01.出会い




イザーク・バウムゲルトナーとして生まれてから七年が経ったぐらいだ。

俺は生まれたときから前世の記憶があった。けど、それで精神年齢がプラスアルファされることはなく、物心が付くにつれてそれが前世の記憶だと気付いただけ。気付いても生活は何も変わらなかったし、誰かに言うこともなかった。

だから、その日もただ庭師見習いとしてエルンスト公爵家に初めて来た。

これから公爵家の敷地内に立ち入ることになるから、主人のエルンスト公爵に顔見せするために親父につれてきてもらった。

公爵様は忙しいらしいので、出立前に少し時間をもらってエントランスホールのような広い玄関で挨拶するだけだ。そんなチラ見なら別にいんじゃね?、と思ったがセキュリティ上やしきに出入りする人間は必ず公爵様にお目通りしてから、という決まりらしい。

俺だったら速攻で忘れるな。

こんな広い邸の従業員全員の顔なんて覚えられる訳がない。


「おや、随分可愛らしいコがいるな」


可愛いって俺か? ああ、チビって意味か。まぁ、七歳だしな。

濃い金髪をゆらしてアーチ状の階段から降りてくるのが公爵様だと一目で判った。遅くないのにゆったりという言葉がしっくりくる歩みで、貴族の余裕っぽいものを醸し出している。こういうのを優雅な動きっていうのか。

そして、後ろに薔薇を背負ってても違和感が仕事しなさそうな美形だ。


「おはようございます、ジェラルド様。本日はお時間をいただいてしまい、申し訳ありません。不肖の息子ですが見習いとしてこれからこちらに顔を出しますので、ご挨拶を」


俺に眼をとめた公爵様が一歩前まで来たタイミングで、親父が頭を垂れて俺を紹介した。

てか、寡黙な親父がこんなに喋れたのか。しかも、敬語を喋ってんの初めて聞いた。

つい唖然として親父を凝視してしまう。

親父は、顔は公爵様に向けたまま横目で叱るように俺を見た。あ、ハイ。さっさと挨拶しろってコトですね。

慌てて背筋を伸ばして公爵様へ向き直り、礼をする。


「イザーク・バウムゲルトナーです。よろしくお願いします」


「私はジェラルドだ。よろしく」


と、自然に手を差し出される。


え。握手?

よく解んねぇけど、身分的にアリなの??


ちらりと親父を見ると特に睨まれていなかったので、大丈夫だと判断しておずおずと差し出された手を握った。


「随分若いな。幾つだ?」


「七歳です」


庭師の仕事は体力がいるから、ある程度身体ができてくる歳になってから見習いになるのが普通だ。十歳でも早すぎる方だろう。公爵様が珍しがるのも当然だ。


「利発そうなコじゃないか。デニス、将来が楽しみだな」


「生意気なだけです……」


微笑む公爵様に対して、親父は憮然と答える。


「娘の二つ上か。まだ遊びたい盛りだろうに」


「いえ、一日でも早く公爵様の庭を守れるようになりたいです」


口では公爵様基準で言ったが、早く親父のようになりたい、と言外に眼が語ってると判っている。広大な公爵家の庭をほぼ一人で管理している親父は凄い。庭師仲間からも認められいて、弟子入り志願者だけなら後を絶たない。まぁ、自分にも他人にも厳しいから折れる奴も後を絶たないが……

厳しいのを覚悟で、俺は親父に早く見習いにしてくれるようせがんだのだ。一年ぐらいゴネて渋々見習いにしてもらった。

そんな親父への憧れに満ちた俺を見て、公爵様は眩しそうに眼を細めた。


「いいな、私も息子が欲しくなったよ」


すげぇキラキラした笑顔で言われた。俺の方が眼を細めたい。てか、いっそつぶりたい。

親父は憮然とした表情カオのままだ。俺はそろそろ振り続けてる手を離してほしいなぁ、と思っていた。

コレ、たぶん気に入ってもらえたんだよな?

会社の面接みたいなもんだから、第一印象が大事だ。敬語が苦手だから、雇い主に不興を買わなくて安心した。


「お父様!」


えらく高い声が降ってきた。同時に握られていた手がようやく離れ、公爵様が声の方に振り向いた。

公爵様の向こうに見える階段から、真っ赤なドレスを着たちっこいのが小走りで降りてきた。なんか親鳥を見つけたひよこみたいだな。

あ、顔もちょっと赤い。怒ってるのか。全身真っ赤だな。眼に優しいのはたぶん父親ゆずりのふわふわした髪質の薄い金色の髪ぐらいだ。あの髪色は母親ゆずりだろうか?


「やぁ、見送りに来てくれたのかい? 私の小さな天使」


突撃するかの勢いでくる娘を受け止めようと両手を広げる公爵様。こんな科白セリフ素面しらふで言う人初めて見た。貴族ってすげぇ。

娘の方は寸でで止まってきっと父親を見上げた。


「お父様、聞いてください! ひどいのですっ」


「おや、朝から一体どうしたんだい?」


頭に血がのぼって自分が言いたいことしか脳にないらしく、公爵様の言ったことスルーでまくし立て始めた。それでも聞こうとする公爵様は懐がでかいな。


「メイドがひどいのですっ。こんな品のない髪型にして、しかも何度もブラシにひっかけて痛かったのです!」


両サイドの髪を軽くって、後ろにカメオのバレッタで止められている。たぶんふわふわの猫っ毛が、止めた部分より上で膨らまないように丁寧にといたんだろう。子供の毛って細いからなー。

俺はAラインでいいシルエットだと思う。貴族の気品とかはよく解らんが。


「そうか、ディアの髪は繊細だからな。痛かっただろう」


労るように頭を撫でる公爵様。しかし、同じ髪質の父親に同情されるだけじゃ娘の方は気が済まないらしい。


「こんな無礼なメイド、クビにしてください!」


コレが言いたくて出勤前の忙しい父親を捉まえたんだろう。俺と長々と握手していたときから右斜め後ろで巻きでってオーラ出してた執事さん(暫定)が、更に時間かかりそうで弱っている。表情に出てないからたぶん、だけど。

後を追いかけてきただろうメイドが青ざめて執事さんより向こうで固まっている。彼女が娘の髪を支度したのか。

てか、


「お前、すっげぇ性格ブスだな」


公爵様がリアクションするより先に俺の思ったことがこぼれた。

その場の全員が固まる。

特に、今までブスなんて言われたことないだろう公爵様の娘がこれでもかと眼を見開いている。


ごっ!!


その硬直は親父の容赦のない拳骨で解けた。


「い゛……っ!?」


あまりの痛みに俺は言葉を失くした。殴られた部分を両手で押さえてうずくまる。


「謝れ」


端的にかつ容赦なく叱られる。今すぐ、と親父の威圧感が言っている。俺、今痛すぎて喋れないってのに。

あと、普通に嫌だ。俺は悪くない。だって、こいつクレーマーじゃん。

公爵家に雇われるってハードル高いはずだ。それを簡単にクビにしろとか。欠けた人員補充するにしても退職手続きやら新しい人間の身元確認やら手間と時間と金がかかるのを解ってない。

まだ言葉がでない涙目で自分より小さい少女を見やる。俺の不服の眼差しを受けて、彼女は言った相手が俺だと正しく理解したようだ。頬がぐわっと朱に染まり眉を吊り上げた。


「い、ま、なんて言いましたの……っ!?」


「お前、そんなチビのときから性格ブスだとでっかくなったときにゃ顔もブサイクになるぞ」


「な……っ!? わたくしを誰だと思っていますの!!」


あ、これよく小物な悪党が言う科白だ。


「公爵様の娘」


「そうですわ! エルンスト公爵家の者に平民風情がそのような口を利いてよいと思って!?」


貴族だけあって英才教育受けてるのか、歳下にしては口がよく回るな。わなわなしている少女に変なところで感心する。


「お前の父ちゃんは偉いのか?」


「当たり前ですわ!」


「お前偉いの?」


「そうですわっ」


「お前は、偉いのか?」


「だから、そう言ってますわ!!」


「なんで?」


「え」


「俺も公爵様が偉いのは解る。雇い主だし仕事してて忙しそうだ、それだけ責任とかあるんだろう。けど、お前はなんで偉いんだ?」


「わ、わたくしはエルンスト公爵家の……」


「メイド一人、クビにするにも父親頼りの奴がほんとに偉いのか?」


「……っ」


俺が訊けば訊くほど言葉に勢いがなくなり、最後には言い返す言葉が浮かばなくなったようで無言で睨まれる。

相手の眼をじっと見つめ返して反応を待つ。すると、相手の右手が持ち上がった。


ぺちんっ。


左頬をひっぱたかれたが、痛くない。暴力に慣れてないだろうし、そんな筋力鍛えてもないだろう。

叩かれて逸れた視線を元に戻すと、反撃を警戒してびくりと怯えた。


「暴力に訴えるのは負けを認めたようなもんだぞ」


「っ!!」


別に勝負してないが、この場合俺の質問に答えられない、イコール自分が偉くないと認めたということだ。

解っているだろうけど念押しで言うと、顔を真っ赤にして踵を返して逃げていった。

ちびっこを言い負かしてから、親父の拳骨が再来してないことに気付いた。不思議に思って見上げると、拳を構えた親父を公爵様が片手をあげて止めてくれていた。最後まで俺たちの口論を見守っていた公爵様は苦笑いを浮かべる。


「ありがとう、イザーク」


「いえ……、むす……ご令嬢に好き勝手言ってすみませんでした」


「むしろ、助かったよ。折に触れて私も注意はしていたんだが、私が叱っても怖くないようでね」


弱ったように肩をすくめる公爵様。うん、簡単に想像できる。娘に甘そう。


「しかし、訊き返すというのはいいな。私にもできそうだ」


参考になったよ、と公爵様は微笑む。そう俺は別に声を荒げた訳じゃなく、普通に訊き返しただけだ。令嬢が勝手に自滅しただけ。前世に妹がうざかったときには、このやり方で済ませていた。


「……ジェラルド様、そろそろ」


執事さんがしびれを切らしたらしく急かした。公爵様はにこやかに答える。


「ああ、済まない。では、行ってくるよ。……そうだ、イザーク。一つだけ」


「はい?」


公爵様は出発しようと踏み出したが、ふと振り返る。


「ウチのディアは天使のように可愛いんだ。もちろん中身もね」


ぱちんとウィンクして釘を刺された。


「あ、ハイ……」


親バカの前にはあの跳ねっ返りも愛嬌に含まれるらしい。とりあえず訂正します、と謝罪しといた。

公爵様が見えなくなった後、隣から怒りを吐き出すような長い溜め息が聞こえた。

ビビって親父の方を恐る恐る見上げると、圧がある眼で見下ろされた。


「ゴメンナサイ」


公爵様に止められたから二度目の拳骨はなさそうだが、それでも無言の圧が怖くて反射で謝った。

それでも、まだ圧が止まないから、考えて言葉を足す。


「ディア様?にも、次会ったら謝る、デス」


やっと視線が外れて、俺はほっと安堵した。


けど、庭師見習いなんかに『次』なんてあるんだろうか?



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