四年ごとに異世界召喚される兄を持ったアラサーの話

星名柚花@書籍発売中

四年ごとに異世界召喚される兄を持ったアラサーの話

 四年に一度訪れるうるう年、二月二十九日は兄トシアキにとっては特別な日だが、近所の会社で働く事務員アサコにとっては何の変哲もない一日である。

 今日は休みなので、アサコは久しぶりに帰宅した兄と話し込んだ後、ダラダラ寝て過ごした。


 テレビをつければ暗いニュースばかりで日本の少子高齢化は進む一方で「この先日本は、いや、そんなことより喪女で婚活もうまくいかなくてこのままずっとおひとり様街道驀進しそうな私の将来どうなるんだろう、孤独死確定かな」なんて悶々と考え続けるのは嫌なので現実逃避として寝た。


 夢を見た。始めのうちは楽しい夢だった。

 自室でベッドに寝そべり、乙女ゲームをしていると白馬の王子様が窓を突き破って現れた。


 驚いてゲーム機を取り落としたアサコの前に王子様は恭しく跪き、「結婚してください」と花束を差し出してきた。


 王子様は乙女ゲームの攻略対象に負けないくらいのイケメンだった。

 睫毛エクステでもしてるのかなと思うほど睫毛がびっしりで、彼が瞬きするたびにバッサバッサと音が聞こえた。


 予期せぬイケメンの登場にアサコは胸を高鳴らせたものの、一方で「窓の修理代は誰が出すんだ、散らばったガラス片は誰が片付けるんだ、ていうかよく馬が通れたな」と頭の隅でちらと考えないでもなかったが、相手は王子様だし、身も蓋もないが所詮は夢なのだから窓を突き破って現れる白馬のイケメン王子がいたって万事OKと結論付け、アサコは色とりどりの花束を受け取って「はい」と頷いた。


 そうしたら突然王子様が化け物に変化し、奇声を上げながら襲い掛かってきた。


 アサコは部屋を飛び出し、必死に逃げた。

 けれど、日ごろの運動不足が祟ったのか足がもつれて階段から転げ落ち、そこで目が覚めた。体中に変な汗を掻いていた。


 全くなんて夢なのだろうか。アサコは眉間に皺を寄せて唸った。

 なんで素敵な王子様が化け物になり、襲ってくるのか。

 昨日親友が「こんなに大きくなったよ」と可愛らしい幼児の写真を送ってきたせいか。


 アサコが抱いている未来への不安や漠然とした焦燥感が化け物として夢の中に現れたとでもいうのか。

 なんにせよ――


「――最悪な夢だわ」

 アサコは眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように呟き、パジャマ姿のままでリビングへと移動した。


 リビングでは母ヨシコが醤油せんべいを食べながらお昼のワイドショーを見ていた。

 テレビに映し出されているのは数日前に破局が大々的に報じられた芸能人カップルだった。


「やっぱりねえ、浮気する奴は結婚したって浮気するのよ。うまくいかないだろうと思ってたわ。私にはわかってた」

 頷きながら醤油せんべいを食べる母の向かいには飲みかけのコーヒーが置いてある。


 湯気が立ち上っているコーヒー、中途半端に引かれた椅子の様子からして、ついさっきまで誰かがここに座っていたことは明白だった。


「あら、やっと起きたの」

 母が醤油せんべいを持ったままこちらを向いた。


「うん。お兄ちゃん、また召喚されたみたいだね?」

 半ば呆れて、アサコは目を眇めた。

 アサコの一つ年上の兄は筋金入りのニートだ。

 諸事情により高校を中退してから一度も働いたことがない。少なくともこの世界では。


「ついさっきまでいたんだけど、エレスティーナさんが来てね。一緒に行っちゃった。今度は千年ぶりに蘇った邪神とやらを倒してくるみたいよ」

 エレスティーナは白い翼を生やした巨乳の女神で、四年に一度、勇者適性の高い人間を異世界に転移させる力を持っている。


 彼女に胸を寄せながら上目遣いに懇願されれば兄が嫌と言うはずもない。兄は巨乳に弱い。胸元をガン見しながら鼻の下を長くする兄の姿が容易に想像できて、アサコはため息を吐いた。


「お兄ちゃんが異世界召喚されるの、これでもう5回目だね。エレスティーナさんもいい加減お兄ちゃんに頼るのは止めて、他の人間を召喚してくれればいいのに」

 エレスティーナとはアサコも顔見知りだ。


 突然家の中に現れるとはいえ、相手が女神で、しかも礼儀正しく挨拶してくるとなれば挨拶を返さないわけにはいかず、いまでは母ともども「さん」付けで呼べるほど親交を深めてしまっている。


 椅子を引いて、アサコは兄が座っていた場所に腰を下ろした。


「なんかねえ、お母さんにはよくわからないけど、トシアキは攻撃力とか防御力とか、そういうステータス? とやらがカンストしてるんだって。この前召喚された異世界アンダルパの魔王も魔法の一撃で倒したそうよ。魔王討伐の旅は実質二時間で終わったから、残りの四年間は国賓扱いでお城でのんびり過ごしてきたんだって。国王からは魔王討伐を成し遂げた褒美に三人の王女のうち誰か一人を選んで嫁にしていいって言われたらしいけど、丁重に断ったってさ」


「そのまま逆玉に乗ったほうが良かったんじゃないの。異世界じゃ勇者でも、こっちじゃ32にもなって職歴がないニートだよ?」


「まあいいんじゃないの? あの子、何度も異世界を救った功績として特別にこっちでも魔法が使えるようにしてもらってるんだし、いざとなればどんな仕事だってできるでしょ。毎回異世界から宝石やら何やら持って持ち帰ってくるし。今回あの子が持ち帰ってきた人間の頭ほどもあるダイヤモンドの原石なんて、換金すればいくらの値がつくことやら」


「いいなー、私も行きたい。異世界。働きたくない。世界救ってイケメンの王子にちやほやされたい……」

 テーブルに突っ伏して嘆く。

 何故自分には勇者適正がないのか、何故人生で一度もモテた試しがないのか。

 複数の婚活アプリや婚活サイトに登録してメッセージを送って苦労して初回デートの約束を取り付け、この人素敵だわと思っても帰ったらお断りメールが届いている。それが現実だ。


 モテ期は人生のうちで3回訪れるはずじゃないのか。

 生まれてこの方、モテ期が行方不明なのだが。これは一体どうしたことか。


「馬鹿なこと言わないで。四年ごとに異世界に召喚される子どもなんてトシアキ一人で十分よ」

 冷たい目でアサコを見つめてから、母は醤油せんべいが入った袋を横に退けた。


「ところであんた、ここ最近デートする様子がないけど、婚活はどうなってるの? まだ良い人見つからないの?」

「あーお腹減った、ご飯食べようー」

 アサコは湯気の消えたコーヒーを片手に立ち上がった。

 まさか四年も飲みかけのコーヒーを放置しておくわけにはいかないので片付けよう。

 また兄が帰ってきたら新しいコーヒーを淹れてあげるとしよう。

 ひょっとしたら飲み終わる前に再び兄は女神に頼まれて別の世界に行くかもしれないが、四年後のことなんて知る由もない。


「そのときは姪か甥でも生まれてたらいいんだけどねえ……」

 ぼやきながら、アサコはふと気づいた。

 二月二十九日、月末。

 今日で婚活サイトの利用期限が切れるから、延長のための入金手続きをしておかねばならない。



《END.》

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