side01.林檎




「カトリンさんって、モテそうですよね」


庭師見習いの少年の言葉に、メイドのカトリンはティーカップを持ったまま固まった。

午後の陽射しが硝子越しに降り注ぐ温室で、主人のリュディアとその友人の庭師見習いの少年と自分が淹れた紅茶を飲んでいたときだった。

まず主人と同席すること自体、本来ならあり得ないのだが、この場所で友人とお茶をして咎める人間はいない、と主人である年下の少女に納得させられた。自分も友人の枠に入れてくれていることの嬉しさと、言ったときの主人の照れた様子が愛らしくて、その瞬間のことは未だに忘れられない。

ともあれ、平民である庭師見習いの少年が既に公爵令嬢の主人と席を同じくしている時点で、男爵家のカトリンが遠慮する理由は奪われていた。

何度目かの同席で少し慣れてきた頃に、先程の突拍子もない発言だ。ちょうど気が緩んでいたところに不意打ちを受け、お茶でせるところだった。どうにかそれに耐え、カトリンはどうにか言葉を絞り出す。


「ご、冗談、を……」


「え。何で冗談?」


きょとんと眼を丸くするあかがね色の瞳に、カトリンは言葉に詰まる。彼が基本的に思ったことしか言わないと、主人とのやり取りで充分過ぎるぐらいに知っている。だから、先程の言葉にからかいの色が微塵もないのは判りきっていた。だからといって、カトリンは素直に受け取れず、居たたまれなくなる。


「だ……だって、私は器量もよくないですし……」


そばかすのある自分の顔をカトリンは好きになれない。

エルンスト家のメイドになるまで、家族から散々溜め息と共に指摘されてきた。言われ続けると本当にそうとしか思えなくなる。カトリンの、自身の容姿への評価は家族から受けたもので固定されていた。


「えー……お嬢、どう思う? カトリンさん、笑うと可愛いくね?」


庭師見習いの少年の言葉に、リュディアはこくこくと縦に頷く。


「可愛らしいですわ。わたくし、カトリンが笑ってくれるととても嬉しいですもの」


「癒し系だよなー」


リュディアの断言に、庭師見習いの少年も同意する。家族と真逆の評価に、カトリンは戸惑う。どう反応したらよいか解らない間にも、話は進む。


「癒し系、とはなんですの?」


「なんか一緒にいるとほっとする感じの人のコト」


「確かに……カトリンといると安心しますわ」


不思議な表現の説明を受け、リュディアは納得する。主人が自分を評価してくれるのは光栄で有難いことだが、目の前で自分の話をされている状況が、カトリンには恥ずかしい。今まで自分に着目されることなどなかったから余計だ。


「大概の男は、癒し系好きだと思うんだけどなー」


「そういうものですの?」


「ぐいぐい迫力ある女子よりは、よっぽど」


「…………その、ザクも?」


「俺? えー、考えたコトねぇからわかんね」


「そう、ですの……」


恐る恐る訊いた主人の問いに、彼はあっけらかんと答え、主人は肩透かしを食らったように小さく息をいた。

自分の話で居たたまれなかったが、その時ばかりはカトリンは主人の様子を微笑ましく感じた。

主人の様子をちゃんと答えなかったからがっかりしたと誤解したらしい庭師見習いの少年は、しばらく考え込んで閃いたように笑顔になった。


「あっ、お嬢は可愛いと思うぞ」


「!? そんなことは訊いていません!」


ぼっと赤面する主人のリュディアは、彼の言葉通り愛らしい。容姿も淡い金の髪と淡い青の瞳で妖精のようだが、感情豊かな内面も含めてその評価に相当する。彼の意見に、カトリンは内心で同意した。

リュディアは羞恥を拭い去るように、語気を強めてカトリンに言う。


「っともかく、カトリンは考えを改めなさいな」


「それは……」


「わたくしが保証するのです。自信を持ちなさい!」


「はい……」


気弱に返事をするカトリンに、リュディアと庭師見習いの少年は眉を下げた。固定された価値観を覆すのは難しいと、二人は感じた。

お茶会の後も、主人のことならば当然と肯定できるカトリンは、自身のことには肯定できないままだった。

その日のエルンスト家の夕食後、カトリンは食器を下げるため厨房に訪れた。


「皆さん、お疲れ様です。こちらお願いします」


「わかりましたっ」


「おお、嬢ちゃんもお疲れ。使用人室にもう用意してあるから、この後食べな」


「はい、ありがとうございます」


食器を料理人に引き渡していると、料理長が豪気に笑いながら声をかけてきた。使用人の食事は基本、エルンスト家の人々が食事を終えてから数人ずつに分かれてとる。カトリンは幼いリュディアに付いているため、彼女の就寝時間に間に合うように前の順番になることが多い。

料理長に礼を言って、カトリンは厨房を出ていく。賄いとはいえ、エルンスト家の料理人たちが作る食事は美味しいので、いつも楽しみにしている。


「あの……!」


不意に呼び止められて、カトリンが振り向くと自分とそう歳の変わらない少年がエプロンを握り締めて立っていた。彼は確か、料理人見習いで材料の下拵えを担当している少年だ。


「はい?」


「あ、あの……っ」


カトリンが首を傾げつつも返事をすると、坊主頭の彼はしどろもどろに言葉に詰まり、眼を泳がせる。何かを言いたいから呼び止めたのだろうと、カトリンは同僚の言葉を待った。

坊主頭の少年は、すうっと一息吸ってから掴んだエプロンを更に強く握り口を開いた。


「ああんた、じゃがいもみたいだな……!」


どもりながらもしっかり言われた言葉に、カトリンは頭が真っ白になった。

そして、意味を理解をして、視界が滲むのを感じた。


「……っそんな、ことをわざわざ、言うために、呼び止めたのですか」


「え……、なんで?」


涙を湛えるカトリンに、坊主頭の少年は呆然とする。

その場にいるのが耐えられなくなって、カトリンは足早に去った。食事の用意された使用人控室に立ち寄ることもなく、洗濯干場へと向かった。陽も落ちたこの時間帯に人が来ない場所に行きたかったのだ。

ただ芝生が広がる場所に一人立ち、囲む木々の葉擦れの音に掻き消されるほど静かに、カトリンは泣いた。

やはり自分は、家族だけでなく他人から見ても不器量なのだ。その事実を改めて思い知った。


「私には、無理です……リュディア様」


自分を励ましてくれた主人の言葉を思い出して、応えられない自分の弱さに胸が痛くなった。





その夜を境に、カトリンは俯きがちになり笑わなくなった。目に見えてふさぎがちになったカトリンを、リュディアは心配したがどんなに訊いてもなんでもない、と覇気なく無理に微笑むだけだった。


「誰ですの!? カトリンを傷付けたのは……!」


「犯人いるの前提なんだ」


「だって、急に様子が変わりましたのよっ。誰かが何かを言ったに決まっていますわ!」


温室で珍しく穏やかではないお茶会をするリュディアと庭師見習いの少年。リュディアの意見に、庭師見習いの少年は頭を抱えた。


「……うん。お嬢、合ってる。たぶん俺、犯人知ってる」


彼には珍しく、唸るように重く言う。だが、リュディアはその様子に構っていられない。


「どこの誰ですの!? ここに連れて来なさい!!」


「待って、お嬢っ。もう兄ちゃんたちにタコ殴りに遭ってるから! あと、誤解なんだって!」


これ以上は止めてやってくれ、と懇願して庭師見習いの少年はリュディアの憤りを宥める。


「誤解……?」


怪訝に聞き返すリュディアに、庭師見習いの少年は強く頷く。


「うん。そういや、お嬢。今って何月?」


急な話題変えに、更に怪訝にながらもリュディアは素直に答えた。


「二月ですけど、それがどうかしましたの?」


リュディアの答えを聞いて、庭師見習いの少年はにっと笑う。


「誤解を解くチャンスを与えてやって?」


彼の思い付きが何か解らないながらも、リュディアは彼を信用して渋々頷いた。

数日後、カトリンは主人のリュディアに頼まれて温室でお茶の準備をしていた。最近は同席を誘われても断っており、その代わりお茶の支度だけはしっかりとしようとカトリンは決めていた。主人に心配をかけていることが、余計に心苦しくさせていた。

思わず溜め息が零れる。

その直後、足音が聞こえカトリンははっとなり背筋を伸ばす。主人にこれ以上心配をかけてはいけない。


「リュディア様、本日のお茶は……」


足音の方へ視線を遣り、カトリンは言葉を途切れさせる。そこに居たのは、主人のリュディアではなく坊主頭の料理人見習いの少年だった。

怯えたカトリンが反射的に一歩後退ると、坊主頭の少年は勢いよく頭を下げてきた。


「こないだは、すみませんでした!!」


「っ!?」


あまりの勢いのよさにカトリンは眼を丸くする。彼は、直角に身体を折ったまま言葉を続ける。カトリンにはひよこのような短い髪の頭が見えるだけで表情は窺えない。


「オラ、悪気あったわけでなく……っ、けど傷付けちまって……、許してくれなくてもいいんで、せめて説明させてもらえないでしょうか!?」


頭を下げたまま必死に言い募られて、カトリンは戸惑いながらも是と頷く。


「う、伺いますから、どうか頭を上げてくださいっ」


やっと彼の頭が上がって、カトリンは安堵する。下げられた状況では居心地が悪い。

カトリンの許可を得て、坊主頭の少年は懸命に話した。


「じゃがいもって何にでも合うし、調理法で本当に色々できて、オラ、野菜の中でじゃがいもが一等に好きで……っあ、へへ変なイミでねぇんだ! んで、カトリンさんは紅茶淹れたり、メイドの仕事を色々任されてすげぇから、色んな料理に使えるじゃがいもみたいだと思って……」


歳の近いカトリンが、野菜の皮むき程度しかまだ任されない自分と違いたくさんの仕事をしているのが彼にはとても輝いて見えた。だから、あの日勇気を出して声をかけたのだ、と。


「では、私の外見がじゃがいものようだと言ったのではなく……?」


褒めてくれていた事実にカトリンは驚愕する。野菜を例に褒められるなど聞いたことがない。だが、料理人見習いの彼の語彙は、調理に用いる材料に特化しているためそれ以外の表現が浮かばなかった。

カトリンに与えていた誤解を知って、彼はぶんぶんと全力で首を横に振った。


「とんでもねぇ! そりゃ、カトリンさんが笑ってお疲れ様ですって言ってくれたときには、ふかし芋食ったときみたいにほっこりすっけども……っ」


またもやじゃがいもに例える彼に、カトリンは可笑しくなって小さく笑う。

なんだ、とカトリンは気が抜けた。すべて自分の思い込みだった。主人のリュディアの言う通り、自分が少しでも自信を持っていたらすぐに彼の言葉の真意を質せたのに。逃げて、自分から悲観へ落ちていた。その方が楽だったから。

本当はもう価値は人にとって異なることに気付いている。既に主人のリュディアにも、庭師見習いの少年にも肯定してもらっていた。仕事についても、先輩のメイドたちが実力を認めてくれて、少しずつできる範囲が増えてきている。エルンスト家に来てから、否定をしていたのは自分一人だけだった。


私は、馬鹿ですね。


泣きたいのか笑いたいのか判別がつかず、カトリンはくしゃりと表情を歪める。

それを泣くと思った坊主頭の少年は慌てた。


「あああの、ほんとにすすみませんでした!! これお詫びです!」


彼はまた直角に身体を折り、カトリンの前に藁半紙で包まれた花束を差し出した。白い小振りの花は木に咲くもののようで、花束には少し向かないように感じた。藁半紙である方が寧ろ似合っている素朴さを感じさせる花だった。


「これは……?」


「ほほほんとは林檎の花にしたかったんですが、ザク坊が今は咲いていないって。んで、似た花がないか頼んだら木瓜ぼけの花を譲ってくれて」


「どうして、林檎の花を……?」


「じゃがいもは大地の林檎とも言うんでっ」


「ふふっ、なんでもじゃがいもなんですね」


流石に彼なりの最大級の称賛だと解ったが、ことごとくじゃがいもに因もうとするのが可笑しかった。


「はいっ、大好きなんで!!」


元気いっぱいに笑ってから、自身の言った言葉に気付き坊主頭の少年は顔どころか耳まで真っ赤にした。


「じゃ……じゃがいもが、です」


「は、はい……、わかっています」


慌てて補足する彼から赤が引かないのを眼にし、カトリンまで頬が熱くなるのを感じた。

そういえば、男性から花をもらうのは初めてだ。庭師見習いの少年に相談したということは、きっと彼もこのようなことをするのは初めてなのだろう。

彼がここまでする意図を深く考えると、この場から逃げ出したくなる気がしてカトリンは彼の補足に同意することにした。

木瓜の花束で顔を隠すようにしながら、カトリンは一つだけ訊いた。


「……あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」


「あ、オラは――」




使用人の二人から離れた花壇から、ひょこりと淡い金糸の髪が覗いた。


「仲直り、できましたの?」


「できたんじゃね?」


「ザクは見てないじゃないの」


温室の植木鉢に肥料を足しながらのいい加減な答えに、リュディアは剥れて庭師見習いの少年の方を振り返る。


「大丈夫だろ。今日、ジュノの祝日だし」


「そんな日を覚えているなんて、ザクにしては珍しいですわね」


豊穣と結婚を司る女神の日だ。別名、恋人の日。異性へ花とともに愛を告げる習慣がある。近年では、日ごろの感謝を伝える日の一つとしても機能しているが、恋愛への関心のない彼が記憶しているには珍しい。


「いや、乙女ゲーならそういう日は押さえてるだろうと思っただけ」


「おと……? 今、なんて言いましたの?」


庭師見習いの少年のぼやきが聞き取れず、リュディアは首を傾げる。


「なんでもない。あー、チョコ食いたくなったー」


「今日のお茶受けはチョコレイトですわよ」


「え、マジ? やった」


何故、いきなりチョコレイトを食べたくなったのか、リュディアにはよく解らなかった。だが、お茶受けの品目を聞いて、庭師見習いの少年は素直に喜ぶ。


「そういや、お嬢どうする気だったんだ?」


「何がですの?」


「ほら、犯人わかったとき」


自分が止めなかったら、結局どうなっていたのか。気になって庭師見習いの少年が訊くと、リュディアは一度閉口して、それから悩み始めた。

あの時は怒り心頭でただじゃおかない、とは思った。だが、どうするつもりだったかと訊かれても、具体案などなかった。


「……えっと、まずは叱りますわ」


「それから?」


「それから…………、無視、する……とか?」


それぐらいしか浮かばない。公爵家の権力など使わずリュディア自身だけでできる精一杯を考えたつもりだったが、庭師見習いの少年は身体を震わせ始める。


「どうして笑いますのっ!?」


「いや、お嬢、ほんと可愛いわ」


馬鹿にされたと思ってリュディアが怒ると、可笑しそうに身体を震わせながらそんな感想が零れた。

予想外の科白セリフにリュディアは、頬を上気させる。


「な……っ、やっぱり馬鹿にしてますわね!」


「してないって」


そして、ぽかぽかと痛みのない打撃を、庭師見習いの少年は可笑しそうに受けるのだった。

そんな友人二人の騒ぎに気付いて、カトリンははにかむように微笑んだ。


その日は、カトリン・フォン・レハールの最良の日となった。




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