18.雪兎




渡すだけがこんなに難しいとは。


リュディアは悩んでいた。

日頃の感謝の気持ちとして、白詰草の四葉で押し花を作った。それをしおりにして、両親やメイドのカトリンには素直に渡せた。喜んでくれたし、それがとても嬉しかった。

だが、一人だけ渡せないままでいる。

彼は本を持っていないから栞では駄目だと、別の形で用意しようとしたがいい案が浮かばなかった。

小さな硝子ガラスのケースを勉強用の机の上に置いて、じっと見つめる。その中には小さな四葉の押し花がある。

どうすれば庭師見習いの少年が受け取るのだろう。

邪魔にならず、派手ではないもの。高価な物だと絶対に受け取らないことだけは確か。考えれば考えるほど浮かばず、リュディアは机に突っ伏した。令嬢らしくないが、今はもう就寝前でメイドも下がらせているから誰も見ていない。


「何がいいのか、さっぱり分かりませんわ……」


声に絶望的な色が滲む。

最近、少し解ってきたが彼は自身に対して欲がない。自分の話を聞いてくれたり、練習に付き合ってくれたりしたのに、見返りを求めたことが一度もない。思ったことは率直に言うのに不思議だ。

以前も似たようなことで悩んだ。あのときは判らないことに苛立って、本人に直接訊いた。返ってきた答えは……


――お嬢が笑ってたら嬉しい。


「っ!?」


締まりのない笑顔で言われた科白ことを思い出して、リュディアの頬が紅潮する。余計なことを思い出してしまった。自室で一人悶絶する。

彼はどうしてああも驚くことを言うのだろう。父からも言い方こそ違えど似たような意味のことは言われる。だが、愛情を注がんと言われるそれは、少し気恥ずかしいものの素直に享受できる。だが、彼は褒めようとか喜ばせようとか、そういった意図なくただ思ったこととして言ってくるのだ。しかも表情を見れば嘘偽りがないのが明白だから、本当に性質たちが悪い。


少しは照れてくれたら、こちらも冷静でいられるものを……っ!


毎回、何かに負けたような気になるから悔しい。ひとしきり悔しがって、ふと気付いた。彼は言った通りに、誰かが喜ぶのが好きなのだ。

自分の話を聞くときもそうだし、庭仕事も他人を喜ばせるものだ。確か、王子が庭を称賛していた話をしたときも、彼の父親のことを想ってかとても誇らしげに笑っていた。いつも身近な相手のことで、とても嬉しそうにする。

好きなものに気付いたはいいが、厄介だ。物を欲しがらないとは。ならば、実用品を、と思ったが彼は既に働いており、必要な物はある程度自身で買える。


「ザクのばかぁ……」


手詰まりになった恨めしさで呟く。何かしたいのに、何もできない。そんな悔しさを胸に、その日リュディアは眠りについた。

何も決まらない内に、リュディアの誕生日が来た。彼からは虹をプレゼントしてもらい、とても感動したが、また貰ってばかりだとも感じた。

母のオクタヴィアが誕生日に開いてくれたお茶会は、リュディアに女友達を作る機会を与えるものだった。

オクタヴィアとしては、お茶会デビューが遅くなってしまったために第一王子の誕生パーティーが初回になってしまったことを申し訳なく感じており、その詫びも兼ねている。また、王子の婚約者候補の選定期間だからこそ、相手の真意を図れると思っていた。


「ディア、一歩女性に近付いたから言うわ」


「はい」


「デビュタントの頃には、もっと強かな女性と向き合わなければならないわ。だからこそ、今の内に見極めるのよ。王子の婚約者候補であることは、良い判断材料だと思いなさい」


オクタヴィアは桃色の瞳を柔らかく細めて朗らかに言う。母の言葉に、リュディアは王子のロイが自分を利用しろ、と言ったことを思い出した。母は、友人として信頼できる相手かを見極める材料に、婚約者候補の立場を利用しろと言う。穏やかな母の公爵夫人としての一面を垣間見た気がした。


「わかりましたわ」


母の意図を理解してお茶会に臨むと、成程、とリュディアは納得した。歳の近い令嬢たちはそれぞれ祝辞をくれるが、言葉とは裏腹に羨む眼差しを向ける者、自分も候補だと牽制する者、賛美を並び立てて媚びる者と様々だった。


「リュディア様、お誕生日おめでとうございます」


「トルデリーゼ様、いらしてくださったんですか」


「はい、またリュディア様とお話したかったので」


「わたくしもですわ」


そんな中で、王子の件など噯気おくびにも出さず、騎士団副団長の娘のトルデリーゼは素直な笑顔を見せた。他の令嬢が折に触れて王子の話題を出す中で、彼女の気遣いがリュディアは嬉しかった。


「あの……私の誕生日が来月で、もし宜しければお誘いしてもいいですか?」


「喜んで伺いますわ。誕生日でなくても、またお会いしたいですもの」


遠慮がちに言うトルデリーゼに、微笑んで二つ返事で答えると彼女は嬉しげに表情を和らげた。


「じゃあ、今後も私からお誘いしてもいいですか……っ?」


「ええ。わたくしもお誘いしますわ」


侯爵家は公爵家より下の階級なので、おいそれと声をかけづらい。だからこそ、上位の家であるリュディアの了承が要るが、それを求める勇気がトルデリーゼにはある。和むような笑顔は以前父が評したように茶色い兎を思わせるが、騎士の家系だけあって意思はしっかり持った少女のようだ。


「つかぬことを伺いますが、トルデリーゼ様は男性にどういったプレゼント差し上げますの……?」


「男性? ジェラルド様に何か差し上げるんですか?」


「え!? ええ……」


つい藁にも縋りたい思いで訊いてから、リュディアは焦った。自分の年頃に、親族や婚約者以外で異性の知人がいることが珍しいと気付く。トルデリーゼが、父が相手と解釈してくれて助かった。


「この間、父にプレゼントしましたが……相手がジェラルド様だと参考にならないと思います」


「何を差し上げたんですか?」


「銀製の飾り気のないネックレスです。父は剣を握るので指輪などはしないですし、傷付いてもいい程度のものでないと嫌がるので、客層の広い宝飾店で見繕いました」


彼も軍手をするので指輪はしないだろう。確かにネックレスなら作業の邪魔にもならない。客層の広い、ということは平民向けにも商品を取り扱っているはずだ。


「トルデリーゼ様、そのお店を教えていただいても宜しいですか?」


「いいですよ」


「ありがとうございますっ」


ようやく渡す物の目処が立った嬉しさのあまり、リュディアはトルデリーゼの手を両手で掴んで感謝した。トルデリーゼは眼を丸くしたが、リュディアの嬉しげな様子に微笑む。


「お役に立てたならよかったです」


数日後、トルデリーゼから聞いた店へ注文し、安価なロケットペンダントを購入した。令嬢が買うには不似合いな物だったので、メイドのカトリンに購入を手伝ってもらった。誰に、とは言っていなかったがプレゼント用の包装も一緒に用意してくれていたので、気付かれているかもしれない。

リュディアは、硝子のケースに入れていた四葉をロケットに綺麗に挟んだところで、はたと気付く。彼は理由もなく受け取るだろうか。日頃の感謝だと言って渡しても、また何か返してきそうだ。それでは意味がない。有無を言わさず渡すにはどうすればいいのか。

ともかく少しでもさり気なく渡すため、用意してくれたカトリンには申し訳ないが包装は使わずにそのままで渡すことにする。

それから何度か、庭師見習いの少年と温室でお茶をして話した。だが、袖に忍ばせておいたロケットを渡すタイミングを毎回逃した。一度機会を逃すと、どんどんと渡しにくくなるのは何故なのか。

リュディアは就寝前にベッドの上で、一人うちひしがれる。


どうして渡せませんの……!?


ぼふり、と枕にロケットを持ったまま頭を埋める。少しして頭を持ち上げて横に向くと、テラスに続く硝子戸があり、その向こうのテーブルに皿の上に乗った雪兎が視界に入る。ドーム型の硝子の蓋を被せて雨風の影響を受けないようにしている。父にお願いして雪の精霊の加護を付けてもらったので、春になるまで持つそれは彼からもらったもの。

円らな赤い実の瞳が愛らしく、リュディアのお気に入りだ。今度、トルデリーゼにも見せようと思っている。欲しがった理由は見た瞬間に、トルデリーゼを思い出したので彼女に見せたくなったのも一因だ。彼女はぬいぐるみなどが好きだと言っていたから、雪兎の愛らしさを理解してくれるだろう。


「うさぎさん、どうすればいいと思います?」


加護のためか瑞々しさを失わない赤い瞳は生きているようだ。知らず、リュディアは雪兎に訊いていた。雪兎は喋りこそしなかったが、リュディアが問うた直後にはらりと白いものが過った。

その白いものに気を引かれて、リュディアはテラスに続く硝子戸に近寄る。はらはらと、雪が降ってきた。硝子戸に手を当てると冷ややかな空気が伝わってくる、今夜はカーテンをきちんと閉めた方がよさそうだ。


「聖夜祭も近いですものね」


聖夜祭の時期から年明けにかけては雪が降りやすい。事実を一人ごちて、リュディアは自身の言葉を拾い気付く。聖夜祭は祝福の日、神に感謝の聖歌を捧げ、親が子に祝福を祈ってプレゼントを渡す。しかし、子供が親兄弟に、そして友人にもプレゼントを渡すこともある。少なくともエルンスト家ではそうだ。

つまり、聖夜祭を口実になら彼も受け取るはずだ。そして、リュディアも渡しやすい。

渡す理由を思い付いたきっかけとなった雪兎に、リュディアは感謝を込めて微笑む。


「おやすみなさい、うさぎさん」


そう声をかけて、リュディアはカーテンを閉めた。

翌日、ちょうど午後に時間ができたので、意気込んでリュディアは庭師見習いの少年のもとに行く。


「おう、お嬢。今日はどうした」


笑顔で迎える彼のいつも通りの科白セリフ。ほっと安心するその笑顔に甘えて、ついいつも通りロイの話から話し始めてしまう。

リュディアはロイが王子としても人間としても素晴らしいと思っているので、思わず話に熱が入る。

先日も軍本部に訪ねて、市街巡回を街の自警団や自治団体とどう連携を取っているのかなど話を聞いたらしい。彼は治安に関して既に自身で考えを持っており、リュディアにも解るように簡単に概要を話してくれた。父も幼いリュディアにも解るように仕事の話を教えてくれるが、そう話せることが凄いことだとリュディアは気付いていた。

ロイの誕生日パーティーのときに挨拶回りをしたが、挨拶をした親の半分以上が自身の役職に誇りはあるようだったが、子供のリュディアに解るようにではなく自分の話しやすいように説明していた。両親や使用人、家庭教師らはそんなことはなかったので、リュディアは自身が周囲に恵まれていると気付けた機会だった。歳が近いこともあるだろうが、それでも相手に解るように話せるロイを凄いと思う。

それを解ってほしくて話すが、庭師見習いの少年にはつまらないようで時折生返事が返る。それで反射的に叱ってしまう自分は、まだまだ子供で可愛げがないといつも後になってリュディアは反省する。

父やロイのように解りやすく話せていないだろうに、彼が最後まで話に付き合ってくれるのは何故だろう。反省する度に不思議になる。


「俺、お嬢に会えてよかった」


唐突だった。なんて笑顔で言うのだろう。

脈絡なくこちらが話している最中に降った言葉にリュディアの思考は一度停止する。

それはリュディアが不思議に思っていることの答えだった。もらってばかりで何も返せていない自分と何故いてくれるのか、と。訊いていなかった問いに、降って湧いたように全肯定で答えが返ってきた。

どうしたらいいのだろう。理解が及んで、嬉しいやら恥ずかしいやらがない交ぜになった感情が一気に押し寄せて、顔が熱くなった。


「……っまた、話を聞いていませんでしたわね!?」


結局、可愛げなく叱ることしかできなかった。

その後は気持ちを落ち着かせるために、最近一番の癒しである妹の話をひたすらした。妹とのやり取りを思い出しながら話している内に、少しずつ落ち着いてきた。

ともかく、今日こそロケットを渡さなければ。今日を逃すと、会えるのが聖夜祭以降になってしまう。

リュディアは意を決して、別れ際にロケットを取り出して庭師見習いの少年に渡した。


「ザク、これ」


聖夜祭が近いから、と説明するつもりだったがうまく言葉が出ず端的になってしまった。それでも意図が伝わったのか、庭師見習いの少年は受け取った。眼を逸らしていたが、中を確かめるためにロケットの蓋を開く音が耳に届いて、緊張が走る。


「小さくてお嬢みたいで可愛いな」


じっと相手の反応を待っていたら、優しい声音が降った。声に釣られて彼の方に眼を向けて、見るんじゃなかったとリュディアは後悔した。

時折、自分に向ける心臓に悪い笑顔がそこにあった。それをロケットの四葉に向けているなんて、恥ずかしいし居たたまれない。

羞恥に言葉をなくしているとあかがね色の瞳がこちらに向いた。


「……っどうして、そう余計なことを口にしますの!?」


思わず抗議をしてしまう。どうして普通に受け取ってくれないのか。

リュディアの抗議に困惑しながらも、考えて彼が代案を提案する。


「えっと、じゃあ思うだけにする」


「ザクは、顔に出るので一緒ですわ!!」


「えー」


先程のように言葉以上に表情で雄弁に語られるのが一番困るのだ。


「……俺、お嬢といない方がいい?」


すると、思ってもない案を聞いて、一瞬心臓がぎゅっとなった。


「そっ、それは……、嫌です、わ……っ」


それだけは絶対に嫌だ。彼の対応には困るが、一緒にいたくない訳じゃない。考えるより先に気持ちが口から出た。


「そっか」


安堵いっぱいの表情。今しがたの提案がリュディアを気遣ってのものでであり、彼の本意ではないと眼に見えて判る。


「だから、それが! ……っもういいですわ」


彼の反応に安堵と嬉しさを覚えるも、リュディアは彼のように素直に返せない。せめて抑えてほしいと思うが、これ以上抗議しても素直になれない自分が恨めしくなるだけだ、と追及するのを諦めた。


「それでコレ、お嬢の?」


受け取ったから自分宛だと解っているのかと思いきや、庭師見習いの少年は気付いていなかったようだ。リュディアは固まる。自分のようだと言われたそれを、贈り物だと自分から言わないといけないのか。彼の発言の後だと、とてつもなく言いにくい。なんだか別の意図まで付与されそうで。

当初の目的は日頃の感謝を伝えることであり、それ以外の他意はない。そして、他には渡しているのに彼だけ仲間外れにする訳にもいかない。リュディアは自身にそう言い聞かせて、どうにか口に出す。


「…………っザクのですわ」


「え」


「お父様たちには押し花を栞にして渡しましたが、ザクは本を持ってないでしょう。だから、代わりですわ」


きょとんとされたので、誤解されない内に彼だけではないことをちゃんと説明する。

しかし、反応がない。もしや気に入らなかったのだろうか。貴族の男性にアクセサリーは珍しくないが、平民の男性には変なのだろうか。一応、彼に似合いそうなデザインを選んだつもりなのだが。それとも、価格などを気にして受け取りづらいのだろうか。


「高価なものじゃありませんわよ! 安物ですからねっ!」


念のため、ちゃんと安価であることを付け加えておく。貴族相手だとより価値のあるものを、と気遣うところだ。全く逆の気遣いをすることになるなんて、リュディアは彼に会うまで思いもしなかった。


「ありがとう。大事にするな」


嬉しそうに表情を綻ばせる彼に、リュディアは内心安堵する。なんだか視線があたたかすぎるので、若干いらぬところまで気付かれている気もするが、目的は達成できたから良しとしよう。

その後、自分が贈り物を用意してないことを申し訳なさげに言ってきたので、以前の彼にされた仕返しをする。本当にあの雪兎はお気に入りなので本心で伝える。

庭師見習いの少年の虚を突かれた表情に、リュディアは満足する。日頃、驚かされているのだから、たまには自分が驚かせてもいいだろう。

しばらくして、何故か彼は笑い出した。一体何が可笑しいのか判らないリュディアは眼を丸くしてその様子を見つめる。

ひとしきり笑った彼は、可笑しげな笑みのまま人差し指を立てて見せる。


「じゃあ、おまけ」


おまけ、とは? 聞き慣れない言葉にリュディアは首を傾げる。


「お嬢を泣かすヤツがいたら言って。一発殴るから」


「何故、いきなりそんな物騒なことを……」


彼が暴力を振るう様子など、到底想像がつかない。口にした内容と表情が一致しないから、尚更だ。


「いいから、覚えてて」


穏やかな声音に確たる決意を感じて、リュディアは判らないながらも頷いた。


「わかり、ましたわ……」


怒ることすら珍しい彼が、何故そんなことを言い出したのか解らない。けれど、漠然とそうならないようにしないといけない気がした。

彼が笑っていられるように。


リュディアは気付いていなかった。その後しばらく四葉のロケットを見るたびに、彼の発言を思い出して気恥ずかしい思いをすることを……



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