第650話 「見果てぬ夢の夜明け」

 殴った瞬間、閃光がほとばしった。右手には激しい痛みが走り……すぐさま俺は、魔力の矢マナボルトを解除した。明らかに不適当な使い方ながらも、きちんと使える自分に、改めて感謝するばかりだ。

 殴られた衝撃に、奴は大きくのけぞっている。しかし、この動きに合わせて槍を振るう可能性は無視できない。一発ぶん殴った後にも頭は冷静に働き、奴の一挙手一投足を見逃すこと無く、俺は次に備えていく。


 しかし……あの一発が、奴に対する最初のクリーンヒットが、全てを終わらせたようだ。白い輝きを放つ奴の体は、その光を急速に失っていき、留めきれなくなったように白い粒子が舞っていく。その様は、魔人の最期を彷彿とさせるものだった。

 それでも、俺の警戒心は絶えない。右手の痛みに堪えつつも、俺は奴への構えを継続した。逆さ傘インレインのドローンで追撃を加えていく。

 右手は……そういうわけにもいかないだろうけど、目で見る気がしない。原型を保っているのはわかる。骨はくっついている。ただ、そこら中で赤い飛沫が雪を染めていて、そういう事になっているのは明白だった。

 ただ、悪い駆け引きじゃない。名誉の負傷だ。この程度の負傷で、奴をぶっ倒せたのなら。


 果てつつあるように見える奴に対し、俺は用心して追撃を加え続けた。すると、男の声がこちらに話しかけてくる。「私の負けだ」と。

 そうなんだろうなとは思う。もう、あの白い槍もない。それに、盗録レジスティールが奴を食らい付くしたとわかっている。俺はドローンを消し、奴へと近づいていった。

 戦いに敗れた大師は、その原型を留めていなかった。いや、むしろ本体が現れたと言うべきか。仮初かりそめの身を構成していた白いマナの凝集体は、今では盗録に全て捉えられている。その白い器たちをどけていくと、見たこともない模様の魔法陣が現れた。

 おそらく、これが本体なのだろう。「それがお前か?」と問うと、少し間を開けてから「そうだ」と返答があった。


 魔法陣が本体という敵は、前にも一体いた。内戦の末にクリーガで防衛戦をやった時のことだ。死霊術師ネクロマンサーの野郎がこんな感じだった。あの野郎も今回の大師も、「自分の体を操っている」という感じだった。おそらく、似たような力を用いていたのだろう。

 奴に抵抗の意思はないようだ。おそらく、放っておけば消えていく……と思う。正直に答えるとは思えないけど、一応は聞いてみるか。


「放っておくとどうなる?」

「このまま維持することは不可能だ。今はただ、かろうじて永らえているに過ぎない」

「信じると思うか?」

「ならば、なぜ私に付き合ったのだ?」

「お前の方が誘われたんだろうが」

「しかし、立場は逆転したではないか」


 ああ……まぁ、そうだ。俺の毒で弱体化していた末に、コイツが感情むき出しな最大出力っぽい攻撃をしかけてきて――なんというか、刺激されたという面はある。

 ここまでのやり取りで、互いに立場が入れ替わっていったという事実に、なんともスッキリしない物を覚えた。この野郎と同類とは思いたくない。似たような面がいくつかあるだけだ、と。

 しかし、沈黙が続くことになんとも言えない居心地の悪さを覚え、俺は別の話を切り出した。


「何が目的だったんだ?」

「……力の究極というものを求めていた。私にとって、それは遍在性の獲得だった」

「まぁ……どこの空見上げても、お前がいたからな」

「その程度で終わるものではない。それはお前も理解しているのではないか?」


 コイツが言う偏在性ってのは、どこにでも居るということ以上のものだろう。俺たちの抵抗がなければ、永遠に存在し続けていたかもしれない。

 それに……空を一時的に掌握するに留まったけど、もっとひどい事態にもなり得た。奴を崇めることでしか、存続し得ない社会が生まれたのなら……遍在性とやらは、人心と社会にまでその魔手を伸ばしたことになる。

 それを、神と称するのは、決して言い過ぎではないだろう。

「くだらないことを考えたもんだ」と、俺は吐き捨てた。それから少しして、やや小さくなった声で、奴が俺に問いかけてくる。


「良かったのか?」

「何が?」

「お前たちがまとまれたのは、私のおかげだと思わないのか? いずれ、人間同士で刃を向け合わないとでも?」

「……で、そうならないように、私を生かしてくださいって? 売り込みだか命乞いだか知らんけど、随分と大上段な野郎だ」


 俺が切り捨て拒絶すると、奴はそれ以上話を続けてこなかった。

 おそらく、コイツはそういう世の中を目にしてきたのだろう。そういう人間たちの争いを、時には自身で引き起こしつつも、観察してきたのだろう。どんな理由だとしても、争い合うための素養は、人間の中にある。俺が生まれた世界もそうだった。

 しかし……争いを避けるためだけに、こんな奴を崇め奉るのはまっぴらごめんだ。共通の敵として生かしておくわけにもいかない。それに、平和のためにコイツを利用できるだなんてのが、そもそも傲慢な思い込みだ。生かしておけるものか。


 しばしの間、沈黙が続いた。奴の本体である白い魔法陣は、少しずつその光を失っている。最期は近いのだろう。

 しかし、少し懸念があって、俺は一度目を閉じてみた。幸い、違和感はない。配下のように“徳“の力を得ていたということで、精神操作もありえるんじゃないかと思っていたけど……まぁ、先んじて盗録を仕込んであるから、大丈夫か。

 ただ、それでも引っかかるものを覚え、俺は尋ねてみた。


「精神操作は使えるのか?」

「ああ」

「そうか。一人で戦ってよかったよ」

「ああ、私もだ」


 どういう意味だ? そう口にするのにも、妙なためらいを覚えてしまい、俺はただ口を閉ざした。せっかく精神操作が効かない体になっているってのに、雰囲気に呑まれては話にならない。

 すると、奴は俺に話を持ちかけてきた。


「こうなるかも知れないとは思っていた。そうした懸念のため、私はあの力を受け継いだ」

「何が言いたい?」

「私の力を継ぐ気はないか?」

「ハァ?」


 思わず口にしてしまった。しかし、奴はそれに苦笑いするでもなく、なんとも淡白な調子で言葉を重ねていく。


「精神をつなぎ合わせれば、私の力と知識を引き継がせることはできる。その使い道は、君が勝手に決めればいい」

「本気で言ってんのか?」

「ここで朽ちるには惜しい力だ。君もそう思っているのではないか? それに、託すに相応しい相手と思い、最後の話を持ちかけている」

「俺が、お前なんかの力を欲しがると、本気で考えてんのか?」


 そして、それきりだった。白い魔法陣からは声にならない囁きみたいなものが聞こえる。それは決して形にならず、俺に届かず宙に消えていく。

 そうした世迷い言も、やがては放たれることがなくなり、周囲は完全に静まり返った。白い魔法陣が解きほぐされ、模様が線に、線が点に、点も霧散して還っていく。

 奴が居なくなって、俺は目を閉じた。なんかこう、植え付けられた感じは……ない。俺は俺のままだ。でも、念のため、それとなくみんなにも確かめてもらおう。それも、定期的に。

 それから俺は、奴のマナを留めおいた盗録を、少しずつ解き放っていった。一斉にやるのを待ち受けていたように思ったからだ。本当に、奴のことは何一つ信用できない。

 そう言えば……俺のことを、託すに相応しいとかなんとか言っていた。あれがリップサービスだとしても、本気だとしても、なんだか腹立たしい。わずかにでもなびき得る者と思われていたんだろうか。


 そうして事後処理が終わった頃には、地平線の向こうで日が昇っていた。俺としては一日が終わったような気分だけど……世の中としては、むしろ始まりだろう。

 俺は空を見上げた。綺麗サッパリになった空に、あの白さはない。暗がりから晴れ上がっていく青さは清々しく、開放感に満ちている。

 それから……俺は地面に目を向けた。雪が覆っていた白一面の草原は、槍に深く刻まれた傷跡と、赤い血痕で汚されている。


 しばらくの間、俺は地面を暗い気持ちで眺めていた。すると、背後から俺を呼びかける声がして、思わず跳ね上がってしまった。


「だ、大丈夫ですか?」

「いや、見てのとおりですけど」


 やってきたのはアイリスさんだ。「白いマナが見えなくなったから、様子見に」とのことだけど……彼女一人を送り出してきている辺り、気を遣っていただけたのだろうとは思う。

 それから、彼女は俺に問いかけてきた。


「これで、終わったのですか?」

「そう思います」

「そう……良かった」


 そう言って彼女が見せたのは、喜びと安堵が入り交じる、安らいだ顔だった。ただ、右手の惨状に気づいたようで、彼女の顔が曇っていく。


「右手は……」

「いや、名誉の負傷というか……」


 実際に顔を合わせ、心配かけてしまったという罪悪感に拍車がかかる。しかしそれでも、彼女はにこやかな顔に戻ってくれた。


「身の回りの世話は、私もしましょうか?」

「いや、それもどうかと……腕の骨折よりはマシだと思うんですが」

「……ケガしてばっかり」


 少したしなめるように口にし、少し寂しそうに彼女は笑った。

 それから、俺は全身の力が少し抜けるような感じがして、その場にへたり込んでしまった。そのまま仰向けになって、空を見上げる。一日の始まりを告げる太陽がやってきて、夜空が端へと追いやられていくところだ。

 すると、俺の傍らに彼女が寝っ転がった。下は雪だけど、不思議と寒さは感じない。それどころか、妙な暖かさを感じ、俺は目を閉じた。まどろみの中へと意識が落ちていく。


――その後、必死の形相の彼女に叩き起こされ、俺は深く反省したけども。

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