たとえ二度と主人公になれなくても

憂杞

たとえ二度と主人公になれなくても

 主人公しゅじんこう補正ほせいという言葉は、果たしていつの時代に生まれただろうか。

 最悪の時代を生き延びた少年シンは、自分にはそれが掛けられているのだと心から信じた。


 見渡す限りの赤い海。鉄錆と硝煙の噎せ返る臭い。


 地獄と化す故郷を前に、少年はへたり込み途方に暮れるしか出来なかった。親友のカイがいたはずの傍らには、灼熱を伴う血溜まりが広がるばかりである。


 一夜にして戦禍を起こす火種となったテロ組織『アンバインド』。

 彼らの操縦する空爆機は隊列を固め、一様に彼方の空へ撤退していく。


 一人を取り零したまま行方を眩ませた脅威。

 少年は片手に小さな試薬瓶を握り締め、無垢なる心に復讐の炎を燃やしていた。



  ◇



「君が戦闘員志望のシンくんで間違いないね?」


 防衛局本部の休憩室で教本を読み耽る青年に、見かねたセナ分隊長が声を掛けた。シンと呼ばれた青年は振り返り、眉間に皺を寄せたまま「そうですが」と答える。


「勤勉であることは認めるが……ここ最近、教官らに対する君の不敬な言動が多数報告されている。本人からも再三言われているだろう。今後の態度によっては君への処遇を改めかねないから、気を付けるように」


 シンからすれば聞き飽きた小言に過ぎなかった。隠す気のない舌打ちとともに反論を繰り出す。


「それ、全部俺のせいだって言いたいんですか? 教える側があまりにやる気無さそうだったから、ちゃんと意見を言ってやっただけです」


 言い終えた口元が、意図せず勝ち誇ったように歪む。

 セナは若くして十人の小隊を纏めるカリスマ性を持っているが、その一員である彼の教育には常に手を焼いていた。


「拳銃の実射訓練でのことを言っているのだろう。些末なことに学ぶ時間を費やしてはならない」

「射撃なんて習得する気はありません。近接武器の訓練をもっと強化してください」

「それもいいが、君は動体視力が良い上に小回りも利く。遠距離の方が向いていると思うぞ」

「駄目です。近距離で戦えないと意味がない」


 どういうわけかシンは、普段から近接戦闘をすることに異様な執着をみせている。相当に自身があるのか、はたまた援護という役回りが気に食わないのか──心当たりは幾らか思い当たるが、セナは深追いすることを避けていた。


 何故なら彼女は、シンの故郷がアンバインドによって失われたことを知っているからだ。


「気持ちは分かる。だが全戦闘員に拳銃が支給される以上、その心得を怠らせる訳にはいかない」


 取っ手付けたような分かる、がシンの癪に障る。


「基本的な撃ち方はもう分かりますから、あとは個人で訓練します。他人のペースに合わせては時間の無駄ですから」


 角のある言葉がセナを突き刺す。説得を試みる口調に、心無しか熱が込められる。


「容易でないことは確かだが、戦闘員が身につけるべきは戦闘技術だけではない。そもそも知っての通り、ここ防衛局はあくまでアンバインドから領地を防衛することを主目的としている。誰もが君のように奴らへの因縁を持つわけではない」


 建設的でない話に、シンの中で焦りと苛立ちばかりが募る。

 半端な志の隊員がいると知っていながら、なぜそれを良しとするのか。なぜ好転させようとしないのかと。


「アンバインドへの反撃はあくまで一手段に過ぎない。あまり感情に振り回されるな……これは君が生き残る為にも、必要なことなのだから」


 知ったような口を──と、シンの怒りは沸点に達した。


「ごちゃごちゃうるせぇな! カイはそんなこと知る前に死んだんだよっ!」


 異常なほどの剣幕に、セナはとうとう押し黙る。逡巡し何か掛けられるような言葉を探したが、これ以上は話が出来る状態ですらなかった。


「……すまない。明日は、宜しく頼む」


 セナは休憩室を後にする。一抹の不安こそ感じたが、しばらく一人にする時間が必要だと断じたのだ。


 この日のまさに翌日、セナ率いる小隊はアンバインド軍の侵攻に備える野外作戦に参加する。

 その少ない面々でさえ、戦闘員を志す理由は多種多様であった。名声を得たい者もいれば、稼ぎを求める者もいる。出来る限り戦闘を避けたいと思わない者は、言ってしまえばシンくらいのものだろう。セナが手を焼くのももっともなように、彼はほとんどの味方と円滑な連携チームワークを取れずにいる。


 それでもシンは、次の作戦の失敗を恐れてはいなかった。

 周囲に誰もいなくなったことを認めると、懐から小さな試薬瓶を取り出す。


 かつての戦禍の中で偶然拾われたそれは、アンバインドが独自技術によって開発した筋力の瞬間増強剤である。その効力には実例があり、過去の作戦記録によると異常な身体能力を持つ敵兵が現れ、その一体のみで複数の分隊が壊滅に追いやられたという。


 ただし、潜在能力を強制的に引き出された肉体はって二年。


「……知ったことか」


 諜報部隊が敵より入手した情報により、その副作用も味方の全隊員に知れ渡っていた。

 この試薬アンプルが全く未知のものであれば、速やかに上層部へ提出すべきだっただろう。しかしそうではないと知ったシンは、来るべき時までその所有を誰にもしらせなかった。誰も信用していなかったからである。


 生き残ろうなどとは思っていない。

 ただ、生かされたからには相応の復讐を果たす。

 それがシンという主人公の役目だ。


 故郷で過ごしてきた日々のことは、今でも覚えている。口喧しい大人達に悪戯を仕掛けては、屈託のない笑みを浮かべるカイが好きだった。

 それなのに、いざという時に何も出来なかった。その償いをする為にも、シンはアンバインドに一矢報いなければならなかった。他の大人達など、分かり合えなければそれまでということだ。


 故郷を滅ぼされてから六年間、彼らの時間は止まったままだ。


 シンは試薬瓶の栓を抜き、中身を口元へ近付けた──



  ◇



 作戦当日。

 セナ小隊を含む作戦部隊らはそれぞれ配置に付く。


 アンバインド直属の陸及び空軍は、早朝に夜明けの方角から侵入する。

 防衛軍分隊は大きく二つのグループに分けられた。一つは襲い来るアンバインド戦闘兵を相手取る戦闘班であり、もう一つは周囲にいる民間人の避難を促す避難班である。


 セナの分隊は避難班に区分された。しかし、担当区域のすぐ近くでは戦闘班が交戦を行う。


「シン、今すぐ持ち場へ戻るように!」


 セナ分隊長の呼び掛けも虚しく、戦闘班の劣勢を見かねたシンはその渦中へ駆け出した。


 誰よりも頭が冴え渡っていた。神経が研ぎ澄まされていく。

 避難者を防衛するという本来の目的からは逸れていない。自分に身体能力があるならば、それを活用しない手はない。他人が失敗していようが、自分の助太刀があれば幾らでも好転するだろう。


 ──そのつもりでいた。


 シンの喉元には、瞬く間に敵の振るった刃先が当てがわれている。それもそのはずだった。


 主人公補正という概念が、死の恐怖に掻き消されていく。

 迫り来る最悪の事態に、シンは目を閉じ絶望するしか出来なかった──



 剣閃。



「やはり、君が隠し持っていたのはこれだったか」


 目の前にいたアンバインド兵は斬り払われ、代わりにサーベルを構えたセナが立ちはだかっていた。


 最近まで持ち場にいた彼女が、一瞬で場を移すなどあり得ない。

 まさかと思い、急いで自身の懐を調べた。そして其処にあるはずのものがないことに気付き、瞬時に全身の血の気が引く。


「速やかに分隊へ合流せよ。他の隊員には予定通り避難誘導を任せてある」

「……あんた」

「私はここを片付けてから行く。向こうにもそれを伝えてほしい」


 余計な私語を慎み、要点のみが端的に述べられる。

 急速な変化を受け、セナの全身が軋みを上げる。


 シンは結局のところ試薬を服用せず、お守りのようにただ持ち歩いていた。

 死を恐れたからだろうか。しかしそれ以上に、穢れを知らないカイの姿が脳裏に浮かんだ。自分の意思が復讐に汚れ形を歪めることを、心のどこかで拒んだ故かもしれない。


 シンはすんでのところで主人公になることを諦めた。

 その代償を払ったのは、シンではなくセナの命だった。


「カイとは、君の身内の名か」

「……俺の親友だった」

「そうか。ならば……彼は死ぬべきではなかっただろうな」


 駄弁に応じるシンの声は震えていた。なぜこの状況でそんな話が出来るのかと、恐怖とも取れる感情を抱いていた。


「私こそ、こんな世界は間違ってると思っているよ」


 命が削られているにも関わらず、セナの語り掛けには優しさすら帯びていた。


「それでも必ず平和を取り戻す。この身にどれほどの傷を負おうとも、必ずだ」


 肩で息をするセナに、一筋の影が忍び寄る。


 銃声。


 背後で人の頽れる音。何事かと思い顔を上げると、正面でシンが拳銃を構えていた。


「背後の敵は俺がやります。分隊長、あんたは前方の近接兵を!」

「……分かった、感謝する!」


 目にも止まらぬ白刃の剣閃。

 その末端を伝えようと立ち止まっては、また次の一閃を繰り出す。

 合間を縫うように背後へ銃撃が飛ぶ。


 隙を見たセナは、見かけた避難者達から離れた位置へ横走りする。混乱に陥ったアンバインド兵と、夢中で銃を操るシンはそれを追う。

 やがて一行の頭上に、防衛軍分隊らの影が落ちる。


 袋小路に導かれた敵兵達は、一様に総攻撃を受けそれぞれの動きを止めた。



  ◇



 あれから二年が経った。

 要点から言うと、アンバインドによる侵攻は今も続いている。


 前線の広い規模で活躍を見せたセナ元分隊長は、活動限界を迎えた末に生涯を閉じた。一隊員が上層部に虚偽の報告をしたことで、公での死因は敵との交戦による殉死とされている。

 事実、セナは最期まで戦い抜いた。死ぬ瞬間まで使命を全うしたのだとシンは思った。


 彼女こそが主人公だったか、などと考える暇はない。皆が皆どんな形であれ、世界を守っていることを知っているから。


「こちらシン、敵部隊を捕捉しました。援護は任せてください」


 これ以上、自分と同じ悲劇を起こさせない為に。

 シンは戦い続け、その終わりをひたすらに願う。



  【了】

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