10.陽溜まり




「駄目です」


料理長に断られたリュディアは頬を膨らませる。


「どうしてですの? だって、ザクは……」


「ザク? ああ、坊主のことですか。お嬢様と坊主は違いますよ」


見上げてくる雇い主の娘に、料理長は弱ったように頭を掻く。


「あいつはちょっとぐらい怪我したり痛い目見ても平気ですが、お嬢様はそうはいかない。万が一、火傷でもされたら私がお付きのメイドたちに叱られてしまいます」


剥れていたリュディアだが、これ以上頼むと料理長に迷惑がかかると理解して肩を落とす。身体が大きい料理長に声をかけるのは勇気が要ったが、話してみるとそんなに怖くなかった。料理長が意外と優しいと判ったのがせめてもの収穫だろう。


「わかりましたわ……」


「しかし、坊主にお菓子を作りたいなんてお嬢様は健気ですね」


「違います! 仕返しをするんですっ!」


屈強そうな顔立ちに優しい微笑みを浮かべる料理長に、リュディアは顔を赤くして全力で否定した。下がっていた肩を怒らせても、威嚇にすらならないようで料理長の笑みは消えない。


「失礼しますわっ」


料理長の暖かい眼に耐えられなくなりリュディアは踵を返す。

だが、言い忘れていたことを思い出し、戻って厨房の入り口に顔を出す。


「無理を言ってごめんなさい。いつも美味しい料理をありがとう」


まだ威嚇の名残があり笑顔では言えなかったが、言うだけは言えたので料理長の反応を確認せずにその場を去る。

以前、庭師見習いに挨拶・感謝・謝罪が大事だと聞いてから、父や母を観察すると都度使用人にも感謝を伝えていた。父に至っては多忙にも関わらず、礼を言うためだけに自ら使用人の元まで出向くこともあるらしい。そんな素晴らしい両親の行いを、言われてからでないと気付けなかった自分が悔しい。

両親を見習うべく行動に移しているのだが、これまでしてこなかったことを意識して行うのは想像以上に恥ずかしかった。眼を見れずに逸らすか俯いてしまうし、今回のように別れ際に言い逃げしてしまうことも侭ある。

両親のように優雅に微笑んで感謝を伝えられる日はまだ遠い。それでも、言えた事実を偉い、と庭師見習いは褒めてくれる。時々、ちゃんと言えないことで挫けそうになるがそれでどうにか継続できているのだ。


でも、どうやって仕返しをすればいいんですの……?


自室の扉を閉めて、リュディアは溜め息を吐く。

同じことをできないのであれば、どうすれば報復できるのか。

先日、お茶会の詫びだと庭師見習いが手作りのクッキーをくれた。ただの紙袋に入ったプレーンクッキーで、普段リュディアが食べているものよりも一枚が大きかった。大きい理由を訊くと、専用の型がなくマグカップで型抜きをしたという。邸に戻って食べる訳にはいかないので、その場で食べたら素朴な味がして美味しかった。

作ったのが、パティシエでもなんでもない男だと言うのが、なんだか腹立たしくなり思わず拳で叩いた。いつもだが、庭師見習いは叩いても困った表情カオをするだけで、痛そうにしないから余計に悔しかった。だから、絶対に仕返しをすると心に決めたのだ。

報復の代案が浮かばずリュディアは困る。あの庭師見習いは、食べ物以外で一体何をあげれば喜ぶのだろう。庭仕事の地味な手伝いでもいつも楽しそうにしている。だが、物だと何がいいのかが判らない。

知っていることと言えば、庭仕事が好きで父親を尊敬していること、食べるとき嬉しそうな表情をすること、派手なものが苦手なこと。


……何を好きか知りませんわ。


今更気付いた事実に愕然とする。自分の知ってる彼の情報があまりにも少なかった。

思い返してみると自分のことを話すばかりで、彼のことを聞く機会はほとんどなかった。彼自身、こちらが訊かない限り基本話さない。


ザクが悪いのですわ。


情報が少ないのは、自分から進んで話さない彼が悪いとリュディアは頬を膨らませる。


「リュディア様、どうされましたか?」


部屋で控えていたメイドのカトリンが、気遣わしげに声をかける。自室に入ったものの、扉から一向に動かず百面相しているリュディアを心配してのことだ。

落ち着けるようにお茶でも淹れるか訊こうとしたところで、俯きがちだったリュディアの顔が勢いよくあがった。


「わたくし、ちょっと散歩に行ってきますわっ」


言うなり出ていこうとするリュディアを、カトリンは慌てて止める。


「お待ちください……! 陽射しが強いので日傘をお持ちになってください」


白いレースの小さな日傘をリュディアに手渡す。これから本格的に夏が始まるこの時期にそのまま外に出れば、せっかくの白い肌が焼けてしまう。


「ありがとう。いってきますわ!」


「いってらっしゃいませ」


扉の側でカトリンは礼をして、主人を見送った。ゆっくり頭をあげ、主人の後ろ姿が小さくなるのを見ながらほっと安堵の息を吐く。


「イザークさんのことでしたか」


なら大丈夫だ、と主人への心配が杞憂だったことに、カトリンは微笑んだ。

程無くして、リュディアは垣根の多い辺りに庭師のバウムゲルトナー父子を見付けた。今日は比較的やしきの近くで作業をしていたらしい。珍しく何かを話している。

寡黙なデニスが話していることを不思議に感じながらリュディアは近付いた。

声をかけようとすると、先に庭師見習いがこちらを向いたのでリュディアは驚いて足を止めた。いつもなら声を掛けるまでこちらを見ない彼なのに。


「お嬢っ」


尚且つ、満面の笑顔でこちらに駆けてくる。いつもなら断りを入れて作業に戻るところだ。状況に理解が追い付かないリュディアは、反射的に日傘の持ち手を握り締めた。


「来てっ。親父、いいっ?」


リュディアの手を引いて、同時に父親のデニスに何かの了承を求める。父親が頷いたのを確認して、リュディアの手を握ったまま庭師見習いは歩き出す。


「え!?」


引かれるままに歩きながら、リュディアは庭師見習いと遠ざかる彼の父親を交互に見る。彼の父親からは表情が読み取れないし、逸る気持ちのままに先行く彼の意図も判らない。

彼が普段リュディアの歩かない歩道以外の芝生なども躊躇なく進んで行くので、令嬢のリュディアは気が気ではない。おそらく早く行きたいがため、目的地への直線距離のルートを進んでいるのだろう。速度はリュディアに合わせてくれているが、足元の草や土の感触にリュディアは戸惑う。

どうしてこんなことになったのか。

自分はただ情報収集をしようと、庭師見習いの元を訪ねただけだというのに。

気付けば背の高い木々の多い場所になり、木陰の合間に木漏れ日が降る。まるで森にいるようだ。もう自分がどの辺りにいてどの方向に向いているのかすら判らない。だが、庭師見習いは迷いなく真っ直ぐに進んでゆく。自分の家の敷地だが、庭に関してはリュディアより庭師見習いの方がはるかに詳しいと知った。


「どこに行きますの……!?」


「もう着くから」


焦れて訊くとそう返される。進行方向を見据える瞳には嬉々とした色が滲み出ていた。到着するまで教えてくれないと解り、リュディアは仕方なくついて行く。

そういえば、混乱していて失念していたがずっと握られた手に気付いた。気付いてしまうと妙に恥ずかしい気持ちになり離したくなるが、今離すと迷ってしまうのでどうにかその衝動を堪える。

意識してしまうと、どうしても繋がる手に眼がゆく。こうして見ると自分と違う、と言われた意味を理解する。全体的に陽に晒された肌は、普段軍手をしている手首から下は一段階白いが、リュディアの肌の方が格段に白い。肌も滑らかさなどない無骨さだ。自分の父の方が大きく骨格もしっかりしているが、もっと滑らかな肌触りだった。


こんなに違いますのね……


もっと力を込められるだろうに、払う余裕がある程度の優しさで握っている。リュディアに強要することなく、ついて来るかを選べる状態だ。こういうところが狡いと感じる。

手を握り返すか悩みながら、リュディアは小さく剥れる。

リュディアの様子に気付かず、庭師見習いが振り向きながら声をかけた。


「ココ抜ければ着くっ」


「ちょ……っ、そこは……」


垣根にされた低木のわずかな隙間をくぐるように促される。ドレスで通りづらい通過点に、リュディアは流石に戸惑った。けれど、自分に見せたいと瞳を輝かせている彼を見て、抗いきれずに日傘を畳んで一緒に潜った。

自分たちより少し背の高い垣根を潜ると、陽光の眩しさが襲い眼を瞑らざるを得なくなる。眼を瞑っている間に、右手から温もりが去ったことに一抹の寂しさを感じた。

瞼の裏が眩しさに慣れたのを感じて、そっと瞼を持ち上げる。

太陽の下で両手を広げる少年がいた。


「ココ、俺のなんだっ」


満面の笑顔で宣言される。

意味が解らなくてぽかんと呆けてしまう。リュディアの眼に映るのは、梟の石像が鎮座する小さな噴水の周囲にただ芝生が広がっている広場だった。広場と言ってよいのか迷うほどの広さで、噴水から大人が十数歩歩けば垣根にあたる。森のような木々と垣根に囲まれて、噴水の周囲だけに陽光が降り注いでいるから、上からなら丸くくり抜かれたように見えるだろう。

陽当たりがよいのは判るが、何もない。噴水がある以外は最低限整えられただけの場所だ。それを嬉しそうに見せる彼の意図が解らない。そもそも、この場所含め我が家の敷地内のはずだが。


「どういう……?」


「親父がココで練習していいって!」


リュディアが問うと、興奮気味に庭師見習いが説明し出した。


「親父も祖父じいちゃんも、見習いのときにココで練習してたんだって! 俺もココ使っていいって許してもらったんだ!」


つまりはバウムゲルトナー家代々の造園練習場所ということらしい。自分で庭造りができることがどうしようもなく嬉しいようだ。


「やってみたいコトあってさ、貯めてた小遣いで種買うんだっ」


何もないこの場所をどうするのか、と構想をしているようで眼を輝かせて周囲を見回している。


「……それ、わたくしに言ってもいいんですの?」


「あ」


貴族なら普通は道のない場所に踏み入れない。リュディア自身、彼にいざなわれなければこんな場所があるなど知らなかった。バウムゲルトナー家はエルンスト家当主に無断で敷地内に自習場所を作っていたことになる。

言われて初めて、自分からエルンスト家の者にバウムゲルトナー家の秘密をバラした事実に気付いた庭師見習いは固まる。

しばらく固まる庭師見習いを見ながら、リュディアは閉じていた日傘を差し直す。反応を見せた彼は、リュディアの傍まで来たと思ったら、目線が合う高さに屈んで眼前で両手を合わせた。


「頼むっ、お嬢内緒にして!」


ほんの少し下から弱った上目遣いで懇願され、リュディアは一瞬言葉に詰まる。


「……っ仕方ないですわね」


「ありがとうっ、お嬢!」


「だっ、大体どうしてわたくしに教えたんですの!?」


「だって、お嬢に見せたくて……」


迂闊さを指摘すると、素直に反省しながらそんなことを言う。庭師見習いからすれば、見付けた秘密基地を友達に見せたいという感覚と何ら変わりない純粋な行動だった。


「……っ!?」


叱られてしょげた仔犬のような彼から零れた言葉に、リュディアは頬が熱を帯びるのを感じた。それを、怒ったと思った彼は更に眉を下げる。そして、ドレスのスカートに付いた葉っぱに気付くと、片膝をついて申し訳なさげに取ってゆく。


「ごめんな……お嬢には面白くないよな……」


「……っこれから、なんでしょう?」


嬉しそうだった先程から一変して残念そうな表情に、その原因となったリュディアはどうにかしようと口を開いた。声に反応して庭師見習いは顔を上げる。


「これからザクが、この何の変哲もない庭を変えるのでしょう? だったら、わたくしが気に入るような庭にしてごらんなさい」


リュディアの言葉を受け、庭師見習いはこの陽溜まりのような笑顔を見せる。


「おう! いい庭造るから楽しみにしてて」


日傘の下で日陰にいるはずなのに、リュディアは眩しく感じ見上げる彼から顔を背けた。


「いや、ほんと今までの誕生日プレゼントで一番嬉しいわ」


元気を取り戻し葉っぱ取りを再開した庭師見習いの呟きに、今度はリュディアが固まった。

待った甲斐があった、と沁々しみじみと嬉しさを噛み締めている彼にゆっくり目線を戻す。驚きに表情が強張る。


「今、なんて……」


「え? だから、俺が見習いになったから仕事の成果見てからって、親父からだけもらうのが遅れて……」


「そうではなく! 誕生日って一体いつだったんですの!?」


「五月、だけど……?」


不思議そうな表情カオで首を傾げる庭師見習い。彼にはリュディアが声を荒げる理由が解らない。

一ヶ月以上前だ。本当にどこまでも訊かなければ答えない男だと、リュディアは腹立たしくなる。余計に何かあげなければならなくなったではないか。

叩きたくなる衝動を、日傘の持ち手をぎゅっと握り締めることで堪える。


「……ザクは、何をしたら喜ぶの?」


「なんだ、急に」


「いいから、答えなさい!」


「え。えーと……」


リュディアの気迫に圧されて、庭師見習いは言われた通り、答えようと考える。数拍悩んで答えが出た。


「お嬢が笑ってたら嬉しい」


へらり、と率直な気持ちのままに笑う庭師見習い。


「っ!? そういうことではなく!!」


期待していたのと全く違う答えに、リュディアは顔を真っ赤にして怒る。見当違いかつびっくりすることを唐突に言わないでほしい。


「え。だって、喜ぶコトって……」


「何をもらったら喜ぶかって訊いたんです! 物で答えなさいっ!」


リュディアとしては単刀直入で質問したのだ。それを変化球で返されて、意味を説明する羽目になるとは思っていなかった。

思わず声を荒げて、肩で息をするリュディアを呆然と見返した庭師見習いは、彼女の意図を理解する。そして、可笑しそうにも優しげにも見える微笑みを浮かべた。


「別に俺のコトなんか気にしなくていいのに」


「気にしますわ」


剥れるリュディアを見て、庭師見習いは笑みを深くする。


「お嬢からはもうもらってるからいいんだよ」


「わたくしは何も……」


彼の喜ぶような物など渡せていない。だから、今日会いに来たのだ。なのに、もうもらっているとはどういうことなのか。


「あの便箋。すげぇ嬉しかった」


唯一、リュディアが自分の手で書いて渡した物。


「俺の宝物」


そんな心算つもりなどなかったそれを、彼は大事だと言う。

自分では、違いすぎる彼に何もあげれないのだと思っていた。そんなことない、と簡単に言って退ける彼は狡い。自分ばかりがもらっている気になる。

頬が熱い。きっと、してやられて悔しいからだ。

せりあがる感情に言葉がでなくなり、沈黙が落ちる。優しく微笑む彼に自分はどう映っているのだろう。

何かを言わねば、と言葉を探す。そして、贈り損ねていた言葉に行き着く。


「……誕生日おめでとう。ザク」


「ありがとう。お嬢」


自分はうまく笑えていただろうか。

たとえ失敗していても、彼には伝わっているからいい。そう思わせる笑顔を庭師見習いは返したのだった。



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