第651話 「旅立ちの前に」

 空を取り戻したことで、全世界待望の春が、この星にきちんとやってきた。

 ただ……やってきたというか、ものすごく急に駆け込んできたというか。それまでせき止められていた陽気が、一挙に押し寄せたという感じで、割と大変なことにはなった。急激な雪解けで水浸しになったり、温度差で体調を崩す人が続出したり……。

 しかし、そういうのも結局、嬉しい悲鳴ということで片付けられた。空を見て怯えるようなことは、もうない。負けないように闘争心を燃やすことも。

 そうして、やってきた春の訪れとともに、この世も新たな時代へと踏み出していく――。



 4月17日昼前。果てしなく続くと思われた残務処理を終え、俺は戦闘報告書の最終稿を、フラウゼ魔法庁に提出した。

 書類を受け取ったのは受付の職員さん。彼女は、封蝋してある書類の中身を閲覧する権限はないけど、俺の事情は色々と把握していただいているようで、ニッコリと笑ってねぎらってくれた。


「今までお疲れさまでした」

「ありがとうございます。もうそろそろ、落ち着けるかなと思うんですけど……」

「……そうもいかないのでは? これまでに増して有名人になってしまいましたし」

「まぁ、そうなんですよね……」


 全世界を股にかけて動き回ったことで、俺の名前は売れに売れて……いい機会だからと、その場のその時のノリも手伝い、売りに売りまくった。メルの手助けはもちろん、彼が囃し立ててきたってのもあるとは思う。

 そのおかげで、今や世界中に俺の名前が知れ渡っている。まぁ、万人にとって顔と名前が一致するほどの事態ではないんだけど、身分証とともに名乗れば、どこへ行っても通用するってぐらいだ。

 それから、受付のお姉さんは俺に尋ねてきた。


「式の日取りは?」

「気が早いですよ!」

「あら? そういうウワサが流れてますけど……」

「……お願いする日が来たら、そのときはきちんと申請します」


 それだけ言い残し、俺は足早に立ち去った。


 世の中は大きく変わりつつある。都市という殻に守られていた市民は、一つ空の下で他の都市とマナのつながりを得て守りあったことで、他の国への関心を強く持つようになった。姉妹都市みたいなのを設定しようという流れもある。

 それに、お互いに手を取り合って、防御膜へとマナを捧げたことが、社会への参画意識を醸成した。あのとき立ち上がった義勇兵が、銃に手を取り奴に立ち向かっていったということも、そうした意識を後押ししている。一介の市民たちは、守られるだけの存在から脱していった。

 そうした流れがあって、王侯貴族中心の政治のあり方も、少しずつ変わろうとしてきている。貴族がどのように作られたかの知識が出回ったこともあって、お役目から自由になっていただこうという運動も。

 まぁ、即座に全てを変えるわけにはいかない。ただ、最初の第一歩として、貴族の自由恋愛は広く認められる空気になっていて――あの一連の戦いに関わられた方々が、勲功片手に声を大にしたというのもある。

 こうした動きの諸々が絡み合い……俺とアイリスさんの仲については、燎原の火のように拡散していった。


 魔法庁を出た俺は、ギルドへと足を向けた。

 空がまともになってからというもの、人通りはかなり増えている。それも、行政施設が多いこの北区まで。官民連携の動きが強まったからだろう。平民というか、中産階級への権力移行みたいな流れもあることだし。

 北区を抜けて中央広場につくと、やっぱりこちらも人でごった返している。ただ、工事中の箇所が多く、そのおかげで往来が制限されていて、そのしわ寄せで通行できる箇所の密集度が増している感じだ。

 あの決戦の日、この王都も奴からの攻撃を受けていた。その傷跡はこの王都にも刻まれていて、中央広場の石畳や建物に、それが今でも見受けられる。

 そこで、傷跡などではなく、勝った記念をここに残そうという動きが。問題は、何を残すかって所で……有力なのは、あの時王都の代表として戦われた、ハルトルージュ伯の像。ご本人としては「困る」とのことだったけど……まぁ、そのうち何かが立つだろう。


 ギルドに入ると、ロビーでたむろってる相変わらずな連中が、笑顔で話しかけてきた。


「よう閣下!」

「おっす」


 こちらの言う閣下ってのも、あながち冗談では済まされなくなるかも知れない。まぁ、俺がどんなのになろうと、仕事の仲間の悪友連中は、そう変わらずに接してくれるだろうという妙な信頼はあるけど。

 今日の受付はシルヴィアさんだ。いつもの朗らかな笑顔で俺を迎えてくれた彼女に、俺は書類を差し出した。


「はい、確かに。今までお疲れさまでした」

「そう言うと、なんか辞めるみたいですね」

「ふふっ、そうですね。でも、最近お仕事ご無沙汰ですし……実際、長めに休暇取られますもんね」


 彼女がそう言うと、初耳だった連中が食いついてきた。


「リッツ、お前……長期休暇なんてとって、何する気だ?」

「いや、別にいいだろ……」

「お目付け役は!?」


 俺が何か企んでいるというか、しでかすのではみたいな含みを持たせたのだろう。クソ真面目で真剣な表情で尋ねてきたソイツは、少ししてから耐えきれなくなったのか、他の連中と一緒にバカ笑いを始めた。

 まぁ……お目付け役がいないわけでもないか。言えばめんどくさくなるから、絶対に言わないけど。

 一人でそんなことを思っていると、シルヴィアさんが少し気弱な笑みを浮かべ、話しかけてきた。


「少し寂しくなりますね」

「ちゃんと土産話持って帰りますよ」

「土産話って言うと……新しい案件的な意味で?」


 妙なところに食いつき、彼女は目を輝かせてきた。やっぱりワーカーホリックだよなと思いつつ、口にはしないで、俺は曖昧な笑みだけ返した。

 そうして書類提出を済ませた俺は、ギルドを出ようとした所で声をかけられた。


「教授~、次の試験は?」

「……来年やる」

「そうやってみんな年をとっていく~」

「うっさい」


 俺は苦笑いで返し、その場を立ち去った。

 まぁ、来年こそはを続けて、ズルズル来ちゃったかなというのは、確かにある。次のCランク試験について、サニーは本当に本腰入れて頑張っているところだ。それなのに、長期休暇ってのも……。

 たまにはいいか!


 開き直った俺は、工廠へと足を運んだ。受付を通り、いつもの雑事部へ。

 空を掌握していた大師相手の、あの一連の戦いを経て、この雑事部にも大きな変化が訪れていた。マナ伝送理論を活かして都市防御網の構築に大きく貢献したウォーレンは、世界中に名前が売れた。

 それで、今は都市規模で蓄えたマナの平和利用にと開発が進められているところで、彼は王都を離れてそういう国際的な開発に携わることになった。ヴァネッサさんによれば、まずは土木治水関係からだそうだ。


「人手をマナで代行できれば便利ですし、危険を避けられますからね。公共性の高い案件でもありますし」

「なるほど」


 そして、彼が王都を離れたのと同様に、シエラも王都を離れている。前からリーヴェルムでホウキの導入をという話が持ち上がっていて、空が正常化した今、再び話が動き出したわけだ。

 こうして二人がいなくなると、騒がしい雑事部も少し落ち着いたように感じる。あの二人が特別騒がしかったわけじゃないけど、色々な原動力にはなっていたと思う。

 それから俺は、ここへ来た要件を口にした。


「試作品の貸与を申請に来たんですが」

「ああ、例のホウキですね」

「はい」


 前から俺が話をつけていたものだけあって、話は早い。自身の机へその件の書類を取りに向かったヴァネッサさんは、急に苦笑いして言った。


「よそ者が大きい顔するようになったみたいで、なんだかって感じではありますね」

「いや、おかげで助かってるんじゃ? みんな書類仕事は嫌いですし」

「リムさんを見習ってほしいですね。技術面ばかりじゃなくて」


 そういう彼女に、俺は微妙な笑顔を返した。俺も決して、書類仕事が好きなわけではない。

 その後、彼女は実験室の一つをノックした。少ししてから、俺が申請している物品の、主任研究者が。「依頼人ですよ」とヴァネッサさんが告げると、相手の子は満面の笑みを浮かべ、再び中へと駆け出した。

 そして彼女が持ってきたのは、柄が長いホウキだ。


「はいコレ! 大丈夫だとは思うけど、ハーネスはつけてね!」

「どうも」

「乗り心地とか、聞かせてね! なんなら、それ以外の話もね!」

「それ以外って……なんだよ」


 思わず口にしてしまったけど、彼女は何も言わず、ニヤニヤしながらおれの腰を小突いてくる。ヴァネッサさんは、オトナだからそういうことはしてこないけど、目線は妙に暖かなものがあって……俺は逃げ出した。


 長期休暇の足を確保した俺は、次に孤児院へ向かった。ちょっとしたお別れになるからだ。まぁ、危険を伴うわけじゃなくて、本当にただ離れるだけなんだけど。

 孤児院につくと、いつもの先生ズが子どもたちと遊んでいた。

 いや、いつもと言うには少し多いか。目立つのはハリーで、あの長い冬以来結構見る気がする。ネリーに誘われて、よく来るようになったかも。彼自身、子供相手に遊んでいて、楽しそうではある。顔にはそんなに出てないけど。

 彼以外には、ラックスの姿も。ネリーと一緒に、子どもたちと花壇の世話をしている。そちらへ近づくと、俺に気づいたネリーが話しかけてきた。


「おつかれ、大変だったね。出発はもう少しで?」

「一応、明日のつもり。今日はちょっとご挨拶にと」

「なるほど~、楽しんでね!」


 明るくそういうネリーだったけど、周囲の子たちは俺がどこかへ行くということに反応し、口々に問いかけてきた。そうした反応に、遠くの子も釣られて寄って来て……。


「大変だね。モテモテじゃない」

「ま、いい先生だし」

「そうだね」


 普段のさっぱりした調子でラックスがそう言うと、なんだか照れくさくなってしまった。自分で墓穴を掘ったようで、それがますます恥ずかしくもあり……。

 ただ、こうなったからには説明責任がある。集まった子たち相手に、俺は言った。


「ちょっと長めのお休みをもらって、王都を離れることになったんだ」

「どこか行っちゃうの?」

「うん、特に決めてないけどね」

「つまり……適当にブラつくの?」

「ブラつくって規模じゃないけど、まぁそんな感じかな」


 この話に対し、みんな剣呑な雰囲気は感じなかったようだ。心配はしていない。ただ、少し寂しそうにしている感じはある。そんなみんなを愛おしく思いつつ、俺は約束した。


「土産買って帰るから、いい子にしてるんだぞ」


 すると、現金な子たちは、割れんばかりの大合唱で応じた。


 それから、院長先生にも手短に挨拶を済ませ、次は西区から東区へ。目的はエスターさんの店だ。店員さんにひと声かけ、邪魔にならないよう入口の脇にホウキを立てかけさせてもらってから店の中へ。

 店の中は、ちょっと前まで冬物の山だったように思うけど、いつの間にか春物で埋め尽くされている。柔らかく明るめの色合いで、生地はしっかりしつつも少し薄手。本当に、季節が変わったんだと実感するばかりだ。

 その後、奥の応接室へ通してもらうと、少し遅れてエスターさんとフレッドがやってきた。


「お久しぶりですね。春物の新調ですか?」


 尋ねてきたのはフレッドだ。前に来た時、春になったら何か買うとは言ったから、それを覚えていたんだろう。素直に「そうだよ」と答えると、今度はエスターさんが嬉しそうに笑って、話に乗っかってくる。


「詳しくお聞きしましょうか。どういった品をご所望で?」

「いや……なんていうか、その」

「婚礼用ですか?」

「そういうんじゃなくってですね」


 このお姉さんも気が早いな。まぁ、そういうのを本当に期待していてくれるようで、悪い気はしないけど……。


「……適当なアウターを、二着ほど」

「二着ですか。仕事用に?」

「いえ……旅行で、一緒に着ていこうかと。割と、男物を着る子なんで」


 すると、全てを察したであろうエスターさんは、優しげな笑みを浮かべて言った。


「そういうことでしたら……お相手様のことを思い出しながら、選ばさせてもらいますね!」

「お願いします」

「顔もサイズもバッチリですから、ご安心を!」


 そう言って彼女は、なんとも頼もしい笑顔を向け、腕まくりをしてみせた。落ち着いたところもあるけど、仕事になるとノリが良くて……本当に頼もしい人だ。

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