16.笑顔
十一月、秋が終わりを告げ冬の気配が濃くなった。最近の俺は落ち葉集めが主な作業だ。
お嬢の婚約話を聞いてからも、俺たちはあまり変わらなかった。少しだけお嬢が俺のところに来る頻度が減ったぐらい。半月に一度ぐらいの頻度で、王子がお嬢に会いに来ているらしい。婚約者の精査期間で、王子は候補の数名と定期的に会わないといけないようだ。
お嬢も王子も、俺より歳下なのに恋愛より先に結婚話とは大変だと思う。けど、仲がいいみたいで会う分には楽しそうだから、それはよかった。
俺には政略結婚が普通な貴族の感覚が解らない。前世の日本でも、今の下町でも恋愛結婚が普通だ。価値観が違うことだから、俺が口出ししたらいけない。
けど、やっぱお嬢にはちゃんと好きな奴と結婚してほしいなぁ。
そう思うのだけは、どうしても止められなかった。
お嬢が泣くのを見たとき本気でびっくりした。チビたちが泣き喚くのとは訳が違う。話を聞いて、あれは泣いた方がよかった涙だと頭で理解はできても、泣いてほしくないと思った。
政略結婚って楽しくなさそうだ。好きでもない奴より、好きな奴と結婚する方が幸せだろう。
お嬢にはずっと笑っていてほしい。
特に自分に何ができるでもないけど、お嬢が自分の幸せを選ぶように応援はする。
というか、それしかできないんだよな……
落ち葉を箒で掃きながら、溜め息が一つ零れる。今集めている落ち葉ですら肥料になって、木々の成長に役に立つのに俺は役立たずで情けない限りだ。
「ほんと、お前らは凄いよな」
庭を眺めて、羨望する。落ち葉樹は紅葉が綺麗で葉が落ちる様は趣があるし、常緑樹はどっしりとした安心感を与える。緑は見るだけで人の助けになるから尊敬ものだ。
「ザク、誰と話していますの……?」
声に振り返ると怪訝な眼のお嬢がいた。
「庭」
「そこは、せめて鳥や精霊などと言うところですわよ……」
会話の対象を聞いて、お嬢は微妙な表情になる。鳥はともかく、俺には精霊が
「で、どうした?」
「あの……、その」
お嬢が言うのを躊躇う様子を見て、予想がつき俺は苦笑する。別に俺に遠慮することないのに。
「昨日だっけ、王子来たの」
「そうなんですのっ。
「うん」
呼び水をやると、頬を紅潮させて話し出すお嬢に、俺は笑う。どうやらお嬢は、イケメン王子にはしゃぐのを、はしたないと思っているらしく、母親のオク様にもメイドのカトリンさんにも全部を話せないでいる。だから、俺にぐらいしか言う相手がいない。聞いてる感じ友達自慢半分、アイドルファン半分だ。前世の女子と違って黄色い悲鳴をいきなり上げないから耳に優しい。テンション上がった女子ってなんであんなに攻撃力高いんだろう。いきなり教室に響き渡ってびっくりするんだよな。
前世では、妹が友達相手だと推しが違うから戦争になる、と俺に好きなキャラの話を興奮して話してきたっけ。なんでただの喧嘩を物騒な戦争と表現するのかはよく解らなかった。
妹の熱狂ぶりに比べたら、お嬢のファン話なんて可愛いものだ。何故か王子の話をするときは、決まって一度言い躊躇うけど、話し出したら本当に嬉しそうに話す。好きなものを好きだと言えるのはいいことだ。
「ロイ様にも下に王女殿下……妹がいらしゃって、ロイ様と同じ金糸の髪でとても可愛らしいそうですわ。妹想いでいらしゃって、それでわたくしもフローラのことを話して……」
「うん」
なるべくお嬢の方を見ながら、落ち葉を掃く。こんなに嬉しそうにするなら、王子は余程いい奴なんだろう。見た目も中身もいいなんて完全無欠だな。
王子の話をするお嬢は、素直な笑顔を見せる。よく怒らせる俺にはできない芸当だ。
「王子の話するお嬢はほんと可愛いな」
「っ!?」
やっぱりお嬢は笑ってる方がいい、と沁々して話を聞いていたら、お嬢が突然黙って顔を真っ赤にした。
「お嬢、どうした?」
「……っどうしたはこちらの
「え。俺なんか言った??」
ただ相槌を打ってただけのはずだが、どこかで失言でもしたんだろうか。せっかく笑ってたのに、また怒らせてしまった。勿体ない。
「もういいです……!」
「ごめんって、お嬢。ちゃんと話聞くから。な?」
「今日はもういいですっ」
「変なコト言ったなら、悪かったってー」
お嬢がそっぽを向くから、俺は眉を下げて謝る。今が大事だと改めて解ったから、できるだけ笑うお嬢を見て、話を聞いていたい。けど、気を付けているつもりなのに、たまに怒らせてしまうのは何故だ。
結局、その日はお嬢はそれ以上話してくれず帰ってしまった。
指定された範囲の落ち葉を集め終わった俺は肥料作るために、小屋の近くに空けた穴へ集めた落ち葉を入れながら、親父に相談する。
「親父、そろそろお嬢が来ても
最近、大分冷えてきた。王都近辺は、多くはないけど積雪する地域だ。寒い中で、お嬢に立ち話させるのは忍びない。
「温室」
「え」
「そっちの作業しろ。落ち葉ももうなくなる」
「ありがとうっ、親父」
お嬢が来るときは温室の作業をしていいと許可をしてくれた。温室の花は繊細なものもあるから雑用すらなかなか任せてもらえなかったのに。お嬢のためもあると解っているけど、できる作業の範囲が増えて純粋に嬉しい。
「冷室もそのうちやらせてくれる?」
「……当分先だ」
「ちぇー」
期待を込めて訊いたら、一瞥だけされてすげなく返される。断られる可能性が高いと踏んでたけど、やっぱり残念だ。
エルンスト家の庭には、半球型の温室と隣に三角錐型の冷室がある。温暖な地域の植物が主の温室と、寒冷な地域の植物が主の冷室。魔石を使った機械が設置されていて、お互いを行き来する太いパイプ二本で繋がっている。それぞれ冷気と熱気を必要な方に逃がす仕組みらしい。
冷室の方は手の感覚など五感が鈍るから、管理が難しい。雑用はともかく、管理を完全に任せてもらうには一人前と認めてもらってからでないと無理かもしれない。
お嬢に早く一人前になる、と宣言したが庭師の仕事は地道な積み重ねだから飛び級みたいなことは無理だ。専属なら、庭の一年の移り変わりを何年も経験しないとその家の庭のことは解らない。早めに見習いになれた分、数年早まるかどうか。親父は俺が生まれた年だっけ、三年早まって十六? いや、よくて十七か。間に合う、かなぁ……
早く一人前になったって親父は現役だ。親父の方が凄いし、手伝うだけかもなぁ。どっか一部だけでも任せてもらえたら御の字か。
そこまで考えて、結局今できることを頑張るしかないという結論に至った。どんなに焦って未来を予想したって、実力もない今じゃただの妄想と変わらない。
「親父、次は何すればいい?」
作業が終わって残り半日の課題を訊いたら、親父は黙ったまま俺を見た。あまり喋らないから黙ってるのがデフォルトっちゃデフォルトだけど、指示を仰いだときは話さないとしても何かしらの反応があるのに。
俺が不思議に思って反応を待つと、親父の大きな手が伸びて俺の頭を掴んだ。そのままぐりぐりと頭を撫でられる。
「行くぞ」
一通り撫で終わったら、親父は先に歩き出した。次の作業場所に向かうから付いてこい、ということだろう。その前の一連の動作に首を傾げつつも俺は親父に従った。
数日後、前日に雪の気配を感じた俺は親父に報告し、降る前に必要な作業をするため早朝にエルンスト家の庭に行った。
寒い時期の朝は、音も空気も静かでなんだか身が引き締まる感じがして好きだ。頭がすっきりする。前世では布団にくるまってる時間だ、前世の俺は勿体ないことしてたのかもしれない。それとも生活が違うから感じ方も違うのだろうか。
親父が鉢植えを運ぶための荷車を持ってくるのを待っていると、草を踏む音が小刻みに聴こえた。動物避けはしていたはずだが、兎か猫だろうか。どちらにせよ庭の草にちょっかいかけられるから、捕獲して山に逃がすか飼い主を探さないと。
音の方に眼を向けると、意外すぎるものが眼に入った。
「お嬢……!?」
小走りで来るお嬢は、髪もおろしたままでパジャマと思われるワンピース姿だった。明らかに寝起きだ。
「ザク」
「馬鹿っ、風邪ひく!」
駆け寄って、お嬢が言うのを遮って怒鳴る。すぐさま、俺の防寒用の上着を着せて前を止める。袖が余るが手袋代わりになるだろう。
「これじゃ、ザクが……」
「俺は今から作業するからいいのっ」
納得させる理由を言って、お嬢の抗議を黙らせる。
「で? どうして来たんだ?」
責めるような言い方になる。お嬢は女の子なのに、こんな早朝に薄着で外に出るなんて何を考えてるんだ。たぶん令嬢としてもアウトだろう。
「早くに目が覚めて……、窓を見たら、ザクがいたから……」
俺が怒っているから、心許なさそうに視線を落として小さな声で呟く。けど、静かだからお嬢の声がよく聞き取れた。
膝を突いて俯いたお嬢の眼を見る。薄い青の瞳が少しだけ潤んでいた。
「俺がいたからって、慌てて出てこなくてもいいだろ?」
「でも……」
「でも?」
「今日は……会えなかったから……」
お嬢の言っている意味が解らなくて首を傾げる。お稽古とか家族で過ごしたりで、お嬢にも用事があるんだから会えない日があって当然だ。もともと数日おきにしか会っていない。
「午後は、空いているはずだったの……、でも、邸でお母様の知り合いのご令嬢を呼んで、わたくしの誕生日のお茶会をすることになって……、だから」
「お嬢、今日誕生日なの?」
言葉尻だけ拾って、俺は訊く。お嬢は小さく頷いた。
やば、何も用意していない。どうしよう。しかも、泣かせそうになってる。いや、でも風邪ひいたら駄目だし。
ぐるぐると考えて、どうにか優先順位を整理して長い溜め息を吐く。すると、お嬢が叱られると誤解してビクついたので、苦笑する。
「……別に、いつでも会えるだろ」
「でも……」
そのいつでも、がずっと続かないと気付いたばかりだからお嬢は急いているんだろう。けれど、お嬢は俺じゃなくお嬢自身を優先するべきだ。
「お嬢はさっき俺が風邪ひかないか心配してくれたよな?」
お嬢はまた小さく頷く。
「じゃあ、俺がお嬢を心配なのも解るよな?」
きゅっと一度唇を引き結んでから、お嬢が頷く。
「……もう、しませんわ」
「よくできました」
笑って、お嬢の頭を撫でる。もう俺が怒っていないのが解って安堵いっぱいに微笑むお嬢を見て、俺の方が安心する。笑ってくれてよかった。
「送るから、メイドさんが起こしに来る前に戻るか」
身体を冷やす前に温かい邸の中に戻したかったんだが、お嬢は寂しそうにする。そんな
笑ってほしいな。
どうするか、としばらく悩んで空を見上げる。登り始めた白い太陽の淡い光が、庭全体を照らす。その光を見て、思い付いた。
「お嬢」
しょんぼりと俯いてたお嬢の名前を呼んで、顔を上げさせる。
「コレ、誕プレ!」
俺は手に水の魔力を集めて、それを粒子状にして空に撒く。すると、太陽の光を受けて俺たちの近くに小さな虹が掛かる。
お嬢は薄い青色の瞳をめいっぱい開いて、虹を見上げる。瞳に七色の光を映して、キラキラと綺麗だった。
「綺麗……」
お嬢の呟きは、俺が綺麗だと思ったものと別だろう。
「誕生日おめでとう、お嬢」
笑って言葉を贈ると、お嬢は花が綻ぶ瞬間のような笑顔を見せた。
「ザク、ありがとう」
お嬢の笑顔が好きだ。
花が咲く瞬間を見れたみたいに、何かをもらった気持ちになる。俺がお嬢に何かあげたかったのに、これじゃ逆だな。
「また、来年も見せてくれる?」
「ああ、もちろん」
それぐらいお安い御用だ。お嬢が笑ってくれるなら、いくらでも虹をかけてやる。
戻るか、と訊いたら、あと少しだけ、と言うから、しばらく二人で朝日の中で虹を眺めた。
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