13.ワルツ




よく晴れた昼下がり、次々と王城に豪奢な馬車が入場してゆく。その中に、黒に金の縁取りをした馬車があった。

窓には青い天鵞絨のカーテンがかかっており、中にいる人物は窺い知れない。多くの貴族が馬車のドア付近に大きく家紋を掲げる中で、後部の屋根の下に控え目な大きさで金の家紋が刻まれている。屋根の四隅にはその家の者の加護する属性精霊の像が配置されていた。家紋を主張せずとも、その家の高貴さが知れる馬車だった。

その馬車が、本日の会場に続く赤い絨毯の前に停まった。自然、既に馬車から降りた貴族たちの視線を集める。

御者が馬車のドアを開けると、周囲の視線を集めるそこに緩く流れる金髪の青年が現れた。深い青のジュストコールが煌めく金糸の髪と整った顔立ちを映えさせている。幼い淑女レディたちが頬を染め、小さく黄色い声を上げる。

周囲を気にした様子もなく青年は、甘さの香る微笑みを湛えて後方に手を差し伸べる。


「お手をどうぞ。お姫様」


「お父様……王女殿下が御座す場所でその発言は不敬では……?」


怪訝に指摘された青年は、悪びれない様子のまま訂正する。


「おや、そうだったね。では、私の天使では如何かな」


「もうお父様ったら」


おどける青年に、少し可笑しそうに微笑み返し彼の娘と思しき少女が小さな手を重ねた。

プラチナブロンドの髪は緩く巻きながら腰まで流れており、サイドを編み込まれ後頭部でドーム状に纏められている。父親と同じニゲラの花を思わせる瞳が、二人の胸元を飾る碧玉よりも煌めいていた。青が基調のドレスは全体的には父のジュストコールよりも淡いが、アクセントとなる場所に使われたレースは同じ濃さをしていた。スカートの縁にある濃い青のレースと内側の白いレースの対比により覗く白をより白く際立たせている。

幼いながら凛々しさを感じさせる目元に笑みが滲むと可憐で、幼い少年の何人かは言葉を忘れて惚けた。

絵になる父娘おやこに周囲は自然と道を空けて見送った。


「ディア、ごめんよ。ヴィアのお茶会で場慣らしするはずだったのに」


「フローラが生まれたのだから仕方ありませんわ。それにお父様が謝る必要はありません。わたくし、妹ができて本当に嬉しいのです」


愛娘をエスコートしながらお互いにしか届かない声量でジェラルドは謝罪したが、同じ声量で愛娘が謝罪を断り気持ちに偽りのない微笑みを返した。

本来ならば、母親であるオクタヴィアの主催ないし参加するお茶会に娘のリュディアが参加し正式に社交界デビューするまでの練習を始める頃だった。だが、妹のフローラが生まれしばらくオクタヴィアがパーティーやお茶会を控えることになったため、初めてのお茶会が断ることができない王子の誕生日パーティーとなってしまった。公爵家でほとんどの招待を断っても支障のない立場が仇となった。臣下である以上、王族にだけは逆らえない。

ジェラルドは酷なことではと危惧したが、彼の愛娘は意外なことにひどく緊張している様子はない。むしろ、こちらを気遣う余裕まである。愛娘の言葉に感動する反面、少し不思議に感じた。


「思ったより緊張してないね」


「してますわ。王族の方々に失礼をしないかとても心配です。けど……」


「けど?」


「お父様と一緒ですもの」


とても心強いですわ、と見上げる愛娘にジェラルドは抱き締めたい衝動に駆られる。それを彼女と繋ぐ手と反対の拳を握ることで堪え、安心させるように微笑みかける。


「そう。帰りたくなったらいつでも言うんだよ。今からでもいい」


「まだ王子殿下に祝辞すら送っていませんのに、それは不敬ですわ」


「私だけ殿下に伝えてもいいんだが……会わせたくないなぁ」


残念そうに呟く父に、リュディアは首を傾げる。会わせたくない相手は内容からして第一王子だろうが、何故会わせたくないのか。


「どうしてですの?」


リュディアは疑問の湧いたままに訊いた。


「……私も姿を見掛けた程度だが、噂に聞く限りだとすこぶる評判がいい」


幼いながら既に聡明さが窺え、民を想う心もあり、このまま成長すれば賢王になるだろうともっぱらの噂だ。


「煌めく黄金の髪と瞳をされていると聞いてましたが、中身も素晴らしい方なんですね」


「そうなんだよ。反対し辛いなぁ……」


第一王子の評価の高さに眼を輝かせるリュディアに対して、父親のジェラルドは苦いものを口に含んだような表情になる。ただの噂ならいいが、信頼できる知人からの情報も含んでいるため噂通りの可能性が高い。噂を聞いたリュディアの期待を裏切ることはないだろう。それがジェラルドには憂慮する要因だ。

ジェラルドは懸念を払うように別の話題に変える。


「そういえば、試着のときは付けていなかったね」


エスコートする右手とは反対の左手首に咲く花を視線で指す。白い手袋の上で、綻びかける瞬間を閉じ込めたような白いベビーローズがニゲラのリボンで止められている。ドレスの最終調整の試着時に立ち合ったジェラルドは、その際になかったアクセントを不思議に思う。ここまで生花に近い花飾りは初めて見た。かすかに水の精霊の加護を感じる。

父の問いに一瞬ほんの僅かにリュディアは硬直した。本当にささやかな変化だったので、手を繋いでいたジェラルドしか気付く者はいなかった。


「……これは、お守りなんです」


「そう可愛らしいね。イザークはディアに似合うものをよく解っている」


「っ!?」


にっこりと甘い微笑を湛える父を、信じられない思いでリュディアは見る。名前も出していないのに、どうして判ったのか。


「イザークは水属性だろう。……花の時間を閉じ込める魔法なんて素敵だね。私も教えてもらいたいな」


エルンスト家に仕える者には必ず適性属性を報告してもらっている。それを公爵であるジェラルドは概ね把握しており、最年少の庭師見習いの適性などはよく覚えている。

しかし、面白い水魔法の使い方だ。基本、潤すための水魔法を潤いを奪う用途で用いるとは。ジェラルドは繊細な魔法に感心すると共に、割と本気でやり方を知りたかった。自身の魔法で作った花束を妻に贈りたい。

驚きに口をハクハクとさせていたリュディアは、理解が追い付くと共に新たな疑問が浮上した。


「魔、法……?」


「おや、私は無粋なことをしてしまったようだな」


彼に申し訳ないことをした、とジェラルドは独りごちる。手作りであることをリュディアは知らなかったらしい。

リュディアは眼を見張りつつ自身の左手首に咲く花を見る。そして、じわりと嬉しさを瞳に滲ませた。


「いい友人を持ったね」


「はい……」


素直に頷くリュディアを見て、ジェラルドは愛娘の成長を喜ばしく感じる。本当に彼が家に来てくれてよかった。彼に出会う前の彼女だったら、今この場でここまで柔らかい表情をしていなかっただろう。衣装もお揃いにできなかったかもしれない。


「ジェラルド、やはりお前も来ていたか」


「ツィンバルカ、君も娘さんと?」


会場のホールに着くと知人から声がかかり、ジェラルドはそちらを向いた。新緑のドレスを着た少女をエスコートしながら、ジェラルドよりは背は低いが体格の良い青年がやって来た。それを確認してリュディアは、スカートの裾を摘まんで挨拶の構えをする。


「ディア、彼は騎士団副団長をしているツィンバルカだ」


「ツィンバルカ・フォン・アウグストと申します。よろしく、小さなレディ」


「リュディア・フォン・エルンストと申します。父がお世話になっております」


胸に手を当て礼をとるツィンバルカに、リュディアは両手で僅かにスカートを持ち上げて頭を下げた。


「むしろ、世話をかけている方ですからお気になさらず。ああ、こっちは娘のトルデリーゼです」


「アウグスト侯爵家が長女、トルデリーゼと申します。エルンスト公爵家のご令嬢にお会いでき光栄です」


父親と同じ濃い茶の髪を揺らし、トルデリーゼが緊張ぎみに慌てて礼を返した。


「仔兎のように可愛らしいお嬢さんだね。どうかそんなに緊張しないで」


「は、はぃ……っ」


ジェラルドは安心させるように微笑みかけるが、トルデリーゼは頬を紅潮させ余計に身体を強張らせる。父親のツィンバルカは呆れたような半眼を友に向ける。


「お前、その面でウチの娘を誘惑するなよ……」


「心外だな。私は妻しか誘惑しない」


「ああ、はいはい。とりあえず、お前さんの立場とつらじゃ緊張するなってのが無理だ」


父親同士が気安い会話を交わす中で、リュディアは初対面の少女に声をかける。


「トルデリーゼ様、わたくし歳の近い方と話すの初めてです。よろしければこれからも仲良くしてくださると、嬉しいですわ」


「そっ、そんなっ、麗しいリュディア様と懇意になど畏れ多いです」


微笑むリュディアに恐縮するトルデリーゼ。娘たちのやり取りを見守りながら、父親同士は会場の様子を眺める。


「男女比は半々といったところかな」


「大人だけだと随分むさ苦しいがな。判りやすいことだ」


会場には第一王子と歳の近い少年少女とその同伴者の親ばかりだ。親は両親揃っている者もいるが、半分ほどはジェラルドたち同様片親のみ。基本、女性をエスコートするのが男性の役目のため、父親と娘の組み合わせが多い。


「私はフローラがいるからヴィアを連れて来なかっただけだ」


「俺もトルデが殿下を一目見たいと言わなければ来ていない」


渋面になりながらツィンバルカが娘たちの方を一瞥すると、瞳を輝かせて第一王子の話をする娘二人の姿があった。周りの少女たちもほぼ同質の期待を眼差しに宿してしている。


「……やはり、彼は来ていないか」


「ヴィート侯か。あの家はタイミングが悪かったな……届いた後だろう」


「恐らくね」


沈痛な面持ちで呟くジェラルドに、ツィンバルカは誰を指すか瞬時に理解し、この場にいない知人を思い出す。


「奥方が臥せっているから単身で来る訳にもいかんだろう」


「彼は優しいからね……。また折を見て見舞おう」


「そうだな。ま、来てしまった俺たちが暗い表情カオしてたら不敬だ」


「そうだった。ディアを不安にさせてはいけないね」


「……ほんっと、お前は全てが家族基準だな」


暗い話題を打ち切る案にジェラルドが笑顔で賛同すると、ツィンバルカが呆れた声を返す。臣下として来ている身で、どうしてここまで清々しく今回のホストの優先順位を下げれるのか。

話を切り上げたところで、楽団の控える場所から管楽器が高らかに鳴った。それを合図に会場にいる全員が静まり、幅広い階段の先にある両扉に向かって一斉に頭を垂れた。

ゆっくりと両扉が開き、国王と次いで第一王妃と第二王妃、そして第二王子が現れた。国王が中央に立つと、他の三人は後方に控える。国王がよく通る声で面をあげるよう声を掛け、全員がそれに倣ったのを確認してから開会の挨拶を述べる。息子のために集まってくれたことへの感謝と存分に楽しんでいってほしい旨を簡単に告げる。話を長引かせることなく、むしろ主役より先に出てきて済まない、とおどけてまで見せる国王に皆が微笑んだ。


「さて、本日の主役に登場願おうか」


そう言って国王が第一王妃の側に退くと、開いた扉の前に金糸の髪と蜂蜜を溶かしたような瞳の少年が現れる。彼が現れた瞬間に拍手と歓声が湧き、彼はそれをそよ風のように受け止めつつ国王が先程まで立っていた場所で止まった。

絵画から天使が抜け出してきたかのような造形の少年は見惚れるに値する。信心深い者は真の天の御遣いとすら思うことだろう。眩い金の髪と透き通るような白磁の肌は女性も羨むものだが、彼だと誰も妬まない。

第一王子はゆっくりと会場を見回し、一同が静まったのを確認してから微笑みを深くして開口する。


「ロイ・レオナルト・フォン・ローゼンハインだ。此度は暑い中、私のために集まってくれたことに感謝する。私はまだ未熟だが、民のため邁進し父の助けとなりたいと思う。どうか今後も臣下の皆には、この国のため、力を貸して欲しい。そして、これからを担う若き同志たちと出会える機会を得られたことがとても喜ばしい。是非、この国の未来を語り合おう」


言い終わると同時に、先程よりも熱のある歓声と拍手が湧いた。

その中で拍手をしながら、ジェラルドは周囲に聴こえぬ声量で呟く。


「顔がいいって狡いな」


「お前がそれを言うか」


隣にいたツィンバルカだけがそれを拾い、驚愕する。他の者が聞いたら皮肉にしか聞こえない容姿を持っている彼は、本気でそう思っているようだ。


「もう、お父様が一番格好いいとか言ってくれなくなるんだろうな……」


「言われたことがあるだけいいだろうが」


懸命に拍手を贈る愛娘を見ながら、寂しげにジェラルドが零すと、ツィンバルカは励ましではなく本心で返す。娘にそんなことを言ってもらったことなど、ツィンバルカはない。むしろ、若くして副団長の地位にいるため威厳を補完するために生やしている髭が女性の家族から不評だ。

第一王子の開会宣言で楽団からゆるやかな音楽が流れ始める。会場のホールの中は外が真夏であることを忘れそうな適温で、大勢の人間がいても過ごし易い。立食パーティーの形式のため王族主催とはいえ、比較的気安い雰囲気がある。第一王子自らが歩いて挨拶回りをしているのも要因だ。設けられた王族の席で受動的に祝辞を受け取るのではなく、むしろ来てくれた者への感謝を伝えて回っている。

子供の有無に関係なく来ている重臣たちへの挨拶が終わると、近くにいる上位の貴族たちが我先にと祝辞を贈り、自身の子供を紹介し始めた。一言二言でもきちんと一人ずつと会話を交わす律儀さをジェラルドはただ眺め、愛娘が彼に尊敬の眼差しを向けているのを面白くなく感じた。


「貴方は、エルンスト公か」


「はい。お見知り置きいただき光栄です。この度はおめでとうございます、殿下」


眼を止められ、ジェラルドは恭しく臣下の礼を取る。


「ありがとう。公の優秀さは私でも耳にしている。更にその目立つ容姿は見違えようもない」


「畏れ多いことです。よもや眩い容姿の殿下からそのように仰っていただけるとは」


光輝くような笑みに、ジェラルドは花が香るような微笑みを返す。見目麗しい二人が並ぶ様子に周囲の女性からは甘い溜め息が零れた。


「私も、父上や公を見習って早期引退をさせるほど力を付けねばな」


「陛下と並べられるとは買い被りすぎですよ。私は父に領地を任せているので引退させた訳ではありません」


「それは公の領地が広いからだろう。王都との行き来が頻繁では、どちらかが疎かになる。賢明な判断だ」


さらりとこちらの事情を把握した配慮をする少年に、ジェラルドは微笑みは崩さず内心舌を巻く。確かに、これは未来の賢王と称されるだけはある。


「そちらの彼女は公の?」


「はい。私の娘のリュディアです」


「お初にお目にかかります。リュディア・フォン・エルンストと申します。この度は誠におめでとうございます」


他の貴族と違い、王子に訊ねられるまでジェラルドは愛娘を紹介しなかった。避けられぬことでも、せめてギリギリまで伸ばしたかった。

リュディアは緊張した面持ちだったが、声が上擦ることなどもなくしっかりとした声音で祝辞を述べた。公爵家の令嬢として恥じない礼を取る愛娘をジェラルドは誇らしく感じる。

王子は僅かに見開いた後、表情を綻ばせた。


「妖精のように儚いかと思えば、凛々しいよい瞳をしている。実に麗しい女性ひとだ」


「そんな……」


頬を染めるリュディアに、王子が手を差し伸べる。ちょうどワルツが流れ始めた。


「私と一曲踊ってくれないか、リュディア嬢」


「……喜んで」


一瞬自身に起こっていることが信じられなかったリュディアだったが、なるべく優雅に見えるよう微笑んで王子の誘いに応じた。

周囲が幼い二人を羨望や様々な眼差しで見る中、表面上は愛娘のため笑顔で見送るジェラルドは普段より一段階低い声で呟く。


「彼、本当に七歳?」


「お前もあんなんだったぞ」


末恐ろしい子供だったと彼の幼少期を知るツィンバルカは半眼になる。歯の浮く科白セリフを平気で言うのが信じられなくて、反りが合わないと思っていた相手が今では友人なのだから世の中は分からない。

そんな父親のやり取りを知らないリュディアは、王子のリードの上手さに驚きつつも頼りきらないように呼吸を合わせる。


「上手だね。初めての相手に貴女を選んでよかったよ」


「初めて……ですか? とてもそんな風には……」


嬉しそうに微笑む王子にリュディアは驚く。


「本当さ。習い事は一人で受けているからね」


「わたくしもお稽古は一人ですわ」


「だろう? 貴族というのは若い時分の交流の機会が少なくて困る。今回も誕生日だからと父上に我儘を言ってこの場を設けてもらったんだ」


「まぁ、今回のパーティーは殿下が発案を?」


「ただの我儘だよ。若干利用された感はあるが、想定の内だ」


満足そうな王子の様子に、臣下の思惑をある程度理解した上で彼の言う我儘を通したのだとリュディアにも知れた。こうして話してみると彼の聡明さをよく感じられる。

しかし、踊り始めてから彼の口調が少し砕けたように感じるのは気のせいだろうか。先程までの大人にも物怖じない風格が薄くなり、代わりに年相応さが滲んで少し身近に感じる。


「あの……殿下、失礼ですがお言葉が」


「ふふっ、ここなら大人たちも聞いていないからいいだろう。リュディア嬢も、そんな畏まった呼び方をしなくてもいいよ」


名前で呼んでいい、と悪戯っぽく微笑みながら王子が言った。少年らしい一面を目の当たりにして、リュディアは戸惑う。


「そんな、不敬なこと……っ」


「僕の方から頼んでいるんだ。誰も咎めないさ」


にこにこと無邪気な笑みを向けられて、リュディアはどうしたらいいか判らない。気安く名前で呼ぶなど不敬だが、王族からの命に臣下としては逆らえない。

どちらを優先すべきか悩んでいる間も、期待を込めた眼差しで眩い笑顔を向けられ続ける。


「……~っ分かりましたわ、ロイ様」


至近距離での視線に根負けしてリュディアが承諾すると、王子ことロイの笑顔が一層輝く。


「嬉しいよ。やはり貴女を選んで正解だった」


眩い容貌の彼に満面の笑みでそんなことを言われて、リュディアの頬が薔薇色に染まる。年頃の少女が憧れの存在を前に赤面するな、という方が酷な話だ。


「どうして、わたくしを誘ったのですか?」


家格上、一度は踊りの相手をする覚悟はしていたが、最初の上ロイから誘われることになるとは思っていなかった。リュディアが疑問を持つのも当然だった。


「ちゃんと話してくれたから」


「はい……?」


「何人か子供たちと話したけど、緊張されたり見蕩れられたりで会話にならなくてね……」


残念そうに苦笑するロイの言葉に、リュディアは納得する。会話にならなかった相手の気持ちがよく解る。歳が近い以外は立場から何もかもが上の相手だ、対面して冷静でいるのは難しいだろう。自分も満足のゆく練習ができていなかったら、不安から緊張が膨れ上がっていたことだろう。

ダンスのときでも視界に入るように、と左手首に飾ったお守りの花に小さく笑みを零す。少なからず、これのおかげもあるだろう。


「急には無理かと思い始めていたところに、……リュディア嬢、貴女に会えた」


蜂蜜色の瞳が真っ直ぐにニゲラの瞳を見る。


「貴女のおかげで僕は諦めずに済んだ。希望をくれてありがとう」


「そんな、わたくしは何も……」


謂れのない感謝に俯きそうになったところで、白い花が映り留まる。自分は知っているではないか、話ができる相手がいることの貴重さを。ここで謙遜しては隔たりがまたできて、失望させてしまう。

リュディアは顔をあげて微笑んだ。


「わたくしこそ、ロイ様とお話できて嬉しいですわ」


臣下としてではなく、同世代としての言葉で偽りなく伝える。すると、ロイは輝かんばかりの笑顔を見せたのだった。

ワルツが終わるまでの間、お互いにしか聞こえない声量で談笑した後、曲が終わると二人は拍手に包まれた。話す方に気を取られていた二人は、互いに眼を見合せて小さく笑う。そして、手を取り合ったまま観衆へと礼をした。

ロイが、ジェラルドの許までリュディアをエスコートしたのを合図に王族と臣下に戻る。


「では、殿下。またいずれ」


「ああ、いつか自慢の庭を見せてくれ」


挨拶を交わすと、ロイはツィンバルカなど他の臣下たちへの挨拶に戻っていった。

思い返すと今しがたのことなのに嘘のような出来事に、リュディアは高揚する。自分は今、王子と踊り、話したのだ。

礼を解いてもまだ夢見心地が残っている状態でリュディアは、父を見上げる。


「お父様、わたくし失礼などありませんでしたか?」


「いいや? とっても素敵な淑女レディだったよ」


笑みをもって父が褒めてくれたことに、リュディアは安堵と嬉しさに表情を綻ばせた。

帰りの馬車の中でも、夢のような出来事にリュディアは浮き足立っていた。


「殿下は噂以上に素敵な方でしたわっ」


「うん、そうだね」


ジェラルドは、微笑みながら話を聞く。そうして話している内に、あと少しで邸に着くと御者から声が掛かった。それで会話が途切れ、ジェラルドはおもむろに話を切り出す。


「……ねぇ、ディア」


「はい」


「もし、殿下のお嫁さんになれたら嬉しいかい?」


「それは夢のような話ですわね」


まるで絵本で読んだような憧れの展開だ。だから、リュディアはそのままに肯定した。


「そうか。なら、ディアにも話しておこう。今日はね、殿下のお嫁さん候補を探していたみたいなんだ」


「今日は、殿下の誕生日を祝うパーティーでは……?」


「うん。もちろんメインはそうだ。殿下も知らないかもしれないが、陛下の部下の何人かにその目的もあったからできたパーティーなんだ」


いや、ロイは気付いていた。ロイと話したリュディアは、彼が臣下の下心に感付いた上で今回のパーティーに臨んだと知っている。純粋に祝う者たちばかりではない事実がリュディアには悔しかった。


「で、ディアはそのお嫁さん候補になる」


確定事項として話す父をリュディアは不思議に思う。まだパーティーが終わったところで正式な通知などないはずだ。それでも、そう判断できる材料を父は得たのだろう。


「何人か候補があがるだろうけど、ディアが望むなら私は応援するよ」


少しだけ寂しげに、けれど優しい笑みをジェラルドは刷く。


「ディアの心が決まったときは教えてくれるかい? 嫌なら嫌で、断るから」


王族からの命に臣下が逆らえる訳がないことぐらい、幼いリュディアにも解る。正式に決まった場合、いくら公爵の父でも覆すのは難しいだろう。


「は、い……」


リュディアはそれだけしか答えられなかった。

話が現実味を帯びて、ただただ驚いた。喜びなどの感情が湧くことはなく、純粋な驚きだけがリュディアの心を占めた。



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