている。その誰かは、お嬢より先をずんずんと競歩並の速度で歩いている。歩幅の差もあって、お嬢が全然追い付けない。
誰だろう、あのおばさん。髪を全部後ろでひっつめて結んでいるポニーテールのおばさんは、何だか気迫が凄い。
おばさんは渡り廊下の中腹で一度足を止めると、ぐるりと俺のいる東屋の方に向いた。なんだか俺と眼が合ったような気がして、思わずびくりと身が竦んだ。
東屋の方に一直線で来るおばさんは、気のせいではなく俺の方に向かってくる。俺の前まで来たおばさんは、俺を睨むように見下ろしてくる。
いきなり知らない大人に睨まれるのめっちゃ怖い。
「貴方がお嬢様のシャドウですね」
「は?」
断定で言われた言葉の意味が解らない。影じゃなくて俺、人間ですけど。
「エラ先生っ」
お嬢が慌てた様子でおばさんを呼んで、言葉を遮ろうとする。けど、エラ先生と呼ばれたおばさんは、お嬢に構わず俺をガン見しながら言いたいことを言う。
「貴方の質が低いせいでお嬢様にも悪影響が出ています。お嬢様のシャドウならば、相応しいレベルになっていただきます!」
言うが早いか、エラ先生とやらは俺の首根っこを掴んで拉致した。
「えええっ?」
状況がさっぱり判らない俺はそのまま連れ去られる。去り際、あまり表情は変わらないものの呆気に取られた親父とまた必死に追い掛けるお嬢が見えた。
連れ去られたのは結構な広さに反して家具が殆どない部屋だった。途中、強制的に着替えさせられた。人に手伝ってもらって着替えるなんて嫌だったから、自分で着替えた。けど、スカーフを付ける必要性が解らず付けなかったら、メイドさんに付けられてついでに髪も梳かされた。
「ココ、何するところですか?」
何だろう、格好といい嫌な予感がする。想像つきそうだが、考えるのを拒否してるから俺をここに拉致った人に訊く。
「ダンスの練習室です」
事もなげにエラ先生は言った。マジか。
「で。コレ、誰の服ですか?」
すごく生地の質がいい。いつもと違うから着心地いいのが、逆に気持ち悪い。あと、めちゃくちゃ服に着られてる感がある。
「私の子供の頃のだよ」
練習室のドアの方を見遣ると、公爵様が楽しそうに微笑んでいた。へぇ、公爵様、意外とシンプルな服着てたんだ。もっとレースとかビラビラした服を着せられてると勝手にイメージを持っていた。いや、美形だから服を派手にする必要がなかったのかもしれない。
「いや、自分の服を子供に着てもらえるのはいいね。イザーク、どうだい。ウチの息子にならないかい?」
「冗談は止してください」
冗談だとしても無茶がある。美形と肩を並べれるわけがない。
「それは残念だ」
そう軽く肩を竦める公爵様。その隣でお嬢が棒立ちになってる。練習室入ってからずっと無反応だけど、どうしたんだろう。
「お嬢、走り疲れたのか?」
顔を覗き込むと、びっくりしたお嬢が仰け反るように距離を取られた。そこまで驚かせるようなことしてないけど。
お嬢はあわあわと視線を泳がせた後、ぷいっとそっぽを向いた。
「ま……まぁ、マシになったんじゃないですの?」
「え? ありがとう」
明らかに似合ってない格好を褒められてもな。お嬢なりのフォローだと思い、礼を言った。
「よかったらあげるよ」
公爵様がさらりと言ってくるから、俺は驚く。
「えっ、もらえませんよ!」
要らない。こんな高価な服、着る機会ないし。いや、今何故か着てるけど。
「それじゃあ、誕生日プレゼントということでどうかな。もうすぐだろう」
「え……」
「どうしてお父様が、ザクの誕生日を知ってますの!?」
「我が家の使用人だからね」
わたくしは日付も知りませんのに、と悔しがるお嬢を笑顔で見返す公爵様。公爵様、俺なんかの誕生日でどや顔しなくても……
まだ、狡いだ、本人に訊けばいいだ、やいのやいのしている。何で使用人の誕生日ごときで上司とその娘が言い争うんだ。
「無駄話はそこまでにしていただけますか」
カッとヒールで床を踏む音に、思わず背筋が伸びた。また目の前まで来られて見下ろされる。怖いからそれ止めてほしい。
「イザーク、と言いましたか。貴方には今後、お嬢様のダンスの時間には同席いただきます」
「ハ、イ……」
有無を言わさない威圧の中で、それ以外の答えを言えようか。自分に言われているわけじゃないのに、お嬢まで怯えて首を縦に振っている。
悪寒の原因を俺はようやく思い知った。
「キューネルト夫人は実に教育熱心だな。さて、もらってくれるかい? イザーク」
「せめてレンタルでお願いします」
俺とお嬢がビビる空気の中で、ずっとにこやかな公爵様。マジで尊敬します。
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