12.夕暮れ




やしきの裏手にある芝生の広がる場所に、俺はいた。洗濯物干し場の予備の場所なので、あまり人が来ない。


「姿勢がよくなりましたね」


「そうですか?」


体術の稽古が終わったところで、師匠こと執事のハインツさんから自覚していなかったことを言われた。

俺は汗だくだが、師匠は相変わらず水面のような読めない表情で涼しげだ。最後にちょっと手合わせしてもらったのに奇怪おかしい。汗腺どうなってるんだろう。いや、一撃も入らなくて簡単にぶん投げられたけど。


「ええ。あのままだと猫背になりそうだったので、矯正しようと思っていたんです」


その手間が省けたと師匠は言う。確かに俺がしている庭仕事のほとんどが屈んですることが多いから、猫背になるかもしれない。親父の身長が高いから、俺が屈む作業して実は助かっていると母さんから聞いて、役に立ててるのが嬉しかったんだが、そんな弊害があるとは。


「何かしてますか?」


「えーと……、あ、筋トレの前にストレッチするようにしました」


思い当たることはある。けど、言えないからそう答えた。ストレッチ増やしたのは嘘じゃないし。

師匠を前にすると隠し事も見破られそうな気がして、内心どきどきする。そういうときほど、なんか逸らしたらいけないと思い、静かな眼を真っ向から見返す。


「そうですか。今後も継続してください」


「はい」


どうにか言及されずに済んで、内心胸を撫で下ろす。

たぶん姿勢がよくなったのは、お嬢の自主練に付き合っているからだ。お嬢がやっているのは基本のワルツだけだ、と言っていたから他にも踊りの種類があるんだろう。けど、その基礎練習が俺にはキツい。今まで使ったことない筋肉使うし、意識して姿勢を保つのって体術の型を覚えるよりしんどかった。

とりあえず、お嬢の足を踏むの怖くて、足の運びだけは最初に必死で覚えた。

なんかリズムが苦手なんだよな。

お嬢曰く、三拍子と四拍子の違いらしい。俺がよく歌うのは基本四拍子だから、ワルツの三拍子のリズムが取りにくいそうだ。

稽古が終わって去ろうとする師匠を、訊きたいことがあったので呼び止めた。


「あの、師匠」


「……なんですか」


一拍置いて返事された。声に若干の諦めを感じるのは何故だろう。


「前から気になっていたんですけど、師匠みたいに使用人で戦える人ってふつーにいるんですか?」


「多くはありませんが、騎士の家系などから雇っています。正規の護衛が付けられない場合も対処できますから」


「へー」


「その内、リュディア様にも数名付けなければいけませんね……」


思案げに顎に拳をあてる師匠は、何故か俺を一瞥してからそんなことを呟いた。今後、お嬢も外に出る機会が増えるから護衛が必要になるようだ。ということは、公爵様やオク様付きの使用人にも武闘派がいるのか。前のお茶会のとき、あのメイドさんの中にそんな人がいたとはとても思えないが、いたのかもしれない。


「それってお嬢、様と歳の近いヤ……人が増えるってことですか?」


「確かに、近い歳頃の子息令嬢から見繕う予定ですが、何か?」


「いや、お嬢……様にダ……友達できるんだなぁって」


「君は暢気のんきですね……」


あ、師匠が呆れてるの隠してない。表情あるのが珍しい。俺、そんなに変なこと言っただろうか。

なんか、貴族って日本の義務教育期間ぐらいまで家庭教師前提っぽいから、同世代と過ごす機会少ない印象なんだよな。護衛でも、同世代と一緒にいれるようになるならいいことだ。そういや、前世の小学校でうんていできる奴少なくて、できたらできたで猿だって言われたなぁ。あ、今も身長足りない分を補おうとして跳び蹴りしようとしたら、師匠に猿みたいだって言われたからあんま変わってないな。

パチン、と脱線してた思考が、師匠の懐中時計を確認する音で途切れた。


「無駄話はここまでです。君も仕事に戻りなさい」


「はいっ、引き留めてすみませんでした!」


反射的に敬礼して挨拶をすると、師匠の眉が僅かに寄った。けれど、すぐにまた静かな表情に戻ると、踵を返して邸に戻っていった。

俺は手拭いで汗を拭ってから、親父の作業しているところまで戻って雑用をする。師匠に稽古付けてもらう日は、お嬢に来ないように言っている。汗臭いのお嬢が嫌だろうし、もし見ても面白くないだろう。

それに、カッコ悪いところを見られたくない。いつもお嬢に怒られて年上の威厳も何もないけど、できればこれ以上呆れられたくない。


「ん……?」


俺は変な感じがして、後ろに振り向いた。けど、何もない。邸の中で窓拭きしているメイドさんたちがいるくらいだ。

最近、邸の近くで作業していると変な感じがすることがある。なんかうなじがもぞもぞするような感覚が時々するんだけど、振り向いても真面目に作業している使用人がいるだけで変わった様子はない。


「精霊がいたずらでもしてんのかな??」


俺はえないから、精霊に妖精っぽいいたずら好きなイメージを持っている。俺の歌でも喜ぶから、楽しいものならなんでもよさそうな気がする。

俺は原因不明の感覚をそう納得して作業に戻った。

お嬢の自主練に付き合ってからの一ヶ月弱は意外と早く過ぎた。今までお嬢が俺に話しに来ていたのが、練習時間に置き換わっただけだから周囲にはバレていないだろう。すごい今更だけど、お嬢が一人で俺のところ来て、誰かが探しに来たことないな。毎回『散歩』にしては長いはずなのに。敷地内だから大丈夫だと思ってくれているのか、カトリンさんがフォローしてくれてたりするのだろうか。

とりあえず、パーティーの前日が最後の練習日となった。俺は、最後までお嬢に合わせるのに精一杯でちゃんと踊れているのかも判らなかった。練習の終わりに心配になって訊く。


「俺で練習になったのか……?」


「ええ。先生に教わる際は一人なので、実際に相手がいるときに気をつけることが分かりましたわ」


そうお嬢が満足げに言ったので、俺は安心する。


「そか。よかった……」


気の抜けたように笑う自分が、薄い青の瞳に映る。やっぱり慣れないことで緊張していたみたいだ。


「あの、ザク……」


お嬢が口ごもりながら口を開く。落ち着かないのか、人差し指同士を突き合わせて、曲げたり伸ばしたりしている。


「……その、練習に付き合ってくれて、た……助かりました、わ……えっと、だから……」


眼を逸らしていたお嬢は、一度唇を引き結んでからこちらを見た。


「ありがとう」


咲きかけの蕾みたいに少しぎこちなく、お嬢が微笑んだ。

お嬢のこんな表情カオが見れるなら、柄じゃないことでも頑張ってよかったと思う。嬉しさに頬が緩んだ。


「本番頑張れよ」


応援の言葉と一緒に、用意していた紙袋を渡すと、お嬢はきょとんと受け取ったそれを見詰める。


「これは……?」


「一緒に行けないから、代わりにお守り」


お嬢は僅かに眼を見開いて、紙袋から中身を取り出す。

中から出てきたのは白い咲きかけのベビーローズのチャームが付いた薄い青のリボン。


「安物だし、無理に持ってかなくていいから」


念のため、補足しておく。俺の小遣いで買える程度のリボンだから、絹とかじゃない。ベビーローズは親父に頼んで温室のを摘ませてもらった。

ベビーローズのチャームは思ったより作るのが難しくて何度も失敗した。ブリザードなんとかって名前だと思って凍らせて、三個目にやっと水が凍ったら体積増えて細胞が壊れるのに気付いた。その後、ドライフラワーの進化系だと思い直して、花の水分を抜こうとしたけど浸透圧とかの問題なのか、加減の調整が大変で十個目でやっと元の状態を維持したまま水分だけ抜くのに成功した。理科とか苦手なのにナノレベルでの水操作することになって、やろうとしたことを後悔した。神経を無駄に使ったから、しばらく水魔法使いたくない。

明日はお嬢にとって発表会とか受験みたいなものだから、合格祈願のつもりで作ってみたが余計だっただろうか。さっきから手元を見詰めたまま反応がない。一応、邪魔にならなさそうなリボンにしたんだけど。あ、紙袋に入れてたのがやっぱマズかったか。


「ごめんな、そのままよりはマシかと思って紙袋入れたんだけど……」


装飾系の箱ってなんであんなに高いんだろう。一応見たけど、お守り本体より高くて手が出なかった。

まだ反応がない。気に入らなかったかな、綺麗なの選んで摘んだんだけど。


「もし、気に入らないなら、捨てても……」


「絶対捨てませんわっ!!」


言い終わる前に庇うようにリボンを隠された。取られないように威嚇される。もうお嬢のだから取らないのに。気に入ってくれた、ということでいいのだろうか。

とりあえず、リボンを抱え込んで猫のような威嚇を解いてもらうため、俺は両掌を見せてどうどうと敵意がないと示すジェスチャーをする。取られないと解ったお嬢は、警戒を解いてくれた。

そっと包んでいた手を開いて、改めて手の中の花を確認する。


「綺麗……可愛い……」


お嬢は嬉しそうに表情を綻ばせた。呟きは小さかったけど、俺にも聞こえた。気に入ってくれたようで、よかった。


「明日は頑張りますわ」


「緊張しすぎるなよ。折角の生王子なんだから」


「どうして生を付けるんですの……これを見たらザクを思い出して気が抜けるので大丈夫ですわ」


「えー、俺貶されてない?」


応援する気持ちは込めたけど、そんな効果を付けた覚えはない。


「ある意味褒めていますわ」


ある意味なんだ。まぁ、お守りが無駄にならなかったから、よしとしよう。

夕暮れ時、石造りの東屋も囲む池の水面もすべてがオレンジに染まる中で俺たちはいつものやり取りに笑い合った。締まらない終わりかもしれないけど、俺たちにはこれでいい気がする。

きっとお嬢は大丈夫だろう。お嬢が努力する姿を見てきた俺は、明日の成功を確信する。貴族のパーティーを知らない俺はどうすれば成功なのか判らないけど、お嬢ならカッコよく決めて帰ってくるだろう。

その日の帰り、邸を出る前に見掛けたメイドさんの目元が赤かった。夏なのに花粉症かな? 邸内の花は花粉取ってから飾ってるはずだけど。気になって親父に相談したら、邸近くの花で苦手な品種があるのかもしれないから、今後のために調べることになった。今度の稽古のときにでも、師匠に協力してもらえないか頼んでみよう。



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