02.図星




どうしてこうなったのか。

公爵令嬢、リュディア・フォン・エルンストは憤慨しながら午後のお菓子を頬張っていた。普段はマナーを気にして少しずつ食べるのだが、今日ばかりは気にしてられなかった。

朝出会った無礼者への怒りが収まらない。結局、メイドもクビにできなかった。今も怯えながらも紅茶を給仕している。気分屋な自分に合わせて日によって茶葉を変え、ちょうどよい温度になってから出す。お茶に関してはメイドの中で彼女が一番うまい。

今、昼下がりの庭が見えるテラスでお茶をしているのはリュディア一人だ。

公爵である父は仕事で忙しいし、母は妹が生まれたばかりでそちらにかかりきりだ。

リュディア自身、マナーなど家庭教師が何人かついており日々することはある。だが、スケジュールにはゆとりがあるので一人の時間がある。メイドは人数にいれていない。

午後の予定は空いている。いつもなら翌日の予習か、読書をするところだが無礼者にもう一度文句を言わないと気が済まない。

今まで使用人に口答えをされたことがなかったので今朝は言葉に詰まってしまったが、今度こそ言い負かしてやろうと意気込む。

そこではた、と気付いた。

あの無礼者はウチの何なのかしら?

父に挨拶していたから使用人なのは確かだが、一体何の職に就いているのか判らなければこの広い邸で見つけようがない。


「ねぇ、今朝の無礼な男は一体どこの誰なの?」


ちろりとメイドを見やって訊くと、わずかに身を竦ませてから答えた。


「あの少年ですか……? バウムゲルトナーさんと一緒にいらしたので庭師見習いではないでしょうか?」


メイドの発言でようやく隣に人がいたことを思い出した。確か父より大きく熊のような男だった。彼がバウムゲルトナーか。

庭師ということは今もこの庭にいるのかしら。

視線をテラスの向こうに広がる庭へやると、ちょうど植木を刈るバウムゲルトナーらしき大きな男の姿があった。その周囲を視線で探すとうずくまっている小さな影を見つけた。

リュディアはフォークを置き、残りの紅茶を飲みきってから席を立った。


「少し散歩をしてきますわ」


言外についてくるなと言っているのが判るのか、背にお気をつけて、と声がかかった。リュディアはまだ幼いため親の同伴なしに邸の敷地外に出ることはない。邸の庭が『散歩』の範囲なのは周知の事実だ。

庭にでて幾分か急ぎ足で歩き、目的の少年を見つけた。彼はこちらに気付かず、花の傍にうずくまって黙々と何かをしていた。少しずつゆっくりと横にずれていく。そういえば、バウムゲルトナーという男が見当たらない。他の作業で離れたのか。


「ちょっと貴方あなた!」


「……どうしたんだ、そんな息切らして」


声に反応して顔をあげた少年はぜいぜいと肩で息をしているリュディアを不思議そうに見た。

彼を見つけてすぐ声をかけなかったのは、息を整えていたからだ。令嬢であるリュディアが垣根などの舗装されていないルートを使えるはずもなく、テラスから確認した場所に着くにはかなりの距離を要した。普段散歩するときはすぐ邸に戻れる範囲だったので、ここまで長距離を自分の足で歩いたのは初めてだ。急いだこともあって少年を見つけたときには声がしばらく出せなかった。


「どうしてこんな遠いところにいるんですの!?」


「それは、お前ん家の広い庭に言ってくれ」


文句を言うと、そう返されリュディアから作業へと視線を戻した。庭師見習いが庭にいるのは当然だ。『庭』の範囲がかなり広いだけで。


「で。何しにきたんだ?」


手元に視線を落としつつも話を聞く気はあるようだ。声だけがこちらに向く。


「あ、貴方に謝罪の機会を与えてあげようと出向いてあげたのですわっ」


「それは親父に言ったから助かるが、わざわざご令嬢から出向いてくるなんて……ヒマなのか?」


「今日はたまたま午後のお稽古がないだけですわっ」


暇人扱いされたことに我慢ならず即答する。


「やっぱ貴族って、そんなちびっこい頃から勉強漬けなのか。大変だなぁ」


貴族として当たり前のことをしているだけなのに、そんな感想を初めて聞いたリュディアは戸惑う。無意識で大変だと、頑張ってやっていることだと感じていたのかもしれない。


「そうですわ!だから……」


「ああ、ごめん。俺、敬語苦手で。失礼しました」


戸惑いがバレないように謝罪を要求しようとしたら、簡単に謝られた。言葉を挫かれる。

しかし、毛先がハネ気味の鳶色とびいろの後頭部を見せたままで謝罪されても、現在進行形で失礼だ。そして、肝心な部分は謝罪されていない。


「謝罪するときくらいこちらを向きなさい!それに、もっと謝らないといけないことがあるでしょう!?」


「え、無理。親父に言われたノルマ終わらなくなる」


陽が落ちるまでに終わらせないといけないのだと言う。先程から手元で何かしては横に少しズレる、という行動を繰り返している。


「……そういえば、先程から何をしていますの?」


「雑草抜いてんだよ。あと、伸びすぎた虫除けのハーブを間引きしてる」


よく見ると、彼の横には籠が二つあり何らかの法則にしたがって根ごと抜いた草を分けている。


「何故ハーブまで抜く必要がありますの?」


先程虫除けと言ったのに、減らす理由がリュディアには解らない。


「ハーブも雑草だから繁殖力強ぇんだよ」


ハーブも雑草だとはリュディアは知らなかった。予想外の事実に驚いて黙ってしまう。

黙っている間も自分に背を向けてうずくまる少年は草を抜いては、それぞれの籠に除けていく。リュディアに判るのは薄荷はっからしき葉があるぐらいだ。恐らく薄荷はっかのある方がハーブの籠だろう。雑草の籠ほどではないが、かなりの量がある。


「……そんなにたくさんのハーブ、どうしますの?」


リュディアは一摘まみの飾りか、茶葉程度の量しかハーブを見たことがない。そんな使い方では追い付かない量に見える。


「んー……、とりあえず厨房にいるか訊いて、残りは母さんに任せる。たぶん、香草焼きに今晩使って、あとは乾燥させて茶葉かなんかにするんじゃね?」


今晩の夕食が自分のしている作業で判るのか。リュディアにとって食事などは希望を言えば変えられるものだ。茶葉も作る、という概念がなかった。

目の前の彼はリュディアと違いすぎて、何度も驚かされる。


「……って、それよりもきちんと謝罪なさい!」


つい気になったことを訊いて話が逸れてしまったが、撤回してほしいことがまだ済んでいない。


「性格ブスって言ったことか?」


「そうですわ!!」


謝罪要求をすると、作業の手は止めることなく彼はしばらく考え込んだ。


「んー、たとえばだけどさ、王様がいきなり隣と戦争することなったからお前の父ちゃんに戦場で戦えって命令されたら、どう思う?」


唐突な問いだったが、自分の家族を例にあげられリュディアは即座に答える。


「そんな命令、横暴ですわ! そのような王は愚王です! 戦争になればどれだけ国民が被害を受けると……っ、第一お父様を戦地になんて許せるはずもありませんわ!!」


「そゆコト」


「はい?」


「お前がメイドの姉ちゃんに言ったのはそれぐらいひどいコトだぞ。平民には職の有無は死活問題だし、貴族出身だとしてもあんな青ざめてたってことはきっとなんか事情あるんだろ」


クビにしようとしたメイドが後を追いかけてきてたなど、リュディアは知らない。あのとき、踵を返して自室に戻るときもあの場から早く離れたい一心だったので気付かなかった。しかし、彼がメイドの顔色を知っているということは、そういうことだ。

彼は、あの一瞬でメイドの事情を慮れたというのか。ただ第三者だったからかもしれないが、あのときリュディアより広い視野を持っていたことは事実。

自身の幼稚さを突きつけられ、リュディアの頬は羞恥に染まる。本来なら年相応な幼さだが、貴族として公爵家として育てられたリュディアには許容できるものではなかった。

後ろを向いていて見られないと解っていても、見られたくなくてリュディアは俯く。


「あのメイドの姉ちゃんの名前知ってるか?」


「いえ……」


名前で呼ぶ必要もなく、メイドの名前を覚えたことなんてなかった。顔は知っている。


「じゃあ、あの姉ちゃんのいいトコロ知ってるか?」


「……わたくしの知るメイドの中で、一番お茶を淹れるのが上手ですわ」


自分好み、というだけかもしれない。だが、自分には一番おいしく感じる。


「クビにしたら、その茶飲めなくなるけど、お前困らねぇ?」


「……困り、ますわ」


当たり前に淹れられるあのお茶がなくなる、そう考えたらさびしくなった。

自分も困ることをしようとしていたのだと、リュディアは後悔する。


「ん。ちゃんと部下のこと見れてんじゃん。ちっこいのに偉いな、お前」


「え」


思っていたよりも近くで聴こえた声にも、予想外のことを予想外の相手に褒められたことにも、二重に驚きリュディアは思わず顔を上げた。

見上げた先で、あかがね色の瞳とかち合う。にまりと笑うその表情は貴族では見たことがない。


「それに、アレだろ。本気でクビにしたかったんじゃなくて、どうせ単に淋しくて父ちゃんに構ってほしかったんだろ?」


「なっ!?」


次からはもっとマシな口実にしろよと、いきなり軍手を嵌めたままの手でぽんぽんと頭を撫でられた。

それよりも、無自覚だった図星を突かれて顔の温度が急激に上がる。

そう、気付いていなかった。

が、言われてその通りでしかないと気付いた。

父は仕事、母は妹の世話で忙しく、自分も稽古などで全員揃って食事をとることも少なくなった。一人でいる時間が増えた。まだ五歳で淋しく感じない訳がないのに、リュディア自身が『貴族だから』と無意識に見ないフリをしていた。

今朝のことも、父親に会う理由ほしさだった。構ってほしい、という理由だけで忙しい父親に会ってはいけないと思っていた。

自分の本心に気付いた上に、自分より先に相手にバレていた事実が恥ずかしくて仕方がない。そして、どうして解ったのか、という疑問もあり銅色の瞳を見つめたまま固まってしまう。


「お前、よく赤くなるなぁ」


「だっ、誰のせいですのっ!?」


感心したような声に我に返り、撫でられていた手を払って言い返す。


「俺、ふつーに喋ってるだけじゃん」


「その普通がおかしいのです! わたくしは貴族で、貴方は平民ですのよ!?」


「『あなた』って、んな呼び方されるのヤだな。名前でいいぞ、俺イザークっての。お前はディアだっけ?」


「それは家族にしか許していない愛称ですわ!! わたくしにはリュディアというお父様が付けてくださった立派な名前がありますっ」


「りゅでぃ……、呼びにく……、渾名のが楽だな」


「だめですっ」


「えー、それじゃお嬢で」


「様までちゃんと言いなさい!」


「お嬢、先生みたいだな」


「あな……イザークはとても歳上とは思えませんわ……」


なんだか疲れた。

彼といると感情の起伏が激しくなってしまう。初対面からあまり貴族らしく振舞っていなかったせいか、彼と話していると普段令嬢として気をつけている淑やかさを忘れてしまいがちになる。そして、貴族に対する平民らしからぬ態度に注意こそするが、彼相手にしとやかに対応するのが馬鹿らしくなる。


「お嬢はもっと子供らしくしてもいいと思うぜ」


何を言っているのだろう。充分彼に自身の幼稚さを晒したというのに。


「公爵様とか家族に、素直に構ってほしいって言えばいい」


「言えませんわ!」


できない提案に思わず声を張り上げる。

そんなことすれば、困らせてしまう。そして、嫌われてしまう。

リュディアにとって今までの癇癪かんしゃくはあくまで貴族としての名目があってできたこと。


「理由もなくわがままを言うのは……」


怖い。それが拒否されたときが。


「なんで? 家族と一緒にいたいって充分な理由じゃねぇか」


「え……」


それは理由になるのだろうか。

言ってもいいことなのだろうか。

簡単に気持ちを肯定されてリュディアは眼を丸くする。


「あの公爵様ならその方がよろこびそうだぞ」


他の家族は知らないが恐らく大丈夫だ、と根拠もなく太鼓判を押される。


「どうして……」


そんな保証ができるのか。

そう問えば、自分を見れば判るとあっさり返される。


「だって、お嬢、気付いたらちゃんと他人ヒトにされて嫌なコトしないようにするじゃん。いい家族に育てられたからだろ」


すぐに彼が嫌だと言った呼称を止めただけ。

もしかしたら、今朝の一件を既に反省していることも含まれているのかもしれない。だが、その件についてはまだ謝罪もできていない。


「それに、他人ヒトの悪口をダシにするよりずっといいだろ?」


「……っもうしませんわ!」


言い返せば、解っているとでも言うように、にっと笑われる。なんだか見透かされているようで悔しい。

睨んでみても効果はなく、変わらず自分を見返す銅色の瞳があるだけ。

どうせ彼に見透かされているのなら、もう一つ弱音を言ってもいいだろうか。


「今更、あのメイドに謝っても遅いかしら……」


怖々と小さく呟いたそれを彼は簡単に拾い上げる。


「ちゃんと相手の名前知ってからなら、謝らないよりいいんじゃね?」


そうだ。まだ名前もロクに知らないのだ、自身がクビにしようとした相手なのに。

ちゃんと相手が一人の人間と知ってから、きちんとけじめをつけよう。それで、彼女が望むなら自分付きのメイドから外してもらえるよう、相談しよう。


「すぐにでもイザークから『性格ブス』発言を撤回させてみせますわ」


今はまだそのときではない。せめて、メイドへの謝罪だけでも終わらせた後だ。

謝罪の決意が揺るがぬように、彼に宣戦布告した。


「あ、ソレ」


言いかけて、あーとか、うーとか、いきなり唸りだす。一体なんなのだ。


「……俺、口悪いから」


それは知っている。現在進行形で身分が上の者に対して全く敬語が使えていない。


「言い方が悪かったってゆーか……、いい意味で言うとだな、お嬢せっかく可愛いんだからにこにこ笑ってた方がもっと可愛いぞってコト」


言い慣れていないためかプラス表現に頭を悩ませ、眉を僅かに顰めながら紡がれた言葉。

だが、お世辞の要素などない率直な言葉。

聞き慣れた褒め言葉を初めて聞いたような錯覚を受ける。


「な……っ」


血液が一気に顔に集中する。

一体彼は、何度自分を赤らめれば気が済むのか。


「大丈夫か、お嬢?」


「大丈夫で……」


心配をして伸ばされようとした手を払った際、先ほど撫でられた箇所に手が触れた。すると髪とは違う感触があった。

不思議に思ってその手を眼の前まで下ろすと、茶色い粉のようなものが指先についていた。土だ。

何故、令嬢である自分の髪に土が?


「あ。ごめん。軍手したままだった」


ヤベ、と雑草抜きで土だらけになった軍手をひらひらさせて謝る庭師見習いの少年。

きちんと謝罪はしたが、迂闊な行動であったことも事実。そして、今リュディアに湧き上がる感情はそれだけでは納まらない。

沸々と湧き上がる感情を吐き出すようにリュディアは声を上げた。


「イザーク!!」


公爵家の広大な庭で、人知れず令嬢の雷が庭師見習いの少年に落ちる。


なんという目まぐるしい日だろう。

たった一人の少年のせいで。

しかしまだ今日を終わらせてはいけない。


戻ったら、まずはあのメイドの名前を聞いて、謝罪を。


髪の汚れを落とすのは、その後だ。



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