15.押し花




「いつも美味しいお茶をありがとう」


紅茶を飲み終わったリュディアは、メイドのカトリンに微笑みながら礼を言った。


「そのようなお言葉、勿体ないことです。けれど、リュディア様のお口に合って嬉しく思います」


言葉通りカトリンは嬉しげに笑んで返す。自分が相手だと素直に表情を見せるようになった主人をカトリンは喜ばしく感じる。他の使用人相手だと、礼の言葉をかけるとき意識してしまって固くなってしまうのだ。それはそれで愛らしいと、使用人の間で好評であることを主人は知らない。

誰にでも固くなっていては主人の心労になるばかりなので、庭師見習いの少年以外に気負わずにいられる相手ができて安堵している。家族を除くとその最初が自分であることは、とても光栄だ。

また自身の家なのだから、他の使用人にも同様になればもっと寛げるだろう、と欲も湧く。これは主人の様子を見る限り徐々に緩和してゆくと見込めた。


そうなると、一番の心労の種はイザークさんになるのかしら。


庭の散歩から戻った主人の顔が赤いことが侭ある。その為、主人が戻る頃にリラックス効果のある茶葉でお茶を用意して待つようになった。無自覚のようだが庭師見習いの少年は主人の心を揺さぶるのが上手い。公爵令嬢に相応しい振る舞いをする主人が、彼と関わるときだけ感情豊かになる。そういうときに、本当は歳下の女の子なのだと実感する。

早くそんな日がくればいい、とカトリンは思う。

ふと、テラスから庭を眺める主人を見てカトリンは違和感を感じた。


「リュディア様、本日は散歩には行かれないのですか?」


午後からの稽古までには時間がまだある。いつもなら、お茶を飲み終わった時点で庭師見習いの少年のところに向かっているはずだ。

リュディアは戸惑いを含んだ眼でカトリンを一瞥して、また庭の方に視線を戻した。


「何を、話したらいいか、わからなくて……」


今まで自分にあった嬉しいことは都度、庭師見習いの少年に報告していた。悩んでいることなども吐露することもあった。けれど、一つだけ言えないでいるものがある。喜ばしいはずのそれを言えないのが不思議で、何故言えないのかを相談する訳にもいかなかった。その一つがあるだけで、他のことまで最近言いづらくなってしまった。

リュディアが小さく拳を作って俯きかけたとき、カトリンの言葉が掛かる。


「話さなくてもいいのでは?」


「え……?」


話さない、という選択肢が念頭になかったリュディアは眼を丸くする。けれど、カトリンは事も無げに言う。


「言いたくないことは話さなくともよろしいかと。言える相手に話せばいいのですよ」


言わないから隠し事になる訳ではない、とカトリンはリュディアに諭して微笑む。今、主人は隠し事をするときのような後ろめたさを感じているのだろう。先日参加したパーティー以降、物思いに更けることがあったので何かがあっただろうことはカトリンも気付いており、予想も付いていた。だが、それは貴族の社会であったこと。主人から話を振られない限り、使用人の立場で問い質す訳にもいかない。そして、主人の友人であっても庭師見習いの少年は使用人なのだ。本来なら、話す必要はない。


「でも……」


「リュディア様は、話したいですか? それとも、話したくないですか?」


カトリンの問いに、リュディアは自分の心の内を質す。一体どちらなのか。


「どちらも、ですわ……」


言ってしまいたい、聞いて欲しいと思う反面、言った後が何故か怖い。けれど、自分は何が一体怖いのだろう。


「リュディア様、失礼いたします」


カトリンは断りを入れて、リュディアの手を持ち両手で包んだ。手に伝わる熱と同じ温かさの笑顔がリュディアの目の前にある。


「リュディア様のされたいようになさってください。私はリュディア様のお側におります」


頼りないかもしれませんが、と温かな笑顔に少し苦さを滲ませるカトリンに、リュディアは否とかぶりを振る。核心は訊かないでいていてくれる優しさに、涙が出そうになる。


「ありがとう」


それを堪え、リュディアは微笑んだ。

カトリンのおかげで少し覚悟ができた。


「……散歩に行ってくるわ」


「いってらっしゃいませ」


カトリンの言葉に背中を押され、リュディアは庭に向かった。

今日はテラスから見える場所で作業をしていたので、程なくして庭師見習いの近くまで辿り着く。


「ザク……っ」


「お嬢」


雑草の山ができた籠を抱えた庭師見習いの少年があかがね色の瞳をリュディアの方に向ける。


「あ、あの……」


何か言わねばならないと思うが、するりと言葉が出ない。会う覚悟は出来たが、何を話すかまでは決めていなかった。

言葉に詰まっている間に、庭師見習いの少年は彼の父親と一言二言交わして、持っていた籠を父親に渡した。そして、リュディアの方に来る。


「ちょうどよかった。お嬢、一緒に俺の庭に来てくれない?」


笑顔で手を差し出される。彼の庭、とはあの自習用の陽溜まりの小さな広場のことか。

彼の方から用があるというのは、うまく話せないリュディアには渡りに船だ。リュディアは、差し出された手を取った。

前回と変わらず、道なき道を使って案内される。だが、前のように混乱はしていないので敷地のどの方向に目的地があるのか、概ねは把握できた。広場に入る垣根を潜るときに、大きな布でくるまれてドレスに木葉などが付かないようにしてくれた。繋ぐ手の反対に抱えていた布の理由がそのときに判った。

広場に至ると夏ほどの熱はないが眩しい光が降る。


「なん、ですの……これは」


広場には以前と変わらず梟の噴水があり、大きく変わったところがないように思えた。だが、足元を見て一点が大きく変わっていることに驚く。


「種買って植え替えたんだ」


変えた本人は満足げに笑う。広場の芝生がすべて白詰草しろつめぐさに変わっていた。


「これをザク一人で……?」


「そだけど?」


信じられない思いでリュディアが訊くと、逆に不思議そうに首を傾げられる。広場が小さいとはいえ、面積はあるのだ。それを元々あった一面の芝生を白詰草に置き換えるなんてかなりの労力だろうに彼は平然と頷く。通常の仕事だってあるだろうに苦ではないのか。


「好きに歩いて、お嬢」


更にリュディアには信じられないことを笑って言う。

リュディアが戸惑っていると、少し考える素振りを見せた後、彼は提案をする。


「じゃあ、一緒に踊るか?」


彼からとは思えない言葉に驚く。以前リュディアが練習に付き合わせただけで、好きではないだろうダンスに誘ってまで白詰草の上を歩かせようとする。


「できませんわっ、ザクがせっかく育てたものを……!」


可愛らしい丸い三葉が青く一面にひろがっている。枯れたり萎れたりしている箇所は見受けられない。生き生きとしたそれらを踏みつけるのは忍びなく、育てた者を知っていると尚更だ。


「大丈夫、大丈夫」


なのに、当の彼はへらりと笑ってリュディアの手を引く。


「ちょ……っ」


庭師見習いの少年は、リュディアを引き寄せるとワルツの基本のステップを踏み始める。練習でよくしたものだ。ただ練習に付き合わせたときと違い、リュディアを歩かせようという意図があるため、リードがしっかりしている。

リードがある以上、反射的にリュディアは付いて行く。噛った彼と違い、身体にダンスの基礎が馴染んでしまっている。


「流石に踊りにくいな」


「当然ですわ」


そう苦笑する彼に、リュディアは剥れて返す。ここは平坦なダンスホールでも、整った石畳の上でもない。土の感触が不安定で、ステップが簡単に揺らぐ。ぎこちなく不恰好なワルツを庭師見習いの少年は楽しんでいるようだ。

リュディアは仕方なく付き合ってステップを踏んでいるが不服でしかない。彼の行動はいつも事前説明がないが、今回は行動に至ってもまだ説明がない。

リュディアは剥れしまうのを隠さずに問う。


「どういうつもりですの?」


「んー……、まだちょっと秘密」


まだ明かせないと笑う彼に、瞠目する。自分が言い出せないときに、示し会わせたかのように彼にも言えないことがあるとは。何も知らないはずの彼の偶然に、リュディアは全て知られているのではないか、と思ってしまう。そして、すぐさまそれを否定した。

彼はどうしてこうもタイミングがいいのか。彼の狡いところだ。

彼にも秘密があると知って、喉のつっかえが取れた。


「……ザク」


「ん?」


「わたくしも、まだ言えないことがあるの」


「うん」


「……でも、今度言いますわ」


「そっか。じゃ、俺も今度教えるな」


少し声が震えたが、彼はそれに気付かぬ振りをしてこの陽溜まりのように暖かい笑顔でリュディアの言葉を受け止めてくれた。

およそ一曲分のワルツで、梟の噴水の周りを数周してその日は別れた。

その二日後、エルンスト公爵邸に一人の客人が訪れる。リュディアは父のジェラルドとともにその客人を迎える。


「ようこそおいでくださいました、殿下」


ジェラルドに倣って、リュディアもスカートの裾を摘まんで礼を取る。


「忙しいところ済まない。公の庭は見事と有名だからな。一度見たかったんだ」


「では、庭をリュディアに案内させましょう」


「ああ、その前に」


第一王子は従者に書類を持って来させる。そして、それをジェラルドへと渡した。


「三省長である公に検討してもらいたい」


「……拝見いたします」


ジェラルドは内心の驚きを微塵も出さずに、穏やかな笑みのままで書類を受け取り眼を通す。概要を把握してジェラルドは僅かに眼を見開く。


「これを、殿下が……?」


「荒いところがあるのは自覚している。だが、調査機関も設けることを考えると早ければ早い方がいいだろう。危ぶんでいる者もいるから、黙らせる材料にはなる」


「確かに、現状では最善の策やもしれませんね」


ジェラルドは苦笑を零す。ただの上位者の横暴と取れる内容なら断るが、ジェラルドが対策を取りかねていた案件を実用的な案で提示されれば頷くしかない。


「急激な変化は反発を買うからな」


「では、帰城されるまでに回答いたしましょう」


「よろしく頼む」


微笑む第一王子に末恐ろしさと未来への期待を抱きジェラルドは笑んだ。


「ディア、私は少し仕事があるから任せてもいいかな?」


「わかりましたわ」


ジェラルドが頼むと、リュディアは頷き秋の花が多く咲く場所まで第一王子を案内する。手紙で先触れがあったので、そこでお茶ができるようにテーブルなどは支度できている。

紫の郭公薊や竜胆りんどう藪蘭やぶらんが映えるよう黄色い菊や女郎花おみなえし黄花玉簾きばなたますだれが配置され、花衝羽根空木はなつくばねうつぎが奥でささやかに花を覗かせていた。少し視線を移すとピンクの撫子なでしこや西洋風蝶草ふうちょうそう鉄線てっせんがあり一際濃い千日紅せんにちこうがよいアクセントになっている。どこからか甘い香りが漂い、元を探すと木々のなかに金木犀のオレンジが覗いていた。

秋の花が咲き誇る光景に第一王子は感嘆の息を漏らす。


「秋にもこんなに花が咲くのだな……」


見事だ、と花を眺める第一王子に、リュディアは内心誇らしさを感じる。我が家の庭師の腕は日頃より認めてはいたが、他人から共感を得れて嬉しく思う。


「自然さを残した咲き振りだ。これは城では真似できないな」


「殿下にお誉めいただき、当家の庭師も喜ぶでしょう」


第一王子に笑顔を向けられて、その目映さに一瞬動揺しそうになるが父から客人の対応を任された責任を全うするためリュディアは耐える。公爵令嬢として恥じぬ振る舞いをせねば、とリュディアは自身を鼓舞する。

メイドのカトリンが紅茶を淹れたところで、二人は席に着く。そして、第一王子が従者などを下がらせたので、人払いが必要と判断しリュディアもカトリンに控えるように指示をした。

秋の庭で二人になったのを確認して、第一王子は楽しげに微笑む。


「さて、やっと気楽になった」


「殿下……」


「リュディア嬢」


訂正を求める眼差しを受けて、リュディアは言い直す。


「……ロイ様」


「うん」


第一王子ことロイは、満足げに頷いた。自分の父親と対していたときとは違うあどけない様子に、リュディアは若干緊張が緩む。


「しかし、訪ねて済まなかったね。特にエルンスト公は多忙だったろうに」


「いえ、お父様はもっと休んだ方がいいので、良い機会でしたわ」


「じゃあ、僕は仕事を増やしてしまったな。やはり、後で詫びておこう」


リュディアの言葉を受けて、ロイは苦笑する。先程のロイと父のやり取りを思い出し、リュディアは尋ねる。


「あれは、お父様でないといけないことでしたの?」


政治要素を感じたので、具体的には訊かず気になった点だけを問う。


「ああ。教育機関の管理も公……リュディア嬢の父上の管轄だから直接頼んだんだ」


「ロイ様はその若さで国の教育にまで関心を持たれているんですね」


純粋に尊敬の念を持った眼を向けるリュディアに、ロイは目を丸くしクスクスと可笑しそうに笑い出した。


「あれ……、実は僕の我儘をそれっぽく書いただけのものなんだ……っ」


「え……?」


私的な内容を誇張表現したものだと明かされ、今度はリュディアが目を丸くする。


「多分、父上が見ればすぐにバレる。だから、今回の婚約者候補の面談に紛れてエルンスト公に根回ししたかったんだ」


「陛下にバレてはいけませんの……?」


「うん。僕は確実性のないことをしようとしているから」


だから、国王に知られると止められるのだとロイは言う。


「……僕は、いずれ王になる。その権利と責任を放棄する気はない。けど、もう一つ欲が出てね。ちょっと足掻いてみようかと思うんだ」


「足掻く……」


なんと彼に不似合いの言葉だろうか。それでも、リュディアの眼には蜂蜜色の瞳に決意の色が見えた。


「そこで、協力者が欲しい」


真っ直ぐに蜂蜜色の瞳に見詰められ、リュディアは瞠目する。


「わたくし、ですか……?」


「そう。今回の訪問は、誕生祝いの礼と称した僕の婚約者候補の面談だ」


ロイは、臣下から渡された訪問相手のリストを見たとき、判り易すぎて笑いそうになった。リストの相手とは一通り会い、リュディアが最後の面談相手だ。


「エルンスト家は元々中立を保つ家であり、三省長の役職も中立でなければ務まらない。家格、血筋含め婚約者として最適だ」


リュディアは両親に相応しくあろうとは思っていたが、自分の価値について考えたことがなかった。だが、王族にとっていずれかの勢力に偏った人間を正妃に迎えるのは好ましくない、とリュディアでも解る。


「僕は学園を卒業するまでの猶予が欲しい。その間、臣下に黙っていてもらうには婚約者がいる。できれば、理解を得た相手がいい」


学園に入ることすら何年も先の話だというのに、遠い未来まで既に見据えていることにリュディアは言葉をなくす。彼は本当に一つ二つしか変わらない少年だろうか。


「そして、僕個人としては政略結婚をするなら、リュディア嬢……君がいい。協力してもらえないかな?」


笑みを湛えたまま、真剣な眼差しを向けるロイに、リュディアは背筋が伸びる。迂闊な回答はできない。かといって、今までリュディアには考えが及ばなかった課題にすぐ答えが出るはずもなかった。

返答に悩むリュディアの様子に、ロイは苦笑し眼差しを優しいものに変えた。


「今すぐ答えなくていい。お互い知り合って、僕が信用に足るか判断してほしい」


「そんな、ロイ様を試すようなこと……」


「いいんだよ。君にはその権利がある。僕は君を利用しようとしている。君にもリスクと過分な不利益を負ってもらうんだ、君も僕を利用できるようならしてくれ」


王子であるロイを利用するとは、なんて畏れ多い。彼の言う不利益とは、王族と婚約することで発生する制限と、もし婚約が破棄になった場合のリュディアへの非難だろうか。ロイの言い振りからすると、彼の行動の結果によっては婚約破棄もあり得るようだ。

ロイへの返事は、自分の当分先の未来まで決めるものだ。敬愛だけで請け負えるものではない。リュディアはしばらく逡巡して、今回答できない事実を受け入れた。


「考えさせていただけますか?」


「勿論。そのつもりだ」


にっこりと微笑むロイは、それで充分と紅茶を口にする。リュディアも倣って紅茶を口にすると、喉が潤うのを感じた。自分は随分緊張していたらしい。

切り上げかけたものの、一つだけ気になって最後にリュディアは訊いた。


「わたくしが断った場合、ロイ様はどうなさるんですか?」


「他の候補から見繕うしかないな。リュディア嬢のように会話ができないから、説明はしない」


さらりと割り切った答えが返った。説明されるのとされないのはどちらが酷いのだろう。リュディアは説明された方が誠意を感じる。貴族の娘がいくら政治の道具とはいえ、知らない内に利用されるよりはずっといい。

他の令嬢はどうだろう。ロイ自身を慕う者、権力を欲する者、様々だろうが正妃になる可能性がある以上知っても条件は飲む。しかし、婚約解消の可能性を潰すために本人ないし周囲が働きかけをすることだろう。それはロイには不都合に違いない。

庭を眺めながら紅茶を飲むロイを見る。本当に絵画の天使が抜き出たような容姿の少年だ。そして、その知性は優れている。王子の風格を十二分に備えた彼をリュディアは尊敬している。会う前はただの憧憬だったが、実際に会って話して国民として、臣下として敬うに値すると感じた。今は王子であることを緩めて、自分の友人として穏やかでいる様子を光栄に思う。

正妃になる自分を思い描くことはまだできないが、彼の気を緩める場所に自分がなれるなら、それぐらいは手伝いたいとリュディアは思う。


「……そういえば、まだ候補の段階で面談の事実をあっさり明かしてよろしいのですか?」


「友人に隠すことでもないからね」


ロイが今回の面談の目的に気付いていることを、婚約者候補に知られるのは情報漏洩の危険があるのではないか。そう思って訊いたが、自分を信頼しきっている眩い笑顔を向けられてリュディアは確信する。ここまでの信頼を彼に寄せられて自分から裏切れるわけがない。


「それに今後もこの機会を利用して、エルンスト公とも連絡を取りたいしな」


「私をダシにする、と」


「リュディア嬢と話すのは楽しいから、公との連絡は飽くまでついでだ」


ロイの言葉に偽りはないと、表情から判る。なので、リュディアも表情を緩めてしまう。


「仕方ないですわね。それぐらいは利用されてあげましょう」


「ありがとう」


わざと嘆息してからのリュディアの言葉に、ロイは上辺だけではない感謝を告げる。本当に憎めない笑顔をする少年だ、とリュディアは思う。王族のカリスマ性とはこういうことなのだろうか。


「ロイ様はもっと穏やかな方だと思っていましたわ」


政略を利用してまで、我儘を通そうとする強引さと強い意志を秘めているとは思っていなかった。方法は通常とはかなり異なるが、随分子供らしい面もあるものだ。


「こんな僕は嫌いかな?」


「わたくしは嫌いではないですわ」


年相応さを感じる笑顔をむしろ好ましいとリュディアは感じる。リュディアの答えに、ロイは本当に嬉しそうに破顔した。


「そうか。僕も、自分に年相応な感情があったと知れてとても嬉しいんだ。我儘を言うのも楽しいな」


やり方が尋常ではない、とリュディアは思ったが、ロイの笑顔を前に黙った。

リュディアには足掻きたいほどの強い感情がないので、少し羨ましく思う。いつか自分にも貫きたい強い想いを持つことがあるだろうか。そのときが来たら、彼のように行動に移せるといい。

今は彼と、そして自分と向き合い、与えられた課題の答えを出そう。ロイを迎えるまでは不安が大きく占めていたが、彼と話すことでむしろリュディアは勇気が持てた。ニゲラの花を思わせる瞳に内なる光が宿ったことを、リュディアは気付かなかった。

婚約者候補の面談を終えた数日後、リュディアが散歩に向かうと庭師見習いの少年が迎えてくれた。


「今日こそ教えてくれるんでしょうね?」


「ああ」


リュディアが問うと、彼はあっさりと秘密を明かすと頷いた。彼の父親に断りを入れ、梟の噴水のある広場へ二人で行く。垣根をくぐると、変わらず白詰草の絨毯が広がっていた。

先に入った庭師見習いの少年が、リュディアが踏み入れると同時に振り返る。


「俺、お嬢に幸せをあげたかったんだ」


「は……?」


唐突な内容にリュディアは理解ができない。幸せ、とは物のように差し出せるものではない。


「ほい」


庭師見習いの少年は、リュディアに何かを被せる。大きいそれは頭をくぐり抜けて肩に落ちる。白詰草でできた輪だった。


「四葉……」


白詰草でできたネックレスはすべて四葉だった。彼の言った幸せ、がこの幸運の象徴だと気付く。だが、稀なはずの四葉がどうしてこんなにあるのか、リュディアは驚く。


「まだあるぞ」


彼に促されて屈むと、三葉の丸い葉に混じってちらほらと四葉が確認できた。


「どうして……」


信じられない。先日は三葉ばかりだった。


「お嬢が歩いたからだ」


彼の言う意味が解らなくて、隣で一緒に屈む彼を見る。そこに悪戯が成功したような無邪気な笑顔があった。


「俺もよく解んねぇんだけど、踏んだりしてびっくりさせると葉っぱが増えるんだ」


それで先日、あんなに白詰草の上を自分を歩かせたがったのか。理由を知って少し呆れる。


「わたくしでなくともザクだけでよかったのでは?」


ただ四葉を見せて驚かせたいなら、自分を巻き込む必要はなかっただろう。そう思って言うと、彼はそれでは意味がないと首を横に振った。


「お嬢が歩かないとダメだったんだ」


「どうして……」


「だって、そうすればお嬢が歩いた跡に幸せができるだろ。お嬢がなんで元気ないのか判らねぇけど、お嬢がちゃんと地に足つけて歩いた道なら大丈夫だって」


びっくりした。

悩んでいたことに気付かれていただけではなく、こんな励ましをしてくれることに。自分が決断した行動の結果が怖かった。けれど、彼はその歩いた先が幸福に繋がると目で見える形で証明してくれた。リュディアが何に悩んでいるかなんて彼が知るはずもないから、結果を保証しているわけではない。ただ、頑張っていいと応援されただけだ。けれど、彼からの保証大丈夫が、とても頼もしい。

ロイと話して勇気はもらったが、消えていなかった不安を彼が消し去ってしまった。頬に熱いものが伝う。


「え!? お嬢!??」


一粒零れると止まらなくなり、ニゲラの瞳からぼろぼろと涙が流れる。それを見た庭師見習いの少年は瞠目して狼狽える。


「ちょ、待……っ、俺、無神経だった……!? 何も知らないのに、ごめん!! お嬢に元気出してほしかっただけで……っ」


「わたくし」


彼が謝罪を募るのを遮って、涙を流したままリュディアは口を開いた。


「先日、パーティーで殿下とお会いしましたの」


「え、うん」


話し始めたことに目を丸くしたものの、庭師見習いの少年は頷いて相槌を打つ。


「殿下、ロイ様は素晴らしい方でしたわ。ダンスのリードもとても上手で、お優しくて知性溢れる方で」


「うん」


「そして、わたくしはロイ様の婚約者候補、の一人にあがったの」


「うん」


「その後、もう一度ロイ様に会って、有力候補らしいと教えてもらったわ」


「うん」


彼がただ頷いてくれるだけで、ほろほろと心の中が解れて言葉が零れる。


「わたくし、確かに絵本では王子様のお姫様になる話に憧れてましたわ。けど、自分がそうなるなんて思ったことがなくて……」


「うん」


「びっくりして、どうしたらいいのか解らなくて……き、貴族の令嬢として光栄なことのはず、なのに……っ」


「そりゃ、びっくりするだろ」


ぽん、と頭を撫でられる。見上げると、銅色の温かい眼差しとかち合った。


「お嬢より歳上の俺だって結婚どころか恋愛も考えたことねぇもん。お嬢、ただでさえお稽古あんなに頑張ってんだから、キャパオーバーするって」


驚いて、不安になって当然と肯定され、すとんと落ち着く。自然と涙も止まった。


「それってすぐ確定すんの?」


「ロイ様は、会ったばかりだから考えてくれって……」


「なら、ゆっくり考えればいいじゃん」


王子がいい奴でよかったな、と彼は笑う。王族相手に簡単に待たせていいと考える彼は馬鹿なのか、肝が据わっているのか。


「お嬢は子供なんだからいきなり難しいこと考えなくていいんだよ。目の前のことやってりゃ、その内判るって」


そういうものだろうか、と彼が言うと納得してしまう。思ったままを言葉にする彼だから、そのまま胸に落ちる。


「そう……ですわね。まだ、候補ですもの」


「そうそう」


焦らないでいいと思ったら、大分心が凪いだ。


「お嬢が幸せになればそれでいいんだよ」


「何故、わたくし基準なの?」


「俺、王子知らねぇもん。知らない奴より、お嬢が笑ってりゃそれでいい」


随分、主観的な感想だ。不敬だ、と指摘すべきだろうが、リュディアは嬉しさがせり上がってできなかった。そういえば、父も自分が決めていいと言ってくれた。メイドのカトリンも味方だと励ましてくれた。自分の幸せを望んでくれる人に囲まれている事実をリュディアはようやく理解する。なんと恵まれていることか。


「……ザク、この四葉、いくつか摘んで帰ってもいい?」


「いいぞ」


持って帰って押し花の栞を作ろう。そして、父たちに感謝の気持ちと幸福の祈りを贈ることをリュディアは決める。

彼にはどうしよう。この四葉は彼が育てたものだし、栞など渡しても彼は本を持っていない。どう感謝を伝えるか悩んで白詰草を眺めていると、隣で彼が空を見上げた。


「そっかぁ……」


「ザク?」


ぼんやりとした様子の庭師見習いの少年の様子を不思議に思い、名を呼ぶと力ない笑みが返る。


「俺、馬鹿だな。ずっとお嬢に見せるために庭造れると思ってた。もしかしたら、俺が一人前になるより先にお嬢が他所に嫁に行くかもしれないんだな」


それは漠然と、リュディアもずっと続くと思っていた日常。

それが終わりが来るものだと知ってリュディアは眼を見開く。自分が怖かったのはこれだ。この日々が続かないと思い知らされるのが怖かったのだ。

また涙が出そうになるが、彼が上乗せした温かい笑みにそれが押し留まる。


「俺、早く一人前になるな」


彼が自分を想って言ってくれた言葉が、とても嬉しいと同時にひどく悲しかった。

幸福で満ちた庭に僅かな寂寥を潜めて少女と少年は眺めるのだった。



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