21.ハンカチ
日本人の前世の記憶を持った俺が庭師見習いになって一年が経った。
「お嬢、どうしたんだ?」
公爵令嬢、リュディア・フォン・エルンストことお嬢は少し微妙そうに、庭仕事をしている俺のところに来た。後ろには一歳児のお嬢の妹を抱っこしたメイドのカトリンさんがいる。お嬢の妹の小さな手には、お嬢の薄い金の髪が一房握られている。
「フローラが、離してくれなくて……」
弱り顔で言うお嬢。ここが乙女ゲームの世界でお嬢がそのライバル令嬢らしいが、今はただ妹に懐かれて困っているお姉ちゃんだ。あ、ちなみに俺はモブですらないからゲームには登場しない。
しかし、お嬢はたまに俺のところに来るのを変に優先するよな。離してくれないなら、そのまま妹に構っていてもいだろうに。定期的に会うのが習慣化しているせいだろうか、何というか妙に律儀だ。
今日はお嬢が来たら、俺の自習用の庭につれて行こうと思っていたが、このままでは無理そうだ。とりあえず親父に外す許可をもらってお嬢たちの元に戻る。お嬢の妹は楽しそうにお嬢の髪をぶんぶん振っている。
俺はそんなお嬢の妹に近付く。
「フローラ、今日も元気だな。たまにしか会ってないけど俺、覚えてるか?」
自分を指差して訊くと、フローラはこてんと首を傾げる。お嬢の母親のオクタヴィア様ことオク様に誘われるお茶会で数度会った程度だ。覚えているかは怪しい。数秒考えて、桃色の瞳が俺を凝視しながら声をあげた。
「ざーく?」
「そうだ、イザークだ。よく覚えてたな、偉いぞ」
褒められたのが何となく解るのか、フローラはにぱっと笑って喜ぶ。
俺が笑いかけると、フローラも応えるように笑う。試しに口を大きく開けて見せると、フローラもかぱりと口を開けた。今度は口を真一文字に閉じると、フローラもきゅっと口を閉じる。
「じゃあ、これはできるか?」
フローラの前に両手を出して拳を握って、手を開いてみせた。すると、ぎゅっと小さな手を握ってからぱっと開いて掌を見せた。するり、と握られていた薄い金の髪が落ちた。
「よくできました」
頭を撫でて褒めると、フローラはきゃあ、と喜んでいるであろう鳴き声をあげた。
「姉ちゃんの髪が綺麗なのは解るが、あんまり困らせるなよ」
強く叱る代わりに少し雑めに頭を撫でてみたが、伝わらなかったようで喜んだ鳴き声があがるだけだった。仕方ない、と俺は苦笑する。
「……お上手ですね」
フローラを抱っこしているカトリンさんから、そんな感心した声がかかる。どうやらカトリンさんも、どうにか離させようと試みていたらしい。
「こんぐらいのときは、なんでも真似するんですよ。お嬢、大丈夫か?」
どれぐらい握られていたのか判らないから、疲れてないかお嬢の方を見ると頬を赤くして押し黙っていた。
「どした?」
「……っ何でもありませんわ」
俺が訊くと、ちょっとだけむっと剥れたような素振りを見せてそっぽを向かれた。それ以上、追及しない方がいいだろうと俺は一つ提案する。
「今日はフローラもつれて行くか?」
「え、いいんですの?」
「別にいいぞ。フローラもまだお嬢と遊びたいみたいだし」
一歳児に秘密の場所をリークされる心配はないだろう。ただ抱っこしながら行くには距離があるから、俺はお嬢が入り口の垣根を潜るとき用の大きい布の一辺を一定の幅で裂いた。
いきなり布を裂いた俺を見てお嬢は驚く。
「何を……っ」
「背負えるようにするだけ」
端的に答えて、俺はカトリンさんからフローラを受け取り、背中から両脇の下に布を通して背負い、前で布を捻って後ろに回し、下半身がしっかり安定するように布を巻いてから、腰で余りの布を結んだ。
「よし、行くか」
後ろでフローラが安定しているのを確認して声をかけると、お嬢は眼を丸くしてカトリンさんが拍手していた。
「お見事ですね」
「へ? 下町のおばちゃんたちの方がもっと早いですよ」
カトリンさんが手品でも見たみたいに褒めてくれるが、おばちゃんたちの方が早くてしっかり固定できる。時々しか手伝っていないから、熟練の技には劣る。あとやり方知ってるけど、コレの名前知らない。
「あの……よかったら、そのやり方を教えていただけませんか? オクタヴィア様が近頃腕がお疲れになりやすいようで……」
それでも子供と一緒にいる時間を持とうとするオク様が凄い。貴族って、使用人任せで子育てする方が普通だろう。
「じゃあ、前抱きのやり方も今度教えます」
母親の顔が見えないのは、子供が嫌だろう。
「ありがとうございます」
カトリンさんは安心したように笑った。すると、お嬢が負けじと挙手する。
「わたくしも覚えますわっ」
「妹のために何かしたいのは解るけど、
オク様以上に力の弱いお嬢には難易度が高いし、そもそも令嬢に要るスキルじゃない。ちゃんとお嬢の納得できる理由で注意すると、ぐっと言葉を詰まらせて引き下がった。少し悔しそうだ。
「お嬢はお姉ちゃんなんだから、お姉ちゃんにしかできないことしてやればいいだろ」
「お姉ちゃん……」
その響きにお嬢は
支度ができたので、お嬢と自習用の庭に向かう。カトリンさんが、フローラも食べれるクッキーを持たせてくれた。たぶん前世でいうたまごボーロみたいなもんだろう。
景色が変わるのが楽しいのか、時折フローラが後ろできゃっきゃと鳴く。向かいながら俺が思い付いたままに歌を口ずさんでいると、お嬢に叱られた。
「フローラに変な歌を教えないでくださる?」
「えー、クラシックとか寝るときでいいじゃん。それに、俺そんなん歌えないし」
「まず歌わなければいいのでは?」
「ピクニックとかは楽しい方がいいだろ。なー、フローラ」
「なー」
解っているのかいないのか、フローラは嬉しげに俺の語尾を繰り返した。言葉が解るかどうかの子供を預かるときは、よく歌を歌う。こうした移動中でも子供が楽しめるし、それだけで遊んで構ってることになる。前世の保育園のときを思い返すと歌の時間が必ずあったし、そういうもんだろう。
「お嬢はこーゆーの嫌い?」
「き、らい、では……」
ただ訊いてみただけだが、何故か怯んだようになったお嬢は躊躇いがちにそう返した。
「そっか」
よかった。俺は安心する。音楽は合う合わないが感覚的なものだから、お嬢がアップテンポな歌が苦手なら流石に控えるしかない。合わない曲を聴くのは苦痛だからな。
前世でも妹と一部趣味が合わなかったな。なんだっけ、キャラソン? ひたすら
自習用の庭は少し距離があるけど、歌を口ずさみながらだと気分が楽しくなり気付いたら着いた。後ろでフローラも調子を合わせて声を出していたから、退屈はしていなかっただろう。フローラほど元気な声ではなかったが、後半はお嬢もこっそり口ずさんでいた。言ったら止めそうな気がしたから黙っていたけど。
入り口の垣根を潜る前に、フローラを前抱きに変えて葉っぱや枝に当たらないように気をつけて潜る。お嬢には布を被ってもらって防御して潜ってもらう。
「わぁ」
被っていた布を取ったお嬢が思わず感嘆の声をあげた。
「前のときは咲く時期じゃなかったから、もう一度したんだ」
白詰草の綿毛のような白い花が一面に太陽を浴びていた。梟の噴水の周りは花の白と三葉の緑の二色で埋め尽くされている。白詰草は陽当たりのいいところでしか育たないから、この陽溜まりは絶好の場所だった。
俺は布をシート代わりに敷いて、そこにフローラを下ろし、お嬢にも座るように促す。座ってからも、白い花に近付いて表情を綻ばせる。
「葉っぱだけじゃなく、花も可愛らしいんですのね」
気に入ってもらえて、俺も嬉しい。花畑の方が喜ぶと思っていたけど、前は時期じゃなかったからできなかったんだよな。あのときは踏ませないといけなかったから、咲いていない方がお嬢が心を痛めなくてよかったかもしれない。あのときも、俺が育てたからって躊躇ったからな。
お嬢が花を見詰めているから、フローラも気になったらしく近くの白い花に手を伸ばして、口を開けた。
「こーら、なんでも口に入れようとしないっ」
フローラを抱き寄せて、胡坐の上に座らせる。取ろうとした白詰草は摘んで、フローラの手の届かない高さに掲げる。
「やぁー」
「コレは食べたらダーメ!」
口に入れるものじゃないと注意しても、意図が伝わらないようでフローラは手をぱたぱたと伸ばしてくる。俺は嘆息して、仕方なくお嬢に頼む。
「お嬢、ハンカチ持ってる?」
「持ってますけど?」
「洗って返すから、貸してほしい」
汚れること前提で頼む俺を不思議に思いつつも、お嬢は白いレースのハンカチを貸してくれた。手触りからして上質な生地だと判る。けど、背に腹は代えられないから、申し訳なく思いながらもそのハンカチを一度広げて折った。
折ったハンカチをフローラの眼の前に、跳ねさせながら持っていく。
「ほーら、フローラ。コレ、なんだかわかるか?」
「う。うーさっ」
「そうだ、うさぎさんだ。欲しいか?」
「う」
桃色の瞳を輝かせて、フローラは大きく頷いた。ぱたぱたと手を伸ばす対象が変わったのを確認して、ハンカチで作った兎を渡すとすぐさま耳の部分を
「フローラ!? はしたないですわよっ」
「気に入ってる証拠だから、許してやって」
お嬢は妹の行動に焦るが、口に入れて問題ないものだから許容範囲だと伝える。お嬢は戸惑いながらも、フローラの様子をしばらく見てこの方がいいと納得してくれたみたいだった。
「ザクは、本当に子供の面倒を見るのに慣れているんですのね」
「下町なんて助け合ってなんぼだからな」
俺も、もっと小さい頃は近所の兄ちゃん姉ちゃんたちやおばちゃんたちに世話してもらったらしい。その分を、自分より後に生まれた奴らに返しているだけだ。
「それに引き換えわたくしは、姉として何もしてあげられていませんわ……」
しょんぼりと落ち込むお嬢を見て、俺は首を傾げる。
「してるじゃん」
「え……」
「フローラが一緒にいたいって甘えたら応えてやって、心配したり叱ったり、もうお姉ちゃんしてるじゃん」
少ししか会っていない俺といても平気なのは、お嬢が一緒にいるからだ。お嬢が側にいるから、フローラは安心して今知らない場所で遊んでいられる。
「そう、かしら……」
「そうだって。なぁ、フローラはお姉ちゃん大好きだよなー?」
「う。すきぃー」
俺が訊くと、フローラは速攻で肯定した。この反応からして、好きの意味はちゃんと解っているみたいだ。流石、公爵様に溺愛されているだけある。
妹の言葉を聞いて、お嬢はぶわっと顔を赤くした。若干、薄い青の瞳が潤んでいる。
「フローラ……」
「よしっ、フローラ。お姉ちゃんにぎゅってしてやれ」
「ぎゅ??」
「こうやって、大好きだぞーって伝えることだ」
苦しくないように気をつけながら、フローラを抱き締めると嬉しそうな鳴き声があがって小さな手が抱き返してくれた。やり方が解ったのを確認した俺は、フローラを後ろから両脇を持ちあげてお嬢の方へやる。
「ほい」
「ねーしゃ、ぎゅーっ」
「っ!」
フローラが抱き着く力の強さを感じて、お嬢が少し眼を見開いて、最初はおずおずと、そして最後にはしっかりと抱き返した。
目一杯の力で抱き着くってことは、それだけの気持ちがあるってことだからお嬢にもちゃんと伝わっただろう。スキンシップって言葉の通じない時期には、家族で大事なコミュニケーション手段の一つだ。お嬢には初めての妹だから自信がなかったのかもしれない。これで、少しは妹に好かれている自信を持ってくれればいい。
腕の中が気持ちいいのか、フローラはずっとお嬢に抱き着いていた。お嬢もそれが嬉しいのだろう、しばらくフローラを抱き締めていた。
どれくらい経ったか、お嬢がふと顔をあげる。
「……ところで、先程から何をしていますの?」
「ん?」
手元で作業していた音が気になったらしく、お嬢が俺に訊いた。ちょうど出来上がったそれを、お嬢の頭に載せる。
「ほい、お姫様」
「ひめしゃー」
白詰草の花で作った白い花冠を見て、フローラが桃色の瞳を輝かせた。
「うん。花の精霊とかいたらこんな感じだろうな」
今日のお嬢は偶然、白が基調のドレスだったから白詰草の花畑に嵌っていた。属性精霊以外に精霊がいるかは知らないが、精霊が
「~~っ!」
お嬢は急に口を真一文字に引き結んで、紅潮した。怒る直前みたいに、眼を見開いている。
「ざーく、らーもっ」
どうしたのか、とお嬢に訊こうと思ったら、フローラに
「お揃いがいいんだな。待ってろ」
俺は早速、一回り小さい花冠を作り始める。結局、お嬢の様子については訊けず仕舞いだったが、お嬢からは何も言われず、ただフローラを抱き締めて花冠ができるのを待っていた。
サイズが小さいのと、慣れたのもあって、さっきよりは早く花冠ができた。それでも、フローラは待ちくたびれたらしく、ハンカチの兎の耳をまた
「待たせたな、お姫様」
ぽんと濃い金髪の上に花冠を載せると、フローラは見えないながらも頭の上に手を伸ばして花の感触を確かめた。それから、確認するようにお嬢を見上げる。
「ねーしゃ」
「ええ。お揃いですわ」
フローラと同じように花冠を持ってみせて、お嬢は微笑みかけた。その答えに、フローラの顔一面に嬉しさが満ちる。
「ひめしゃっ」
はしゃぐフローラを見て、お嬢が可笑しそうに小さく笑う。
「本当に可愛いお姫様ですわ」
「かわいー」
「ええ」
「お嬢、違う」
「え」
急に俺が否定の言葉を割り入れたから、お嬢がきょとんと首を傾げる。
「フローラはお嬢に可愛いって言ったんだ。な」
「う。ねーしゃ、かわいー」
フローラは褒めてもらえて嬉しかったから、同じようにお嬢に返したかったんだろう。けど、お嬢は褒めてもらえているかの確認だと誤解していたから、それだけは訂正させてもらった。
妹からの称賛を理解して、お嬢は嬉しいのか恥ずかしいのか真っ赤になる。
「……っ何なんですの、二人して」
何で、俺も?
口惜しそうに呟かれる対象に俺まで含まれている理由が解らなかった。
その後、小腹を空かせたフローラに持ってきたクッキーを少し食べさせると、うとうとし始めた。なので、邸に戻ることになった。
「わたくしも背負ってみたいですわ」
背負う準備をしようと思ったら、お嬢が挙手してそんなことを言ってきた。まだ諦めていなかったのか。
「いや、でも」
「少しで、いいですから……!」
「……わかった。じゃあ、その端に座って」
敷いた布の端、すぐ立ち上がれる位置に座ってもらい、脇の下に布帯を通したフローラをお嬢の背中に乗せる。
「ちょっとじっとしててな」
布帯を持ったまま、俺はお嬢の前に回り前で数度縒る。そして、布帯の両端をお嬢の向こうのフローラまで回して、下半身が安定するように巻いて交差させてから、お嬢の前まで持ってきて腰の位置で結んだ。
「よし。これでいいぞ、お嬢。……お嬢?」
返事がないから、結び目から顔をあげるとぎゅっと眼を瞑って、息を詰めたお嬢がいた。酸欠なせいか顔が赤い。耐えるように拳も握り締めている。
どうしたのか、と少し考えて、息を止めている理由に一つ思い当たった。そういえば俺、庭の作業した後だから汗臭いかもしれない。もしかしてスメハラというやつをしたのだろうか。ヤバい、どうしよう。お嬢からは言いづらいだろうし、俺から確認した方がいいよな。
「ごめん、お嬢。俺、臭かった?」
「へ?」
俺が申し訳なく訊くと、お嬢は眼を丸くした。とりあえず、息をしてくれてよかった。
「いえっ、ななな何でもありませんわ!」
そして、全力で首を横に振った。そんなに慌てて首を振って、首痛くないのか。
「でも……」
「何でもないったら、ないんですのっ!」
「わか、った」
強く言われたので、俺は首を縦に頷くしかなかった。
お嬢は気を取り直して、フローラを背負った状態から立ち上がろうとする。
「ふ……っ」
けど、何度力んでも重心が後ろに固定されて立ち上がれない。だから、言ったのに。自分の半分ぐらいの体重がある妹を背負うのは無茶だろう。
それでも、一生懸命立ち上がろうとぷるぷるするものだから、なんだか可愛くて俺は吹き出してしまった。すぐさま、お嬢から恨みがましい睨みで見上げられたから、苦笑しつつ謝る。
「ごめんって。オク様も抱くの大変になってるんだから、お嬢が背負うのは無理だって」
「うーっ」
できないことが普通だと説明しても諦めきれないらしいお嬢は、珍しく言葉もなく唸った。もしかしたら、フローラのが伝染ったのかもしれない。
今度は俺がぷるぷると震える番だった。
「どうして笑うんですの……!?」
「いや、お嬢。可愛すぎ」
お嬢の抗議に、馬鹿にしているわけではないと感想を伝えるも、その後、結局怒られてしまった。
フローラを背負うのを代わる間も、怒りが収まらないらしく無言でぽかぽか叩かれた。たぶん無言だったのは、眠そうにしているフローラを気遣ってだろう。
邸に着いてカトリンさんに迎えてもらう頃には、ぐっすり眠るフローラとすっかり剥れたお嬢を引き渡すことになった。
こうしてここが乙女ゲーの世界だと気付いてからも、俺の生活に変わりはなかった。
――ただ数日後、フローラに抱き着き癖が付いたことで俺が公爵様にハグの奇襲に遭った。
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