08.お茶会




どういう状況だろう。

にこにこと笑みを湛えたオクタヴィア様と、どことなくぎこちないお嬢。生後数ヶ月のお嬢の妹だけが、オクタヴィア様の腕の中で一人平和そうに空に向かって手を動かしている。

誘われたときの感じからして俺への警戒が取れていないのかと思ったが、母親のオクタヴィア様をちらちらと窺っているから自分の母親に緊張しているのか。

お茶会って、もっとのほほんとした空気じゃね?

硝子のポットに入ったフルーツティーが涼しげで、硝子のティーカップにメイドが注ぐと季節の果物の香りが漂った。けど、いい香りにお嬢が和む様子がない。俺は珍しい硝子の食器に触るのが怖くて、すぐには手が出せない。絶対高い、そして割りそうで怖い。


「えっと、本日はお招きいただきありがとうございます」


とりあえず時間稼ぎに誘ってもらったお礼を言う。果物をたくさん使った紅茶なんて庶民の俺じゃ一生飲めなかったかもしれない。母さんにも飲ませたい。持って帰れないかなぁ、やっぱ足早そうだし無理かな。


「よかったらこれからも付き合ってくれると嬉しいわ。ディアったら全然紹介してくれなかったんだもの。せめてジェラルド様の分ぐらいは取り戻さないと」


「お母様っ」


二人だけ狡いわ、と全然残念そうじゃなくオクタヴィア様は微笑む。お嬢は焦るが母親に強く言えないようで、それ以上言葉が続かない。


「たまに、でよければ」


「まぁ、嬉しい」


親父の許可があれば俺は別に構わない。お菓子とか食べれるの嬉しいし。

公爵様からはたまに奇襲に遭ってるだけで、遭遇時間は短い。もしかしたら今日のお茶会だけで合計時間はオクタヴィア様が上回るかもしれない。しかし、こないだの大回転はきつかった。前世で調子乗ってコーヒーカップ回し過ぎたときに相当する。アレ、手動で絶叫マシーンに進化できるからなぁ。


「あなたのおかげで、最近はディアがお揃いのドレスを着てくれるようになったのよ」


嬉しそうに笑うオクタヴィア様とお嬢のドレスは同じデザインだった。リボンチョーカーをベビーローズの飾りで止めて、胸元はコの字に広く開いて涼しげなワンピース風のドレス。オクタヴィア様が薄い菫色でお嬢が勿忘草わすれなぐさみたいな淡い水色の色違いだ。猫目っぽい目元と淡い金髪の二人にはよく似合っている。


「前はかたくなに断られてたの。あなたが口説いてくれてよかったわ」


「くど……」


「口説かれてませんっ!」


語弊のある言い方に俺はなんと返せばいいのか解らず、お嬢はテーブルに両手をついて真っ赤になって否定した。オクタヴィア様は猫目っぽい目元の印象がなくなるぐらいゆったりと微笑んでいる。

説得した、という意味だろうが、俺は話聞いただけでお嬢が自発的にしたことだ。何もしていない。公爵様もだが、よく誤解されるな。


「あの……オクタヴィア様」


「呼びづらいでしょう? ヴィアと呼んでくれていいのよ」


にっこりと微笑まれる。公爵様といい、笑顔なのに逆らえない感じになるのはなんでだ。

確かに長い名前は噛みそうだから短い方が楽なんだけど、お嬢が判りやすく頬膨らまして睨んでくるんだよな。庶民なんかが自分の母親を気安く呼ぶなってことかな。お嬢、いつも母親のことをキラキラさせて話すもん。


「羨ましいなら、ディアも呼んでもらったら?」


「!? 羨ましくなんてありませんっ!」


「そう? じゃあ、私だけ愛称で呼んでもらうわね」


お嬢は下唇を噛んでなんだか悔しそうだ。

なんだろう。威嚇する仔猫とそれを尻尾の先だけでおちょくる成猫のイメージが見える。オクタヴィア様、お嬢で遊んでないか?

口を挟めそうにないから、二人の様子を眺めながら俺は悩む。お嬢が嫌っぽいが、略称で呼ばないといけない感じになってる。けど、お嬢が嫌がってることは避けたい。


「えっと、じゃあ、オク様」


妥協案で別の略称ならどうだと思った。

二人はきょとんとした後、一方はころころと笑いだし、一方は顔を赤くして怒る。


「お母様に変な渾名をつけないで!!」


結局お嬢に怒られた。どうしたらよかったんだ。


「ふふふ……っ、いいわよ。その呼び方で……」


「はぁ」


オク様、めっちゃツボってる。腕の中のお嬢の妹がつられて両手を動かして、楽しげに声をあげている。俺、そんな可笑しいこと言ったか?

俺は、なんだか気が抜けて紅茶に手をつけた。果物の爽やかな香りと甘さがあって美味い。温かくても充分美味いが、さっきから体温上がってそうなお嬢には冷たい方がいいかもしれない。


「お嬢、ちょっと借して」


落ち着こうとしてか、ティーカップを持ったお嬢に静止をかける。


「自分の分がちゃんとあるでしょう」


「いいから」


椅子から立って、怪訝になるお嬢のところに行って手を出す。お嬢は解らないまま俺にティーカップを渡す。

俺は両手でティーカップを包んで数秒待つ。これぐらいでいいか、と感じたところでお嬢にティーカップを返した。


「ほい」


お嬢は首を傾げながら受け取り、とりあえず紅茶を一口飲んだ。

薄い青の瞳が見開かれる。


「ちょっと落ち着いたか?」


「どういうことですの!?」


「え。冷やしただけだけど」


魔法でちょっと冷やしただけだ。凍らせる訳じゃないから大して魔力は使わない。俺程度の魔力量で済む魔法に、なんでそんなに驚くんだろう。


「どうして詠唱なしに魔法が使えますの!? それにこれは氷魔法じゃ……」


「イザーク君は二属性持ちなの?」


驚くお嬢だけじゃなく、オク様まで珍しげに訊いてきた。


「いえ、他の属性もちょっと鍛えてるだけです。風が水の次に魔力値高いからそこそこ使えるだけで」


だから、水属性と風属性が要る氷魔法は少ない方の風属性の上限までしか使えない。

ショボい魔法しか使ってない俺は首を傾げる。二人が閉口するほどのことには思えないが。


「……自分の適性以外を使おうとするコなんて初めて見たわ」


数拍置いて、感心したようにオク様が呟いた。そういえば、家族以外に他属性の魔法見せたの初めてだ。水魔法の延長だと思ってたからあまり気にしてなかった。まぁ、見せたのお嬢たちだし、いいか。


「……っでも、詠唱は!? 対価なしにどうして魔法が発動できますの?」


「え。精霊に手伝ってもらえばいいじゃん」


俺の答えに、お嬢はぽかんとなる。


「精霊に……? 魔力を対価に喚び出すのではなく……?」


「俺に精霊召喚できるほど魔力あるワケないだろ」


お嬢は理解できないって表情カオをしてるが、俺も解らなくて首を傾げる。

俺は精霊がいる、と判る程度の魔力しかない。お嬢とかエルンスト家の人ならたり、召喚したりできるぐらいの魔力があるだろうけど。魔力が少ない場合、使う魔法によっては呪文の詠唱や媒介などのコストを払う。庶民が使える魔法が少ないのは識字率の低さも影響している。

たぶんある程度の意味が伴えば自分で考えた呪文でも、一定の魔法は使える。けど、そんな黒歴史のリスク負いたくないから、俺は無詠唱で済む精霊補助にしている。厨二病発動とか、怖い。


「……あのね、イザーク君。貴族では自身の魔力を対価にどれだけの精霊を召喚・使役できるかがステータスなのよ」


だから、そもそも精霊に手伝ってもらう、という概念自体がないのだとオク様が教えてくれた。


「へー、魔力が多いとそんな感じなんですね」


力でゴリ押しか。貴族ってめんどいなぁ。

ん? ということは……


「俺って変なの?」


自分を指差して訊くと、お嬢がしかと首を縦に振った。


「変わってますわ」


「平民でもそこまで意欲的に魔法を使おうとする例はないと思うわよ?」


オク様にまで肯定される。

マジか。親父も母さんも何も言わないから、そこまで前代未聞感あると思わなかった。


「精霊に手伝ってもらうって、どうやって……?」


お嬢が興味津々に訊いてきた。妖精と友達になるみたいな感じだから女の子が好きそうなネタだもんな。


「……日頃の行い?」


「なんですの、それ」


考えてから思い当たることを答えたら、お嬢がふざけてんのかって感じに眼を据わらせた。マトモに答えたんだけど。


「ほら、ありがとう的なのとか」


「あれ、ですの?」


俺が合掌して見せると、お嬢も思い当たったみたいだが納得はしていない。


「あとは、鼻歌唄ったりするときにも、ちょっとありがとうな気持ち入れると喜ぶ。お嬢も楽器習ってるときにそんな感じで弾いたら判ると思うぞ」


「そんなことで……?」


到底信じられない、という表情カオをするお嬢に、どうしたら納得してもらえるか悩んでもう一つ思い出した。


「あ。お供え」


「おそなえ??」


「見てて」


俺は自分の席に戻り、小皿に取り分けてもらったクッキー三枚に向かって両手を二回叩く。そして、合掌したまま眼を閉じて拝んだ。

数秒待って眼を開けると、既にクッキーが半分ぐらい減っていて、見ている間にも空気に溶けるように残りが消えていく。


「どう? お嬢なら精霊視れた?」


クッキーが消えきったのを確認してから、その小皿を食い入るように見つめたままのお嬢が、静かに頷いた。

俺はおやつがもらえるとき、半分か三分の一を残して精霊にお供えするようにしている。もっと小さい頃、母さんに視えなくても精霊はいるのだと教えてもらって、お菓子を食べるか試した。実験が成功して、精霊がいると確かめられるのが面白くて、やってる内にクセになってた。

お嬢は視えるから、あのときの俺以上にテンションがあがっているのかもしれない。


「すごいですわ……」


「お嬢もやってみたら?」


自分もやっていいと判って、お嬢はぴょこと背筋を伸ばした。


「どうぞ、って感じで思えば伝わるから」


俺が簡単にやり方を教えると、お嬢はコクコクと頷いて自分の分のクッキーに向き合う。子供向けの理科の実験ってこんな感じだよな。お嬢がどきどきしてるのが判る。

お嬢は俺より控えめに両手を叩いて、クッキーに小さくお辞儀をした。

しばらくして、そっと片目を開けて様子を窺ったお嬢は、クッキーが消えていく様子に両目を開いて表情を輝かせる。きっとお嬢には、精霊がクッキーを食べている様子が視えているのだろう。それは絵本の世界みたいで楽しい光景だろうと俺にも解る。


「でっ、できましたわ……っ」


クッキーが消えていく小皿と俺を交互に見て、お嬢が嬉しそうに成功を報告する。


「太ったら大変だからほどほどにな」


あまりあげ過ぎないように言うと、お嬢はまたコクコクと素直に頷いた。

野良や野生の動物と同じように、使役するつもりもないのにお供えをやり過ぎるのはよくない。お嬢は、俺よりお菓子食べる機会が多いだろうからきちんと注意しておく。精霊がほんとに太るかは、視えないから知らない。

お嬢は、言葉もなく表情を輝かせてクッキー消えた小皿をしばらく見つめていた。そして、和むように微笑むオク様の視線に気付いて頬を染め、俺が冷やした紅茶を飲み始める。オク様につっこまれたくないのと、落ち着きたいのとどっちもだろう。


「イザーク君がいてくれてよかったわ」


恥ずかしがって縮こまるお嬢を眺めながらオク様が呟く。お嬢が楽しそうで嬉しいのは俺も同じだから解るが、なんで俺の有無が関係あるんだろう。

不思議に思ってオク様の方を見て気付いた。


「あの、抱っこしていいですか?」


オク様のところまで行って、両腕をお嬢の妹の方に伸ばす。

抱き直す頻度が最初より多くなっている。たぶん腕が疲れてきているんだろう。貴族だからメイドとかにも手伝ってもらえるはずだが、気のせいじゃなければ家族といるとき、オク様はずっと抱くようにしている。会うのは二度目だけど、お嬢から聞く話の限りではそうだ。

オク様は、桃色の瞳を僅かに見開く。そして、ふわりと花が香るように微笑んだ。


「いいわよ」


「ありがとうございます」


そっと渡されたお嬢の妹をしっかり抱いて、自分の席に戻る。


「わたくしだって抱っこできますっ」


「お嬢は首が据わってからにした方がいいぞ」


ずるい、と顔に書いているお嬢は手をあげて主張する。お嬢の物理攻撃力を知っている俺は、妹の頭を支えるには体格と力が足りないと判断して止める。けど、まだ抱かせてもらったことのないお嬢は、頬を膨らませた。


「イザーク君は兄弟いるの? 慣れているようだけど」


ぐずることなくお嬢の妹が抱かれているのを見て、オク様が小首を傾げた。


「いえ、いません。近所に頼まれることがあるくらいです」


下町では両親が共働きのこともあり、どちらも不在になるときはまだ働かない近所の子供が遊び相手を頼まれる。もちろん子供だけに任せず、専業主婦組が家事の合間にフォローはしてくれる。

俺より年上はもう働き始めてる兄ちゃん姉ちゃんばかりで、去年まではよく頼まれていた。見習いになった今も、休みの日に頼まれることがある。


「イザーク君はいいお婿さんになれるわね」


どうだろう。前世の記憶だと、年齢イコール彼女いない歴だったから難しい気がする。それに今のところ、恋愛事に興味はない。近所のおばちゃんも冗談で娘の旦那に、と声をかけてくるが、おしめを代えた相手は本人が嫌だろう。

とりあえず誉め言葉の一環と捉え、お礼を言うべきか考えていたところで、俺の腹がぐうと鳴った。


「あ」


オク様がクッキーを食べていいと勧めてくれたが、俺の目の前には精霊にあげてしまって空になった小皿、おかわりのクッキーの大皿はその向こう。そして、俺の腕にはお嬢の妹。馬鹿だ、自分で詰んだ。

メイドさんがまた三枚、俺とお嬢の小皿に取り分けてくれたが俺は動けない。

普通に動けるお嬢が自分の分を食べようとするのを腹をぐうと鳴らしながら見つめる。いいなー、美味そう。


「…………なんですの」


俺の視線と腹の音に、食べにくそうなお嬢がクッキーを持つ手を止める。

食べたいものが、食べれず目の前にある状況は意外と拷問だ。どうにか食べれないか、という考えだけが俺の思考を占領する。


「ちょーだい」


お嬢の方を向いて口をかぱっと開けた。


「!?」


眼を見開いてお嬢が顔を赤くするのと同時に、馬鹿なことをしたことに気付いて恥ずかしくなった。いい歳した男がすることじゃないし、令嬢のお嬢がそんなことする訳なかった。


「ごめん……」


羞恥に頬が染まるのを感じながら、少し俯く。ちょうどお嬢の妹の桃色の瞳と眼が合う。眼が合ったのが嬉しいのか、楽しげな声をあげるので微笑み返す。ちょっとは和んだが、羞恥の熱は簡単に逃げない。

くそう、せめて一枚食べてからお供えすればよかった。

今更な後悔をしていると、甘い匂いが鼻腔をくすぐった。匂いにつられて視線をあげると、目の前にクッキーがあった。


「……ふ、フローラのせいですから」


仕方なく、だとお嬢が顔を逸らしつつクッキーを差し出してくれた。悔しいのか、不服なのか、眉がすごい寄ってて顔も赤い。怒る直前みたいな表情カオで、ぷるぷるとクッキーを持つ手が震えてる。そんなに屈辱なら無理しなくていいのに。


「え、でも……」


なんだか悪くて断ろうと思ったところに、また俺の腹が鳴る。

数秒逡巡して、胃袋に逆らえなかった俺はかがんでお嬢の手にあるクッキーをぱくりと食べた。

びっくりしてお嬢の手が引っ込む。俺はしっかり咀嚼して食べきってから笑う。


「美味い。ありがとう、お嬢」


さすが公爵家のお菓子だ。甘さがしつこくなくて、上品という感じの味だった。さくさくしてて食感も楽しかった。

普段食べれないクッキーの味に俺が喜んでいると、お嬢はぐぬぬと何かを葛藤していた。

自分の席に戻って食べないのか、と思っていたら、俺の小皿からもう一枚取ってお嬢が差し出してくる。


「いいのか?」


やっぱり顔を逸らしたままだし、不服そうな表情のままお嬢は小さく頷く。

よく解らないが食べたいものが食べれるのは有難いので、俺は礼を言う。


「ありがとう」


それから、またクッキーを口に含んだ。

結局、何故かお嬢はあと何枚かを俺にくれた。

その日のお茶会でお嬢はあまり食べれてなかった気がする。今度、お詫びに何かあげよう。



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