二章

20.回想




ジェラルドは悩んでいた。

公爵であるジェラルド・フォン・エルンストは、魔術省・薬術省・医術省の三省を束ねる三省長の役職にあり、多忙な日々を送っている。そして、数ヶ月前に二人目の娘が生まれ妻のオクタヴィアも育児に専念しているため、長女のリュディアにあまり構ってやれないのだ。

家族第一のジェラルドにとって、これは由々しき問題である。家の者から、愛娘の様子を報告してもらっているが、少々気が立ちやすくなっており時折使用人に当たるようなことがあるらしい。

愛娘は自分たちのことを気遣って、寂しいなどの甘えを言ってこない。公爵家に生まれた重圧もあるだろうが、甘え頼ってもらえないのは親としては寂しい限りである。ただ、その代わりにやり場のない不満が使用人に向いてしまっているようだった。

己が原因であることに自覚がある以上、愛娘の行動を叱ることに気が引けた。その為、強く言えずにいる。使用人たちには、八つ当たりをさせて申し訳ないと、折に触れて謝罪をしているが根本的解決にならないと解っている。

父親として不甲斐ない限りだと、思い悩んでいたところで看過できないことが起こった。


「こんな無礼なメイド、クビにしてください!」


出勤前に新しく入った使用人と挨拶をしていたところだった。愛娘が見送りにきてくれたことを嬉しく思っていたら、これまでのツケが回ってきた。

今の愛娘は気位の高さを履き違えている。それを修正できなかったのは、放置した自分の責任だ。

流石に窘めなければならないか、と胸が重く感じたところで予想外の声が降った。


「お前、すっげぇ性格ブスだな」


聞き慣れない表現にも驚いたが、内容に反して悪意などない冷静な響きだったのが意外で怒りが湧かなかった。娘への罵倒といえばそうだが、指摘が的を射ているのも事実だった。

ジェラルドの反応が追い付かない内に、重く鈍い音が響く。専属庭師のデニスが自分の息子を殴ったのだ。


「い゛……っ!?」


「謝れ」


息子がいないため、ジェラルドは男家族はここまで容赦がないものだろうか、という感想を持った。だが、ジェラルド自身は厳しく育てられたものの、父親に手を上げられた記憶がない。バウムゲルトナー家がこうなのだろう。

相当痛いのか、声すら出ない様子で息子のイザークはうずくまっている。

あかがね色の瞳を見れば、不服が滲んでいた。だが、怒りを持っている様子はない。彼は、自分なりの正しさを持っているようだった。どういう考えを持っているのか、ジェラルドは少し興味が湧いた。


「い、ま、なんて言いましたの……っ!?」


「お前、そんなチビのときから性格ブスだとでっかくなったときにゃ顔もブサイクになるぞ」


「な……っ!? わたくしを誰だと思っていますの!!」


癇癪を起こして怒っている姿も我が娘は愛らしい、そんな感想を持ちつつもジェラルドは静観することに決め、再び拳を構えるデニスを手で制した。様子を見たい意志が伝わり、デニスは渋面ながらそれ以上拳を振り上げるのを止めた。

その間にも、少年は愛娘に静かに問いを重ねる。彼は、良くないと思ったことをそのまま伝えた後は、自身の正義を押し付けも責めもせずただ訊くだけだった。

ただ、今まで盲信していた通りにではなく、徐々に自身で考えて答えないといけない状況に追いやられた愛娘の方は、きっと責められている心地だろう。


「――けど、お前はなんで偉いんだ?」


「わ、わたくしはエルンスト公爵家の……」


「メイド一人、クビにするにも父親頼りの奴がほんとに偉いのか?」


「……っ」


ついに愛娘は、盲信した価値観だけでは言葉が継げなくなった。口惜しそうに少年を睨む様子も、可哀想ではあるが大変愛らしい。

どうするかと思ったら、弱々しい平手打ちが少年の左頬を打った。

愛娘なりに、どうにか太刀打ちできない状況に抗いたかったのだろうが、既に後悔が表情に浮かんでいる。悪手だと理解できるほどには癇癪が鎮まったようだ。

これまで暴力など振るったことのない愛娘は、相手の反応に怯えている。だが、少年はそれでも落ち着いていた。


「暴力に訴えるのは負けを認めたようなもんだぞ」


「っ!!」


利発そうな眼をした少年だと思っていたが、口論の果て力に訴えることの愚かさを、僅か七歳で理解しているとは。身分が上とはいえ、年下の少女にたれるなど、本来なら屈辱を感じてしかるべきだ。

言葉遣いに難はあるが、相手の眼を見て侮辱せずに真っ向から話す姿勢は潔い。どこまでも落ち着いた様子の少年に、ジェラルドは感心する。

愛娘が羞恥か怒りかに頬を染め去って行ったのを見送り、娘の非礼について詫びようとデニスの方を見遣ると、デニスは黙して首を振った。エルンスト家への忠義が厚いためか、それとも息子の扱いが雑なのか、気にしなくてよいという意図が伝わった。言外にそう言われては、謝罪する訳にもいかない。

話し終えてからデニスに叱られる可能性を思い出したらしい少年は、そろりとジェラルドたちの方を見上げた。不思議そうに見上げてくる銅色の瞳に、ジェラルドは苦笑しか浮かばない。嫌な役回りを会ったばかりの少年にさせてしまった。


「ありがとう、イザーク」


だからこそ、感謝を伝えた。


「いえ……、むす……ご令嬢に好き勝手言ってすみませんでした」


言葉遣いが雑な自覚があるようで、謝られた。だが、彼には学ばせてもらった。こちらが既に知る正しさを伝えるのではなく、自身で振り返り正しさを考えさせる。正す場合は叱らねばならない、という思い込みがあったジェラルドには光明を得た心地だ。

ジェラルドにとってリュディアが初めての子供なのだから、育て方が手探りなのは仕方がない。それでも、まさか幼い少年に育児を学ぶとは思わなかった。男親としての不甲斐なさを恥じるばかりだ。

今後の参考にさせてもらう旨を伝えたところで、執事から出勤を促されてしまった。ジェラルドは、愛娘の本来の可愛さを補足して、デニスと息子のイザークに別れを告げた。

きっとこの出来事は、愛娘には成長するよいきっかけになるだろう。この機会を活かさなければ、とジェラルドは出勤する馬車の中で思った。

だが翌日、既に変化が現れた。


「おはようございます、お父様」


「おはよう、ディア。今日は早起きだね」


ジェラルドの出勤が早い日にも関わらず、リュディアは玄関ホールで待っていた。昨日の強気な様子と打って変わって、緊張した様子で勢いがない。


「少しだけでいいので、お時間いただけませんか……?」


不安そうに見上げる同じ色の瞳に、ジェラルドはふんわりと微笑み返す。


「構わないよ」


「あの、昨日のカトリン……メイドの件なんですけど……」


一度、視線を落としてから、小さな手をぎゅっと握り締めてリュディアは顔を上げる。


「わたくしの申し出は取り下げます……! ただ、もしカトリンが望むなら、わたくし付きのメイドから外して他に就けてください」


冷静になったリュディアは、自分の父がメイドをクビにすることはないと解っている。それでも、自身の過ちを父に申告しておきたかった。

ジェラルドは瞠目する。微かに震えつつも見上げてくる瞳は、決意が籠っている。変化があるとは思っていたが随分と早い。


「わかった。カトリンを悪いようにはしないよ。安心してくれるかい?」


「はい」


ジェラルドの言を得て、ようやく安心したリュディアはほっと息をくように表情を綻ばせた。

愛娘の反応に、ジェラルドは目を細め淡い金糸の髪を撫でた。


「ディア、偉かったね」


叱責される覚悟を決めていたリュディアは、眼を丸くして固まる。しばらくして、自身の過ちに向き合った勇気を讃えてくれたのだと解って、嬉しさとも安堵とも着かない感情と、昨日の行動を恥じる感情がせめぎあって体温が上がった。


「……困らせて、ごめんなさい」


「ディアはいい子だよ。それに、ディアになら困るのも嬉しいさ。私こそ、寂しい想いをさせて済まないね」


潤む瞳に愛しさが湧き、ジェラルドは愛娘を抱き締めた。リュディアは、そろりと父の背に手を伸ばし、ぎゅっと掴んだ。そして父の謝罪に、腕の中で静かに首を横に振る。


「……ジェラルド様」


久しぶりの父娘おやこの抱擁を、ジェラルドが堪能していると、控えていた執事から声がかかる。出発の時間に、惜しみながらもジェラルドは愛娘を腕の中から解放した。


「じゃあ、行ってくるよ。ディア」


「いってらっしゃいませ」


はにかむ愛娘に、また抱き締めたくなる衝動を必死に抑え、ジェラルドは正門で待つ馬車へ向かう。

扉を出たところで、背後から声がかかった。


「っお父様! またお見送りしてもいいですか……!?」


足を止め、笑顔でジェラルドは振り返る。


「勿論」


決死の想いで希望を伝えたリュディアは、父の返事に表情を輝かせる。

閉まる扉の向こうにいたリュディアは知らない。その直後、感極まったジェラルドが崩れ落ちたことを。


――それから一年後、


「ありがとう、イザーク!」


「い゛ぇ゛……!? あの、公爵様、今日は一体どうしたんですか!?」


感謝の抱擁という奇襲を受け、相変わらず礼を言われる理由が解らない庭師見習いの少年は悲鳴混じりに問うた。


「ディアが、今日も可愛いんだ!!」


眩しい満面の笑みで告げられた内容に、庭師見習いの少年は呆気に取られる。


「はぁ。よかった、ですね……?」


「ああ」


君のお陰だ、とジェラルドは何度目かの礼を告げる。彼がいてくれたから、今の幸福な日々がある。

そんなつもりなどなく彼が思うままに、ただ行動していると解っている。だからこそ、ジェラルドは何度でも感謝を伝えるのだ。



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